2011-07-16

津田真一、モーリス・オコンネル・ウォルシュ、マーシャル・マクルーハン、石田勇治、武内進一


 4冊挫折。

 挫折40『反密教学』津田真一(春秋社、2008年改訂新版/リブロポート、1987年)/ノリがボードリヤールと似ている。頭がいい人だ。よすぎてついてゆけず。でもまあ良心的な価格(3360円)なんで、冒頭の章の対談だけでも一読の価値あり。上級者向け。

 挫折41『仏教のまなざし 仏教から見た生死の問題』モーリス・オコンネル・ウォルシュ:大野龍一訳(コスモス・ライブラリー、2008年)/スピリチュアリズムから仏教にアプローチしたような内容。「アストラル体」が出てきたところでやめる(笑)。クリシュナムルティの「輪廻転生について」が付録となっているが、読まなくても構わない代物だ。

 挫折42『メディア論 人間の拡張の諸相』マーシャル・マクルーハン:栗原裕〈くりはら・ゆたか〉、河本仲聖〈こうもと・なかきよ〉訳(みすず書房、1987年)/最初は面白かったのだが、途中から胡散臭さを感じて中止。ヌルヌルしていて、つかみどころがない。たぶん意図的にやっているんだろうけどね。これは再読することもないと思う。

 挫折43『ジェノサイドと現代世界』石田勇治、武内進一編(勉誠出版、2011年)/呑気かつ悠長。イライラが募ってやめる。客観性は大切であろうが、あまりの熱意のなさに驚かされる。十数人の論文で構成されているが、一つとして読む気が起こらなかった。

身体の内側から湧き起こる力


 演技とは、からだ全体が躍動することであり、意識が命令するのではなく、からだがおのずから発動し、みずからを超えて行動すること。またことばとは、意識がのどに命じて発せしめる音のことではなく、からだが、むしろことばがみずから語り出すのだ。

【『ことばが劈(ひら)かれるとき』竹内敏晴(思想の科学社、1975年/ちくま文庫、1988年)】

ことばが劈(ひら)かれるとき (ちくま文庫)

噴火する言葉/『大野一雄 稽古の言葉』大野一雄著、大野一雄舞踏研究所編

この国を任せたい有名人:アクサ生命アンケート調査


 フランスの大手保険会社アクサ生命が1万人に行ったアンケート結果がこれ。いくつかの驚くべき事実が浮かび上がってくる。

 まず国会議員が小沢一郎ただ一人しかいない。アンケートの母数に年齢・地域・職業・性別などで偏りがなければ、1万という数は全国の平均を示していると考えてよかろう(アクサ生命のサイトに情報が上がっていないため何とも言い難いのだが)。

 そしてテレビを全く視聴しない私としては東国原英夫〈ひがしこくばる・ひでお〉に注目せざるを得ない。昔から色んな噂が耐えない人物だ。ひょっとしてあれか、宮崎県の知事選挙で「どげんかせんといかん」と連呼した声が、いまだに脳内で反響している人々が多いってことなのか? あるいは宮崎の営業マンとしての平身低頭ぶりを好ましく思っている人が多いのだろうか? 全く理解に苦しむ。

 手っ取り早く結論を述べよう。このアンケートはメガトン級の破壊力を持っている。なぜかといえば、外国人が二人も入っているからだ。

 少し精査してみよう。北海道大学医学部の名誉教授が次のように語ったことがある。「統計学的に見れば10人に1人はおかしな人間と想定される」と。では早速計算してみよう。

・1万人のうち1000人はおかしい=9000人
・カルロス・ゴーン+バラク・オバマ=288
・母数に対する割合=288÷9000=3.2%
・10位内に対する割合=288÷2711=10.6%

 ってことはだよ、日本人全体のうち、10.6%もの国民が外国人に自国を任せようとしていることになる。

 容易に想像できることではあるが、その中には当然次のようなアンケート回答があったはずだ。

・キム・ジョンイル(ネタです)
・やっぱ、カダフィでしょー。
・(任せることのできる=偉人、という脳内条件反射によって)ナポレオン
・(ジョン・F・ケネディが頭に浮かび、自動的に導かれたのが)ケビン・コスナー
・(任せる=最強、ってことで)プーチン
・(ただ何となく)アウンサン・スーチー

 おわかりだろうか。国家が独立している意味すら知らない国民が1割も存在するのだ。つまり、この国の10%は国家の態(てい)を成していないことになる。

 今尚続く戦後の枠組みの中で、日本はアメリカの属国に甘んじている。やくざ者に強姦され、その後情婦になったような関係性を我が国は維持している。米国の現大統領に自国を任せたいというのは、強姦したやくざ者を戸籍上の父親にするようなものだろう。

 日本の1割は完全に崩壊しているといってよい。

サブラ・シャティーラ事件


 サブア大通りで、瓦礫とともにぐしゃぐしゃに砕けた男の死体が二つあった。その先に杖のころがったわきで、手を胸のところに固く握りしめる老人が一人、その近くのもう一人の老人の体の下からは、安全ピンを抜いた手榴弾が見えた。この死体にふれると爆発する仕掛けになっていると理解するまで、かなりの時間がかかった。道いっぱいに脳漿が吹き飛んで、そこにハエが群がる中で、私はぼうぜんと立ち尽くした。
 一人が、路地にうつぶせに倒れていた。男か女か分からないが、ハンカチを頭の上にかぶせてある。のちの証言によると、この人は頭をオノで割られたのだという。男たちが折り重なって倒れていたのは少し丘に上った土の壁の前で、そこには無数の弾痕が見えた。そして一軒の家の庭には、その家の住民と思われる女と子どもたちが、やはり瓦礫の上に投げ出されていた。一番上に幼児が、うつぶせになっているのは、おそらく叩きつけられたのだろう。さるぐつわをかまされた女性が、服をひきさかれて死んでいた。チェックのスカートの女の子が、手を差し伸べるようにして殺され、その隣りに歩いているような姿勢で殺された男の子は、首を針金のようなもので縛られていた。別のガレージには、縛られてトラックにひきずられてきた人々が殺されていた。背の低い小柄な老人が、胸の上に鍵を置いて死んでいた。パレスチナ人たちは、いつか故郷に戻る日のために、かつての自分の家の鍵をいつも持ち歩いている、という話を私は思い起こした。

