2018-08-04

戦前の高度なインテリジェンス/『秘境 西域八年の潜行』西川一三


『たった一人の30年戦争』小野田寛郎
『F機関 アジア解放を夢みた特務機関長の手記』藤原岩市

 ・戦前の高度なインテリジェンス

・『チベット潜行十年 』木村肥佐生
・『チベット旅行記』河口慧海
・『城下の人 新編・石光真清の手記 西南戦争・日清戦争』石光真人編
『サハラに死す 上温湯隆の一生』長尾三郎編

「あなたは親切心で言ってくれるのでしょうが、私は、ヒマラヤを、この体でこの二本の足で七度も越えて鍛え上げているのだ。私がこんな姿をしているのは、あなたのそんな親切なめぐみを、待ち望んでしているのとは、まったく意味が違う。私達は戦争には負けた。しかし、私は、精神的には負けてはいないのだ」
 日本人と同じ顔をした、栄養状態のよいこの米人は、顔色ひとつ変えずに私のはげしい言葉を聞くと、その軍服を片づけた。
 私とこの通訳とは、さらにその後半年、この個室で同じ毎日をつづけた。私が、自分の足跡の一切を、相手の質問の尽きるまで語りつくしたときは、完全に一年間が経過していた。通訳がこの間に、私から調べ上げた調書の原稿は数千枚にも及ぶうず高いものだった。彼は、この功によって二階級特進した。
 八年間死地をくぐり、日本政府から一顧にも付せられなかった私は、この間、日当一千円を米軍から受取っていた。当時、私にはかなり高額の金である。私は貴重な情報を、アメリカに売るのかという、心のとがめを感じないわけではなかった。が、それならば何故、外務省が私んしかるべき態度をとらなかったのかという反撥の心があった。すべて、敗戦のしからしめるところであったと思う。しかし私は、通訳と向き合う生活をはじめて間もなく、すすめてくれる旧師もあって私なりのひそなか決心を固めていた。なんのためという具体的な目標があったわけではないが、決してGHQには売らない八年間の自分の足跡というものを、自分のものとして真実の記録として残すことを思い立ったのである。

【『秘境 西域八年の潜行』西川一三〈にしかわ・かずみ〉(芙蓉書房、1967年/中公文庫、1990年)】

 西川一三は戦前の情報部員である。チベットに巡礼に行くモンゴル僧「ロブサン・サンボー」(チベット語で「美しい心」)を名乗り、チベット・ブータン・ネパール・インドなど西域秘境の地図を作成し地誌を調べ上げた。その活動はなんと敗戦後の1949年まで続いた(敗戦は1945年)。帰国後、直ちに外務省に報告をするべく訪ねたが、全く相手にされなかったという。直後にGHQから出頭せよとの命令があり、西川の情報を引き出すべく1年にも及ぶ取り調べが行われた。

 小野田寛郎〈おのだ・ひろお〉のように敗戦後も戦い続けた日本軍兵士や諜報員は数多くいた。たぶん数千人規模でひょっとすると万を超えていた。大半の兵士はアジア諸国独立のために加勢した。そのまま現地で生活をし続け、骨となった人々もまた少なくない。大東亜会議で掲げた理想の旗は日本が敗れても尚、アジアの地で高々と翻(ひるがえ)った。そんな彼らに国家は報いることがなかった。否、見捨てたといってもよい。こうしたところに真の敗因があったと思われてならない。

 日本人は個々人の志操は高いのだが組織になると「村」レベルの惨状を露呈する。武士はいたものの貴族が存在しなかったゆえであろうか。社会学の大きなテーマになると個人的には考えているのだが、小室直樹が触れている程度で手つかずのような気がする。厳しい階級制度がなかったことも遠因の一つだろうし、天皇陛下の存在が悪い意味での安心感を生んでいることも見逃せない点である。長らく外敵の不在が続いたことも体制がシステマティックにならなかった要因だ。そして体制が変わると閥(ばつ)がはびこるのも我が国の悪癖であろう(戦後、組織化に成功した日本共産党や創価学会においても同様である)。優秀な人材がいながらも江戸時代に総合的な学問が発展しなかったのも同じ理由と思われる。

 時代は変わっても日本人には職人肌なところがあるように思う。オタクなどが好例だ。現代にあっても国際的な舞台で活躍する個人は多い(中村哲〈なかむら・てつ〉やビルマの内戦を止めた井本勝幸など)。スポーツ、芸術、音楽、美術においても白人と伍し、漫画に至っては世界を牽引(けんいん)している。我々のDNAは個人や小集団で発揮するようにできているのかもしれない。

