2020-01-26

マラソンに救われる/『56歳でフルマラソン、62歳で100キロマラソン』江上剛


 ・マラソンに救われる

『ランニングする前に読む本 最短で結果を出す科学的トレーニング』田中宏暁
『最速で身につく 最新ミッドフットランメソッド』高岡尚司、金城みどり
『ランニング王国を生きる 文化人類学者がエチオピアで走りながら考えたこと』マイケル・クローリー

 誰でも、生活基盤を大きく揺るがすような事態に直面すると、どこかに消えてしまいたいという気持ちになる。
 死んだら楽になれる――そう思う時があるのだ。それは、不意に訪れる。
 自分自身でさえまったく兆候すら感じられない。ましてや他人に、その兆候がわかるはずがない。耳元で死神の囁きが聞こえ、轟音を立てて電車がホームに入ってきたその時、自分の意志ではない、何者かの意志で、ひょいと体が浮いてしまうのだろう。
 気がつくと(否〈いな〉、気がつくことはない)、我が身は電車の車輪にずたずたに切り裂かれているのだ。遺書もない。人は覚悟して自殺するのではなく、ほんの軽い思いつきで、今の苦しみ、悩みを解消したくて死を選ぶのではないか。選ぶというより、ほんの一歩を踏み出してしまうのだ。間違っていたら引き返せる、ぐらいの軽い気持ちで。
 私もそんな状況に置かれていた。

【『56歳でフルマラソン、62歳で100キロマラソン』江上剛〈えがみ・ごう〉(扶桑社文庫、2017年/新潮新書、2012年『55歳からのフルマラソン』に加筆)】

 著者の江上剛は「1997年、第一勧業銀行総会屋利益供与事件に際し、広報部次長として混乱の収拾に尽力する。この事件後は、同行のコンプライアンス体制構築に大きな役割を果たす。また、この事件を元にした高杉良の小説およびそれを原作とした映画『金融腐蝕列島』のモデルともなった」(Wikipedia)。この時、第一勧銀の元会長が自殺をしている。江上はその後日本振興銀行の社長に就任した。木村剛〈きむら・たけし〉会長と前任社長が逮捕された後のことだった。ある社外役員から毎日のように電話がきて「自殺したい」と告げた。彼はその後自殺を遂げる。バブルの泡に闇勢力が群がり、目をつぶった人々は追い詰められて死んでいった。

毎日新聞 2009/4/27 時代を駆ける 江上剛

 江上は後始末に追われる中で走り始めた。走ると体も心も変わっていった。

「おい、そう深刻ぶるな、お前だけが悩んでいるんじゃない」
 もう一人の自分が話しかけてくる。その声に耳を傾けていると、死神の声はいつしか小さくなっていく。自分の悩みが相対化されていく。客観視できた、と言ってもいいだろう。
 額から汗が噴き出し、風が涼しく感じられる。
 マラソンが、私を救ってくれたのだ。

 私は56歳だ。読書にはタイミングがある。走り始めた私の前に本書が現れたのも偶然ではあるまい。走るのは苦しい。だが苦しいだけではない何かがあるのだ。健康のためでもなく、減量のためでもなく、ただ走るために私は走る。



自殺は悪ではない/『日々是修行 現代人のための仏教100話』佐々木閑

ガッテラー『世界史』(1785)~普遍史から世界史へ/『科学vs.キリスト教 世界史の転換』岡崎勝世


『科学と宗教との闘争』ホワイト
『思想の自由の歴史』J・B・ビュァリ
『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』岡崎勝世
『世界史とヨーロッパ』岡崎勝世
・『4日間集中講座 世界史を動かした思想家たちの格闘 ソクラテスからニーチェまで』茂木誠

 ・世俗化とは現実への適応
 ・ガッテラー『世界史』(1785) 普遍史から世界史へ

キリスト教を知るための書籍
世界史の教科書

 ガッテラーは、次の『世界史』では、先に多大な労苦を重ねて練り上げた『普遍史的序説』の叙述様式を一変させた。それまでの「普遍史」というタイトルを棄てて「世界史」とし、構成も記述内容も、さらには、エジプト史で見たような涙ぐましいほどの努力をして死守した年号体系までも、変えてしまうのである。

