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2017-08-05

池田大作の実像/『杉田』杉田かおる


『幸福の科学との訣別 私の父は大川隆法だった』宏洋
『カルト村で生まれました。』高田かや
『洗脳の楽園 ヤマギシ会という悲劇』米本和広
『カルトの子 心を盗まれた家族』米本和広
『ドアの向こうのカルト 九歳から三五歳まで過ごしたエホバの証人の記録』佐藤典雅

 ・池田大作の実像

『小説 聖教新聞 内部告発実録ノベル』グループS
『乱脈経理 創価学会 VS. 国税庁の暗闘ドキュメント』矢野絢也

『月の砂漠』(ママ/正しくは『月の沙漠』)以来、身近で接することはあったが、いつも緊張していて、わたしは一言も話すことができなかった。そもそもこちらから声をかけるなど、とんでもなく畏れ多いこと、彼こそは雲の上の人であった。
 食事が始まった。その席上、最高指導者が、「男はうそつきだから気をつけろ」とか「先々代の最高指導者は金儲けが下手だった」とか、あまりにも俗っぽい話題を出すので、わたしは自分の耳を疑った。何かの間違いだろうとまで思った。
 が、そんな疑問など吹っ飛ぶような出来事が続いて起こった。デザートにメロンが出たのである。一皿に半月形に切ったメロンが載っていた。なんの変哲(へんてつ)もないメロンだと思って見ていた。すると、最高指導者がいった。
「このメロンは天皇陛下と私しか食べられない」
 はあ? という目でわたしはメロンを見た。そんなに貴重なメロンなんだ。と、彼はそのメロンをひとさじすくいとって口に含んだ。そして、「みんなにも食べさせてあげたい」といった。わたしは、同じメロンがみんなの前にも出てくるものと期待し、貴重なメロンをみんなと分かち合おういう彼の思いやりに心が動かされた。
 ところが、彼はその食べかけのメロンを隣の席の人に渡した。うやうやしく受け取った人は、同じスプーンで同じようにすくって口に入れた。そしてまた隣の人へ。スプーンをしゃぶるようにする中年の幹部もいた。
 悪夢のようだった。最高指導者にすれば、善意かもしれないが、わたしにはただ気持ち悪さが背筋を走った。その順番がわたしにも近づいてくる。どうしよう、どうしよう。動揺が顔に出てしまったらしい。隣の女性がわたしを睨(にら)みつけた。そうこうするうちに、ついにわたしのところへ恐怖のメロンが来た。もうほとんど食べつくされて、更には果汁がどろんとよどんでいた。
 わたしは覚悟を決めて、皮に近いところを少しだけすくった。ところが、スプーンがすべって、ほんのすこしのつもりが、結構な量がすくえてしまった。うまくいかないものだ。周囲は注目している。わたしは目をつぶって、味わわないように素早く飲み込んだ。
 お下げ渡しと称して、こんなばかげた不潔なことをさせるのが、最高指導者なのか。わたしの中で少しずつ不信感が芽生えていく。

【『杉田』杉田かおる(小学館、2005年)】

 過去に「『月の砂漠』(ママ)を歌いなさい」「ヘタクソだねえ。もう一度歌いなさい」というやり取りがあった。池田大作に心酔していた杉田は「それでも嬉しかった」と振り返る。

 私の世代だと杉田かおるはチー坊役で知られる。


 その後『3年B組金八先生』、『池中玄太80キロ』とキャリアを積み上げ、歌(「鳥の詩」)もヒットした。ヘアヌード写真集でも話題をさらった。2000年からはバラエティ番組にもよく登場した。傍(はた)から見ると順風満帆の人生だが実生活は異なっていた。

 ネット上では創価学会告発本として取り上げられることが多い著作だが驚くほど面白かった。詐欺を繰り返す父親との愛憎、精神を病んだ母親との確執。創価学会で一級の活動家となったものの、池田大作の実像に幻滅し脱会するに至る。そして24時間100kmマラソンでは奇しくも「自分の過去そのもの」と言ってよいコースを走る。

 誤読しやすいと思われるが創価学会批判に目的があるわけではなく、ただ忠実に自らの体験を書いている。『杉田』とのタイトルは父親の姓で既に戸籍も変えたという。中年に差し掛かった女性が過去への訣別を綴る。あけすけ過ぎてやや病的に思えるほどだが嘘の臭いはない。結婚という幸せに向かって本書は結ばれているがその後破局している。

 日蓮の遺文に「一代の肝心は法華経、法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり。不軽菩薩の人を敬ひしはいかなる事ぞ。教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞ひにて候けるぞ。穴賢穴賢。賢きを人と云ひ、はかなきを畜といふ」(「崇峻天皇御書」建治3(1277)年9月11日、真蹟曽存)とある。食べかけのメロンを下げ渡す振る舞いに「賢さ」はない。

 佐藤典雅著『ドアの向こうのカルト 九歳から三五歳まで過ごしたエホバの証人の記録』と併読すれば直ちにわかるが、姿勢としては杉田かおるの方が上だ。佐藤は被害者の立場に甘んじているが、杉田は自分の選択に責任を持っている。

 しかしながら、やはりエホバ信者には佐藤本が受け入れらないだろうし、創価学会員なら杉田本を拒絶することだろう。信仰は事実を歪める。もしも事実を認めれば別のフィクション(物語)が必要となる。

 尚、別の書籍によれば池田は北條浩第四代会長に対し、唐辛子で真っ赤にした蕎麦を「食べよ」と命じたエピソードもある。弟子の忠誠心を試すのは疑心暗鬼によるものか。

 それでも尚、数百万人もの信者が池田を敬愛している事実を軽んじてはならないだろう。創価学会が日本最大のマンモス教団となり得たのは「下位集団の社会化」に成功したためであろう。

2017-05-31

信じることと騙されること/『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』内山節


『巷の神々』(『石原愼太郎の思想と行為 5 新宗教の黎明』)石原慎太郎
『対話 人間の原点』小谷喜美、石原慎太郎

 ・信じることと騙されること

『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」が生まれたとき』山極寿一、小原克博
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ

 山村に滞在していると、かつてはキツネにだまされたという話をよく聞いた。それはあまりにもたくさんあって、ありふれた話といってよいほどであった。キツネだけではない。タヌキにも、ムジナにも、イタチにさえ人間たちはだまされていた。そういう話がたえず発生していたのである。
 ところがよく聞いてみると、それはいずれも1965年(昭和40年)以前の話だった。1965年以降は、あれほどあったキツネにだまされたという話が、日本の社会から発生しなくなってしまうのである。それも全国ほぼ一斉に、である。

【『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』内山節〈うちやま・たかし〉(講談社現代新書、2007年)以下同】

 目の付けどころが素晴らしい。やはり現実を鋭く見据える眼差しに学問の出発点があるのだろう。私は道産子だが、歴史の浅い北海道ですら狐憑(つ)きの話は聞いたことがある。

 結局、東京オリンピック(1964年10月10日~24日)が日本社会を一変させたのだろう。ともすると経済的発展のみが注目されがちだが宗教性や精神性まで変わったという指摘は瞠目に値する。

 ただし内山節が試みるのは科学的検証ではない。

 私が知っているのは、かつて日本の人々はあたり前のようにキツネにだまされながら暮らしていた、あるいはそういう暮らしが自然と人間の関係のなかにあったという山のように多くの物語が存在した、という事実だけである。

