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2016-04-06

戦争は制度である/『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹


・『危機の構造 日本社会崩壊のモデル』小室直樹

 ・戦争は文明である
 ・戦争は制度である

『悪の戦争学 国際政治のもう一つの読み方』倉前盛通
『日本教の社会学』小室直樹、山本七平
・『封印の昭和史 戦後50年自虐の終焉』小室直樹、渡部昇一
・『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は、必ず滅亡する』小室直樹
・『世紀末・戦争の構造 国際法知らずの日本人へ』小室直樹
・『日本の敗因 歴史は勝つために学ぶ』小室直樹
・『新世紀への英知 われわれは、何を考え何をなすべきか』渡部昇一、谷沢永一、小室直樹

 国家とか経済とか家とか学校とか、われわれの社会は、多くの制度を生みだした。制度とは、何かの目的を達成するための枠組みである。戦争も同じ制度なのだ。その目的は、国際紛争の解決、ということにある。(中略)
 戦争は高度に【文明】的な【制度】である。この大前提を、ひとりひとりが、しっかりと把握することなくして、われわれの社会から、戦争がなくなることはないだろう。

【『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹(カッパ・ビジネス、1981年/光文社文庫、1990年/ビジネス社、2018年『国民のための戦争と平和』改題)】

 戦争は単なる喧嘩ではない。戦争とは政治であり、外交における一つの手段である。

「戦争は制度である」との指摘は感情の次元では容認しかねる。わかりやすい例を挙げるならスポーツである。スポーツは元々「狩り」を制度化したものだが、チーム同士が戦う競技は極めて戦争と似ている。オリンピックを始めとする国際大会ではチームが国家を代表しており、代理戦争の様相を呈している。それぞれの国民が熱狂する様も戦争とそっくりだ。

 生物学的に見れば「限られた資源を巡る競争」である。ただし軍事力の強大な国家が長く繁栄するわけではない。ローマもモンゴルも滅び、スペイン・オランダ・イギリスは没落し、そして今、アメリカも沈みつつある。

 戦争に勝つ力も必要だが、戦争を避ける英知もまた必要なのだ。

 かつて日本はアメリカから石油の禁輸措置を受け、ABCD包囲網で経済封鎖をされ、戦争に打って出た。石油の備蓄は2年分しかなかった。つまり2年以上戦う構想はなかったと見てよい。その後、蘭印(オランダ領東インド、現在のインドネシア)を攻略し、石油を獲得するも、米軍によってタンカーの殆どが沈められた。物量もさることながら戦略の時点で既に敗れていた。日本軍の戦没者230万人のうち60%が餓死・戦病死であった。

 敗戦後、日本は安全保障を米軍に委ね、経済発展を遂げる。GHQの占領を通して歴史は途絶え、敗戦を振り返ることなく日本人は働いて働いて働きまくった。負けた戦争を真摯に見つめる政治家も私は見たことがない。天皇陛下の戦争責任よりも重要なことは、エネルギーと食糧の安全保障をどうするかである。1965年には73%であった食料自給率が2014年には39%(カロリーベース)まで落ち込んでいる(※生産額ベースでは64%:農林水産省)。

 選挙権は兵役とセットである。18歳選挙権に関して左翼が「徴兵制導入の布石」だと騒いでいるが、私は正反対の位置から考えるべきだと思う。北朝鮮が日本に向けてミサイルを発射しても、政府や自衛隊は戦争をする構えすら見せない。この事実は軍事的責任の欠如を示すものだ。日本の軍事における責任を担っているのは米軍である。つまりこの国の真の主権者はアメリカだと見なすことができる。そしてアメリカの意図によってこれから憲法改正が行われ、アメリカからの指示によって日本は戦争に巻き込まれるのだろう。


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国民のための戦争と平和
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2016-04-05

戦争は文明である/『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹


・『危機の構造 日本社会崩壊のモデル』小室直樹

 ・戦争は文明である
 ・戦争は制度である

『悪の戦争学 国際政治のもう一つの読み方』倉前盛通
『日本教の社会学』小室直樹、山本七平
・『封印の昭和史 戦後50年自虐の終焉』小室直樹、渡部昇一
『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する』小室直樹
・『世紀末・戦争の構造 国際法知らずの日本人へ』小室直樹
『日本の敗因 歴史は勝つために学ぶ』小室直樹
・『新世紀への英知 われわれは、何を考え何をなすべきか』渡部昇一、谷沢永一、小室直樹
『戦争と平和の世界史 日本人が学ぶべきリアリズム』茂木誠

 それゆえ“野蛮な戦争はもうごめんだ”という主張は、自己矛盾をはらんでいる。戦争は野蛮な行為ではないからである。
 第一次大戦と第二次大戦の戦間期に、パシフィズムといわれる運動が、ヨーロッパを席巻(せっけん)したことがあった。パシフィズムとは「平和主義」という意味だ。学生も労働者も野蛮な戦争はもういやだ、絶対に銃はとらないと叫んだ。(中略)
 それでは平和がもたらされたか。歴史は皮肉なことになった。パシフィズムは、世界史上、もっとも悲惨な、もっとも大きな戦争をもたらした。彼らの平和運動は、ヒットラーの揺籃(ようらん/ゆりかご)となったのだ。なぜ、そんな馬鹿なことになったのか。それは、一(いつ)にかかって、全員が、戦争を野蛮な行為と誤解した点にある。
 本質を誤った運動は、たいへんな副作用をもたらす。平和をとなえ、願えば、平和がくるという、心情的な「念力主義」は、役にたたないだけでなく、危険だ。戦争を、人類が生みだした最高の文明として、とらえ直し、論理をそこから再出発させる必要がある。

【『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹(カッパ・ビジネス、1981年/光文社文庫、1990年/ビジネス社、2018年『国民のための戦争と平和』改題)】

 迂闊(うかつ)であった。読書日記に記していなかった。昨年の8月に読了している。小室作品における戦争もの・国家論の筆頭に位置すると考えてよい。

 ひとつ言いわけをさせてもらうと、一方でクリシュナムルティやブッダの初期教典を読みながら、他方で歴史認識の再構築やリアリズムを追求することは離れ業といってよい。クリシュナムルティ流にいえば「分離の過程」そのものである。理想と現実の狭間(はざま)で時折、混乱気味になることもあると思われるが、ご了承願いたい。

 複数の国家が連合する大きな戦争の原因は地球の寒冷化にあると私は考える。この環境史に基づくスケールを超える視点はまだ出てきていない。具体的には食糧とエネルギーを巡る争いであると見なすことができよう。21世紀になった今日においても尚、アメリカの国防戦略は原油を中心に構築されている。中東はその犠牲者である。

 小室の場合は文明史的かつ社会科学的な視点である。ヒトの脳は宇宙を思わせる領域で膨大な情報と精密なシステムから成る。エリック・J・チェイソンは、ヒトの脳よりもはるかに複雑なシステムが「文明化した社会」であると指摘する。これは複雑系科学の創発・自己組織化・相転移などを踏まえると納得できる(『通貨戦争 崩壊への最悪シナリオが動き出した!』ジェームズ・リカーズ、2012年)。

<パシフィズム(平和主義)は、臆病・『卑劣』を意味する>:チャンネル桜・瓦版、朝日廃刊が日本を救う

 日本における平和主義は「文学」といってよい。心情的な物語が合理性を無視する。歴史を振り返れば一目瞭然だが、平和的な国家・民族は必ず侵略され、後に滅んだ。白人の奴隷にされたアフリカ人、突然やってきたヨーロッパ人に虐殺されたインディアン、ユダヤ人を受け入れたパレスチナを見よ。

 江戸時代のミラクルピース(世界史的にも稀な長期的な平和時代)を可能にしたのは鎖国であった。しかし帝国主義の大波が押し寄せ、日本は内を守るため外に向かって打って出ざるを得なくなった。これが日清・日露戦争である。

「戦争は文明である」という事実は少し冷静になれば理解できよう。社会や組織が一つの目的に向かって進む時、集団は必ず軍隊性を帯びる。つまり意思決定に始まり計画立案~目的遂行というシステムが戦争に集約されている。日本が大東亜戦争に敗れたのは最初から最後まで合理性を欠いていたためだ。日清戦争における三国干渉(1895年)が国民の間に強いストレスとなって不満が溜まりに溜まっていた。尊王の精神も裏目に出たと言わざるを得ない。

 戦争が文明であるならば、負ける戦争を絶対にしてはならないし、万が一戦争になっても最小限の戦闘で最大限の効果を得る戦略が求められる。相手が攻めてきた時に平和主義は通用しないのだ。


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人種差別というバイアス/『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム

2017-12-11

少国民世代(昭和一桁生まれ)の反動/『ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論』小林よしのり


『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』小林よしのり
・『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論 2』小林よしのり
・『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論 3』小林よしのり

 ・少国民世代(昭和一桁生まれ)の反動
 ・天皇は祭祀王

『戦争論争戦』小林よしのり、田原総一朗
・『ゴーマニズム宣言SPECIAL パール真論』小林よしのり
『世界史で読み解く「天皇ブランド」』宇山卓栄
『〔復刻版〕初等科國史』文部省

日本の近代史を学ぶ

 ところが本土においても、戦後のマスコミや左派知識人はこう言ってきた。

 戦前の天皇は「神」として君臨していた。国民は誰もが「現人神」(あらひとがみ)と教えられ、絶対神だと思っていて、「天皇陛下」の名前が出たら直立不動だった。

 天皇の名において戦争したのだから、天皇に戦争責任がある。
 だから戦後はGHQによって「人間宣言」をさせられた。

 天皇は戦後、人間になった。(中略)

 しかしどうやら上のように言う左派知識人たちは「少国民世代」の人たちなのだと、気づいた。

「少国民」(しょうこくみん)とは、昭和16年(大東亜戦争開戦の年)に「小学校」を「国民学校」に改称したのと同時に、「学童」を改称した名称である。
 ヒトラーユーゲントで用いられた「Jungvolk」の訳語らしい。

「少国民世代」を厳密にいうならば、「国民学校に行っていた世代」つまり「大東亜戦争中に小学生だった世代」ということになる。

 田原総一朗(終戦時11歳)
 筑紫哲也(当時10歳)大江健三郎(当時10歳)
 本多勝一(当時13歳前後)
 大島渚(当時13歳)井上ひさし(当時10歳)
 石原慎太郎(当時12歳)西尾幹二(当時10歳)
 この辺が「少国民世代」である。わしの母もこの世代に入る。

