2018-03-13

靖国公式参拝に疑問を投げかける毎日新聞記者に激怒する石原慎太郎知事



「質問するのが当然」と思っている新聞記者が「質問されて」たじろぐ姿が浅ましい。ジャーナリストは常に「政治家は自分たちの質問に答える義務がある」との強い思い込みがあり、居丈高な調子となることも決して珍しくはない。言葉をこねくり回して身銭を稼ぐ連中がいつしか社会の動向に強い影響を及ぼすようになり、記者は野次馬からジャーナリストに昇格した。

 大東亜戦争は日本人にとって悲劇だった。だがその民族的悲劇が有色人種国を独立に導いた。植民地という名の下で数百年間に渡って奪われることに甘んじていた人々が日本を見て奮い立ったのだ。

 特攻隊員は日本のエリートであった。彼らはただ国家の行く末を思い、子孫を守るために自らの命を花と散らした。はたから見れば狂気としか思えないその攻撃がアメリカ軍を沖縄の地で止めたのだ。

 あの戦争を思えば石原が激昂するのも理解できる。むしろ戦後になって石原のように率直な怒りを表明する大人がいなくなったところに日本の歴史が寸断された原因があると思われてならない。

 そして今、エリートが日本という国家を食い物にし、滅ぼそうとしている。

2018-03-12

擬似相関/『昭和の精神史』竹山道雄


 ・オールド・リベラリズムの真髄
 ・竹山道雄の唯物史観批判
 ・擬似相関
 ・新しい動きは古い衣裳をつけてあらわれる

『竹山道雄と昭和の時代』平川祐弘
『見て,感じて,考える』竹山道雄
『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘編
『剣と十字架 ドイツの旅より』竹山道雄
『ビルマの竪琴』竹山道雄
『人間について 私の見聞と反省』竹山道雄
『竹山道雄評論集 乱世の中から』竹山道雄
『歴史的意識について』竹山道雄
『主役としての近代 竹山道雄セレクションIV』竹山道雄:平川祐弘編
『精神のあとをたずねて』竹山道雄
『時流に反して』竹山道雄
『みじかい命』竹山道雄

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 鶏(にわとり)が鳴くときに太陽が登(ママ)る、だから鶏が鳴くのが太陽が登る原因である……というふうに、時を同じくしておこった現象を結びつけて因果欲望を満足させることは、ともすると人がおかしやすいあやまりである。
 昭和のはじめに左翼運動が弾圧された。そして、「その一方に1930年前後は、エロ・グロ・ナンセンスといわれる、頽廃(たいはい)をきわめた愚民政策が系統的に行なわれた」
 このようにファシズムの進行とエロ・グロ風潮とを結びつけるのは、鶏と太陽を結びつけるようなものであろう。むしろ、あの風潮が、それへの反撥(はんぱつ)としてファッショを煽(あお)った一つの因であったのであろう。

【『昭和の精神史』竹山道雄(新潮叢書、1956年)/講談社学術文庫、1985年/中公クラシックス、2011年/藤原書店、2016年】

 相関関係を因果関係と勘違いすることを擬似相関という。

 薬の効力を調べる場合、「使った、治った、効いた」という「三た」式思考法は危険なのだ。

【『霊はあるか 科学の視点から』安斎育郎〈あんざい・いくろう〉(講談社ブルーバックス、2002年)】

「祈った、かなった、幸せになった」というのが宗教の「三た」式思考法であろう。「見た」という経験を重んじれば幽霊や宇宙人の存在は正当化し得る。それゆえ「科学者は、体験談を証拠とはみなさない」(『なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか』スーザン・A・クランシー)。

 尚、後段の「社会的頽廃がファシズムの温床となった」という指摘は、竹山自身がナチス台頭前夜のドイツに留学した経験に基づいており、戦時中(1940年〈昭和15年〉)にナチス・ドイツの非人間性を批判した論文を発表(雑誌『思想』)している。

