凍土の密約 (文春文庫)
posted with amazlet at 18.09.29
今野 敏
文藝春秋 (2012-03-09)
売り上げランキング: 48,761
文藝春秋 (2012-03-09)
売り上げランキング: 48,761
10日の深夜から意識がもどってきたが、それと共に苦痛が来た。それは怒涛といってよかった。それに襲われると、眼の前も頭の中も、真赤になった。血の色である。私はふんづけられ、くちゃくちゃにまるめられ、ひきちぎられ、たたきつけられ、うなり声をあげた。その極限で意識はもうろうとなり、幻影じみたものをたびたび眺め、そして昏睡した。また意識がもどってきて、私をふみくだく。私の胸からつき出しているドレンの管に、私が、うっ、と言うたびに血がふき出しているらしい。私は胸の中にたまっている血が喉へつきあげてくるのがわかるが、咳をすることが全く苦しくてできない。そして、熟練したおばさんが私の胸をかるくおしながら血を吐かせる。おばさんが隣のおばさんに、囁くように言う声が、眼を閉じてうめいている私の耳にとてつもなく大きく聞える。
――血がとまらないのよ、ドレンの管へびゅっびゅっと、ほら、こんなに、こんなにたまってしまって。
そして痛みの極みに達した時、私はすうっと飛びはじめたのを感じたのだ。いまにして思えば、これは多分幻覚だろうと思うのだが、私は、その時、私の姿をはっきり見た。私がこなごなに割れて、燃えつきた黒いかたまりになって、果てしない空間を、とてつもない速さで飛んでいくのである。私は地球を離れたと感じていた。ガガーリンは、地球は青かった、という言葉を人間の歴史に刻んだ。私は空間を飛びながら、ああ、おれの地球はあたたかだった、と思っていた。ほんとにあたたかい星である地球の大地、そこから私は離れて、いまとても寒い、と思った。とてもつめたい。いっそうつめたいところへ飛んでいく。そして私の前方は無限の宇宙空間であり、うす青い色からしだいに濃い青へ、そして黒々とした色へとつづいていた。そうだ、このまま飛びつづけてあそこへおちこんだ時、あの手術室のマスクの中で、突然、何もなくなってしまったように、おれは、パタッとなくなってしまうのだ。こうやっていって、そしてパタと。これが死なんだ、と私ははっきり思った。
その時、私はもう自分の苦痛すら感じ得ないもうろうたる状態にあったらしい。
――そうか、こんなぐあいなのだな、苦しくて苦しくて、というのはあるところまでで、そして、そこを越えるとこんなふうにぼうっとしてきて、そして飛びはじめて、飛びつづけて、あの青黒く果てしもない空間の中でパタと、と私は思った。
そうか、かつて、手術を受けても死んだ人たちは、いまのおれと同じここまで来て、そして、ここから先へ、あの黒い空間の淵へ行ったんだな、そうか、こんなぐあいだったのか。それが、死だったのか。
そこから不意に私は、全く強引に、荒々しくつれもどされた。私は全然知らなかったが、レントゲンの器械をおして技師が入ってきていたのだ。私の、手術直後の内部の状態を正確に見るために、深夜、ベッドの上で写真をとるのである。これは、私をひきもどす人間の手だった。私の襟をしっかりつかみ、彼は少しばかり私を起こしたらしい。しかし、私は、肉と皮をばりばりはがれるような痛みで悲鳴をあげた。それはどうも声になっていないらしかった。斜めに起こされた私の背中にかたい大きな板がさしこまれ、そして、写真をうつされると、私はもとのようにねかされた。私はもうあのつめたい空間にはいなかった。地球の上で、ベッドの上で、身動き一つできずにうなっていた。私はまた苦痛にひきちぎられていた。(中略)
しかし、そこを体験し、くぐったために、私は、私が予想していたものとはちがった、新しい事実にぶつかることとなったのである。
その第一は、これまで述べてきたように、たとえ幻影であろうと何であろうと、私は死の影を見、それを具体的に感じ得た、ということだ。苦痛の果ての死を具体的に考える一つの手がかりを私は得た、ということだ。つまり、苦痛というものも、その極限に達しはじめると、私は苦痛を感ずる能力を失っていったのだ。それは苦痛というものとは別の次元であるように感じた。つまり、苦痛に襲われている間は、私はまぎれもない一個の生命体としてその生の状況を苦しんでいたのだ。そのような状態に追いつめられている傷ついた生そのものを苦しんでいたのである。
そこを過ぎると死との間の中間帯の次元が現れる。そこでは苦痛を感じ反応し、さまざまの信号を脳が発する能力はしだいに弱まり、あいまいになってしまう。そこに入っていった時、私は、あたたかい地球から離れてしまった、と思ったのである。このまま行けば、いっそう私自身も周囲の空間もつめたくなり、そして、そのきわみに、一切が突然なくなってしまう世界がある、と思ったのである。なるほどこういうものだったのか、というぐあいに私が思った、そのことが鮮明に残っている。
そこにはもう、ただ一つのことを除いては、どのような人間感情も存在しなかった。おれはいま、燃えつきようとする一個の物体だ、と私は思い、そして私の親しい人々に対しても、また私自身についてすら、喜んだり悲しんだりするすべての感情はもはや消滅していた。これはいまにして思えば全く予想しないことであった。親しい多くの人々と別れて、淋しいとかつらいとか悲しいとか、そういった感情はここにくると、もう存在しなかったのである。
ただ一つだけ、最後まで残っていた感情がある。それは、何とも言えない無念な思いであった。こうやってついに生命に別れを告げるのか、という確認と同時に、かつて人間であり、ただ一度の生を生きたというその証拠を、自分がこうしてパタッと消えるとしても、やはりつづいていくであろう人間の歴史の上に、たとえどんなかすかな爪あととしてでも刻むことなくして飛び去らなくてはならないという無念さであった。