 官僚が支配する息苦しい日本で出世競争に血道を上げるよりは、若者であれば単独者として世界を目指せと言いたい。

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2018-08-02

ポリティカル・コレクトネスは白人による人種差別を覆い隠すために編み出された概念/『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン


『奴隷船の世界史』布留川正博
『奴隷とは』ジュリアス・レスター
『砂糖の世界史』川北稔
『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス
『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン
『生活の世界歴史 9 北米大陸に生きる』猿谷要
『アメリカ・インディアン悲史』藤永茂
『メンデ 奴隷にされた少女』メンデ・ナーゼル、ダミアン・ルイス
『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』ジョン・パーキンス
『アメリカの国家犯罪全書』ウィリアム・ブルム

 ・目次
 ・ポリティカル・コレクトネスは白人による人種差別を覆い隠すために編み出された概念

『アーロン収容所 西欧ヒューマニズムの限界』会田雄次
『人種差別から読み解く大東亜戦争』岩田温
『大東亜戦争で日本はいかに世界を変えたか』加瀬英明
『植民地残酷物語 白人優越意識を解き明かす』山口洋一

必読書リスト その四
日本の近代史を学ぶ

 アメリカにとって日本人が犯した最大の罪は、アジア主義の旗を掲げて、有色民族に誇りをいだかせることによって、白人の誇りを貶(おとし)めたことだった。
 極東国際軍事裁判は、なによりも日本が白人上位の秩序にって安定していた、世界の現状を壊した。「驕慢(きょうまん)な民族主義」を大罪として、裁いた。
 事実、日本は白人の既得権益を壊して、白人から見ておぞましい成功を収めた。

【『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン:加瀬英明監修、藤田裕行訳(祥伝社、2015年)以下同】


 禁を破って読書中の本を紹介する。想像した通りジェラルド・ホーンはアフリカ系アメリカ人であった。軽く1000を超えるであろう膨大な量の証言で構成されており、行間から真正の怒りが伝わってくる。いずれにせよアメリカ本国から大東亜戦争を正しく研究する学者が登場したことは歓迎すべきで、破れかぶれになった左翼が大手を振ってデモ行進をする我が国の惨状が情けなくなってくる。著者の日本に対する心酔ぶりはやや過剰に感じるが、長らく虐げられてきた黒人の父祖たちを想えば、数百年間にわたって続いた人種差別に鉄槌を下ろした点において日本をヒーロー視することは決して的外れではないだろう。

 まだ100ページほどしか読んでないのだが90%以上のページに付箋を貼ってしまった。元気と時間があれば全部ここに書写したいくらいだ。

白人側が使った人種差別の宣伝(プロパガンダ)とは

 ところが、事実を捻(ね)じ曲げて、「日本軍がアジア人に対して、ありとあらゆる『残虐行為』に及んでいる」という、宣伝(プロパガンダ)が行なわれた。日本軍が白人に対して「残虐行為」を行なっていると報告すると、かえって「アジア人のために戦う日本」のイメージを広めかねなかったからだった。
 白人と有色人種が平等だという戦後になってからの人種政策や、「白人の優越」が否定されることは、日本軍の進攻によってすでに戦時中から明らかになっていた。
 アメリカはイギリスよりも、人種問題に敏感だった。先住民を虐殺し、黒人を奴隷(どれい)にすることによって建国したからだった。
 1942年半ばに、アメリカの心理戦争(サイコロジカル・ウォーフェアー)合同委員会は、イギリスに「太平洋戦争を『大東亜戦争』(パン・アジア・ウォー)にすり替える日本の宣伝を阻止(そし)することが、重要だ」との極秘の提案書を送った。
「アメリカの白人社会に対して、有色人種に対する激しい人種差別を和(やわ)らげる宣伝を行なうべきである。そうした宣伝は、人種偏見に直接、言及してはならないが、有色人種のよい面を伝えることで、間接的に可能だ」と提言し、「『こびと』『黄色い』『細目(ほそめ)の』『原住民』といった表現を避ける」ことや、「アメリカの黒人活動家が、白人を非難する日本の宣伝を受け売りしていること」にも言及した。
 戦争が終結に近づくにつれて、後に「ポリティカリー・コレクト」という表現が用いられるようになった戦後の人種への太陽が、形成されようとしていた。過去に人種差別を蒙(こうむ)った人々について、むしろ国際的な場で「黒人のリーダー」を前面に出すことで、黒人蔑視(ジム・クロウ)に対する批判を避けようとした。

