2011-09-04

未来を明るく照らす言葉/『重耳』宮城谷昌光


『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
・『太公望』宮城谷昌光
『管仲』宮城谷昌光

 ・占いこそ物語の原型
 ・占いは神の言葉
 ・未来を明るく照らす言葉

『介子推』宮城谷昌光
・『沙中の回廊』宮城谷昌光
『晏子』宮城谷昌光
・『子産』宮城谷昌光
『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
『孟嘗君』宮城谷昌光
『楽毅』宮城谷昌光
『青雲はるかに』宮城谷昌光
『奇貨居くべし』宮城谷昌光
『香乱記』宮城谷昌光
・『草原の風』宮城谷昌光
・『三国志』宮城谷昌光
・『劉邦』宮城谷昌光

 宮城谷昌光が描く政(まつりごと)には人の息遣いがある。それを著者の創作として一笑に付すわけにはいかない。資料を通じて人間と人間とが出会うことは可能であるからだ。

 それにしても中国は凄い。重耳(晋の文公)は紀元前696-628年の人物である。卑弥呼(170年頃-248年頃)が生まれる800年前の時代に、これほどの君主を輩出していたのだ。

 中国の伝統は毛沢東の文化革命によって破壊されたと思われるが、いくばくか継承されているものはあるのだろうか? 気になるところである。

 19年間に及ぶ放浪は重耳を鋼(はがね)のように鍛え上げた。運命は容赦なく鉄槌(てっつい)を振り下ろした。

 飢渇(きかつ)も極限に近かったのであろう。重耳は馬車をその農夫に寄せ、声をかけた。農夫は黒い顔を上げた。重耳は車上で頭をさげた。農夫はしゃがみ、器らしきものに飯を盛り、ささげるようにもってきた。
「秬(くろきび)らしいが、ありがたい」
 重耳は車輪のかたわらにいる狐偃(こえん)にいった。狐偃がその器をうけとった。山と盛られているものをみた重耳は嚇(かっ)とし、鞭(むち)をふりあげて、馬車から飛び降り、農夫を打とうとした。
 ――衛(えい)は、君主も民も、わしを侮辱した。
 それにたいする怒りである。器に盛られていたものは、秬ではなかった。土であった。農夫は悪声を放って逃げようとした。重耳は鞭で足をはらい、ころんだ農夫のうしろえりをつかむと、曳きずってきた。
「公子」
 狐偃にしてはめずらしく明るい声であった。重耳は眉をひそめた。狐偃が静かに笑みをみせている。かれは高々と器をかかげ、
「これこそ、天の賜(たまもの)です」
 と、いった。なぜなら、民がこの土を献じて服従したのであるから、これ以上、求めるものがあろうか。天意にはかならず兆(きざ)しがある。公子が天下を制するのであれば、それはこの土塊を得たことからはじまる。狐偃はそういうと、農夫を重耳の手からはなし、群臣のまえに立たせ、みずからひざまずいて拝稽首(はいけいしゅ)をした。重耳ははっと気づき、狐偃にならうと群臣はみなその農夫にむかってぬかずいた。
 農夫は魂が飛んだような顔つきになり、この一団が去ったあとも、ぼんやり野面をながめていた。
 農夫から献じられた土は捨てず、重耳はだいじに車に載(の)せた。

【『重耳』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(講談社、1993年/講談社文庫、1996年)以下同】

 拝稽首(はいけいしゅ)は最も重い礼で、両手を組んで地に頭をつけるというもの。この件(くだり)を読んだ瞬間に閃光が走った。

 狐偃(こえん)は土を通して未来を占った。しかも行きずりの農夫から小馬鹿にされた一事を反転させた上で、劇的な物語を描いてみせた。すなわち、未来を明るく照らす言葉こそが「占い」であり、ここに物語の原型(モデル)があるのではなかろうか。

「馬鹿にされた」と思えばそれまでの話だ。実際、そういう物語は我々の周りにいくらでも転がっている。事実のみを語るのであれば、言葉は死んでいるといってよい。新聞には死んだ言葉が並んでいる。それを活字と称するのだから皮肉だ。

 現実を客観視して笑い飛ばす力が英知であるとすれば、英知は強靭な否定に支えられている。それは現実を無視するという意味での否定ではなく、環境から自分に働きかけるマイナス作用に対する完全否定である。前を向いて強気で進めば、環境を引きずってゆくことができる。

