2021-04-09

体罰・暴言で子どもの脳が「萎縮」「変形」 厚労省研究班が注意喚起


 福井大学子どものこころの発達研究センター教授・友田明美医師の研究によれば、厳しい体罰により、前頭前野(社会生活をする上で非常に重要な脳の部位)の容積が19.1%減少し、言葉の暴力により、聴覚野(声や音を知覚する脳の部位)が変形していた。

朽木誠一郎:体罰・暴言で子どもの脳が「萎縮」「変形」 厚労省研究班が注意喚起

子どもを健やかに育むために~愛の鞭ゼロ作戦(PDF)
愛の鞭ゼロ作戦 | 健やか親子21
体罰問題について~必要な体罰というものはありません~

 ・『子ども虐待という第四の発達障害』杉山登志郎
 ・『生ける屍の結末 「黒子のバスケ」脅迫事件の全真相』渡邊博史

スギ花粉症悪化の原因は大気中の鉛?…鼻から除去で緩和の可能性


 大気中に含まれる鉛がスギ花粉症の症状を悪化させる可能性があると、福井、名古屋両大の研究グループが発表した。

 患者の鼻汁には花粉の飛散時に花粉症ではない人よりも鉛が多く含まれていた。鼻の中の鉛を減らすことで、症状の緩和につながる可能性があるという。論文が米医学誌の電子版に掲載された。(桑田睦子)

 福井大の藤枝重治教授(耳鼻咽喉科・頭頸部外科学)らは2016、17年、花粉の飛散前と飛散時に、20~40歳代の患者44人と、花粉症ではない57人の鼻汁を採取し、大気汚染物質である鉛や水銀、カドミウムの量、患者らの症状を調べた。

 その結果、飛散前は双方の鉛濃度がほぼ同じだったが、飛散時は患者の方が40%程度高かった。測定した花粉の飛散量も踏まえると、花粉に付着した鉛が鼻の中に入って数日間残り、くしゃみや鼻づまりの症状を悪化させている可能性があるという。花粉症ではない人は鉛が鼻汁で洗い流されていることもわかった。

 一方、水銀やカドミウムは検出されなかった。

 また、アレルギー性鼻炎にしたマウスに鉛を与えると、くしゃみや鼻をこする回数が増え、鉛が症状悪化を招くことを確認した。鼻炎のマウスは1日後も鼻の中に鉛が残っていたが、鼻炎ではないマウスは、鉛が鼻汁で洗い流されてなくなっていたという。

 研究グループの坂下雅文・福井大講師(同)は「鼻うがいや睡眠時のマスク着用などで鼻の粘膜を湿らせ、鼻の鉛の量を減らすことができれば、症状が緩和できるのではないか」と説明。藤枝教授は「鉛を除去できる空気清浄機やマスクなどを創意工夫して発表したい」と述べた。

 アレルギー性鼻炎に詳しい桜井大樹・山梨大教授(耳鼻咽喉科・頭頸部外科学)の話「大気汚染物質でアレルギー症状が悪化するとされていたが、鉛だと特定され、重症化のメカニズムがわかったことを評価したい。今後、鉛が症状を悪化させる詳しい仕組みがわかれば、治療薬の開発なども期待できる」

【2021年4月5日 13時53分 読売新聞オンライン】

鼻腔内の鉛濃度はスギ花粉症の増悪因子 - 名古屋大学(PDF)

2021-04-07

「自然豊かな日本」という思い込み/『森林飽和 国土の変貌を考える』太田武彦


 このように、これらの古写真が写している明治時代から昭和時代中期までの山地・森林の状況は、現在の日本の森林の姿とはまるで異なっていたということがわかるだろう。実はこれらの古写真は荒廃の激しいところを選んで集めたものではない。場所はどこでもよかったのである。1950年代以前の、背景に山が写っている普通の農村の写真ならば、現在のような豊かな森は見えていないはずである。このころ、日本の森のかなりの部分はとても森とは呼べないほど衰退し、劣化していたのである。

【『森林飽和 国土の変貌を考える』太田猛彦〈おおた・たけひこ〉(NHKブックス、2012年)以下同】

 上念司〈じょうねん・つかさ〉が『ニュース女子』で紹介していた一冊。上念の著書を読む気はないが内容を聞いてピンとくるものがあった。日本の国土は「約70%が山岳地帯で、その約67%が森林である」(Wikipedia)。ともすると「自然豊かな日本」という思い込みがあるが実は違う。戦前はハゲ山だらけだったというのだ。私が子供の時分、禿頭のことをハゲ山と呼ぶことがあったがこれもその名残りか。


