2014-10-30

侈傲(しごう)の者は亡ぶ/『奇貨居くべし 火雲篇』宮城谷昌光


『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
・『太公望』宮城谷昌光
『管仲』宮城谷昌光
『重耳』宮城谷昌光
『介子推』宮城谷昌光
・『沙中の回廊』宮城谷昌光
『晏子』宮城谷昌光
・『子産』宮城谷昌光
『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
『孟嘗君』宮城谷昌光
『楽毅』宮城谷昌光
『青雲はるかに』宮城谷昌光

 ・戦争を問う
 ・学びて問い、生きて答える
 ・和氏の璧
 ・荀子との出会い
 ・侈傲(しごう)の者は亡ぶ
 ・孟嘗君の境地
 ・「蔽(おお)われた者」
 ・楚国の長城
 ・深谿に臨まざれば地の厚きことを知らず
 ・徳には盛衰がない

『香乱記』宮城谷昌光
・『草原の風』宮城谷昌光
・『三国志』宮城谷昌光
・『劉邦』宮城谷昌光


 奴隷の身を脱した呂不韋〈りょふい〉は稀代の人相見である唐挙〈とうきょ〉という人物と巡り合い、そのまま従者となる。

瓊玉(けいぎょく)で室内を飾るのは、亡びの兆(きざ)しであるとおもったほうがよい。西(せい)氏の賈(こ)には、あくどさがあるらしい」
 と辛(から)いことをいった。
「天子や諸侯も玉で飾られた宮殿に住んでおられるのではないのですか。亡びの兆しはそこにはないのでしょうか」
 呂不韋〈りょふい〉の問いのほうがすさまじい。
「侈傲(しごう)の者は亡ぶ。貴賎を問わず、そうです。では、なぜ、天子や諸侯は亡びないのか。先祖の遺徳がそれらの貴人を助けているからだ。それに気づかず、侈傲でありつづければ、三代で亡ぶ。この家の主の西氏は、一代で成功した者であり、先祖が徳をほどこしたとはおもわれないゆえ、目にみえない助けは得られず、わざわいをまともにかぶる」
「それを西氏にお語(つ)げになるのですか」
「問われれば、いう。兆しとは、あくまでも兆しであり、凶の兆しでも消すことはできる」

【『奇貨居くべし 火雲篇』宮城谷昌光(中央公論新社、1998年/中公文庫、2002年/中公文庫新装版、2020年)】

 厳密にいえば唐挙は占い師ではない。しかし一を見て万を知ること斯(か)くの如しである。抜きん出た洞察力によって彼の名声は広く知られていた。相手が貴族であろうが庶民であろうが人相を見てピタリと何でも当ててみせた。

 侈傲(しごう)とは奢侈(しゃし)と同じ意味であろう。傲と奢はいずれも「おごり」と読む。とすれば「度をこえてぜいたくなこと。身分不相応な暮らしをすること」(大辞林)と考えてよさそうだ。

 殷(いん)の紂王(ちゅうおう)が象牙の箸(はし)を作った時、箕子〈きし〉はひとり憂(うれ)えた(箕氏の憂い)。欲望には限度がない。ひとたび贅沢(ぜいたく)が度を越せば際限のない刺激を求めて大事を見失う。成り金が転落する理由もここにある。

 唐挙が紡(つむ)ぐ物語は巧みで深い。人相見が当たる当たらぬよりも人々が共感する物語を示したところに彼の本領があるのだろう。

    

2014-10-29

ナミブ砂漠のデッドフレイ



テロとは/『日本はテロと戦えるか』アルベルト・フジモリ、菅沼光弘


 ・テロとは

『この国を支配/管理する者たち 諜報から見た闇の権力』中丸薫、菅沼光弘:2006年
『菅沼レポート・増補版 守るべき日本の国益』菅沼光弘:2009年
『この国のために今二人が絶対伝えたい本当のこと 闇の世界権力との最終バトル【北朝鮮編】』中丸薫、菅沼光弘:2010年
『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎:2010年
『この国の権力中枢を握る者は誰か』菅沼光弘:2011年
『この国の不都合な真実 日本はなぜここまで劣化したのか?』菅沼光弘:2012年
『日本人が知らないではすまない 金王朝の機密情報』菅沼光弘:2012年
『国家非常事態緊急会議』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄:2012年
『この国はいつから米中の奴隷国家になったのか』菅沼光弘:2012年
『誰も教えないこの国の歴史の真実』菅沼光弘:2012年
『神国日本VS.ワンワールド支配者』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄
『この世界でいま本当に起きていること』中丸薫、菅沼光弘:2013年
『日本を貶めた戦後重大事件の裏側』菅沼光弘:2013年

 テロとは何か。それを客観的に定義することは困難ですが、簡単にいえば、「政治的目的をもって実行される暴力」です。テロという言葉の起源を辿れば、フランス革命にまで遡ります。(菅沼光弘)

【『日本はテロと戦えるか』アルベルト・フジモリ、菅沼光弘(扶桑社、2003年)】

テロリズム
テロとフランス革命:武田邦彦

日本はテロと戦えるか
アルベルト フジモリ 菅沼 光弘
扶桑社
売り上げランキング: 1,408,879

荀子との出会い/『奇貨居くべし 火雲篇』宮城谷昌光


『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
・『太公望』宮城谷昌光
『管仲』宮城谷昌光
『重耳』宮城谷昌光
『介子推』宮城谷昌光
・『沙中の回廊』宮城谷昌光
『晏子』宮城谷昌光
・『子産』宮城谷昌光
『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
『孟嘗君』宮城谷昌光
『楽毅』宮城谷昌光
『青雲はるかに』宮城谷昌光

 ・戦争を問う
 ・学びて問い、生きて答える
 ・和氏の璧
 ・荀子との出会い
 ・侈傲(しごう)の者は亡ぶ
 ・孟嘗君の境地
 ・「蔽(おお)われた者」
 ・楚国の長城
 ・深谿に臨まざれば地の厚きことを知らず
 ・徳には盛衰がない