 ポリティカル・コレクトネス(政治的に正しい言葉遣い)は自分たちの悪行を覆い隠す狙いがあったというのだから驚きを通り越してあまりの欺瞞に尊敬の念すら覚える。もちろん皮肉であるが。日本人であれば常識と良識にそれほどの差異を感じないが、アメリカ人の古い常識は「白人が奴隷を所有するのは当然の権利」であったがゆえに新しい常識を必要としたのだ。神の名の下に虐殺を繰り返してきた白人にやっと道徳心が絵芽生えたわけではない。飽くまでも戦略として道徳を扱っているだけだ。

 アメリカは広島・長崎における原爆ホロコーストから目を逸らさせるために南京大虐殺を編み出した。わざわざ死者数も同数に揃えている(約30万人)。大東亜戦争という言葉が使えるようになったのはここ数年のことだろう。私自身、数年前まで嫌悪感を抱いていた。ところがアメリカの心理戦争合同委員会は日本の意図を正しく理解していたのだ。だからこそ叩き潰しておく必要があった。彼らの狙いは見事に成功した。我々日本人は半世紀以上に渡って大東亜戦争という言葉を使わなかったのだから。

「1990年代に入ってアメリカで大きく注目された考え方で『偏見・差別のない表現は政治的に妥当である』『偏見や差別の用語を撤廃し、中立な表現を利用しよう』との運動から始まり、差別是正に関する社会運動を内包する場合が多い」〈ニコニコ大百科(仮)〉とされているが、現代のポリコレはフェミニズム論やジェンダー論が推進してきた経緯があり、左派系概念となってしまった。日本ではヘイトスピーチに対する攻撃目的で市民派を名乗る左翼が振りかざしていて逆ヘイトと化しつつある。

 この部分を読んで、ノーマン・G・フィンケルスタイン著『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』のカラクリがわかった。ヒトラーが行ったユダヤ人を中心とする大量虐殺は明白な犯罪であるが、これをテコにしてそれまでヨーロッパ中で殺され続けてきたユダヤ人は彼らなりのポリコレを編み出したのだろう。第二次世界大戦後、サイモン・ウィーゼンタール・センターなどのユダヤ人右翼団体は差別言論を取り締まる検閲役を務めた。日本でも文藝春秋社が発行する『マルコポーロ』が廃刊に追い込まれたことは記憶に新しい(マルコポーロ事件、1995年)。

 スポーツの世界ではオリンピックや国際大会で日本人が好成績を残すとルールを変更するという手法が露骨に行われている。「統治するのは白人だ」と言わんばかりのやり方である。こうした動きに対抗し得る学問的なバックボーンが日本にはない。戦後教育は自虐史観で覆われ、大学教育は官僚輩出システムに堕してしまった。幕末の私塾にすら到底及ばぬ現状である。

 本書を読めば、大東亜戦争に立ち上がった日本が世界中の有色人種に与えた衝撃の度合いと感激の深さが理解できよう。我々の父祖が戦った本当の相手は「白人による人種差別」であった。日本の近代史は「黄禍論~アメリカの排日移民法~大東亜戦争」を中心に学校教育で教えるのが筋である。



レッドからグリーンへ/『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男
アルゴリズムという名の数学破壊兵器/『あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠』キャシー・オニール
新しい用語と新しいルールには要注意/『ポストトゥルース』リー・マッキンタイア

2018-07-31

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人種差別から読み解く大東亜戦争
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2018-07-30

オーストラリアの安全保障を確保するために日露戦争は煽動された/『日露戦争を演出した男 モリソン』ウッドハウス暎子


『動乱はわが掌中にあり 情報将校明石元二郎の日露戦争』水木楊
『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人
『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛
『北京燃ゆ 義和団事変とモリソン』ウッドハウス暎子