 竹山の著作はいずれも近代の変化を確かな目で捉えている。例えば固定電話が普及したのは1970年代に入ってからのこと(固定電話の歴史)であるが、それ以前は手紙でやり取りするか、直接訪ねるしか方法がなかった。相手が不在であれば当然「待つ」他ない。つまり現代と比べると驚くほどの時間的コストがかかったわけである。こうしたところに想像が及ばないと変化のダイナミズムを見失ってしまうだろう。

昭和の精神史 (中公クラシックス)
竹山 道雄
中央公論新社
売り上げランキング: 601,641

昭和の精神史 〔竹山道雄セレクション(全4巻) 第1巻〕
竹山 道雄
藤原書店
売り上げランキング: 337,273

2018-03-11

読み始める

お手軽食材で失敗知らず!  やみつきバズレシピ
リュウジ
扶桑社 (2018-02-09)
売り上げランキング: 305

レッド・プラトーン 14時間の死闘
クリントン ロメシャ Clinton Romesha
早川書房
売り上げランキング: 14,416

2018-03-10

竹山道雄の唯物史観批判/『昭和の精神史』竹山道雄


 ・オールド・リベラリズムの真髄
 ・竹山道雄の唯物史観批判
 ・擬似相関
 ・新しい動きは古い衣裳をつけてあらわれる

『竹山道雄と昭和の時代』平川祐弘
『見て,感じて,考える』竹山道雄
『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘編
『剣と十字架 ドイツの旅より』竹山道雄
『ビルマの竪琴』竹山道雄
『人間について 私の見聞と反省』竹山道雄
『竹山道雄評論集 乱世の中から』竹山道雄
『歴史的意識について』竹山道雄
『主役としての近代 竹山道雄セレクションIV』竹山道雄:平川祐弘編
『精神のあとをたずねて』竹山道雄
『時流に反して』竹山道雄
『みじかい命』竹山道雄

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 歴史を解釈するときに、まずある大前提となる原理をたてて、そこから下へ下へと具体的現象の説明に及ぶ行き方は、あやまりである。歴史を、ある先験的な原理の図式的な展開として、論理の操作によってひろげてゆくことはできない。このような「上からの演繹(えんえき)」は、かならずまちがった結論へと導く。事実につきあたるとそれを歪(ゆが)めてしまう。事実をこの図式に合致したものとして理解すべく、都合のいいもののみをとりあげて都合のわるいものは棄てる。そして、「かくあるはずである。故に、かくある。もしそうでない事実があるなら、それは非科学的であるから、事実の方がまちがっている」という。

【『昭和の精神史』竹山道雄(新潮叢書、1956年)/講談社学術文庫、1985年/中公クラシックス、2011年/藤原書店、2016年】

 ここに批判されているような上からの御託宣による歴史解釈が平然として横行するのが、昭和30年代、40年代の日本の学界、言論界だったのである。歴史学はもはや人文の学などではなく、ついに社会科学として「世界史の基本法則」を把握するに至った。もし明治日本の、昭和日本の歴史がこの「基本法則」に合致しないならば、それは事実としての歴史のほうが間違っている、歪んでいるのだ、といった議論が学界の指導者たちによってしきりに説かれていたのである。

【「昭和日本への反時代的証言」芳賀徹〈はが・とおる〉(中公クラシックス版)】

「唯物史観なんて俺には関係ないや」と考える人が大半だろう。ところがどっこい大有りなのだ。江戸時代暗黒論がそれだ。歴史は進歩するゆえ近代以前はどうしようもないクソみたいな時代でなければならないのだよ。(『お江戸でござる』杉浦日向子監修を参照のこと)

 また大正デモクラシー(マルクス主義者信夫清三郎〈しのぶ・せいざぶろう〉の造語、1954年)~社会主義ブーム~五・一五事件二・二六事件~大東亜戦争という流れの中で、尊皇の精神に彩られた和製社会主義ともいうべき潮流とコミンテルンの指示で動く第五列の画策が交錯した。日本の近代史が曖昧な輪郭をしているのは社会主義の影響が解明されていないためだ。首相を務めた近衛文麿の評価すら定まっていない(『われ巣鴨に出頭せず 近衛文麿と天皇』工藤美代子、2006年/『近衛文麿「黙」して死す すりかえられた戦争責任』鳥居民、2007年)。