 不況になると何かにつけ自分が否定されているような場面に出くわすことがあるものだ。しかし相手が否定しようとも自分で自分を否定しなければよい。どこまでも自分を信じながら、自分を否定した相手を否定すればいいのだ。身勝手な振る舞いを慎みながら、時を稼いでいると思えばストレスも溜まらない。

 物語とは展望でもある。視点が低ければ低い物語で終わってしまうことだろう。今がどんなに苦しくとも志だけは高く堅持することだ。貧しくとも富者(ふしゃ)のように振る舞うことは可能だ。

 自分で自分を占い、未来を明るく照らす言葉を紡ぐことが求められている。

 重耳は徳をもって人を治めた。

「信は国の宝である。信があってこそ、民の財を守り、身を守り、生命を守ることができる。たとえ原(げん)を得ても、民から信頼されなければ、なにをもって民を守ることができるのか。そうなれば、得るものより、失うもののほうが多かろう」
 と、いって、引き揚げ、原邑(げんゆう)から一舎離れたとき、重耳の信条をきいた原邑の民は門をひらいて降伏した。

 重耳より150年あとに生まれた孔子は「信無くば立たず」(『論語』)と教えた。孔子は兵や食よりも信を重んじた。

 では我々の政治はどうだろうか? 既に政治不信というキーワードは手垢まみれになっている。政治不信にすら不信を抱きたくなるような体たらくだ。放射能にさらされている人々がいる。生活保護の申請を拒まれている人々がいる。働きたいのに就職できない人々がいる。子供が欲しくてもつくれない人々がいる。

 政府を信頼している国民が少ないとすれば、この国は既に滅んでいるのだろう。国家のふりをしている領土で政治ごっこが行われているのだろう。

 たしかに民は義と信とを知った。が、それで充分というわけにはいかない。人が家族でまとまり、一族でまとまり、国でまとまり、中華でまとまり、というふうに、小さな存在が集合して大きな組織をつくり、人それぞれが協調して組織を動かしてゆくには原則があり、その原則の基(もとい)にあるものが礼なのである。礼はべつなことばでいえば、他者を尊ぶということである。自分が生きていることは、他者があってはじめて成り立つ。他者といっても、人とはかぎらない。水があり、火があり、というように宇宙を形成しているものも、人を生かしている。したがって礼を知るということは、宇宙の原則を知る、ということである。

 文化とはもともと礼楽(れいがく)を意味した。礼を弁(わきま)え、音楽を嗜(たしな)むところに人生の豊かさがあったのだ。孔子は作詞家でもあり作曲家でもあった。

 ストーリーにひときわ光彩を与えているのが晋から送られた刺客である閻楚〈えんそ〉と介子推〈かいしすい〉の闘いである。介子推は低い身分であったため、陰で重耳を守っている事実を誰も知らない。彼自身、黙して功績を語ることがなかった。

 後に重耳は閻楚〈えんそ〉から介子推の働きを聞かされる。が、論功行賞から漏れた介子推は既に去った後だった。

 言は身の文(かざり)なり。身まさに隠れんとす。
 いずくんぞこれを文に用いん。
 これ顕(けん)を求むるなり。

 介子推がこの世に残したさいごのことばである。
「ことばというものは身を飾るものです。これから身を隠そうとするのに、どうしてことばで飾る必要がありましょう。飾りは顕(あらわ)われるために求めるものです」
 そういったのである。

 介子推こそ真の忠臣であった。重耳は大いに恥じて介子推を探させたが見つかることはなかった。後世、中国の民は晋の文公以上に介子推を称(たた)えた。重耳の瑕疵(かし)とするにはあまりにも大きな過失であった。信賞必罰はかくも難しい。

重耳(上) (講談社文庫)重耳(中) (講談社文庫)重耳(下) (講談社文庫)介子推 (講談社文庫)

2011-09-03

光と闇


 濡れた道を歩く二人が決定的なアクセントとなってドラマ性を与えている。

グレッグ・モーテンソン


 1冊読了。

 60冊目『スリー・カップス・オブ・ティー 1杯目はよそ者、2杯目はお客、3杯目は家族』グレッグ・モーテンソン、デイヴィッド・オリヴァー・レーリン:藤村奈緒美訳(サンクチュアリ出版、2010年)/アメリカで360万部を突破したベストセラーだけのことはある。一気読み。K2登頂に失敗した登山家が、その後パキスタンの山間部に学校を建てる話だ。9.11テロ~アフガニスタン紛争も描かれている。マスードの名前も何度か出てくる。グレッグ・モーテンソンは中央アジア協会の会長となり、本書が刊行された時点で何と53もの学校を建設した。中村哲との併読を勧める。厳選120冊に追加した。