【『パレスチナ 新版』広河隆一〈ひろかわ・りゅういち〉(岩波新書、2002年)】

「ベイルート虐殺事件から20年」広河隆一
パレスチナの歴史:サブラ・シャティーラの虐殺

パレスチナ新版 (岩波新書) 戦場でワルツを 完全版 [DVD]

田文の光彩に満ちた春秋/『孟嘗君』宮城谷昌光


 ・大いなる人物の大いなる物語
 ・律令に信賞必罰の魂を吹き込んだ公孫鞅
 ・孫子の兵法
 ・田文の光彩に満ちた春秋
 ・枢軸時代の息吹き

『楽毅』宮城谷昌光

 物語は第4巻でクライマックスに至る。敢えてそう書いておこう。宮城谷作品は、ある種の透明感をもって幕を下ろすのが特徴だ。人が歴史に溶け込むような印象を受ける。目の前で躍るように活躍していた登場人物が、再び歴史の彼方へと去ってゆくのだ。

 田忌(でんき)と鄒忌(すうき)の政争、白圭(はくけい)の堤防事業、田文(でんぶん)と洛芭(らくは)の運命的な出会い。歴史の歯車が音を立てて回り始める。

「田忌(でんき)将軍のご気性からすると、善を喜び、悪を憎むことがどちらもはげしい。それをけむたがる者は、善の仮面をつけて悪をおこなう」

【『孟嘗君』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(講談社、1995年/講談社文庫、1998年)以下同】

 宋江(そうこう)が『水滸伝』の主役となっている意味が初めて腑に落ちた。清らかな権力者は必ず他人にも厳しくなる。当然、恨みを買う場面も増える。気づかぬうちに不満分子が寄り集まる。そこに鄒忌(すうき)が付け込む隙(すき)があったといえる。

 斉(せい)の貴族のなかで、いや、中国の貴族のなかで、食客(しょっかく)をかかえはじめたのは、田嬰(でんえい)が最初であろう。

 孫ピンの下(もと)で学んだ田文が今度は食客に揉まれながら著しい成長を遂げる。食客は臣下ではない。このため恩を感じても、忠を尽くす義務はない。主人を助ける助けないも彼らの自発による。若き田文は食客たちの心をつかんでゆく。後々彼らは田文を大いに助けることとなる。

 ――人には他人にいえぬことがある。
 それをことばではなく、心でわかることが、ほんとうにわかるということではないのか。真意というものはことばにすると妄(うそ)になる。だから、いわない。黙っていることが真実なのである。

 これを私は27歳の時に知った。人生を変えるほどの感動に包まれたことがあった。それを友人たちの前で語ろうとしてやめた。「言葉にすると嘘になるから」と私は言った。もちろん文脈は異なっているが、言葉にできぬ思いという点では一致している。

 また、30代半ばではこんなこともあった。後輩の父親が二度にわたって自殺未遂をして行方不明となった。半年後に首を吊った遺体が発見された。風の如く後輩の家を訪ねると、いつもと変わらぬ姿があった。お母さんと妹もニコニコしていた。座卓を囲みしばし沈黙した後、私は後輩の膝を思い切り叩き、「すまん、何もできなかったよ!」と言うなり泣いた。その瞬間、居合わせた全員がわっと声を上げて泣いた。ただ泣いた。泣いて泣いて泣き抜いた。言葉は要らなかった。

 長い人生にはそういうことが何度かあるものだ。真の理解は沈黙の底から生まれる。

「文(ぶん)どのはよい声をしておられる。じつにすがすがしい。天と地とが和したような声だ。億万人にひとりの声だ、と申しておこう」

 声の響きが大切である。声はその人の生命の反響である。文章は嘘をつけるが、声は誤魔化せない。

 ――外交は目でするものではない。耳でするものだ。
 それが田嬰(でんえい)のかけひきの秘訣(ひけつ)であった。

 父・田嬰(でんえい)も声から相手を見抜くことができる人物であった。聞く人が聞けば、おのずと正邪のバイブレーションがわかるものだ。

 白圭(はくけい)は私財をなげうって黄河の堤防事業を開始する。商いで稼いだ金を民に返すというのが持論であった。白圭と再会した田文(でんぶん)は右腕として事業の指揮をとる。そこで赤子(あかご)の時、一緒にさらわれた洛芭(らくは)と巡り会う。

 田文(でんぶん)は光彩に満ちた春秋を歩む。彼には焦りがない。そして、じっくりと時を待つ肚(はら)ができていた。

 数千年の時を超えて英雄が立ち上がってくる。足腰の力がなければ踏みこたえることができない。前屈(かが)みの姿勢で本書を開くべきだ。

孟嘗君(1) (講談社文庫)孟嘗君(2) (講談社文庫)
孟嘗君(3) (講談社文庫)孟嘗君(4) (講談社文庫)孟嘗君(5) (講談社文庫)

2011-07-15

もの言わぬ死の叫び


 それはひどい落胆のしるし、もの言わぬ死の叫び、諦めようとせず、死なぬために、手遅れにならないうちに気勢をもりかえそうとする敗残の軍隊が、秩序も何も乱したような有様だった。(「恋盗人」)

【『11の物語』パトリシア・ハイスミス:小倉多加志〈おぐら・たかし〉訳(ハヤカワ文庫、2005年)】

11の物語 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

2011-07-14

孫子の兵法/『孟嘗君』宮城谷昌光


 ・大いなる人物の大いなる物語
 ・律令に信賞必罰の魂を吹き込んだ公孫鞅
 ・孫子の兵法
 ・田文の光彩に満ちた春秋
 ・枢軸時代の息吹き

『楽毅』宮城谷昌光

 あしきりの刑を受けた孫ピンは白圭の手で助けられ、九死に一生を得る。

 ――孫子〈そんし〉に、なにかすごみのようなものが、憑(つ)いたな。
 と、白圭は感じていた。からだつきやことばづかいにまるみがあるのは、むかしとかわらないが、ひとつちがったのは目である。目に心の風景がうつるとすれば、孫ピンの目のなかに峻谷(しゅんこく)と峻峰(しゅんぽう)がみえた。さらにいえば、その谷と峰とに霧がかかっている。したがって谷の深さと峰の高さをみきわめようがない。そんな感じであった。