 少国民世代は、戦時中は大人たちから「日本は神国だ! いざとなれば神風が吹く!」…と教えられ軍人に憧れた者が多かった。

 戦後、その同じ大人たちが豹変して、「これからは民主主義の時代です。天皇は人間です。象徴に過ぎないんです!」…と教え始めた。
 その大人たちの露骨な態度の変化を見て、国家や天皇というものに懐疑的になった者が少国民世代には多いようだ。(中略)

 実を言うと、天皇を心底「神」と思い込んでいたのは「少国民世代」だけなのだ。

【『ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論』小林よしのり(小学館、2009年/平成29年 増補改訂版、2017年)】

「ゴーマニズム宣言SPECIAL」シリーズは『戦争論』で花火のように舞い上がり、『昭和天皇論』に至るまで鮮やかな色彩を空に描き、そして『新天皇論』で跡形もなく消えた。女系天皇容認を表明した『新天皇論』で小林から離れていったファンが多い。

 私が小林の漫画や著作を読んだのは最近のことで、よもやこれほどのスピードで転落するとは予想だにしなかった。元々自分自身を美化する小林の画風が好きになれなかった。甲高い声も耳障りだ。公の場で「わし」という言葉遣いも大人とは言い難い。それでも一定の敬意を抱いたのは早くから慰安婦捏造問題に取り組むなど、期せずしてオピニオンリーダーの役割を果たしてきたように思えたからだ。その姿は文字通り孤軍奮闘であった。

 一時期小林と親(ちか)しかった有本香は「先生」と小林を呼んでいた。かつてはそれほどの見識を持っていた。そして有本も小林の元から去っていった。

「昭和一桁生まれが戦争を知っていると語るのは誤りだ」という指摘は少なからず他にもある。だが「少国民世代」と名づけたのは卓抜なセンスだ。

 終戦後、「神も仏もあるものか」という言葉が人口に膾炙(かいしゃ)した。その一方で精神の空隙(くうげき)を埋めるべく雨後の筍(たけのこ)みたいに現れた新興宗教に日本人は飛びついた。これまた「反動」と言ってよい。大半の知識人が左傾化したのも同じ現象であろう。

 日本は戦争に敗れたもののまだ亡んではいなかった。だが国体を見失って経済一辺倒に走り出した時、この国は国家であることをやめたのだろう。敗戦から半世紀以上に渡って「愛国心」という言葉はタブーとされた。

 昭和一桁世代には不破哲三(昭和5年生まれ)や池田大作(昭和3年生まれ)もいる。戦後、大衆を糾合し得た共産党と創価学会のリーダーがこの世代であるのも興味深い。

2015-11-17

左翼とサヨクあるいは反日を巡って/『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』小林よしのり


 ・左翼とサヨクあるいは反日を巡って

・『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論 2』小林よしのり
・『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論 3』小林よしのり
『ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論』小林よしのり

・『ゴーマニズム宣言SPECIAL パール真論』小林よしのり

日本の近代史を学ぶ

【日本の】個人主義者は国家が嫌いである 権力も嫌いである

 そしてこの平和が自明のものであり 税金さえ払えば手に入るサービスだと思っている

 日本の個人はまるで消費者なのだ!!

【『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』小林よしのり(幻冬舎、1998年)以下同】

 漫画吹き出しのためテキストの改行は無視した。日本の古代が『古事記』というフィクションによって成り立ち(『官僚病の起源』岸田秀、1997年)、明治維新という擬装を通して近代化された(『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』原田伊織、2012年)ことを思えば、この国はたぶん理念を欠いている。ただし四方を海に囲まれた地理的優位さが歴史と伝統の形成を可能にした。

 近代日本において左翼と右翼を定義することは難しい。江戸末期では攘夷派も開国派も尊王を標榜しており(『攘夷の幕末史』町田明広、2010年)、倒幕という運動性と残虐な急進性からすれば攘夷派は完全な左翼である。ところが右翼の原点は西郷隆盛の精神にあり、玄洋社(1881-1946年)が道を開いたのである。昨今では「過激な」右翼と「穏健な」左翼という顛倒(てんとう)した事態となっている。

 1922年(大正11年)に日本共産党が結成される。度重なる弾圧を経て、しばしば破壊活動を起こし、同党は敗戦の後に合法化される。これをもって「左翼とは『天皇制』打倒を目論み、日本文化を否定しかつ破壊へと導く思想・行動」と認められるか。

 スターリンが言い始めた「天皇制」(emperor system)とのキーワードは左翼用語であり、個人的には「いわゆる天皇制」(「いわゆる従軍慰安婦」に倣〈なら〉う)と表現したい。制度を導入したというよりは自然発生的であったと考えるためだ。文脈によっては「天皇制」と鍵括弧を付けることにする。

 わしは戦後180度転換したこの日本の「空気」をすべて疑う(中略)

 日本を覆うその「空気」とは…(中略)

 新聞のほとんどに彼らはいる

 テレビ 雑誌 マスコミ内に いる

 教育界にかなりいる

 司法関係者にいる

 国外にまで暗躍している

 この「残存左翼」に操られやすいのが「うす甘いサヨクの市民グループ」だ

 明確な左翼思想を持つわけでなく…人権・平等・自由・フェミニズム・反戦平和などの思想が彼らを突き動かす(中略)

「うす甘いサヨク市民グループ」の周りには 大多数の「うす甘い戦後民主主義の国民」がいるわけである

 つまり「人権」「自由」「個人」「反戦平和」などの価値を揚げれば「残存左翼から「うす甘いサヨク市民グループ」から「戦後民主主義者」まで大同団結できてしまう

 要するに戦後民主主義は「サヨク」なのだ!

 それが「空気」の正体である

 次に紹介するのはニコニコ大百科(仮)の「サヨク」という項目である。

 サヨクとは、本来の左翼思想と「人権・平等・環境」といった理念を振りかざす左翼シンパシー的な立場を区別する上で、用いられる用語である。

 現在はネット言論(2ch、ブログなど)において広く用いられている。レッテル・蔑称としても用いられる。

概要

 明確な定義について見解は分かれるが、一般的には左翼思想及び共産主義体制の近隣国家にシンパシーを示すが、正面からマルクス主義的な社会革命を標榜することはなく、「平和・国際協調・人権・民主主義・環境保護」といった口当たりのよいスローガンを掲げて活動する思想・立場のことを言う。

 カタカナ表記の「サヨク」は小説のタイトルとしてつかわれることもあったが、漫画家の小林よしのりによって、従来の左翼と区別される思想・政治的立場を示す語として積極的に用いられるようになった。小林は、「サヨク」という語を、イデオロギー的な議論を避け、表面的なスローガンに論点をすりかえる方法論を、カタカナ表記のフランクさによって揶揄する意味で用いたと考えられる。

「サヨク」の背景

 冷戦下の政治工作の一環として、共産主義陣営は資本主義国内部の批判勢力を組織・支援した。こうした工作はマスコミや「進歩的知識人」「市民団体」などを通して行われたが、このときに用いられたのが「平和・民主主義」といったスローガンであった。

 ソ連が崩壊し、マルクス・レーニン主義が失敗をみたことが知れ渡ると、イデオロギーとしての左翼は求心力を失ったが、これらの批判勢力は口当たりのよいスローガンに身を隠しつつ、活動を継続していった。

「サヨク」はこうしたイデオロギー的ルーツを表面に出すことなく(または自覚することなく)現在も根強く活動している。

ニコニコ大百科(仮)

 左翼はフランス革命の急進派(ジャコバン党)に始まり、共産主義・社会主義を経て、リベラル派への変態を辿る。日本においては東京裁判史観に基づく戦後教育が、昭和期に至るまでの伝統を消し去った。経済成長を遂げるにつれ武士道という節度も溶解した。愛国心は鼻で笑われ、国民は国体を見失った。

 日本の近代史は奥が深い。GHQによるウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(戦争贖罪意識洗脳プログラム)や薩長土肥によって綴られた明治維新以降は、飽くまでも「官軍の歴史」であると理解すべきだろう。

 佐藤優が小林を批判していた。気をつけなければならないことは佐藤の指摘は歴史認識としては正しいのだが、GHQによる占領政策から人々の目を逸(そ)らさせてしまう点にある。彼はそれを計算ずくで行っているのだろう。私としては小林の漫画は読むに堪(た)えないし、「わし」という言葉づかいが社会性を無視して鼻持ちならないが、小林の書籍や言動から少なからず影響を受けており、敬意を表するものである。

 民主制(※デモクラシーを民主主義とするのは誤訳)は情報公開(ディスクロージャー)によって作動する。私が民主制よりも貴族制を重んじるのは、あらゆる国家において100%の情報が公開されることはないと考えるためだ。

 左翼という政治性、サヨクという知的欺瞞、反日という民族嫌悪は平和という名の温室で栽培された。戦争は経済問題に起因する。そして経済は気温に左右される。すなわち地球の寒冷化が戦争を生むのだ。国内情勢を見るだけでも地球温暖化の嘘が知れよう。温暖で作物が豊富にとれれば人々は争わない。石油の確認埋蔵量も増えているからエネルギー確保が戦争要因となることも考えにくい。いずれにせよ2020年の東京オリンピックまでには明らかとなるに違いない。

新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論新ゴーマニズム宣言SPECIAL戦争論 (2)新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論〈3〉

アンサイクロペディア:左翼
左翼有名人リスト
日本共産党が機関紙「赤旗」紙上で32年テーゼを発表

会津戦争の悲劇/『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人

2019-01-29

天皇は祭祀王/『ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論』小林よしのり


『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』小林よしのり
・『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論 2』小林よしのり
・『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論 3』小林よしのり

 ・少国民世代(昭和一桁生まれ)の反動
 ・天皇は祭祀王

『戦争論争戦』小林よしのり、田原総一朗
・『ゴーマニズム宣言SPECIAL パール真論』小林よしのり
『世界史で読み解く「天皇ブランド」』宇山卓栄
『〔復刻版〕初等科國史』文部省