『香乱記』宮城谷昌光
・『草原の風』宮城谷昌光
・『三国志』宮城谷昌光
・『劉邦』宮城谷昌光


 すでに呂不韋〈りょふい〉たちは、牛馬のごとく舟に積みこまれ、黄河をくだり、南岸に上陸し、稜に近づきつつあった。
 ――こういう現実がある。
 信じられぬおもいで、呂不韋は天を仰ぎ、地をみつめ、人をながめた。弱者とは、いやおうなくこうなるものか。では、強者とは、何であるのか。秦(しん)が強者で趙が弱者であるとすれば、何が秦を強くし、何が趙を弱くしたのか。この世にも貧富の差がある。その差はどこから生ずるのか。いま強国であっても太古から強国ではあるまい。富家も昔から富家ではあるまい。国も家も人も盛衰というものがあり、その盛衰をつかさどる力、あるいはその盛衰をあやつる法則などが、どこにあるのか。
 そういう問いをたれにもぶつけることのできぬ歩行のなかにいるのは、呂不韋ばかりではない。みな黙々とおのれの暗さのなかを歩いている。この500人というのは、いきなり悲運の淵につき落とされた者ばかりではなく、もともと私家の奴隷であった者が徴発された場合もふくまれており、かれらは悲運をひきずっているということになる。

【『奇貨居くべし 火雲篇』宮城谷昌光(中央公論新社、1998年/中公文庫、2002年/中公文庫新装版、2020年)以下同】

 戦乱の中で呂不韋は囚われの身となる。待ち受けていたのは奴隷という立場であった。順境にあっても逆境にあっても彼は問い続けた。問うことと疑うことは似て非なるものだ。偉大な人物はおしなべて我が身の不遇を嘆き運命を疑うことがない。自分を含む世界を突き放して客観的に捉える。なぜなら不幸も幸福も移ろいゆくものであることを自覚しているためだ。万物は流転する。ゆえに流転する万物を達観し好機を待てばよい。

 呂不韋は雉〈ち〉という奴隷の少年と出会う。雉〈ち〉は生まれながらの奴隷であったが、呂不韋と出会い従者となる。

 呂不韋はかつて慎子〈しんし〉という師に学んだ。思想家の慎到〈しんとう〉である。呂不韋は雉〈ち〉に慎子の教えを授けた。ある時、昂然(こうぜん)と慎子を批判する男が現れた。30歳前後と見える男は難解な言葉をやすやすと操った。

 この男から呂不韋は顔つきを厳しく注意される。「逃げたい、逃げたい。かならず逃げてやる。かならず、かならず、と喋りつづけている。うるさいことだ。その声がきこえるのは、わしばかりではない。役人がなんじの貌(かお)をみれば、やはりその声をきき、なんじはもっと逃走しにくいところで働かされることになる。わかったか」。

 それは事実であった。呂不韋は脱走を考えていた。

 呂不韋はうつむき、地をみた。そこに自分の影がある。
 陽翟(ようてき)の実家でみつめていた影とおなじで、さびしく、楽しまない影である。
 呂不韋のまなざしがうつろになったのをみた孫〈そん〉は、
「すっかり萎(しお)れてしまったな。願いが浅いところにあるからだ。それだけ傷つきやすい。花をみよ。早く咲けば早く散らざるをえない。人目を惹(ひ)くほど咲き誇れば人に手折られやすい。人もそうだ。願いやこころざしは、秘すものだ。早くあらわれようとする願いはたいしたものではない。秘蔵せざるをえない重さをもった願いをこころざしという。なんじには、まだ、こころざしがない」
 と、皮肉をまじえていった。おし黙った呂不韋をはげましているのか、怒らせているのか。とにかくこのことばは、多少、呂不韋の活力をうしなった心をゆすぶった。
「こころざしで穣(じょう)邑の門を破れますか。こころざしで穣邑の壁を崩せますか」
「たやすいことだ。こころざしによって、地に潜ることができ、天に昇ることもできる」
 孫はなんのためらいもみせずにいった。
 ――狂人かもしれぬ。
 呂不韋はそう疑った。

 これが荀子(※本書では孫子と表記される)その人であった。呂不韋はまだ十代か。名場面である。成功を望む人は多い。だがそこに「世を直す」「人々を助く」との志を持つ人は稀(まれ)だ。いたずらにランクアップを願う学校、ひたすら勢力拡大に奔走する教団。そのどこに志があるというのか。美しい言葉で理想を語りながら実際は自分たちの利益しか考えていない。

「秘蔵せざるをえない重さをもった願いをこころざしという」――ならば志は飽くまでも孤独の中で生まれ、鍛えられ、培(つちかわ)われてゆくのだろう。それを全体主義的に人民に強制したのが社会主義国家の「同志」なる言葉だ。同志でないと認定されればいとも簡単に粛清された。似た志を持つことはできても、志を同じくすることはできない。そして志は教えることも強いることもできない。なぜなら志とは生きるものであるからだ。

 後日、呂不韋は襟を正して教えを請う。荀子は「教鞭をとりたくても、わしには鞭(むち)がない。不韋〈ふい〉はおのれを鞭で打たねばならない。それを勉強という。それをやるか」と問い、呂不韋は「懸命に、いたします」と応じ、入門を許された。

    

2014-10-28

民主主義のスクラップ・アンド・ビルドを繰り返すアメリカ/『この国を支配/管理する者たち 諜報から見た闇の権力』中丸薫、菅沼光弘


『日本はテロと戦えるか』アルベルト・フジモリ、菅沼光弘:2003年

 ・民主主義のスクラップ・アンド・ビルドを繰り返すアメリカ
 ・郵政民営化の真相
 ・日本の伝統の徹底的な否定論者・竹内好への告発状 その正体は、北京政府の忠実な代理人(エージェント)

『菅沼レポート・増補版 守るべき日本の国益』菅沼光弘:2009年
『この国のために今二人が絶対伝えたい本当のこと 闇の世界権力との最終バトル【北朝鮮編】』中丸薫、菅沼光弘:2010年
『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎:2010年
この国の権力中枢を握る者は誰か』菅沼光弘:2011年
『この国の不都合な真実 日本はなぜここまで劣化したのか?』菅沼光弘:2012年
『日本人が知らないではすまない 金王朝の機密情報』菅沼光弘:2012年
『国家非常事態緊急会議』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄:2012年
『この国はいつから米中の奴隷国家になったのか』菅沼光弘:2012年
『誰も教えないこの国の歴史の真実』菅沼光弘:2012年
『この世界でいま本当に起きていること』中丸薫、菅沼光弘:2013年
『神国日本VS.ワンワールド支配者』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄
『日本を貶めた戦後重大事件の裏側』菅沼光弘:2013年
『沈むな!浮上せよ! この底なしの闇の国NIPPONで覚悟を磨いて生きなさい!』池田整治、中丸薫