 ・オーストラリアの安全保障を確保するために日露戦争は煽動された

・『辛亥革命とG・E・モリソン 日中対決への道』ウッドハウス暎子
・『小村寿太郎とその時代』岡崎久彦
『國破れてマッカーサー』西鋭夫

日本の近代史を学ぶ

「イギリスは、日本人に激しい反露感情をたきつけることを、極東政策とすべきである。日本を煽動(せんどう)するためには、あらゆる手段を講じなければならない……ロシアはなんとしても抑えるべきだ。東清(とうしん)鉄道の完成を妨害し、不凍港の獲得・強化を阻止しなければならない……そして、それを日本にやらせるのだ」
 これは、ロンドンタイムズ北京(ペキン)駐在特派員、豪州人のジョージ・アーネスト・モリソンが、同社上海(シャンハイ)特派員J・O・P・ブランドに宛てた書簡の一部である。書かれたのは、1898年1月17日、日露戦争勃発(ぼっぱつ)の6年前である。日露戦争は「モリソンの戦争」といわれ、モリソンは「戦争屋」と呼ばれた。それは、モリソンが、日露戦争を惹起(じゃっき)することと日本を勝利に導くことを自己の使命として全力を尽くしたからであり、また、彼の仕事の効果が日本および世界に認められたからである。
 モリソンは、なぜ、日露戦争を切望したのであろうか。それは、オーストラリアの安全保障を確保するためであった。

【『日露戦争を演出した男 モリソン』ウッドハウス暎子(東洋経済新報社、1988年/新潮文庫、2004年)】

 修士論文が元になっているので読み物としては面白くない。しかしながら資料的価値が極めて高く、日本近代史なかんずく日露戦争を知るためには外せない一冊だ。ジョージ・アーネスト・モリソンはロンドン・タイムズの記者でオーストラリア生まれ。彼の日記と手紙を中心に日露戦争の経緯を描く。七つの海を制覇した大英帝国はボーア戦争で国力に翳(かげ)りを見せ始めた。ドイツ、ロシア、アメリカの力が英国に迫ろうとする。イギリスは極東で南下しようとするロシアを阻むだけの余裕がなかった。自国の安全保障上の必要から日英同盟を締結するに至る。イギリスの「栄光ある孤立」は幕を下ろす。モリソンはタイムズ紙を通して親日反露報道を繰り返し、日露を戦争させるべく誘導する。ただし現在のアメリカを牛耳るユダヤ・メディアのような嘘は感じられない。国家から兵士に至るまでロシアの不道徳ぶりは凄まじかった。国境線が長いこととも関係しているように思われる。小村寿太郎外相が臨んだポーツマス条約も熾烈な外交戦であったことがよく理解できた。イギリスのボーア戦争とアメリカのイラク戦争が重なる。強大国が衰える時、戦乱を避けることはできない。世界の覇権はまたしても東アジアで戦火を交えることだろう。文庫解説は櫻井よしこ。ついこの間読んだ菅沼本でも紹介されていた(読書日記転載)。

 このような全体観に立った安全保障的視点を我々日本人は欠いている。どうしても卑怯な手に思えてしまう。たぶん元軍と戦う際に名乗りを上げて一騎打ちに持っていこうとして殺された鎌倉武士のメンタリティから進歩していないのだろう。その点、アングロサクソン人は一枚も二枚も上手(うわて)だ。分割統治も同じ発想から生まれたものだろう。中世のヨーロッパは戦争を繰り返してきた。ひしめき合う国家間の中で狡知(こうち)や奸智(かんち)が育まれ、騙し合いに巧みな文化が形成されたのだろう。

 当時の国際政治の世界は、ジャングルの掟(おきて)のまかり通る弱肉強食の世界であった。そして、清国は列強の帝国主義的侵略の格好のえじきとなっていた。
 日清戦争(1894-95年)の敗北は、清国にとって二重の災難を意味した。
 まず、第一の災難は戦勝国・日本との間に締結した下関条約の履行で、これは敗戦の汚名と共に、重く清国の肩にのしかかった。ちなみに、下関条約とは、清国が朝鮮の独立を承認し、日本に遼東半島・台湾・澎湖(ほうこ)列島を譲渡し、2億両(約3億6000万円)の賠償金を支払うことを規定して、1895年4月に調印された条約である。
 しかし、第二の災難はさらに苛酷(かこく)であった。飢えた猛獣のように西欧列強が襲いかかってきたのである。アフリカ分割の余勢を駆って、アジアに迫った帝国主義的勢力は、清国を「眠れる獅子(しし)」とみなして手出しができず、遠まきにむらがり寄っていた。ところが、清国は新興の小国・日本との戦いにもろくも破れ、その弱体をさらけだしてしまったのである。もう、こうなったら遠慮はいらない。列強は猛然と襲いかかった。