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 日本人はほとんど無自覚に天皇と繋がっている。

 自覚なき天皇尊崇だからこそ、日本の歴史の中でこの長きに亘って存続してきたのかもしれない。

【『ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論』小林よしのり(小学館、2009年/平成29年 増補改訂版、2017年)】

「天皇陛下はエンペラーに非ず」(『国のために死ねるか 自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動』伊藤祐靖)の続きである。

 小林のペンが冴えている。ゴー宣シリーズは、まず『ゴーマニズム宣言』(全9巻)があり、『新・ゴーマニズム宣言』(全15巻)に続き、『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL』(27巻)へと続く。その他にも10冊ほど刊行されているようだ(Wikipedia)。

 天皇陛下に対する小林の変化、なかんずく自然発生的に湧いた親愛の情が共感を誘う。私自身、日本人の血のようなものを自覚したのは数年前のことだ。「自覚なき天皇尊崇」が伝統や風習の各所に通い、流れているのだろう。

 古今東西に「国王」などの世俗的君主はあまた存在する。

 そして民を虐げ私利私欲に走った王の話もまた枚挙にいとまない(ママ)。

 そのような歴史の中で滅びた王制も数多い。

 しかし日本においては、「民」が「天皇」の存在を滅ぼそうとしたことは歴史上いまだかつてない。

 それは天皇が世俗的君主と異なり、祭祀を司る存在だからである。

 公のため、民のために祈る存在であり、私利私欲とは全く無縁だからである。

 世俗の行き着くところが経済と軍事である。世俗的君主は軍事力を背景にして酷税(こくぜい)を強いる。近代までは生殺与奪も好き勝手に行われていた。こうした人間の本能を思えば天皇という存在を継続し得た歴史はある種の奇蹟といってよい。

「公」よりも「私」。

 行き着く先は、米国・中国のようなウルトラ格差社会しかない。

「公」の心が失われたところには、安定した国家は築けない。

 国の中心に、公のために祈る無私の存在、「天皇」を置くというのは、国を安定させるために人類が考えうる最も賢明な策であり、他に類を見ない偉大な英知なのである。

 しかも天皇という存在の不思議は日本建国に先駆けている事実である。日本を日本たらしめている固有性がここに極まる。国家があって天皇がいるのではなく、初めに天皇ありきで後に国家が形成されるのだ。

 天皇はエンペラー(皇帝)ではない。

 祭祀王だ!(中略)

 天皇とは「祭祀王」であり、祭祀を行なうことこそが天皇の本質である。

 エンペラーは命令権者(司令)である。天皇陛下は祭祀を司る存在であり、その祈りは風のように国民を包む。不敬を恐れず申し上げれば天皇陛下は風呂敷のように柔らかく国民をくるむ。鎖の硬さはどこにもない。こうした「妙(たえ)なる関係性」こそ日本の伝統なのだろう。

「伝統」とは、歴史の積み重ねの中から醸成される「国民の安寧のための智慧(ちえ)・バランス感覚」のことであり、時代と共に柔軟に表現を変えながらも受け継がれていく「魂・エートス」こそが肝要なのだ。

 新嘗祭(にいなめさい)や大嘗祭(だいじょうさい)は古代から行なわれてきた祭祀であり、戦国時代以来、中断していたが、江戸時代、それぞれ復興し18世紀末の光格(こうかく)天皇が本格的に再興させた。

 その皇室祭祀の伝統を「明治に創られた」と言うのは完全に誤りであり、デマである。

 進歩史観の影響は絶大で払拭することが難しい。古代~中世~近代という区分けが脳に染み込んで離れない。人類の進歩や歴史の必然といった概念を我々は無意識のうちに前提としている。マルクス史観に基づけば大東亜戦争以前の日本の歴史は暗黒でなければならない。進歩の果てに社会主義が位置するわけだから闇が深ければ深いほど好都合となる。江戸300年の歴史は長らく貶(おとし)められ、封建時代は前近代を悪し様に表現する言葉となってしまった。

 明治期に天皇を神格化したのは、憲法の基軸にキリスト教の代わりとなる絶対性を据(す)えるためだった(『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する』小室直樹)。この基軸を欠くゆえにアジア諸国の民主政は機能しないのである。

 進歩主義の根幹にはキリスト者以外は蒙昧(もうまい)とする思想が横たわっているように思う。明治日本は文明化を欧米にアピールすべく鹿鳴館(ろうめいかん)で夜を徹して踊りまくり、伊藤を初めとする政治家たちはキリスト教に改宗までした。

 天皇陛下がおわしますればこそ日本の存在がある。これを知悉(ちしつ)するがゆえに左翼は天皇制を破壊しようと試みるのである。

2017-12-12

田原総一朗の正体は反戦主義者/『戦争論争戦』小林よしのり、田原総一朗


『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』小林よしのり
・『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論 2』小林よしのり
・『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論 3』小林よしのり
『ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論』小林よしのり

 ・田原総一朗の正体は反戦主義者

『「知的野蛮人」になるための本棚』佐藤優

 最近、私は、信頼する親しい大学教授や評論家たちから、「自分は真ん中よりやや左だったが、このところ右よりになってきた」という話をよく聞く。どう見ても左派の菅直人までが、朝鮮半島の有事の際には自衛隊の米軍後方支援を支持すると、自民党すらいわないことを口にするくらいだ。世の中は、どんどん右へ、右へと動いている。
 これは、やはり50年続いた戦後日本の世の中が、ひたすら「個」中心へと向かった結果、人びとが「国」や「公」の危うさに気づきはじめたということなのだろう。
 しかし、この前の戦争の末期を体験した私にとって、生きるということは、いってみれば、あのような戦争を二度と再び起こさないことだった。最近は、それが私の役割だとすら思えるようになってきた。そこで小林よしのりとは、さまざまな論点で激突し、徹底的に闘うはめになってしまったのだ。

【『戦争論争戦』小林よしのり、田原総一朗(ぶんか社、1999年)】

 田原総一朗の後書きを読んだ瞬間に私は悟った。「この男は単なる反戦主義者なのだ」と。疑問の雲が吹き払われた。田原の周囲に左翼およびシンパが多いのはその反戦主義が共鳴しているためだ。

 彼は必ず「ジャーナリストの田原総一朗です」と名乗る。やはり言論をプロレス化しただけのテレビ屋という自覚があるのだろう。テレビマン時代には衆人環視のもとで性行為をやってのけた人物である。映画監督にも作家にもなることができなかった劣等感を「過激さ」で撥(は)ね退けようとしたのだろう。

 田原に近い人物の一人に佐藤優がいる。佐藤は田原のラジオ番組で再三にわたって小林よしのりを批判してきた。また小林を攻撃する記事も幾度となく書いている。小林はこれに応じた。ほんの2~3年前までの出来事だ。ところが小林は女系天皇論を表明した後、先の総選挙では辻元清美や山尾志桜里を担ぎ上げるまでに大きく旋回した。その後の佐藤との論争を私はフォローしていないのだが、たぶん佐藤は小林批判を控えているのではないか。

 今から7~8年前に行われたシンポジウムで佐藤優が田原総一朗を痛罵する場面があった。会場から湧いた拍手を聞いて「ああ、田原が持てはやされる時代は終わったな」と感じた。


文字起こし:【佐藤優】田原総一朗は官僚支配を促進している

 ジャーナリストの田原総一朗氏は、「権力党員」である。「権力党」とは、民主党とか自民党という、既成政党と関係ない。「権力党員」とは、常に時の権力の内側にいて、事実上、国家の意思形成に加わっている人を指す。「権力党員」は時の政権の手先であるという単純な図式は成り立たない。むしろ時の政権とは、少し距離を置きつつも権力の内側にいて、建設的批判を行った方が「権力党員」としての影響力が拡大することがある。田原氏は、「権力党」の文法に通暁している。それだから、政府の顧問や諮問委員に就かないのだ。

佐藤優の眼光紙背:「権力党員」田原総一朗氏と国民の真実を知る権利 2010年10月25日

 このシンポジウムに田原は遅れて登場したのだが、実はその前に元読売新聞大阪社会部の大谷昭宏も佐藤からの攻撃を受けていた。テレビで活躍する二人をこき下ろすことで佐藤は自分の株価を上げてみせた。結果的にというよりは意図的に行った可能性が高いと私は見る。

 少国民世代である田原が戦争を忌み嫌うのは理解できる。ただし個人の経験というミクロな視点で安全保障や外交を捉えるのは誤っている。日本が70年以上にわたって平和を享受し得たのは憲法9条によるものではなくアメリカの核抑止力に守られてきたからだ。近代国際法の道を開いたウェストファリア条約(1648年)も勢力均衡という思想に基づく。

 もしも日本が大東亜戦争で立ち上がっていなければ、白色人種による帝国主義(植民地主義)は数世紀も長く続いたはずだ。アジア、中東、アフリカ諸国が第二次世界大戦後に独立したのは日本が白人の土手っ腹に風穴を開けたからだ。これが歴史の事実である。

戦争論争戦―小林よしのりVS.田原総一朗
小林 よしのり 田原 総一朗
ぶんか社
売り上げランキング: 756,272

2015-08-01

手塚治虫、田中正明、金森重樹、藤原肇、他


 14冊挫折、6冊読了。

新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論2』『戦争論争戦』『朝日新聞の正義 対論 戦後日本を惑わしたメディアの責任』『教科書が教えかねない自虐』小林よしのり/やはり漫画は読めた代物ではない。まず自分を美化して描く感性が信じ難い。ただし小林の先見性は評価されるべきで、『戦争論争論』は田原総一朗との対談だが、東京裁判史観に毒された田原の姿がくっきりと浮かぶ。

百物語』杉浦日向子(新潮文庫、1995年)/杉浦の漫画作品を初めて読んだ。絵もストーリーもしっくりとせず。これは好みの問題である。

「悪魔祓い」の現在史 マスメディアの歪みと呪縛』稲垣武(文藝春秋、1997年)/『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』とは異なり感情が前面に出ている。その苛立ちが読者を不快にする。イデオロギーや反イデオロギーに基づく著書は少し時間を置いてから読むと紙価がおのずと判明する。保守論壇はマチズモに傾きやすい。これを知性とユーモアにまで高める必要があろう。