『この国を支配/管理する者たち 諜報から見た闇の権力』中丸薫、菅沼光弘(徳間書店、2006年)で中丸が薦めている動画を紹介する。かような国家に日本の安全保障を託している事実を考え直すべきだ。



テロリストは誰?ガイドブック

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この国を支配/管理する者たち―諜報から見た闇の権力
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2014-10-27

アルベルト・フジモリ、菅沼光弘、中丸薫


 1冊挫折、1冊読了。

日本はテロと戦えるか』アルベルト・フジモリ、菅沼光弘(扶桑社、2003年)/菅沼にいつものスピード感がない。相手が相手だけに仕方のない側面があるが。読む必要がないと判断。

 81冊目『この国を支配/管理する者たち 諜報から見た闇の権力』中丸薫、菅沼光弘(徳間書店、2006年)/「なぜ中丸と?」という思いを抱えながら開いた。中丸はスピリチュアル系トンデモ派とでもいうべき人物。明治天皇の孫を自称していることを初めて知った。しかしながら、この女性の人脈は決して侮ることができない。これほど多くの国家元首クラスと会談した人物を私は知らない。ロスチャイルドやロックフェラーとも電話一本で会うことができるというのだから凄い。金日成とも会う予定であったが実現直前に逝去。当時、北朝鮮国内にいた唯一の西側ジャーナリストとして彼女の発言は世界中に報じられた。実に不思議な存在である。菅沼が対談をしたのも何か理由があってのことだろう。中丸の部分は飛ばし読み。既に絶版となっているが菅沼の話を読むだけでも定価(1600円)に十分見合う内容だ。


2014-10-26

初めにビットありき/『宇宙をプログラムする宇宙 いかにして「計算する宇宙」は複雑な世界を創ったか?』セス・ロイド


『史上最大の発明アルゴリズム 現代社会を造りあげた根本原理』デイヴィッド・バーリンスキ

 ・初めにビットありき

『量子が変える情報の宇宙』ハンス・クリスチャン・フォン=バイヤー
『宇宙が始まる前には何があったのか?』ローレンス・クラウス
『宇宙を織りなすもの』ブライアン・グリーン

情報とアルゴリズム

「初めにビットありき」と私は話を切り出した。複雑系を研究するサンタフェ研究所が居(きょ)を構える17世紀建立(こんりゅう)の修道院の礼拝堂には、いつもと変わらぬ物理学者、生物学者、経済学者、数学者の集団と、それから数多くのノーベル賞受賞者に影響を与えた一人の人物がいた。私は、宇宙物理学と量子重力の大家であるジョン・アーチボルト・ホイーラーに、『Itはビットからなる』というタイトルで講演するよう求められ、それを引き受けたのだった。

【『宇宙をプログラムする宇宙 いかにして「計算する宇宙」は複雑な世界を創ったか?』セス・ロイド:水谷淳〈みずたに・じゅん〉訳(早川書房、2007年)以下同】

「初めにビットありき」! 痺(しび)れた。「言葉」でも「光」でもない。「情報」だ。『Itはビットからなる』というのは、もちろんジョン・ホイーラーが提唱した「It from bit」を受けたものだろう。

宇宙を決定しているのは人間だった!?― 猫でもわかる「ビットからイット」理論

 ジョン・ホイーラー(最近は「ウィーラー」という表記も多い)は類稀な言葉のセンスの持ち主でブラックホールの命名者でもある。

「事物、すなわち“It”は、情報、すなわち“ビット”から生まれます」と、私は、緊張した手でリンゴを投げあげながら続けた。「このリンゴは“It”の良い例です。リンゴは昔から情報と結びつけられてきました。まず何よりも、“禁断の一口が世界に死とすべての苦悩をもたらした”知の果実として、リンゴによって運ばれる情報には、良いものも悪いものもあります。時が下り、リンゴの落下する軌道からニュートンが万有引力の法則を明らかにし、リンゴの表面はアインシュタインの説く歪(ゆが)んだ時空の喩(たと)えにもなりました。もっと直接には、リンゴの種の中に閉じ込められた遺伝暗号が、将来育つリンゴの木の構造をプログラミングしています。そして最後に、リンゴには自由エネルギー、すなわち、われわれの体を機能させるうえで必要な、ビットに富む何キロカロリーものエネルギーが含まれているのです」

「事物、すなわち“It”は、情報、すなわち“ビット”から生まれます」――つまり情報理論とは仏教の唯識なのだ。唯識は認識機能に立脚するが、認識対象はすなわち情報である。世界の本質は認知世界であり、世界はこれ情報であり唯識である。目の前に世界が広がっているわけではなく、世界は感覚器官に収まる。

「このリンゴには、当然さまざまな【タイプの】情報が含まれています。いったいこのリンゴには、【どれだけの】情報が含まれているのでしょうか? 1個のリンゴの中には、【どれだけの】ビットが存在するのでしょうか?」私はリンゴをテーブルに置き、ボードの方を向いてちょっとした計算をした。「面白いことに、1個のリンゴに含まれるビットの数は、20世紀初頭、“ビット”という言葉が誕生する前からわかっていました。ちょっと考えただけだと、1個のリンゴには無限個のビットが含まれていると思えるかもしれませんが、そんなことはない。実は、リンゴとその原子の微視的状態を特定するのに必要なビットの数は、あらゆる物理系を支配する量子力学の法則によって、有限とされています。1個1個の原子は、その位置と速度という形でわずか数ビットを記録しているにすぎないし、一つ一つの原子核が持つ核スピンは、たった1ビットしか記録していません。結果として、このリンゴには、原子の数のわずか数倍、すなわち10億の10億倍の数百万倍個の0と1が含まれているだけなのです」

 残念なおしらせだ。無限の可能性は否定された。ビットは有限なのだ。ただし我々の日常感覚からすればやはり無限に近い。そもそも観測可能な宇宙に存在する原子の総数が10の80乗個と推定されている。因(ちな)みに宇宙全体にある星の数は地球上の砂の数を上回る(「砂(すな)の数と星の数」)。

 セス・ロイドは量子コンピュータの第一人者で、本書において宇宙そのものが巨大コンピュータであるという驚くべき仮説を示す。情報処理という観点に立つと「計算」というキーワードが重要になる。

