ネーネーズの代表曲を、と問うと「黄金の花」との答えが返ってくる。作詞界の大御所、岡本おさみの作品だ。「説教じみた歌詞だが、残しておきたい詞」と岡本が数年来温め続けてきた詞は、ネーネーズという歌姫たちとの出会いでようやくこの世に生を受けた。
「歌詞を見て、レコード会社がひるむ。そんな曲がヒットして、代表曲になる。不思議な気分だね」――1990年4月、ネーネーズをプロデュースした知名定男が語る。デビューから3年目の93年、上京中の知名はレコード会社で偶然、岡本とすれ違う。「女性四人組のあれ、いいね。彼女たちなら、ぼくの詞、歌えるかもしれない」。大御所からの誘いに、知名は驚いた。「歌詞をもらった時、頭の中に曲がすぐにできた」と知名はいう。
【「黄金の花 ネーネーズの10年」琉球新報 1999年9月30日】
2016-01-15
ネーネーズ「黄金の花」の誕生秘話
2016-01-12
小林秀雄の戦争肯定/『国民の歴史』西尾幹二
・白人による人種差別
・小林秀雄の戦争肯定
・「人類の法廷」は可能か?
・『日本文明の主張 『国民の歴史』の衝撃』西尾幹二、中西輝政
・『三島由紀夫の死と私』西尾幹二
・『国家と謝罪 対日戦争の跫音が聞こえる』西尾幹二
・日本の近代史を学ぶ
人間が生きるとは運命を生きることである。未来は見えない。過去は反省しても始まらない。取らぬ狸(たぬき)の皮算用と言うし、後悔は先に立たずである。同様に、後悔は犬にくれてやり、見えない未来を一歩ずつ切り拓(ひら)くようにして生きていくべきだ。
かつて福田恆存〈ふくだ・つねあり〉は、自分は「大東亜戦争否定論の否定論者」だという名文句を吐いたことがある。あの戦争を肯定するとか、否定するとか、そういうことはことごとくおこがましい限りだという意味である。肯定するも否定するもない、人はあの戦争を運命として受けとめ、生きたのである。そのむかし小林秀雄が、戦争の終わった時点で反省論者がいっぱい現れ出たので、「利口なやつはたんと反省するがいいさ。俺は反省なんかしないよ」と言ってのけたという名台詞(めいせりふ)と、どこか一脈つながっている。
【『決定版 国民の歴史』西尾幹二〈にしお・かんじ〉(文春文庫、2009年/単行本は西尾著・新しい歴史教科書をつくる会編、産経新聞社、1999年)】
批判されがちな小林秀雄の戦争肯定は「運命を生きる」者の赤裸々な心情の吐露であった。やっと理解できるようになった。全文を紹介しよう。
小林●僕は政治的には無智な一国民として事変に処した。黙って処した。それについもて今は何の後悔もしていない。大事変が終った時には、必ず若しかくかくだったら事変は起らなかったろう、事変はこんな風にはならなかったろうという議論が起る。必然というものに対する人間の復讐だ。はかない復讐だ。この大戦争は一部の人達の無智と野心とから起ったか、それさえなければ、起らなかったか。どうも僕にはそんなお目出度い歴史観は持てないよ。僕は歴史の必然性というものをもっと恐しいものと考えている。僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか。
【「コメディ・リテレール 小林秀雄を囲んで」『近代文学』昭和21年2月号/『小林秀雄全作品 15 モオツァルト』所収】
せっかくなんでもう一つ紹介する。