 朝鮮独立の立役者が日本だったとは知らなかった。韓国の学校教育でどのように教えているのか気になるところだ。それにしても隔世の感とはまさにこのことで、1世紀後の中国がアメリカや日本を脅かすようになるのだから歴史が動くスピードは想像以上に速い。

 いつの時代も大衆は煽動される。民主政においても変わらない。むしろメディアを通じた煽動は広告技術や心理学をも駆使してマインドコントロール並みに行われる。群れを形成する動物には「従う」本能がある。従うことと引き替えに何らかの優位性を手に入れているのだ。一匹狼という言葉はあるが実際にはそのような狼は存在しない。狼もまた群れをなす動物だ。もしも 一匹狼がいたとすれば確実に飢え死にする(笑)。

 中国は必ず日本を攻めてくることだろう。戦火を開くのは尖閣諸島あたりか。モリソンが日露を戦わせたのと全く同じ手法でアメリカが日中をぶつけるのだ。自分たちの手で憲法改正すらできないとなれば米軍は日本から撤収するに違いない。トランプ大統領が掲げるアメリカ・ファーストとは、アメリカが世界覇権から一歩退いて内向きになることを雄弁に物語っているのだ。大東亜戦争(1937-45年)の「欧米諸国によるアジアの植民地を解放し、大東亜細亜共栄圏を設立してアジアの自立を目指す」という理念は後付ではあったものの、決して間違ったものではない。1919年のパリ講和会議で日本が主張した「人種的差別撤廃提案」とも整合性がとれている。帝国主義の本質はキリスト教に基づく人種差別であった。本来であれば来る日中戦争を契機に日本がアジア・太平洋地域の警察として機能すべきであるが、学校教育で近代史すら教えていないのだからそうした気風が涵養(かんよう)されるに至っていない。ビジョンなき国家の弱味である。

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白虎隊の落し児、柴五郎/『北京燃ゆ 義和団事変とモリソン』ウッドハウス暎子


『動乱はわが掌中にあり 情報将校明石元二郎の日露戦争』水木楊
『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人
『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛

 ・白虎隊の落し児、柴五郎

『日露戦争を演出した男 モリソン』ウッドハウス暎子
・『辛亥革命とG・E・モリソン 日中対決への道』ウッドハウス暎子
『國破れてマッカーサー』西鋭夫

日本の近代史を学ぶ

白虎隊の落し児、柴五郎

 交民巷の要・王府の防衛は、籠城者全員の命にかかわる。この大役を柴が担い、日本軍は度胸をすえた。そこへ、イタリア軍がのこのこ入ってきた。このイタリア兵と日本兵の組合せが実に奇妙で、イタリア兵は心ならずも日本兵の引立て役を演ずることになってしまった。それについては、外国人の口から語ってもらおう。以下は、ピーター・フレミングの著書『北京籠城』の一節である。
「戦略上の最重要地・王府では、日本兵が守備のバックボーンであり、頭脳であった。日本を補佐したのは頼りにならないイタリア兵で、日本を補強したのはイギリス義勇兵であった。
 日本軍を指揮した柴中佐は、籠城中のどの国の士官よりも有能で経験も豊かであったばかりか、誰からも好かれ、尊敬された。当時、日本人とつき合う欧米人はほとんどいなかったが、この籠城を通じてそれが変わった。日本人の姿が模範生として、みなの目に映るようになったからだ。日本人の勇気、信頼性そして明朗さは、籠城者一同の賞賛の的となった。籠城に関する数多い記録の中で、直接的にも間接的にも、一言の非難も浴びていないのは、日本人だけである」
 P・C・スミス嬢の前述の書における柴観は次の通り。
「柴中佐は小柄な素晴らしい人です。彼が交民巷で現在の地位を占めるようになったのは、一に彼の智力と実行力によるものです。なぜならば、第1回目(6月21日)の朝の会議では、各国公使も守備隊指揮官も別に柴中佐の見解を求めようとはしませんでしたし、柴中佐も特に発言しようとはしなかったと思います。でも、今(7月2日)では、すべてが変わりました。柴中佐は王府での絶え間ない激戦で怪腕を奮(ママ)い、偉大な将校であることを実証したからです。だから今では、すべての国の指揮官が、柴中佐の見解と支援を求めるようになったのです」
 スミスの記述にはだんだん熱が入り、柴から日本兵へ、そしてイタリア兵へと及んでいく。
「彼(柴中佐)の部下の日本兵は、いつまでも長時間バリケードの後に勇敢にかまえています。その様子は、柴中佐の下でやはり王府の守護にあたっているイタリア兵とは大違いです。北京に来ているイタリア兵はイタリア本国の中でも最低の兵隊たちなのだ、と私はイタリアの名誉のためにも思いたいくらいです」
 清帝国海関勤めのイギリス人下級職員、23歳のB・レノックス・シンプソン(ペンネームはパットナム・ウイール)は、籠城中、義勇兵となり、柴のもとに派遣されて戦った。彼は当時の日記を、1907年になって出版した。『率直な北京便り』というその題が示すように、実に遠慮のない日記である。彼の6月21日付日記をみよう。
「数十人の義勇兵を補佐として持っただけの小勢日本軍は、王府の高い壁の守護にあたった。その壁はどこまでも延々と続き、それを守るには少なくとも500名の兵を必要とした。しかし、日本軍は素晴らしい指揮官に恵まれていた。公使館付武官・柴中佐である。彼は他の日本人と同様、ぶざまで硬直した足をしているが、真剣そのもので、もうすでに出来ることと出来ないこととの見境をつけていた。ぼくは長時間かけて各国受持ちの部署を視察して回ったが、ここで初めて組織化された集団をみた。
 この小男は、いつの間にか混乱を秩序へとまとめ込んでいた。彼は自分の注意を要する何千という詳細事を処理することに成功していた。彼は部下たちを組織化し、さらに、大勢の教民を召集して前線を強化した。実のところ、彼はなすべきことはすべてした。ぼくは自分がすでにこの小男に傾倒していることを感じる。ぼくは間もなく、彼の奴隷になってもいいと思うようになるだろう」
 このように、ウイール青年は籠城第1日目にして、柴にほれこんでいる。

