2014-05-10

原題は『これが人間か』/『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ


『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行
『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子
『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』V・E・フランクル:霜山徳爾訳
『それでも人生にイエスと言う』V・E・フランクル

 ・原題は『これが人間か』

『休戦』プリーモ・レーヴィ
『溺れるものと救われるもの』プリーモ・レーヴィ
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編
『石原吉郎詩文集』石原吉郎

 だが、これは、人間が絶対的な幸福にたどりつけないことを示すよりも、むしろ、不幸な状態がいかに複雑なものか、十分に理解されていないことを表わしている。不幸の原因は多様で、段階的に配置されているが、人は十分な知識がないため、その原因をただ一つに限定してしまうのだ。つまり最も大きな原因に帰してしまう。ところが、やがていつかこの原因は姿を消す。するとその背後にもう一つ別の原因が見えてきて、苦しいほどの驚きを味わう。だが実際には、別の原因が一続きも控えているのだ。
 だから冬の間中は寒さだけが敵と思えたのに、それが終わるやいなや、私たちは飢えていることに気づく。そして同じ誤りを繰り返して、今日はこう言うのだ。「もし飢えがなかったら!……」
 だが飢えがないことなど、考えられない。ラーゲルとは飢えなのだ。私たちは飢えそのもの、生ける飢えなのだ。

【『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ:竹山博英訳(朝日選書、1980年)】

 27歳の青年が著した手記である。彼はアウシュヴィッツを生き延びた。そして67歳で自殺した(事故説もあり)。遺著となった『溺れるものと救われるもの』を私は二度読もうとしたが挫折した。行間に立ちこめる死の匂いに耐えられないためだ。

 本書の文章には不思議な透明感がある。それはプリーモ・レーヴィが化学者であったからというよりは、自己の経験を突き放して見つめる彼の態度にあるのだろう。


 地獄で問われるのは「生存の意味」だ。「死んだ方が楽な世界」を生き延びた人は実存を問い続ける。そこに浅はかな希望が入り込む余地はない。現実はかくも厳しい。

「私たちは飢えそのもの、生ける飢えなのだ」――この一言は紛(まが)うことなき悟りである。我々の日常において欲望をここまで真摯に見つめることはまずない。飢えの自覚は食べ物に対して無量の感謝を育んだことだろう。我々にはそれがないからいとも簡単に残し、捨てるのだ。


 当然ではあるが『夜と霧』V・E・フランクルを必ず読むこと。池田香代子訳が望ましい。イタリアのレジスタンスを知るために『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編も。それと『石原吉郎詩文集』石原吉郎も併せて。順番は特に指定しない。

アウシュヴィッツは終わらない―あるイタリア人生存者の考察 (朝日選書)
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ドキュメンタリー「アウシュビッツ」
ジェノサイドの恐ろしさ/『望郷と海』石原吉郎

2014-05-09

シオニズムと民族主義/『なるほどそうだったのか!! パレスチナとイスラエル』高橋和夫


 パレスチナという土地はあるが、パレスチナという国はない。そこにあるのは、イスラエルという国と【ガザ地区】と、【ヨルダン川西岸地区】である。

【『なるほどそうだったのか!! パレスチナとイスラエル』高橋和夫(幻冬舎、2010年)】

 苦難が人生を変える。よくも悪くも。大変は「大きく変わる」と書く。現実に押し潰される人と現実を切り拓いてゆく人との違いは何か? それは他者への共感性であろう。他人の苦しみに共感できる人はその時点で既に学んでいる。

 だが共感だけだと共倒れになることがあり得る。特に女性の場合、愚痴っぽくなりやすい。共感の深度を掘り下げるのは価値観である。そう考えると他人の苦しみは他人の歴史と置き換えることが可能だ。つまり人間は歴史から学ぶのだ。

 その意味で私の精神風景を一変させたのはルワンダとパレスチナ、そしてインディアンであった。

 以前、ある教育者が「小野さんにとってのルワンダは、僕の場合、ポル・ポトなんですよ」と語った。こういう相手だと話が早い。歴史をひもとけば人類の悲惨は至るところにある。それを知らずして人間理解は不可能だろう。

 本書はパレスチナ入門の教科書本ともいうべき内容でよくまとまっている。

 ユダヤ人たちの、自分たちの国を創ろうという運動を【シオニズム】と呼ぶ。これはシオン山の“シオン”と“イズム”を合わせた言葉である。イズムとは、主義という意味の言葉である。主義というのは、この場合にはある政治的考えのための努力である。シオン山とは、【パレスチナの中心都市】のエルサレムの別名である。エルサレムは、標高835メートルほどの丘の上に建てられている。新東京タワー、つまりスカイツリーが635メートルの高さであるから、それより高い所に位置する都市である。
 ヨーロッパのユダヤ人がパレスチナに入ってくると、その土地に生活していたパレスチナ人との間に紛争が始まった。これが現在まで続く、パレスチナ問題の発端である。これは、つまり約120年間の紛争である。

 パレスチナを巡る問題には第二次世界大戦の欺瞞がシンボリックに現れている。シオニズムという言葉も1896年に考案されたものだ(『リウスのパレスチナ問題入門 さまよえるユダヤ人から血まよえるユダヤ人へ』エドワルド・デル・リウス)。すなわちユダヤ教徒は戦争というどさくさに紛れて、自分たちが創作した新しい物語を実現させたのだ。

