2011-11-11
人は自分自身の光りとなるべきだ/『クリシュナムルティの日記』J・クリシュナムルティ
・『クリシュナムルティの神秘体験』J・クリシュナムルティ
・人は自分自身の光りとなるべきだ
・瞑想の否定
・『真理の種子 クリシュナムルティ対話集 Truth And Actuality』
・『最後の日記』J・クリシュナムルティ
誰しも日記をつけたことがあるだろう。若い頃の日記は感傷に傾きすぎて、後から読むと思わず赤面するような文章が多い。日記とは自問自答でもある。どのように繕(つくろ)ったとしても心の遍歴が浮かんでくるものだ。逆説的ではあるが、それゆえに大半の日記は読む価値がない。
ウェブ上を占める膨大な数のブログも多くは日記の類いである。たとえ有名人であろうとも、私は他人の日常に興味を覚えない。また素人であっても書く以上は批評的な視点や、何らかの価値観を記さなければ表現とはいえないだろう。
クリシュナムルティが突然日記をつけ始めた。1973年のことである。既に78歳であった。本書には1975年までの日記が収められている。宮内勝典〈みやうち・かつすけ〉は作家だけあって訳文も読みやすい。文章の体裁は『生と覚醒のコメンタリー』(全4冊)と全く同じである。風景や人物を描写しながら既成概念を粉砕し、我々の思考を激しく揺さぶる。
なにが正気で、なにが狂気だろう? だれが正気で、だれが知っているだろうか? 政治家は正気だろうか? 聖職者たち、彼らは狂っていやしないか? イデオロギーに専念している人たちは正気だろうか? 私たちは彼らに操られ、型にはめられ、小突きまわされている。私たちは正気だろうか?
正気とはなんだろうか? 全人的であること、行動や生活や、あらゆる種類の関係において、断片的でないこと――それが正気であることの本質だ。正気とは全体的であること、健康で神聖であることを意味する。狂気、神経症、精神病、失調症、分裂病、病名はなんでもかまわない。それは行動が断片的であるということだ。関係の動き――、つまり存在そのものがばらばらになっていることだ。敵対や分裂を生みだすこと、これがあなたがたの代表である政治家のやっている仕事だが、それが狂気をはぐくんでいる。独裁者としてであれ、平和の名においてであれ、他のどんなイデオロギーの名においてであれ、事情は同じだ。そして聖職者だが、彼らの世界を見るがいい。みんなが真理であると見なしているもの、救世主や、神や、天国、地獄、それとあなたとの間に聖職者は立っている。彼は取次役であり、代理人だ。彼は天国の鍵を手にしている。彼は信仰と教義(ドグマ)と儀式を通して、人間を調整してきた。彼はまことに伝道者(プロパガンディスト)である。あなたが安逸と安全を求め明日を恐れるからこそ、聖職者はあなたたちを調整してきたのだ。それに芸術家たち、知識人たち、科学者たち。たいそう崇(あが)められ称えられてきたが、彼らは正気だろうか? それとも彼らはまったく違った二つの世界に住んでいるのだろうか? 表現へ駆り立てる理念や想像の世界があり、それは悲しみや喜びの日常から完全に分離しているのだろうか?
あなたの周囲の世界は断片的であり、あなたもまた断片的だ。その表現が闘いであり、混乱や、みじめさなのだ。あなたがそのような世界であり、そんな世界があなた自身なのだ。正気とは、行為を伴いつつ人生を闘いなしに生きることだ。行為と理念は相対立する。見ることは行なうことだ。先に観念構成があってその結論に従って行為があるというのではない。それでは混乱を生むばかりだ。分析者自身が分析されるものだ。もし分析者が、自分を分析されるものとは違ったなにか分離したものだと考えれば、そこには衝突が生じ、この衝突の場に不調和が生じる。観察者は、同時に観察されるものだ。そこに正気があり全体があり、神聖なものとともに、愛がある。
【『クリシュナムルティの日記』J・クリシュナムルティ:宮内勝典〈みやうち・かつすけ〉訳(めるくまーる、1983年)以下同】
狂気と正気を分けるのは多数決である。皆が「魔女を退治しようぜ」といえば魔女を焼くことは正気となる。関東大震災の時は朝鮮人を殺すことが正気であった。戦争においては敵国の兵士を殺戮することが正気である。ベトナム戦争でアメリカ兵は、ベトナム人の耳や首のコレクションを自慢した。
・米兵は拷問、惨殺、虐殺の限りを尽くした/『人間の崩壊 ベトナム米兵の証言』マーク・レーン
では現在の我々の正気度を検証してみよう。多くの人々にとって人生の目標は「競争に勝つ」ことであり、それが上手くいかないところに悩みが生まれる。学生であろうと社会人であろうと一緒だ。少しでも他人を出し抜くことこそが生き甲斐なのだ。
毎年3万人の人が自殺をし、5000人の人が交通事故で死亡しても我々の人生は何ひとつ変わらない。ルワンダで大虐殺があっても、パレスチナ人がイスラエル軍に殺されても全く変化しない。
確かに気の毒だとは思う。でも、どうせ何もできない。だったら深刻に考えてもしようがない。自分のことだけで頭がいっぱいだ。私の将来さえよくなってくれれば後はどうでもいい。
これが果たして「正気」といえるだろうか? 資本主義に毒された世界で、何から何まで経済的な尺度で判断し、競争に駆り立てられる我々は正気なのだろうか?