 つまり「キツネは人を騙(だま)す動物である」という共通認識のもとで、「騙された」という話を共有できる情報空間がかつて存在したのだ。

 内山はコミュニケーションの変化を指摘する。1960年代にテレビが普及したことで口語体に変化が現れた。言葉は映像を補完するものとして格下げされた。また映像が視聴者から想像力を奪った。そして時差も消えた。

 人から人に伝えられる場合、情報には脚色が施される。事実よりも物語性に重きが置かれる。

 さらに電話の普及は、人間どうしのコミュニケーションから表情のもっていた役割をなくさせ、用件のみを伝えるというコミュニケーション作法をひろげていった。
 同時に1960年代に入ると、自然からの情報を読むという行為も衰退しはじめたのである。

 隔世の感がある。電話で長話・無駄話をするようになったのはバブル景気(1986~1991年)の頃からだろう。

公共の空間に土足のままで入り込む携帯電話/『仏の顔もサンドバッグ』小田嶋隆

 そしてバブル景気と歩調を合わせるようにファクシミリポケットベル携帯電話が普及する。

 文明の利器(←もはや死語)は人類から「語り」という文化を奪ったのだろう。古来、ヒトは焚き火や炉を囲んで先祖伝来の物語を伝え、コミュニケーションを図った。現在辛うじて残っているのは日本の炬燵(こたつ)くらいのものだが、エアコンやファンヒーターを併用しているため寄り添う気持ちが弱まる。

 では本題に入ろう。

 幕末から明治時代に新しく生まれた宗教は、ある日一人の人間が神がかりをし、神の意志を伝えるかたちで誕生したものが多い。たとえば大本教(おおもときょう)をみれば、出口なお(※1837-1918年)が神がかりしてはじまる。その出口なおは以前から地域社会で一目おかれていた人ではない。貧しく、苦労の多い、学問もない、その意味で社会の底辺で生きていた人である。その【なお】が神がかりし、「訳のわからないこと」を言いはじめる。このとき周りの人々が、「あのばあさんも気がふれた」で終りにしていたら、大本教は生まれなかった。状況をみるかぎり、それでもよかったはずなのである。ところが神がかりをして語りつづける言葉に、「真理」を感じた人たちがいた。その人たちが、【なお】を教祖とした結びつきをもちはじめる。そこに大本教の母体が芽生えた。
 この場合、大本教を開いた人は出口なおであるのか、それとも【なお】の言葉に「真理」を感じた人の方だったのか。
 必要だったのは両者の共鳴だろう。とすると、「真理」を感じた人たちは、なぜ【なお】の言葉に「真理」を感じとったのか。私は「真理」を感じた人たちの気持のなかに、すでに【なお】と共通するものが潜んでいたからだと思う。自分のなかにも同じような気持があった。しかしそれは言葉にはならない気持だった。表現形態をもたない気持。わかりやすくいえば無意識的な意識だった。そこに【なお】の言葉が共鳴したとき、人々のなかから、【なお】は気がふれたのではなく「真理」を語っていると思う人が現われた。教祖は無意識的な意識に、それを表現しうる言葉を与えたのである。
 この関係は、古くからある宗教でも変わりはないと私は考えている。他者のなかにある無意識的な意識との共鳴が生まれなければ、どれほど深い教義の伝達があったとしても、大きな宗教的動きには転じない。

 内山節は哲学者である。視点が宗教学者よりも一段高く、宗教を社会現象として捉えている。

 よく考えてみよう。これは宗教現象に限ったことであろうか? そうではあるまい。政治にせよ経済にせよ、はたまた科学に至るまで共鳴と流行が見られる。無神論者のアインシュタインでさえ宇宙の大きさは静止した定常状態であると思い込んでいた。脳は情報に束縛されるのだ。それが悟りであろうと神懸(がか)りであろうと脳内情報であることに変わりはない。前世の物語も現在の脳から生まれる。

 国民国家の時代における戦争と平和もひとえに国民の共鳴が織り成す状態と考えられよう。企業の繁栄も社員や消費者の共鳴に支えられている。技術革新がそのままヒット商品になるかといえばそうではない。かつてソニーが開発したベータマックスはソフト(実態としてはエロビデオ)が貧弱であったために普及しなかった。

 我々が「正しい」とか「確かにそうだ」と感じる根拠は理性よりも感情に基づいているような気がする。つまり脳の揺れ(共鳴)が心地よいかどうかで判断しているのだろう。歴史が進化するなどというのは共産主義者の戯言(たわごと)だ。

 内山の達観には敬意を表するが文系の限界をも露呈している。ここまで気づいていながらネットワーク科学~複雑系科学に踏み込んでいない物足りなさがある。

『複雑な世界、単純な法則 ネットワーク科学の最前線』マーク・ブキャナン
『急に売れ始めるにはワケがある ネットワーク理論が明らかにする口コミの法則』マルコム・グラッドウェル
『新ネットワーク思考 世界のしくみを読み解く』アルバート=ラズロ・バラバシ
『歴史は「べき乗則」で動く 種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学』マーク・ブキャナン
『複雑で単純な世界 不確実なできごとを複雑系で予測する』ニール・ジョンソン

 更にここから意識(心脳問題)や認知科学行動経済学を視野に入れなければ読書量が足りないと言わざるを得ない。

 もう一歩思索してみよう。人々は何に対して共鳴するのだろうか? それはスタイル(文体)である。

歴史とは「文体(スタイル)の積畳である」/『漢字がつくった東アジア』石川九楊

 仏典も聖書も大衆が魅了されるのは論理性ではなく文体(スタイル)であろう。ここが重要だ。そして受け入れらたスタイルは様式となりエートス(気風)に至る。「マックス・ヴェーバーはかくいった。宗教とは何か、それは『エトス(Ethos)』のことであると。エトスというのは簡単に訳すと『行動様式』。つまり、行動のパターンである」(『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹)。

 信じるから騙される。もっと言ってしまおう。信じることは騙されることでもある。言葉という虚構(フィクション)で共同体を維持するためには物語(フィクション)が必要になる(『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ)。神話を信じることは神話に騙されることを意味する。神話を疑う者はコミュニティから弾(はじ)き出される。

 我々だって大差はない。小説、演劇、ドラマ、映画、漫画、歌詞、絵画に至るまで散々フィクションを楽しんでいるではないか。そう。俺たち騙されるのが好きなんだよ(笑)。

2017-05-29

悟り四部作/『人類の知的遺産 53 ラーマクリシュナ』奈良康明


『ローリング・サンダー メディスン・パワーの探究』ダグ・ボイド

 ・悟り四部作

・『インドの光 聖ラーマクリシュナの生涯』田中嫺玉
『あるヨギの自叙伝』パラマハンサ・ヨガナンダ
『クリシュナムルティの神秘体験』J・クリシュナムルティ

悟りとは

 しかるにラーマクリシュナの(※エクスタシー)体験は、1回2回というものではない。しばしば脱我の域に没入し、そのまま数時間、ときには旬日にわたることもあった。医者の診断によると、脈拍も心臓の鼓動も感ぜられなかったという。その状態を無分別三昧というのであるが、あるときはほとんど6ヵ月のあいだ、間断なくそのままで居つづけたともいわれる。

