2019-06-15

マッカーサー「東京裁判は間違いだった」/『パール判事の日本無罪論』田中正明


『アメリカの鏡・日本 完全版』ヘレン・ミアーズ
・『東京裁判とその後 ある平和家の回想』B・V・A・レーリンク、A・カッセーゼ
・『東京裁判 フランス人判事の無罪論』大岡優一郎

 ・マッカーサー「東京裁判は間違いだった」

・『ゴーマニズム宣言SPECIAL パール真論』小林よしのり
・『パール博士「平和の宣言」』ラダビノード・パール
・『共同研究 パル判決書』東京裁判研究会
・『東京裁判 全訳 パール判決書』ラダビノード・パール

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 この裁判を演出し指揮したマッカーサーは、裁判が終わって1年半後、ウェーク島でトルーマン大統領に「この裁判は間違いだった」と告白し、さらに3年後の5月3日、アメリカに戻って上院軍事外交委員会の席上で、「日本があの戦争に飛び込んでいった動機は、安全保障の必要に迫られたためで、侵略ではなかった」と言明したのである。

【『パール判事の日本無罪論』田中正明(小学館文庫、2001年/小学館新書、2017年/慧文社、1963年『パール博士の日本無罪論』改題)】

 小学館文庫は巻頭に小林よしのりの「推薦のことば」があり、新書の新版には百田尚樹の解説がある。腑に落ちない改版だ。皇位継承の女系容認をしたあたりから小林のファンが離れた経緯はあるにせよ、『戦争論』『天皇論』の功績を無視することはできない。

 ウェーク島会談は1950年10月15日に行われた。米国議会上院の軍事外交合同委員会の聴聞会は1951年5月3日のこと。東京裁判(極東国際軍事裁判)が終わったのは1948年11月12日である。

 これは原文でわずか4行のテキストだが説明能力に問題があり、しかも誤謬が紛れ込んでいる。マッカーサーが「侵略ではなかった」と言明した事実はない(対訳 マッカーサー証言)。せめて括弧書きにするべきである。田中正明は松井石根〈まつい・いわね〉大将の秘書を務めた人物で、南京大虐殺が嘘の歴史であることを証明しようと精魂を傾けた(『「南京事件」の総括』他)。多分そうした強い思いが筆を滑らせてしまうのだろう。気持ちはわからないでもない。だが「文を書く行為」に慎重さを欠いてしまえば、嘘を批判するために嘘をつくような真似となってしまう。

 中島岳志〈なかじま・たけし〉が『パール判事 東京裁判批判と絶対平和主義』(白水社、2007年/白水Uブックス、2012年)で「パール判決書は日本無罪論ではない」と主張した。ここに「パール判決論争」が勃発した。

 中島岳志は山口二郎の弟子で、リベラル保守を名乗りながら日本共産党を応援するような手合いである。私は9年前に中島のツイッターをフォローしていたのだが少し経って「ああ、これはダメだな」と気づいた。その後、師匠の山口二郎が大きく左旋回し「アベ政治を許さない!」とやり出す。私の鼻が「尊皇の精神を語る佐藤優」と同じ匂いを嗅ぎ取った。2ちゃんねらーからは「善人面したひき逃げ詐欺師」「飛んで火に入る生け贄詐欺師」「保守ヲタクの薄らサヨク詐欺師」「逃走する新進気鋭詐欺師」と呼ばれているようだ(笑)。

amazonレビュー:星1つ評価

「この本には、戦後世代を覚醒させる力がある」(小林よしのり)。同感だ。少々の誤謬(ごびゅう)があったとしても、やはり本書は読んでおくべき一書である。日本人であればラダビノード・パールという恩人を知らずに生きることは許されないと思う。

 パール判事の死去に際し、田中は次のように詠んだ。「汝(な)はわれの子とまで宣(の)らせ給ひける 慈眼の博士京に眠りぬ」。「君は私の子だ」とまで寄せた信頼を軽んじてはなるまい。