【『孟嘗君』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(講談社、1995年/講談社文庫、1998年)以下同】

 艱難(かんなん)が人を玉と磨き上げる。修羅場が胆力(たんりょく)を養う。威厳とはまとうものではない。死を目前にした孫ピンは、生への執着から離れることができたのであろう。

「よかろう。雨や風の日のほかは、庭で教えよう」
 と、孫ピンは入門をゆるし、陽のしたでこの熱心な弟子に教学をさずけることにした。
 慶■〈けいウン/さんずい+云〉は身ぶるいした。
 あたりの空気をうごかしてくる孫ピンのことばは、かつて耳にした孫ピンのことばとはちがい、神韻(しんいん)といってよい深みをそなえている。あえていえば、孫ピンがくぐりぬけてきた苦難の闇の底知れなさと生死の境にあったうつろいやすい微光、そんなものの存在が、足のない孫ピンの容光から慶ウンにつたわってきた。
 戦いにむかう兵は、孫ピンが体験したとおなじ闇と微光の世界に投げこまれる。
 それらの兵を凱帰(がいき)させるために、どうしても戦略というものがいる。兵とは民である。民の力で国は富むものであり、その民を兵として酷使し、しかも戦陣で死なすことは、国にとって二倍の損害になる。国の威信をたもつ戦いをまっとうして兵を生還させるのが為政者(いせいしゃ)のつとめであろう。だが、どの国もそこまで考えて兵をつかってはいない。
 戦略とは、人のいのちの大切さの上に成り立つものである。

 末尾の一文を宮城谷の勝手な想像だと嘲(あざけ)るのは簡単だ。しかしながら合理性を極限まで追求すれば必ず一兵卒(いっぺいそつ)に至る。戦争とは所詮命の奪い合いだ。であるならば、孫ピンが生命を重んじたことは自明といえよう。

 孫ピンは教えを請われた。ここに教育の原風景がある。日本の近代を開いたのも、剣豪の修行の如く学び抜いた若者たちであった。限定された教育現場から学問の気風は生まれない。野放しの自由から求道の心は芽生えるのだろう。

 威王〈いおう〉の目から田忌〈でんき〉をみると、たしかにこの将軍は勇気にすぐれ、つねに敵軍をみくだして、兵をするどくすすめる指揮ぶりで、自軍に不利が生じても一歩も退かぬたのもしさはあるのだが、それをうらがえせば、
 ――権(けん)に欠ける。
 というみかたができる。権は、臨機応変といいかえてもよい。
 城を守りぬくことにおいて、生涯、いちども破れることを知らなかった墨子〈ぼくし〉は、じつは武人ではなく思想家であったのだが、かれは権について、
 ――所体のなかにおいて、軽重を権(はか)る。これを権という。
 と、いっている。所体というのは、あたえられた情況ということであろう。そのなかでものごとの軽さと重さをみきわめることが権であるというのである。また、権は、ものごとの是非(ぜひ)をきめることではなく、利害を正すことである、とも墨子はいっている。
 戦争は将軍にとってまさに所体といえるであろう。

 権に「かり」の意味があるのは知っていたが、かように深い言葉だったとは露知らず。権力とは「かりの力」というよりも「はかる力」なのだろう。公平な分配のために「はかる」のだ。

 ということは平衡感覚を欠いた権力は軽重(けいちょう)を誤る。利権に動かされてしまえば、意図的な加減を加える。労働対価は資本家と国家に吸い取られた挙げ句、経済は停滞してゆく。世界で初めてサラリーマンの源泉徴収を導入したのは日本であった。

 主人公・田文〈でんぶん〉と実父である田嬰〈でんえい〉を巡るドラマが伏線となっている。

「いや、白圭〈はくけい〉の子ではないのです。白圭もわたしも、あの子をあずかっているにすぎません」
「ほう、して、その父母は──」
 田嬰〈でんえい〉の声に、はっと青欄〈せいらん〉は孫ピンをみつめた。
「天、と申しておきましょう」
 孫ピンが微笑すると同時に貌弁〈ぼうべん〉が声をたてて笑った。その笑声に天空の雲が破られたのか、月光が台上にさらさらながれ落ちてきた。

 孫ピンの智謀が光る。そして田文こと孟嘗君〈もうしょうくん〉は天を動かす逸材に育ってゆく。

 遂に田文〈でんぶん〉は田嬰〈でんえい〉の前に進み出た。子は「なぜ私を殺せと命じたのですか」と質(ただ)した。

「五月の子は、身長が門の高さにひとしくなり、父母にとって害になるということだ」(中略)
 田文〈でんぶん〉は笑いたくなった。その笑いをこらえたためか、かれの舌鋒(ぜっぽう)はするどく父にむかった。
「人の命運というものは、天からさずかるものでしょうか。それとも、門からさずかるものでしょうか」
 田嬰〈でんえい〉はむすっと口をむすんだ。不快そのものの表情である。
 田文は父の気色(きしょく)の変化を恐れなかった。さらに、
「人の命運が天からさずかるものであれば、父上はご心配なさることはありますまい。もしも門からさずかるものであれば、門を高くすればよろしいではありませんか。そうすれば、だれがその門にとどきましょうか」
 と、からさをこめていった。

 田文は既に孫ピンの下(もと)で学んでいた。戦略とは知略であり機略でもあった。機をとらえて変化の波を起こすのが兵法といえる。

 戦争というものは、勝つべくして勝つものであり、軍旅をすすめながら勝算を計(はか)るものではない。それは孫子〈そんし〉の兵法の根幹にある考えかたである。

謀(はかりごと)を帷幄(いあく)の中(うち)に運(めぐ)らし、勝つことを千里の外(ほか)に決する」(劉邦が軍師の張良を称賛した言葉)のが兵法の道である。逆から考えると勝敗の帰趨(きすう)が不明な戦いは避けるべきである。