【『科学vs.キリスト教 世界史の転換』岡崎勝世〈おかざき・かつよ〉(講談社現代新書、2013年)以下同】

 史料批判レオポルト・フォン・ランケ(1795-1886年)に始まるが、ヨハン・クリストフ・ガッテラー(1727-1799年)に曙光を見ることができよう。それは聖書に向けられた「疑いの眼差し」であった。

ガッテラーの苦渋」は宗教的感情と科学的理性のせめぎ合いを示しており、キリスト教普遍史を脱却したところに科学が成した革命の軌跡が見出せる。

 上記テキストの前にはこうある。

 近世に入ると、一方で普遍史は「科学革命」をはじめ様々な要因から危機を迎え、普遍史の背景となってきた聖書年代学自体が動揺し、「年代学論争」が発生した。さらに18世紀後半になると、歴史学に「コペルニクス的転回」をもたらしたヴォルテールらによって歴史学の「科学化」が推進され、進歩史観と、まだ荒削りであったにしても、新たな文化史的世界史とが提案された。しかもビュフォンによって、それは自然史と結びついた形で記述されるに至った。普遍史に対抗し得る内実を持った歴史観と世界史像が提出されるというかつてない新事態を受け、新旧二つの歴史観のせめぎ合いを正面から受け止めて新たな道を切り開いていったのが、ガッテラーであった。
 これには、彼が奉職したゲッティンゲン大学の性格も関与している。ハノーバー選帝侯ゲオルク・アウグスト(英王としてはジョージ2世)が1737年に創建したこの大学は、イギリスとの同君連合の関係が幸いして、他のドイツ大学と違い神学部の大学支配を排除した、ドイツで最も自由な大学であった。またそこから、啓蒙主義や自然諸科学はじめ、イギリスやヨーロッパで生まれた新潮流に対するドイツの窓口となっていたのである。

 こうして見ると大学が学問と知識を教会から解放した様子がよくわかる。

 本書は一度挫折している(今回はあと1/4で読了)。面白く読むためにはある程度の知識が必要で、素人が興味本位で手を出すと痛い目に遭う。「大体どうしてキリスト教の錯誤に付き合わないといけないんだ?」と100万回くらい思う羽目になる。人類は過ちを正すために長大な時間をかけてきた。フン、合理性なんぞは所詮絵に描いた餅だ。ヒトの脳を過信しないことが大切だ。我々の脳は物語に支配されて事実をありのままに見つめることができないのだから。

 日本にルネサンスと宗教改革があったのは確かだ(『情報社会のテロと祭祀 その悪の解析』倉前盛通)。しかし啓蒙思想が興ったようには見えない。明治維新における攘夷から開国への転換は飽くまでも外圧によるものだ。ただ、歴史的にキリスト教のような蒙(くら)さに覆われることがなかったのもまた確かである。

過去世と来世/『死後はどうなるの?』アルボムッレ・スマナサーラ


『出家の覚悟 日本を救う仏教からのアプローチ』アルボムッレ・スマナサーラ、南直哉
『希望のしくみ』アルボムッレ・スマナサーラ、養老孟司

 ・過去世と来世

『沙門果経 仏道を歩む人は瞬時に幸福になる』アルボムッレ・スマナサーラ
『怒らないこと 役立つ初期仏教法話1』アルボムッレ・スマナサーラ
『怒らないこと2 役立つ初期仏教法話11』アルボムッレ・スマナサーラ
『心は病気 役立つ初期仏教法話2』アルボムッレ・スマナサーラ
『苦しみをなくすこと 役立つ初期仏教法話3』アルボムッレ・スマナサーラ