 検索したところ有益な資料が多いため、ここからは他人の褌(ふんどし)で相撲を取る。

 10月15日にウェーク島で、トルーマンとマッカーサーは朝鮮戦争について協議を行った。トルーマンは大統領に就任して5年半が経過していたが、まだマッカーサーと会ったことがなく、2度にわたりマッカーサーに帰国を促したが、マッカーサーはトルーマンの命令を断っていた。しかし、仁川上陸作戦で高まっていたマッカーサーの国民的人気を11月の中間選挙に利用しようと考えたトルーマンは、自らマッカーサーとの会談を持ちかけ、帰国を渋るマッカーサーのために会談場所は本土の外でよいと申し出た。トルーマン側はハワイを希望していたが、マッカーサーは夜の飛行機が苦手で遠くには行きたくないと渋り、結局トルーマン側が折れて、ワシントンから7,500 km、東京からは3,000kmのウェーク島が会談場所となった。

 トルーマンが大いに妥協したにもかかわらず、マッカーサーはこの会談を不愉快に思っており、ウェーク島に向かう途中もあからさまに機嫌が悪かった。同乗していた韓国駐在大使ジョン・ジョセフ・ムチオに、「(トルーマンの)政治的理由のためにこんな遠くまで呼び出されて時間の無駄だ」と不満をもらし、トルーマンが自分の所(東京)まで来てしかるべきだと考えていた。トルーマンの機を先に着陸させるために島の上空でマッカーサー機が旋回していた、会談に1時間遅れて到着したためトルーマンが激怒して「最高司令官を待たせるようなことを二度とするな。わかったか」と一喝したなどのエピソードが流布されているがこれは作り話である。実際にはマッカーサーはトルーマン機の到着を滑走路上で出迎え、そのまま共に会談が行われた航空会社事務所に向かっている。

 その後の会談ではマッカーサーが、「どんな事態になっても中共軍は介入しない」「戦争は感謝祭までに終わり、兵士はクリスマスまでには帰国できる」と言い切った。トルーマンは「きわめて満足すべき愉快な会談だった」と言い残して機上の人となったが、本心ではマッカーサーの不遜な態度に不信感を強め、またマッカーサーの方もよりトルーマンへの敵意を強め、破局は秒読みとなった。

ダグラス・マッカーサー - Wikiwand

 マッカーサーは52年の大統領選に共和党から出馬し、民主党候補として再選を狙うであろうトルーマンを完膚なきまでに叩き潰す腹づもりだったのだ。演説でも「私の朝鮮政策だけが勝利をもたらす。現政権の政策は長く終わりのない戦争を継続するだけだ」とトルーマンを批判した。

 米国内のマッカーサー人気は絶大だった。愛機「バターン号」がサンフランシスコに到着した際は50万人以上が出迎え、ワシントン、ニューヨーク、シカゴ、ミルウォーキーの各地で行われたパレードには総勢数百万人が集まった。逆に「英雄」を解任したトルーマンに世論は冷ややかで、マッカーサーの第二の人生は順風満帆に見えた。

   × × ×

 米上院軍事・外交合同委員会はマッカーサーを聴聞会に召喚した。テーマは「極東の軍事情勢とマッカーサーの解任」。背景にはトルーマン政権に打撃を与えようという共和党の策謀があった。

 マッカーサーは快諾した。大統領選の指名争いに有利だと考えたからだ。狙い通り、世界中のメディアが聴聞会の動向に注目し、事前から大々的に報じた。

 5月3日の聴聞会初日。証言台に立ったマッカーサーは質問に誠実に応じ、1950年6月に勃発した朝鮮戦争の経緯をよどみなく説明し続けた。

 質問者の共和党上院議員、バーク・ヒッケンルーパーは「赤化中国を海と空から封鎖するという元帥の提案は米国が太平洋で日本を相手に勝利を収めた際の戦略と同じではないか」と質した。

 マッカーサーの戦略の正当性を補強するのが狙いだったが、マッカーサーの回答は予想外だった。

「日本は4つの小さい島々に8千万人近い人口を抱えていたことを理解しなければならない」

「日本の労働力は潜在的に量と質の両面で最良だ。彼らは工場を建設し、労働力を得たが、原料を持っていなかった。綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、スズがない、ゴムがない、他にもないものばかりだった。その全てがアジアの海域に存在していた」

「もし原料供給を断ち切られたら1000万~1200万人の失業者が日本で発生するだろう。それを彼らは恐れた。従って日本を戦争に駆り立てた動機は、大部分が安全保障上の必要に迫られてのことだった」

