2015-10-26
渡部昇一、浦野真彦、藤原正彦、藤原美子、他
3冊挫折、3冊読了。
『アメリカン・インディアンの歌』ジョージ・W・クローニン編:渡辺信二訳(松柏社、2005年)/どれ一つピンとこなかった。口承文学の弱さを思い知る。
『ウパニシャッド』辻直四郎(NHKラヂオ新書、1942年/講談社学術文庫、1990年)/昭和14年にAK(社団法人東京放送局。現在のNHK東京ラジオ第1放送)で5日間にわたって放送された際の原稿に手を入れたもの。初版は昭和17年。解説と部分訳から成る。ウパニシャッドとは仏教以前のインド哲学の総称。梵我一如の思想がよく知られている。解説の後半を飛ばし読み。訳文は文語調で味わい深い。
『夢にむかって飛べ 宇宙飛行士エリソン=オニヅカ物語』毛利恒之:絵・吉田純(講談社、1989年)/小学生上級向け。エリソン・オニヅカはハワイ初の宇宙飛行士。日系3世。チャレンジャー号爆発事故で殉職した。読み物としてはイマイチ。
137冊目『藤原正彦、美子のぶらり歴史散歩』藤原正彦、藤原美子(文藝春秋、2012年)/散歩で交わす夫婦の会話もレベルが高いと書籍にできる。府中、番町、本郷、皇居周辺、護国寺、鎌倉、諏訪など。相変わらずの夫婦漫談が面白い。夫婦揃って由緒ある家系の出自。毎日夕食後に「雨が降ろうと風が吹こうと、4キロを40分という猛烈な速さで」散歩をするそうだ。皇居はいっぺん訪ねてみたい。
138冊目『1手詰ハンドブック』浦野真彦(毎日コミュニケーションズ、2009年)/ジャパネット浦野の面目躍如といったといころ。いやあ侮れない。巻頭に駒の動かし方も掲載されているので将棋入門として打ってつけである。私は限りなく中級に近い初級を自認するが5~6問間違えた。トイレや電車で脳を鍛えよう。
139冊目『『パル判決書』の真実 いまこそ東京裁判史観を断つ』渡部昇一〈わたなべ・しょういち〉(PHP研究所、2008年)/松下政経塾出身者が中心となった読書会を編んだもの。小林よしのりの『ゴーマニズム宣言SPECIAL パール真論』の次に読むとよい。渡部は東京裁判史観をパル史観へと変えることが急務であると主張する。
2015-10-23
山下京子著『彩花へ 「生きる力」をありがとう』が増刷
1997年、神戸市須磨区で起きた小学生連続殺傷事件――「神戸少年事件」で犠牲となった山下彩花ちゃん(当時10歳)の母が綴る、生と死の感動のドラマ。少年の凶器に倒れた愛娘との短すぎた生活、娘が命をかけて教えてくれた「生きる力」。絶望の底から希望を見いだし、生き抜こうと決意した母が、命の尊さと輝きを世の中のすべての人に訴える。
神戸市須磨区で起きた児童連続殺傷事件――「神戸少年事件」で一人娘の彩花ちゃん(当時10歳)を喪った母が綴る2冊目の手記。前著『彩花へ 「生きる力」をありがとう』出版後に寄せられた1000通に及ぶ読者からの共感の手紙に対する返信と、事件後に深く語り合った「生と死」の意味。母の心に生き続ける娘の命の輝きと、本当の幸福とは何かを問う感動の書。
・『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
・『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子
加瀬英明、原田伊織、スティーヴン・キング、平塚俊樹
1冊挫折、4冊読了。
『アドラー心理学入門 よりよい人間関係のために』岸見一郎(ベスト新書、1999年)/『嫌われる勇気』を読んだ後では必要ないと思う。文章もよくない。注目すべきはクリシュナムルティを引用していること。
133冊目『証拠調査士は見た! すぐ隣にいる悪辣非道な面々』平塚俊樹(宝島社、2012年)/必読書。特に不動産購入予定がある人は読んでおくべきだ。資本主義と悪徳企業には親和性がある。弁護士の大半はくず人間、女性専用マンションは強姦犯のターゲットになる、見に覚えのない借金を背負わされる、など。法の庇護が当てにならないかような情況に追い込まれれば、頼ることができるのは政治家か暴力団しかない。悪徳企業が淘汰されるシステムをネット上に構築する必要があるだろう。ただしGoogle八分という言葉があるように、Googleは巨大企業に与(くみ)する傾向がある。