これは意外だった。自分なりに精いっはい生きてきたつもりだったのに最後にそんなものが残るとは夢にも思わなかった。どうせ死んだらどんな人間もみな同じだ、と思ったりする人も世の中にほあるが、一回きりの生命というものは、一回きりの名において、最後のどたん場で、私を責めたのである。このことについては、これが出発点となって、それ以後私はその内容をさぐっていくようになるのであるが、それは第3章で追究していくことにする。ただ私なりの考えの一端を書いておくと、どうせ一度きりのいのちだ、どう生きようと自由だ、という考え方は、それはそれで、私は別にどう干渉するつもりもないが、生のまさに終えんとするそのどたん場で、はじめて愕然(がくぜん)として、言い知れぬ無念な思いを抱いて死に突入するほど、凝縮された絶望はほかにあるまいと思えるのである。(『生命の大陸 生と死の文学的考察』小林勝〈こばやし・まさる〉、三省堂新書、1969年)
【『死 私のアンソロジー7』松田道雄編集解説(筑摩書房、1972年)】
「私は混沌とした融合しそうな世界から、私を私自身として浮かび上がらそうとした。しかし、それは徒労であった。一瞬気力が失せた時、私は世界に融合した。あたかも流れてとけ込むようであった。世界にとけ込みながら私は発病したと思った。私はどうなるのだろうか。私と密な関係にあるみんなに、何も残せないままで消える。私はうつろいでいて、やがて、無になった。そして無であることすらも消えてしまった。
無限なのか瞬時なのか、時の流れが感じられない。そこに消えていた私が、私というものになって点のように生まれてきた。私というものが流れに添(ママ)ってモコモコと肥大化してきた。私というものができ上がったようである。私があるのは分かるのだが、私がいるのが分からない。私は私の所在を突き止めようと、必死にもがいた。
私がどこにも位置しないで、暗黒の中で浮遊し漂っていた。意識だけがあり、その意識が不安定というものでつくられていた。不安定であるというその意識は鮮明であった。鮮明であるがゆえに、とどまることのできる位置を必要としていた。
私は遊離していた。暗黒に浮かんでいるようであった。不安とか恐怖とは異なる、ネガティブな感情が生まれてきた。やがて私とネガティブな感情とが分離した。分離してもそれはいずれもが私であった。私は細分化していくのであった……。
私の体が椅子のようなものに座っていた。座っているというよりも置かれているようであった。重いという感じだけが何とか伝わってきた。体がまったく力の入らない状態で、椅子にボッテリとへばりついていた。そこでは再び考えることができた。私はどうなったのだろう。私は死ぬのだろうか。そうだ、私は死につつあるのだ……これは確信であった。ここで少し記憶を辿ることができた。時間を意識することがわずかだができたのだ。私には妻も子どももいるのだ。いいのだろうか、私、30歳、そう私は30歳なのだ、これからなのに、これからなのに、これからなのに……。
私は私の全体の輪郭を感じとることができた。それは感覚の輪郭であった。薄ぼんやりと外の世界が、私に伝わってきた。そこでは世界が断片化されていた。断片のひとつひとつが、見え隠れしていた。やがてすべての断片が寄り集まって、それが一枚の大きな世界になった。紙をクシャクシャにしたようなものが動いた。そいつが私に覆いかぶさってくるようだ。そいつは人らしかった。平面的ではるが、2カ所が大きくへこんでいた。
何かが私の中に入ってきた。それは声だった。私はうつろであった。世界にものがぽつぽつ浮かんできた。それらは平坦な世界から、浮かび上がってきて、三次元の形状を持つのであった。人の顔の輪郭がはっきりしてきた。左手に強い痛みを感じた。点滴の針があらぬところに刺さっていた。私ははっきりと背中を感じた。それはまぎれもない私の背中であった。
私に覆いかぶさっていたのは私の友人だった。大きくへこんでいた2カ所は彼の目と口であった。〈気がつきましたか〉と友人が声をかけてくれた。ようやく麻酔からさめることができたのだ。とてつもなく長い苦痛であった。夢なのか、思考なのか、幻覚なのか、幻想なのか区別がまったくつかなかった」
これは、手術を受けた患者が、麻酔から醒めた時の様子を語ってくれたものです。
【『自閉症の子どもたち 心は本当に閉ざされているのか』酒木保〈さかき・たもつ〉(PHP新書、2001年)】
井澤は頷いた。口の中を潤(うるお)すためか、喉をごくりと鳴らせてから語り始めた。「当時のヨーロッパで、イングランドだけが、例外的に魔女狩りの被害を免れていたんです。犠牲者は、数百人程度に抑えられました。大陸とは違って、拷問を受けつけない法体系を持っていたことが理由に挙げられますが、もう一つ、歴史の闇に埋もれた奇怪な話があるのです。『グレイヴディッガー』の伝説です」
その聞き慣れない単語は、しかし確かな重量感をもって耳の奥で反響した。「グレイヴディッガー?」
「ええ。英語で、『墓掘人』の意味です。魔女迫害の機運がイングランドに及んだ頃、異端審問官たちが何者かによって虐殺されるという事件が起こりました。魔女裁判と同じ拷問の方法を使ってね。それに怖れをなした異端審問官たちが、魔女狩りを自粛したのではないかというのです。今となっては事件の真相は分かりません。しかし当時の人々は、拷問によって殺された男が墓の中から甦り、自分を殺した者たちに復讐をしたのではないかと噂しました。そして、この甦った死者を、『グレイヴディッガー』と呼んだのです」
【『グレイヴディッガー』高野和明(講談社、2002年/講談社文庫、2005年/角川文庫、2012年)】