【『北京燃ゆ 義和団事変とモリソン』ウッドハウス暎子(東洋経済新報社、1989年)】


 ウッドハウス暎子ジョージ・アーネスト・モリソン(タイムズ紙特派員/1862-1920年)の研究者である。著作はすべてモリソンに関するもので、ジャーナリストが歴史を見つめ、歴史を動かしゆく様を実証的に描く。カテゴリーを「自伝・評伝」としたが学術書である。

 日清戦争(1894-95年)後、義和団という白蓮教(びゃくれんきょう)の秘密結社が貧困に喘ぐ農民を糾合して戦闘に至ったのが義和団事変(北清事変/1900-01年)である。

 義和団は清国各地で外国人やクリスチャンを襲撃した。言うなれば帝国主義・キリスト教宣教に対する攘夷運動である。北京にあった列国大公使館区域に襲いかかり、西太后がこれを支持したことで戦争状態に突入した。最終的には日本を含む8ヶ国の連合軍が出動して鎮圧したが、公使館区域での籠城(ろうじょう)は2ヶ月間に及んだ。

 阿片戦争(1840-42年)からの100年は中国大陸にとって蹂躙(じゅうりん)の季節だった。結局、清朝は亡び、中華民国は台湾へ追いやられた。鬱屈したエネルギーが共産主義革命の原動力となったに違いない。

 阿片戦争は日本の進路をも変えた。明治維新の直接的なきっかけとなったのは黒船来航(1853年)だが、指導層や知識人の問題意識は阿片戦争によって生まれた。

 大航海時代(15世紀半ば-17世紀半ば)を通して帝国主義が生まれ、ヨーロッパ人はキリスト教宣教の旗をなびかせながら有色人種を殺戮(さつりく)し、あるいは奴隷にした。逸(いち)早くそれに気づいた日本は鎖国(1639-1854年)をして侵略から防いだ。そのおかげで戦乱とは無縁の平和な時代が200年にも渡った。

 選民思想はユダヤ教に基づくものだがキリスト教もこれを受け継いでいる。神を理解せぬ者は虫けら以下の扱いを受ける。我々のような「一寸の虫にも五分の魂」という情緒は彼らに通用しない。虫に魂を認めないのが西洋の流儀である。血塗られた思想は20世紀に入りナチズムと共産主義の母胎となった。

 薩長の陰謀によって逆賊とされた会津藩出身の柴五郎がヨーロッパ人からの信頼を勝ち得たことに妙味を覚えてならない。しかも事変が起こった翌日は柴の40歳の誕生日であった。北京籠城を共にしたモリソンの報道や、イギリス公使クロード・マクドナルドの柴に対する篤い信頼が、やがて日英同盟(1902年)として花開く。1822年から「光栄ある孤立」を貫いてきたイギリスが初めての同盟国に選んだのが日本であった。

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