東京裁判 フランス人判事の無罪論』大岡優一郎(文春新書、2012年)/著者はテレビマン。文章が気取っていて中々本題に入らない。「アンリ・ベルナールはパルより凄い」としながらも手の内を隠してもったいぶっている。決してよいテキストではないが「日本の近代史を学ぶ」には入れておく。

街道をゆく 40 台湾紀行』司馬遼太郎(朝日新聞社、1994年/朝日文庫、2009年)/高砂族の件(くだり)を確認。あとは飛ばし読み。改行が目立つ。宮城谷昌光の文体は司馬遼太郎の影響を受けているようだ。

サンカ 幻の漂泊民を探して』『幻の漂泊民・サンカ』沖浦和光、『サンカと三角寛 消えた漂泊民をめぐる謎』礫川全次/ひょっとして高砂族は山窩(サンカ)となって日本に居ついたのではないかと考えたのだが、当て推量が外れた。三角寛〈みすみ・かん〉という人物による創作が大きいらしい。

日本と台湾』加瀬英明(祥伝社新書、2013年)/テーマがやや曖昧で総花的に感じた。鋭さを欠く。

風の書評』風(ダイヤモンド社、1980年)/「風」を名乗る匿名書評。昔、一度読んでいる。谷沢永一が絶賛していた。その後、書評子は朝日新聞記者であった百目鬼恭三郎〈どうめき・きょうざぶろう〉と判明した。博覧強記から下される批判は手厳しく、鉄槌を思わせる。衣鉢(いはつ)を継ぐのは高島俊男あたりか。ただし百目鬼の舌鋒がどんなに鋭くても、彼が小説を物することはなかったことを忘れてはなるまい。評者は作り手に依存するのだ。

 88冊目『インテリジェンス戦争の時代 情報革命への挑戦』藤原肇(山手書房新社、1991年)/天才本。インテリジェンスものの嚆矢(こうし)か。エントロピーにまで目配りをしているとは藤原恐るべし。政界の裏情報にも通じていて理論だけではなく実践の裏付けがある。唯一の瑕疵は自画自賛癖。やはり世間からの評価の低さが気になっているのだろう。アメリカ暮らしに由来する自己主張とは思えない。私が読んできた藤原本の中では断然1位。

 89冊目『借金の底なし沼で知ったお金の味 25歳フリーター、借金1億2千万円、利息24%からの生還記』金森重樹〈かなもり・しげき〉(大和書房、2009年)/「フリーターといっても東大卒だろ?」と思ってしまえばそれまでである。確かに片っ端から行政書士などの資格を取得するところなどは常人の及ばぬところであるが鍵は違うところにある。結局、資本主義では「借金を回して投資で増やす」者が勝利を収め、勝った者は更なる投資を続けて富を蓄積する。原理は『金持ち父さん貧乏父さん』と一緒だが、金森はロバート・キヨサキをも批判してみせる。田舎から出てきた若者を騙す大人がいるという現実が恐ろしい。私だったら相手を手に掛けていることだろう。

 90冊目『パール判事の日本無罪論』田中正明(慧文社、1963年/小学館文庫、2001年)/感動した。感動のあまりアンリ・ベルナール本を読めなくなった。インドから受けた恩を日本人は忘れてはならない。日本の法学部はパール意見書を中心に据えて国際法を学ぶべきだ。パール判事の名を高らしめる責務がある。

 91-93冊目『きりひと讃歌 1』『きりひと讃歌 2』『きりひと讃歌 3』手塚治虫(COMコミックス増刊、1972年/小学館文庫、1994年)/文庫だと読みにくいので『きりひと讃歌 1』『きりひと讃歌 2』のビッグコミックススペシャル版をおすすめする。ただし小学館文庫版には養老孟司の解説がある。町山智浩が『セデック・バレ』のレビューで「高砂族を知ったのは手塚治虫先生の『きりひと讃歌』という傑作漫画」と語っていた。正直に告白しよう。私は手塚治虫の絵があまり好きじゃない。それでも何とか最後まで読んだ。容貌が犬のようになってしまうモンモウ病という奇病をめぐる物語である。そこに日本医師会を巡る政争と陰謀が絡む。強姦シーンもあって少々たじろいだ。結局のところ見た目に左右されてしまう差別観を描くだけにとどまっているように感じた。私みたいな乱暴者からすれば復讐の仕方も甘すぎる。そして何よりもタイトルが示している通り、キリスト教を賛美する姿勢に嫌悪感を覚える。

2017-12-14

巧妙に左方向へ誘導する本の数々/『「知的野蛮人」になるための本棚』佐藤優


『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』小林よしのり
・『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論 2』小林よしのり
・『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論 3』小林よしのり
『ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論』小林よしのり
『戦争論争戦』小林よしのり、田原総一朗

 ・巧妙に左方向へ誘導する本の数々

『打ちのめされるようなすごい本』米原万里
佐藤優は現代の尾崎秀実

 ――つまらない本の見分け方を教えてください。
 その前に、どうしてつまらないスカ本が出版されると思いますか?
 ――書き手に才能がないからですか?
 それもありますが、重要なのは、本は「有価証券」だということ。出せばお金に換えられるということです。
 出版社で社員が20人を超えると、編集者が作りたくなくて、営業も売りたくなくて、取次(出版社と書店の間をつなぐ流通業者)もありがたがらない、本屋も起きたくない本がどうしてもできてしまう。資本主義ですから。
 だから、読者は「スカ本と、そうでない本を見分ける方法」をちゃんと学んでおかなくてはいけません。
 どうするかというと、本の「真ん中」をまず読むのです。
 ――本のど真ん中を開いて、何を確かめるのですか?
 なぜ真ん中を読むか。時間が足りずに雑に作って出している本は、真ん中あたりに誤植が多い。
 それから、自分が知っている分野の固有名詞がでたらめな場合もダメ。そんな本を出している出版社は、いい加減な本を作る傾向があるから、警戒した方がいいでしょう。(聞き手 小峯隆生)

【『「知的野蛮人」になるための本棚』佐藤優(PHP文庫、2014年)】

 冒頭で佐藤が推す「本読み」巧者として松岡正剛〈まつおか・せいごう〉、斎藤美奈子鹿島茂立花隆佐高信〈さたか・まこと〉の5人を挙げる。松岡・佐高は言わずと知れた極左で、斎藤はフェミニズム左翼である。

 私程度の読書量でも「巧妙に左方向へ誘導する本の数々」とわかる。山口二郎や大田昌秀の名前を見て読むのをやめた。

 佐藤優が山口二郎を絶賛したのは新党大地が立ち上げた直後の講演であったと記憶する。当時、山口は北大教授だった。その後、山口は半安倍の急先鋒となり、佐藤は巧妙に沖縄の世論形成をリードしてきた。2015年に行われた辺野古基地反対の沖縄県民大会でのスピーチこそが佐藤の行ってきた工作の目的であろう。

「東京の窓から」は石原慎太郎が都知事をしていた時の番組である。YouTubeからは削除されている。私はこれを見て佐藤優という人物が信用できなくなった。


 石原慎太郎が4歳年上である。佐藤優とよく比較してもらいたい。菅沼光弘はまさしく国士である。インテリジェンスに通じた二人だが決定的な違いだ。私は菅沼の著書は全て読んできたが国士であるという一点がブレることはない。尚、菅沼がCIAに殺害されないのは山口組がガードしているため。戦後、東大を卒業しドイツに留学。ゲーレン機関(連邦情報局)で諜報教育を受ける。ラインハルト・ゲーレンにも一度会っている。








「知的野蛮人」になるための本棚 (PHP文庫)
佐藤 優
PHP研究所 (2014-05-02)
売り上げランキング: 83,127

2015-05-31

日本の近代史を学ぶ


     ・キリスト教を知るための書籍
     ・宗教とは何か?
     ・ブッダの教えを学ぶ
     ・悟りとは
     ・物語の本質
     ・権威を知るための書籍
     ・情報とアルゴリズム
     ・世界史の教科書
     ・日本の近代史を学ぶ
     ・虐待と知的障害&発達障害に関する書籍
     ・時間論
     ・身体革命
     ・ミステリ&SF
     ・必読書リスト

『「戦争と平和」の世界史 日本人が学ぶべきリアリズム』茂木誠
『敗者の条件』会田雄次
『お金の流れで読む日本の歴史 元国税調査官が古代~現代にガサ入れ』大村大次郎
『国民の歴史』西尾幹二
『国家の品格』藤原正彦
『お江戸でござる』杉浦日向子
『狗賓童子(ぐひんどうじ)の島』飯嶋和一
『戦国日本と大航海時代 秀吉・家康・政宗の外交戦略』平川新
『日本の知恵 ヨーロッパの知恵』松原久子
『驕れる白人と闘うための日本近代史』松原久子
『日本人の誇り』藤原正彦
『自由と民主主義をもうやめる』佐伯啓思
『鉄砲を捨てた日本人 日本史に学ぶ軍縮』ノエル・ペリン
『逝きし世の面影』渡辺京二
『シドモア日本紀行 明治の人力車ツアー』エリザ・R・シドモア
『お金で読み解く明治維新 薩摩、長州の倒幕資金のひみつ』大村大次郎
『幕末外交と開国』加藤祐三
『現代語縮訳 特命全権大使 米欧回覧実記』久米邦武
『福翁自伝』福澤諭吉
『氷川清話』勝海舟:江藤淳、松浦玲編
武士の娘 (ちくま文庫)武士の娘 日米の架け橋となった鉞子とフローレンス (講談社+α文庫)
『武家の女性』山川菊栄
『乃木大将と日本人』スタンレー・ウォシュバン
・『世界史劇場 日清・日露戦争はこうして起こった』神野正史
『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人
『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛
『北京燃ゆ 義和団事変とモリソン』ウッドハウス暎子
『日露戦争を演出した男 モリソン』ウッドハウス暎子
『五・一五事件 海軍青年将校たちの「昭和維新」』小山俊樹
『昭和陸軍全史1 満州事変』川田稔
『陸軍80年 明治建軍から解体まで(皇軍の崩壊 改題)』大谷敬二郎
『二・二六帝都兵乱 軍事的視点から全面的に見直す』藤井非三四
『敵兵を救助せよ! 英国兵422名を救助した駆逐艦「雷」工藤艦長』惠隆之介
『きけ わだつみのこえ 日本戦没学生の手記』日本戦没学生記念会編
『国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖國の言乃葉100選』小林よしのり責任編集
『大空のサムライ』坂井三郎
『父、坂井三郎 「大空のサムライ」が娘に遺した生き方』坂井スマート道子
『今日われ生きてあり』神坂次郎
『月光の夏』毛利恒之
『神風』ベルナール・ミロー
『高貴なる敗北 日本史の悲劇の英雄たち』アイヴァン・モリス
『英霊の絶叫 玉砕島アンガウル戦記』舩坂弘
証言 台湾高砂義勇隊
『アーロン収容所 西欧ヒューマニズムの限界』会田雄次
『F機関 アジア解放を夢みた特務機関長の手記』藤原岩市
黎明の世紀―大東亜会議とその主役たち 革命家チャンドラ・ボース―祖国解放に燃えた英雄の生涯 (光人社NF文庫)
『日本のいちばん長い日 決定版』半藤一利
『機関銃下の首相官邸 二・二六事件から終戦まで』迫水久恒
『アメリカの鏡・日本 完全版』ヘレン・ミアーズ
東京裁判とその後 - ある平和家の回想 (中公文庫)東京裁判―フランス人判事の無罪論 (文春新書)
『パール判事の日本無罪論』田中正明