政党も企業も学校も教団も自分のことしか考えていない。自分たちさえ繁栄できればよい。そのために戦い、争い、罵り合うのが我々の日常だ。勝てば官軍、負ければ賊軍だ。
そのありのままの自分を見つめよ、とクリシュナムルティは教える。見ることが気づくことであり、洞察から英知が生まれる。「ここがよくないから、今度からはこうしよう」ということではない。クリシュナムルティは理想も努力も斥(しりぞ)ける。そのような思考や行為自体が「社会の鋳型」(いがた)であるからだ。
・理想を否定せよ/『クリシュナムルティの教育・人生論 心理的アウトサイダーとしての新しい人間の可能性』大野純一
・努力と理想の否定/『自由とは何か』J・クリシュナムルティ
人は自分自身の光りとなるべきだ。この光りが、法である。他に法などない。他の法と言われるものはすべて、思考によってつくられたものだ。だから分裂的で、撞着(どうちゃく)を免れない。自己にとって光りであるとは、他人の光りがどんなに筋が通っていようが、論理的であろうが、歴史の裏づけをもっていようが、自信に満ちていようが、けっして追従しないということだ。もしあなたが、権威、教義、結論といったものの暗い陰の下にあれば、自分自身の光りであることはできない。倫理性は、思考によって組み立てられるものではない。環境の圧力に押されて出てくるものでもない。それは昨日に属さず、伝統にも属さない。倫理性は愛の産む子供であり、愛は欲望や快楽ではない。性愛や官能の楽しみは、愛ではない。
ブッダの教えと完全に一致している。否、クリシュナムルティが説いているのは仏法そのものであると私は受け止める。「なんじらは、ここに自からを燈明とし、自らを依所として、他人を依所とせず、法を燈明とし、法を依所として、他を依所とせずして住するがよい」(大般涅槃経)。ブッダもクリシュナムルティも「私の教えに従え」とは絶対に言わない。一切の隷属から人々を解放することが彼らの教えであった。
自由とは、あなたが自分自身にとって光りとなることだ。その時、自由は抽象ではない。思考によって組み立てられたものでもない。現実問題として、自由とは、依存関係や執着から、あるいは経験を渇望することから、いっさい自由になることだ。思考の構造から自由になることは、自身にとって光りとなることだ。この光りのなかで、すべての行為が起こる。そのとき矛盾撞着はない。法や光りが行為から分離しているとき、行為する者が行為そのものから分離しているとき矛盾撞着が起こる。理念とか原理とかは思考の不毛な動きであり、この光りと共存することはできない。一方が他方を否定するのだ。この光り、この法が、あなたと分離している。観察者がいるところには、この光り、この愛は存在しない。観察する者の構造は、思考によって組み立てられたもので、けっして新しくなく、けっして自由ではない。方法とか、体系、修練といったものなど、なにもない。見ることだけがあり、それが行為することだ。あなたは見なければならない。ただし他人の目を通してではなく。この光り、この法は、あなたのものでも他人のものでもない。ただ光があるだけだ。これが愛だ。
真の哲学や宗教は鋳型ではないはずだ。教育という名目で行われるコントロールとも無縁であろう。この腐りきった社会を構成している自分の腐敗ぶりを見つめる。本当に見つめることができれば、その瞬間に腐敗から離れているはずだ。
宮内勝典〈みやうち・かつすけ〉はクリシュナムルティの講話を実際に聴いている。
一人の老人がテントの隙間から現われた。いや、老人という言葉はそぐわない。完全な白髪なのに不思議な若々しさがあった。肉の若さではない。意識がしんと張りつめ、それでいて、いまの瞬間に没入し、活(い)きいき弾むような自由感があった。新鮮な老人――、そんな印象だ。クルタというなんの変哲もない白い木綿服を着ていた。台の上にあぐらをかいて合掌し、テントのなかを埋めつくす数百人の聴衆を、ゆっくり5分ほどかけて眺め回した。見るというより写しとるような眼差だった。なにも喋らない。さらに5~6分過ぎた。宙から垂れる透明な糸でもたぐり寄せるように、ふっと口をひらいた。流暢な英語だった。意味を追うよりも音の響きそのものに耳を澄ませたくなる声だ。(訳者あとがき)
実に見事な描写である。クリシュナムルティの言葉は水のように浸透し、風のように頬を撫でる。
・一読者からクリシュナムルティの料理人となった青年/『キッチン日記 J.クリシュナムルティとの1001回のランチ』マイケル・クローネン
真のコミュニケーションは見つめ合うところに極まることが、よく理解できる。互いの瞳が鏡となって光を反射し、世界を照らすのだ。世界に平和が訪れていないのは、我々が相手を見つめていない証拠といえよう。
「CSIS(米国戦略国際問題研究所)の日本再占領計画」関岡英之
Amazon.co.jpでの長期品切れ
年次改革要望書について分析した、2004年刊の『拒否できない日本』が、Amazon.co.jpで品切状態が続いたことで、インターネット上などで「米IT企業の代表格として日本に進出したアマゾンは小泉改革を推し進めたい。先の総選挙では、小泉陣営の邪魔になるから売らないのだ」との噂が飛び交った。
2011年刊の『国家の存亡 「平成の開国」が日本を亡ぼす』が、Amazon.co.jpで品切れ状態が現在進行中で続いている。ジャーナリストの水間政憲が自身のブログにて、TPPと年次改革要望書を紐付けた同書を日本国民の目に触れさせたくないことが理由であると指摘している。
アマゾン以外のショッピングサイトや書店では購入できる。
【Wikipedia】
2011-11-10
ケンタッキー・フライドチキンの動物虐待
それでも、まだ食べる?
Watch more videos at KentuckyFriedCruelty.com.