連合型失認の患者は視覚体験に意味を付与することができない/『もうひとつの視覚 〈見えない視覚〉はどのように発見されたか』メルヴィン・グッデイル、デイヴィッド・ミルナー


 つまり、連合型失認の患者は、視覚体験は問題ないが、その体験に意味を付与することができない。これがどのようなものかを想像するには、ふつうの西洋人が漢字を前にしてどう感じるかを考えてみてほしい。

【『もうひとつの視覚 〈見えない視覚〉はどのように発見されたか』メルヴィン・グッデイル、デイヴィッド・ミルナー:鈴木光太郎、工藤信雄訳(新曜社、2008年)】

 とすると「見る」行為は「読み解く」能力を意味する。連合型視覚失認と関連性があるかどうかはわからないが、長期間にわたって眼の不自由な人が手術で見えるようになると様々な視覚障害が報告されている。彼らは錯視画像を見ても錯覚することがない。また顔の表情も認知できない。

 失認は心理レベルにおいて数多く見受けられる。先入観や差別意識に染まった人は物事を正しく見ることが極めて困難である。

 同じ本を読んでも感じ取るものは人によって千差万別である。感受性の乏しい人は意味の浅い世界で生きているのだろう。

「悟る」とは「見える」ようになることである。ウロコだらけの目に真実は映らない。

もうひとつの視覚―〈見えない視覚〉はどのように発見されたか

2011-09-01

ルワンダ大虐殺を扇動したラジオ放送


 ハビャリマナにとってアルーシャ協定が政治的な自殺に等しい、というのは事実だった。フツ至上主義党の指導者たちは裏切りだと叫び、大統領その人が同調者になったと告発した。アルーシャ協定の署名から4日後、アカズのメンバーと友人から出費を受けた千の丘の自由ラジオ(ラジオ・テレヴィジョン・リブル・デ・ミル・コリン/RTLM)がジェノサイドのプロパガンダ専門局としてキガリから放送をはじめた。



 そうした(※ラジオからの)メッセージ、そして社会のあらゆる階層の指導者たちからの命令によって、ツチ族の虐殺とフツ族反体制派の暗殺は各地に広がっていった。民兵たちの手本にならい、フツ族は老いも若きも仕事にとりかかった。隣人が隣人を自宅で切り刻み、同僚が同僚を職場で切り刻んだ。医師が患者を殺し、教師が生徒を殺した。多くの村ではわずか数日でツチ族の人口がほぼゼロになった。キガリでは、囚人たちが釈放されて労働班を編成され、道路沿いにならぶ死体を片づけた。虐殺にともなうレイプと略奪がルワンダじゅうに広がった。酔っぱらった民兵集団は薬品店から略奪したドラッグで景気をつけ、虐殺から虐殺へと駆けまわった。

【『ジェノサイドの丘』フィリップ・ゴーレイヴィッチ:柳下毅一郎〈やなした・きいちろう〉訳(WAVE出版、2003年)】

ジェノサイドの丘〈新装版〉―ルワンダ虐殺の隠された真実


ルワンダ大虐殺の爪痕
強姦から生まれた子供たち/『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』写真、インタビュー=ジョナサン・トーゴヴニク

母の胸に抱かれながら死んでいったパレスチナの少年


 私は心の底からイスラエルを憎む。私は忘れない。血にまみれて母親にしがみつく少年の姿を。眼の前で我が子を奪われた母親の悲しみを。

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自爆せざるを得ないパレスチナの情況/『アラブ、祈りとしての文学』岡真理

赤誠の人物がいない


「全く人がない。出来る奴はいる、策の立つ奴もいる。智慧の溢れる奴もいる。外交折衝の巧みな奴も――。が、赤誠の人物がいない。今の世の中あ、智慧や策ではいけねえのでんすからねえ、素っ裸で、対手(あいて)にぶつかっていける人間、それがいない」

【『勝海舟』子母澤寛(日正書房、1946年/新潮文庫、1968年)】

勝海舟 (第1巻) (新潮文庫)勝海舟〈第2巻〉咸臨丸渡米 (新潮文庫)勝海舟 (第3巻) (新潮文庫)