 かのナポレオンも孫子を愛読した。イギリスの軍事史家リデル・ハートクラウゼヴィッツの『戦争論』を批判し、『孫子』を称揚した。

孟嘗君(1) (講談社文庫)孟嘗君(2) (講談社文庫)

孟嘗君(3) (講談社文庫)孟嘗君(4) (講談社文庫)孟嘗君(5) (講談社文庫)

『孫子』の意義
兵とは詭道なり/『新訂 孫子』金谷治訳注
日本のデタラメな論功行賞/『孫子 勝つために何をすべきか』谷沢永一、渡部昇一

世界全体が巨大なテレビ・スタジオになっている


 私が言いたいのは、今や世界全体が巨大なテレビ・スタジオになっているということだ。

【『おテレビ様と日本人』林秀彦(成甲書房、2009年)】

おテレビ様と日本人

「我」の字義


「我」=「手」+「戈」:=て+武器→手の武器→手の武器を持つもの→武器を持つもの→わたし

象形文字の秘密

一人一票に関心が湧かない


 自分でも信じられないほど一人一票に関心が湧かない。酔っ払った頭で考えてみよう。

 都道府県内において一人一票は担保されている。一人一票が崩れるのは他県と比較した場合である。他県と比較する視点は、都道府県を超える範囲に権力を及ぼすことのできる人物だけではあるまいか。つまり国会議員。

 判例に基づく一票基準には誤差が含まれている。選挙を比例区のみにしたところで誤差はなくならない。ゼロと1の間には無限が存在するのだ。

 一人一票が実現すれば政治はよくなるのだろうか? なるかもしれないし、ならないかもしれない。

 一票の格差を金利とすれば、高金利の都道府県に移住する人々がいてもいいはずだ。

 頭が回らないので結論を書いてしまおう。一人一票に固執すると、多数決原理主義になるのではあるまいか。

一票の格差が諸悪の根源なのか?

2011-07-12

自閉症者の苦悩


 私がどれほど懸命に努力しても、ほんもののひとたちは、まだ変われと言う、自分たちのようになりなさいと言う。
 それがどれほどむずかしいことか彼らにはわからない。気にもしない。私に変わってほしいと思う。私の頭のなかにいろいろなものを入れて、私の脳を変えようとする。そんなことはしていないと彼らは言うが、彼らはそうしているのだ。

【『くらやみの速さはどれくらい』エリザベス・ムーン:小尾芙佐〈おび・ふさ〉訳(早川書房、2004年)】

くらやみの速さはどれくらい (ハヤカワ文庫 SF ム 3-4)

自閉症者の可能性/『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン

柳川喜郎


 1冊読了。

 47冊目『襲われて 産廃の闇、自治の光』柳川喜郎〈やながわ・よしろう〉(岩波書店、2009年)/著者は岐阜県御嵩(みたけ)町の町長を務めた人物で元NHK記者。タイトルからしてクライマックスで襲われるのかと思いきや冒頭に襲撃シーンが。産廃を見直す発言をした柳川に二人の暴漢が襲い掛かり滅多打ちにする。頭蓋骨陥没、右上腕は直角に骨折していた。瀕死の重傷。プロの手口だった。ここから柳川の本当の戦いが始まる。相手は産廃業者の寿和(としわ)工業(韓鳳道〈清水正靖〉会長、当時)と産廃設置を推進しようとする岐阜県&梶原拓知事(当時)、それに暴力団だ。小さな町だからこそ、この国の政治情況が縮図となっている。電話を盗聴され、地元ミニ新聞から攻撃され、岐阜県から圧力を掛けられても、柳川は屈しなかった。本書の中心テーマは住民投票と住民自治である。柳川は自らが犠牲となって民主主義に魂を吹き込んだ。梶原拓知事の意向があったのか、警察は襲撃事件すらまともな捜査を行わなかったことが後に判明する。都道府県が官僚となって市町村の足を引っ張っていることがよく理解できる。産廃を取り巻く闇の深さに圧倒される。

宗教団体法の原型となった「宗教法案」


 宗教団体法の原型となった「宗教法案」が最初に登場したのは、明治22年(1889年)のことだった。第14回帝国議会に提出されたもので、時の総理・山県有朋は次のように法案の提出理由を述べている。
「国家ハ信仰ノ内部二立入テ干渉セザルコトハ勿論ノコトデアリマス。併シナガラ其ノ外部二現ハルル所ノ行為ニツキマシテハ……国家ハ之ヲ監督シテ社会ノ秩序安寧ヲ妨ゲズ、又臣民ノ義務二背カザラシメントスルコトハ、是レ国家ノ義務デアルノミナラズ、又其ノ職責二属スルモノト存ジマス」
 と述べ、続いて提出理由は宗教団体への恩典の数々を並びたてた内容だった。「兵役の特典」「租税の免除」等々。要するに、監督管理する代わりに、特典が与えられるアメとムチが中身だった。

【『ルポ・宗教 横山真佳報道集 1』横山真佳〈よこやま・みちよし〉(東方出版、2000年)】

ルポ・宗教 横山真佳報道集 1

2011-07-11

律令に信賞必罰の魂を吹き込んだ公孫鞅/『孟嘗君』宮城谷昌光


 ・大いなる人物の大いなる物語
 ・律令に信賞必罰の魂を吹き込んだ公孫鞅
 ・孫子の兵法
 ・田文の光彩に満ちた春秋
 ・枢軸時代の息吹き

『楽毅』宮城谷昌光

 風洪(ふうこう)と公孫鞅(こうそんおう)は行動を共にする。やがて、それぞれが進む道へと分かれてゆく。人生の転機は出会いによってもたらされ、鮮やかなアクセントをつけて調子を変える。

 いかなる人物とどのように出会うか――そこに人生の縮図が表れる。

 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
 寿洋(じゅよう)の目が少年のようだ、と風洪(ふうこう)が感じたのは、寿洋という商人が少年の純粋さをもちつづけてきたということであろうが、寿洋の心が商略という腥風(せいふう)の吹きすさぶ道を歩いてきたにもかかわらず、汚れなかったということであり、さらにいえば、かれを襲った不幸をはねかえし、かれを浸(ひた)した幸福におぼれなかったということでもあり、そのことはとりもなおさず、常人ばなれのした信念があるということである。
 風洪はそう考えた。