・Kentucky Fried Cruelty :: Undercover Investigations :: Pilgrim's Pride
戦争があっても学問の火を絶やさなかった慶應義塾/『新訂 福翁自伝』 福澤諭吉
新銭座の塾は幸いに兵火のために焼けもせず、教場もどうやらこうやら整理したが、世間はなかなか喧しい。明治元年の五月、上野に大戦争(彰義隊)が始まって、その前後は江戸市中の芝居も寄席も見せ物も料理茶屋も皆休んでしまって、八百八町は真の闇、何が何やらわからないほどの混乱なれども、私はその戦争の日も塾の課業を罷(や)めない。上野と新銭座とは二里も離れていて、鉄砲玉の飛んで来る気遣いはないというので、丁度あのとき私は英書で経済(エコノミー)の講釈をしていました。
【『新訂 福翁自伝』福澤諭吉:富田正文校訂(岩波文庫、1978年)】
(経王寺山門の銃痕。上野戦争時に彰義隊士をかくまい、新政府軍から攻撃を受けた際のものという)
4月に「慶應義塾」と命名したばかりであった。正確には慶応4年である。元号が明治になったのは9月8日のこと。鉄砲玉が飛んでこなくても砲声は聞こえたことだろう。銃火は一時(いっとき)のものであるが、学問の火には永続性がある。学ぶことは、そのまま国をつくることに通じていた。映画『HERO/英雄』に同様の場面がある。
・文明の火 福澤諭吉・ウェーランド経済書講述記念日
2011-11-09
なぜハイチは瓦礫に埋もれたままなのか 巨大地震からの復興を阻む統治の空白 3
・なぜハイチは瓦礫に埋もれたままなのか 巨大地震からの復興を阻む統治の空白 1
・なぜハイチは瓦礫に埋もれたままなのか 巨大地震からの復興を阻む統治の空白 2
・なぜハイチは瓦礫に埋もれたままなのか 巨大地震からの復興を阻む統治の空白 3
よりよい未来を建設するには
2010年にハイチが直面した切実な課題は、100億ドルの援助をどうすれば社会を変貌させる復興と再建に生かせるかという点にあった。「かつてよりもよい状態へ再建する」。これが復興のキャッチフレーズになった。その任務は気も萎えんばかりに大きかったが、特に複雑なことではなかった。人々をより地震の影響を受けにくいところで生活させ、この地域で雇用を創出し、社会サービスを提供する。これが基本だった。
これは本質的に新しい町を作ることを意味した。第1段階で住宅とインフラを建設する。このプロセスにおいて建設関連の雇用が創出される。第2段階で、建設需要による一時的雇用を、より持続的な雇用へと進化させていく。例えば、特恵的アクセスを認められている米市場向けの軽工業製品の生産工場を誘致すれば、持続的雇用が創出される。その結果、都市が成長していく。都市の成長は、経済開発が成功していることを示す大きな特徴であり、100億ドルの初期投資で、この流れを大きく刺激できたはずだった。
だが、より基本的な問題は、こうした流れを作り出す意思決定構造が存在するかどうかだ。ハイチ政府も、NGOも開発機関もこの点では有望ではない。状況が慢性的ではあっても急性ではない(ハイチよりはましな)国においてさえ、このジレンマに遭遇することはよくあるが、それが解決されることは滅多にない。アウトサイダーも、こうした現状に正面から取り組むのを尻込みする。
こうして、援助の拠出国は、怒りを禁じ得ない現実には目を向けずに、政府を迂回して直接NGOに資金を提供するか、援助そのものを打ち切る場合もある。ハイチでの慢性疾患を抱えるなかでの急性疾患は、この現実をさけられないものにした。
この状況に対処するために、弱体国家でのモデルとできるような革新的な制度が考案された。ハイチ政府と国際コミュニティが共同運営する暫定ハイチ復興委員会(IHRC)だ。この委員会は一時的ながらも、独自に決断を下す権限を持っていた。この委員会には二人の指導者がいた。一人は、計画相を務めた経験のあるベルリーブ首相。もう一人が、この国に長期的に関わってきたことが現地で評価されているビル・クリントン元米大統領だ。
IHRCは、機能不全状況を打開するために立ち上げられ、拠出国に対しては何に資金を提供すべきか、NGOに対しては何をすべきかを指示し、政府に代わって采配をふるった。このような国際委員会が依然としてハイチには不可欠だ。もちろん、長期的には、この委員会は完全にハイチ人によって運営されるものへと進化させていかなければならない。
予想された通り、IHRCは多くの敵を作り出すことになった。ハイチ政府はIHRCと調子を合わせたが、委員会との協力には必ずしも積極的ではなかった。政府の役人たちはIHRCのことを「自分たちの権限、そして略奪の機会を摘み取る脅威」とみなし、「委員会はハイチの主権を侵している」と公然と批判した。だが、役人が状況に不満を抱くのは理解できるとしても、こうした主張は不当だった。
ハイチ政府とは違って再建に真剣に取り組んだルワンダ政府は、この点を理解していた。ルワンダの役人たちは、拠出国に対して、財政政策面での権限を共有して欲しいと申し入れた。拠出国を安心させ、彼らに一部責任を担わせることで、ルワンダ政府は次第に拠出国にとって援助を提供しやすい環境を整備していった。
一方、IHRCがハイチで直面したのは、省庁の反発だけではなかった。国際的援助機関やNGOも、委員会の存在を「説明責任を負わない自分たちに対する脅威」とみなした。彼らの反対によって委員会の立ち上げは遅れ、あらゆる局面で障害が作り出された。この状況からみれば、IHRCを立ち上げたことそのものが妥当だったのかと問われても不思議はない。これにどう答えるかはIHRCのパフォーマンスに左右されるし、瓦礫の撤去がどの程度進んだかがパフォーマンスを判断するための単純な指標になる。
ファーマーが言うように、「瓦礫の撤去こそもっとも切実で明快な優先課題」だが、現実には撤去はほとんど進んでいない。建設関連のNGOは切実な使命感を持ってこの課題に取り組もうと、巨大な瓦礫粉砕のための機材を現地に持ち込もうとしたが、これがハイチの税関で5ヶ月間も足止めされた。クリアランスが遅れたのは税関業務の怠慢のためではない。公益を無視して機材の持ち込みを阻止しようとハイチの国内勢力がロビイングを展開したからだ。
