2022-02-23

行動嗜癖を誘発するSNS/『僕らはそれに抵抗できない 「依存症ビジネス」のつくられかた』アダム・オルター


『浪費をつくり出す人々 パッカード著作集3』ヴァンス・パッカード
『クレイジー・ライク・アメリカ 心の病はいかに輸出されたか』イーサン・ウォッターズ
『依存症ビジネス 「廃人」製造社会の真実』デイミアン・トンプソン
『マインド・ハッキング あなたの感情を支配し行動を操るソーシャルメディア』クリストファー・ワイリー

 ・行動嗜癖を誘発するSNS

『快感回路 なぜ気持ちいいのかなぜやめられないのか』デイヴィッド・J・リンデン
『あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠』キャシー・オニール
『もっと! 愛と創造、支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学』ダニエル・Z・リーバーマン、マイケル・E・ロング

 だが事実は違う。依存症は主に環境と状況によって引き起こされるものだ。スティーブ・ジョブズはそれをよく心得ていた。自分の子どもにiPadを触らせなかったのは、薬物とは似ても似つかぬ利点が数多くあるとはいっても、iPadの魅力に幼い子どもは流されやすいと知っていたからだ。
 ジョブズをはじめとするテクノロジー企業家たちは、自分が売っているツール――ユーザーが夢中になる、すなわち抵抗できずに流されていくことを意図的に狙ってデザインされたプロダクト――が人を見境なく誘惑することを認識している。依存症患者と一般人を分ける明確な境界線は存在しない。たった1個の製品、たった1回の経験をきっかけに、誰もが依存症に転落する。

【『僕らはそれに抵抗できない 「依存症ビジネス」のつくられかた』アダム・オルター:上原裕美子訳(ダイヤモンド社、2019年/原書、2017年)以下同】

 大袈裟だ、と思うのは私が甘いせいか。私がネット中毒に陥ったのは1999年頃である。自ら立ち上げた読書グループのホームページに設置した掲示板でyamabikoなる人物と毎日意見を戦わせていた。該博な知識にたじろぎながらも知的昂奮を抑えることができなかった。ログの一部が辛うじて残っている。

「安楽死」を問う! 1

 当時は掲示板とメーリングリストが主な交流の場であった。オンライン古書店を立ち上げてからは年に100人ほどの人と直接会ってきた。あの頃の賑やかさと比べると、SNSは明らかに温度が低かった。ただし私のネットデビューが1998年なので、遅れてやってきた人々にとっては革命的であったのだろう。掲示板はその後、修羅場と化す場面が増え、善男善女が去っていったのであった。

 2004年のフェイスブックは、楽しかった。
 2016年のフェイスブックは、ユーザーを依存させて離さない。

 フェイスブックの個人情報収集は当初から知っていたので私は殆ど利用することがなかった。あの頃は、茂木健一郎なんかが「実名でのネット利用」を吹聴していた。

 何らかの悪癖を常習的に行う行為――これを「行動嗜癖(しへき/behavioral addiction)」という――は昔から存在していたが、ここ数十年で昔よりずっと広く、抵抗しづらくなり、しかもマイナーではなく極めてメジャーな現象になった。
 昨今のこうした依存症は物質の摂取を伴わない。体内に直接的に化学物質を取り込むわけではないのに、魅力的で、しかも巧妙に【処方】されているという点では、薬物と変わらない効果をもたらす。

 それを仏教では業(ごう)と名づける。同じことを繰り返すところに人の心の闇が隠されている。悟りとは一回性のものだ。今この瞬間を生きることが瞑想である。私たちは往々にして過去の快楽を思っては同じ行為を繰り返してしまう。そうやって現在性を見失うのだ。