ゴーマニズム宣言SPECIAL パール真論パール博士「平和の宣言」共同研究 パル判決書(上) (講談社学術文庫)共同研究 パル判決書(下) (講談社学術文庫)
・『東京裁判 全訳 パール判決書
『石原莞爾 マッカーサーが一番恐れた日本人』早瀬利之
『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』増田俊也
『大本営参謀の情報戦記 情報なき国家の悲劇』堀栄三
『消えたヤルタ密約緊急電 情報士官・小野寺信の孤独な戦い』岡部伸
『昭和陸軍謀略秘史』岩畔豪雄
『世界が語る大東亜戦争と東京裁判 アジア・西欧諸国の指導者・識者たちの名言集』吉本貞昭
世界がさばく東京裁判閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本 (文春文庫)GHQ焚書図書開封1: 米占領軍に消された戦前の日本 (徳間文庫カレッジ に 1-1)
『國破れて マッカーサー』西鋭夫
『日本永久占領 日米関係、隠された真実』片岡鉄哉
『日米・開戦の悲劇 誰が第二次大戦を招いたのか』ハミルトン・フィッシュ
『二世兵士 激戦の記録 日系アメリカ人の第二次大戦』柳田由紀子
『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』長勢了治
『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』兵頭二十八
『「日本国憲法」廃棄論 まがいものでない立憲君主制のために』兵頭二十八
『日本の秘密』副島隆彦
『大東亜戦争肯定論』林房雄
『大東亜戦争で日本はいかに世界を変えたか』加瀬英明
日本人として知っておきたい外交の授業
『封印の昭和史 [戦後五〇年]自虐の終焉』小室直樹、渡部昇一
『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する』小室直樹
・『インテリジェンス戦争の時代 情報革命への挑戦』藤原肇
『日本の敗因 歴史は勝つために学ぶ』小室直樹
あの戦争になぜ負けたのか (文春新書)
『われ巣鴨に出頭せず 近衛文麿と天皇』工藤美代子
『大東亜戦争とスターリンの謀略 戦争と共産主義』三田村武夫
『日本人が知らない最先端の「世界史」』福井義高
『昭和の精神史』竹山道雄
『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘編
『ビルマの竪琴』竹山道雄
『みじかい命』竹山道雄
『歴史的意識について』竹山道雄
『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『人種差別から読み解く大東亜戦争』岩田温
『植民地残酷物語 白人優越意識を解き明かす』山口洋一
『敗戦への三つの〈思いこみ〉 外交官が描く実像』山口洋一
『腑抜けになったか日本人 日本大使が描く戦後体制脱却への道筋』山口洋一
『いま沖縄で起きている大変なこと 中国による「沖縄のクリミア化」が始まる』惠隆之介
『戦後史の正体 1945-2012』孫崎享
『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』稲垣武
『ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論』小林よしのり
日本人としてこれだけは知っておきたいこと (PHP新書)保守も知らない靖国神社 (ベスト新書)
『日本の敵 グローバリズムの正体』渡部昇一、馬渕睦夫
『誰も教えないこの国の歴史の真実』菅沼光弘
よくわかる慰安婦問題 (草思社文庫)ヤクザと妓生が作った大韓民国 ~日韓戦後裏面史
『戦国日本と大航海時代 秀吉・家康・政宗の外交戦略』平川新
『陸奥宗光とその時代』岡崎久彦
『陸奥宗光』岡崎久彦
『小村寿太郎とその時代』岡崎久彦
『幣原喜重郎とその時代』岡崎久彦
『重光・東郷とその時代』岡崎久彦
『吉田茂とその時代 敗戦とは』岡崎久彦
『米国の日本占領政策 戦後日本の設計図』五百旗頭真
『武士道』新渡戸稲造:矢内原忠雄訳
『国のために死ねるか 自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動』伊藤祐靖
『昭和45年11月25日 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃』中川右介
『自衛隊「影の部隊」 三島由紀夫を殺した真実の告白』山本舜勝
『三島由紀夫と「天皇」』小室直樹
『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫
『徳富蘇峰終戦後日記 『頑蘇夢物語』』徳富蘇峰
『日本人と戦争 歴史としての戦争体験』大濱徹也
『悪の論理 ゲオポリティク(地政学)とは何か』倉前盛通
『新・悪の論理』倉前盛通
『悪の運命学 ひとを動かし、自分を律する強者のシナリオ』倉前盛通
『さらば群青 回想は逆光の中にあり』野村秋介
『世界史講師が語る 教科書が教えてくれない 「保守」って何?』茂木誠

2019-12-02

ロックフェラーとニュー・ワールド・オーダー/『悪の宗教パワー 日本と世界を動かす悪の論理』倉前盛通


『小室直樹vs倉前盛通 世界戦略を語る』世界戦略研究所編
『悪の論理 ゲオポリティク(地政学)とは何か』倉前盛通
『新・悪の論理』倉前盛通
『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘編
『情報社会のテロと祭祀 その悪の解析』倉前盛通
『自然観と科学思想』倉前盛通
『悪の超心理学(マインド・コントロール) 米ソが開発した恐怖の“秘密兵器”』倉前盛通
『悪の運命学 ひとを動かし、自分を律する強者のシナリオ』倉前盛通
『悪の戦争学 国際政治のもう一つの読み方』倉前盛通
『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹

 ・ロックフェラーとニュー・ワールド・オーダー

 現在アメリカで最も有名なジャーナリストのひとりであり、スタンフォード大学で歴史を学び、後にカリフォルニア州立大学で国際問題を研究したゲイリー・カレン著の『ロックフェラー・ファイル』の次の一文が目をひく。
“現在、ロックフェラー・グループは、世界の大衆を着実に「大合併」へと導くために、計画的に人口問題、石油危機、食糧危機、あるいは通貨不安を演出し、これらの「危機」を打開するためには「国際管理」が必要であると我々に訴えている。この驚くべき計画を立案するためにあたり、その基礎をほとんど手がけたのが、かの有名なキッシンジャー博士だ”

【『悪の宗教パワー 日本と世界を動かす悪の論理』倉前盛通〈くらまえ・もりみち〉(広済堂ブックス、1986年)】

「ゲイリー・カレン」となっているが正しくはゲイリー・アレンのようだ(『The Rockefeller File』/『ロックフェラー帝国の陰謀 見えざる世界政府 Part1』『ロックフェラー帝国の陰謀 見えざる世界政府 Part2』高橋良典訳、自由国民社、1984年、1986年)。

 ロックフェラーとロスチャイルドを比較したのが以下の図である。


 所謂「ニュー・ワールド・オーダー」(新世界秩序)である。この言葉はジョージ・H・W・ブッシュ大統領が湾岸戦争前に連邦議会で行った『新世界秩序へ向けて』というスピーチで有名になった。それが1990年の9月11日であったことから9.11テロ陰謀説が唱えられるようになった経緯がある。

 1989年にベルリンの壁が崩壊し、翌1990年にドイツが統一される。同年、マルタ会談にて冷戦の終結が宣言され、1991年にソ連が解体された。よく憶えている。私は20代後半だった。日本はバブル景気に浮かれて世間全体が祭りのような熱気に包まれていた。ビル・クリントン大統領が対日経済戦争を布告し、日本の富はあっという間に簒奪(さんだつ)され“失われた20年”が始まるのである(『この国の権力中枢を握る者は誰か』菅沼光弘)。

 アメリカはアジア・中東で好き勝手に戦争を行い、9.11テロ後は対テロの名目で経済制裁を加え、その一方で民主化を扇動してきた。カラー革命に資金援助をしていたのはジョージ・ソロスである。民主化さえ実現できれば後は金融とメディアで望む方向に動かすことができる。ユダヤ財閥はそう考える。

 キッシンジャーはロックフェラー家の番頭のような存在だ。日本にとって最大の問題はG2構想が生きているのかどうかである。私はなくなっていないと考える。米中貿易戦争はヤラセだろう。アメリカが世界から退いて保護主義に向かっているわけだから、その分中国が前に出るのは当然だろう。沖縄から米軍が撤退するのも数年以内のことと思われる。

 第二次世界大戦以降、「東アジアを不安定にする」のがアメリカの戦略であった。日本を取り巻く島嶼(とうしょ)部の国土紛争もアメリカが蒔(ま)いていった種だ。

 9.11テロを経て「世界は多極化に向かう」というのが玄人(くろうと)筋の見立てであった。多極化には必ず紛争が伴うがそれを予測する人を私は知らない。東アジアと中東で戦乱が起こるのは必至だろう。

 話は変わるがユダヤ資本に牛耳られた世界を変えようとして誕生したのがビットコインであった(『デジタル・ゴールド ビットコイン、その知られざる物語』ナサニエル・ポッパー)。

 ヨーロッパに銀行大帝国を築いたロスチャイルド家の兄弟の母は、戦争の勃発を恐れた知り合いの夫人に対して「心配にはおよびませんよ。息子たちがお金を出さないかぎり戦争は起こりませんからね」と答えたという。