近世から近代の日本で、都市近郊の山岳がほとんど禿げ山だったことはあまり知られていない - Togetter

 言い換えれば、江戸時代に生まれた村人が見渡す山のほとんどは、現在の発展途上国で広く見られるような荒れ果てた山か、劣化した森、そして草地であった。この事実を実感として把握しない限り、日本の山地・森林が今きわめて豊かであることや、国土環境が変貌し続けていることを正確に理解することはできないと思われる。

 例えば奈良の大仏(745-752年)、大量の刀剣を必要としたであろう戦国時代(15世紀末-16世紀末)、本格的な貨幣経済が始まった江戸時代など金属製造には膨大な薪(まき)が欠かせない。一言で申せば「貨幣鋳造と武器製造が森林を破壊する」のだ。

 ヨーロッパの場合は更に家畜文化が拍車をかけた(『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男)。ブタが芽を食(は)み、ヤギは根っこまで食べた。

 最も「自然豊かな日本」は現在の日本なのだ。ここでもう一つの思い込みを指摘しておこう。

「地球の肺」とも呼ばれる世界最大の熱帯雨林アマゾンで、記録的な森林火災が続いています。(中略)
 アマゾンは日本の国土の約15倍に及ぶ面積550万平方キロメートルで、ブラジルやペルー、コロンビアなど南米7カ国に広がり、地球上の熱帯雨林のおよそ半分に相当します。地球上の酸素の2割を生み出しているといわれ、多様な動植物が暮らす生物の楽園です。

「地球の肺」が呼吸困難 アマゾン火災、日本も関わりが:朝日新聞デジタル 2019年8月29日 8時30分】

 全くのデタラメだ。森林は地球の酸素供給に寄与していない。

 森林の大部分を占める植物は、たしかに二酸化炭素を吸収して光合成を行うが、同時に呼吸もして二酸化炭素を排出しているからだ。植物単体として見ると光合成の方が大きいこともある(その分、植物は生長する)が、森林全体としてみるとそうはいかない。(中略)
 もっとも大きいのは菌類だ。いわゆるキノコやカビなどは、枯れた植物などを分解するが、その過程で呼吸して二酸化炭素を排出する。
 地上に落ちた落葉や倒木なども熱帯ではあっと言う間に分解されるが、それは菌類の力だ。目に見えない菌糸が森林の土壌や樹木中に伸ばされており、菌が排出する二酸化炭素量は光合成で吸収する分に匹敵する。つまり二酸化炭素の増減はプラスマイナスゼロ。
 だから森林を全体で見ると、酸素も二酸化炭素も出さない・吸収しないのだ。酸素を供給し二酸化炭素を吸収する森は、成長している森だ。面積を増やす、あるいは植物が太りバイオマスを増加させている森だけである。

アマゾンは「地球の肺」ではない。森林火災にどう向き合うべきか(田中淳夫) - 個人 - Yahoo!ニュース

 だが、この20%という数字は、まったくの過大評価だ。むしろ、ここ数日で複数の科学者が指摘したように、人間が呼吸する酸素に対するアマゾンの純貢献量は、ほぼゼロと考えられる。

「アマゾンは地球の酸素の20%を生産」は誤り | ナショナルジオグラフィック日本版サイト

 自慢気に紹介しているが私も最近知った次第である。成熟した森林は酸素を供給しないし二酸化炭素も排出しない。これをカーボンニュートラルという。

 光合成に必要な太陽の光がとどくのは海面から70~80mぐらいですが、この海面に近いところに住む植物プランクトンや海藻によって、地球の酸素の3分の2がつくられています。

海の自然のなるほど 「酸素は海からもつくられる」

 自然界において遊離酸素は、光合成によって水が光分解されることで生じ、海洋中の緑藻類やシアノバクテリアが地球大気中の酸素70パーセントを、残りは陸上の植物が作り出している。

酸素 - Wikipedia

 進化の上でより下等な光合成を行うグループがあって(シアノバクテリアといいます)、それは地球上の大気に酸素をもたらしました。今、私たちが呼吸して酸素を吸っていますが、この酸素です。

藻類(そうるい)ってなんですか? | 東京薬科大学のブログ | エコプロ2019

 細菌の中には、他にも光合成を行うグループが存在するが (光合成細菌と総称される)、酸素発生型光合成を行う細菌は藍藻のみである。藍藻は、系統的には細菌ドメイン (真正細菌) に属する原核生物であり、他の藻類よりも大腸菌や乳酸菌などに近縁である。そのため、シアノバクテリア (藍色細菌) (英: cyanobacteria) とよばれることも多い。