【『孟嘗君』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(講談社、1995年/講談社文庫、1998年)以下同】

 人に噂はつきものである。しかし噂には責任が伴わない。又聞きも多く、熟慮や吟味を欠く。相手を見つめるのは「自分という鏡」だ。要らぬ先入観や勝手な思惑があれば、映像は歪んでしまう。

 寿洋という商人がひとすじなわでないことくらい、風洪にもよくわかる。
 ──が、あの老人は、善人だ。
 と、心のなかで断定した。その人をみきわめるには、初対面こそがもっとも重要である、と風洪はおもっている。その点、寿洋という老人は素直に心にはいってきた。

ひらめき=適応性無意識/『第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい』マルコム・グラッドウェル

 パッと見た瞬間、生命(いのち)から滲み出る何かがある。それは匂いに近いものだ。繕(つくろ)えば、その繕い方から性根が垣間見える。威儀や振る舞いから伝わるものは多い。

 公孫鞅(こうそんおう)は風洪(ふうこう)の妹を娶(めと)り、官職に就く。魏(ぎ)の恵王(けいおう)からは蔑ろにされたが、秦(しん)の若き君主・孝公(こうこう)は公孫鞅の熱弁を理解できた。官位を得た公孫鞅は法令改正を思い立つ。

 公孫鞅(こうそんおう)は、連日、孤立無援の論陣を張っていた。
 かれの思想の根幹にあるのは、
 ──いかに国を富ませ、兵を強くするか。
 ということであり、そのためには国家の意志を統一しなければならないということであった。
 たとえば法も国家の意志のあらわれであるが、その法が国民すべてに適用されなければ、効力をうしなってしまう。が、現実には公族や貴族には適用されていない。おなじ罪を犯しても、庶民は罰せられるが、貴門の者はゆるされる。
 国民とひとくちにいうが、公民と私民とがあり、公民と私民とでは賦税(ふぜい)の率がちがい、私民のあいだでも、主君がちがえば賦税の重さがちがう。
 こまなことをいえば、一升(しょう)の量でも、各領地によってちがうのである。
 そのようにばらばらなものがよりあつまって秦(しん)ができている。それではいくら君主が心をくだき骨をけずって善政をおこなおうとしても、だれの目にもみえる業績とはならない。
 このさい、ことごとく旧弊(きゅうへい)を廃し、新制度をしきたい。それが公孫鞅の主張であった。

 富国強兵は政治の原点であろう。政治は経済と軍事に尽きる。ここを見落とすと政治は虚言(きょげん)と化す。法律や制度を見直し、予算を組むのも富国強兵のためである。

 孝公(こうこう)は慎重であった。
 改革に賛同する者の声が反対する者の声にかき消えないほどのたしかさをもつまで、自分の意中をいわず、議論をみまもりつづけた。
 ふたつの声の量が、ひとしくなった。
 臣下の目がそろって孝公を仰いだ。
 ──もうよかろう。
 と、おもった孝公は、おもむろに口をひらいた。
「窮巷(きゅうこう)は怪(かい)多く、曲学(きょくがく)は弁(べん)多しときく。愚者(ぐしゃ)の笑いを智者は哀しみ、狂夫の楽しみを賢者は憂える。世にかかわりて、もって議するも、わしはこれを疑わず」
 孝公がそういった瞬間、秦(しん)は改革の第一歩をふみだしたことになる。
 窮巷、すなわちかたいなかに住んでいると、世知に欠け、なんでも怪しむようになり、曲学、つまり正しい学問をしていない者はいたずらにしゃべるだけである。愚かな者が笑ったことを知恵のある者は哀しみ、狂人の楽しむことを賢人は憂えるものである。世俗の旧習にとらわれた議論がどんなにおこなわれようとも、わしには信念がある。
 孝公はそういったことになる。
 その信念とは、秦を改革することであり、それは国法を変ずることになるので、当時のことばとして、
「変法」
 である。議場は粛然(しゅくぜん)とした。

 変法が行われたのは紀元前359年のことである(Wikipedia)。公孫鞅(こうそんおう)は法令に信賞必罰の魂を吹き込んだ。

 中央の目がとどかないことをさいわいに、かってに法令を変える悪辣(あくらつ)な官吏もいる。法令の一字を加えても消しても死刑にする。公孫鞅(こうそんおう)がそういったとき、
「一字で、死刑か」
 と、孝公はつぶやき、目をみはった。
「さようです」
 公孫鞅は平然といい、ことばを継(つ)いだ。

 不公平があれば民は法に従わない。役人の匙(さじ)加減で運用が変われば贈収賄の温床となる。公孫鞅(こうそんおう)は厳罰をもって施行に臨んだ。

 とにかく公孫鞅の提言は重大なことをふくんでいた。公族や貴族の領地では法令の書きかえなど日常茶飯事(さはんじ)であったのに、それができなくなった。各地方の役人は法令の内容を人民にろくにしらせずに、独断でとりしまりをおこなっていたのに、こんどは法令の全文を人民に告げ、なおかつ説明しなければならない。それをおこたり人民が罪を犯すと自分が罰せられるのである。いわば人民もその法令によって、官吏(かんり)を監視できるのである。違法の官吏がいれば、法官の長に質問し、その質問は公表されるからである。

 法令が人民から見えるようにしたことで、役人のインチキを未然に防いだ。この他にもありとあらゆる知恵を巡らした。

「法令は民の命です。政治をおこなう本(もと)です。それなくして民を守ることはできません」
 と、あえて強く言上した。

 今の官僚にこの気概がありやなしや。国家を治めるどころか、我欲を治めることもできずに自らの天下りを確保する姿は浅ましい限りである。政治は義を失って利で動くようになってしまった。既に政治とは「商い」をする言葉へと堕落した。

 孝公(こうこう)の太子が法を犯した。

「太子をさばくのですか」
 と、法官はうろたえぎみにいった。
「そうです。法の下には身分の上下はありません。わが君が罪を犯せば、たとえ一国の君主でも、刑罰をうけねばなりません。太子でも容赦はなりません」
 公孫鞅(こうそんおう)は厳然としていった。