 それでは、なぜヨーロッパのユダヤ人たちは、この時期にパレスチナへの移住を考えるようになったのだろうか。それは、ヨーロッパで19世紀末になってユダヤ人に対する迫害が激しくなったからである。では、どうしてであろうか。
 答えは、この時期にヨーロッパに【民族主義】が広まったからである。この民族主義がユダヤ人の迫害を引き起こした。

 民族主義は近代から生まれた。大雑把にいえばナポレオンフランス革命国民国家)、パックス・ブリタニカ産業革命資本主義)、アメリカ独立の三点セットだ。

近代を照らしてやまない巨星/『ナポレオン言行録』オクターブ・オブリ編
フランス革命は新聞なくしては成らなかった
歴史の本質と国民国家/『歴史とはなにか』岡田英弘
自由競争は帝国主義の論理/『アメリカの日本改造計画 マスコミが書けない「日米論」』関岡英之+イーストプレス特別取材班編
何が魔女狩りを終わらせたのか?
資本主義経済崩壊の警鐘/『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン

 つまり人類に国家意識が芽生えたのだ。産業革命で一人勝ちしたイギリスは帝国主義の刀を抜いて世界中を植民地化した。それまでは魔女狩りや戦争でヨーロッパの内側で殺し合いをやっていた連中の目が世界に向けられた時代であった。

 ヨーロッパにおけるユダヤ社会は、いびつである。なぜならば、地に足のついた生活をしている人々、つまり農民が少なかったからだ。

 土地を奪われたユダヤ人は流浪の民であることを運命づけられた(『離散するユダヤ人 イスラエルへの旅から』小岸昭)。彼らが土地(国家)を熱望した心情は理解できる。

 ユダヤ人の伝統的な仕事は、【金貸し】であり、商売人であり、仲買人であり、医者であり、弁護士であり、研究者であり、芸術家であり、音楽家であった。つまり組織に頼らず、【自分の才覚】のみで生きていた。これはユダヤ人が差別された結果であった。

 過酷な歴史がユダヤ人を鍛え上げた。資本主義が追い風となった。現在ではメディア支配にまで至っている。

 ナチス・ドイツによって600万人のユダヤ人が虐殺されたという記述があり(29ページ)、冒頭の論旨が台無しになっている。ナチスによるホロコーストをユダヤ人虐殺という文脈に書き換えたのはユダヤ資本である(『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン)。

 パレスチナに興味を覚えた人は本書から入り、『「パレスチナが見たい」』森沢典子→『パレスチナ 新版』広河隆一→『新版 リウスのパレスチナ問題入門 さまよえるユダヤ人から血まよえるユダヤ人へ』エドワルド・デル・リウス→『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン→『アラブ、祈りとしての文学』岡真理と進むのがよい。パレスチナ人は今日も殺されている(異形とされるパレスチナ人)。

なるほどそうだったのか!!パレスチナとイスラエル

2014-05-08

君子は豹変し、小人は面を革む/『中国古典 リーダーの心得帖 名著から選んだ一〇〇の至言』守屋洋


桃や李(すもも)は何も言わないけれども、美しい花やおいしい実をつけるので、その下に人が集まってきて、自然に道ができる。それと同じように、徳のある人物のもとには、その徳を慕っておのずと人が集まってくる

桃李言(ものい)わずして
下(した)自(おのず)から蹊(みち)を成(な)す

     『史記』李将軍列伝

【『中国古典 リーダーの心得帖 名著から選んだ一〇〇の至言』守屋洋〈もりや・ひろし〉(角川SSC新書、2010年)以下同】

 久し振りに守屋の著作を開いた。構成の悪いスカスカ本であった。粗製乱造の極みか。中高生向けの代物。何を血迷ったのか翻訳文が最初に大きく書かれている。順序が逆であろう。原文への敬意を欠いているようにすら見えて仕方がなかった。

 いくつか原文を調べたくて読んだのだが目ぼしいものを紹介しよう。最初に紹介したものは知っている人も多いだろう。成蹊大学の由来でもある。「蹊」は「けい」と読む文献もある。小道の意である。私は李広将軍にまつわる文章であることを知らなかった。「一念岩をも通す」で知られる人物だ。母を殺した人喰い虎を見つけた李広はすかさず弓を引いた。深々と刺さった獲物を見たところ虎の姿に見えたのは岩であった。矢羽まで突き刺さったと伝えられる。「虎と見て石に立つ矢のためしあり」とも。

君子は、つねに自己革新をはかって成長を遂げていく。小人は、表面だけは改めるが、本質にはなんの変化もない

君子(くんし)は豹変(ひょうへん)し、小人(しょうじん)は面(おもて)を革(あらた)む

     『易経』革卦(かくか)

 これこれ。これを探していたのだ。私のモットーだ。気づけば変わる。見えれば変わると言い換えてもよい。君子豹変という言葉だけで朝令暮改と似た意味だと勘違いしている人が多い。田原総一朗もその一人だ。君子は果断に富むゆえ、さっと身を翻(ひるがえ)すことがあるのだ。愚かで無責任な連中はそれを「信念がない」とか「転向」などと受け止める。かような風評を君子は恐れることがない。

