2019-12-24
ルネサンスと宗教改革が近代化の鍵/『情報社会のテロと祭祀 その悪の解析』倉前盛通
・『小室直樹vs倉前盛通 世界戦略を語る』世界戦略研究所編
・『悪の論理 ゲオポリティク(地政学)とは何か』倉前盛通
・『新・悪の論理』倉前盛通
・『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘編
・祭祀とテロ
・ルネサンスと宗教改革が近代化の鍵
・『自然観と科学思想 文明の根底を成すもの』倉前盛通
・『悪の超心理学(マインド・コントロール) 米ソが開発した恐怖の“秘密兵器”』倉前盛通
・『悪の運命学 ひとを動かし、自分を律する強者のシナリオ』倉前盛通
・『悪の戦争学 国際政治のもう一つの読み方』倉前盛通
・『悪の宗教パワー 日本と世界を動かす悪の論理』倉前盛通
・必読書リスト その四
ロシアはまた、西欧や日本のようなルネッサンスや宗教改革を経験していなかった。(註。日本は鎌倉・室町期に一種の宗教改革をなしとげ、民衆心理に革命がおこった。文芸復興は室町・徳川時代に一応なしとげられたといってよい。日本の場合、西欧と異なる点は宗教改革の方が文芸復興に先行した点だけである。)ロシアは中世時代数百年にわたってモンゴル・タタールの支配下にあったため、ルネッサンスを内発的にひきおこすほど、文化的な年輪は積んでいなかった。僅かに帝政の末期にその走りがあらわれ始めていたが、革命にともなう大殺戮のため、それも中断された。そしてスターリンの死後、再びルネッサンス的な動きがあらわれたが、これも再び圧殺されかかっている。一方のロシア正教の方も宗教改革を一度も経験したことがなく、いわば中世ヨーロッパのようなおくれた宗教的心理が一般のロシア人を支配していたのであって、そのため、皇帝(ツアー)と神と教会の三位一体の支配機構が崩壊したあと、それに代って、党書記長(皇帝)とマルクス・レーニン(神)と党(教会)という三位一体の支配機構が出現したのである。根底を流れる支配と隷属の心理には何の変化もおこらなかった。
【『情報社会のテロと祭祀 その悪の解析』倉前盛通〈くらまえ・もりみち〉(創拓社、1978年/Kindle版、2018年)】
目から鱗(うろこ)が落ちた。憲法という観点からは小室直樹が西洋と日本の比較をしているが(『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する』、『日本人のための憲法原論』)、ルネサンスと宗教改革はもっとわかりやすい。室町・徳川時代の文芸復興とはわび・さび文化、そして賀茂真淵〈かものまぶち〉・本居宣長〈もとおり・のりなが〉~平田篤胤〈ひらた・あつたね〉の国学思想だと思われる。これに水戸学を加えてもよさそうだ。
宗教革命とは「権威の否定」であり「絶対の否定」ともいえよう。ルネサンスは原点回帰・伝統回帰である。温故知新〈おんこちしん/「子曰く、故(ふる)きを温(たず)ねて、新しきを知れば、以て師と為るべし」『論語』〉とは申すなり。ルターの宗教改革は聖書を聖職者の手から信徒の手に移した。鎌倉仏教は庶民自らが修行を行う方途を開いた。
昨今日本の近代史を見直す風潮が高まっているのも一種のルネサンスといってよい。70年以上に渡って日本を悪しざまに罵ってきた左翼が嘘をつかざるを得なくなったところに左翼の行き詰まりがある。
ところが事はそう簡単なものではない。外務省は歴史上の過ちを認めようとしない。また官学の親米派が日本悪玉史観を払拭できていない現実がある。
・インターネットを通じたイスラム教の宗教改革/『イスラム教の論理』飯山陽
身体の歪みを自分で矯正する/『新正体法入門 一瞬でゆがみが取れる矯正の方程式』橋本馨
・『自分で治せる!腰痛改善マニュアル』ロビン・マッケンジー
・身体の歪みを自分で矯正する
・『5分間背骨ゆらしで体じゅうの痛みが消える 自然治癒力に火をつけて、首・肩・腰痛・ひざ痛を解消!』上原宏
・『調子いい!がずっとつづく カラダの使い方』仲野孝明
・『生体の歪みを正す 橋本敬三・論想集』橋本敬三
・『誰にでもわかる操体法』稲田稔、加藤平八郎、舘秀典、細川雅美、渡邉勝久
・身体革命
自分で動作判定(動診〈どうしん〉)を行い、動きの悪い側に重点を置いた矯正法である。やり方は簡単で5cmほど上げた足をストンと落とすというようなもの。新正体法の創始者は宮本紘吉〈みやもと・こうきち〉で橋本馨は直弟子だ。重力を利用した矯正法の流れとしては、まず高橋金作の「高橋正體術」(大正期)~橋本敬三「操体法」があり、髙橋の影響を受けた野口整体と身体均整法などに至る。宮本もその一人。
私は若い頃に整体師から「これほど真っ直ぐな背骨は珍しい」と言われたことがあり、特に体の歪みを感じたことはない。だが以下の記述を読んで考えを改めた。
肝臓の重さを気にしたことはなかった。自分の体に対して我々はあまりにも無自覚だ。例えば坐った時の足の組み方にも癖がある。私は左脚を上にして組むことができない。ま、やろうと思えばできるのだが長時間は組んでいられない。また多くの人々が右利きのため書字における体重負荷なども大なり小なり影響を与えていることだろう。