【月報第57号/「ラーマクリシュナの神秘性を廻って」玉城康四郎〈たましろ・こうしろう〉】

 私が読んできた限りでは冒頭リンク(田中嫺玉〈たなか・かんぎょく〉を除く)が「悟り四部作」といってよい。これらを古典と位置づけた上で最近刊行されている預流果(よるか)本を開くと理解が一層深まる。共通項は「インド」である。厳密に言えばローリング・サンダーはインド人ではないがアメリカ先住民が「インディアン」と呼ばれた不思議を思わずにはいられない。

 玉城康四郎は仏教学者だがクリシュナムルティに関する論文がある。で、クリシュナムルティの著作を翻訳している藤仲孝司〈ふじなか・たかし〉が批判している。

クリシュナムルティと仏教の交照 玉城康四郎氏の誤読を正す

 私の興味は飽くまでも悟りにあり宗教学なんぞどうでもいい。まして悟っていない外野同士が争うことに意味は見出せない。宗教が民族形成の原動力であることは確かだろうが、近代以降は科学や経済が宗教のポジションに格上げされた。21世紀となってからは原理主義という姿で辛うじて形骸を残している。そう考えると最後の宗教はイスラム教といってよい。

 宗教体験が純正であるかどうか。これは、一つには、その人の日常生活の中に見られる思想や行為から知るほかはない。神秘体験はあくまでも情動的で、その人の内面の精神の問題である。論理、知性の世界の出来事ではない。論証して正しさを証明するものではないのである。ただ、彼は自己のうちに絶対なる何ものかを見、否応(いやおう)なしに自分はそれと一なる存在であることを、今や、知っている。おのずと人格や生活行為の中に、それなりの宗教的自覚と境涯が表出されてくるのは当然なのであって、そこにこそ彼の宗教性の深さが験(ため)されることとなる。
 体験の純正さの証(あかし)としてもう一つ重要なことは、古来よりの宗教伝承を本質面において受け継いでいるか否かということである。自覚的に体験された真実が、師匠に伝えられてきた内容と同じであると師匠が判断すれば問題ないわけで、つまり、仏教流にいえば、師資相承と印可証明の問題である。
 この点、ラーマクリシュナは特定の師匠というべき人をもっていない。特に学校とか僧院で宗教的訓練を受けたわけでもない。19世紀の西ベンガル地方の一農村に貧しいバラモンの息子として生まれ、学校教育もろくに受けていない。しかし、特異な宗教的資質に恵まれ、少年時代から素朴な宗教体験をもっている。20歳頃から自分の信ずるカーリー女神を、「大実母」(マー)と呼び、ちょうど、子供が母親に甘え、すがっていくように、ひたすらな信愛(バクティ)を捧げてマーを見たいと願っていた。その結果、遂に目のあたりに女神の姿を見て、いわゆる見神体験をもった人である。

【『人類の知的遺産 53 ラーマクリシュナ』奈良康明〈なら・やすあき〉(講談社、1983年)】

 智ギ(天台大師)の弟子である章安の言葉に「自解仏乗」(じげぶつじょう)とある。23歳で法華三昧の中で悟りを開いた智ギの徳を称(たた)えたものだ。


 ラーマクリシュナは天衣無縫の人であった。数少ない写真からは全く構えることのない姿が窺える。

 奈良の指摘はもっともであるが常識の範疇(はんちゅう)を出ていない。社会的価値はクルクルと移り変わる。戦前までは見合い結婚が主流であった。私が子供の自分は教師が体罰を下すことは珍しくはなかった。戦争や事件、あるいは技術革新や経済的発展によって価値観はガラリと変わる。悟りという状態が非日常であれば、それを非常識と言い換えてもよかろう。常識で測るのは無理がある。

 悟りを考える上でぶつかるのが人格神の問題である。クリシュナムルティも最初の覚醒の時には神と邂逅(かいこう)している。当てずっぽうで言ってしまえばヒンドゥー教の影響だと思う。情報としてのヒンドゥー教文化が真理を化身化するのではないだろうか。私は人格神を重んじないのでどうしてもラーマクリシュナやヨガナンダに肩入れできない。

人類の知的遺産〈53〉ラーマクリシュナ
奈良 康明
講談社
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2017-05-17

大衆運動という接点/『折伏 創価学会の思想と行動』鶴見俊輔、森秀人、柳田邦夫、しまねきよし


『巷の神々』(『石原愼太郎の思想と行為 5 新宗教の黎明』)石原慎太郎
『対話 人間の原点』小谷喜美、石原慎太郎

 ・恵まれた地位につく者すべてに定数がある
 ・大衆運動という接点

『仮面を剥ぐ 文闘への招待』竹中労
『黒い手帖 創価学会「日本占領計画」の全記録』矢野絢也
『「黒い手帖」裁判全記録』矢野絢也
『乱脈経理 創価学会 VS. 国税庁の暗闘ドキュメント』矢野絢也

 学会の用いる折伏は、単なる説得ではない。一個の人格を社会的、経済的、心理的諸要素、それも主として弱点から攻撃し、批判し、いわば逆さにふって血も出ないところまで追いつめる激しさと執拗さをもっている。背後には確固とした対話の技術を準備している。
 このことは、伝統的に対話の習慣に馴れていない、“ものいわぬ”日本の民衆を、驚愕させ、呆れさせ、果ては反発させる。人生の途上に現れた異質の体験なのだ。(柳田邦夫)

【『折伏 創価学会の思想と行動』鶴見俊輔、森秀人、柳田邦夫、しまねきよし(産報ノンフィクション、1963年4月15日)以下同】

 古い書籍で――因みに私が生まれる3ヶ月前に刊行されている――創価学会員ですら読んでいる者が少ない。少し前まで入手困難であったため地元図書館にリクエストを申請し取り寄せてもらった。

 書き手の中心にいる鶴見俊輔(1922-2015年)は谷沢永一が「『ソ連はすべて善、日本はすべて悪』の扇動者(デマゴーグ)」と批判した(『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』)進歩的文化人の一人だ。

「鶴見氏は一九三七年に、一五歳でアメリカに留学して都留氏に出会って以来、『世界史の中の日本の動きについて、この七○年、時代の区切り目ごとに、私は都留重人から示唆を得てきた』」(季刊誌『考える人』二○○六年夏号)との文章を今見つけた。都留重人(1912-2006年)の妻は木戸幸一(1889-1977年)の姪(めい)で、木戸の戦争責任を回避するために暗躍したマルクス主義者である。

伊原吉之助教授の読書室:木戸幸一の保身

 上記論文で挙げられた書籍を私は一通り読んだ。確証を欠くのは確かだが状況証拠は揃っているように思われる。

 日本の近代史が今尚モヤモヤとしているのは左翼が果たした役割がまだ明らかになっていないためだ。GHQ内部の左翼は大半がニューディーラーであった。そもそもフランクリン・ルーズベルト(1882-1945年)大統領がソ連建国にエールを送り、スターリン(1878-1953年)と親しい間柄であった。ルーズベルトの周辺はコミンテルンのスパイだらけで、日本を戦争に追い込んだハル・ノートを起草したハリー・デクスター・ホワイト(1892-1948年)もその一人である。第二次世界大戦は左翼スパイが世界各国で暗躍した事実を忘れてはならない。