毎日、「今日もやるぞ」と、覚悟を新たにしてチャレンジする

苟(まこと)に日(ひ)に新(あら)たに、
日日(ひび)に新(あら)たに、
又(ま)た日(ひ)に新(あら)たなり

     『大学』伝二章

 筍(たけのこ)と似た字だが日ではなく口。訓読みだと「苟(いやしく)も」。名文の香りを台無しにする翻訳だ。本物の価値創造とは日々新しい自分と出会うことだ。生に感激を失った途端、人は老いる。

人生における最大の病(やまい)は、「傲」(ごう)の一字である

人生(じんせい)の大病(たいびょう)は
ただこれ一(いち)の傲(ごう)の字(じ)なり

     『伝習録』下巻

 傲(おご)りが瞳を曇らせる。自戒を込めて。この言葉は知らなかった。

自分が正しいと確信が持てるなら、阻む者がどれほど多かろうと、信じた道を私は進む

自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、
千万人(せんまんにん)と雖(いえど)も吾(われ)往(ゆ)かん

     『孟子』公孫丑(こうそんちゅう)篇

「縮」には正しい、真っ直ぐとの意があるようだ(ニコニコ大百科)。これも君子豹変に通ずる。要は深く自らに問うことが正しい答えにつながるのである。周りは関係ない。行列の後に続くような生き方は感動と無縁であろう。

 中国の偉大な歴史は文化大革命を経て漂白されてしまったのだろうか? 中国人民の間にこれらの言葉はまだ生きているのだろうか? 気になるところである。

中国古典 リーダーの心得帖  名著から選んだ100の至言  角川SSC新書 (角川SSC新書)

先ず隗より始めよ/『楽毅』宮城谷昌光
大望をもつ者/『楽毅』宮城谷昌光

amazonで買える1kg以上の飴


 煙草を減らすべく飴を物色中。比較的安くて評価の高いものを選んだ。

クリート どっさりフルーツキャンデー 120g×20袋松屋製菓 生沖縄黒飴 1kg扇雀飴本舗 ジュースキャンデー 1kg春日井炭焼珈琲 100g×12袋

石牟礼道子、藤井厳喜、渡邉哲也、ニーチェ


 2冊挫折、2冊読了。

ニーチェ全集 8 悦ばしき知識』ニーチェ:信太正三〈しだ・しょうぞう〉訳(理想社普及版、1980年/ちくま学芸文庫、1993年)、『喜ばしき知恵』ニーチェ:村井則夫訳(河出文庫、2012年)/三十七、八歳でよくもまあこんな代物が書けたものだ。「神は死んだ」の一言で知られるニーチェの代表作。やはり哲学は肌に合わない。いくら言葉をこねくり回しても真理を見出すことは不可能だろう。ニーチェよ、さらばだ。

 29冊目『日本はニッポン! 金融グローバリズム以後の世界』藤井厳喜〈ふじい・げんき〉、渡邉哲也〈わたなべ・てつや〉(総和社、2010年)/勉強になった。渡邉哲也を初めて読んだが説明能力が極めて高い。新聞がきちんと報じない世界経済の構造がよくわかる。致命的なのは総和社の校閲だ。欠字・重複が目立つ。『超マクロ展望 世界経済の真実』(水野和夫、萱野稔人)の次に読むとよい。

 30冊目『苦海浄土  池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第3集 III-04』石牟礼道子〈いしむれ・みちこ〉(河出書房新社、2011年)/第1部『苦海浄土 わが水俣病』(講談社、1969年/講談社文庫、1972年/新装版、2004年)、第3部『天の魚 続・苦海浄土』(講談社、1974年/講談社文庫、1980年)、第2部『苦海浄土 第二部 神々の村』を収録。大部のため3冊分に分けて書く。石牟礼道子は熊本県に住む主婦であった。本書も元々は水俣病患者や家族から話を聞き、チラシの裏などに書き溜めてあったものらしい。ルポルタージュでもなければ私小説でもない。厳密にいえば「語り物」ということになろう。すなわち『苦海浄土』は形を変えた『遠野物語』なのだ。そしてまた水俣の地はルワンダでもあった。美しい水俣の海と耳に心地良い熊本弁と水銀に冒された病(やまい)の悲惨が強烈な陰影となって読者をたじろがせる。石牟礼は水俣病患者に寄り添うことで「新しい言葉」を紡ぎだした。それが創作であったにせよ事実と乖離(かいり)することを意味しない。むしろ隠された真実を明るみに引きずり出す作業であったことだろう。犯罪企業のチッソ日窒コンツェルンの中核企業であった。旭化成、積水化学工業、積水ハウス、信越化学工業、センコー、日本ガスは同じ穴の狢(むじな)だ。

2014-05-07

「年次改革要望書」という名の内政干渉/『拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる』関岡英之


 ・「年次改革要望書」という名の内政干渉

日下公人×関岡英之

年次改革要望書』は単なる形式的な外交文書でも、退屈な年中行事でもない。アメリカ政府から要求された各項目は、日本の各省庁の担当部門に振り分けられ、それぞれ内部で検討され、やがて審議会にかけられ、最終的には法律や制度が改正されて着実に実現されていく。受け取ったままほったらかしにされているわけではないのだ。
 そして日本とアメリカの当局者が定期的な点検会合を開くことによって、要求がきちんと実行されているかどうか進捗状況をチェックする仕掛けも盛り込まれている。アメリカは、日本がサボらないように監視することができるようになっているのだ。
 これらの外圧の「成果」は、最終的にはアメリカ通商代表部が毎年3月に連邦議会に提出する『外国貿易障壁報告書』のなかで報告される仕組みになっている。アメリカ通商代表部は秋に『年次改革要望書』を日本に送りつけ、春に議会から勤務評定を受ける、という日々を過ごしているわけである。