 インドの社会では宗教に励む人が精神的な修行をして、認識の範囲をものすごく広げてみたのです。居ながらにしてその場所にないものを見たり聞いたりする能力を開発して、認識の次元を伸ばしたのです。現代風に言えば超能力です。普通の人間の能力を超越したのです。それは修行によって、訓練によって得たものです。そういう人々が初めて、死後の世界、というよりは過去の世界について語り始めた。それはほとんど自分自身の過去のことなのです。「自分は過去世でこんなふうに生きていました」と。そこで過去世があるのだから、推測によって未来世もあるだろうと言い出したのです。

【『死後はどうなるの?』アルボムッレ・スマナサーラ(国書刊行会、2005年/角川文庫、2012年)以下同】

 この件(くだり)を読んで私はスマナサーラに疑問を抱き、南直哉〈みなみ・じきさい〉との対談を読んで性根を垣間見た。もともと彼の声が好きになれなかった。ティク・ナット・ハンは見るからに誠実だがスマナサーラには隠しきれない胡散臭さがある。

 認識は脳で行われる。「居ながらにしてその場所にないものを見たり聞いたりする能力」は確かにある。夢は目をつぶっているのに「見る」ことができる。幻聴・幻覚も同様だ。イマジネーションとは像を想い描く力である。ユヴァル・ノア・ハラリはその像が実は「虚構」であると指摘した(『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』)。認知は歪み記憶は錯誤する。事実は脳によって解釈される。ヒトは幻想を生きる動物なのだ。

 お釈迦さまのことばを伝えているパーリ経典では経典を5種類に分けて編集していて、その第一は長部経典(ディーガニカーヤ)といいます。その町歩経典に収められた最初のお経は『梵網経(ぼんもうきょう/ブラフマジャーラスッタ)』です。この長い経典のなかで、お釈迦さまは古代インドにあったとされる62種類の宗教哲学を分析しています。その経典では62種類の宗教哲学を大きく分けて、過去を超能力で見て宗教哲学を論じる人々と、未来を考えて宗教哲学を論じる人々との二つのカテゴリーに分類してあります。過去を見て宗教哲学をつくったものだけで44種類あります。面白いことに、お釈迦さまはこの62種類の教えが正しいとは言わないのですが、頭から間違っているとも言ってはいません。
 お釈迦さまは、行者たちがさまざまな行をして、超能力を得て過去を観察して、このような教えを話しているのだとおっしゃいます。一度も「これはインチキだ」とは言っていないのです。確かに彼らは何劫年(こうねん)も自分の過去を見るのだとおっしゃいます。(中略)お釈迦さまは、彼らが発見したものが正しいと認めるけれど、それを哲学的に語る部分だけを批判します。(中略)
 お釈迦さまの批判は少々ややこしいのです。仙人たちの超能力はすべて認めたうえで、超能力から導き出した結論だけはよくないと言う。

 梵網経の六十二見はティク・ナット・ハン著『小説ブッダ いにしえの道、白い雲』で知った。六十二見 - 古今宗教研究所のページが参考になる。

 過去世については『スッタニパータ』に「六四七 前世の生涯を知り、また天上と地獄とを見、生存を減し尽くすに至った人、──かれをわたくしは〈バラモン〉と呼ぶ」とある。ただし直前では「六三四 現世を望まず、来世をも望まず、欲求もなくて、とらわれのない人、──かれをわたくしはバラモンと呼ぶ」とも言っている。形而上学的な疑問には無記で臨むのが正しい。厳密に読めば「前世の生涯を知り」とはあるが、「前世が存在する」とまでは言っていない。カーストは過去世をもって現世を支配するシステムである。つまり与奪(よだつ)の「与える」立場(容与)で教えたものと私は考える。過去世と昨日に大差はない。

 私はかつて仏教徒であった。現在は違う。ブッダの古い言葉は真理への梯子となるのは確かだが、訓詁注釈の罠にはまるとブッダが指し示すものが見えなくなる。スマナサーラの言葉はよき参考書であるが全てを鵜呑みにするつもりはさらさらない。

 死者を仏と呼ぶのは案外正しいのかもしれない。死の瞬間に脳は永遠を体験する(『スピリチュアリズム』苫米地英人)。一生が走馬灯のようにありありと見え、身口意(しんくい)の三業(さんごう)まで感じることだろう。そこでたぶん凡夫は深い悔悟の中で悟りに至るのだ。その後はない。深い眠りが永遠に続く。