瓦礫を撤去できたところには、新しい家を建てる必要があるが、現在も人々はテントで暮らしている。この領域での主要な障害は物質的なものではなく、法律領域にあった。土地名義をめぐる未解決の論争ゆえに、住宅建設を進められなかったのだ。
すべての領域の行動が利益団体の略奪的な動きによって妨げられ、この手詰まり状況を前に人々はシニシズムに陥っていった。唯一の解決策は、決意に満ちた権限を確立することだった。だが、IHRCはこれまでのところハイチの主権を乱用するどころか、過度に慎重になりすぎているようだ。
とはいえ、この国にそうした意思決定構造が必要なことをIHRCは十分に立証している。すでにIHRCは世界有数のアパレルメーカーをハイチに誘致することに成功し、この企業は、地震ゾーンから離れた北東の沿岸部に建設される予定の新しい都市で2万の雇用を創出すると約束している。
誘致と投資を成立させるにはきめ細かな調整が必要だった。例えば、都市と工場のインフラ整備のために資金を出すように援助拠出国を説得する必要があった。ハイチからのアパレル輸出をめぐる米市場へのアクセス改善に向けて米議会も説得しなければならなかった。ハイチ政府も、必要とされる許認可を出すとともに、規制枠組みを整備する必要が出てきた。地震の余波のなか、コレラが流行し、問題の多い選挙が行なわれるという困難な環境下で、プロジェクトのための投資を取り付けたのは、IHRCの非常に大きな成果とみなせよう。
これこそハイチがまさに必要としていたプロジェクトだった。しかし、予想通り、感情的なNGOは「アパレル工場は環境を破壊する」と主張して、プロジェクトに反対した。ファーマーは「ハイチでのプロジェクトにはそれこそ数えるのがいやになるほど多くの批判が寄せられる」とこぼしている。
ハイチが弱体な国家のままであっていいはずはない。この国は、よい近隣諸国と平和と繁栄に取り込まれている。近隣には軽工業製品を輸出できる広大な北米市場があるし、マンゴーなど栽培食物の輸出、ツーリズムなど、この国は数多くの機会に恵まれている。「慢性疾患を抱えるなかの急性症状」が引き起こした混乱に対処していくには、IHRCは適切なメカニズムだ。大規模な外国資金を必要としているものの、それをうまく管理できるシステムが存在しないからだ。IHRCがその機能を果たせる。
5月にミシェル・マテリ大統領率いる新政府が誕生している以上、IHRCの権限を見直す必要はあるが、ハイチのポテンシャルを生かす政策決定のための政治的敷石がついに完成した。このメカニズムが動き出せば、統治エリートたちは略奪の機会よりも、経済的進展の機会を重視するようになり、いずれIHRCと権限を分かち合う時代が終わりに近づいていると感じる時がやってくるだろう。
大地震は世界の関心を集め、ハイチへの大規模な援助が表明された。だが地震から時間が経つにつれて、世界の関心は薄れ始めている。ハイチの大きな悲劇に世界の関心を再び集めるであろうファーマーの熱い思いに満ちた著作は、国際社会に支援の約束を果たさせる助けになるだろう。
【ポール・コリアー(オックスフォード大学教授)/フォーリン・アフェアーズ・リポート 2011年11月8日】
なぜハイチは瓦礫に埋もれたままなのか 巨大地震からの復興を阻む統治の空白 2
・なぜハイチは瓦礫に埋もれたままなのか 巨大地震からの復興を阻む統治の空白 1
・なぜハイチは瓦礫に埋もれたままなのか 巨大地震からの復興を阻む統治の空白 2
・なぜハイチは瓦礫に埋もれたままなのか 巨大地震からの復興を阻む統治の空白 3
統治の空白と国際援助のジレンマ
なぜ地震がかくも甚大な被害を与えたのだろうか。それは、地震が起きる前からハイチの統治が破綻していたからだ。ハイチ地震から数週間後にさらに大きな地震がチリを襲ったが、現地の建築基準がしっかりしていたおかげで、ハイチよりもはるかに小さなダメージで済んでいる。ハイチにおける脆弱な統治は、被害を大きくしただけでなく、救済・復興対策への大きな障害となっている。
地震が起きる前から、社会の必要性を満たせていなかったハイチ政府は、地震によって社会サービスの必要性が爆発的に増大するという事態を前に、わずかに残されていた対応能力さえも失ってしまった。さらに悪いことに、選挙を控えていたために、政治、統治の機能不全はますますひどくなった。地震後の一年間は復興と再建がテーマとされるべきだったが、そうはならなかった。政治腐敗にまみれ、しかも長期化した大統領選挙の影響を引きずり、市民の政府への不信感はますます大きくなった。
ハイチの統治制度は事実上破綻していたし、現地が必要とする支援の内容と規模からみて、唯一の選択肢は国際支援だった。しかし、これも克服し難い障害に遭遇した。
ファーマーは、ハイチ政府が破綻したそもそもの原因は、植民地時代におけるフランス、その後のアメリカによる外部からの有害な介入だったと主張している。最近もアメリカは、事実関係のはっきりしない2004年のアリスティド大統領の追放劇に関与している。
民主的に選出されたポピュリスト政治家で、貧困層に多くの支持者を持っていたアリスティドは、ギャングが関係していた反乱によってポストを追われた。アリスティドはこの時以来、「介入のせいで自分はポストを失った」とアメリカの介入を批判している。このため、歴史的にも最近の出来事からも、ハイチ人は外国の介入に大きな猜疑心を持っており、これが人道支援にとっての大きな障害を作り出している。
支援の必要性は明らかに存在したが、政府が機能不全に陥っていたために、現地は、NGOにとって非常に活動しにくい環境にあった。
地震が起きる前の段階でも、ハイチではNGOのスタッフ約1万人が活動していた。その一つを運営していたファーマーは、NGOが全般的に政府を迂回して活動していることに批判的だ。