不要な緊張が体を歪ませる。ストンと落とすことで緊張が解放されフラットな状態に戻すことができるのだろう。ここではたと気づくのだが、精神をストンと落とすことは可能だろうか? 自分の中の常識や信念をストンと落とすためには何をどうすればよいのか? 手っ取り早いのは体を動かすことだ。あるいは体を完全に止めることだ。これが瞑想である。
・身体の歪みを自分で矯正する
・『5分間背骨ゆらしで体じゅうの痛みが消える 自然治癒力に火をつけて、首・肩・腰痛・ひざ痛を解消!』上原宏
・『調子いい!がずっとつづく カラダの使い方』仲野孝明
・『生体の歪みを正す 橋本敬三・論想集』橋本敬三
・『誰にでもわかる操体法』稲田稔、加藤平八郎、舘秀典、細川雅美、渡邉勝久
・身体革命
このような観点から、人の動きというものを考察すると、どんなに複雑なものでも、基本となるのは
・捻り(回旋)
・左右
・前後
であることが分かります。
次に、上に伸びたり縮んだり(上下)、外に拡がったり内に縮む(開閉)という動きもありますが、最も基本となる原初的な動きは、捻り、左右、前後です。ですので、動診も、これらの動きが主体となります。
人の動きは、捻り、左右、前後の組み合わせといいましたが、ということは、身体の歪みも、それらの組み合わせということになります。つまり、身体を矯正するということは、捻り、左右、前後の偏りのバランスを矯正するということになります。
【『新正体法入門 一瞬でゆがみが取れる矯正の方程式』橋本馨〈はしもと・かおる〉:佐々木繁光〈ささき・しげみつ〉監修(BABジャパン、2012年)以下同】
自分で動作判定(動診〈どうしん〉)を行い、動きの悪い側に重点を置いた矯正法である。やり方は簡単で5cmほど上げた足をストンと落とすというようなもの。新正体法の創始者は宮本紘吉〈みやもと・こうきち〉で橋本馨は直弟子だ。重力を利用した矯正法の流れとしては、まず高橋金作の「高橋正體術」(大正期)~橋本敬三「操体法」があり、髙橋の影響を受けた野口整体と身体均整法などに至る。宮本もその一人。
私は若い頃に整体師から「これほど真っ直ぐな背骨は珍しい」と言われたことがあり、特に体の歪みを感じたことはない。だが以下の記述を読んで考えを改めた。
これは、左右一方の肩にだけカバンをかけているなどという、身体の使い方からくる要因もありますが、内臓系の問題の表れである場合もあります。
人の身体は、必ずしも左右対称(シンメトリー)ではなく、それは内蔵に関して特に当てはまります。心臓や肝臓、脾臓、膵臓などは片側にしかありません。これらの中でも、肝臓は左右の偏りに与える影響が大きいようです。
というのも、肝臓は成人の場合、重さが1.5キロにも達します。右側にだけ1.5キロもの重りを抱えているようなものですから、それが与える影響は小さくありません。普通、右に荷重がかかりますと、左側でバランスを取ろうとします。ところが、そういう能力が低下しますと、大きく片側に傾いてしまいます。
肝臓の重さを気にしたことはなかった。自分の体に対して我々はあまりにも無自覚だ。例えば坐った時の足の組み方にも癖がある。私は左脚を上にして組むことができない。ま、やろうと思えばできるのだが長時間は組んでいられない。また多くの人々が右利きのため書字における体重負荷なども大なり小なり影響を与えていることだろう。
不要な緊張が体を歪ませる。ストンと落とすことで緊張が解放されフラットな状態に戻すことができるのだろう。ここではたと気づくのだが、精神をストンと落とすことは可能だろうか? 自分の中の常識や信念をストンと落とすためには何をどうすればよいのか? 手っ取り早いのは体を動かすことだ。あるいは体を完全に止めることだ。これが瞑想である。
2019-12-21
21世紀の「立正安国論」/『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』ユヴァル・ノア・ハラリ
・『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
・『文化がヒトを進化させた 人類の繁栄と〈文化-遺伝子革命〉』ジョセフ・ヘンリック
・『家畜化という進化 人間はいかに動物を変えたか』リチャード・C・フランシス
・『人類史のなかの定住革命』西田正規
・『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット
・『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン、キャサリン・ジョンソン
・『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
・『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
・『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
・『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗
・『Beyond Human 超人類の時代へ 今、医療テクノロジーの最先端で』イブ・ヘロルド
・『ビッグデータの正体 情報の産業革命が世界のすべてを変える』ビクター・マイヤー=ショーンベルガー、ケネス・クキエ