【『拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる』関岡英之(文春新書、2004年)以下同】

 10年前の本だがまったく古くなっていない。というよりはTPP締結を控えた今こそ本書が広く読まれるべきだ。関岡は基本的に取材を行わない。オフィシャルな情報だけを手掛かりにして、アメリカの内政干渉と日本政府の欺瞞を暴く。個人的には「保守の質を変えた」一書であると考える。日本人であれば心痛を覚えない人はいるまい。「敗戦」の意味を思い知らされる。半世紀という時を経ても尚、日本はアメリカ各地の州以下の扱いを受けており、文字通りの属国である。この国は独立することを阻まれているのだ。

 年次改革要望書は宮澤喜一首相とビル・クリントン米大統領との会談(1993年)で決まったものだが、日米包括経済協議(1993年)、日米構造協議(1989年)に淵源がある。ということはバブル景気の絶頂期にアメリカが動き出したわけだ。プラザ合意(1985年)に次ぐ攻撃と考えてよかろう。

牛肉・オレンジ自由化交渉の舞台裏

 アメリカによる外圧のわかりやすい例が紹介されている。

 日本の国内では、建築基準法の改正や住宅性能表示制度の導入は、阪神・淡路大震災での被害の大きさからの反省や手抜き工事による欠陥住宅の社会問題化などがきっかけとなって日本政府内で検討が始められ、導入が決定されたものだと理解されている。それは日本の国民の安全と利益のためになされたはずだ。
 しかし実はこれらの法改正や制度改革が、日本の住宅業界のためでも消費者のためでもなく、アメリカの木材輸出業者の利益のために、アメリカ政府が日本政府に加えた外圧によって実現されたものであると、アメリカ政府の公式文書に記録され、それが一般に公開されている。

 日本国民はおろか政治家だって知らなかったことだろう。政府が二つ返事で引き受けて、官僚が具体的な法案を作成しているに違いない。マスコミがこうした事実を報道することもない。日本の新聞は官報なのだろう。日本で民主主義が機能しないのは情報公開がなされていないためだ。むしろ情報は統制されているというべきか。

 1987年にアメリカの対日貿易戦略基礎理論編集委員会によってまとめられた『菊と刀~貿易戦争篇』というレポートがある。執筆者名や詳しい内容は公表されていないが、アメリカ・サイドから一部がリークされ、その日本語訳が出版されている(『公式日本人論』弘文堂)。
 この調査研究の目的は、日本に外圧を加えることを理論的に正当化することだった。そして結論として、外圧によって日本の思考・行動様式そのものを変形あるいは破壊することが日米双方のためであり、日本がアメリカと同じルールを覚えるまでそれを続けるほかはない、と断定している。つまり、自由貿易を維持するという大義名分のためには、内政干渉をしてでもアメリカのルールを日本に受入(ママ)れさせる必要がある、と主張しているのである。
 このレポートの執筆者のひとりではないかと推測されるジェームズ・ファローズは『日本封じ込め』(TBSブリタニカ)というエッセイのなかで「叫ぶのをやめて、ルールを変えよう」という有名なせりふを吐いた。こうした声が、アメリカのルールを強制的に日本に受け入れさせること、もっと露骨に言えばアメリカの内政干渉によって日本を改造するという、禁じ手の戦略を正当化することになったのである。そしてそこから導き出されたアメリカの政策こそ、「日米構造協議」と呼ばれる日本改造プログラムに他ならない。

 ジェームズ・ファローズはジミー・カーター大統領のスピーチライターを務めた人物だ。アメリカの傲慢は戦勝国意識とプロテスタント原理主義に支えられている。ま、原爆投下を一度も謝罪しないような国だ。我々黄色人種を同じ人間としては見ていないのだろう。

 鳩山由紀夫首相が年次改革要望書を斥(しりぞ)けた。そして直ぐに小沢一郎と共に葬られた。その後TPPと名前を変えて再びアメリカは日本に要求を突きつけているのだ。当初は「聖域なき関税撤廃が前提なら参加しない」としていた安部首相も態度を180度変えた(田中良紹)。

 今ニュースとなっている憲法解釈の閣議決定もアメリカからの要求であり命令だ。彼らは日本を再軍備するつもりだ。

拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる (文春新書)
関岡 英之
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自由競争は帝国主義の論理/『アメリカの日本改造計画 マスコミが書けない「日米論」』関岡英之+イーストプレス特別取材班編

自由競争は帝国主義の論理/『アメリカの日本改造計画 マスコミが書けない「日米論」』関岡英之+イーストプレス特別取材班編


佐藤●なぜ、いま大川周明なのかということですが、現在、世界を新古典派経済学的な市場原理主義が席巻(せっけん)しています。「自由競争」というのは、実は最強国に有利な論理であって、19世紀であればイギリス、20世紀であればアメリカしか利さない。つまり帝国主義の論理だということです。そこに気づくかどうかが、いま問われていると思います。