【『嬉遊曲、鳴りやまず 斎藤秀雄の生涯』中丸美繪〈なかまる・よしえ〉(新潮社、1996年/新潮文庫、2002年)】

 テクノロジーが世界を変えようとした試みは呆気なく頓挫した。ビットコインの流通を許せば銀行システムは不要となる。そんな真似を彼らが許すはずもない。

 欧米の超エスタブリッシュメントが今も尚、ワン・ワールド体制を目指しているのかどうかはわからない。ただドルを見捨てることだけは明らかだろう。

2020-06-30

無責任な戦争アレルギー/『「戦争と平和」の世界史 日本人が学ぶべきリアリズム』茂木誠


『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹
『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する』小室直樹
『日本の敗因 歴史は勝つために学ぶ』小室直樹
『悪の戦争学 国際政治のもう一つの読み方』倉前盛通
『経済は世界史から学べ!』茂木誠
『世界のしくみが見える 世界史講義』茂木誠
『ゲームチェンジの世界史』神野正史

 ・国際法成立の歴史
 ・無責任な戦争アレルギー

『「米中激突」の地政学』茂木誠
『世界史講師が語る 教科書が教えてくれない 「保守」って何?』茂木誠

世界史の教科書
必読書リスト その四

 第二次世界大戦後の歴史教育は、戦争を悲惨なもの、あってはならないものとしてタブー視し、戦争について語ることさえはばかられるという風潮を作ってきました。サッカーの公式試合にぼろ負けしたチームが、敗因の分析をまったく行わず、「二度とサッカーはしない。ボールは持たない」と誓いを立てたのです。
 あの軍民合わせて300万人もの日本人を死に至らしめた満州事変から第二次世界大戦に至る戦争についても「そもそも間違っていた」と断罪するだけで、「なぜ負けたのか? 今後二度と負けないためにはどうすればよいのか?」という議論は封殺されてきたのです。
 しかし現実の世界では苛烈な「試合」が今も続いており、日本が望むと望まざるとにかかわらず、巻き込まれる可能性が高まってきました。北朝鮮の核兵器搭載可能な弾道ミサイルが日本列島の上空を通過し、中国海上警察の公船が日本の領海侵犯を繰り返しているのです。武力紛争に巻き込まれないためにはどうすればいいのか、もし巻き込まれた場合はどうするのか、を真剣に議論しないのは、あまりにも無責任だと思います。

【『「戦争と平和」の世界史 日本人が学ぶべきリアリズム』茂木誠〈もぎ・まこと〉(TAC出版、2019年)】

「ゲームに負けた」というカテゴライズだと戦争とサッカーにさしたる差はない。確かに。それまで馬関戦争薩英戦争など特定の地域が敗れたことはあった。黒船ペリーに膝は屈したものの倒れはしなかった。日米戦争は日本にとって初めての敗北であった。その衝撃はあまりにも大きかった。日本人の精神的な空白状態を衝いてGHQが洗脳を施した(WGIP)。吉田茂首相は粘り腰で老獪(ろうかい)な交渉を行ったが、マッカーサーの顔ばかり窺って国民の表情を見ることがなかった。日本人は一種のPTSD(心的外傷後ストレス障害)状態に陥り、生々しい記憶を封印した。明治以降の急激な近代化を想えば、虐待された幼児のような心理状態であったことだろう。

 敗戦の原因を軍部の暴走に求めるのは左翼史観で日本が民主政であった事実を見失っている。日清戦争の三国干渉以降、日本国民は臥薪嘗胆(がしんしょうたん)を合言葉にロシアへの報復を待った。その後日露戦争には勝利したものの大きな戦果はなかった。こうした心理的抑圧は第一次世界大戦の戦勝国となったことで益々肥大していったのだろう。抑圧を解消するには戦争をする他なかった。その姿は家庭内暴力に目覚めた中高生のような姿であった。しかし白人帝国主義を打ち破ったわけだから彼らの権益を奪ったことは大いなる戦果とせねばなるまい。

 GHQ支配の往時を知るアメリカ人は日本がいまだに憲法第9条を改正していない事実に皆驚く。「確かに我々はあの時、日本から爪と牙をもぎ取ったが、その後のことは自分たちで選択したのだろう。それをアメリカのせいにするのはお門違いだ」と言う。アメリカからの政治的圧力は現在でもある。日本の政治家は結局吉田茂と同じ道を歩んだといってよい。しかしながらそれは飽くまでも経済面に限られていた。

 戦争アレルギーは1960年代の学生運動や進歩的文化人の言論を通して強化された。彼らの目的は日本を「戦争のできない国」にすることだった。ソ連が侵略する地ならしをしていたのだ。ベトナム戦争反対運動やウーマンリブ運動は何となく時代の先端を行っているようなムードがあった。その後、左翼知識人は犯罪をおかした少年の権利を擁護し、ジェンダー問題(女性の権利)~セクハラ糾弾、環境問題など、手を変え品を変え伝統的文化の破壊を試みている。

 中国や北朝鮮は既に沖縄と北海道を侵略しつつあるが日本政府は何ら対応をしようとしていない。将棋でいえば先手が10手くらい指したような状態だ。ここから挽回するのは難しいだろう。日中戦争は必至と見ているが勝てる見込みが年々薄くなっている。

2018-08-28

「人種差別」こそが大東亜戦争の遠因/『人種差別から読み解く大東亜戦争』岩田温


『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス
『生活の世界歴史 9 北米大陸に生きる』猿谷要
『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン
『学校では絶対に教えない植民地の真実』黄文雄
『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『大東亜戦争で日本はいかに世界を変えたか』加瀬英明
『世界が語る大東亜戦争と東京裁判 アジア・西欧諸国の指導者・識者たちの名言集』吉本貞昭

 ・「人種差別」こそが大東亜戦争の遠因
 ・ポルトガル人の奴隷売買に激怒した豊臣秀吉

『植民地残酷物語 白人優越意識を解き明かす』山口洋一
・『パール判事の日本無罪論』田中正明

・『だから、改憲するべきである』岩田温

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 何故、日本人は戦争を選んだのでしょうか。驕っていたとの批判は甘受しても構いません。何故に、日本人は戦争を選んだのでしょうか。この問いこそが重要です。
 戦争を選択した日本側の動機を探っていく上で極めて参考になるのが、昭和天皇の御指摘です。
 昭和天皇は、独白録の冒頭で、「大東亜戦争の原因」について次のように指摘しています。

「この原因を尋ねれば、遠く第一次世界大戦后の平和条約の内容に伏在している。日本の主張した人種平等案は列国の容認する処とならず。黃白の差別感は依然残存し加州移民拒否の如きは日本国民を憤慨させるに充分なものである。又青島還附を強いられたこと亦然りである。かかる国民的憤慨を背景として一度、軍が立ち上がった時に、之を抑へることは容易な業ではない。」
(『昭和天皇独白録』文藝春秋)

 昭和天皇は、大東亜戦争の遠因が、第一次世界大戦の平和条約、すなわちベルサイユ条約の中に存在していることを指摘しています。そして、国際連盟設立の際に日本が主張して、アメリカ、イギリスによって退けられた「人種平等案」について言及しています。さらに、アメリカのカリフォルニア州における排日移民法の存在についても言及しているのです。
 ここで昭和天皇が指摘しているのは、一言でいえば「人種差別」の問題です。昭和天皇は「人種差別」こそが大東亜戦争の遠因であったと指定記してえいるのです。
 大東亜戦争と人種差別。
 普段、意識されることの少ない組み合わせなのではないでしょうか。
 何故に、大東亜戦争が人種差別と深く関わっているのか。それは、大東亜戦争が、「人種平等」という理念を掲げた戦争であったからです。「侵略戦争」というイメージが先行する大東亜戦争ですが、当時の日本人が掲げた大義は「人種平等」だったのです。

【『人種差別から読み解く大東亜戦争』岩田温〈いわた・あつし〉(彩図社、2015年/オークラNEXT新書、2012年『だから、日本人は「戦争」を選んだ 』改訂改題)】

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』(ジェラルド・ホーン著)の直後に読んだのはタイミングがドンピシャリだった。本と本がつながる快感は何ものにも代え難い。脳内の配線がすっきりする。

 人種差別が大東亜戦争の導火線となったことを知らない日本人が大半であろう。私もそうだった。「どうしてこれほど大切な歴史を学校で教えないのか?」という率直な疑問が強い怒りと共に湧いてきた。

 簡単に歴史を振り返ってみよう。

 大東亜戦争(1941-45年〈昭和16-20〉:※日中戦争〈1937:昭和12年-〉を含まず)は自衛目的で始め、後にアジアを植民地から解放することを目指した戦争であった。

 1924年(大正13年)にアメリカで排日移民法が成立する(日本のほっぺたをひっぱたいた排日移民法 - かつて日本は美しかった)。低賃金でも黙々と真面目に働く日本人移民をアメリカ人労働者は許せなかった。そして日本人児童を差別のターゲットにしたのだ。

 1921-22年(大正10-11)ワシントン海軍軍縮条約ワシントン海軍軍備制限条約)で日英同盟が失効した(日英同盟破棄)。

 1919年(大正8年)1月14日、第一次世界大戦後に開かれたパリ講和会議において日本は人種的差別撤廃提案を行った。「国際会議において人種差別撤廃を明確に主張した国は日本が世界で最初である」(Wikipedia)。賛成11票、反対・保留5票という結果となったが議長を務めたウッドロウ・ウィルソン米大統領が「全会一致でないため提案は不成立である」とちゃぶ台返しをする。最も強く反対したのは白豪主義を唱えるオーストラリアであった。

 第一次世界大戦(1914-18年)で日本は勝利した連合国側に加わった。国際的な地位は格段に上がり、国際連盟の常任理事国入り(列強の仲間入り)を果たす。

 1904-05年(明治37-38)日露戦争。歴史上初めて有色人種が白人を打ち破った戦争で、世界中の有色人種が狂喜した。後に白人帝国主義を倒す最大の要因となる。日本は明治開国以来の不平等条約を克服する(日露戦争が世界に与えた衝撃/『世界が語る大東亜戦争と東京裁判 アジア・西欧諸国の指導者・識者たちの名言集』吉本貞昭)。

 1894-95年(明治27-28)日清戦争。日本は戦勝国となり、イギリスに治外法権を撤廃させる。ところが三国干渉ロシアの南下政策と三国干渉について | 日本の歴史についてよく分かるサイト)があり、日本国民の間で「臥薪嘗胆」(がしんしょうたん)が合言葉となる(三国干渉における臥薪嘗胆 | 日本の歴史についてよく分かるサイト)。

