2019-06-09

同調ハミング/『心身を浄化する瞑想「倍音声明」CDブック 声を出すと深い瞑想が簡単にできる』成瀬雅春


『ベッドの上でもできる 実用介護ヨーガ』成瀬雅春

 ・同調ハミング

『歌うネアンデルタール 音楽と言語から見るヒトの進化』スティーヴン・ミズン
『言葉はなぜ生まれたのか』岡ノ谷一夫:石森愛彦絵
・『言葉の誕生を科学する』小川洋子、岡ノ谷一夫

 私はこれまで、倍音声明を体験する会を数多く開いてきました。参加者は最初、声を出す瞑想にとまどうようです。
 しかし、会も終盤となると、泣きだす人や身体が震えだす人、あくびが止まらなくなる人が続出します。
 こうした反応は、心身の浄化(じょうか)を意味しています。カルマ(業〈ごう〉)の解消といってもいいでしょう。
 また、倍音声明の会では、多くの人がキラキラした不思議な高音を聴くことが多いようです。フルートのような音や太鼓の音、シンセサイザー、川の水流音、オーケストラ、般若心経(はんにゃしんぎょう)、ホラ貝、讃美歌、鐘の音、ヴァイオリンなど、人によってさまざまな音が聴こえてきます。

【『心身を浄化する瞑想「倍音声明」CDブック 声を出すと深い瞑想が簡単にできる』成瀬雅春〈なるせ・まさはる〉(マキノ出版、2010年)】

 声明(しょうみょう)とは梵語や漢語の経文に節(ふし)をつけて唱えることであるが、倍音声明の場合節はつけない。聖音のOM(AUMとも/オーム)に近い。オームは東に伝わって「阿吽」(あうん)となり、西に伝わって「アーメン」となったという俗説がある。


「キラキラした不思議な高音」はホーミーのようなものだろう。バイクに乗っているとヘルメット内で風切り音がパトカーのサイレンに聴こえることがよくある。


 音は振動である。普段我々が意識することはないが周波数には形がある。


 塩で驚いてはいけない。水までもが形を変えるのだ。


 具体的なやり方はこうだ。

 倍音声明では、母音(ぼいん)の発声をくり返すことを基本とします。

【「ウー」→「オー」→「アー」→「エー」→「イー」→「ムー(低音のハミング)」】

 発声はこの順番を守ってください。
 息継ぎをしながら、同じ音を一定時間唱えてから、次の音に移ります。
 多人数で低音を連続的に出しながら、声によるヴァイブレーションによって、倍音(基音の整数倍の振動数を持つ音)を意図的に発生させるのです。




 言葉の基本となるのはM音という説がある。英語だと母親をママといい、日本語だと食べ物のことをマンマという。「ムー(低音のハミング)」は多分正確ではない。「フームー」と鼻から息を吐いて口蓋を震わせるのだろう。これは奇しくもスティーヴン・ミズンが音楽と言語の共通の先駆体と想定した「Hmmmm」「Hmmmmm」(※本来は略称だが無理に発音すればの話)と一致している(『歌うネアンデルタール 音楽と言語から見るヒトの進化』)。不思議なことにヒンドゥー教で宇宙の根本原理とされるブラフマン(brahman)にも「hm」が入っている。

 私はかねがね日常会話に精彩を加えるのは相槌だと考えているのだが、人が本当に得心がいった時に思わず発する「んんっ」という音は全身を震わせて受け止める姿勢の表れであろう。私が原丈人〈はら・じょうじ〉を只者ではないと思ったのも彼の相槌の深さに直ぐ気づいたからである。

 付属のCDを聴きながら行うと容易に同調できる。日本仏教のお経は漢語のため音の力が弱い。倍音声明はわずか6音だがサンスクリットの詠唱に近づける。ただしこれを瞑想とするのは大風呂敷を広げすぎだ。同調ハミング(あるいはハミング・コミュニケーション)で構わないだろう。と書きながら、ハミング(humming)やハーモニー(harmony)にも「hm」音があることに気づいた。



ハミングがウイルスを防御/『舌(べろ)トレ 免疫力を上げ自律神経を整える』今井一彰

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2019-06-08

雪辱の半原越(愛川町経由)


初めての半原越
越すに越されぬ半原越(愛川経由)

 ・雪辱の半原越(愛川町経由)