関岡●「自由主義」を装った帝国主義ですね。そのことを戦中に理路整然と説き明かした大川周明の『米英東亜侵略史』(第一書房、1942年)は非常に重要な文献で、いまの日本で広く読まれる必要があると、私もかねがね思っていました。

【『アメリカの日本改造計画 マスコミが書けない「日米論」』関岡英之+イーストプレス特別取材班編(イーストプレス、2006年)以下同】

 佐藤優と関岡の対談が面白かった。他は生臭くてちょっと……。帝国主義は力の論理である。ドラえもんでいえばジャイアンが帝国主義で、メガネををかけた弱者のび太はドラえもんと手を組んでテクノロジーで勝負をする。あれは日本のよき時代を象徴したマンガであったのかもしれぬ。ま、本当はたくさんの人々をいじめるジャイアン(アメリカ)の手助けをのび太とドラえもん(日本)がしていたわけだが(『メディア・コントロール 正義なき民主主義と国際社会』ノーム・チョムスキー)。

 大川周明といえば極東軍事裁判で東條英機の頭を叩く映像が広く知られている。大川は裁判そのものが茶番劇であることを示そうとした。


佐藤●ソ連が崩壊してイデオロギーの時代が終焉(しゅうえん)すると、世界各国は露骨に自国の利益を追求する時代になりました。なかでも一番強い国は、関係国に対して「さぁ、競争だ、自由に競争させろ、競争を邪魔するな」と市場開放や規制改革をどんどん要求するようになった。自分と同じやり方でやれ、自分のルールを受け入れろ、と。
 駆け足が一番速い人は、物事をすべて駆け足で決めるのが一番有利です。そして「ウィナー・テイク・オール」、勝者が果実を独占する。『拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる』(文春新書、2004年)を私なりに解釈すると、そういうことだろうと思います。

関岡●正確に汲(く)み取ってくださって、ありがとうございます。

『拒否できない日本』はアメリカが日本に突きつける「年次改革要望書」を広く知らしめた一書で関岡英之の名を不動のものとした。そして保守の質を明らかに変えた著作であった。

 自由貿易で貧しい国が栄えたことはない。産業革命の歴史を見てもわかるように、技術力を有する国家に強味がある。発展途上国には技術どころかインフラすら整備されていない。つまり自由貿易とは経済の名を借りた侵略戦争なのだ。

関岡●井筒俊彦は、アラビア語だけでなく、古典ギリシャ語、ラテン語なども学び、イスラーム研究の範疇(はんちゅう)にとどまらず、思想史の分野の世界的権威になりましたね。深層心理学の父カール・グスタフ・ユングなどが中心的メンバーになっていたエラノス会議にも招かれ、ユング一門や、宗教学のミルチャ・エリアーデ、神話学のカール・ケレーニイなど、ヨーロッパの錚々(そうそう)たる知識人たちと交流していたようです。

佐藤●井筒俊彦は天才ですよ。

関岡●慶應の東洋史学科にはアラビア史専攻の前嶋信次(まえじましんじ)もいましたが、井筒俊彦も前嶋信次も慶應が生んだのではなく、東亜経済調査会(ママ)の「大川塾」に育てられたんですよ。竹内好(たけうちよしみ/中国文学者、文芸評論家)も指摘していますが、大川周明の隠れた偉大な功績は、日本のイスラーム研究の先駆者として学問的な礎(いしずえ)を築いたことです。戦後、巣鴨(すがも)プリズンで『コーラン』を邦訳したことが有名ですが、『復興亜細亜の諸問題』や『回教概論』(慶應書房、1942年)を発表したのは戦前ですよね。

 大川周明がA級戦犯とされたのは日本に理論的指導者が見当らず、大川の著作が英訳されていたためアメリカ当局が目をつけた。ただそれだけの話である。どのような時代であろうと優れた人物がいる事実に驚かされる。

アメリカの日本改造計画―マスコミが書けない「日米論」 (East Press Nonfiction #006)日米開戦の真実 大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く大川周明の大アジア主義

「年次改革要望書」という名の内政干渉/『拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる』関岡英之
シオニズムと民族主義/『なるほどそうだったのか!! パレスチナとイスラエル』高橋和夫

2014-05-06

グローバリズムの目的は脱領土的な覇権の確立/『超マクロ展望 世界経済の真実』水野和夫、萱野稔人


水野●その価格決定権を(※OPECから)アメリカが取り返そうとして1983年にできたのが、WTI(ウエスト・テキサス・インターミディエート)先物市場ですね。
 石油の先物市場をつくるということは、石油を金融商品化するということです。いったんOPECのもとへと政治的に移った価格決定権を、石油を金融商品化することで取り返そうとしたんですね。

萱野●まさにそうですね。
 60年代までは石油メジャーが油田の採掘も石油の価格も仕切っていた。これは要するに帝国主義の名残(なごり)ということです。世界資本主義の中心国が周辺部に植民地をつくり、土地を囲い込むことによって、資源や市場、労働力を手に入れる。こうした帝国主義の延長線上に石油メジャーによる支配があった。その支配のもとで先進国はずっと経済成長してきたわけです。
 しかし、こうした帝国主義の支配も、50年代、60年代における脱植民地化の運動や、それにつづく資源ナショナリズムの高揚で、しだいに崩れていきます。そして、石油についてもOPECが発言力や価格決定力をもつようになってしまう。当然、アメリカをはじめとする先進国側はそれに反撃をします。ポイントはそのやり方ですね。つまり石油を金融商品化して、国債石油市場を整備してしまう。それによって石油を戦略物資から市況商品に変えてしまうんです。