 19世紀半ば-20世紀前半に欧米豪で黄禍論(おうかろん/こうかろん)が唱えられる。日露戦争に勝利したことで黄色人種脅威論が欧州全体に広まる。

 1853年(嘉永6年)黒船来航砲艦外交の末に1854年(嘉永7年)日米和親条約締結日本の開国)。日本は開国するも不平等条約に長く苦しめられることになる。

 1639-1854年(寛永16-嘉永7)鎖国。鎖国体勢は徳川家光が完成させたが、発端はキリシタン禁制(禁教令)で豊臣秀吉のバテレン追放令(1587年:天保15)までさかのぼることができる(『戦国日本と大航海時代 秀吉・家康・政宗の外交戦略』平川新〈ひらかわ・あらた〉)。

 最低でもこの程度の流れは踏まえておくべきである。豊臣秀吉はポルトガル、スペインを中心とする大航海時代(15世紀半ば-17世紀後半)の動きを鋭く察知していた。明治維新も阿片戦争(1840年)という背景があった。すなわち日本は辺境でありながらも国際情報に対して敏感な危機感を持って対応してきたのだ。

 昨今の日本史本ブームに対して、「またぞろ江戸万歳本ですか」みたいな揶揄(やゆ)を飛ばす者がいるが、植民地の悲惨を知らぬ底の浅さを露呈している。同じ時代に黒人やインディアンがどんな目に遭ったと思っているんだ?

 東京裁判(極東国際軍事裁判/1946-48年〈昭和21-23〉)は500年も続いた白人帝国主義を崩壊させた日本人に対する公開処刑であった。そのために日本は大量虐殺を行ったナチスと同列にさせられたのだ。我々の父祖が大東亜戦争で立ち上がったことによって世界の植民地は白人の手から解放された。米国内の黒人も日本に続いて立ち上がったのである。

2018-08-07

東亜百年戦争/『大東亜戦争肯定論』林房雄


『獄中獄外 児玉誉士夫日記』児玉誉士夫
『日本人の誇り』藤原正彦

 ・東亜百年戦争

・『緑の日本列島 激流する明治百年』林房雄

必読書リスト その四
日本の近代史を学ぶ

 さて、やっと私の意見をのべる番がめぐってきたようだ。
 私は「大東亜戦争は百年戦争の終曲であった」と考える。ジャンヌ・ダルクで有名な「英仏百年戦争」に似ているというのではない。また、戦争中、「この戦争は将来百年はつづく。そのつもりで戦い抜かねばならぬ」と叫んだ軍人がいたが、その意味とも全くちがう。それは今から百年前に始まり、【百年間戦われて終結した】戦争であった。(中略)
 百年戦争は8月15日に終った。では、いつ始まったのか。さかのぼれば、当然「明治維新」に行きあたる。が、明治元年ではまだ足りない。それは維新の約20年前に始まったと私は考える。私のいう「百年前」はどんな時代であったろうか?(中略)

 米国海将ペルリの日本訪問は嘉永6年、1853年の6月。明治元年からさかのぼれば15年前である。それが「東亜百年戦争」の始まりか。いや、もっと前だ。この黒船渡来で、日本は長い鎖国の夢を破られ、「たった四はいで夜も寝られぬ」大騒ぎになったということになっているが、これは狂歌的または講談的歴史の無邪気な嘘である。
 オランダ、ポルトガル以外の外国艦船の日本近海出没の時期はペルリ来航からさらに7年以上さかのぼる。それが急激に数を増したのは弘化年間であった。そのころから幕府と諸侯は外夷対策と沿海防備に東奔西走させられて、夜も眠るどころではなかった。

【『大東亜戦争肯定論』林房雄(中公文庫、2014年/番町書房:正編1964年、続編1965年/夏目書房普及版、2006年/『中央公論』1963~65年にかけて16回に渡る連載)】

 歴史を見据える小説家の眼が「東亜百年戦争」を捉えた。私はつい先日気づいたのだが、ペリーの黒船出航(1852年)からGHQの占領終了(1952年)までがぴったり100年となる。日本が近代化という大波の中で溺れそうになりながらも、足掻き、もがいた100年であった。作家の鋭い眼光に畏怖の念を覚える。しかも堂々と月刊誌に連載したのは、反論を受け止める勇気を持ち合わせていた証拠であろう。連載当時の安保闘争があれほどの盛り上がりを見せたのも「反米」という軸で結束していたためと思われる。『国民の歴史』西尾幹二、『國破れてマッカーサー』西鋭夫、『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』兵頭二十八、『日本永久占領 日米関係、隠された真実』片岡鉄哉の後に読むのがよい。「必読書」入り。致命的な過失は解説を保阪正康に書かせたことである。中央公論社の愚行を戒めておく。西尾幹二か中西輝政に書かせるのが当然であろう。(読書日記転載)

 目から鱗(うろこ)が落ちるとはこのことだ。東京裁判史観に毒された我々は【何のために】日本が戦争をしてきたのかを知らない。「教えられなかったから」との言いわけは通用しない。朝日新聞が30年にもわたってキャンペーンを張ってきた慰安婦捏造問題や、韓国が世界各地に設置している慰安婦像のニュースは誰もが知っているはずだ。少しでも疑問を持つならば自分で調べるのが当然である。その程度の知的作業を怠る人はとてもじゃないが自分の人生を歩んでいるとは言えないだろう。情報の吟味を欠いた精神態度は必ず他人の言葉を鵜呑みにし、価値観もコロコロと変わってしまう。

 林房雄を1845年(弘化元年)から1945年までを100年としているが、私は、マシュー・ペリーがアメリカを出港した1852年(嘉永5年)からGHQの占領が終った1952年(昭和27年)までを100年とする藤原正彦説(『日本人の誇り』)を支持する。更に言えば東亜百年戦争の準備期間として2世紀にわたる鎖国(1639年/寛永16年-1854年/嘉永7年)があり、日本人が外敵に警戒するようになったのは豊臣秀吉バテレン追放令(1587年/天正15年)にまでさかのぼる。

 つまりだ、15世紀半ばに狼煙(のろし)を上げたヨーロッパ人による大航海時代(-17世紀半ば)の動きを日本は鋭く察知していたのだ。帝国主義の源流を辿ればレコンキスタ(718-1492年)-十字軍(1096-1272年)にまで行き着く。モンゴル帝国が西ヨーロッパまで征服しなかったことが悔やまれてならない。

 こうして振り返れば西暦1000年代が白人覇権の時代であったことが理解できよう。そして大航海時代は有色人種が奴隷とされた時代であった。豊臣秀吉はヨーロッパ人が日本人を買い付けて奴隷にしている事実を知っていたのだ。その後日本は鎖国政策によってミラクルピース(世界史的にも稀な長期的な平和時代)と呼ばれる時代を迎えた。一旦は採用した銃を廃止し得たのも我が国以外には存在しない。

 戦前の全ての歴史を否定してみせたのが左翼による進歩史観である。「歴史は進歩するから昔は悪かった、否、悪くなければならない」という馬鹿げた教条主義だ。これを知識人たちはついこの間まで疑うことがなかった。鎖国も単純に閉鎖的な印象でしか語られてこなかった。武士という軍事力が植民地化を防ぐ力となった事実も忘れられている。

 世界史の動きや日本の来し方に思いを致さず、ただ単に大東亜戦争を侵略戦争だからという理由で国旗や国歌を拒否する人々がいる。しかも児童の教育に携わる教員の中にいるのだ。国家反逆罪で逮捕するのが筋ではないか。いかなる思想・宗教も自由であるべきだが国を否定する者はこの国から出てゆくべきである。

大東亜戦争肯定論 (中公文庫)
林 房雄
中央公論新社 (2014-11-21)
売り上げランキング: 27,486

2017-02-13

目次/『大東亜戦争とスターリンの謀略 戦争と共産主義』三田村武夫


『われ巣鴨に出頭せず 近衛文麿と天皇』工藤美代子

 ・目次
 ・共産主義者は戦争に反対したか?
 ・佐藤優は現代の尾崎秀実
 ・二・二六事件と共産主義の親和性

『軍閥 二・二六事件から敗戦まで』大谷敬二郎
『ヴェノナ』ジョン・アール・ヘインズ、ハーヴェイ・クレア
・『歴史の書き換えが始まった! コミンテルンと昭和史の真相』小堀桂一郎、中西輝政
・『日本人が知らない最先端の「世界史」』福井義高
日本の近代史を学ぶ

     目次

  解説篇

 まえがき

 序論 コムミニストの立場から

 1.コミンテルンの立場から
  第二次大戦とコミンテルン
  好ましい戦争陣形
  新しい戦略戦術
 2.日本の革命をいかにして実践するか
  戦術転換
  謀略コース・敗戦革命
  論理の魔術

 第一篇 第二次世界大戦より世界共産主義革命への構想とその謀略コースについて

 一、裏がへした軍閥戦争
  歴史は夜つくられる
  ロボットにされた近衛
  道化役者 政治軍人
 二、コミンテルンの究極目標と敗戦革命
  ――世界革命への謀略活動について――
  共産主義者は戦争に反対したか
  帝国主義戦争を敗戦革命へ
   レーニンの敗戦革命論
   コミンテルンの第六回大会の決議
  戦略戦術とその政治謀略教程
  日本に於ける謀略活動
   尾崎・ゾルゲ事件
   企画院事件
   昭和研究会の正体
   軍部内の敗戦謀略
  中国の抗日人民戦線と日華事変
  アメリカに於ける秘密活動
 三、第2次世界大戦より世界共産主義革命への構想
  ――尾崎秀實の手記より――
  偉大なるコムミニスト
  大正十四年から共産主義者
  共産主義の実践行動へ
  彼は何を考へてゐたか
  コミンテルンの支持及ソ連邦の防衛
  日本及アジアの共産主義革命
  第二次世界大戦より世界共産主義革命へ
  思想と目的を秘めた謀略活動