松原久子、佐藤優、夏井睦


 2冊挫折、1冊読了。

炭水化物が人類を滅ぼす 糖質制限からみた生命の科学』夏井睦〈なつい・まこと〉(光文社新書、2013年)/前著『傷はぜったい消毒するな 生態系としての皮膚の科学』(光文社新書、2009年)が売れたことに気をよくしたのだろう。「はじめに」で中年オヤジでも簡単にスリムになることができる方法を紹介しよう、と断っておきながら、スリムな男性は自分一人でいいので同年代の男性には読んで欲しくないと綴っている。本人は炎上マーケティングのつもりであったのかもしれないが読者を小馬鹿にしすぎている。その驕りに付き合う必要も時間も私にはない。

宗教改革の物語  近代、民族、国家の起源』佐藤優〈さとう・まさる〉(角川書店、2014年)/気合いのこもった一冊である。今時珍しい重厚なハードカバーだ。「まえがき」では作家人生を決めた井上ひさしとの出会いを綴っている。ただし本文には食指が動かず。キリスト教系ではR・ブルトマンの『イエス』を超えるものでなければ読む気がしない。

 80冊目『驕れる白人と闘うための日本近代史』松原久子:田中敏〈たなか・さとし〉訳(文藝春秋、2005年/文春文庫、2008年)/松原は日本人であるが原著がドイツ語のため翻訳モノとなっている。大番狂わせだ。本書の登場によって安冨歩著『生きる技法』は2位に転落してしまった。もちろん私の興味が日本近代史に向かっていたことも大きく作用している。私は北海道で生まれ育った。で、北海道はたぶん日教組が強い。記憶にある限りでは君が代を歌ったことは一度しかない。それも中学の音楽の時間で習った時だ。天皇陛下も遠い存在であった。上京してから天皇陛下のカレンダーを飾っているお宅を見てびっくりした覚えがある。旗日に日の丸を掲げるような家もなかったように思う。私が天皇陛下を初めて意識したのは東日本大震災の時である。生まれて初めて心の底から「陛下!」と思った。菅沼光弘や中西輝政を読み、近代史に蒙(くら)い脳味噌に少し明かりが射した。そして本書によって日本人であることに誇りを抱いた。松原の日本礼賛には多少偏りがあるかもしれない。しかし彼女はドイツで文筆活動やテレビ出演を通して日本の歴史を正しく伝えるべく孤軍奮闘している(現在はアメリカ在住)。時にはドイツ市民から暴力を振るわれたこともあったという。その生きざまに心を打たれる。右も左も、エホバも創価学会も、老いも若きも、日本人と名乗るべき人は全員が読むべき一冊である。

2014-10-25

和氏の璧/『奇貨居くべし 春風篇』宮城谷昌光


『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
・『太公望』宮城谷昌光
『管仲』宮城谷昌光
『重耳』宮城谷昌光
『介子推』宮城谷昌光
・『沙中の回廊』宮城谷昌光
『晏子』宮城谷昌光
・『子産』宮城谷昌光
『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
『孟嘗君』宮城谷昌光
『楽毅』宮城谷昌光
『青雲はるかに』宮城谷昌光

 ・戦争を問う
 ・学びて問い、生きて答える
 ・和氏の璧
 ・荀子との出会い
 ・侈傲(しごう)の者は亡ぶ
 ・孟嘗君の境地
 ・「蔽(おお)われた者」
 ・楚国の長城
 ・深谿に臨まざれば地の厚きことを知らず
 ・徳には盛衰がない

『香乱記』宮城谷昌光
・『草原の風』宮城谷昌光
・『三国志』宮城谷昌光
・『劉邦』宮城谷昌光


 呂不韋〈りょふい〉が拝礼して、数歩すすみ、ゆっくりすわった。うしろの鮮乙〈せんいつ〉は呂不韋よりおくれてすわった。
「ここにあります物を入手した事情は何も申し上げません。人を殺したり、盗んだりしたというやましい行為を経た物でないことだけは申しておきます。もしも黄氏に褒章のお気持ちがおありでしたら、そのすべてを、うしろにおります鮮乙にたまわりとう存じます」
 呂不韋は黄歇〈こうけつ〉にむかってからだを折り、頭をゆかにつけた。
「おお、これがまことに和氏(かし)の璧(へき)であったら、わが家財の半分をさずけてもよい」
 黄歇の声がうわずっている。呂不韋は口もとをほころばせ、
「黄氏、商人は信義を重んじます。いちどとりきめたことは守らねばなりません。その信義からみれば、貴家の財の半分をさげわたすとは、虚言にひとしく、そういう虚言を弄されるかたが国の存亡にかかわる大任を果たせるはずがありません。この和氏の璧があろうがなかろうが、あなたさまは、ご自分の虚言によって身を滅ぼされるでしょう」
 と、激しくいい放ち、絹布をつかんで立とうとした。
「待て」
 黄歇の手が呂不韋の腕をつかんだ。
 呂不韋は黄歇をにらみかえした。おとなしく楚(そ)の使者に和氏の璧を献上するだけだとおもっていた鮮乙は、呂不韋の激しい態度に仰天するおもいで事態を見守っている。鮮芳〈せんほう〉も、ひごろおとなしい呂不韋が、楚の貴族に恐れ気もなく直言したことで、
 ――この童子はただものではない。
 と、認識をあらたにした。
「ゆるせ。喜びのあまり、おもわぬことを口走った。あらためていう。もしもこれが和氏の璧であったら、黄金百鎰(いつ)を鮮乙につかわそう。それでどうか」
 黄歇はのちに楚の国政をあずかる男である。肚は太く、智に冴えがあり、人を観(み)る目はもっている。呂不韋という少年がいったことに道理があると認めれば、おのれの非を払い、ことばに真情をそえることにやぶさかではない。

【『奇貨居くべし 春風篇』宮城谷昌光(中央公論新社、1997年/中公文庫、2002年/中公文庫新装版、2020年)】

 呂氏(りょし)は賈人(こじん=商人)で不韋〈ふい〉は養子であった。呂不韋が15歳の時、父から鉱山の視察へゆくよう命じられる。父が目に掛けていた店員の鮮乙〈せんいつ〉が旅に同行する。彭存〈ほうそん〉は山男である。

 呂不韋は偶然、和氏(かし)の璧(へき)を手に入れる。これは楚(そ)が趙(ちょう)に贈る途中で強奪されたものだった。黄歇〈こうけつ〉が楚の使者であり、後に春申君と呼ばれる。戦国四君の一人。鮮芳〈せんほう〉は鮮乙〈せんいつ〉の妹である。