ルーズベルトの周辺には500人に及ぶ共産党員とシンパがいた/『日本の敵 グローバリズムの正体』渡部昇一、馬渕睦夫

 一方、創価学会は元々保守主義・民族主義的色彩が強かった。


 牧口常三郎(初代会長/1871-1944年)と戸田城聖(二代会長/1900-1958年)は大日本皇道立教会(1911年創立)に参加している。上の画像の後列左端が牧口で、後列の右から二人目が児玉誉士夫(1911-1984年)である。創価学会は戦時中に治安維持法と不敬罪で弾圧されたが、決して反天皇制というわけではなく学会員の行き過ぎた折伏が招いた結果であった。

 ところが池田大作(三代会長/1928-)の時代になると左方向に大きく旋回した。平和主義・国際主義を前面に打ち出し、共産主義と全く同じ手法で組織拡張に成功した。池田は卓越したオルガナイザーであった。

グローバリズムと共産主義は同根/『国難の正体 世界最終戦争へのカウントダウン』馬渕睦夫

 本書刊行が1963年で、松本清張(1909-1992年)の仲介による創共協定(日本共産党と創価学会との合意についての協定)が結ばれるのは1974年のこと。松本清張は偶然の産物としているが、とてもそうは思えない。

 わたしはあるチンドン屋の娘を知っている。チンドン屋夫婦の子として生れ育ったかの女には大きな劣等感が渦巻いていた。頭もいいほうではない。学校にも行けなかった。貧困が家庭を破壊していたのだ。くわえてかの女は弱身で蓄膿症をはじめいくつかの病気をかかえていた。わたしはそんなかの女と、ときおりあう。かの女は女中のごとく家の中のこまごまとした仕事やチンドン屋仲間の飯づくりに多忙であったが、映画や小説が好きで暇さえあれば楽しんでいた。
 わたしがそういう映画の感想をきいても、批評はおろか感想もいえなかった。ただ読み観るというだけの話だった。強い意見があるわけでもないかの女にはそれが、他のふつうのひとたちと同様、とうぜんのことであった。
 しばらくわたしはかの女と会わないでいた。わたしはかの女の存在を忘却していた。ふつうの、平凡な、ありきたりの娘だったので、軽い同情があっても、忘れるのがあたりまえだ。ところがしばらく会わないでいると、かの女のほうから訪ねてきた。顔がいきいきとしている。さては、恋人でもできて劣等感から解放されたのかな、と思った。映画の帰りだという。そうしてペラペラと、その映画の批評をする。わたしはあっけにとられる思いでかの女をみつめた。かの女は、その映画の主人公の生き方を痛罵しているのである。わたしは愉快になって、ひとつふたつ反問すると、まえにはわたしの説明を素直にきいた娘なのにむきになって、反論して、自説を固く守る。それでいて、つっけんどんな調子はまったくなく、柔軟な口調である。わたしはますます驚いた。劣等感で口もきけなかったあの娘が、いま面前で、にこやかに微笑してい、自信をもって、映画批評をしている。ひらかれた瞳は、まっすぐにわたしの眼に注がれ、まばたきもしないのだ。
 かの女は、やがて平和であるとか、ふつうの日本人のまず口にしない言葉を平気で使いだした。使命というようなききなれぬ言葉も使った。そのときはそれでかの女は去っていった。わたしは間もなく、かの女が創価学会にすでに入会している信者であることを知った。入会前のかの女と、入会後のかの女の、その見事な変貌ぶりに、わたしはあらためて創価学会のちからを知った。まさにかの女は、ふつうの人から、信念の人に、かわったのである。
 自殺でもしなければよいが、とわたしは思っていた。そんなかの女が、見事に、自分を回復したのである。あの暗い、蔭のような存在であった日本の娘が、平和を説き、仏法を説くのである。わたしには仏法のことなど、どうでもいい、一人の日本の娘が、自分でちゃんと大地に立った、という事実が感動をあたえるのだ。(森秀人)

 これが「人間革命」の姿である。1960年代という時代背景を思えば左翼のオルグ活動と創価学会の折伏がぶつかることは珍しくなかったに違いない。例えば石牟礼道子のこんな証言がある。

石牟礼●国も行政も地域社会も担いませんから、全部引き受け直して自覚的になって、もうゆるす境地になられました。未曽有な体験をなさいましたが、もう恨まず、ゆるす。ゆるさないとおもうと、きつい。もうきつい。いっそう担い直す。人間の罪をみなすべて引き受ける。こう言われるようになったのです。これは大変なことなのです。今まで水俣にいて考えるかぎり、宗教も力を持ちませんでした。創価学会のほかは、患者さんに係わることができなかった。

【『石牟礼道子対談集 魂の言葉を紡ぐ』石牟礼道子〈いしむれ・みちこ〉(河出書房新社、2000年)】

 水俣病は1952年から1960年代にかけて被害者を出した公害病である。石牟礼は心情左翼あるいは同調者である。デビュー作『苦海浄土 わが水俣病』(講談社、1969年)が傑作であることは確かだが、石牟礼は後にフィクションを盛り込んでいることを白状している。「必読書」に入れてないのもそのためだ。チッソ株式会社が当時の法律を遵守していた事実を見失ってはならない。

 創価学会はその進軍の度合いにおいて既に左翼を凌駕していた。学会員も貧病争を克服するために必死であったのだろう。だが単なるご利益信仰ではなく、教学を通した人材育成が強靭な組織を築き上げた。左翼が親近感を抱いたのは大衆運動という接点によるものだ。

 邪教であろうとなんであろうと、創価学会のいうとおり信心すれば人間とその社会が幸福になるものならば、それはいいことだ。商人の口車にのって買った品物がよいものならばそれはそれでいい。そうして、現実に、創価学会に入って自信をもち、明るく、幸福そうになった多くの人間がいるのである。すくなくとも創価学会は、自殺王国の日本にあって、自殺者の数をできるかぎりすくなくした第一の団体であることに間違いはない。学会がファシズムにおもむくことを恐れるまえに、われわれは、われわれの喪失した人間の原理について、もう一度ふかく反省しなければならない。果してわれわれは、あの信者たち以上に生きているのであろうか。あの信者たちのように自信をもって、感動し、欲求し、行動しているのであろうか。人間としてどちらが、解放されているのであろうか。戸田城聖ではないが、勝負してみなければならぬだろう。そうして負けたと思ったら一度は創価学会に入るべきである。負けぬと思った者は、自分の考える〈創価学会〉を創るべきである。どちらでもない者は、黙って沈黙していればいい。それが自然の掟なのである。(森秀人)

 こういう視点が侮れない。知性とは事実をありのままに見つめることだ。激しい折伏は世間から反発を買い、創価学会は白い目で見られていた。実際の姿を見たとしても簡単に先入観を払拭できるものではない。学生運動は血なまぐさい暴力闘争に向かうが、創価学会には確かな明るさがあった。これほどの理解を示すところに左翼の懐の深さを感じる。

 なぜ日蓮宗(※北一輝、石原莞爾、宮沢賢治、妹尾義郎、立正佼成会、創価学会、日本山妙法寺など)だけが近代日本において、思想としての活力を保ち得たのか。その答えは、ほかの仏教諸流派とちがって、日蓮宗が、外国人であるシャカから日本人である日蓮に、崇拝の対象を移し、日本の問題を宗教的関心の中心にすえたことにある。日本をどうやって救うか、それが宗教としてのもっとも重要な問題とされた。正しい方向から政府がそれた時には、政府をいさめ正さなければならぬ。国家をいさめ正すことを宗教者の任務とし、そのことに命をかけたところに、日蓮の本領があった。そしてこれは、近代の市民の政治的権利の自覚ときわめて近しいものなのだ。(鶴見俊輔)