 第二篇 軍閥政治を出現せしめた歴史的条件とその思想系列について

 一、三・一五事件から満州事変
  左翼旋風時代の出現
   三・一五の戦慄
   一世を風靡したマルクス主義
   学内に喰い込んだマルクス主義
  動き出した右翼愛国運動
   発火点ロンドン条約問題
   志士「青年将校」の出現
   バイブル「日本改造法案
  満州事変へ
   軍閥政治のスタート、満蒙積極政策
   皇軍自滅へのスタート、三月事件
   満州事変へ
 二、満州事変から日華事変へ
  軍閥独裁への動力
   政治軍人の革命思想
   日華事変への足どり
    1.血盟団事件 2.満州建国宣言 3.五・一五事件 4.日満議定書調印 5.国際連盟脱退 6.神兵隊事件 7.満州国帝制実施 8.埼玉挺身隊事件 9.斎藤内閣総辞職 10.対満政治機構改革問題 11.陸軍国防パンフレット発行 12.士官学校事件 13.美濃部機関説問題 14.永田鐵山事件 15.倫敦軍縮会議脱退 16.二・二六事件 17.廣田内閣成立 18.陸・海軍大臣現役制復活 19.陸、海軍庶政一新の提案 20.軍部、政党の正面衝突 21.宇垣内閣流産 22.日華事変へ
   軍閥政治への制度的基礎
    対満政治機構改革問題
    陸、海軍大臣現役制確立
   軍閥政治の思想系列
    ナチズムスターリニズム
    現状打破 反資本主義革命

 第三篇 日華事変を太平洋戦争に追込み、日本を敗戦自滅に導いた共産主義者の秘密謀略活動について

 一、敗戦革命への謀略配置
  コミンテルンに直結した秘密指導部
   二七年テーゼから尾崎機関へ
   革命家としての尾崎秀實
  素晴らしい戦略配置
   陸軍政治幕僚との握手
   政府上層部へ
   官庁フラクション
   昭和研究会
   言論界
   協力者、同伴者、ロボット
   所謂転向者の役割
   何故成功したか
  二、日華事変より太平洋戦争へ
   日華事変に対する基本認識
    日華事変に対する認識
    軍隊に対する認識
   長期全面戦争へ
    秘密の長期戦計画
    政権の否認と長期戦への突入
    日華前面和平工作を打ち壊した者
    長期前面戦争への政治攻勢
   新政権工作の謀略的意義
    謀略政権の足跡
    政権の正体
   長期戦への理論とその輿論指導
   近衛新体制から太平洋戦争へ
    何の為の新体制か
    対米英戦争への理論攻勢とその輿論指導
   独ソ開戦とシベリヤ傾斜論
   かくて太平洋戦争へ
  三、太平洋戦争より敗戦革命へ
    革命へのプログラム
    敗戦コースへの驀進
     言論結社禁止法の制定
     翼賛選挙 東條ワン・マン政党出現
     戦時刑法改正 東條幕府法
     敗戦経済と企画院事件
     かくして敗戦へ

  資料篇

 一、『コミンテルン秘密機関』 尾崎秀實手記抜萃

(省略)

 二、日華事変を長期戦に、そして太平洋戦争へと理論的に追ひ込んで来た論文及主張

(省略)

 三、企画院事件の記録

(省略)

 四、対満政治機構改革問題に関する資料

(省略)

  あとがき

  書評 馬場恒吾 岩淵辰雄 阿部眞之助 鈴木文史朗 南原繁 島田孝一 小泉信三 田中耕太郎 飯塚敏夫

  序 岸信介
  復刊に際して 遠山景久

【『昭和政治秘録 戦争と共産主義』三田村武夫:岩崎良二編(民主制度普及会、1950年、発禁処分/『大東亜戦争とスターリンの謀略 戦争と共産主義』自由社、1987年、改訂版・改題/呉PASS出版、2016年/Kindle版、竹中公二郎編)】

 三田村武夫は1928年(昭和3年)から1932年(昭和7年)まで内務省警保局に勤務し、続いて1935年(昭和10年)まで拓務省管理局に異動となる。一貫して共産主義・国際共産党の調査研究に従事した人物である。その後、1936年(昭和11年)から10年間にわたって衆議院議員を務めた。政治家となってからは反政府・反軍部の旗を掲げ、憲兵と特高から追われる身となる。この間もコミンテルンと共産主義運動から目を逸(そ)らすことはなかった。

 本書は1950年(昭和25年)に刊行されるも、その衝撃的内容に驚いたGHQ民政局の共産主義者が直ちに発禁処分とした経緯がある。岸信介が本書を読んだのも自由社版が刊行される直前と思われる。目次をたどるだけでも史料的価値が窺えよう。



無意識の協力者/『ワシントン・スキャンダル』イーヴリン・アンソニー

2020-03-15

「シナ」と「中国」の区別/『封印の昭和史 [戦後五〇年]自虐の終焉』小室直樹、渡部昇一


・『危機の構造 日本社会崩壊のモデル』小室直樹
『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹
『悪の戦争学 国際政治のもう一つの読み方』倉前盛通
『日本教の社会学』小室直樹、山本七平
『税高くして民滅び、国亡ぶ』渡部昇一

 ・「シナ」と「中国」の区別

『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する』小室直樹
・『世紀末・戦争の構造 国際法知らずの日本人へ』小室直樹
・『日本の敗因 歴史は勝つために学ぶ』小室直樹
・『新世紀への英知 われわれは、何を考え何をなすべきか』渡部昇一、谷沢永一、小室直樹

〔付記〕

 対談の中で、「シナ」と「中国」は区別して用いた。中国は中華人民共和国や中華民国の略称としてのみ正当と言うべきであり、地理的、文化的概念としては用いることはできない。地理的概念、あるいは古代以来の文化的概念を指す場合は、「シナ」(英語のチャイナ)を用いることが正当であると、私は考える。中国という言葉の背景には、外国を夷狄戎蛮(いてきじゅうばん)と見なし、自らを高いものとする外国蔑視がある。
 また、コリアという擁護は、現在の北朝鮮、大韓民国の双方を含んで呼ぶ場合や、朝鮮半島を地理的概念として呼ぶ場合に用いている。
渡部昇一


【『封印の昭和史 [戦後五〇年]自虐の終焉』小室直樹〈こむろ・なおき〉、渡部昇一〈わたなべ・しょういち〉(徳間書店、1995年)】

 かつて石原慎太郎が「三国人」(2000年)とか「シナ」(2012年)とか言って問題にされたことがある。この発言をヘイトスピーチの嚆矢(こうし)とする人もいる。私自身、報道を真に受けて問題だと考えていた。本書を読むまでは。冒頭の付記で日本を取り巻く言論情況が一瞬にして理解できた。ちょっと考えてみれば誰でも気づくことだが「東シナ海」や「支那そば」に差別意識は全くない。「支那(しな)とは、中国またはその一部の地域に対して用いられる地理的呼称、あるいは王朝・政権の名を超えた通史的な呼称の一つである。日本では、江戸時代中期から第二次世界大戦末期まで広く用いられていた」(Wikipedia)。

 中華思想によれば朝廷に帰順しない民族は東夷(とうい)・北狄(ほくてき)・西戎(せいじゅう)・南蛮(なんばん)と呼ばれ、禽獣(きんじゅう)と同じ扱いを受ける(四夷)。つまり我々が中国と呼ぶことは日本人を東夷と貶(おとし)めていることに通じる。

都市革命から枢軸文明が生まれた/『一神教の闇 アニミズムの復権』安田喜憲

 現在左翼が糾弾するヘイトスピーチは在特会(在日特権を許さない市民の会)が始めたものだ。彼らはコリアンタウンで「良い韓国人も悪い韓国人もどちらも殺せ」「朝鮮人首吊レ毒飲メ飛ビ降リロ」などと書いたプラカードを掲げ、「殺せ、殺せ!」と街宣活動を行った。



「不逞鮮人を死ぬまで追い込め」「朝鮮人をガス室に送り込め」「朝鮮人なんて人間じゃないぞ」…今日の新大久保・嫌韓デモで飛び交った醜悪なシュプレヒコールをあえて記す。許さないためにも。

「ばーかばーか」「あっかんべー」とはデモのコーラーが用いていた表現です。この他、「ウジ虫」「ゴキブリ」「殺せ殺せ」「死ね」「不逞朝鮮 人を死ぬまで追い込むぞ」「ガス室に朝鮮人を叩き込め」「ぶさいく」「クサレマンコ」等の聞く(読む)に堪えない表現が多数用いられています。

日刊ベリタ : 記事 : 新大久保でまたもや在特会デモ  2月9日、「良い韓国人も 悪い韓国人も どちらも殺せ」のプラカード掲げ

 百田尚樹は桜井誠の選挙演説を「カッコいいね」と称えた。竹田恒泰は「(在特会の主張は)部分的には正しいことも言っている」とテレビで語った。彼らの性根が垣間見えた瞬間である。

 新しい歴史教科書をつくる会が結成される2年前に週刊文春編『徹底追及 「言葉狩り」と差別』(文藝春秋、1994年)が出た。『週刊金曜日』の創刊が1993年である。失われた20年はリベラルな雰囲気に包まれた時代であった。折しも1986年に施行された男女雇用機会均等法によって看護婦・スチュワーデス・保母さんが禁句となった。そういえば径書房〈こみちしょぼう〉編『『ちびくろサンボ』絶版を考える』(径書房、1990年)を読んだのもこの頃だ。ダッコちゃん人形が製造停止(1988年)となり、カルピスのマークも使用停止(1990年)に追い込まれた(黒人差別をなくす会)。

 平等を極限まで推し進めて古い伝統や文化を破壊するのが左翼の手口である。「言葉狩り」に異を唱えた書籍は他にもあったが、まだまだ左派系作家の影響が大きかった。現在でも『「徘徊」使いません 当事者の声踏まえ、見直しの動き』(朝日新聞デジタル、2018年3月24日)といった記事からも明らかなように一部の声を居丈高に拡大して言葉狩りを行っている。

 戦時中の「シナ人」という言葉に差別感情があったのは確かだろう。だが、「中国」という言葉が中華民国(現在の台湾)と中華人民共和国の違いすら見えなくし、第二次世界大戦後に建国された中華人民共和国があたかも戦勝国の一員であったかのような錯覚を抱かせる現状を思えば、我々はもっと歴史に忠実であるべきだ。青少年に反日教育を施す中国や韓国に遠慮するのは実に馬鹿げた行為だ。