2020-01-25

人類が獲得した投擲能力/『ナチュラル・ボーン・ヒーローズ 人類が失った“野生"のスキルをめぐる冒険】クリストファー・マクドゥーガル


・『BORN TO RUN 走るために生まれた ウルトラランナーVS人類最強の“走る民族"』クリストファー・マクドゥーガル

 ・人類が獲得した投擲能力

「人間は驚嘆すべき投擲手です。あらゆる動物のなかでも人間は異色の存在で、投射物を速いスピードで、かつ信じがたい精度で投げる能力をもっています」。そう語るのはジョージ・ワシントン大学のニール・ローチ博士。地球上のほかの霊長類とは異なり、なぜわれわれだけが必殺の投擲で獲物を殺せるのか、という謎に取り組んだ2013年の研究の筆頭著者だ。(中略)
 では、われわれにあってチンパンジーにないものとは何か? 肩に広がる「ゴムのようなぬるぬるしたもの」――筋膜と靭帯、そして伸縮性のある腱だ。腕を振りあげることは、ぱちんこ(スリングショット)のゴム紐を引くようなものだと、ローチ博士は説明する。「このエネルギーが解き放たれると、上腕の急激な回転の動力となります。それは人体が生み出すもっとも速い動作です――プロのピッチャーなら角度にして毎秒9000度の回転(25回転)にも達するのです!」速い投擲は単なる筋肉の活動ではなく、弾力の三段階にわたる解放の賜物だ。

 投げる手の反対側の足で【踏みこむ】。
 腰を、つづいて肩を【回転させる】。
 そして腕、手首、手の関節を弾いて【しならせる】。

 われわれは昔からそんな榴弾砲を具えていたわけではない、とローチ博士はつづける。およそ200万年前、われわれの祖先はいくつか重要な構造的変化を発展させ、木登りや腐肉漁りをする者から生ける投擲器に変貌を遂げた。腰はやや広がり、肩はやや下がり、手首はしなやかさを増し、上腕は若干まわしやすくなった。いったん〈揺らぎ力〉のこつをつかみ、棒に先端をつけることを学ぶと、われわれは地球上でもっとも殺傷能力が高いばかりか、もっとも賢い生き物となった。投げ方がうまくなればなるほど、どんどん知的になっていった。

【『ナチュラル・ボーン・ヒーローズ 人類が失った“野生"のスキルをめぐる冒険】クリストファー・マクドゥーガル:近藤隆文訳(NHK出版、2015年)】

 野球の魅力がやっとわかった。投げることは元より打撃もまた形を変えた投擲(とうてき)である。バットを手放せばそこそこ飛んでゆくことだろう。私は野球を観ない。ずっと「一体どこが面白いんだ?」と思ってきた。中学の時は札幌優勝チームの4番打者をしていたがそれほど面白くはなかった。まず第一に動きが乏しい。体育に野球を取り入れてないのもこれが理由だ。バレーボールやバドミントンの方がはるかに面白い。だが投擲という動きに注目するとこれほどはっきりと「投げる」スポーツは他にない。槍で獲物を仕留める感覚に最も近いのではあるまいか。

 日本の武術と同じ次元の話がてんこ盛りである。体の智慧を思わせるエピソードが豊富だ。しかしながら訳文が悪く読みにくい。私は『BORN TO RUN』も読み終えることができなかった。つくづくもったいないと思う。

 関連動画を紹介しておく。




レファレンス「動物の群れに関する本」


「動物の群れに関する本」を探している。ただし次のものは除く。『群れのルール 群衆の叡智を賢く活用する方法』ピーター・ミラー、『群れはなぜ同じ方向を目指すのか?』レン・フィッシャー、『群れは意識をもつ 個の自由と集団の秩序』郡司ぺギオー幸夫。また心理学の集団力学(グループダイナミクス)ではなく、進化における群れの優位性を示す内容のもの。