【『超マクロ展望 世界経済の真実』水野和夫、萱野稔人〈かやの・としひと〉(集英社新書、2010年)以下同】

 昨今の世界経済危機は資本主義の転換点であるという主旨を様々な角度から検証している。年長者である水野が終始控え目で実に礼儀正しく、萱野を上手く引き立てている。萱野は哲学者だけあって経済の本質を鋭く捉えている。

 先物取引の大きな目的はリスクヘッジにある。

 例えばある商社が、米国から大豆10,000トンを輸入する。米国で買い付け、船で日本に到着するまでに1箇月かかるとする。1箇月の間に大豆の販売価格が仮に1kgあたり10円下がったとすると、商社は1億円の損失を出すことになる。そのため、商社は必ず買付けと同時に、商品先物取引を利用して10,000トン分の大豆を売契約し、利益額を確定する。 値下がりすれば先物で利益が出るので、現物の損失と相殺することが出来る。値上がりの場合は利益を放棄することとなるが、商社の利益は価格変動の激しい相場商品を安全に取引することにある。また、生産者も植えつけ前に先物市場において採算価格で販売契約し、販売価格を生産前に決めることで、収穫時の投機的な値上がり益の可能性を放棄する代わりに適切な利益を確保し、収穫時の価格下落(採算割れ)を気にせずに安心して計画的に生産することが出来る。

Wikipedia

 これが基本的な考え方だ。ところが恣意的な価格決定のためにマーケットがつくられたとすれば、マーケット価格が現物に対するリスクと化すのだ。その上インターネットによって瞬時の取引が可能となり、異なるマーケット同士が連鎖性を帯びている。このため金融危機はいつどこで起こってもおかしくない状況となっている。

水野●驚くことに、アメリカのWTI先物市場にしても、ロンドンのICEフューチャーズ・ヨーロッパ(旧国債石油取引所)にしても、そこで取引されている石油の生産量は世界全体の1~2%ぐらいです。にもかかわらず、それが世界の原油価格を決めてしまうんですね。

萱野●そうなんですよね。世界全体の1日あたりの石油生産量は、2000年代前半の時点でだいたい7500万バレルです。これに対して、ニューヨークやロンドンの先物市場で取引される1日あたりの生産量は、せいぜい1000万バレルです。

水野●1.5%もありませんね。

萱野●ところが先物取引というのは相対取引で何度もやりとりしますから、取引量だけでみると1億バレル以上になる。その取引量によって国際的な価格決定をしてしまう。価格という点からみると、石油は完全に領土主権のもとから離れ、市場メカニズムのもとに置かれるようになったことがわかりますね。

 しかも10~20倍のレバレッジが効いている。金融市場に出回る投機マネーは世界のGDP総計の4倍といわれてきたが、世界各国の通貨安競争を経た現在ではもっと増えていることだろう。もともと交換手段に過ぎなかったマネーが膨張に次ぐ膨張を繰り返し、今度は実体経済に襲いかかる。プールの水が増えすぎて足が届かなくなっているような状態だ。投機マネーとは「取り敢えず今直ぐ必要ではないカネ」の異名だ。

 マネーサプライが増加しているにもかかわらずインフレを示すのは株価と不動産価格だけで経済全体の底上げにつながっていない。

萱野●要するに、イラク戦争というのは、イラクにある石油利権を植民地主義敵に囲い込むための戦争だったのではなく、ドルを基軸としてまわっている国際石油市場のルールを守るための戦争だったんですね。これはひじょうに重要なポイントです。

 本書以外でも広く指摘されている事実だが、フセイン大統領は石油の決済をドルからユーロに代えることを決定し、国連からも承認された。これをアメリカが指をくわえて見過ごせば、ドル基軸通貨体制が大きく揺らぐ。つまり人命よりもシステムの方が重い、というのがアメリカの政治原理なのだ。

萱野●先進国にとっての戦争が、ある領土の支配権を獲得するためのものではなくなり、脱領土的なシステムを防衛するためのものとなったのです。領土、ではなく、抽象的なシステムによって自らの利益を守ることに、軍事力の目的が変わっていったのです。
 かつての植民地支配では、その土地の領土主権は認められていませんでしたよね。それは完全に宗主国のコントロールのもとにあった。それが現在では、領土主権は一応その土地にあるものとして認められたうえで、しかし、その領土主権を無化してしまうような国際経済のルールをつうじて、覇権国の利益が維持されるのです。
 これは、経済覇権のあり方が脱植民地化のプロセスをつうじて大きく変化したということをあらわしています。いまや経済覇権は領土の支配をつうじてなされるのではありません。領土の支配を必要としない脱領土的なシステムをつうじてなされるのです。

 卓見だ。更に「脱領土的な覇権の確立、これがおそらくグローバル化のひとつの意味なのです」とも。本書の次に『日本はニッポン! 金融グローバリズム以後の世界』藤井厳喜、渡邉哲也:ケンブリッジ・フォーキャスト・グループ編(総和社、2010年)を読むと更に理解が深まる。グローバリズムの本質と惨禍については『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クラインが詳しい。またアメリカが安全保障上の観点から通貨戦争に備えている事実はジェームズ・リカーズが書いている。

超マクロ展望 世界経済の真実 (集英社新書)日本はニッポン! 金融グローバリズム以後の世界通貨戦争 崩壊への最悪シナリオが動き出した!

