2011-06-23

ジョセフ・ブルチャック


 1冊読了。

 41冊目『それでもあなたの道を行け インディアンが語るナチュラル・ウィズダム』ジョセフ・ブルチャック:中沢新一、石川雄午訳〈いしかわ・ゆうご〉(めるくまーる、1998年)/中沢新一の名前を見て迷ったが、表紙に惹かれて購入。これほどの面構えは中々お目にかかれない。写真も多数掲載。厳しい寒風と灼熱の太陽に耐えた彼らの風貌が、私のだらけた姿勢を正す。我々は文明の美酒に酔い痴れ、肉体も精神も贅肉(ぜいにく)でたるんでいる。精霊よ蘇れ、と思わずにはいられない。

青春時代


 青春時代は振り返ることでしか確認できない。

最も美しいことば

意味に取りつかれる脳~Meの正体はMeaning


善悪とは
目的論と自己実現

 上手くまとまっていないのだがメモしておこう。人間の脳、すなわち思考は意味に取りつかれている。この辺りが目的論の正体だと思う。つまり、Meの正体はMeaningってわけだ。しかもMeは「目的格」である。ざまあみやがれ、私の勝ちだ(笑)。脳は意味を明らかにする物語を必要とする。意味=物語性という図式になっている。

 実に面白い。主格、所有格、目的格を哲学的に読み解くことが可能かもしれない。主格=存在、所有格=欲望、目的格=目的論。

 ここから強引にカントの格律へ持ってゆき、Mine(独立所有格)とアニミズムを結びつけ、エスノメソドロジーから東洋と西洋の違いに切り込むだけの力量が、残念ながら私にはない(笑)。

 ポストモダンよりも、脱アリストテレスという視点が重要だと思われる。

人間は偶然を物語化する/『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ
「理想的年代記」は物語を紡げない/『物語の哲学 柳田國男と歴史の発見』野家啓一
唯幻論の衝撃/『ものぐさ精神分析』岸田秀
アナロジーは死の象徴化から始まった/『カミとヒトの解剖学』養老孟司

目的論と自己実現


善悪とは

 そして大乗仏教もまた、因果に目的論を付与してしまったのだ。原因は結果よりも過小評価される。「本懐を遂げること」以外は些末なものとして扱われる。自己実現とは、自我の罠に絡め取られた状態を意味する。

意味に取りつかれる脳~Meの正体はMeaning

善悪とは


 善悪とは感情である。価値観ではない。こう考えると感情を支えているのが宗教であることがわかる。宗教的感情という次元ではなく、感情そのものが宗教的価値観の反映なのだろう。すなわち「後天的に刷り込まれた情動」が宗教なのだ。

 神学と大乗仏教に共通するのは理論武装である。キリスト教は理論を学問領域にまで発展させた。こうして宗教はアリストテレス的世界観(目的論的世界観)を構築するに至ったのだ。これが西洋では形而上学となって自己実現を目指し、東洋においてはアニミズム的志向から共同体意識を形成した。

 宗教の本質は戒律にある。つまり教派・宗派はタブーを共有する人々の関係性を示している。「忌みはばかって禁じられる」までに高まった状態は、思考が感情に浸透し、感情が思考を支配するフィードバック構造を端的に表している。この意味で宗教は極めて音楽的だ。

 アントニオ・R・ダマシオを読み直す必要がありそうだ。

目的論と自己実現
意味に取りつかれる脳~Meの正体はMeaning
ソマティック・マーカー仮説/『デカルトの誤り 情動、理性、人間の脳』(『生存する脳 心と脳と身体の神秘』改題)アントニオ・R・ダマシオ
暴力と欲望に安住する世界/『既知からの自由』J・クリシュナムルティ