ファーマーも「政府の役人にはNGOの仕事を監督したり調整したりする能力はなく、NGO間の活動をどう調整するかが医療を提供する上での最大の課題の一つになっていること」と政府側に問題があることは認めている。だが、彼が言うように、問題はハイチの終わりのない膨大な必要性がNGOの対応能力をはるかに超えていることだ。子供の半分が学校に通っていないという問題をNGOが解決するのはどうみても不可能だ。
だが、NGOの活動が政府の機能不全をさらにひどくしているのも事実だ。NGOは現地の優秀な人材を根こそぎ雇い入れ、教育領域では政府よりもNGOが大きなプレゼンスを持っている。この状況で、政府に対して社会サービスを提供するように求める圧力が作り出されることはない。NGOが政府に代わって社会サービスを提供しているようなものだからだ。
ルワンダとハイチの違い
「効率のない国家をよりよい存在へと変えていくこと」と「さらに国家を形骸化させないようにすること」の間の矛盾と緊張は、ハイチのような脆弱な国家に介入する外部アクターがよく直面するジレンマだ。だが、地震がハイチの慢性的問題を急性の問題へと変化させたために、このジレンマはさらに大きくなった。
地震に見舞われたハイチへの大きな同情と連帯を示した国際社会は、救済と復興のために総額100億ドル規模のハイチへの援助を約束した。
だが拠出国は、腐敗まみれのハイチ政府に対する不信ゆえに援助資金を政府に渡すことを嫌がった。この点をめぐって、社会的混乱から復興への好ましいモデルとしてファーマーが思い描いているのはルワンダのケースだ。(現在ファーマーが活動している)ルワンダでは、1994年に大虐殺が起きた後、国際社会による援助によって効率ある国家の樹立が後押しされた。
ルワンダでの課題は非常に大きく、現地の壊滅的事態はハイチよりも悲惨で、開発に向けた機会も乏しかった。だが、政治エリートの質という側面でルワンダとハイチは大きく違っていた。1994年以降、ルワンダを率いてきたのは、利益供与や政治腐敗を退け、職務に忠実で能力のある官僚たちだった。対照的に、ハイチ政府のエリートは腐敗にまみれ、カネでポストを手に入れることも日常的だった。ファーマーが指摘していないのは、援助拠出国がもっとハイチ政府を支援していれば、盗み出せるものが多くなる分、ますます腐敗が深刻になっていたと考えられることだ。
政府が機能不全に陥っている原因を、悪意に満ちた外部勢力の介入に求めるファーマーの立場は間違ってはいない。しかし、だからといって、援助を提供する側がハイチの政治システムを信用しさえすれば、すべてがうまくいくことにはならない。
もちろん、私よりもファーマーのほうがハイチのことをよく理解している。だが、前首相で市民社会活動家のミシェル・ピエールルイを含む、私が尊敬するハイチの改革主義者たちは、ファーマーとは逆の処方箋を示している。「変化は内側からだけでは実現できない」と彼らは考えている。悪意に満ちた外部勢力の介入が、ハイチを機能不全へと追い込んだのかもしれないし、その結果、友好的な介入さえも難しくなっているのは事実だろう。しかし、外部アクターの介入が必要とされているのも間違いない。
ハイチ政府に資金を提供するのを援助拠出国がためらうのは無理もない。どうみても、政府は救済や復興を管理していく能力を持っていない。ハイチ政府に巨額の援助を与えれば、石油資源が発見された弱体な国家でよくみられる、援助を政治的支持に置き換える動きを刺激することになる。
だが、他の選択肢はもっと魅力に欠ける。この場合、ハイチ社会とは接点を持たない援助組織やNGOがばらばらに活動することを意味する。問題は、援助組織やNGOにとってこの状況が非常に魅力的なことだ。これを裏付けるように、地震後の活動の必要性、メディアでの露出、そして資金流入の組み合わせによって、現地で活動するNGOの数は5000へと膨れあがっている。地震前にも、NGOがハイチ全土で展開した無意味なプロジェクトの残骸が数多くある。その象徴としてファーマーは、3000万ドルの資金を要して建設され、いまは放棄されている風車の存在を指摘している。
【ポール・コリアー(オックスフォード大学教授)/フォーリン・アフェアーズ・リポート 2011年11月8日】
なぜハイチは瓦礫に埋もれたままなのか 巨大地震からの復興を阻む統治の空白 1
・なぜハイチは瓦礫に埋もれたままなのか 巨大地震からの復興を阻む統治の空白 1
・なぜハイチは瓦礫に埋もれたままなのか 巨大地震からの復興を阻む統治の空白 2
・なぜハイチは瓦礫に埋もれたままなのか 巨大地震からの復興を阻む統治の空白 3
統治なき国を襲った巨大地震
2010年1月12日にハイチを襲った壊滅的な地震を、自然災害の9.11と呼んでもおかしくはないだろう。地震によって多くの人が犠牲になった現地のせい惨な状況を、テレビ画面を通じて知った世界の人々は、ハイチの人々にかつてない同情と共感を寄せた。アメリカ人家庭の半数以上がハイチでの救済活動を支えるための寄付を行った。しかし、ほぼ3000人が犠牲になった2001年の9.11はその後10年経っても人々の心に深く刻まれているのに対して、地震で20万人が犠牲になり、その後、4000人以上がコレラその他の病気で命を落としたハイチで2010年に起きた悲劇の記憶はすでに色あせつつある。
(ハーバード大学医学部教授で、公衆衛生・医学領域での人道支援活動を世界的に展開している)ポール・ファーマーは、彼の熱意、医学的専門知識、ハイチとの深いつながりを基に、多くの人が忘れつつあるこの悲劇を、ここに取り上げる『地震後のハイチ』で議論している。
地震後の現地での状況を、ファーマーは個人的ストーリー、現実描写、分析という三つのレベルに分けて議論している。ハイチ人の妻を持つファーマーにとって、地震によって生活を大きく揺るがされた多くの人々のなかには彼の親戚や友人も含まれていた。ハイチとの深い絆ゆえに、彼の著作は、さまざまなエピソードと感情で満ちあふれている。