 会場がどよめいた。証言通りならば、日本は侵略ではなく、自衛のために戦争したことになる。これは「侵略国家・日本を打ち負かした正義の戦争」という先の大戦の前提を根底から覆すどころか、東京裁判(極東国際軍事裁判)まで正当性を失ってしまう。

 もっと言えば、5年8カ月にわたり日本を占領統治し「民主化」と「非軍事化」を成し遂げたというマッカーサーの業績までも否定しかねない。

 この発言は共和党の期待を裏切り、激しい怒りを買った。マッカーサー人気はこの後急速にしぼみ、大統領の夢は潰えた。

【産経新聞 2015年12月24日 【戦後70年~東京裁判とGHQ(5完)】「老兵・マッカーサーはなぜ「日本は自衛の戦争だった」と証言したのか…」石橋文登、花房壮、峯匡孝、加納宏幸、森本充、今仲信博、田中一世】

 リンクが切れているので1~4も紹介しよう。

戦後70年~東京裁判とGHQ 1
戦後70年~東京裁判とGHQ 2
戦後70年~東京裁判とGHQ 3
戦後70年~東京裁判とGHQ 4

 マッカーサーが大統領になれなかったのはこの証言が原因であったというのだ。これは知らなかった。共和党の反応は、GHQと本国の日本に対する認識の違いまで示唆しているように思われる。

 吉本貞昭著『東京裁判を批判したマッカーサー元帥の謎と真実 GHQの検閲下で報じられた「東京裁判は誤り」の真相』(ハート出版、2013年)から抄録した以下の動画も参照されたい。


 マッカーサーは絶大な権力を有していたが本国からの指示を無視できる立場ではなかった。日本の首相であった吉田茂はマッカーサーを崇拝しながらも密かに利用した。日本国民は鬼畜米英の旗を下ろしてマッカーサーに親愛の情を示した。歴史の細部は政治的行動に染まっている。そう考えると「真実の歴史」など存在しないことがわかる。ただ、嘘の歴史と新しい事実が交錯する中で我々の史観が練り上げられるのだろう。

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2019-06-14

牧馬峠に挨拶


 ・牧馬峠に挨拶

牧馬峠(道志みち側)を制覇
地獄の牧馬峠(相模湖側)

 今日の成果は宮ヶ瀬湖まで一度も休憩しなかったこと。いやあ我ながら驚いた。

 初めて水の郷大吊り橋に気がついた。歩行者専用の吊り橋だ。やまびこ大橋を渡って直ぐ右手にある。





 下の画像は橋と反対側。

 腹が減ったのでファミリーマートに入った。津久井宮が瀬店には自転車ラックがたくさんある。



 こういう配慮はありがたい。今度から必ず寄ることを決意した。

 流すつもりで走っていたところ道を間違えてしまった。左折するのを忘れて412号に出た。ここまで来たら背に腹は代えられない。遠回りして牧馬峠(まきめとうげ)を目指した。取り敢えず今日のところは挨拶までと思ったのだが、いきなり下り道になったので途中で引き返してきた。帰りにこの道は登りたくない(笑)。

 走行距離は78km。今年はまだ15回しか乗っていない。合計距離は614km。7月26日で1年になるので何とか2000kmは達成できそうだ。

【追記】前回の半原越往復で自分なりの呼吸法をマスターした。やはり体の声に耳を傾ければ自ずと答えは見つかるものだ。

道徳・モラルの起源


 発行年順に紹介する。

 ・『人間の本性について』エドワード・O ウィルソン:1980年

・『徳の起源 他人をおもいやる遺伝子』マット・リドレー:2000年
・『脳に刻まれたモラルの起源 人はなぜ善を求めるのか』金井良太 :2013年
・『モラルの起源 道徳、良心、利他行動はどのように進化したのか』クリストファー・ボーム:2014年
『道徳性の起源 ボノボが教えてくれること』フランス・ドゥ・ヴァール:2014年
・『モラルの起源 実験社会科学からの問い』亀田達也:2017年
・『分かちあう心の進化』松沢哲郎:2018年

 ・『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ

 エドワード・O ウィルソンとユヴァル・ノア・ハラリで挟むところに私の卓抜したセンスがある(笑)。金井・松沢以外は全部読んでいるがマット・リドレーが圧倒的に面白い。尚、道徳と倫理の違いを調べていたところ、次のページを見つけた。