 何も持たずに旅をするのがいいかもしれない。若者よ、スマホを置いて見知らぬ土地を目指せ。自ら情報鎖国状態にすれば、忘れかけていた野生が蘇るに違いない。

言語が情報交換を可能にし物語を創作した/『人類の歴史とAIの未来』バイロン・リース


 ・言語が情報交換を可能にし物語を創作した

『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ

 もっと強大な技術である言語は、私たちが情報を交換することを可能にした。言語を使えば学んだことを要約し、人から人へと効率よく広めることができる。(中略)さらに、言語は人間が持つ特殊能力の1つともいえる協力を可能にした。言語を持たないヒトが1ダース集まってもマンモス1頭には太刀打ちできないが、言語を使って協力し合えれば彼らはほぼ無敵だ。
 私たちの大きな脳が言語をもたらし、言語を用いて思考することで脳がより大きくなる、という好循環が生まれた。言語を使わなければできない種類の思考があるからだ。言葉とはつまるところ考えを表す記号であり、私たちは話すという技術がなければどうやればよいかも見当もつかない形で考えを組み合わせたり変化させたりできる。
 言語のもう1つの贈り物は、物語だ。物語とは私たちが進歩するために最初に必要だった想像力に形を与えるものであり、人間に最も重要なものだ。今日ある物語歌(バラッド)、詩、はたまたヒップホップの原型といわれる詠唱(チャント)は、話すことを覚えた私たちの祖先が最初に創作したものであろう。そのままでは覚えられないような物語も韻を踏むと覚えやすくなるのはなぜか? 1ページ分の散文よりも歌の歌詞のほうが覚えやすいのと同じ理由だ。私たちの脳がそのように作られているからこそ、「イーリアス」と「オデュッセイア」は、文字が発明されるずっと前から長きにわたり口伝で受け継がれていた。

【『人類の歴史とAIの未来』バイロン・リース:古谷美央〈ふるたに・みお〉訳(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2019年)】

 個人的に「1つ」という書き方が大嫌いである。本文も翻訳も微妙によくない。

 マンモスの件(くだり)は明らかに間違っている。狩猟から派生したのがスポーツであるが、スポーツの試合において言語が発揮する力は極めて少ない。言語が有効なのは作戦においてである。

「人間に最も重要なものだ」との訳文も工夫が足りない。

 本書は数多い『サピエンス全史』派生本と考えていい。

2022-02-22

トイレに一冊/『会社四季報 業界地図2022年版』


 ・トイレに一冊


 ま、有り体に言ってしまえば、税金と消費の動向が見えてくる。家計であれば家賃・食料・自動車・保険・学費あたりがメインか。介護とコンビニが肩を並べている事実を知って驚いた。

 日経平均は3万円を突破すると売り浴びせを喰らい、次が三度目の正直となる。世界市場を見渡せば最高値の3万9000円を軽々と超えてもいい状況なのだが、なぜか日本の株価は低迷を続けている。緩和マネーは外国に向かったのであろうか?

 私は現物の取引は行っていないが、時折こうした本に目を通しておくとニュースの見方が変わる。北京冬季五輪も終了したので、いよいよ戦争リスクが高まることだろう。ウクライナではCIAの偽旗作戦が行われているようだが、大掛かりな戦闘にはならないような気がする。

 日本人には中国を軽んじる傾向があるが、国際ユダヤ資本が中国を選ぶようなことがあると世界は一変する。ダボス会議が示した「グレート・リセット」との指標を軽んじてはなるまい。ニクソン・ショックから半世紀が経った。そろそろドル崩壊の時期が訪れると考える。

新しい用語と新しいルールには要注意/『ポストトゥルース』リー・マッキンタイア


『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン

 ・新しい用語と新しいルールには要注意

 ポストトゥルースという概念は、真実が翳りつつあることに悩む者たちの後悔の感覚から生まれた。あからさまな賛同者でない者にとっても、この現象は少なくともあるひとつの観点を前提としている。それは、今日の政治の場において事実や真実が危機に瀕しているという考えだ。