・21世紀の「立正安国論」
・『21 Lessons 21世紀の人類のための21の思考』ユヴァル・ノア・ハラリ
・『われわれは仮想世界を生きている AI社会のその先の未来を描く「シミュレーション仮説」』リズワン・バーク
・情報とアルゴリズム
・必読書リスト その五
3000年紀(西暦2001~3000年)の夜明けに、人類は目覚め、伸びをし、目を擦る。恐ろしい悪夢の名残が依然として頭の中を漂っている。「有刺鉄線やら巨大なキノコ雲やらが出てきたような気がするが、まあ、ただの悪い夢さ」。人類はバスルームに行き、顔を洗い、鏡で顔の皺(しわ)を点検し、コーヒーを淹(い)れ、手帳を開く。「さて、今日やるべきことは」
その答えは、何千年にもわたって不変だった。20世紀の中国でも、中世のインドでも、古代のエジプトでも、人々は同じ三つの問題で頭がいっぱいだった。すなわち、飢饉と疫病と戦争で、これらがつねに、取り組むべきことのリストの上位を占めていた。人間は幾世代ともなく、ありとあらゆる神や天使や聖人に祈り、無数の道具や組織や社会制度を考案してきた。それにもかかわらず、飢餓や感染症や暴力のせいで厖大(ぼうだい)な数の人が命を落とし続けた。そこで多くの思想家や預言者は、飢饉と疫病と戦争は神による宇宙の構想(訳註 本書で言う「宇宙の構想」とは、全能の神あるいは自然の永遠の摂理が用意したとされる、全宇宙のための広大無辺で、人間の力の及ばない筋書きを意味する)にとって不可欠の要素である。あるいは、人間の性質と不可分のものである。したがって、この世の終わりまで私たちがそれらから解放されることはないだろう。
【『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』ユヴァル・ノア・ハラリ:柴田裕之〈しばた・やすし〉訳(河出書房新社、2018年)】
冒頭のテキストである。既に紹介した通り本書はS・N・ゴエンカに捧げられている。とすれば本書は歴史や文明の研究を目的に書かれたものではないだろう。むしろそれらを俯瞰し、点に見えるほどの高い抽象度に向かう瞑想の流れを記述したに違いない。
ホモ・デウスとは「神の人」の謂(いい)である。前作ではホモ・サピエンスの壮大な歴史を記し、本書では神へと進化する人類の様相を遠望するが、レイ・カーツワイルとは全く異なるディストピアが描かれている。
「飢饉と疫病と戦争」の克服は日蓮が「立正安国論」に掲げたテーマだ。三災七難の三災(穀貴〈こっき〉、兵革〈ひょうかく〉、疫病〈えきびょう〉)が完全に符合する。
骨子は似ていてもハラリは「安国」との結論は提示しない。むしろ人類がデータ化される暗然たる未来を示すだけだ。先に瞑想と書いたがハラリは「見る」ことに徹している。
ページをめくると直ぐにわかることだが日蓮が生きた鎌倉時代(13世紀)からすれば、我々が生きる世紀は既に三災を克服しつつある。核兵器が登場してから抑止力が機能し大きな戦争はなくなった。飢餓も激減し、100万単位の人々が死ぬような疫病もない(参照『FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』ハンス・ロスリング、オーラ・ロスリング、アンナ・ロスリング・ロンランド)。
ハラリは本書を40歳で書き上げ、日蓮が「立正安国論」を認(したた)めた39歳とほぼ同齢であるのも興味深い一致だ。日蓮は最明寺入道(北条時頼)に「邪宗への布施を止めて正法(しょうほう/法華経)に帰依せよ」と迫った。日蓮は公場対決(こうじょうたいけつ/公開討論)を望んだが果たせなかった。その意味では対話の人といえるが鎌倉時代ゆえか政治意識がファシズムの域を出ていない。一方ハラリは人類の特長を知性に求めればデータ化されることは必然であると説く。知性が人を支配すると考えれば、実はこれもまたファシズムなのである。
かつては政治家や学者が「社会の知性」と思われていた。いまだに学歴が重んじられるのも知性重視と考えてよかろう。結局のところ自分より有能な人物に社会の重責を担ってもらいたいと望む精神はファシズムの方向を向いていると言ってよい。民主政と選挙はセットになっているが社会において多数決で物事を決めることはまずない。誰もが民主的な運営は正しいと思いながらも全員で判断を下すことはないのだ。株式会社はやや民主政の要素を取り入れているが実態はファシズムだ。このように知性を重視すればやがてデータに行き着く。AI(人工知能)はビッグデータから相関関係を読み解く。チェスはおろか将棋や囲碁に至るまでAIは人間を打ち負かした。
日蓮はマントラの人であり、ハラリはヴィパッサナー瞑想の実践者だ。修行の次元ではハラリが勝(まさ)る。
ハラリの予想と前後してヒトバイクロオームが注目されるようになった。これを私は「知性から腸への回帰」と見る。「頭から肚(はら)へ」と言ってもよい。身体(しんたい)の見直しは古武術に対する脚光や、スポーツで体幹が重視されるようになった事実が雄弁に物語っている。
私はそれほど未来を悲観していない。人類が岐路に立つ今、知性から野生へと生き方を変えてはどうか。
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