宮本武蔵の「独行道」のなかの一条に「我事に於て後悔せず」という言葉がある。自分はつねに慎重に正しく行動して来たから、世人の様に後悔などはせぬという様な浅薄な意味ではない。今日の言葉で申せば、自己批判だとか自己清算だとかいうものは、皆嘘の皮であると、武蔵は言っているのだ。そんな方法では、真に自己を知る事は出来ない、そういう小賢しい方法は、寧ろ自己欺瞞に導かれる道だと言えよう、そういう意味合いがあると私は思う。昨日の事を後悔したければ、後悔するがよい、いずれ今日の事を後悔しなければならぬ明日がやって来るだろう。その日その日が自己批判に暮れる様な道を何処まで歩いても、批判する主体の姿に出会う事はない。別な道が屹度あるのだ、自分という本体に出会う道があるのだ、後悔などというお目出度い手段で、自分をごまかさぬと決心してみろ、そういう確信を武蔵は語っているのである。それは、今日まで自分が生きて来たことについて、その掛け替えのない命の持続感というものを持て、という事になるでしょう。
【『小林秀雄全作品 17 私の人生観』初版は創元社、1949年】
「日本が悪い」と宣告したのは連合国であった。GHQは軍人・党人派政治家を始めとする保守層を公職から追放した。その一方でマッカーサーは共産党員を獄から放ち、援護射撃までした。軍国主義という言葉は呪詛となって国民に広く行き渡り、左翼は大手を振って闊歩した。
東京裁判は復讐裁判であった。連合国の罪は不問に付しながら日本軍の罪は状況証拠や伝聞情報で確定した。「平和に対する罪」「人道に対する罪」という奇妙な価値観で日本の首脳を裁いた。東京裁判は「文明の裁き」であった。つまり裁かれる日本は非文明であり、劣った人種であり、日本人が猿であることを示す舞台装置であったわけだ。
戦後、左翼と進歩的文化人はこのレールの上に乗っかった。彼らの目的は「天皇制打倒」にあった(日本共産党はコミンテルンの日本支部/『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎)。
大東亜戦争は日本の自衛に始まり、アジア諸国の植民地解放を目指した。日本が立ち上がらなければ帝国主義に終止符を打つことはできなかったことだろう。日本の快進撃は世界を震わせ、中東を経てアフリカ諸国まで独立させるに至るのである。
座談会で小林を囲んだのは左巻きの作家連中であった。多くの日本人は戦争にうんざりしていた。そして皆が少しばかり左側に転向した。平和・人権・平等を重んじた分だけ天皇陛下の存在が軽くなった。そうした時代を取り巻く空気の中にあって小林は自己弁護をすることもなく「反省なぞしない」と言い切った。これが一億総懺悔に対する鉄槌でなくして何であろうか。
ついこの間まで大東亜戦争は忌むべき歴史と位置づけられ、太平洋戦争と呼ぶことを余儀なくされた。米ソ冷戦構造が崩壊するや否や、中国と韓国が図に乗り始めた。世界のパワー・バランスが揺らぐ時、弱味を見せた国家は必ず付け込まれる。そして今も尚この国では安全保障を普通に議論することすらできない有り様だ。
中韓など新興国企業の借金2000兆円 米利上げで破綻ラッシュの恐れ IMF警告
中国やトルコ、チリ、韓国など主要な新興国の企業の借金が、10年間で4・5倍にまでふくれあがっていることが国際通貨基金(IMF)のリポートで明らかになった。米国が利上げに踏み切れば借金を返せず破綻ラッシュとなる恐れがあるとIMFは警告している。
IMFが発表した世界金融安定報告によると、主要な新興40カ国の金融機関を除く企業の借金は2014年時点で約18兆ドル(2160兆円)で、10年前の約4兆ドル(480兆円)の4・5倍に急増した。
国内総生産(GDP)に占める借金の比率も約48%から74%台と26ポイント急騰している。
08年のリーマン・ショック後、米連邦準備制度理事会(FRB)や日銀、欧州中央銀行が相次いでゼロ金利や量的緩和などの金融政策を打ち出したことで、高いリターンを求める先進国の投資家は新興国に資金を流入させ、新興国の企業はお金が借りやすくなったと分析した。
