善悪とは感情である。価値観ではない。こう考えると感情を支えているのが宗教であることがわかる。宗教的感情という次元ではなく、感情そのものが宗教的価値観の反映なのだろう。すなわち「後天的に刷り込まれた情動」が宗教なのだ。
神学と大乗仏教に共通するのは理論武装である。キリスト教は理論を学問領域にまで発展させた。こうして宗教はアリストテレス的世界観(目的論的世界観)を構築するに至ったのだ。これが西洋では形而上学となって自己実現を目指し、東洋においてはアニミズム的志向から共同体意識を形成した。
宗教の本質は戒律にある。つまり教派・宗派はタブーを共有する人々の関係性を示している。「忌みはばかって禁じられる」までに高まった状態は、思考が感情に浸透し、感情が思考を支配するフィードバック構造を端的に表している。この意味で宗教は極めて音楽的だ。
アントニオ・R・ダマシオを読み直す必要がありそうだ。
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目的論と自己実現
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意味に取りつかれる脳~Meの正体はMeaning
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ソマティック・マーカー仮説/『デカルトの誤り 情動、理性、人間の脳』(『生存する脳 心と脳と身体の神秘』改題)アントニオ・R・ダマシオ
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暴力と欲望に安住する世界/『既知からの自由』J・クリシュナムルティ
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