勝海舟 (第4巻) (新潮文庫)勝海舟〈第5巻〉江戸開城 (新潮文庫)勝海舟〈第6巻〉明治新政 (新潮文庫)

2011-08-31

泳ぐゾウ


 まったくもって意外な光景。

Swimming elephants

遺伝子組み換えトウモロコシを食べる害虫が増殖中、米国


 ウエスタン・コーン・ルートワームという代表的なトウモロコシの害虫に、遺伝子組み換え(GM)トウモロコシが出す毒素に対する耐性が広がりつつあり、トウモロコシ生産者にとって新たな脅威となりつつある。
 イリノイ大学(University of Illinois)のマイケル・グレイ(Michael Gray)教授(作物科学)は「ウエスタン・コーン・ルートワームは米国で最も多いトウモロコシの害虫で、欧州でも増える可能性がある」と説明する。
 これまでのところ耐性の拡大は限定的だとみられているが、専門家たちは耐性を持った害虫がまん延すればトウモロコシ生産者は再び農薬の大量使用を余儀なくされるだろうと警告している。また、害虫が耐性を獲得しにくい方法でGMトウモロコシを栽培する必要があると指摘している。

2009年に初めて見つかる

 トウモロコシ生産者は従来、同じ土地に性質の違う数種類の作物を順番に作付けする輪作を行って害虫被害を防いできた。しかしこの害虫は、トウモロコシと組み合わせて輪作されることが多い大豆にも卵を産むようになったため、農家は農薬を使用せざるを得なくなった。グレイ教授によると、ウエスタン・コーン・ルートワームは頑強で順応性も高く、いくつかの農薬への耐性も持ち始めているという。
 米バイオ企業大手モンサント(Monsanto)は2003年、この害虫に強いGMトウモロコシの種を発売した。以降、米国のGMトウモロコシの作付面積は増え、2009年には国内で収穫されたトウモロコシの45%をGMトウモロコシが占めるようになった。
 だが、2009年にこの害虫による大きな被害を受けたアイオワ(Iowa)州の4か所のトウモロコシ畑で、GMトウモロコシへの耐性を持ったタイプが初めて発見された。今年はイリノイ(Illinois)州でGMトウモロコシがこの害虫による食害被害を受けた。グレイ教授はここで見つかった害虫がGMトウモロコシ毒素への耐性を持っているかどうか調べている。
 前月発表された研究結果では、アイオワのトウモロコシ畑で見つかった害虫は、GMトウモロコシ毒素への耐性を子孫にも引き継いでいることが分かった。

輪作や「おとり作物」栽培をしっかりと

 アイオワ州立大学(Iowa State University)のアーロン・ガスマン(Aaron Gassmann)主任研究員は、「この結果は、害虫の耐性獲得管理を改善するとともに、Bt作物(毒素を出すバチルス・チューリンゲンシスという細菌の遺伝子を組み込んだ作物)の使用にあたって統合的なアプローチを取る必要性を示唆している」と、研究報告書のなかで指摘した。
 耐性を持つ害虫が発見された畑では、少なくとも3年連続してGMトウモロコシを栽培していた。このことが、害虫が耐性を獲得する一因になったとガスマン氏は考えている。
 さらにガスマン氏は、もう一つの要因として「おとり作物」の作付け不足を挙げた。トウモロコシ農家は、農地の20%に遺伝子組み換えではない普通のトウモロコシを植えることになっている。耐性を持つ害虫が発生しても、耐性を持たない害虫と交配すれば耐性を次世代へ引き継ぐ可能性が減るからだ。
 すでにモンサントは、政府が義務付けるおとり作物の栽培を容易にするため、1袋にGMとそうでないトウモロコシの種を混ぜたセットを販売しているほか、耐性を持つ害虫が大量発生した場合に代替となる数種類の作物を販売しており、さらに新品種も開発中だという。
 モンサントは耐性を持つ害虫が増えているという研究結果を深刻に受け止めていると話しているが、既存のGM作物は作付けした土地の99%以上で良好な結果が出ているとして、農家が既存のGM作物の栽培を止める理由は何もないと主張している。

AFP 2011-08-31

モンサント社が開発するターミネーター技術/『自殺する種子 アグロバイオ企業が食を支配する』安田節子

ドイツZDF-Frontal21 福島原発事故、その後(日本語字幕) 拡散希望!!