大きな悲劇を人々の記憶に刻みこむには、感情を共有できるようなパーソナルなストーリーが必要になる。ファーマーの著作にも、シラブという名の25歳の女性が登場する。彼女は、孤立し何も変わらない日常が流れる田舎から、期待を胸にハイチの首都ポルトープランスへとやってきた多くの若者の一人だった。だがその夢と期待は、ポルトープランスで出遭った安普請の粗末なアパート、そして地震によって打ち砕かれる。
崩壊したコンクリートの下敷きになり、片方の足は瓦礫に押しつぶされた。まだ意識のあるうちに、なんとか、通りへと這い出した彼女を、非政府組織(NGO)のスタッフが2日後に見つけたものの、この人物には、押しつぶされた足に包帯を巻くことしかできなかった。通りかかった牧師によって病院に連れていかれた彼女は、命を守るために、足の切断手術を受けた。路上では麻酔なしの切断処置が行われることが多かったことを思えば、少なくとも病院で麻酔を受けた上で片足の切断処置を受けた彼女は、他の人々よりは幸運だったのかもしれない。
こうしたパーソナルなストーリーを読めば、読者は動揺を隠せないだろう。だが、そうした心理的な衝動が人々を行動へと駆り立てる。
ポール・ファーマーは並み外れた活動家だ。カリスマ医師として、彼は1987年に12カ国で活動する公衆衛生国際NGO「パートナー・イン・ヘルス」を立ち上げ、地震が起きる前の段階で、すでにハイチに10の病院を設立していた。生と死をわけるような緊急事態のなかで直接的に成功と挫折を味わってきたファーマーは、このミッションを通じて、医療ケアを提供する上での問題と可能性についての指針を身につけていく。
他のNGOとは違って、パートナー・イン・ヘルスは、ハイチ保健省などの政府機関と緊密に連携して活動してきた。しかし、他のハイチの省庁同様に、保健省も地震によって瓦礫と化してしまった。ハイチの人々のための活動を通じて、ファーマーは、ハイチ復興への熱意を持ち、現地でも評価されていたビル・クリントン元米大統領と協力するようになった。
地震が起きる前段階で、クリントンは国連のハイチ特使になり、ファーマーは特使の代理人になっていた。非常に高いポジションから国際コミュニティの活動を監督する機会を得た彼は、現場において、官僚的手続きと差別ゆえに、協調支援行動のポテンシャルがいかに摘み取られているかを思い知るようになる。
一方で彼は、ハーバード大学医学部の公衆衛生学教授としての見識を、ハイチの医療危機、社会経済問題の分析にうまく生かした。ファーマーは、ハイチの状況を「慢性疾患を抱えるなかで発症した急性症状」と診断している。慢性的な社会的機能不全という環境で切実な危機が起きている、と現実を描写している。慢性的症状が急性症状をさらに深刻にし、緊急事態への対応を難しくしている。急性症状を治すには、慢性疾患を治さなければならないという、非常に難しい状況にハイチは追い込まれている。そして、政府が破綻していることが、社会的な機能不全の根っこにある。
【ポール・コリアー(オックスフォード大学教授)/フォーリン・アフェアーズ・リポート 2011年11月8日】
2011-11-08
フランス人に風鈴の音は聞こえない/『夢をかなえる洗脳力』苫米地英人
・世界とは自分が認識したもののことである
・フランス人に風鈴の音は聞こえない
・運命か自由意思か~偶然と必然
ある夏の日に、フランス人の女性と和室で会食したときのことです。その部屋には風鈴がかけられ、涼しげな音を奏(かな)でていました。ここで私はそのフランス人の女性に尋ねました。
「あなたはこの装置(風鈴のこと)の存在に、あるいはこの装置が発する音に気付いていましたか?」
案の定、その人はまったく気付いていませんでした。
「これはいったい何ですか?」
「これは言ってみれば『メンタル・エアー・コンディショナー』です。涼しげな音を出すことで、気持ちから涼しくする装置です」
そう説明してからは彼女は珍しそうに見入るようになりましたし、音にも注意を払って聞いていました。
でも、実際には説明する前から風鈴は彼女の視界にあったはずですし、音だって物理的信号としてはちゃんと彼女の鼓膜を振動させていたはずです。にもかかわらず、彼女は風鈴の存在にも音にも気付かなかった。それは彼女が「風鈴」というものを知らなかったからです。人は知らないものは認識できないのです。逆に言えば、認識できる範囲だけがその人にとっての世界ということになります。
【『夢をかなえる洗脳力』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(アスコム、2007年)】
前にも紹介しているのだが再掲。
・擬音語・擬態語 英語は350種類、日本語は1200種類/『犬は「びよ」と鳴いていた 日本語は擬音語・擬態語が面白い』山口仲美
我々は世界を認識しているわけではない。その証拠ともいえるエピソードである。つまり「認識されたもの」が世界なのだ。「世界は五感で構成されている」と言い換えてもよい。
「知らないものは認識できない」という指摘が重い。私が40歳を過ぎてからキリスト教の本を読むようになったのも全く同じ理由からだ。キリスト教を学ぶと世界や歴史の構造がくっきりと見えるようになる。
またこうも言えるだろう。世界とは認識世界であり解釈世界である、と。
西欧列強諸国は有色人種を虫けらと解釈してきた。教室内ではシカト(無視)という解釈もある。解釈が世界を変える。相手を「殺してもよい」「無視しても構わない」存在へと貶(おとし)めるのだ。
教義、法、秩序の根源にあるのはタブーである。すなわちコミュニティとは「タブーを共有する集団」と規定できる。宗教が集団原理と化したところに世界の混乱が生まれたと私は見る。
我々は興味や関心のない情報を無意識の内に切り捨てる。というよりも引っ掛からないのだ。ということは、穴ぼこだらけの世界に住んでいるのだろう。異なる価値観に歩み寄る努力を怠れば、穴はどんどん拡がってゆく。
フランス人に風鈴の音は聞こえなかった。ルワンダの叫び声やパレスチナの悲鳴も世界には届かない。
・日本語が作る脳:虫の音や雨音などを日本人は左脳で受けとめ、西洋人は右脳で聞く!?