Q.道徳と倫理の違いは何ですか? - まさおさまの 何でも倫理学

 書籍も挙げておく。

・『高校倫理からの哲学 第3巻 正義とは』直江清隆、越智貢編

徳の起源―他人をおもいやる遺伝子
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半原越往復


初めての半原越
越すに越されぬ半原越(愛川町経由)
雪辱の半原越(愛川町経由)

 ・半原越往復

 雨の合間を縫ってひとっ走りしてきた。半原越(はんばらごえ)が私を呼んでいるのだ。苦しむことはわかっていても得体の知れぬ胸のときめきがある。どこか高嶺の花のような女性に恋をした感覚と似ている。

 かつてバドミントンで度重なるふくらはぎの肉離れという痛い目に遭っていた私は慎重にならざるを得なかった。自転車を手に入れた時、「最初の1年間は脚作り」と覚悟した。つまり私が行うのはサイクリングではなくトレーニングなのだ。

 半原越を挟んで北に仏果山(ぶっかさん)が、南に経ヶ岳(きょうがたけ)がある。丸山健二の小説に出てきそうなネーミングだ。この峠を制覇すれば悟りを得られるかもしれない。

 入口付近でまず補給をする。普段なら絶対に飲むことのない砂糖まみれの炭酸飲料水を飲んだ。自転車乗りが恐れなければならないのはハンガーノックである。長時間走っていると極度の低血糖状態に陥り、体が全く動かなくなるのだ。まさしく「hunger(飢え) knock(打撃)」である。私も15年ほど前に一度だけ経験したことがある。突然眼の前が暗くなるような意識となり、辛うじて辿り着いたコンビニストアの前で地べたに坐り込んでしまった。人里離れた山の中でハンガーノックになれば死ぬこともそれほど難しくはない。

 愛川町経由は三度目の正直である。降り続いた雨のせいだろう。前回よりも落石が増えていた。逸(はや)る気持ちを抑えてゆっくりとペダルを踏む。斜度が急になるつづら折れに差し掛かると「あれ?」と不思議なことが起こった。この前はダンシングで登ったところがシッティング(坐った)のまま進めたのだ。確実に脚が出来てきているのだろう。苦もなく峠に至り、いつもなら一服するのだがそのまま下る。今まで見逃していた景色をいくつか撮った。









 清川村側はしっぽ村の下にある自動販売機からにした。至るところから聴こえてくるせせらぎの音が背中を押してくれる。ウグイスのスタッカートの鳴き声も心地いい。そして静かに半原越往復を成し遂げた。「フム、やれば出来るものだな」と呟いた。登坂時間は愛川町経由も清川村経由も同じく37分であった。

 変える道すがら馬渡大阪(まわたりおおさか)という短い坂を下っていった。次はここから登ろう。


 適当に走っていたところ、水郷田名の坂に辿り着いた。去年は激坂だと思っていたのだが今回は坐ったままで登り切ってしまった。自分の脚に頬ずりしたい気分だ。

2019-06-11

人種差別というバイアス/『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム


『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー
『集合知の力、衆愚の罠 人と組織にとって最もすばらしいことは何か』アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン
『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ
『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース

 ・人間の脳はバイアス装置
 ・「隠れた脳」は阿頼耶識を示唆
 ・人種差別というバイアス

『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン
『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』ダン・アリエリー
『たまたま 日常に潜む「偶然」を科学する』レナード・ムロディナウ
『感性の限界 不合理性・不自由性・不条理性』高橋昌一郎
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗
『われわれは仮想世界を生きている AI社会のその先の未来を描く「シミュレーション仮説」』リズワン・バーク