 現在でいえば中学生が大臣に向かって話をしているようなものだろう。宮城谷作品にはこの手のエピソードが多いが、そのたびに私は「あ、晏子〈あんし〉だな」と胸が高鳴る。もちろん著者の想像が働いている。だが周囲に正しい言葉を吐く大人が存在すれば、その「気」を吸いながら子供が育つことはあり得るだろう。

 黄金百鎰は約32キログラム。10年間飲まず食わずで働いても手の届かぬ大金である。呂不韋は「そんなにもらえるのか」と内心で驚いた。

 楚の国宝であった和氏(かし)の璧(へき)が更なるドラマを生む。趙国(ちょうこく)に渡った壁(へき)を秦王(しんおう)が奪おうと目論み親書を遣(つか)わす。趙の恵文王〈けいぶんおう〉が秦への使者に選んだのが藺相如〈りんしょうじょ〉であった。秦王(しんおう)とのやり取りは「怒髪天を衝く」(『史記』では「怒髪上〈のぼ〉りて冠を衝〈つ〉く」)の言葉で現在にまで伝わる。「刎頸(ふんけい)の交わり」も藺相如〈りんしょうじょ〉に由来する。

 これだけでも豪華キャストだが、荀子と年老いた孟嘗君〈もうしょうくん〉まで登場する。呂不韋は一つひとつの出会いを通して成長してゆく。

    

2014-10-23

学びて問い、生きて答える/『奇貨居くべし 春風篇』宮城谷昌光


『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
・『太公望』宮城谷昌光
『管仲』宮城谷昌光
『重耳』宮城谷昌光
『介子推』宮城谷昌光
・『沙中の回廊』宮城谷昌光
『晏子』宮城谷昌光
・『子産』宮城谷昌光
『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
『孟嘗君』宮城谷昌光
『楽毅』宮城谷昌光
『青雲はるかに』宮城谷昌光

 ・戦争を問う
 ・学びて問い、生きて答える
 ・和氏の璧
 ・荀子との出会い
 ・侈傲(しごう)の者は亡ぶ
 ・孟嘗君の境地
 ・「蔽(おお)われた者」
 ・楚国の長城
 ・深谿に臨まざれば地の厚きことを知らず
 ・徳には盛衰がない

『香乱記』宮城谷昌光
・『草原の風』宮城谷昌光
・『三国志』宮城谷昌光
・『劉邦』宮城谷昌光


 もっともこの年ごろの少年は、肉体の成長が意識の成長をはるかに超えてゆく。その点にかぎらず、人はいろいろな面において遅速(ちそく)があり、それらの足なみがそろうのが、四十歳なのであろう。
 ――四十にして惑(まど)わず。
 と、孔子がいったのも、孔子個人の精神遍歴ではあるまい。旅が孔子にさまざまなことを教えたように、呂不韋(りょふい)の精神にことばをたくわえさせた。端的にいえば、
「問う」
 ということができるようになった。耳目にふれるものが否応なく問いを発しているといってもよい。その問いに答える者は、けっきょく自身しかいない、ということもわかる。生きてゆくうちに答えを見つける、そういう答えかたしかできず、その答えかたこそ、おのれの生き方にある。呂不韋という内省に富んだ少年は、そのことに気づきつつある。

【『奇貨居くべし 春風篇』宮城谷昌光(中央公論新社、1997年/中公文庫、2002年/中公文庫新装版、2020年)】

「旅」という言葉には心を掻(か)き立てる響きがある。止(や)み難い憧憬(どうけい)の理由がわかった。もちろんここでいう「旅」とは観光や出張のことではない。本格的な移動を意味する。文明が発達する以前、人や物は歩くスピードで交流する他なかった。移動のダイナミズムを想像してみよう。それはテレビの前で得られる感動とは質が異なるものだ。五感情報の桁(けた)が違う。映像は生(なま)の情報ではない。アナウンスで説明され、効果音やBGMが流れる。つまりメディア情報そのものが一つの装置であるといってよいだろう。

 そう考えると交通手段の発達によって「旅」が失われたことに気づく。日本においても明治維新の熱気は人々の交流によるところが大きい。これ、という人物を知れば彼らは躊躇(ちゅうちょ)することなく直接会いにいった。珍しい蘭書があれば持ち主の元を訪(たず)ねて書き写した。その人と人とのぶつかり合いが時代を動かしたのだ。

 現在でこの感覚に近いのは留学だろうか。そうであれば国内の学校や同業者間でも留学・研修などで交流する機会を作るべきだと思う。知識は豊かになったが実は狭い世界しか知らない人間が殆どだ。私なんぞは隣県に行くことすらない。人や地域を通して様々な世界を知ることがどれほど大きな力になるか計り知れない。

 学問とは学びて問うの謂(いい)であろう。今の教育は「問う」を欠いている。与えられることに慣れると感覚がどんどん鈍り、刺激を刺激として感じられなくなってゆく。大いなる問いを立てることが大いなる人生につながる。世を問い、己を問う。特定の政治テーマは必ずプロパガンダに絡(から)め取られる。党派や宗派に生きてしまえば出会う人も限られる。そうではなくありのままの自分で先入観を払拭して曇りなき瞳で新しい世界と出会うところに旅の醍醐味がある。

    

2014-10-22

中西輝政、森三樹三郎、リチャード・マシスン、他


 5冊挫折、2冊読了。

縮みゆく人間』リチャード・マシスン:吉田誠一訳(ハヤカワ文庫、1977年)/訳文が肌に合わず。本間有訳を読む予定。

KGB格闘マニュアル アルファチーム極秘戦闘術』パラディン・プレス編:毛利元貞訳、稲垣収訳(並木書房、1994年)/読むのは二度目。いい本なのだが、古めかしいイラストがわかりにくい。写真に差し替えれば多少は売れるだろう。システマの技術が導入されているのがわかる。

完本 ベストセラーの戦後史』井上ひさし(文藝春秋、1995年/文春学藝ライブラリー、2014年)/2冊モノが文庫1冊で復刊。これまた読むのは二度目。飛ばし読み。マッカーサーの記述が参考になった。

「無」の思想 老荘思想の系譜』森三樹三郎(講談社現代新書、1969年)/文章に馴染めず。

老子・荘子』(講談社学術文庫、1994年/『人類の知的遺産 5 老子・荘子』講談社、1978年)/これまた同様。

 78冊目『日本人が知らない世界と日本の見方 本当の国際政治学とは』中西輝政(PHP文庫、2014年/『日本人が知らない世界と日本の見方』PHP研究所、2011年)/京都大学総合人間学部の講義をまとめたもの。これは勉強になった。見事な教科書本。保守論客の本音が披露されている。「現代国際政治」のアウトラインをこの一冊で知ることができる。