 因みに地元図書館で教えられたのは『動物集団の遺伝学』野沢謙(名古屋大学出版会、1994年)のみ。

読み始める

Jean Moral


2020-01-22

世俗化とは現実への適応/『科学vs.キリスト教 世界史の転換』岡崎勝世


『科学と宗教との闘争』ホワイト
『思想の自由の歴史』J・B・ビュァリ
『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』岡崎勝世
『世界史とヨーロッパ』岡崎勝世
・『4日間集中講座 世界史を動かした思想家たちの格闘 ソクラテスからニーチェまで』茂木誠

 ・世俗化とは現実への適応
 ・ガッテラー『世界史』(1785)~普遍史から世界史へ

キリスト教を知るための書籍
世界史の教科書

 ヨーロッパの18世紀は、「啓蒙主義の世紀」とも言われる。啓蒙主義は名誉革命後イギリスのジョン・ロック、ヒューム等に始まり、とりわけ18世紀半ばのモンテスキュー『法の精神』(1748)、ビュフォン『博物誌(自然誌)』(1749刊行開始)、ヴォルテール『ルイ14世の世紀』(1751)、『百科全書』(1751刊行開始)、ルソー『人間不平等起源論』(1755)等々以後は、ヨーロッパ思想界を支配したからである。
 この「啓蒙主義」について筆者は、その中心的役割を「聖書において啓示され、教会によって保証され、神学において合理化され、説教壇から説かれてきた、人間と社会と自然を理解するための聖書にもとづく来世志向の枠組みときっぱり手を切ること」(見市雅俊訳『啓蒙主義』岩波書店、2004、104)に置くポーターの理論が、最も適切と考えている。「きっぱり」の度合いには、実際には国情や個人の状況によるグラデーションがある。しかし、例えば、「聖俗革命」を通じて、この時代に思考の枠組みが「神-自然-人間」から「自然-人間」へと転換した。啓蒙主義の特徴を「世俗化」に置くこともしばしば行われる。それは、「千年王国論」のように人間と社会と自然を「聖書にもとづく来世志向の枠組み」によって理解するのではなく、これら各々の領域の独自性を認め、その領域自体が持つ論理を追求し、その領域に見合う独自の言葉を通じて表現するようになったことを意味している。またアメリカの科学史家ハーバーがこの時代に「時間革命」の始点を置いているのは、そこで自然研究が「聖書の啓示」から独立し、しかも聖書的時間の支配が破られ、長大な「時間」のなかで自然の歴史が語られ始めたからであった。

【『科学vs.キリスト教 世界史の転換』岡崎勝世〈おかざき・かつよ〉(講談社現代新書、2013年)】

 世俗化という概念を知ったのは伊藤雅之を読んでからのこと。白いハンカチが少しずつ薄汚れて、しまいには雑巾となるようなイメージで捉えていた。聖俗に清濁を重ねてしまっていたのだ。実は違った。世俗化とは現実への適応なのだ。それは宗教側からすれば妥協を伴う苦い変化なのだが、一人ひとりの価値観を尊重する姿勢でもある。組織論でいえば軍隊こそ理想形であるが社会としては平等性(民主)に軍配が上がる。

 大雑把な西洋史の流れとしてはルネサンス(14-16世紀)~宗教改革(16世紀)~科学革命(17世紀)~啓蒙思想(18世紀)~フランス革命(18世紀)~産業革命(18世紀)と変遷する。魔女狩りをしながらも100年単位で長足の進歩を遂げてきたところにヨーロッパの凄みがある。

 啓蒙とは「蒙(もう)を啓(ひら)く」と読む。啓蒙主義(啓蒙思想)の「蒙(くら)さ」とは聖書絶対主義を意味する。すなわち科学革命を通してバイブルの絶対性に亀裂を入れた精神性であった。天体と地層の観測が聖書の記述とそぐわず、散々こねてきた屁理屈も通らなくなった。古文書は現実の前に敗れた。教会は知的な探究にブレーキをかけることができず妥協の道を選んだ。革命とは権威の失墜によって知性が花開く時代である。