134冊目『キャリー』スティーヴン・キング:永井淳訳(新潮社、1975年/新潮文庫、1985年)/キング作品を読むのは『ファイアスターター』以来のこと。本書がデビュー作である。下積みが長かったとはとても思えない。母親から抑圧され、学校ではいじめられている少女の怒りがサイコキネシスとなって荒れ狂う。単なるホラー作品として扱うのは誤りだ。抑圧された少年少女の怒りには社会を破壊するほどの力が秘められているに違いない。DVDも見る予定。
135冊目『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』原田伊織(毎日ワンズ、2012年/歴史春秋出版、2015年1月/毎日ワンズ改訂増補版、2015年)/完全に予想が外れた。びっくりするほど面白かった。近頃こういう読書体験は珍しい。ただし原田は広告屋なので注意が必要だ。一言でいえば「司馬史観に物申す」との内容である。原田のいうテロリズムとは武士道に悖(もと)る殺生行為を意味する。とはいうものの先祖が武士である原田のダンディズムは青臭くて好きになれない。広告屋の物議を醸(かも)す目的は見事に果たされている。磯田道史あたりが本書をどう読むか気になるところだ。
136冊目『大東亜戦争で日本はいかに世界を変えたか』加瀬英明(ベスト新書、2015年)/加瀬の父・俊一は外交官で、連合国軍の戦艦ミズーリ上で行われた降伏文書調印で重光葵外相に随行している。戦後は初代国連大使を務める。本書を読んでびっくりしたのだがオノ・ヨーコが従姉であるという。生前のジョン・レノンとも親しくしていた。全体的によくまとまっている。出典を明示していないところが難点。東京裁判史観を脱却するためにも本書が国民の常識となることを願う。
コンデジのマクロモードに関するポポティの教え
せっかくなんで保存しておく。
@urihamushi 教えて君で恐縮だが、コンデジの寿命ってどのくらいかね? 2.5万枚くらいでかなり画質が落ちてきているのだが。あと1万円前後でマクロモードがあるオススメ機種があれば。現在はエクシリムだがCOOLPIX S3700を買おうかなと。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2015, 10月 21
@fuitsuono デジカメの寿命はレンズが劣化するかシャッターを押せる回数の限界に達するか安価な部品が破損するかなどが主に影響すると思います。画質の劣化はピントの精度が狂ったせいかもしれません。シャッター回数で言うと2万で寿命は早すぎると思います。(続く)
— タン・ポポティ (@urihamushi) 2015, 10月 21
@fuitsuono 最近のコンデジにはほぼマクロモードがついています。最短撮影距離が機種によって違いますが1cmが一番短く、より大きく撮れます。(続く)
— タン・ポポティ (@urihamushi) 2015, 10月 21
@fuitsuono 1万円前後の機種ですとどれも似たり寄ったりで比較が難しいです。マクロ撮影を楽しみたいならオリンパスのSTYLUS シリーズがお勧めですが高価なのでTG850辺りを中古で探して買われるのも手かと思います。(続く)
— タン・ポポティ (@urihamushi) 2015, 10月 21
@fuitsuono 補足します。先ほどの返信で安価な部品と書いたのはつまり軽いカメラほど部品が軽いプラスチックでできていて消耗も早いし衝撃にも弱いです。その点STYLUSは防塵防滴防衝撃でズームしてもレンズも出っ張らないので扱い易いです。(続く)
— タン・ポポティ (@urihamushi) 2015, 10月 21
@fuitsuono 結論を出しにくいのですが私なら1万円前後の予算ならよりハイエンドに近い機種の中古を探します。でなければ焦点距離や液晶の大きさ、最高感度、最短撮影距離などを比較してみてより好みに合うものを選ぶ事になると思います。
— タン・ポポティ (@urihamushi) 2015, 10月 21
@fuitsuono つまりマクロ重視で決めるなら最短撮影距離が短かくかつズームがより高倍率のものがお勧めです。ちょっと探してみますのでお待ち下さい。