 79冊目『日本人として知っておきたい外交の授業』中西輝政(PHP研究所、2012年)/こちらはもっと面白かった。中西輝政は侮れない。松下政経塾33期生に対して行われた「歴史観・国家観養成講座」を編んだもの。中西の指摘は菅沼の主張と非常に近い。にもかかわらず政治的リアリズムを追求する中西が日米安保を支持するのが解せない。恩師であった高坂正堯〈こうさか・まさたか〉の影響なのだろうか。高坂といえば吉田茂を持ち上げたことで知られる人物だ。孫崎享〈まごさき・うける〉は吉田を親米従属派の元祖であるとしている。いずれにせよ日本の近代史が一望できるという点でオススメ。

中国の経済成長率が鈍化/『この国の不都合な真実 日本はなぜここまで劣化したのか?』菅沼光弘


『日本はテロと戦えるか』アルベルト・フジモリ、菅沼光弘:2003年
『この国を支配/管理する者たち 諜報から見た闇の権力』中丸薫、菅沼光弘:2006年
『菅沼レポート・増補版 守るべき日本の国益』菅沼光弘:2009年
『この国のために今二人が絶対伝えたい本当のこと 闇の世界権力との最終バトル【北朝鮮編】』中丸薫、菅沼光弘:2010年
『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎:2010年
『この国の権力中枢を握る者は誰か』菅沼光弘:2011年

 ・教科書問題が謝罪外交の原因
 ・アメリカの穀物輸出戦略
 ・中国の経済成長率が鈍化
 ・安倍首相辞任の真相

『日本人が知らないではすまない 金王朝の機密情報』菅沼光弘:2012年
『国家非常事態緊急会議』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄:2012年
『この国はいつから米中の奴隷国家になったのか』菅沼光弘:2012年
『誰も教えないこの国の歴史の真実』菅沼光弘:2012年
『この世界でいま本当に起きていること』中丸薫、菅沼光弘:2013年
『神国日本VS.ワンワールド支配者』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄
『日本を貶めた戦後重大事件の裏側』菅沼光弘:2013年

中国、7.3%成長に減速 5年半ぶり低水準/7~9月、住宅販売不振で

 中国国家統計局は21日、2014年7~9月期の国内総生産(GDP)が物価変動を除く実質で前年同期に比べ7.3%増えたと発表した。成長率は2四半期ぶりに縮小し、リーマン・ショック後の09年1~3月期(6.6%増)以来、5年半ぶりの低い水準となった。全国に広がる住宅販売の不振の余波で投資や生産が停滞した。中国の成長鈍化は世界経済を揺らすリスクとなる。

 成長率は1~3月は7.4%、4~6月が7.5%と推移し、今回7.3%に鈍った。

日本経済新聞Web刊 2014年10月21日

第3四半期の中国成長率は7.3%に減速、約6年ぶり低水準

 中国国家統計局の盛来運報道官は、第3・四半期のGDP伸び率が鈍化したことについて、構造改革や住宅市場の不振、比較となる前年同期のGDP水準が高かったことが原因と指摘したうえで、成長率はなお「妥当なレンジ内」にあるとの認識を示した。

 中国は今年の7.5%成長目標を達成できない見通し。ただ、李克強首相は、労働市場が持ちこたえている限り、成長率が目標を若干下回ることは容認するとの考えを繰り返し示している。

ロイター 2014年10月21日

 いま中国共産党が政権を維持できているのは、あるいは民衆が中国共産党を支持している唯一の理由は、経済が成長しているからです。経済の成長こそが中国共産党政権の存在理由になっている。しかも、なんとしてでも8%以上の経済成長を続けていかないと、毎年毎年出てくる新しい労働力を吸収できないのです。それでも大変な数の失業者が出ています。
 その8%の成長率を維持するために、中国はこれから拡大政策に走って、たとえば日本に戦争を仕掛け、尖閣諸島を占領して海底油田の利権を独り占めしようとするかもしれないという不安の声も高まっています。

【『この国の不都合な真実 日本はなぜここまで劣化したのか?』菅沼光弘(徳間書店、2012年)】

 読み終えたばかりでこのニュースだ。吃驚仰天(びっくりぎょうてん)した。しかも目標自体が既に8%を割っている。中国共産党首脳にも限界が見え始めているのだろう。

「中国文明は衰退の局面に入っている」と中西輝政が指摘している(『日本人として知っておきたい外交の授業』)。黄河の水が涸(か)れつつあり揚子江の水もコントロールを失いつつあるという。文明の基(もとい)となる水が失われ、グローバル経済の煽りを受けてバブルが弾ければ中国が国家分裂することは避けられないとの主張だ。

 中国は王朝国家であり、革命思想の波に洗われてきた歴史がある。民の怒りが天の声となった瞬間に暴動が起こる。

 中国が日本やフィリピンの領海を侵犯するのも8%の経済成長を維持するためと考えればわかりやすい。彼らが強気で行動すればするほど、中国内部で不満のガスが溜まっていると見てよさそうだ。

この国の不都合な真実―日本はなぜここまで劣化したのか?
菅沼 光弘
徳間書店
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2014-10-20

CIA vs. KGB 冷戦時代のスパイ戦

戦争を問う/『奇貨居くべし 春風篇』宮城谷昌光


『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
・『太公望』宮城谷昌光
『管仲』宮城谷昌光
『重耳』宮城谷昌光
『介子推』宮城谷昌光
・『沙中の回廊』宮城谷昌光
『晏子』宮城谷昌光
・『子産』宮城谷昌光
『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
『孟嘗君』宮城谷昌光
『楽毅』宮城谷昌光
『青雲はるかに』宮城谷昌光

 ・戦争を問う
 ・学びて問い、生きて答える
 ・和氏の璧
 ・荀子との出会い
 ・侈傲(しごう)の者は亡ぶ
 ・孟嘗君の境地
 ・「蔽(おお)われた者」
 ・楚国の長城
 ・深谿に臨まざれば地の厚きことを知らず
 ・徳には盛衰がない