大英帝国の没落と金本位制/『新・マネー敗戦 ――ドル暴落後の日本』岩本沙弓

クリシュナムルティ『暴力からの解放』

2014-05-05

気は電気?/『気功革命 癒す力を呼び覚ます』盛鶴延


 気とはつまり命のことです。だからそれはさまざまな表われ方をします。寿命の長い人、短い人、気の強い人、弱い人、病気になる人、ならない人、いい人生を送る人、そうでない人、人の生き方はまったく個人によってさまざまです。そのさまざまのことの中に、すべて気が関係しているのだとしたらどうでしょうか。運のいい人、悪い人、そういうことの中にも気は関係しています。

【『気功革命 癒す力を呼び覚ます』盛鶴延〈セイ・カクエン〉(太田出版社、1996年/コスモスライブラリー、2004年)】

「気功の源流は、陰陽五行思想、古代医術やシャーマニズム、中国武術、導引や按摩など民間の養生法、仏教道教などの宗教の修行法など多岐にわたる」(Wikipdia)。いくらなんでも仏教はないと思う。そもそも瞑想=仏教ではない。ヨーガが仏教と結びつき瑜伽行唯識派(ゆがぎょうゆいしきは)を生んだ。瑜伽(ゆが)はヨーガの音訳である。その流れが気功へ混入した可能性はある。

 思想的にはやはり道教と親和性が高いと思われる。太極図が巧みに気を描いている。


 スポーツの試合などで気合いを入れる場面がよくある。私は昔から日常生活でも気魄を込めることが多い。気とは生命の基本的なエネルギー――あるいは無意識――の方向性(上下)を示したものと考えてよいだろう。

 自動車の運転をしていて急ブレーキをかけた時、実は「見える」前にブレーキペダルを踏んでいることが認知心理学の実験で判明している。「虫の知らせ」も気の働きであろう。英語にすれば「sixth sense」(第六感)だ。

 ヒトは言葉をつくり、言葉に頼り、そして言葉に支配されてしまった。言葉とは意識そのものである。言葉はまたコミュニケーションの道具でありながら、コミュニケーションを阻害する武器にもなっている。我々がスポーツ観戦に昂奮を覚えるのは、言葉以前のコミュニケーションが喚起されるためではないだろうか。好調な選手は何も考えない。一旦スランプに陥ると言葉の罠に絡め取られる。原因・理由・打開策はすべて言語化されたものだ。

 遺伝情報の目的が種の保存にあるならば動物はもとより昆虫や植物にもコミュニケーションの方法があるに違いない。シェルドレイクの仮説は気に通じる。ま、論より証拠だ。犬の不思議な能力をご覧あれ。

気配の正体

 気配の正体が電磁波であるとすれば、「気は電気」ということになる(笑)。

 昔からの教えに「煉精化気(れんせいかき)、煉気化神(れんきかしん)、煉神還虚(れんしんかんきょ)」という言葉があります。精を練って気に変え、気を練って神に変え、神を練って虚に帰るという教えです。虚というのは虚しいという意味ではなく、自分よりもっと大きな存在の知恵という意味です。

 私は48歳の時、生まれて初めて肩凝りとなった。スーツの上着に左腕を通そうとしたところ激痛が走った。ま、それから1週間で治したのだが、以来肩凝り防止委員会の一人として日夜研究を行っている。本書で紹介されていた「セイシュ」は今でも時々実践している。

盛鶴延ホームページ

 テレビや動画を見ながら行うとよい。コツは肩甲骨を意識することだ。肩甲骨は翼の名残りである。そう思うと何となく羽ばたくような気分になってくるから不思議だ。

 気功の入門書としては本書が一冊あれば十分だ。

気功革命―癒す力を呼び覚ます

気功革命・治癒力編―気功・按摩・薬膳・陰陽バランスを使って病気を治す・パワーを溜める気功革命 秘伝・伝授編〈巻の1〉気を知る (正しく気功革命に入門するためのDVDブックシリーズ)気功革命 秘伝・伝授編〈巻の2〉功に成る (正しく気功革命に入門するためのDVDブックシリーズ 2)あなたの帰りがわかる犬―人間とペットを結ぶ不思議な力