 太子駟(たいしし)の罪状はあきらかとなり、有罪と決した。が、一国の嫡子に刑をおよぼすことをはばかり、傅(ふ)の公子虔(けん)を■(ぎ/鼻+リ)、師の公孫■(こうそんか)を黥(げい/いれずみをする)刑に処した。翌日から法令を非難する民の声はぴたりと熄(や)んだ。

 公正さは厳しさを伴う。身内への甘さが腐敗を生む原因となる。諸葛孔明は泣いて馬謖(ばしょく)を斬った

 東日本大震災で原子力行政と東京電力の欺瞞(ぎまん)が明るみに出た。福島県の自殺者は昨年(4-6月期)に比べて2割も増えている。菅首相は「白紙に戻す」としておきながら、原子力推進を継続する旨を言明している。

 誰一人罰することなく、誰一人責任をとっていない。官僚は今頃、新しい安全神話の作成に着手しているような気がする。

 史実によれば公孫鞅(こうそんおう)は、この太子によって車裂の刑に処せられている。逃亡を試みたが、自分で作った法令が仇(あだ)となった。

 公孫鞅(こうそんおう)が心血を注いで作り上げた法令は、唐の時代にまで影響を及ぼし、更には日本へと伝わった。

 一方、風洪(ふうこう)は白圭(はくけい)と改名し、商人の道を歩み始める。

「利の世界で生きようとなさる」
「いえ、仁義の世界で生きるつもりです」
「ほう」
 尸子(しし)は微笑をふくんだ。
「義を買い、仁(じん)を売ります。利は人に与えるものだとおもっております」
 社会的責任において買ったものを心で売る。そこで得た利益を世の人に還元するということである。
「かつてそんな商人はいなかった。もしあなたがそれをなせば、あなたは万民に慕われるだろう」
 と、尸子は楽しげにいった。

 この物語は読み手の背中を垂直にする。人の歩むべき道が確かに存在することを教えてくれる。

孟嘗君(1) (講談社文庫)孟嘗君(2) (講談社文庫)
孟嘗君(3) (講談社文庫)孟嘗君(4) (講談社文庫)孟嘗君(5) (講談社文庫)

夢に関する覚え書き


Wikipedia


語源由来辞典


続き
夢という漢字の由来について


荘子「胡蝶の夢」


『枕中記』(ちんちゅうき)「邯鄲の夢」(かんたんのゆめ)






現象に関する覚え書き





 私が在(あ)るのではなく、私という現象が在る。

川はどこにあるのか?
月並会第1回 「時間」その一
月並会第1回 「時間」その二
時間とは記憶の残像である

バッハは深く宗教的な人間であると同時に、狭い意味での宗教を超えた人だ


 バッハを知れば知るほど、私には、バッハは深く宗教的な人間であると同時に、狭い意味での宗教を超えた人だ、という印象が強くなってきている。大切なのは、バッハが何を信じたかという信仰の内容ではなく、信仰に貫かれたバッハの生き方、精神の方向性なのである。

【『J・S・バッハ礒山雅〈いそやま・ただし〉(講談社現代新書、1990年)】

バッハ

J・S・バッハ (講談社現代新書)

沈黙


 沈黙しなければ聞こえない。注意とは沈黙を意味する。私の内外で沈黙の豊かさが垂直に横溢(おういつ)する。

2011-07-10

永劫回帰


 永劫回帰思想は無間地獄を表したものだ。つまり無量大数ではなく、0と1の間に存在する。ねずみ車をひた走るハムスターの運動性が六道輪廻である。

ニーチェ全集〈9〉ツァラトゥストラ 上 (ちくま学芸文庫)ニーチェ全集〈10〉ツァラトゥストラ 下 (ちくま学芸文庫)ニーチェ全集〈15〉この人を見よ 自伝集 (ちくま学芸文庫)

孤独


 孤独に苛(さいな)まれる人と、孤独を楽しむ人がいる。

ローンスターと東京スター銀行


 東京スター銀行という名称は、星条旗の星を意味しているのかもしれない。以下、Wikipediaより引用。

 ローンスターはアメリカ合衆国ダラスを本拠とする投資ファンド。

日本企業への主な投資実績:金融事業

・東京スター銀行:1999年に経営破綻した東京相和銀行のスポンサーとなり、2001年に東京スター銀行を新設、東京相銀から営業譲渡させて、同年6月より営業開始。その後、複数の信用組合や2002年に経営破綻した中部銀行の関東地区支店を譲り受ける等追加買収をし、2005年東証一部上場。2008年アドバンテッジ パートナーズのTOBに応じて株式売却。

・ファーストクレジット:旧長銀系のノンバンクであり、2002年に会社更生法の適用を申請、スポンサーとなる。2005年に住友信託銀行へ全株式を売却。

・アエル:2003年に会社更生を申請した中堅消費者金融会社アエル(旧社名、日立信販)及びナイスのスポンサーとなる。

・後楽園ファイナンス:東京ドームの子会社だった卸金融会社。親会社である東京ドームのゴルフ・リゾート事業、金融事業からの撤退に伴い、2006年にローン・スター・ファンドが譲り受ける。

・TSBキャピタル:1999年に経営破綻した西友子会社のノンバンク東京シティファイナンス(TCF)を買収。現在は貸金業に特化している。2004年までに西友店舗を中心に設置されていた「SEIYUキャッシュポイント」と言うサラ金カード等のキャッシング専用キャッシュディスペンサーを撤去し、東京スター銀行のATMを設置している。

日本法人

 株式会社ローン・スター・ジャパン・アクイジッションズ(かつてはLLC。〈日本においては現在の合同会社〉の形態を取っており、「ローン・スター・ジャパン・アクイジッションズ・LLC」という名称であった)という名称で、投資営業の為の日本法人が存在する。会長職には、大蔵省出身の岩下正が就いている。同法人の会長には、大蔵省から国土庁に移籍して同庁次官だった現西日本シティ銀行頭取の久保田勇夫画像)、野村證券副社長や初代多国間投資保証機関長官を務めた寺澤芳男画像)が就いていた時期がある。