ドイツのテレビ局制作の原発事故番組が福島中央テレビによって削除される
 原発から60km離れた伊達市のシイタケからは、1kgあたり7000ベクレルの汚染が測定された。基準値は500ベクレルである。「もはや食べ物ではなくて放射性廃棄物です」。(番組より)
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第2ドイツテレビ(ZDF)の放送内容について 取材の実際について

入矢義高、宮城谷昌光、高橋昌一郎


 1冊挫折、3冊読了。

 挫折『臨済録』入矢義高〈いりや・よしたか〉訳注(岩波文庫、1989年)/期待が外れた。その軽(かろ)き言、さながら天魔の如し。幻惑に目的があるとしか思えず。言葉遊びの感を抱いた。

 57冊目『晏子 第三巻』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1994年/新潮文庫、1997年)/晏弱は死んだ。が、晏嬰の出番は少ない。斉(せい)の国の権謀術数を中心に描かれる。晏嬰は3年間にわたって喪に服す。編集者である池田雅延の解説は蛇足の謗りを免れない。

 58冊目『晏子 第四巻』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1994年/新潮文庫、1997年)/晏嬰は道理の人であった。そしてその道理が忠孝に貫かれていたところに晏嬰の偉大さがある。三代の君公に仕え、断固たる諫言を惜しむことがなかった。孔子が晏嬰に遺恨を抱いたというエピソードも興味深い。池田雅延の解説は読者をコントロールしようとする企図が見え見えで嫌悪感を覚える。

 59冊目『東大生の論理  「理性」をめぐる教室』高橋昌一郎〈たかはし・しょういちろう〉(ちくま新書、2010年)/正確には東大一年生の論理である。高橋が非常勤講師として東大へ出向いた模様が描かれている。確かに東大生の優秀さは図抜けている。その発想の柔軟さが素晴らしい。あまりにも東大生の出来がいいため、論理学のテーマが少しぼやけてしまっているのが少々難点。

『ロビンソン・クルーソー』は生き方の問答集である


 そう。『ロビンソン・クルーソー』の物語は、生き方の問答集である。人間とは何か、いかに生くべきかの寓話といってもよい。ここには、人間、この不可解なものの正体が、原始の姿さながらに浮き彫りにされているからである。

【『生き方の研究』森本哲郎〈もりもと・てつろう〉(新潮選書、1987年/PHP文庫、2004年)以下同】



 さいわいなことに、その島には猛獣はおらず、彼を襲ってくる人間もいなかった。だが、天涯孤独に追いやられた人間は、そこで、いわば人類史を反復しなければならない。じじつ、ロビンソンは人類として一からやり直さなければならなかった。したがって、28年にわたるロビンソンの孤島での生き方は、何万年、いや、何十、何百万年にもわたる人類史の復習だったといっていい。それを、向こう見ずのロビンソンは見事にやりとげるのである。理性的動物(ホモ・サピエンス)として、道具を使う工作人(ホモ・ファーベル)として、経済人(ホモ・エコノミクス)として。
 マルクスやマックス・ウェーバーなどがこの物語を人間の経済活動のモデルとして取りあげたのも、そのゆえであった。

「今週の本棚:富山太佳夫評 『道徳・政治・文学論集』『秘義なきキリスト教』」

生き方の研究 ロビンソン・クルーソー (集英社文庫)

2011-08-30

我々は虐殺される人に背を向けている


 アムネスティ・インターナショナルの広告ポスター。小さな悪は見て見ぬ振りをし、巨悪には気づきもしないのが我々の姿だ。見ざる、聞かざる、言わざる。自分が殺される番になって初めて慌てふためくのだ。

Amnesty International

Amnesty International

世界のどこかで虐げられる人々が目の前に現れる
女子割礼に警鐘を鳴らすアムネスティのポスター

合衆国憲法とブッカー・T・ワシントンとジョン・デューイ/『不可触民の父 アンベードカルの生涯』 ダナンジャイ・キール


 マハトマ・ガンディーを尊敬する人は多い。きっとビームラーオ・アンベードカルを知らないからだろう。

 ガンディーは一言でいえばインド独立の英雄である。彼の非暴力主義は極めて政治的色彩が強いものであった。マーティン・ルーサー・キング・ジュニアネルソン・マンデラに影響を与えたこともあって「人権の闘士」と誤解している人々が多い。実際のガンディーは終生にわたってカースト制度の信奉者として生きた。