【『ポストトゥルース』リー・マッキンタイア:大橋完太郎監訳、居村匠、大崎智史、西橋卓也訳(人文書院、2020年)以下同】

 この手の目新しい用語を作成しているのは左翼と見ていいだろう。胸が悪くなるという点において「ポリティカル・コレクトネス」の向こうを張るレベルである。一応調べてみた。

 ポスト事実の政治(英: post-factual politics)とは、政策の詳細や客観的な事実より個人的信条や感情へのアピールが重視され、世論が形成される政治文化である。(Wikipedia

 事実を軽視する社会。直訳すると「脱・真実」。(コトバンク

 ポストトゥルースは客観的な事実よりも感情や個人的な信条によって表されたものの方が影響力を持ってしまう状況を指します。(データのじかん

 政治が分極化する一方で、インターネットメディアの発達によって、それぞれの支持勢力は自らにとって都合のよい情報ばかりを受け入れるようになり、既存のマスメディアや異なる意見には耳を傾けなくなる市民の分断こそが、ポスト・トゥルースの政治の根本に潜む問題点(NIRA総合研究開発機構

 思弁に傾いた言葉に吐き気を覚える。理窟をこねくり回すのが好きで好きで仕方がないのだろう。ポスト・トゥルース(私は中黒を使用)はトランプ批判の文脈で使用される言葉であることを初めて知った。しかしながら、「フェイクニュース」という用語を広めたのも彼ではなかったか?

「ポストトゥルース(post-truth)」という現象が一躍大衆の注意を引いたのは2016年11月、オックスフォード大学出版局辞典部門がこの単語を2016年の今年の一語にノミネートしたことに始まる。単語の使用が2015年に2000パーセントという急激な上昇を見せたことを考えると、明白な結果に思える。リストに残ったほかの候補には「オルタナ右翼(alt-right)」や「ブレグジット主義者(Brexiteer)」などもあり、この年の政治的な状況がはっきりと示されていた。

「オルタナ右翼」も覚えておくべきキーワードである。左翼の巧妙さが際立っている。「ネトウヨ」よりもはるかに説得力がある。

 私は新聞も購読していないし、テレビも所有していないので世事に疎(うと)い。というよりは世事に興味がない。個人的にはヒラリーやバイデンよりもトランプに好感を抱いていた。当然ではあるがSNSを通じて知る情報はトランプに好意的なものが多い。北朝鮮の日本人拉致に関するトランプの姿勢には惻隠の情を感じたが、それをそのまま鵜呑みにするほど私も若くはない。一つひとつの行為や発言には当然政治的なメッセージが込められていることだろう。

 ポスト・トゥルースはSNSの嘘に振り回される愚かな大衆という図で描かれているが、「信頼を失ったメディア」の問題がすっぽりと抜け落ちている。大衆を操作するメディアの力が失われた焦りが「ポスト・トゥルース」なる言葉を生ましめたのだろう。

 しかも日本の場合、敗戦後は独立国としての振る舞いは許されず、自国を守ることすら禁じられた経緯がある。新聞やテレビがジャーナリズムとして機能したことはほぼなかった。記者クラブ制度は新聞社が官庁の出先機関となったことを雄弁に物語っている。新聞は社会の木鐸(ぼくたく)ではない。単なる売り物だ。売上の半分を広告収入が占める。

 大衆はメディアの嘘を見破った。そして今度はSNSの嘘に騙されるかもしれないが、それはそれで構わない。騙される相手が変わっただけのことだ。エスタブリッシュメントが恐れているのは暴動だ。

 メディアが凋落すると同時に、ビッグテックがそれに代わった。Googleは突然、検閲を強化し中国共産党のように振る舞いはじめた。FacebookやTwitterがトランプ大統領を追いやったことが契機となった。大統領選挙に対する完全な政治的干渉であった。

 ポスト・トゥルースを得々と語るような手合いを信じてはならぬ。脱炭素化やSDGsも同様だ。ルールメーカーはいつだって白人なのだ。