藍藻 - Wikipedia

 これだけ日常的に平然と嘘を書き連ねる新聞を読む購読者が今もいることに驚く。彼らは何らかのファンタジーを必要としているのだろう。

2021-04-05

クルマの触感/『営業バンが高速道路をぶっ飛ばせる理由』國政久郎、森慶太


・『軽トラの本』沢村慎太朗

 ・クルマの触感

・『営業バンが高速道路をぶっ飛ばせる理由2 逆説自動車進化論』國政久郎
・『別冊モータージャーナル 四輪の書』國政久郎、森慶太
『博士のエンジン手帖3』(モーターファン別冊)畑村耕一

「自分の意志に関係なく出現した、あるいは変化した状況への対応。必要な操作。いまを逃したら危ない、というときが、簡単にいってしまえば常にありうるわけです。たとえば包丁だったら、なにかを切っていてマズいと思ったら、その切る操作をやめることもできます。でも、走っているクルマでそれと同じようなことが常に同じようにできるかというと……」

――たとえば1.5トンある物体が、60km/hとか100km/hで動いているわけですね。もしなにかマズいことがあったら、指先に切り傷ができるぐらいでは済みません。

「ということは、そのいま、ここでやらないといけない操作が適切にできるだけの仕込みが、クルマという道具の側にはされていないと絶対にいけないわけです。人間の感覚と上手く繋がったかたちで。そこはきわめて重要なところです」

――いわゆる緊急回避とか、そういう……。

「そうではなくて、速度がゼロではなくなった瞬間からすでに始まっているわけです。もっというと、止まっているときからすでに」
――んー……。

「包丁でいうと、いまどんなものを切っているか手応えでわからない包丁は、あまりないですよね。あるいは、切るものに刃が当たっているそのところでなにが起きているかがわからない包丁は」

――はい。

「では、それと同じぐらい、クルマというのは人間にとって扱いやすい道具になっているでしょうか。たとえば、いまの速度がどれぐらいか、メーターを見なくてもちゃんと把握できるか。あるいは、いま走っている路面がどのぐらい滑りやすいのかが、滑る前にわかるかどうか。そういう、ほしい情報が感覚で得られるかどうか。それだけの、いわば触感がちゃんと備わっているか」

【『営業バンが高速道路をぶっ飛ばせる理由』國政久郎〈くにまさ・ひさお〉、森慶太〈もり・けいた〉(三栄書房、2015年)】

 國政久郎はサスペンションの専門家で、相模原市でオリジナルボックスという会社を経営している(※本書では厚木市になっている)。見識に支えられた言葉がどこかオシムやイチローを思わせる。

 本書で國政が推し、実際に試乗しているのはトヨタのプロボックスである。ただし次作の『営業バンが高速道路をぶっ飛ばせる理由2 逆説自動車進化論』では新型を否定している。年式によっても評価が異なるので注意が必要だ。

 数年前のことだが4t車の助手席で乗り心地のよさを感じたことがあった。すかさず運転手に告げたところ、「そうなんだよね。長距離を走っても疲れないよ」と答えた。もちろん足回りが固いので乗用車と比べると路面の衝撃が伝わりやすく上下動は多い。不思議な気がした。本書を読んで即座に私は理解した。「クルマの触感」が確かだったのだ。視覚情報と体感の一致といってもいいだろう。しかも人体の根幹をなす骨は横揺れよりも上下動に耐性がある。

 乗用車の大半はモノコック構造となっている。これに対してトラックや一部のオフロード車はラダーフレーム構造を踏襲している。シャシー(車台)の上にボディが載っているのがフレーム構造で、車軸周りとボディが一体化しているのがモノコック構造だ。住宅に例えればモノコックが2×4(ツーバイフォー)でフレームは在来工法だ(【車の構造】ボディ構造について | 車の大辞典cacaca)。

 こちらのクルマのサスペンション構成がどのようなものなのか調べておりませんが、CTの方ではサスペンション・ロワーアームとアッパーアームの長さが極端に違うことから、サスの伸び縮みに伴ってトーが変化するので、車体の上下動により絶えずリヤが揺すぶられる症状が出るとのことです。これは、モーターファン・イラストレイテッドという本のサスペンション特集号である今月号での、国政久郎氏というサスのスペシャリストと呼ばれる方の解説です。

価格.com - 『1000キロ走ってみて』 ホンダ フィットシャトル ハイブリッド のクチコミ掲示板

 國政久郎が「気持ちの悪いクルマ」とはこういう状態を指すのだろう。揺れの消し方を間違えているのだ。クルマの触感とは「ドライバーに必要な揺れ」なのだろう。サスペンションは人体であれば関節や腱に該当する。國政の視点は関節という立ち位置から筋肉と骨格の両方に目配りが行き届いている。