 不可触民への差別は徹底しており、選挙権を与えようとしたアンベールカルの動きを封じ込めるために死の断食までやってみせた。その意味ではインドの極右勢力と考えていいのかもしれない。

 アンベードカルは不可触民(アンタッチャブル)ではあったが米国に留学している。

 アメリカ滞在中、アンベードカルの心に強い印象を刻んだものが三つあった。一つは合衆国憲法、なかんずく黒人の解放を宣言した憲法第14次改正であり、もう一つは、彼の滞在中、1915年に死んだ、偉大な黒人指導者であり教育者であったブーカー・T・ワシントンであり、プラグマティズム哲学のジョン・デューイも大きな影響を彼にあたえた一人であった。彼の授業には欠かさず出席していたという。

【『不可触民の父 アンベードカルの生涯』ダナンジャイ・キール:山際素男〈やまぎわ・もとお〉訳(三一書房、1983年/光文社新書、2005年)以下同】

 偉大な人物と偉大な青年との擦れ違うような出会いに胸をときめかせる。デューイからアンベードカル青年は合理主義を学んだことだろう。合理性こそが古い伝統やカビだらけの宗教を破壊する最大の武器となる。思想や運動の広がりを決定づけるのは「理」(ことわり)である。個々人の利を超える理を示すことができるかどうかで運動の成否が分かれる。

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 彼は文字通り寸暇を惜しんで生活した。時間と費用を節約するため昼食も抜いた。朝8時の開館を待ちかねたように図書館に入ると、夕方5時の閉館時間までほとんど休みなしに本を読み漁った。守衛に追い出されるように最後に出てくるのはいつもアンベードカルであった。頬はげっそりとこけ、疲労は色濃くにじみ出ていたが、ポケットは写し取ったノートで一杯だった。外の新鮮な空気を吸いながら30分ほど散歩をすると真直ぐ帰宅し夕食を取り、再び机に向った。夜10時頃になると空腹が彼を悩ました。彼の下宿の女主人は恐ろしくけちで、朝食はトースト1枚、小さな魚のフライに1杯の紅茶。夕食は一皿のスープに数枚のビスケットとバターという貧弱なものだった。飢餓感に耐えかねると、友人から分けてもらったパパード(インド製の薄焼きせんべいのようなもの)を焼いて飢えをしのいだ。それからまた暁方まで読書をつづけるのである。同室の友人がいつ眼を覚ましても起きているアンベードカルの健康を案じいい加減に床に入るように忠告しても、アンベードカルは微笑し、「ぼくには時間が限られているんだ。お金が尽きてしまわない内にやらねばならぬ仕事が山程ある」というと、再び机に向った。

 若き日の峻烈な鍛えが修行の様相を帯びている。彼の双肩には数千年にわたって虐待されてきた不可触民の苦しみが載っていた。何のために学ぶのか――その一点に迷いや曇りはなかった。一身の栄誉は最初から眼中になかった。学ぶことは人間であることの証明であり、鍛え抜かれた英知によって人々の目を開かせることが可能となる。

 マハトマ・ガンディーが評価されているのは西洋世界から見て都合がいいためだろう。民衆の蜂起を恐れる権力者にとって非暴力主義ほど歓迎すべきものはない。ガンディーは国父であるがゆえに国家主義も正当化できる。

 この小柄な差別主義者は自分の禁欲主義を誇示するために、姪(めい)を始めとする若い女性たちに同衾(どうきん)を命じた。ま、禁欲主義における自慰行為といってよい。

 アンベードカルは今やロンドン大学、コロンビア大学の両博士号、ボン大学留学という輝かしい実績と、上級法廷弁護士という資格で身を固め、いよいよインド学界に風雲を巻き起こしつつ不可触民解放運動の先頭に立って進んでゆくのである。

 やはり、「学は光、無学は闇」である。徹底した学びの中で古い時代を打ち破る精神が脈動する。

 アンベードカルはカースト制度に風穴を開けた。だがカースト制度がなくなったわけではない。第二、第三のアンベードカルの登場が待たれる。

アンベードカルの生涯 (光文社新書)