半原越往復

 雨の予報が13:00から15:00に変わった。私は脱兎(だっと)の如く家を飛び出た。一昨日の敗北は心に深刻なダメージを与え、寝ても醒めても半原越(はんばらごえ)を想った。私の口からは吐く息とともに「畜生」とか「くっそー」などという呪詛(じゅそ)が漏れた。

 今日判ったのだが、愛川町(あいかわまち)経由だと半原越に辿り着くまでが結構大変なのだ。JA県央愛川荒茶工場がある道路は下ってゆくと時速55kmに達する。ダラダラと続く坂道を登りながら足の疲れが取れていないことに気づいた。因みに国道412号の信号で曲がらず直進した方向には「三増合戦(みませかっせん)みち」という恐ろしい名前の道路がある。


「三増峠の戦い(みませとうげのたたかい)とは、永禄12年(1569年)10月8日に武田信玄と北条氏により行われた合戦である」(Wikipedia)。「1569年(永禄12年)、甲斐の武田軍と小田原の北条軍が激戦を繰り広げた『三増合戦』を記念して、『三増合戦場碑』が400年後の1969年(昭和44年)に、建立されました」(三増合戦史跡/愛川町ホームページ)。


 信玄と戦ったのは北条氏政(後北条家第四代当主)である。末弟に氏規〈うじのり〉がいて氏盛〈うじもり〉と続いているが、この末裔(まつえい)に創価学会の第四代会長を務めた北条浩がいる。しかも彼は伊達政宗の子孫(男系)でもあった。

 話を戻そう。初めて登った前回とは異なり今日は各ポイントを把握していた。丸太がゴロゴロと転がっている→高低差50メートルのつづら折れ→水汲み場→白い花→樹木土砂崩れ→頂である。ゆっくりと登坂を始めたところ、「こんにちは」と後ろから声を掛けられた。私が挨拶を返す間に紳士のローディは力強く追い越していった。最初の曲がり角で姿は完全に消えた。恐るべきスピードである。

 ここで慌ててはいけない。1ヶ月後には56歳となる我が身である。運悪く路面も濡れていて時折道を横切るグレーチング(溝蓋〈みぞふた〉)で後輪がスリップする。

 あらん限りの脚力を振り絞り、急勾配では時速5km以下の速度でよろめきながらも私は半原越を制覇した。疲労のあまり地べたに坐り込むと、重なり合う樹木の葉から私の勝利を祝うかのように紙吹雪が舞った。「マジ?」と目をこすると、それはたくさんの白蝶であった。

 雨を恐れて登ってきた道をそのまま降りた。水汲み場の側で草刈り鎌を持った老人が徘徊していた。半原越の入口付近で木漏れ日が差した。今日はいい日である。

【追記】今回工夫したのは呼吸法である。口呼吸で喘(あえ)いでいた時に思いつき、「スッ、スッ、スッ、ハッ、ハッ、ハァー」と6拍子で行い、それでも苦しくなると4拍子に変えた。

2019-06-07

小室直樹に予言されていた私/『あなたも息子に殺される 教育荒廃の真因を初めて究明』小室直樹


『評伝 小室直樹』村上篤直

 ・小室直樹に予言されていた私

『三島由紀夫と「天皇」』小室直樹

 さて、以上の分析によって、私たちが直面している校内暴力・家庭内暴力の何たるかを、いっそう明確に分かっていただけたと思う。それは新左翼や行動右翼、構造的汚職犯罪人、そして戦前の軍事官僚や戦後の高級官僚、エリート・ビジネスマンなどに連なる一大アノミー症候群の一つの峰であって、それ自身で存在するものではない。(中略)
 では、前人未到の程度にまで激甚化した暴力は、今後どこへ行く。かかる暴力を生み出したアノミーは、どこまで昂進する――それを考えるには、差し当って、若者がもう一度イデオロギーを取り戻した時が、一つのメルクマールとなろう。
 この2~3年、日本のイデオロギー状況は、大転換をみせた。左翼イデオロギーが、人びとの間で、完全に魅力を失ってしまったのである。それとともに、従来は左翼イデオロギーに出口を求めてきた若者のアノミーは、行き場を失い、無イデオロギーの暴力に結集することになった。
 これが、校内暴力・家庭内暴力だ。校内暴力・家庭内暴力が、この2~3年、急速に猖獗をきわめるようになった理由も、まさにここにある。
 しかし、若者は理想を求める。永年、イデオロギー無き状態に放置されていることはできない。イデオロギーこそは、若者にとって、生活必需品の一つなのだ。
 では、イデオロギー無き現代の若者に、再びイデオロギーが帰ってくるとすれば、それはどんなものだろうか。
 そこで最後の予言。
 それはおそらく、三島由紀夫であろう。マルキシズムが再び青年の心をとらえることはできない。在来の右翼思想は、すっかり古色蒼然たるものになってしまったし、虚妄の戦後デモクラシーに惹力はない。
 が、より根本的理由は、右の思想のいずれもが、戦後日本の基礎となった、急性(アキュート)アノミーとの対決を回避しているからである。
 この急性アノミーは、敗戦と天皇の人間宣言によって発生したものであったが、三島由紀夫のみが自著『英霊の声』(ママ)において、これとの対決をみごとになしとげた。