 戦後教育は唯物史観に染まったといっても過言ではない。「進歩を説く」のが知識人の証とされた。共産党員はGHQによって獄から放たれ、大学生は一気に左傾化した。朝鮮特需~高度経済成長を背景に暴力革命の嵐が吹き抜けた。

 竹山道雄の唯物史観批判はそのままヘーゲルやキリスト教にも向けられるべきものであろう。原理主義(ファンダメンタリズム)は必ず教条主義となり人間を裁断する。プロクルステスのベッドのように。この洞察が『見て,感じて,考える』では認知科学の領域にまで迫ろうとしている。昨今では「文学」という言葉は理系からの悪口と化した感があり、科学的根拠のないポエム(たわ言)みたいな文脈で使われるが、真の文学は人間と社会の深層を見抜くものであることが理解できる。

昭和の精神史 (中公クラシックス)
竹山 道雄
中央公論新社
売り上げランキング: 601,641

昭和の精神史 〔竹山道雄セレクション(全4巻) 第1巻〕
竹山 道雄
藤原書店
売り上げランキング: 337,273

2018-03-09

洗濯機排水ホース交換顛末記


 知らぬ間に洗濯機の排水ホースから水が漏れていた。少量の漏れだったこともあり、ずっと気づかなかった。洗濯機を倒して排水ホースを見たところ、蛇腹部分に引き摺った痕(あと)があり細かい穴がいくつか空いていた。新しいものを購入すべくホースの接続部分をカッターで切り取り、サイズを測った。これが最初の過ちの一つだった。早速amazonで注文をした

 
 パッキンとクランプ(ホースバンド、ホースクリップ)が付いていたのが選んだ理由だ。通常配送でも翌々日には届くだろうと思い込んだのが第二の過ちであった。発送は中国からでお届け予定日は何と2週間後になっていた。そうとわかっていれば元のホースにビニールテープを巻いて使ったのに(涙)。

 出張から戻ってくると不在の連絡票が投函されていた。予定より1週間早い到着だ。ホースを見て愕然とした。接続部はいいのだがホース本体がやたらと細く、しかも固かった。背に腹は代えられないので舌打ちしながら新しいホースを取り付けた。出張で溜まった洗濯物を放り入れ、「虎ノ門ニュース」の続きを視聴した。そして「引っ越しなどで洗濯機を移動する際は必ず排水ホースを外すこと」とツイートする予定だった。

 洗濯機のブザーが鳴った。排水時が心配なので蓋を開けたままにしておいたのだ。私は時代劇に出てくる用心棒気取りで「どーれ」と見に行って腰を抜かした。洗濯機の周囲には薄っすらと5mmほどの水溜りができていた。慌てて近くにあるタオルや衣類を放り投げて床を拭いた。もうちょっと遅かったら下の階に被害が及んだことだろう。

 洗濯槽の洗い物を風呂に入れ、取れる範囲の水を洗面器ですくい取り、10kg以上重くなった洗濯機をあらん限りの力で風呂場に移した。あろうことか排水ホースがまた破れてしまった。私は枕を濡らす気力も失せた。「人生とは不条理の異名なり」とテロップを入れたくなった。「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」(石川啄木)と歌ってみたが蟹はどこにもいなかった。結局、排水ホースを付ける位置を間違えていた。隣に似たような塩ビ管があったのだ。

 落ち込んだのは数秒のことだった。昔から立ち直るのが異様に早い。ま、起き上がり小法師みたいなものだ。私は倒した洗濯機を跨(また)いでそのまま近所のホームセンターへ足を運んだ。amazonよりも300円安いホースを見つけた。太さも元のホースと同じサイズだ。接続部は切って調整ができるタイプのものだ。ルンルン気分で家に戻り、3回戦の洗濯を済ませた。

 以上ダラダラと顛末(てんまつ)を綴ったが、女性の独り暮らしだと難しいかもね。普段から男手を確保しておくことが望ましい。それからホースはどこのホームセンターでも売っていると思うが、必ず金属製のクランプを買うことをお忘れなく。amazonモノタロウでも販売している。