不可触民=アウトカースト/『不可触民の父 アンベードカルの生涯』ダナンジャイ・キール
不可触民が偉大な指導者と認めるのはアンベードカルただ一人

2011-08-29

ラス・カサス


 1冊読了。

 56冊目『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス:染田秀藤〈そめだ・ひでふじ〉訳(岩波文庫、1976年)/気力を奮い起こさずして、この薄っぺらい一書を読み終えることはできない。スペイン人によるアメリカ先住民大虐殺の忌まわしい歴史が綴られている。私にとっては『ルワンダ大虐殺』に匹敵する衝撃であった。その非道ぶりは鬼畜にも劣る所業で、10ページも読み進めることができなかった。日本から歴史的視点に立った欧米論を発信する必要があると痛切に思う。欧米からの視線を気にかけて日本論が多数刊行されているが、東洋から西洋を照射する時がきている。欧米に彼らこそがルシファー(悪魔)であることを断固糾弾すべきだ。欧米を戦慄せしめる学徒よ出(いで)よ。ラス・カサスがなにゆえキリスト教に毒されることなく、人間の眼差しを持ち得たのかが最大の不思議である。

強烈なインパクトを与える禁煙広告

Anti-Smoking Advertisements

Top-45-Creative-Anti-Smoking-Advertisements-042

antismoking31

Top-45-Creative-Anti-Smoking-Advertisements-009

離煙パイプ (31日分セット) 合理的な禁煙法読むだけで絶対やめられる禁煙セラピー (ムックセレクト)リセット禁煙のすすめ―タバコの迷路から脱出し、自由の鐘を鳴らそう!女性のための禁煙セラピー (ムックセレクト)

2011-08-28

ブログのデータに関する覚え書き


・日本のブログ総数は約1690万。
・記事総数は約13億5000万件。
・データ総量は42テラバイト。
・書籍に換算すると約2700万冊分に相当。

Gigazine 2008-07-03

世界中のブログで使われている言語は日本語が一番多い(2007-04-06)

・ブログ総数は約1690万。
・記事総数は13億5000万件。
・スパムブログは全体の12%。

INTERNET Watch 2008-07-03

総務省 情報通信政策研究所(IICP)|調査研究|研究成果~調査研究報告書

ホスティング型ブログ数(参考)

・はてな 93816
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・その他 161269(ホスティング型以外を含む)

TopHatenarに登録されているブログ数を参照した 2011-08-28】

夕陽に染まるエアーズロック


 正式にはウルルという。アボリジニーの聖地。世界で2番目に巨大な一枚岩。

uluru glow

Sunset of Uluru (Ayers Rock)

勝敗を分ける決定的な要素は「姿勢」


 しかし同時に、姿勢が結果に果たした重大な役割を理解している人は多くはない。たいていの競技・競争では、参加者は戦略的に、身体的技術だけでなく精神的技術を向上させなければならない。もし対戦者が対等の技術レベルでなければ、普通は(必ずしも絶対ではないが)技術的に上のほうが勝つ。しかし、弱者が強敵を倒したとしたら、何がその要因となるのか。あるいは同レベルの二人が戦ったとき、勝敗を分ける決定的な要素は何か。どちらの場合もその答えは「姿勢」なのだ。

【『ゾーン 「勝つ」相場心理学入門』マーク・ダグラス:世良敬明〈せら・たかあき〉訳(パンローリング、2002年)】

ゾーン — 相場心理学入門

すっくと立つ白蓮華


「泥中の蓮」(維摩経)とはよくいったものだ。

Lotus Flower and the leaf - white - IMG_8956-1

河本英夫、宮城谷昌光


 3冊読了。

 53冊目『哲学、脳を揺さぶる オートポイエーシスの練習問題』河本英夫〈かわもと・ひでお〉(日経BP社、2007年)/天才本。読むだけで天才になれる。オートポイエーシスとカルロ・ペルフェッティがつながっているとは知らなかった。驚愕の一書。

 54冊目『晏子 第一巻』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1994年/新潮文庫、1997年)/イントロは静かに始まり、突然激しい旋律となる。身分の低い晏子〈あんし〉が智謀をもって斉(せい)の国を導く。

 55冊目『晏子 第二巻』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1994年/新潮文庫、1997年)/晏子〈あんし〉とは晏弱〈あんじゃく〉、晏嬰〈あんえい〉父子を指す。まだ幼い晏嬰が登場し、物語に青い風を吹かせる。成人した晏嬰が霊公〈れいこう/斉の君主〉に諫言する件(くだり)が圧巻。感動のあまり10回くらい読み返した。