 私は「市民」という言葉を見掛けたら眉に唾をつけることにしている。鶴見の文章は典型的なプロパガンダで日蓮を左翼的視線で眺めているだけのことだ。森秀人の率直さが鶴見にはない。

 その後、創価学会が作った公明党が先導して日中国交回復(1972年)が実現する。池田大作の民間外交は緊張関係にあったソ連と中国をも融和させた。日本共産党がやりたくても出来なかったことを果たしたのだ。一方的な礼賛でもなく、浅はかな誹謗中傷でもなく、きちんとした評価と批判を行うべきだろう。

折伏―創価学会の思想と行動 (1963年) (産報ノンフィクション)
鶴見 俊輔
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レッドからグリーンへ/『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男

王仏冥合について/『対話 人間の原点』小谷喜美、石原慎太郎


『巷の神々』(『石原愼太郎の思想と行為 5 新宗教の黎明』)石原慎太郎

 ・王仏冥合について

『折伏 創価学会の思想と行動』鶴見俊輔、森秀人、柳田邦夫、しまねきよし
『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』内山節

石原●わたくし、先生にお目にかかかって、ひじょうに興味があるといっては失礼ですが、「ここに一人の人間がいる」という感じが強くするのです。「大丈夫」という言葉があります。りっぱな人間、確固とした人間のことをいうわけですが……。
 先生にお目にかかると、先生は女でいらっしゃるけれど、「大丈夫」がいるという気がします。それはやっぱり、さっきおっしゃいました、目に見えるものと見えないものとの和、つりあいというものを、きちっと、もっていらっしゃるみごとさだと思うんです。

【『対話 人間の原点』小谷喜美〈こたに・きみ〉、石原慎太郎(サンケイ新聞社出版局、1969年)以下同】


 小谷喜美(1901-1971年)は見るからに温和で福々しい表情をしている。霊友会の創設者は久保角太郎(1892-1944年)であるが、事実上の教祖は小谷であるといってよい。

 本書を読む限りでは小谷から宗教的英知を感じられない。そこが逆に凄いと思う。久保角太郎からはいじめさながらの仕打ちを受け、貧苦の中で他者を救う壮絶な修行を通して小谷は霊感を会得した。石原の指摘通り、人間としての存在感が際立っていたのだろう。前回、新興宗教の教祖は神懸り的色彩が濃く、統合失調症タイプであると書いた。民族宗教はシャーマニズムとセットであるが、論理を無視し超越しているため浸透の度合いが深い。右脳の発する声が人々に受け入れられれば教祖となり、奇異と思われれば病人となる。

小谷●ところで、「王仏冥合」を、どういうふうに考えていますか。
石原●「王仏冥合」ですか、あれは別に創価学会だけの言葉じゃない。つまり仏の言葉です。政治と宗教というものの理想が重なるということは、これにこしたことはないと思いますけれど、ただ、やっぱり、自分のところの教義以外は、みんなだめなんだという教条的な排他的なものの考え方が、その王仏冥合の中の“仏”であるのは困りますね。このごろ創価学会は、そうじゃないということをいっておりますが、確かに、ひとりの政治家が、朝、仏壇にお燈明をあげ、線香をおあげするような、つまり、仏心をもっている人間としての理念を政治に反映するということで、王仏冥合は人間的にありうることだと思います。ただ、これはひじょうにむずかしい、一人の人間の内ではできても、それを社会的に現出させるということは。

 小谷の質問は創価学会の動向を気にするというよりは、霊友会の政治進出を考慮したものだろう。『巷の神々』の取材で小谷と知遇を得た石原はその後霊友会の支持を取り付け、1968年(昭和43年)に自民党から参議院選挙に打って出る。知名度が高かったとはいえ全国区で301万票という空前絶後の得票数で当選を勝ち取った。石原がどのタイミングで霊友会の信者になったのか私は知らないが、単なる選挙目当ての取引であったようには見えない。

石原●ですから、王仏冥合というのは、なにも日本の仏教で考えだされた言葉でもなければ、日蓮聖人の言葉だけじゃなしに、やっぱり、すべての人間の胸の中に、神・仏を念じるような、まじめな、ひたむきな姿勢というのが、政治というものに重なりあったら、どんなにすばらしいものができるだろうかという願い、期待としては、洋の東西を問わず、古今を問わず、あるわけです。とくに、現在のような時代の政治は、実は、古今東西にわたってある王仏冥合に対する人間の基本的な願いというものを、かなえていく政治を行なうということを目ざさなくちゃならないと思いますが、どうも、日本の政治家は、先生がおっしゃるように、その場しのぎの、あした、あさって、あるいは1年、2年先のことしか考えていない。

 政治と宗教は祭政一致政教一致政教分離という歴史を辿ってきた。日蓮(1222-1282年)はとても中世の人物とは思えないほど傑出した国際感覚の持ち主で強い国家意識を持っていた。まだ日本が統一されていない時代であるにもかかわらず。その一生は政治闘争と弾圧の繰り返しであったといっても過言ではない。日蓮の王仏冥合は亡国を回避するために政治理念の必要性を説いたものであろう。日蓮が明言した蒙古襲来の予言が当たったことで鎌倉幕府は彼を無視できなくなる。

 大東亜戦争の敗戦は国家神道の敗北でもあった。そして雨後の筍(たけのこ)のように新興宗教が出現した。失意の中で「神も仏もあるものか」と落胆した人々が飛びついた。だが宗教性は復興することなく政治に取り込まれてしまった感がある。しかも若者は学生運動に流れた。それ以降は経済一辺倒である。

 政治に宗教的理念があってもいいだろう。これだけ多くの宗教があるのだから、むしろあって当然だ。しかし教団ぐるみで政治にコミットするのは問題がある。例えば創価学会の場合、公明党支援が政教分離原則に抵触するわけではない。宗教者が誰に投票しようと自由だ。最大の問題は――誰も指摘していないが――個々の学会員が立候補する自由を奪っているところにある。また東京都議会選挙のために全国の信者が応援にゆくのも民主政のルールを踏みにじる行為だ。

人間の原点―対話 (1969年)
小谷 喜美 石原 慎太郎
サンケイ新聞社出版局
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2017-05-16

戦後に広まった新興宗教の秀逸なルポ/『巷の神々』(『石原愼太郎の思想と行為 5 新宗教の黎明』)石原慎太郎


『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ 若き医師が死の直前まで綴った愛の手記』井村和清

 ・戦後に広まった新興宗教の秀逸なルポ

『対話 人間の原点』小谷喜美、石原慎太郎
『折伏 創価学会の思想と行動』鶴見俊輔、森秀人、柳田邦夫、しまねきよし
『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』内山節
『ローリング・サンダー メディスン・パワーの探究』ダグ・ボイド

悟りとは
宗教とは何か?