— タン・ポポティ (@urihamushi) 2015, 10月 21
@fuitsuono お待たせしてすみません。新品で買われるならCOOLPIX S3700は最短撮影距離がマクロモード時で2cm、ズーム倍率も光学で8倍と長いので比較的お得なチョイスだと思います。長くなりましたが以上です。
— タン・ポポティ (@urihamushi) 2015, 10月 21
・価格.com - ニコン COOLPIX S3700 価格比較
2015-10-18
子は親の「心の矛盾」もまるごとコピーする/『子は親を救うために「心の病」になる』高橋和巳
・『3歳で、ぼくは路上に捨てられた』ティム・ゲナール
・『生きる技法』安冨歩
・『子ども虐待という第四の発達障害』杉山登志郎
・子は親の「心の矛盾」もまるごとコピーする
・「心の病」という訴え
・『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳
・『生ける屍の結末 「黒子のバスケ」脅迫事件の全真相』渡邊博史
・『累犯障害者 獄の中の不条理』山本譲司
・『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル
・虐待と知的障害&発達障害に関する書籍
・必読書リスト その二
12歳のころまでは、子どもは無心に親を真似て、生き方を学び、それに従っていく。親を信じて疑わない。すべては親が基準である。それは、やがて大人になって生きていくときの大切な心の基盤となる。
しかし、親も完璧な人間ではないから、気持ちの偏りや悪い心、嘘、辛い気持ち、間違った生き方をかかえている。子どもはそういった親の「心の矛盾」もまた無心に、まるごとコピーする。
親の「心の矛盾」がそれほど大きくなければ、子は幸いである。コピーした生き方は、辛いものではなく、心の矛盾にも大して煩わされることなく、親の庇護の元で、安心して自分の興味を広げ、能力を伸ばしていくことができる。
一方、親の「心の矛盾」が大きいと、それを取り込んだ子どもは親と同じ苦しみを生き始める。もちろん、子どもは無理なことを教えられているとは気づかずに、それに従う。(中略)
かかえ込んだ心の矛盾は、しかし、次の思春期になって爆発する。
【『子は親を救うために「心の病」になる』高橋和巳〈たかはし・かずみ〉(筑摩書房、2010年/ちくま文庫、2014年)】
我が身を振り返る。幼児期に埋め込まれた価値観、形成される反応、それが個性なのか? 兄弟が似ていないのは親の接し方が違ったせいなのか? 親だって人間なのだから子によって好き嫌いが分かれることもあるだろう。ほんのわずかな心の配り方で子供の人生は翻弄される。苗木についた傷は消えることがない。若木の枝が折れてしまえば樹木の形は変わる。
私の驚くほど飽きっぽい性格は、きっと親に褒めてもらうことが殆どなかったことに起因するのだろう。粘り強さを発揮する前に、粘るだけの価値がないことを異様な速さで見極めてしまう。読書、スポーツ、友人からの相談事を除けば私の情熱を掻き立てるものはない。サラリーマン時代に月給が100万円を超えた時も「こんなもんか」と冷めた気持ちになったことを覚えている。カネも情熱の対象にはなり得なかった。
その代わりと言っては何だが、人助けとなると尋常ならざる能力を発揮する。知恵と悪知恵を巡らせながら、暴力的な示威行為も平然とやってのける。これは完全に父親譲りの気質だ。
上記リンクの安冨本を読んだ時、両親の愛情の薄さをはっきりと自覚した。そもそも愛情を感じたことがなかった。そのおかげだと思うが私には寂しいという感情が欠落している。もちろん友人や同僚が転居をした時など「あいつがいなくなると寂しくなるな」と口にすることはある。しかし心の中では「仕方がない」と割り切っている。
親というモデルを子供は疑うことができない。これは重要な事実である。私は既に五十の坂を越える年齢となったが、いまだに「親の心の矛盾」を理解したとは言い難い。そう考えるとたぶん「平凡な家庭」など存在しないのだろう。千差万別の矛盾を抱えたそれぞれの家庭があるのだ。
あれこれ考えると、まともな親なんて存在しないような気になってくる。ま、親に理想を求めてもしようがないのだが。
・目撃された人々 73