『香乱記』宮城谷昌光
・『草原の風』宮城谷昌光
・『三国志』宮城谷昌光
・『劉邦』宮城谷昌光


 この少年の脳裡(のうり)には、目撃している兵馬の多さだけではなく、各国が出す兵馬の多さもあり、それらがまとまったとき、兵の数は100万をこえるのではないかという想像がつづき、それを迎え撃つ斉軍が50万をこえる大軍容であったら、どんなすさまじい戦いになるのか、という想像の連続がある。その果てにある死者の多さが、呂不韋〈りょふい〉の胸を悪くさせた。
 ――なにゆえ、人は殺しあうのか。
 いつからそういう世になったのであろう。
 急に呂不韋はしゃがんで土をなでた。
「どうなさいました」
 鮮乙(せんいつ)がふりかえった。彭存〈ほうそん〉も少年の手もとをいぶかしげにながめた。
「土は毒を吐くのだろうか」
 土が吐く毒を吸った者が兵士となり、狂って、人を殺す。呂不韋はそんな気がしてきた。
 鮮乙(せんいつ)は困惑したように目をあげた。すると彭存(ほうそん)は目を細め、
「土に血を吸わせるからそうなるのだ。人が土のうえで血を流すことをやめ、和合して、土を祭り、酒をささげるようになれば、毒など吐かぬ」
 と、おしえた。呂不韋は立った。自分が考えていることを、多くのことばをついやさず、人に通じさせたというおどろきをおぼえた。

【『奇貨居くべし 春風篇』宮城谷昌光(中央公論新社、1997年/中公文庫、2002年/中公文庫新装版、2020年)】

「奇貨(きか)居(お)くべし」は『史記』の「呂不韋伝」にある言葉で、珍しい品物であるから今買っておいて後日利益を得るがよいとの意と、得難い機会だから逃さず利用すべきだとの二意がある。呂不韋〈りょふい〉は中国戦国時代の人物で一介の商人から宰相(さいしょう)にまで上りつめた。始皇帝の実父という説もある。

 少年の苦悩が思わず詩となって口を衝(つ)いて出た。それに応答した彭存〈ほうそん〉の言葉もまた詩であった。詩情の通う対話に本書のテーマがシンボリックに表現されている。呂不韋は後に民主主義を目指す政治家となるのだ。

「和合して、土を祭り、酒をささげる」――祭りと鎮魂(ちんこん)の儀式にコミュニティを調和させる鍵があることを示唆(しさ)しているようだ。文明の発達に伴って人々は自然に対する畏敬の念を忘れ、祭儀も形骸化していったのであろう。そもそも都市部では土が見えない。土を邪魔者のように扱う文化は必ず手痛いしっぺ返しを食らうことだろう。アスファルトに覆われ、陽に当たることのない土壌で悪しき菌が培養されているような気がする。

    

2014-10-19

心理的虐待/『生きる技法』安冨歩


 ・血で綴られた一書
 ・心理的虐待

『原発危機と「東大話法」 傍観者の論理・欺瞞の言語』安冨歩
『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳
『君あり、故に我あり 依存の宣言』サティシュ・クマール
『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル
虐待と知的障害&発達障害に関する書籍

 私が簡単に支配された理由は、私が母親に対して抱いている無意識の恐怖心を、配偶者によって徹底的に利用され、同じような恐怖心を抱くように操作されていたからです。母親に対する恐怖心が生じたのは、基本的には愛されていなかったからです。私の母親は、この配偶者と同様に、私の特質のある部分のみを好みつつ、私の全人格を受け入れることを徹底して拒絶していました。私に与えられたのは、無条件の愛ではなく、常に条件付きでした。何かを達成してはじめて、少しだけ、まがい物の愛情を向けられたに過ぎなかったのです。

【『生きる技法』安冨歩〈やすとみ・あゆむ〉(青灯社、2011年)】

「フム、母親と細君はパーソナリティ障害だな」と思いながら文字を辿り、この箇所でギョッとなった。心の深い部分に亀裂が生じ何かが滲み出した。私も「親から愛されていなかった」ことを初めて自覚した。もちろん安冨ほどの苛酷な情況ではない。我が家の場合は体罰が顕著で、私の顔に残っている小さな傷は全部母によってつけられたものだ。ただし私は小学校5年生くらいから猛反撃を試み、母の足に青あざができるほど蹴りを入れてやった。母はヤカンやイスを投げて応戦した。その頃から母親を「お前」と呼ぶようになった。現在でもそうだ。ま、個人的なことでお恥ずかしい限りだが。

 安冨の自分自身を見つめる厳格な眼差しが私にまで作用して自省を促す。少年時代の私は個性的でアクが強く、かなり運動神経がよく、冗談を好んだので周囲からは常に評価されてきた。挨拶をきちんとすることもあって近所のおじさんやおばさんからも可愛がられた。その意味では親からの愛情不足を外部の愛情でカバーしてきた側面がある。

 父からも随分殴られたが常に非は私にあった。だから逆らいようがなかった。二十歳を過ぎても殴られていたよ。数年前に父が死んだ。北海道の実家へゆき、遺体に触れた時、「ああ、これでもうぶん殴られることもないな」とホッとした。本当の話だ。それくらい恐ろしい存在だった。

 安冨は小学生の頃から自殺衝動を抱え「死にたい……」と独り言をつぶやく癖が抜けなかった。東大教授という肩書も役に立たなかった。やはり幸不幸は形ではないのだ。妻からのハラスメントを通し、母親からの心理的虐待に気づいた安冨は逃げた。妻からも母親からも。

 なかなか書けることではない。先ほど書いた私事だって結構ためらいながら書いたのだ。もしも死の衝動を抱えている人がいたら、今直ぐその場所から逃げ出すことだ。避難は早ければ早いほどよい。取り敢えず逃げて、後のことは後で考えればよい。意を決して「何とかする」などと思う必要はない。必ず何とかなるものだ。

 例えば安冨が私の友達で直接こうした事実を告げられたとしたら、「俺も愛されてはいなかったな」とは言えない。ひたすら傾聴して、「そうか。大変だったな」と肩を叩くしかない。つまり読書と書評という行為であればこそ私の応答が成り立つわけだ。ここに読書体験の醍醐味がある。

生きる技法
生きる技法
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安冨 歩
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人格障害(パーソナリティ障害)に関する私見
人格障害(パーソナリティ障害)を知る