・外人には虫の声は聴こえない?
・物語る行為の意味/『物語の哲学』野家啓一
TPP推進の米倉経団連会長の住友化学とモンサント社との関係
@masaru_kaneko
金子勝 TPP推進の米倉経団連会長の住友化学は、その米国子会社のベーラント USA 社が、米国の遺伝子組換農産物最大手モンサント社との間で提携関係にあります。米韓FTAでも遺伝子組み換え農産農産物が問題になっていますが、TPPでも問題になるかも。 http://t.co/cPkeHLIv
Nov 07 via webFavoriteRetweetReply
・住友化学株式会社:農作物保護(雑草防除)分野におけるモンサント社との長期的協力関係について(PDF)
・モンサント社が開発するターミネーター技術/『自殺する種子 アグロバイオ企業が食を支配する』安田節子
・自殺する種子。TPPと経団連とモンサントが日本を奴隷化する
2011-11-07
湯殿川
・湯殿川
・湯殿川を眺める
我が家の近くを湯殿川(ゆどのがわ)が流れる。源は拓大の構内だ。ま、どうってことのない川だ。たぶん生活排水も流れている。南浅川の方がずっと風情がある。しかし実にいい風が吹いている。特に椚田(くぬぎだ)から片倉にかけては盆地となっていることもあり、緑と土の香りが鼻をくすぐる。この辺りは畑も多い。片倉つどいの森公園という素晴らしい場所を発見した。10年近く住んでいるが、全く気づかなかった。何もない公園だが、心ゆくまで風を浴びることができる。
・浅川・湯殿川・武相国境尾根周辺の雑記帳 湯殿川
・多摩のジョギング道 湯殿川水辺の道
・浅川・湯殿川・武相国境尾根周辺の雑記帳 湯殿川あれこれ
・湯殿川を眺める
部屋が汚いのではない
アインシュタインも真っ青になる相対性理論(笑)。
@cure_zomy
伝説の戦士キュアゾミー 部屋が汚いのではない。私が美しいのだ。
Nov 26 10 via モバツイ / www.movatwi.jpFavoriteRetweetReply
2011-11-06
イスラエル大統領、「イラン攻撃の可能性高まった」
イスラエルのシモン・ペレス(Shimon Peres)大統領は現地時間5日夜、イスラエルや他の国々が「イランを攻撃する可能性はますます高まった」と語った。
ペレス大統領はイスラエルの民放チャンネル2に対し、「イランを監視している複数国の情報機関が、イランは核兵器を獲得する準備ができていると懸念し、自国首脳らに警告している」と語った。さらにペレス氏は「これらの国々が責任を果たすよう、われわれは働きかけなければならない」と述べ、「選択肢はたくさんある」と語った。
イスラエルでは3日、通常兵器及び非通常兵器のミサイル攻撃があった場合に備えた大規模な民間人防衛訓練が、テルアビブ(Tel Aviv)地域で完了したところ。また地元メディアは、イスラエルが「弾道ミサイル」の試験にも成功したと報じている。イスラエル国防省高官はAFPの取材に、この試験はかなり前から計画されていた「ロケット推進システムの試験発射」だと説明した。
8日のIAEA報告書に注目
イスラエルのヘブライ語日刊紙ハーレツ(Haaretz)は2日、ベンヤミン・ネタニヤフ(Benjamin Netanyahu)首相とエフド・バラク(Ehud Barak)国防相が、イラン攻撃について閣内の支持を取り付けようとしていると伝えた。
同紙によると、軍事攻撃についての決定はまだなされておらず、8日の国際原子力機関(IAEA)の報告書が意思決定プロセスに「決定的な影響」を及ぼすことになるという。
IAEAのこれまでの評価は、イランの核分裂性物質(ウランやプルトニウム)の生産状況を中心としていた。ウランやプルトニウムは発電などの平和利用もできるが、核爆弾の製造にも使える。
だが8日の報告書は、イランが行っていると疑われている放射性物質の弾頭への搭載や、核弾頭を運搬するミサイルの開発などに焦点をあてるという。外交官らは、8日か9日には報告書が外交関係者の間に出回るとみている。
ハーレツ紙が3日に発表した世論調査によると、イランの核関連施設への攻撃を支持すると回答した人は41%、攻撃に反対する人は39%、態度未定は20%だった。イランは、自国領内への攻撃があった場合にはイスラエルを「罰する」と宣言している。
【AFP 2011-11-06】
・イスラエル:核兵器保有の有無について
・イスラエル国防軍:核兵器の保有について
・現在400個の核爆弾保有? イスラエルの核兵器を告発しよう
・イスラエルの核
イスラエル軍、ガザ支援船2隻を海上で阻止 自国港へ回航
イスラエル軍は4日、地中海をパレスチナ自治区ガザへ向かっていた支援船2隻を停船させて兵士を乗り込ませ、イスラエル中部のアシュドッド港に回航させたと発表した。
「カナダのタハリール」号などの支援船にはカナダ、アイルランド、米国、オーストラリアやパレスチナ自治区住民らの活動家計27人が乗っており、イスラエル軍は同国警察と入管当局に身柄を引き渡すと述べた。兵士が乗り込んだ際、活動家らは抵抗しなかったという。