【2003年4月15日(火) 国際協力銀行理事に岩下氏】

 国際協力銀行は14日、財務省出身の岩下正・前財務総合政策研究所長が同日付で理事に就任したと発表した。岩下氏は村山政権で首相秘書官を経験し、駐米公使などを務めた。
 岩下 正氏(いわした・ただし)東大法学部卒。70年大蔵省に入り、国際局次長を経て02年7月から03年3月まで財務総合政策研究所長。55歳。宮城県出身。(中国新聞メディアクラブ

Wikipedia
ローンスター - 東京相和銀行 | まとめWebサイト
極悪外資「ローンスター」 が今度は病院の診療報酬を差押え
東京スター銀、ローンスターなど融資団が取得へ スポンサー探し焦点
東京スター銀行の筆頭株主、ローンスターに=関係筋

電気によって構造化された世界


 現代の若い学生たちは電気によって構造化された世界で成人する。それは車輪の世界でなく電気回路の世界である。断片の世界でなく統合パターンの世界である。現代の学生たちは神話と深層の世界に生きている。しかしながら、学校では分類された情報にもとづいて組織された状況に出会うのである。

【『メディア論 人間の拡張の諸相』マーシャル・マクルーハン:栗原裕〈くりはら・ゆたか〉、河本仲聖〈こうもと・なかきよ〉訳(みすず書房、1987年)】

メディア論―人間の拡張の諸相

斎藤緑雨


 1冊読了

 46冊目『緑雨警語』斎藤緑雨〈さいとう・りょくう〉、中野三敏編(冨山房百科文庫、1991年)/文語体は情報を圧縮して香気を放つ。難解ではあるが、そのまま味わえばよい。寸鉄人を刺すというが、時折吹き出してしまうほどの諧謔(かいぎゃく)が効いている。特に政治へ向けられた筆鋒は鋭さを増す。毒をもって毒を制するのが社会時評の基本であろう。小田嶋隆はこの路線を目指すべきだと思う。狂歌や都々逸(どどいつ)の復興を私は希(こいねが)う。緑雨は36歳で死去。まさしく寸鉄の如き人生であった。

文字に飢える


 新聞はいかなる新聞であっても、例えば私物の泥靴を包んでおいたぼろぼろの新聞まで読み尽してしまった。食器棚の下に誰かが投げ込んでおいた半年ほど前の内閣のパンフレットを手にした時は、ほとんど一週間も掛ってそれを読み返し読み返しした。(中略)メンソレータムの効能書きを裏表丁寧に読み返した時などは、文字に飢えるとはこれほどまでに切実なことかとしみじみ感じた。(竹田喜義〈たけだ・きよし〉 22歳)

【『きけ わだつみのこえ 日本戦没学生の手記』日本戦没学生記念会編(東大協同組合出版部、1949年/岩波文庫、1982年)】

きけ わだつみのこえ―日本戦没学生の手記 (岩波文庫)第二集 きけ わだつみのこえ―日本戦没学生の手記 (岩波文庫)

大いなる人物の大いなる物語/『孟嘗君』宮城谷昌光


・『湖底の城』宮城谷昌光

 ・大いなる人物の大いなる物語
 ・律令に信賞必罰の魂を吹き込んだ公孫鞅
 ・孫子の兵法
 ・田文の光彩に満ちた春秋
 ・枢軸時代の息吹き

『楽毅』宮城谷昌光
『奇貨居くべし』宮城谷昌光

 宮城谷昌光は晴朗な文章で時代と人を描く。『史記』に書かれた孟嘗君(もうしょうくん)は点景のようなものであろう。そこに息を吹き込み、血を通わせ、魂を打ち込む。想像力を支えているのは漢字だ。漢字の成り立ちや作りから歴史を読み解く。それはまさに「同じ時代を生きる」作業であった。人間の英知と感情は数千年を隔てた人物の理解を可能にする。

 宮城谷作品は5~6冊ほど読んでいるが長篇は初めてのこと。全5巻を5日間で読み終えた。鮮やかな輪郭を伴った人間が凄まじい勢いで読者に迫ってくる。信じ難いほど心が揺さぶられる。生きることの重みがまるで違う。

 孟嘗君(もうしょうくん)は諡(おくりな)で本名を田文(でんぶん)という。父・田嬰(でんえい)の妾腹(しょうふく)で、忌(い)まわしい日に誕生したため殺害を命じられた。当時、5月5日に生まれた子は父を殺すと信じられていた。オイディプス阿闍世王(あじゃせおう)を彷彿(ほうふつ)とさせる。

 邸(やしき)内の清掃を生業(なりわい)とする僕延(ぼくえん)の手で助けられた田文は、その後亡き者とされる。全5巻のうち4巻までは育ての父・風洪(ふうこう/後に白圭と改名)と公孫鞅(こうそんおう)・孫ピン孫武と同じく孫子と呼ばれる人物)が主役を務める。田文(でんぶん)を巡る時代と人々の潮流を描くところに著者の真意があるのだろう。

 斉(せい)の国は塩をにぎった。
 のちに天下を制するものは、塩と鉄である、といわれるようになる。その片方を斉が多量に産することによって、この国は富んだ。

【『孟嘗君』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(講談社、1995年/講談社文庫、1998年)以下同】

 時代考証の重要な要素は人口と経済だと思われる。人々の衣食住を支えるのが経済であり、経済によって政治も安定する。人心とは空腹か否かであろう。人類にとって長い間、塩は貴重品であった。インドでガンディーが行った塩の行進は、イギリスの専売に抗議を示したものだ。これがインド独立につながった。日本においても1985年まで専売制であった。生存に不可欠なものは必ず権力者が管理する。

 中国で紙が発明されるのは紀元前2世紀で、前漢王朝の時代である。紙といえば、後漢王朝の蔡倫(さいりん)という官人が発明したことになっているが、実際はそれよりはるかまえに発明されていた。それはともかく、戦国時代には紙がないので、ふつうに文字を書くとしたら、布のうえか、木片や竹片のうえということになる。木片のほうが竹片より不乱しにくいので、木片が重宝がられたにちがいなく、
「■(片+賣/トク)」
 とよばれる木片は、書き物用の木の札のことで、それはいまでいう手帳とか手紙のことである。