2014-10-18

アメリカの穀物輸出戦略/『この国の不都合な真実 日本はなぜここまで劣化したのか?』菅沼光弘


『日本はテロと戦えるか』アルベルト・フジモリ、菅沼光弘:2003年
『この国を支配/管理する者たち 諜報から見た闇の権力』中丸薫、菅沼光弘:2006年
『菅沼レポート・増補版 守るべき日本の国益』菅沼光弘:2009年
『この国のために今二人が絶対伝えたい本当のこと 闇の世界権力との最終バトル【北朝鮮編】』中丸薫、菅沼光弘:2010年
『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎:2010年
『この国の権力中枢を握る者は誰か』菅沼光弘:2011年

 ・教科書問題が謝罪外交の原因
 ・アメリカの穀物輸出戦略
 ・中国の経済成長率が鈍化
 ・安倍首相辞任の真相

『日本人が知らないではすまない 金王朝の機密情報』菅沼光弘:2012年
『国家非常事態緊急会議』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄:2012年
『この国はいつから米中の奴隷国家になったのか』菅沼光弘:2012年
『誰も教えないこの国の歴史の真実』菅沼光弘:2012年
『この世界でいま本当に起きていること』中丸薫、菅沼光弘:2013年
『神国日本VS.ワンワールド支配者』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄
『日本を貶めた戦後重大事件の裏側』菅沼光弘:2013年

 TPPによって日本が受ける打撃のなかでも、とりわけ農業は深刻な状況に直面することになります。ブッシュ前大統領はいみじくも「主食をよその国に依存しているような国家は独立国家とはいえない」と言いましたが、アメリカがターゲットにしている一つは、まさに日本の主食の自給率をゼロに持っていくことです。
 いま日本人の主食である米の自給率は95%以上を確保していますが、小麦は十数パーセント(ママ)の自給率でしかなく、トウモロコシは100%輸入に頼っています。そして小麦の50%以上、トウモロコシの90%以上をアメリカから輸入しています。こうした構図になったのには理由があって、これまたアメリカの食糧戦略の結果なのです。
 戦後間もない1950年代、アメリカは大量の小麦をかかえて、これをどうさばくか頭を悩ませていました。そこで目をつけたのが、まだ復興途上の敗戦国日本です。そのために何をしたかというと、まずアメリカは余剰農産物処理法という法律をつくり、アメリカの余剰農産物はドル決済ではなくて輸入国の通貨で購入できるとしたのです。当時の日本にドルの蓄えなどありませんから、円で決済できるとなればこれはありがたいと、余剰小麦の輸入に飛びつきました。しかし、アメリカの戦略のすごいところはそれからです。
 余剰農産物処理法には、売却した代金の一部を輸入国内にプールし、アメリカ農産物の宣伝および市場開拓のために使用できる、また余剰農産物の一部は無償で学校給食に供与できるとあって、本来、日本政府から支払われた輸入代金を使って、アメリカは小麦のPR活動を展開するとともに、学校給食はパン食にするというシステムをつくりあげます。当時、小学生だった人はよく憶えているでしょうが、コッペパンに脱脂粉乳というのが学校給食になったのです。もちろん脱脂粉乳もアメリカから提供されたものです。
 一方、厚生省はアメリカの意を受けて、食生活改善運動としょうして日本食生活改善協会という外郭団体を立ち上げ、キッチンカーというものを全国に巡回させて、パンを食べましょう、卵を摂(と)りましょうと小麦粉料理の講習事業を展開しました。さらにマスメディアを使って、日本人の主食である米については、「米ばかり食べていると頭が悪くなる」「脚気(かっけ)や高血圧になる」「背骨が萎縮(いしゅく)する」などとネガティブキャンペーンもやっています。もちろんこれらの活動資金はアメリカが日本国内にプールした円から支出されました。
 その結果どうなったか。1960年頃を境に日本人の食生活ががらりと変わっていきました。それまで一人辺り年間120キロ近くの米を食べていたのが、1960年以降は年々減り続け、いまや半分の60キロまで落ち込んでいます。日本人の主食が完全に様変わりしてしまったのです。国民の主食がこれほど劇的に変化した国は他にありません。
 アメリカの戦略はつねにこうなのです。決して焦らない。時間と金をかけて根底から変革していく。そしてその国の国民が気がついたときには、もはや取り返しがつかないという状態まで追い込んでいくのです。

【『この国の不都合な真実 日本はなぜここまで劣化したのか?』菅沼光弘(徳間書店、2012年)】

 アメリカの余剰小麦が給食になったのは知っていたが、円で決済ができたとは知らなかった。これこそソフトパワーだ。当時の日本政府は「アメリカの善意」を信じて疑わなかったことだろう。戦略とは物語でもある。食べることを目的にしている国家が、売ることを目的としている国家にかなうわけがない。

 私は菅沼は信用できるが、佐藤優はどうも信用できない。佐藤は鈴木宗男との人間関係を通して信義を貫いたような印象を巧みに演出しているが、該博な知識で何かを隠蔽(いんぺい)しているような疑惑を払拭することができない。きっとイスラエルのスパイだろうと私は睨(にら)んでいる。佐藤はTPP賛成で、同じく官僚上がりの江田憲司もTPPに賛成している。しかも理由が同じなのだ。「日本がアメリカブロックを選ぶか、中国ブロックを選ぶかという選択肢だ」と。

 菅沼によれば、田中角栄がロッキード事件で失脚したことによって、日本の政治家はアメリカを恐れ、尻尾を振るようになったという。ロッキード事件は日中国交回復に激怒したキッシンジャーが仕掛けたものだ。日本の首相は誰が務めようとアメリカのコントロール下にある。そもそも国家の安全保障をアメリカに委ねているのだからアメリカに頭が上がらないのも当然だ。

 エネルギーと食糧は戦略物資なのだ。しかも穀物を始めとする農産物は生産に一定期間を要する。そして市場を席巻するF1種には種がならない。一代限りの野菜なのだ。またモンサント社を始めとする巨大アグリ産業は農業を完全支配しつつある(『自殺する種子 アグロバイオ企業が食を支配する』安田節子)。そしてビル・ゲイツはスヴァールバル世界種子貯蔵庫に3000万ドルを投資している。

 そろそろアングロサクソンの誇大妄想と被害妄想が世界を混乱させている事実に我々は気づくべきだろう。



戦後アメリカの小麦戦略/『味噌をまいにち使って健康になる』渡邊敦光
赤い季節/『北朝鮮利権の真相 「コメ支援」「戦後補償」から「媚朝派報道」まで!』野村旗守編
現代の小麦は諸病の源/『小麦は食べるな!』ウイリアム・デイビス
余ったトウモロコシのために清涼飲料水が発明された/『医者が教える食事術 最強の教科書 20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方68』牧田善二