必読書リスト その五

 モントリオールのホワイトサイド・テイラー託児所(デイケア)は北米に何百となる、乳幼児のための施設だ。そこでは学齢に達する前の子供たちが遊び、動き回り、食べ、泣いている。数年前、フランシス・アブードという心理学者が、ある仮説を引っさげてホワイトサイド・テイラーを訪れた。彼女は託児所に通う子供たちに、ある心理学実験の被験者になってほしいと思っていたのだ。
 施設側は同意し、子供の保護者からも許可を取った。すべての事務手続きが片付くと、アブードは80人の白人の子供を施設から、そして数人を地元の小学校から集めた。一番幼い子供は3歳だった。頭がよさそうで人目を引く容姿を持ち、そしてレバノンの血を引くアブードは、幼い被験者たちに“良い”、“親切”、“清潔”など「プラスイメージの言葉」を六つ、そして“意地悪”、“ひどい”、“悪い”といった「マイナスイメージの言葉」を六つ教えた。そしてその言葉が、2枚の絵のどちらに当てはまるか尋ねた。1枚は白人、もう1枚には黒人が描かれていた。絵を見せるとき、言葉についてそれぞれ簡単な説明を入れる。「自分勝手な人は、自分のことしか考えません。どの人が自分勝手でしょうか?」と言って、黒人か白人どちらかの絵を指すように伝える。「女の人が誰も話す人がいなくて悲しんでいます。悲しんでいるのはどちらの人でしょうか?」。さらに黒人の子供と白人の子供の絵を見せて、こう尋ねる。「意地悪な男の子がいます。犬がそばに来たとき、その子は犬をけりました。意地悪なのはどの子ですか?」、「みにくい女の子がいます。人はその子の顔を見ようとしません。どの子がみにくいでしょうか?」
 被験者となった子供の70%が、【ほぼすべての】プラスイメージの言葉と白人を、【ほぼすべての】マイナスイメージの言葉と黒人を結びつけた。
 とても不快な気分になるが、ホワイトサイド・テイラー託児所や、そこにいる幼い子供たちのこうしたバイアスは、何も特殊なものではない。何年も前に、北米全体の学齢期前の子供と小学生を対象に行なわれた同様の調査でも、まったく同じ結果が出ている。2枚の絵に同じ言葉を当てはめてもかまわないと前置きしても、結果はそれほど変わらない。たいていの子供は、マイナスイメージの言葉を黒人の顔に、プラスイメージの言葉を白人の顔に当てはめた。(中略)
 ホワイトサイド・テイラー託児所のまだ年端もいかぬ子供たちが、心が狭く敵意に満ちていると考えるのはばかげている。ようやく鼻のかみかたを覚えようとしている年齢だ。子供たちの責任ではないとすれば、いったい誰の責任なのだろう? 親や教師たちのせいなのだろうか? 他にどこで人種偏見などを覚えるだろう?

【『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム:渡会圭子〈わたらい・けいこ〉訳(インターシフト、2011年)以下同】

 初めて読んだ時に最も衝撃を受けたのがこの件(くだり)であった。私はそれまで「人種差別感情は教育的環境によって刷り込まれる」と考えてきた。幼児は親をモデルとして世界を認識する。態度(ボディランゲージ)は言葉よりもずっと雄弁だ。何気ない表情や仕草を通して滲み出る嫌悪感から子供たちは「何を憎むべきか」を学ぶ。子供は生き延びるために親から愛される振る舞いを自然に行う。批判するほどの知識や感情を持ち合わせていない。このようにして知らず知らずのうちに有色人種を憎悪する価値観が形成されるのだろうと思い込んでいた。だが実は違った。白人の子供は無意識のうちに偏った見方をしてゆくのだ。

 この実験は更に驚くべき実態を発掘する。

 研究助手がもう一つの話を読んで聞かせると、子供のバイアスは話の内容まで変えてしまうことが明らかになった。(中略)
 ザカリアという黒人少年は、めったにお目にかかれないヒーローのような子供だ。ワニと戦って友人の命を救い、動物保護の問題を知っているから、ワニにもひどいことはしない。そして睡眠時間を削って大統領に手紙を書く。ところが幼稚園児たちに、どんな話だったか尋ねると、英雄的な行為をしたのは白人少年だと誤解していることが多かった。子供たちは気づかないうちに、ザカリアの勇敢で機転の利いた行為を、友人である白人少年のものと思い込んでいたのだ。言い換えれば、子供たちはアブードが与えるすべての情報を、白人はよく見え、黒人は悪く見えるレンズを通して見ていたのだ。

 認知バイアスが物語を書き換えるというのだ。こうなると我々は妄想(脳内物語)を生きていると考えるのが妥当だろう(『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ)。記憶は常に改竄(かいざん)を加えられ捏造(ねつぞう)される。バイアスの本質は「自分の脳に都合よく情報を書き換える」ところにある。