 私は昨年の暮、弁天宗(※辯天宗)教団の感謝祭に宗祖に面会し、長時間話を聞いたが、その時、家族に連れられて5~6歳の女の子供が来ていた。
 宗祖は談話の内に、その子供を指し、
「あの子供の話をしましょうか」
 と言って、宗祖とその彼女の期せぬ巡(めぐ)り合いについて話してくれた。
 昨年のある日、宗祖が東京支部の行事のために上京し、それをすませて大阪に帰るために東京駅から新幹線に乗ろうとした時、丁度、団体客か何かで混み合っていた八重洲側の中央改札口にさしかかった。
 見ると、母親連れの5~6歳の女の子が、人波にもまれてはずみで親と手が離れ、親の方は先に改札をすませて中へ入ってしまったが、子供のほうはまだ外にとりのこされている。
 親は内側で、「早くおいで」と招いて待ち、子供は親のいるところへいこうと改札口を入ろうとするが、混み合った大人の人波に入り切れず、二、三度入り口に近づいてははじき出される。
 それを見ていた宗祖が、子供に近づき、
「小母ちゃんと一緒にいきましょうね」
 とその手をとった。
 子供は言われるまま、こっくりして、その手を見知らぬ、優しそうな小母さんに預けた。
 そのまま少女は手を曳かれて無事に改札口を入った。
 待っていた母親が宗祖に礼を言ったが、相手が荷物を持っているので、
「ついでにこのまま上までお連れしますよ。お嬢ちゃん、小母ちゃんと一緒にいこうね」
 と、恐縮する母親の前で手をとり直して、そのまま上のプラットホームまで上った。
 手をつないで階段を上り切り、列車の前まで来て、
「それじゃここでさようなら。はい、いい子でね」
 と子供に言って頷(うなず)き、その手を離した。
 子供はこっくりと頷くと、宗祖の見ている前で踵(きびす)を返し、側で待っていた母親のところへ
「アキ子、あの小母ちゃんに、手を曳いてもろうた」
 言って駈け戻った。
 とたん、母親は仰天して腰を抜かした。
 その筈である。その少女は、生まれてから6年この方、薬石効なく、どう尽しても直(ママ)らなかった、生れながらの唖(おし)だったのだ。
 母親は、娘の手を曳いてくれた人が誰であるかを質し、その場で信者になったと言う。天王寺の下駄屋の母娘の実話である。

【『巷の神々』石原慎太郎(サンケイ新聞出版局、1967年/産経新聞出版、2013年『石原愼太郎の思想と行為 5 新宗教の黎明』)以下同】

 驚愕した。石原慎太郎といえば功罪の相半ばする政治家であるが教養人としても知られる。それにしても34歳前後で日本の新興宗教をここまで俯瞰できる能力は並大抵の代物ではない。しかも文学者でありながら科学的懐疑の精神で検証し、各教団の教祖とも実際に会って話をしている。注目すべきは創価学会に関する記述で、その近代的な組織のあり方や政治進出を積極的に評価している。石原が後に「悪しき天才、巨大な俗物」(『週刊文春』平成11年3月25日号)と池田大作を評したことを思えば隔世の感がある。ほんのわずかな誤謬は見受けられるが、全体的に記述は正確で独創性もある。まだ学生運動が激しい中で戦前戦後の新興宗教に目をつけたのは卓見といってよい。それぞれの教祖の神通力も日本的なアニミズム(先祖崇拝)を探る上で大変参考になった。「宗教とは何か?」「悟りとは」に追加。長らく絶版で古書価格も数千円から1万円という高値がついていたが産経新聞出版から再刊された。旧版は9ポイントほどの活字で上下二段450ページの分量である。(読書日記より)

「悟りとは」に入れたのはわけがある。それは新興宗教の教祖は一様に神懸(がか)りともいうべき体験をしており特異なためだ。敢えて「統合失調症タイプ」(『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ)と極言してもいいだろう。卑弥呼の延長線上に位置している。


 私が親だったとしても信者になるのは確実だ(笑)。奇蹟には逆らえない。宗教の基本は「病気を治す」ところにある。これがない宗教は絶対に広まらない。教祖と呼ばれる人々は必ず何らかの奇蹟を起こしていると考えてよい。奇蹟は瞬間的に死の不安を解消する。神通力とは言い得て妙だ。

 栄える宗教には、それなりの魅力があり、その指導者には人間の現実に及ぼす力がある。それはただうらやんでも、自らにそなわるものではない。その魅力その力が何故自らにはないか、と言うことを多くの坊主どもは知るべきだ。それは彼らが信奉する教えが、現代では古くなった、と言うことでは決してない。
 卑俗なたとえだが、人間と宗教との最初の結びつきは、蟻と砂糖のようなものだ。蟻は己の味覚触感で敏感に塩と砂糖をより分け、砂糖にしかたからない。
 人間でも、味の良い店と悪い店をより分け、旨(うま)い店は繁昌する。信徒も人間であり、人間は現金なものだ。
 人間は現実にいろいろな不幸を持つ。転んだり金を喪くしたり、病気したり。しかし転んで痛い膝はさすれば直(ママ)るし、喪くした金は、稼げばとり戻せる。
 しかし人間は誰でも、自分の注意や願望に反して、何故こんな不幸不運が起るのか、と思い疑う。
 それについて、転んだのはただの過失であり、不運は不運でしかない。その内に運も向くだろう、と言うのでは答にならぬし、人々も満足はしまい。
 そうした原因については、訳がある。その訳を極め、それを正せば、それから抜け出すことが出来る、と言うことで初めて、人間の求めている救いがある。
 宗教は、その訳を、即ち、眼に見えぬものの力、即ち、神、心霊の力に依るものであるとし、ジェイムズの言うが如くに、その力の秩序に順応することで、安心立命があり、救済がある、とする。
 その秩序への順応、即ち信仰と言っても、それにはいろいろな段階があろうが、その初めは矢張り、一つの体験によって、その力の秩序の存在を感じ、知ると言うことに他ならない。
 信仰と言うのは、或る意味であくまでも一つの観念操作だが、しかし、その基点となるものは、あくまでも一個の現実認識である。
 それを欠く信仰は、砂の上にかけた梯子のように、上るにつれ、足元がぐらついて来る。
 その、信仰の出発点、第一段階の基礎固めを、人間に与えることの出来ぬ宗教は、最も根源的な力を欠いていると言われるべきだ。

 石原はウィリアム・ジェームズ著『宗教的経験の諸相』(原書は1901年/星文館、1914年/警醒社、1922年/誠信書房、1957年/岩波文庫、1969年)を軸に各新興宗教を読み解く。何の先入観もなく、直接自分の目と耳で判断する姿勢にはある種の勇ましさが窺える。

 信仰を「一つの観念操作」と言ってのける鋭さが侮れない。認知科学的な視点すら垣間見える。

 私が石原慎太郎を見直したのは「小林秀雄を諌めたエピソード」(今だから話せるこの国への思い(後編) 石原慎太郎氏(作家)×德川家広氏)を知ったことが大きい。石原が『太陽の季節』で文壇デビューしたのは1955年(昭和30年)のこと。文士劇が1962年だったとすれば(文士劇)、小林(1902-1983年)が60歳で石原(1932-)は30歳である。小林は若い時分から遠慮を知らぬ男で、酔っ払って正宗白鳥(1879-1962年)に絡んだり、対談で柳田國男(1875-1962年)を泣かせたりしている。たぶん小林は若い石原に自分と同じ匂いを嗅ぎ取ったのだろう。

石原愼太郎の思想と行為〈5〉新宗教の黎明宗教的経験の諸相 上 (岩波文庫 青 640-2)宗教的経験の諸相 下 (岩波文庫 青 640-3)