「はじめに神は天と地を創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた」(創世記冒頭、本書より)。フム。現代の常識からすれば「その前に空間があるだろうよ」と批判することはたやすい。これは我々がビッグバン理論を知っているためだ。知は力であり視点を押し上げる。ところがキリスト教と遭遇した日本は神の思想に恐れをなすこともなく実際的な批判をし得た。私の疑問はそれほどの知性を持ちながらも、なにゆえリベラル・アーツや科学革命が起こらなかったのかという一点に尽きる。実用志向が神という視点の高さに追いつけなかったのだろうか?

 普遍史をプロテスタントの立場からニュートン的方法で書き換えたウィリアウム・ウィストン(1667-1752年)は天地創造から1696年までを5705年と計算していた。当時のヨーロッパはシナ文明の古さに苦慮したのが偲(しの)ばれよう。中世の人々にとって終末は遠い未来のことではなく間もなく訪れる瞬間であった。

 ニュートン物理学が普遍史を揺さぶり、18世紀末に登場した考古学が木っ端微塵にした。ニュートンは人類史の中で突出した天才であったが神から自由になることはなかった(ユニテリアン主義だった)。ところが科学の方はニュートン以降、呆気(あっけ)なく神を追い越してしまった。

 科学は普遍史の時間観を変えたわけだが、それでもやはり宗教と科学に共通する最大のテーマは時間である。なぜなら人間は時間的存在であるからだ。

2020-01-20

一切皆苦/『苦しみをなくすこと 役立つ初期仏教法話3』アルボムッレ・スマナサーラ


『怒らないこと 役立つ初期仏教法話1』アルボムッレ・スマナサーラ
『怒らないこと2 役立つ初期仏教法話11』アルボムッレ・スマナサーラ
『心は病気 役立つ初期仏教法話2』アルボムッレ・スマナサーラ

 ・一切皆苦

『無(最高の状態)』鈴木祐

 では、仏教が生きることを研究して出た答えはなんでしょうか?
 それが「苦」という答えなのです。「生きることはとても苦しい」ということです。
 ヨーロッパ人は、形而上学的な立場で生きることについて、命について、いろいろ考えています。一方、仏教はとても具体的に合理的にこの問題を考えます。どちらかというと、経験論に基づいて生きるとは何かと発見するのです。それで「生きるとは感じることである」と語っています。それは感覚のことです。感覚があることが生きることです。物事を感じたり考えたりすることは生きることです。人は「感じては動く、感じては動く」ということです。
 ではなぜ動くのでしょうか? それは、感じることが苦しいからです。
 ずっと立っていると苦しくなるから歩く。ずっと歩いていると苦しくなるから座る。ずっと座っていると苦しくなるから寝る。ずっと寝ていたら苦しくなるからまた起きる。お腹が空くと苦しくなるから食べる。食べると苦しくなるから止める……。これが生きることなのです。息を吸うだけだと苦しいのです。だから吐くのです。吐いたら苦しいから吸うのです。
 このように感覚はいつでも「苦」なのです。
 だから必死に動いています。生きることは「動き(モーション)」でもあります。こう考えると、我々が思っている「生きる」という単語は曖昧で正しくありませんね。

【『苦しみをなくすこと 役立つ初期仏教法話3』アルボムッレ・スマナサーラ(サンガ新書、2007年)】

 スマサーラを初めて読んだのは2012年のこと。私が受けた衝撃は大きい。日本仏教の欺瞞が暴かれたような心地がしたものだ。クリシュナムルティを知ったのが2009年で仏教に対する熱はかなり冷めていた。しかしながら仏教とブッダの教えは違った。南伝仏教(上座部、テーラワーダ)は生き生きとしたブッダの言葉を伝える。

 日本の仏教界が私ほどの衝撃を受けたかどうかは知らぬが、今や仏教系信徒でスマナサーラを読まぬ者は田舎者(←差別用語)と蔑まれても致し方ない。仮にもブッダを師と思うのであれば胸襟を開いて傾聴すべきだ。