国別でみると、対GDP比で最も企業の借金が増えたのが中国で、リーマン・ショック前の07年から約25%増となった。トルコとチリが20%台の増加で、ブラジル、インド、ペルー、タイが10%台、そしてメキシコと韓国も10%近く増加している。
巨額の借金を抱える企業のとどめとなりかねないのが、米国の利上げだ。米国が事実上のゼロ金利を解除すれば、新興国に流入していた資金が米国に還流し、ドル高が加速する半面、新興国通貨が暴落する公算が大きい。
IMFは「新興国通貨の下落によって、外貨建ての借金が相対的に膨らみ、返済がますます難しくなる」と指摘したうえで、新興国の当局者に、企業の経営悪化や破綻に備えておくよう要請。「必要ならば破綻処理の制度を改革すべきだ」と訴えている。
中国経済が失速するなか、新興国企業の状況は厳しさを増している。震源地の中国では、8月の中国の工業部門の企業利益は前年同月比8・8%減と、11年の調査開始以来最大の落ち込みとなった。
対中依存度の高い韓国でも、米格付け大手のスタンダード・アンド・プアーズ(S&P)が、韓国主要企業38社の格付けの平均値を「ジャンク(紙クズ)」と呼ばれる投資不適格級一歩手前の「トリプルBマイナス」まで引き下げたと報じられた。
こうしたなか、イエレンFRB議長は中国経済の減速を理由の一つとして9月の利上げを見送ったが、年内の利上げに踏み切る可能性は残っている。米国の利上げをきっかけに中国や韓国など新興国からの資金流出がさらなる波乱を引き起こしかねない。
【zakzak by 夕刊フジ 2015-10-02】
竹熊健太郎
1冊読了。
5冊目『篦棒な人々 戦後サブカルチャー偉人伝』竹熊健太郎(太田出版、1998年/河出文庫、2007年)/『創られた「日本の心」神話』で紹介されていた一冊。いやはや面白かった。奇天烈な怪人4人のインタビュー集である。若い時分に読んでおきたかった、と思わせるほどの内容。少しイカれつつも大いにイカしたジイサンばかりである。侮れないのは彼らが語る戦争体験で、大東亜戦争の一面を実に鋭い見識で捉えている。脚注も懇切丁寧で竹熊の文章は正確だ。「あとがき」で編集者の苦労に触れているのも泣かせる。
2016-01-11
片岡鉄哉
1冊読了。
4冊目『日本永久占領 日米関係、隠された真実』片岡鉄哉(講談社+α文庫、1999年/講談社、1992年『さらば吉田茂 虚構なき戦後政治史』の改訂増補版)/昨夜読了。重要な内容であると鑑み再読。絵の構図は素晴らしいのだが、タッチがデタラメとの印象を拭えない。「これ」の重複が全体を覆い、てにをはの間違いが多く、英語・カタカナ語が目立つためだ。頭がいいのか悪いのかわからなくなってくる。副島隆彦は『日本の秘密』で本書を取り上げ、「自民党内の凄まじい権力闘争」と書いているが、私はそうは思わない。むしろ敗戦後、国体を守ることができた事実に安堵し、瑣末な駆け引きの中で安全保障を見失ったように見える。やはり敗戦のショックが日本をバラバラにしたのだろう。民主化の虚しさを感じてならなかった。今調べてわかったのだが、ペリー率いる黒船が来航(1853年)してからGHQの占領が終わる(サンフランシスコ講和条約調印、1952年)までちょうど100年を要している。日本を近代化し民主化せしめたのはアメリカであった。敗戦前の日本人は常にロシアの南下を警戒していた。一方敗戦後はどうだろうか? 終戦間際にソ連が参戦した際の暴虐ぶりやシベリア抑留はあっという間に忘れ去られ、知識人はマルクス主義の台風になびいてしまった。北方領土の返還も新安保条約の舞台裏で潰された。石原吉郎の言葉が胸に迫るのは日本の動かしがたい罪を衝(つ)いているためだ。
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