 これまた重要な時代考証だと思われるので記しておく。現代において書籍を「冊」と数え、文章を「篇」と称し、本を「紐解く」というのは、竹簡木簡に由来している。

 歴史とは「記録されたもの」の異名である。記録を欠いて歴史は成立しない。歴史とは概念なのだ。中国には古くから皇帝(王)を中心とする「天下」の思想があった。

世界史は中国世界と地中海世界から誕生した/『世界史の誕生 モンゴルの発展と伝統』岡田英弘

 宮城谷作品の魅力は挙措(きょそ)を通した人物描写にある。

 風洪(ふうこう)が部屋にはいると、夭(わか)い女がいて、揖(ゆう)をした。揖というのは、両手を胸のまえで組み、上下させる礼のしかたである。その礼容が明るい。性格が明朗なのかもしれない。

 風洪は冷(ひ)えた目で公孫鞅(こうそんおう)を凝視(ぎょうし)しはじめた。この男はその場に応じていろいろな顔をつくることができる。が、いろいろな話をつくるのであれば、信用できない。

 人を生かすことのできぬ者は、人を殺すこともできないのである。恵王(けいおう)の本性にあるなまぬるさを、公孫鞅(こうそんおう)はおそろしいほど深々と洞察したのである。

 風洪は心のなかで皮肉な笑いを浮かべた。人のこころのなかのことは、顔なんぞみなくてもわかる。声をきけばよい。辰斗の声には誠意というものがいささかもこめられていない。

 情報のスピードが遅い時代だからこそ情報の深度が増すのだろう。雑音の多い現代とは異なるゆえに、人間の姿も真っ直ぐに見えたのだろう。我々の社会は付加価値だらけで本質が見えにくくなっている。

 風洪(ふうこう)はまだ侠客(きょうかく)のような立場であったが後に大商人となる。一方、公孫鞅(こうそんおう)は仕官を志していた。当時は春秋戦国時代諸子百家(しょしひゃっか)と呼ばれるほど思想の花が絢爛と咲いた。儒家(じゅか)・法家(ほうか)を中心とする学者は仕官を目指すわけだが、これは軍師的な色合いの強い政治家であった。君主を補佐する官位を宰相(さいしょう)といい、無名の人物が抜擢されることも珍しくはなかった。科挙による人選はもっと後代のことである。

「赤子はつよいな。おのれの欲望のためにないている」
 と、ふくみのあることをいった。
「すさまじいことを申される」
 血のめぐりのよい公孫鞅(こうそんおう)は風洪(ふうこう)の諷意(ふうい)をすぐに汲んだ。それにしても、
 ――欲望のためになけ。
 とは、うちひしがれた公孫鞅を立ち直らせるに、なんとふさわしいことばであったことか。公孫鞅は大望(たいぼう)があるといった。が、涙とともに流れ去るような大望では、男の本懐とはいえまい。

 風洪(ふうこう)は公孫鞅(こうそんおう)を人物と認めた。その後、妹を嫁がせている。

 が、どの国も、
「軽治(けいじ)」
 であるがゆえに、農民の苦労にむくいていない。軽治というのは、軽い政治のことであるらしい。耳なれぬことばであったので風洪が問うと、たとえば、と公孫鞅(こうそんおう)はいい、
 ――農貧しくして、商富む。
 それが軽治であるとこたえた。農民が貧困で、商人が富裕である、そういう状態を国政がゆるしているとき、それを軽治というようだ。

 これが2000年前の見識というのだから凄い。社会の仕組みは大きく変わったように見えながら、基底部は同じなのだろう。国民の食を支える農民を粗末にすれば国はいずれ滅びる。商人は品物を右から左に流すだけの仕事だ。ものを作っているわけではない。

 今はどうか。もっと酷い。他人から預かった金で儲ける銀行や証券会社や、電波利権にあぐらをかくメディアがのさばっているのだから。

 現代の政治家がいう国益の何と軽いことか。彼らに「国家を治める」度量があるとは到底思えない。政党の多数決要員に甘んじた姿が目立つ。

 最後に当時の処罰を紹介する。これは孫ピンにも処されているゆえ、どうしても書いておく必要がある。

 犯罪者にたいしては肉体を損傷するというのが、処刑の方法である。犯罪者であるというしるしを、だれの目にもあきらかにするのである。たとえば、
 黥(げい)
 とよばれるものは、いれずみであり、これをひたいにほどこす。
 ■(月+リ/げつ)
 ■(月+濱のつくり/ひん)
 は、あしきりの刑である。足をうしなった者は門番になるというのが、古代の事例にある。ところが衣服を着ると肉体の欠損をかくし、受刑者であることを世間の目からくらますことができるものがある。それは、
 宮刑(きゅうけい)
 腐刑(ふけい)
 とよばれるもので、すなわち男性の生殖器をきりとる刑で、重罪を犯した者に適用する。
 ところがこの受刑者にひとつの利点がもたらされた。どういうことかといえば、かれらは男性であることを喪失したのであるから、性欲にともなうなまぐさみがなくなり、それだけに女性に近づけても害のない存在であるとみなされ、女ばかりの住まいである後宮の警備の任をあたえられるようになった。これを寺人(じじん)という。さらに殿上にあって庶務をおこなう者もあらわれた。これが宦官(かんがん)である。

 司馬遷(しばせん)も宦官であった。そして孫ピンのピンは「■(月+濱のつくり/ひん)」である。つまり「足を切られた孫(そん)さん」という通称であったのだろう。生き生きと描かれる孫ピンは、吉川『三国志』の諸葛孔明を軽々と凌駕している。一読しただけでは理解しにくい『孫子』の兵法も手に取るようにわかる。

 田文が生きたのはちょうど孔子ブッダの間の時代であった。枢軸時代は人類の思考や物語を決定づけた時代である。大いなる人物の歩みがそのまま大いなる物語となった。その生きざまに、ただ頭(こうべ)を垂れるのみ。

 取り敢えず1巻の書評はここまで。

孟嘗君(1) (講談社文庫)孟嘗君(2) (講談社文庫)
孟嘗君(3) (講談社文庫)孟嘗君(4) (講談社文庫)孟嘗君(5) (講談社文庫)

『重耳』宮城谷昌光
『介子推』宮城谷昌光
『晏子』宮城谷昌光