2011-06-02
一票の格差が諸悪の根源なのか?
ツイッターで一票の格差に関する声が散見され、その中で紹介されていた記事。
・首相のリーダーシップ欠如は、「地方の有力者」が優遇される仕組みから生まれた:出口治明
回らぬ頭で読んでいたので、繰り返し読み直す羽目となった。これほど違和感を覚える文書も珍しい。挙げ句の果てには「歪(いびつ)な構造を生み出した諸悪の根源は、一票の格差ではないか」とまで書いている。チト、面倒なんで箇条書きにする。
・G8サミットは(中略)、日本が全体としては安全でありそしてわが国の経済が間違いなく回復することを、「具体的に」世界に訴える格好の機会だった。
経済回復の具体性がない。(経済成長率の推移、経済成長率の推移〈主要国・地域〉)
・では、菅首相が退任したら、すべての問題は解決するのだろうか。
解決するかもしれないし、解決しないかもしれない。どうして、わざわざ「すべての問題」に帰着させるのか理解に苦しむ。この段落はフラフラした文章で、非常にわかりにくい。
・そもそも、こういった問題の所在を、個人の能力や資質に帰すアプローチは、果たして正しいのだろうか。
正しい。「個人の能力や資質」を問わないのであれば選挙をする必要もなくなる。
・4代(あるいは5代)連続して首相を務めるに足る能力や資質に欠けたリーダーを、この国は選び続けてきたのだろうか。
国民から政権を付託された政権与党の党内人事にすぎない。意図的に「この国」と書くことで、あたかも国民が選出したかのような印象を盛り込んでいる。
・およそビジネスの世界ではあり得ないような異常事態を、この国は続けている。
ビジネスと政治は異なる。
・では、このような政治リーダーを次々と産み出してきたこの国の「構造的な歪み」とは何か。突き詰めて考えると、一票の格差こそが諸悪の根源だと思えてならない。
要はこれが書きたくて、色々な材料を引っ張り出しているだけだ。
・問題を単純化して考えてみよう。1票の格差が存在するということは、地方の有力者が政治リーダーに選ばれやすいということとほぼ同義である。
「突き詰めて考える」最初の段階で、問題を単純化していいのか? そんな突き詰め方で大丈夫なのか?
・グローバルな問題よりも国内の問題に注力しがちになることは、ある意味、当然ではないだろうか。
問題を単純化して導いた結論を「当然だ」と言い切っている。
・以上のように考えてみると、(中略)一票の格差という淵源に突き当たるのである。
最初から的を決めているわけだから「突き当たる」のは当然だ。
・有力なアイデアは、インターネット投票の導入である。
インターネット投票や電子投票は嘘をつかれる恐れがある。
彼の論理は、小学生が授業における発表を失敗した場合に置き換えるとわかりやすい。ナオト君の失敗は家族の構造に問題があるってわけだよ。
明らかに論理が破綻しているのは、ヒューマンファクター(人的要因)と構造的要因が異なる視点であるにもかかわらず、そこに優劣をつけているためだ。
犯罪を考える場合なども社会的背景に目を奪われてしまうと、犯罪者=社会の犠牲者と問題が変質してしまう。
一票の格差は確かに問題だろう。だが、一票の格差が解消されることで政治状況が変わるというのは行き過ぎた楽観論だ。
突き詰めて考えるのであれば、女性に投票権がなかった時代や、それこそ政治意識すら芽生えていなかった江戸時代とも比較考証すべきであろう。更に外国で格差是正成功例があるならデータで示すべきだ。
そもそも本気で民主政治を行うのであれば、議員選出法はくじ引きにすることが正しいのだ。
・民主的な議員選出法とは?/『民主主義という錯覚 日本人の誤解を正そう』薬師院仁志
私は一票の格差よりも、憲法違反が平然とまかり通っている事実の方が恐ろしいと思う。国家権力に縛りをかける憲法が有名無実であることは、権力の暴走を許していることになるからだ。
結論――政治の構造的問題を一票の格差に帰着させる考えは、全ての問題を菅直人首相のせいにする人々と五十歩百歩であると思う。
・一人一票に関心が湧かない
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