 スマナサーラ本を読んで私は初めて四法印の「一切皆苦」(いっさいかいく)がわかった。しかもパーリ語のドゥッカに「不完全」というニュアンスがあるとすれば、それこそ「満たされない」状態を示しているのであろう。苦と苦の合間を我々は快楽と錯覚するのだ。夢や希望が苦からの逃避であるケースがあまりにも多い。

 生の実相が苦であることは病院や老人ホームに行けば誰もが理解できよう。誰の役にも立てなくなった時、人は絶望を生きるしかない。

 現実の苦に対する無自覚こそが現代人の不幸なのだろう。だからこそ病んで死を宣告された時に命の尊さを知り、残された時間を嘆くのだ。我々は漫然と「永久に生きられるかのように生きている」(セネカ)。

 苦は欲望という油を注がれて深刻の度合いを増す。日蓮は「苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思ひ合はせて、南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ。これあに自受法楽にあらずや」(「八風抄」真蹟は断簡のみ)と書いているがそれは自受法楽ではない。わかりやすい教えには落とし穴がある。

 苦しみをなくすためには欲望の火を消す他ない。これを涅槃(ねはん)とは申すなり。(amazonの価格が1880円になっているのはどうしたことか?)

祭りと悟り/『宗教批判 宗教とは何か』柳田謙十郎


 ・祭りと悟り

『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』稲垣武

 これとともにみのがしてならないことは、まつりにおける慣習的な儀式の重要性ということである。われわれ文明人の宗教にとつては第一義的に重要なものは教義であり、内的な信仰ないし【さとり】にあるのであるが、古代人にとつては逆に社会的歴史的に伝統化された儀式そのものに最大の意義があるのである。だから発生史的にいえば神話や教義や哲学からまつりやその儀式が生まれたのではなく、まず【まつり】が行われその中から神話その他の観念的なものが発展してきたのである。

【『宗教批判 宗教とは何か』柳田謙十郎〈やなぎだ・けんじゅうろう〉(創文社、1956年)】

 柳田謙十郎はクリスチャンで政治的には保守派であったが戦後になってマルクス主義に転向した人物。進歩的文化人の一人に挙げられ、稲垣武は「ソ連をユートピア視する元皇国論者の柳田謙十郎」と評している。聖書の引用が目立つ程度で妙な誘導や画策めいた筆致は見当たらない。敗戦という絶望状況が価値観を引っくり返す跳躍台となったことは何となく想像ができる。

 刊行されたのが昭和31年だから新興宗教が全盛の頃である。宗教をも情報と捉える現在からすれば古色蒼然ともいうべき内容だが静かな内省が窺える。

 人類史において宗教が確固として興ったのは農業革命~定住(新石器革命)の時期である。サルやチンパンジーの群れは十数頭~100頭で、ダンバー数が100~250人ということを踏まえると、最初の定住は数千人規模と見てよさそうだ。つまり数千、数万単位の人々を協力させるソフトとして宗教は誕生したのだろう。

 天変地異に対する祈りから始まった儀礼は宗教的天才の登場によって祭りに変貌する。二分心時代にはそうした連中がゴロゴロ存在したことだろう。宗教というものは感情に訴える。理を跳躍するところに宗教的感情が律動する。更に宗教はよそ者の通過儀礼(イニシエーション)として機能したはずだ。むしろ祭りへの参加を通して仲間入りした可能性もある。霊媒のお告げが当たれば人々は熱狂し結束を固めたのだろう。ヒトは社会的動物といわれるが、その社会性の根幹となったのは宗教であった。

 祭りから悟りへの素地を作ったのはヴェーダの宗教でブッダが決定的なものとした。

 信仰とは創造神を絶対と仰ぐ精神で、日本の信心はアニミズム的色彩が濃い。孔子は「民は信なくんば立たず」と。信こそはコミュニティを成り立たせる土台である。信頼と協力が薄くなれば社会は滅びる。一方、悟りに信は必要ない。真理は信じる対象ではなく理解するものである。