【『あなたも息子に殺される 教育荒廃の真因を初めて究明』小室直樹(太陽企画出版、1982年)】

 この箇所は『評伝 小室直樹』で知った。私が三島由紀夫に辿り着いたのは一昨年のことである。つまり36年前の予言が的中したわけだ。恐るべき慧眼(けいがん)と言わざるを得ない。

 アノミーとはエミール・デュルケームが用いた社会学的概念で通常は「無規範」と訳されるが小室は「無連帯」とした。ヒトが社会的動物であれば無連帯は孤独や不安を醸成する。元々は敗戦~天皇陛下の人間宣言が日本に国家的規模の集団アノミーを発生させた。その真空領域にマルクス主義が侵入し、新興宗教が蔓延(はびこ)った。小室が指摘する校内暴力・家庭内暴力が芽生えたのは私の世代(1963年生まれ)である。北海道で一番最初に校内暴力が報道されたのは私の中学で、教員に暴力を振るったのは私の友人であった。

 当時、我々の世代は三無主義(無責任・無関心・無感動)とか新人類などと呼ばれた。バブル景気が弾けるとフリーターはニートや引きこもりとなり、援助交際から一転して自傷行為が目立ち始めた。就職氷河期に遭遇した「失われた世代」(団塊ジュニアとも。1971-1974年生まれ)が抱いた社会不信も後々深刻なダメージとなって社会を毀損した。

 新しい歴史教科書をつくる会(1996年)や小林よしのり作『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』などを中心とする近代史の見直しを背景に、東日本大震災(2011年)で国内には再び尊皇のエトス(気風)が復活した。問題は令和となったこれからである。

 三島由紀夫の問題意識は現在の日本をも射抜いている。憲法改正の機会を失ったと判断した三島は自衛隊員に呼びかけてクーデターを目論んだ。ところが二・二六事件の頃とは違って日本は高度成長を遂げていた。義務教育ではアメリカがデモクラシーを与えてくれたと教えていた。三島は割腹自決を遂げることで不朽の存在となった。明年は三島の死からちょうど半世紀となる。三島の演説は今もなお私の魂を振動させる。



時間の連続性/『決定版 三島由紀夫全集36 評論11』三島由紀夫

2019-06-06

越すに越されぬ半原越(愛川町経由)


初めての半原越

 ・越すに越されぬ半原越(愛川経由)

雪辱の半原越(愛川町経由)
半原越往復

神奈川県のヒルクライムランキング」では総合得点が清川村経由39.2、愛川町(あいかわまち)経由38.1となっているが、明らかに愛川町経由の方がきつい。最初はなだらかなのだが途中から勾配が急になる。先程帰ってきたのだが何と四度も足を着いてしまった。

 まず入口付近で妙な水の音がする。塩ビ管から結構な勢いで水が出ていた。ずっと流れていたので生活排水ではないだろう。


 で、最初に足を着いたところで撮った写真である。かなり上を見げているのだが中央上部にガードレールが映っている。多分50m程度の高さがあると思う。


 引き返そうかなと20回くらい考えたのだが、休み休みでも登り切ることにした。老い先が短いので。やっと樹木が雪崩落ちているところまで辿り着いたら、間もなく頂上であった。いやあ、きつかった。

 で、この間は登りの途中であったため撮影できなかった崩落現場が以下。



 結構でかい石もゴロゴロ落ちていた。落石で死ぬようなことがあれば、その時はビンゴと叫べばいいだけのことだ。私の頭部を直撃する確率を思えば、それはそれで奇蹟と考えていいだろう。