電気を知る/『バーニング・ワイヤー』ジェフリー・ディーヴァー

2014-05-04

合理性と再現可能性/『科学の方法』中谷宇吉郎


 ここで、信用するということは、どういうことか、はっきりさせておく必要がある。ある人が、ある問題について得た知識が、今までわれわれの知っていたほかの知識に当てはめてみた時に、従来の認識との間に、矛盾がないとする。矛盾がなければ、いかにもそれはそうであろうと信用することができる。科学の世界にも、信用という言葉があるが、これは道徳の方でいう信用とはちがう。互いの知識の間に矛盾がないという意味である。一番分りやすい例は、科学の方でよく調べられている希土元素である。めったにない元素、プロメチウムとかホルミウムとか、聞いたこともない名前の元素が、元素の周期表の中には、たくさん出ている。これらはみな実際にあるものと、誰でも思っているが、おそらくああいうものを専門にやっている人は、世界中にごく少数しかいない。特殊の例外を除いては、世界中を捜しても、あんなものを見た人は誰もいないであろう。たいていの希土元素は、めったに見られないものである。このごろの超ウラン元素などになると、原子の数にして何十とか何百とかいうものが、分離されただけというものもある。そんなものは、誰も見た人がいない。しかしその存在は信じられている。見たこともないものを、なぜ皆が信ずるかというと、そういうものから得た知識が、今までにわれわれがもっていたほかの知識に、矛盾なくうまく当てはまるからである。

【『科学の方法』中谷宇吉郎〈なかや・うきちろう〉(岩波新書、1958年)以下同】

 中谷宇吉郎の名前は知らなくても「雪は天から送られた手紙である」(『』)という言葉に聞き覚えのある人は多いことだろう。雪の結晶を研究したことでも知られる。


 合理性と再現可能性が科学の命である。では合理性とは何ぞや? それは「矛盾がない」ことだ。ただし中谷は「正しい」とは一言もいっていない。これが重要だ。つまり合理性とは整合性であって正当性を意味しない。

 この点をもっとはっきりさせるために、幽霊の問題を取り上げてみよう。幽霊は科学の対象になるか、といえば、誰でも一言の下に、否というであろう。そして現在の科学では、幽霊は対象として取り上げられていない。しかし昔は大勢の人たちが、幽霊を見たといっているし、またそういう記録もたくさんある。もっとも心霊論者は、今日でも幽霊の存在を信じていて、いろいろとその証拠を出している。昔の人はおそらくほとんどの人が、幽霊は存在するものと信じていたであろう。それでは多くの人が幽霊を見たからという理由で、これは再現可能であるといえるか。少なくも(ママ)その時代としては、科学の対象となり得たものであったかというと、それはなり得なかったものである。ということは、今までいってきたように、再現可能というのは、必要な場合に、必要な手段をとったならば、再びそれを出現させることができるという確信が得られることなのである。幽霊はそれを再現させる方法について、確信が得られない。希土元素のようなものは、めったに見られないし、またほとんどの人が一生見ることがないものであるが、今日の科学の示す学理に従って、こういう順序を経たならば見ることができる、という確信がもてる。

もったいない/『落語的学問のすゝめ』桂文珍
平将門の亡霊を恐れる三井物産の役員/『スピリチュアリズム』苫米地英人
霊界は「もちろんある」/『カミとヒトの解剖学』養老孟司
怨霊の祟り/『霊はあるか 科学の視点から』安斎育郎
霊は情報空間にしか存在しない/『洗脳護身術 日常からの覚醒、二十一世紀のサトリ修行と自己解放』苫米地英人
宇宙人に誘拐されたアメリカ人は400万人もいる/『本当にあった嘘のような話 「偶然の一致」のミステリーを探る』マーティン・プリマー、ブライアン・キング
神は神経経路から現れる/『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース


 幽霊は神や宇宙人に置き換え可能である。厳しく言ってしまえば死者も含まれる。存在は再現不可能であるにもかかわらず、それらを信ずる人々は強い反応を示す。情報空間における錯誤といってよい。映画や小説に対する反応と同じだ。

 もっと科学的に見つめてみよう。我々は人生において人間関係に悩むことがしばしばある。四苦八苦のひとつに怨憎会苦(おんぞうえく)がある。恨んだり憎んだりする人との出会いを避けることができない苦しみを示したものだ。ま、本当は「受け入れらない自分」の問題なのだが、怨憎会苦を感じる現実が存在する。例えば学校や職場でいじめられた過去があったとしよう。卒業しても転職しても憎悪が簡単に消えることはないだろう。やがて10年が経った。そして、いじめた相手が5年前に交通事故で死亡していたことが判明する。

 もっと期間を短くしても一緒である。今日、顧客から常軌を逸したクレームを受けたとする。帰宅し、一杯引っ掛けながら「あの野郎……」と思っている瞬間は相手が再現可能であるかどうか(生きているか死んでいるか)わからないのだ。つまり人間関係の悩みは妄想であることが理解できよう。

 そう考えると事実の上で瞬間瞬間更新されているのがわかるのは自分のことだけだ。デカルトは17世紀に「我思う故に我あり」と主張して、根本原理を神から人間の世界へと引き下ろした(『日本仏教史 思想史としてのアプローチ』末木文美士)。しかしデカルトは想念を覆う煩悩まで掘り下げることはなかったし、まして唯識に辿り着くこともなかった。

 合理性だけでは必ず行き詰まる。企業の合理化を見れば明らかだろう。科学的合理性は多種多様な兵器を製造してきた。経済的な合理性は貧富の差を拡大した。ここに欠けているのは道理である。「己の欲せざる所は人に施す勿れ」(『論語』孔子)の精神を世界に行き渡らせる必要がある。欧米のエゴイズムは神との直線的な関係から生まれて他人を蔑ろにする。

 科学とは因果関係を事実に基いて見つめる行為である。宗教は事実のない因果関係を物語化する。

科学の方法 (岩波新書 青版 313)