2016-06-18

『イーリアス』に意識はなかった/『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ


『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン
『死と狂気 死者の発見』渡辺哲夫

 ・手引き
 ・唯識における意識
 ・認識と存在
 ・「我々は意識を持つ自動人形である」
 ・『イーリアス』に意識はなかった

『新版 分裂病と人類』中井久夫
『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
『身体感覚で『論語』を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗

 しかし、人間の進化は単純な直線をたどってきたのではない。人類の歴史をひともくと、紀元前3000年頃にひときわ目を引く不思議な慣習が登場する。話し言葉を変容させて、石や粘土板、パピルス(もしくは紙)に小さな印を使って記すようになったのだ、このおかげで、耳で聞くことしかできなかった話し言葉は、目に見えるものともなった。それも、そのとき聞こえる範囲にいた者だけでなく、万人のものとなった。

【『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ:柴田裕之訳(紀伊國屋書店、2005年)以下同】

イエスの復活~夢で見ることと現実とは同格/『サバイバル宗教論』佐藤優

 人類の脳は約240万年前に巨大化した。言葉が生まれた時期については不明だが、7万5000年前には使用されていた証拠があるという(『人類進化の700万年 書き換えられる「ヒトの起源」』三井誠)。近代における情報革命は活版印刷(1455年)~カメラ-写真(1827年)~電信(1830年代)・電話(1876年)~映画(1895年:リュミエール兄弟ラ・シオタ駅への列車の到着』)と花開く。


 その後はラジオ(1906年)、テレビ(1926年)~インターネット(1969年)と続く。尚、カメラ以降の背景にはアレッサンドラ・ボルタによるボルタ電池の発明(1800年)を始めとする電気革命があった。彼の名に因(ちな)んで電圧を「ボルト」と呼ぶ。

アゴ弱り脳膨らむ、遺伝子レベルで裏付け…米チーム

 人類の脳が大きくなった原因につながる遺伝子を、米ペンシルベニア大などの研究チームが突き止め、25日付の英科学誌「ネイチャー」に発表する。この遺伝子は本来、類人猿の強じんなアゴの筋肉を作る働きがあったが、人類では偶然、約240万年前に機能を喪失。このため、アゴの筋肉で縛りつけられていた頭の骨が自由になり、脳が大型化するのを可能にしたらしい。
 人類は、約250万-200万年前に猿人から原人へ進化し、脳は大きさが猿人の2倍程度になったとされる。今回の遺伝子が機能を失ったのは約240万年前と推定され、原人への進化時期と一致する。
 これまでの化石研究などから、頭の骨が膨らんだのは、頭頂部に近い所から続いていた猿人のアゴの筋肉が弱くなり、解放されたためではないかと考えられていたが、この進化過程を遺伝子レベルで裏付ける証拠が見つかったのは初めて。
 チンパンジーやゴリラは今も、この遺伝子が働いていて、アゴの筋肉が頭部を広く覆っている。人類は原人に進化した段階で、硬い木の実に加え、軟らかい肉なども食べるようになり、アゴの筋肉の退化も不利にならなかったようだ。
 斎藤成也・国立遺伝学研究所教授の話「化石で見られる頭骨の形の変化を、遺伝子レベルで突き止めた成果で興味深い。遺伝子から人類進化を明かす研究はますます活発化するはずだ」

◆人類の脳の進化=約700万-600万年前に誕生した猿人の脳容量は350-500cc程度だったが、現生人類では約1400cにまで大きくなった。脳の大きさを制限していたアゴの筋肉の減少に加え、二足歩行で自由になった両手を使うことで、脳の発達が促されたとする説もある。

【YOMIURI ONLINE 2004年3月25日】

 487万年前±23万年に猿人が直立二足歩行を開始する。約260万年前には石器が使用される(『火の賜物 ヒトは料理で進化した』リチャード・ランガム)。脳の大型化は直後の約240万年前である(地球史年表:1000万年前-100万年前)。火の使用を始めた時期については判明していない(初期のヒト属による火の利用)。240万年前から使用したと考えてもよさそうなものだ。火がなければ肉食獣の攻撃を防ぐことはできなかったはずだ。調理同様、言葉もまた炉辺(ろへん)から生まれたと考えられている。

昆虫食が人類の脳の大型化に貢献した、ワシントン大セントルイス


 文字の歴史についてもまだまだ判明していないことが多い。現在、最古とされているのはメソポタミアの楔形(くさびがた)文字とエジプトのヒエログリフである(紀元前3200年頃)。

 言葉は空間を超えて複数の人々とのコミュニケーションを可能にし、文字は時間を超えたコミュニケーションを実現した。文字の発明は人間が歴史的存在になったことを意味する。

 私の仮説に関連して検討するにあたり、確実な翻訳が行なえる言葉で書かれた人類史上最初の著作は『イーリアス』だ。現代の研究では、血と汗と涙に彩られたこの復讐譚は、吟じ手(アオイドス)と呼ばれる吟遊詩人の伝統によって創り上げられたものと考えられ、その時期は、近年発見されたヒッタイト語の銘板から、作品の中に記された出来事が起こったと推定できる紀元前1230年頃から、作品が文字で記された紀元前900年頃ないし850年頃までの間ではないかとされている。本章では、この叙事詩をきわめて重要な心理学上の記録として取り上げることにする。そして、ここで投げかけるべき問いは『イーリアス』における心とは何か、だ。

 答えは、とても平静ではいられないほど興味をかき立てられるものだ。おしなべて、『イーリアス』には意識というものがない。


 とすると『イーリアス』は壁画であったのだろう。そこにはまだ「物語」がなかった。心は事実を解釈するに至っていなかった。つまり意識は存在しなかったのだ。



不確実性に耐える/『まんが やってみたくなるオープンダイアローグ』斎藤環解説、まんが水谷緑

2016-06-15

イエスの復活~夢で見ることと現実とは同格/『サバイバル宗教論』佐藤優


『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹

 ・イエスの復活~夢で見ることと現実とは同格

『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
宗教とは何か?

 キリスト教の教祖であるイエス・キリストは、紀元30年ごろに復活した。復活というのは、実はそんなに異常な現象ではありません。なぜならば、近代より前の人たちの世界像というのは、日本でもヨーロッパでも中東でも同じで、哲学でいうところの素朴実在論の立場にたっているからです。すなわち、夢で見たこと、坐禅をしているときに体験したことと、現実に起こっていることとの間に差異がない。権利的に同格なんです。
 もちろん、仏教の場合は、存在論が縁起観によって構成されていますから、関係性によって実体が見えてくる。しかし、その実体というものは、そもそも虚妄であるという考え方ですから、そこにはなんら違和感がないと思うんです。
 キリスト教の場合は、夢で見たことと復活ということの間に差異はありません。基本的に同じです。あるいは白昼の幻を見る。当時サウロといってキリスト教徒を弾圧していた後の使徒パウロがダマスカスに行く途中で、光にうたれて幻を見る。これは実際に出会ったのと同じことなんです。
『源氏物語』でも、なぜ六条御息所(みやすどころ)の怨霊をみんなあんなに恐れるのか。それは、実際に六条御息所が出てくるのと同じことだからです。夢の中で見ることと現実とは同格なのです。
 この二つが分かれたのは近代に入ってからです。近代に入って分離したのですが、19世紀の終わりから20世紀になると、フロイト派、ユング派の心理学が生まれて、再び夢の権利を回復しようとしているわけです。