停船指示や回航はイスラエル政府の指示によるとし、国際法に基づいた行動であり、支援船は再三の停船、アシュドッド港への寄港命令などを無視し、海上警備網の突破を図ったと主張している。
一方、支援船派遣の組織によると、船はガザ海岸部から約89キロ離れたところで停船命令を受けた。積み荷は医薬品類とガザ住民への支援表明の手紙だけでありイスラエルの安全保障を脅かすものではないとし、兵士の乗船などは不法であり人道に対する罪であると強調した。また、ガザへの支援活動は今後も続けると宣言した。
この組織によると、イスラエルの海上封鎖が続くガザ地区への海路での支援活動は今回で11度目。2008年から今年8月までの間の活動でガザに到着したのは5度で、ほかはイスラエル軍の干渉を受け断念している。イスラエルはガザに拠点を置き、イスラエルへの攻撃を仕掛けるイスラム武装組織への武器密輸を警戒し、ガザを海上封鎖している。陸路での物資輸送も規制し、ガザへの支援供与はイスラエルの了解が必要と主張している。
ガザへの支援船を巡っては2010年5月、イスラエル軍が地中海上で支援船「アビマルマラ」を急襲、トルコ人乗船者9人を殺害する事件があり、それまで良好だったイスラエ、トルコ両国関係が一気に悪化するきっかけともなっていた。
この事件を調べた国連は、イスラエル軍の過度の実力行使を非難しながらも、海上阻止行動は安全保障の観点から合法的との判断を示していた。
【CNN 2011-11-05】
・ガザ支援船
ローマ・クラブ 地球温暖化詐欺(日本語字幕版)
歴史上最大の詐欺-地球温暖化・気候変動-ジョン・コールマン
9000名の博士号を含む31000名の科学者が温暖化人為説、脅威説を否定
・「地球温暖化詐欺」BBC製作
・地球温暖化詐欺アメリカ版(CNN)/正体暴露 脅迫の気候
リビア軍に捕らえられた反乱軍の男の証言
・同じ会社で働いていた二人の男が私の家に来て、彼らと一緒に反政府デモに参加するように言った。
・彼らは、一緒に来なければ仕事を首になり、家族に面倒なことが起こると言った。
・それで私は反乱軍に加わった。
・カダフィ支持派の家族がいると伝え聞いた。
・彼らは私たちに家族を襲って、娘たちをさらってくるように命じた。
・私たちは裁判所の別棟に娘たちを閉じ込めた。
・彼らは私たちに娘たちと寝るように言った。
・私たちは娘たちを強姦し、その後乳房を切り取った。
・服従の本質/『服従の心理』スタンレー・ミルグラム
・服従心理のメカニズム/『服従実験とは何だったのか スタンレー・ミルグラムの生涯と遺産』トーマス・ブラス
・カダフィ
ニートにはなれるけど
@ono_matope
小野マトペ NEETにはなれるけどTEENにはもうなれない。
Dec 26 07 via webFavoriteRetweetReply
子供の頃、「早く大人になりたい」と思った。今なぜ「早く年寄りになりたい」と思わないのだろうか?
ダン・アリエリー、サンガジャパン、ヒクソン・グレイシー、湯浅勲
4冊挫折。
『不合理だからすべてがうまくいく 行動経済学で「人を動かす」』ダン・アリエリー:櫻井祐子訳(早川書房、2010年)/私が30代なら読んだことだろう。50歳近くなると、「人を動かす」ことには興味が湧かない。『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』を読めば十分だろう。
『サンガジャパン Vol.5(2011 Spring)』ティク・ナット・ハン、アルボムッレ・スマナサーラ、佐々井秀嶺、宮崎哲弥、田口ランディ、他(サンガ、2011年)/結構期待していたのだが、びっくりするほど面白くなかった。佐藤剛裕の名前を目にした時点で気づくべきであった。日本の仏教界が苫米地英人〈とまべち・ひでと〉に太刀打ちできない現状がよくわかった。
『ヒクソン・グレイシー 無敗の法則』ヒクソン・グレイシー、ミゲール・リーヴァスミクー構成(ダイヤモンド社、2010年)/翻訳者の名前がどこにもない。ま、その程度の本だ。構成以前の問題で、きちんとリライトすべきだろう。ネームバリューにぶら下がっただけの代物。
『思想革命 儒学・道学・ゲーテ・天台・日蓮』湯浅勲(海鳥社、2003年)/定価5250円。古本屋で買ったのだが、それでも半額だ。もったいないので飛ばし読みする予定だ。出だしは好調なんだが、日蓮の章で明らかにトーンが変わる。突然、「日蓮大聖人」という表記になるのだ。しかも日蓮遺文の現代語訳については『日蓮大聖人御書講義』(聖教新聞社)から引用し、創価学会の池田大作名誉会長の著作からの孫引きが目立つ。湯浅は冒頭で孔子の「名を正す」ことを挙げておきながら、特定の人物に対して敬称を付与する過ちを犯しており、自語相違の謗りを免れない。真摯な思索の結論がプロパガンダの臭みを伴い、台なしになっている。出版社の見識を疑う。
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