 しかしまだ根本的な疑問が残っている。人種差別的な子供の考え方は、いったいどこから生じたのだろう? バイアスのかかった見解は、親や教師が教えたものではないと自信を持って言えるが、それならいったい【どこで】教わったのだろう。子供たちは人種について、一人ひとり違う意見を持っているわけではなかった。特に年少の子供は、全員がほぼ同じ見方をしている。白人は善良で親切で清潔、黒人は意地悪で醜く汚いと。
 その答えは、隠れた脳と意識的な脳が世界を知る方法の違いにある。アブードは私に、自分が北米のありふれた郊外の地区に住む、白人の幼い子供であると想像してみるよう言った。この思考実験のため、私は友人も両親もいない、つまり何を考えるか、どんな結論を引き出したらいいか、導く人がいないという状況を想像した。子供だから、とても複雑な結論を導き出せるほどの知識もない。このとき私の隠れた脳は、どのように世界を理解するだろうか? まず、近所のきれいな家に住んでいる人はほとんどが白人だ。テレビに映るのもほとんどは白人。特に地位や名誉や権力を持つ立場の人は白人である。絵本の登場人物もほとんどが白人で、白人の子供はたいてい頭がよくて思いやりがあり、勇気あふれる行動をする。物事を関連づけることに優れた私の隠れた脳は、白人男性の多くは白人女性と結婚しているのだから、この社会には白人は白人と結婚するという暗黙のルールがあるに違いないと結論づける。またお互いの家を行き来するような仲のよい友人同士は、たいてい同じ人種なので、ここにも暗黙のルールがあるのだろうと考える。
 3歳の脳を持つ私は、黒人は悪い人だとは思わないまでも、自分たちとは【違う】と考える。

 子供はありとあらゆる些末な情報を正確に読み解いているのだ。学習とは白いページに黒い染みを増やしてゆく行為なのかもしれない。メディアや漫画などは深刻な影響を及ぼしている。最も洗練された悪質なメッセージがテレビCMだ。わずか数十秒という時間は視聴者に考える余地を与えない。次から次と流れてゆくコマーシャルは深層心理に特定の価値観を形成する。好きなタレントが登場すれば商品に対する信頼感は無条件で増す。ま、一種の宗教だわな。

 異質なもの(よそ者)を排除するのはコミュニティの鉄則である。もともとは病気を防ぐ目的があったのだろう。インディアンの大多数は白人がもたらした天然痘や麻疹(はしか)、インフルエンザなどで死んだ。パンデミックを支えるのは「移動」である。地産地消も同じ発想だろう。

 古代中国人は見知らぬ道をゆく時、敵の生首を持って悪霊を祓(はら)った(「道」の字義)。

白川●本来は「道」そのものが、そのような呪術的対象であった訳。自己の支配の圏外に出る時には、「そこには異族神がおる、我々の祀る霊と違う霊がおる」と考えた、だから祓いながら進まなければならん訳です(『白川静の世界 漢字のものがたり』別冊太陽)。

 悪霊とは伝染病であろう。神道の「結界」も同じ考え方であると思われる。

 社会は禁忌(タブー)の共有によって形成されている側面がある。我々がここで立ち止まって考える必要があるのは差別感情がなくなることはないという現実だ。人間は差別や戦争や犯罪が好きなのだという前提に立つべきだ。リベラルが好むポリティカル・コレクトネスはあまりにも安易で幼稚だ。「親孝行をしましょう」とか「皆で仲良くしましょう」という言葉と同じほど不毛である。誰も逆らえない綺麗事は議論の対象にすらならない。

 大事なことは「差別をするな」と声高に叫ぶことよりも、例えばインドがなぜカーストを肯定するのかを探ることである。きっと何らかの社会的な利点があるはずだ。それが正しいとか間違っているというのは別問題だ。インド国民の民意がカーストを支持する理由を知ることは、新たな社会の枠組みを考えるヒントになり得るだろう。

 社会は個人の集まりだが単なる総和ではない。時に乗数となって創発が生まれる。カーストや戦争も創発と考える発想の豊かさが必要だろう。そのような意味から申せば戦争を現実的に捉えた日本人は小室直樹くらいしかいないのではなかろうか(『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』1981年)。

 結論を述べよう。バイアスを否定的に捉えればポリコレと同じ陥穽(かんせい)に落ちてしまう。そうではなくバイアスが進化的に優位に働いたことを弁えた上で、現実を構築し直すのが正しい道であると私は考える。次代を担うのは「新しいバイアス」を提示する者であろう。

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