【『サバイバル宗教論』佐藤優〈さとう・まさる〉(文春新書、2014年)】

 臨済宗相国寺派の僧侶を対象に行った講義を再編集したもの。2012年に4回行われた。クリスチャンを講師に招くという度量もさることながら、佐藤に対する質問のレベルもかなり高い。

 カトリック教会ではペトロを初代のローマ教皇とみなすが、キリスト教神学を確立したのはパウロであり、実質上のキリスト教開祖といってよい。

 キリスト者を迫害していたサウロ(後のパウロ)はある時、光に打たれ、イエスの声を聴く。いわゆる啓示である。サウロは失明する。その後イエスの声に従って町へゆく。キリスト者が手を置き祝福を告げると、サウロの目から鱗(うろこ)のようなものが落ち、再び目が見えるようになった。これが「目から鱗が落ちる」の語源である(ペテロ、パウロ、そしてアウグスティヌス)。

 そしてキリスト教を世界宗教にしたのはコンスタンティヌス1世(272-337年)である。彼は夢のお告げによってキリスト教に改宗した(『「私たちの世界」がキリスト教になったとき コンスタンティヌスという男』ポール・ヴェーヌ)。人々は夢に支配されていた。

 これを心理学の夢分析(深層心理学)に結びつけるところに佐藤の卓見がある。夢を鵜呑みにすることは決して笑えない。現代においてもテレビや映画は非現実であり、形を変えた夢といってよい。そして我々も彼らと同じように知性と感情を刺激され、大なり小なり影響を受ける。小説や漫画も同じメカニズムである。

 他にも例えばサードマン現象というのがある(『サードマン 奇跡の生還へ導く人』ジョン・ガイガー)。一種の啓示と考えてよかろう。

 現実と非現実を意識と無意識に置き換えることも可能であろう。私も一度だけだが月明かりの下で亡き友人の声をはっきりと聴いたことがある。それは早まろうとする私を諌(いさ)める声だった。聴こえたのはたった一言だったがそれで私は思いとどまった。

 キリスト教が行ってきた殺戮の歴史を思えば、到底神がいるとは思えない。神よ、あんたが創造した世界は混乱と悲惨に覆われている。近代の扉が開き、科学技術が発達し、世俗化が進んだとはいえ、まだアメリカはキリスト教原理主義国家である。そして現在、ソ連に代わって社会主義国家の中国が台頭する。これまた一党独裁の原理主義国家だ。きっと人間の脳は支配されたがっているのだろう。

 体力の衰えが気力の衰えにつながると考え、少し前から腕立て・腹筋・背筋・スクワットを行っている。まだまだ回数は少ないものの、心地良い疲労感の中でぐっすり眠れる。夢は全く見ない。神様と巡り合うことも当分ないだろう。

『イーリアス』に意識はなかった/『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ

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佐藤 優
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2016-04-18

秘教主義の否定/『アドラー心理学入門 よりよい人間関係のために』岸見一郎


 ・秘教主義の否定

『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』岸見一郎、古賀史健
『幸せになる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教えII』岸見一郎、古賀史健
・『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』マシュー・サイド
『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル

 あるとき、ニューヨークの医師会がアドラーの教えだけを精神科の治療に使うために採用したい、ただし医師だけに教え、他の人には教えないという条件を提示したとき、アドラーはその申し出を断りました。「私の心理学は[専門家だけのものではなくて]すべての人のものだ」とアドラーはいいました。

【『アドラー心理学入門 よりよい人間関係のために』岸見一郎(ベスト新書、1999年)】

 書評を書いたところで内容が知れているので、思いつくまま記すことにしよう。私の場合、感じる能力は強いのだが説明能力が劣るためだ。一般的に考えられている頭のよさとはプレゼンテーション能力を意味する。あらゆるレビューに求められるのもこれだ。要旨をまとめ、違いを示し、動機を与え、行動を促す。ま、営業・販売や自己宣伝の能力だわな。

 昨日の書評(序文「インド思想の潮流」に日本仏教を解く鍵あり/『世界の名著1 バラモン教典 原始仏典』長尾雅人責任編集)に書き忘れたことも付け加えておく。

 岸見の著作を読むまで私はアルフレッド・アドラーアブラハム・マズローを混同していた。『嫌われる勇気』がベストセラーになっていたのは知っていたが、直ぐに手を伸ばさなかったのは「どうせ自己実現だろ?」と勝手に思い込んでいたためだ。が、それはマズローだった。

 アドラーはフロイトと共同研究を行っていたが、学問的見解を異にし、やがて袂(たもと)を分かつ。精力的に臨床を行った現場の人でもある。


 アドラーの言葉は「秘教主義の否定」であろう。ウパニシャッドに限らず大方の宗教には秘教的要素がある。宗教学ではエソテリシズムといい、インド宗教においては密教と名づける。

 西暦1700年か、あるいはさらに遅くまで、イギリスにはクラフト(技能)という言葉がなく、ミステリー(秘伝)なる言葉を使っていた。技能をもつ者はその秘密の保持を義務づけられ、技能は徒弟にならなければ手に入らなかった。手本によって示されるだけだった。

【『プロフェッショナルの条件 いかに成果をあげ、成長するか』P・F・ドラッカー:上田惇生〈うえだ・あつお〉編訳(ダイヤモンド社、2000年)】

 手工業の時代にあっては技能・技術すら秘教であった。もともと西洋の学問世界は秘伝として教えられた長い歴史がある。ピタゴラスの数学世界は五芒星を掲げる教団から生まれたものだ。西洋では大学が12~13世紀に生まれるが学問を支配していたのは教会であった。そして女性に学問は不要と考えられていた(『フェルマーの最終定理 ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで』サイモン・シン)。

 グーテンベルクの印刷革命が1445年に狼煙(のろし)を上げる(※ただし活版技術を創案したわけではなく飽くまでも象徴である→世界史用語解説 授業と学習のヒント:金属活字)。最初に印刷したグーテンベルク聖書宗教改革の導火線となる。ドラッカーが指摘する年代は「百科全書」の作成時期(1751~1772年)と重なると見てよい。いよいよ「知識の時代」が到来したのだ。

 知識は紙を通して広まった。やがて科学革命が花開き、そして教会の権威が失墜する。秘伝が技能となり、秘教は知識となった。近代を開いた原動力がここにある。

 ブッダの遺言にこうある。

「アーナンダよ。修行僧たちはわたくしに何を期待するのであるか? わたくしは内外の隔てなしに(ことごとく)理法を説いた。完(まった)き人の教えには、何ものかを弟子に隠すような教師の握拳(にぎりこぶし)は、存在しない。『わたくしは修行者のなかまを導くであろう』とか、あるいは『修行僧のなかまはわたしに頼っている』とこのように思う者こそ、修行僧のつどいに関して何ごとかを語るであろう。しかし向上につとめた人は、『わたくしは修行者のなかまを導くであろう』とか、あるいは『修行僧のなかまはわたしに頼っている』とか思うことがない。向上につとめた人は修行僧のつどいに関して何を語るであろうか」

【『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経』中村元〈なかむら・はじめ〉訳(岩波文庫、1980年/ワイド版、2001年)】

「何ものかを弟子に隠すような教師の握拳(にぎりこぶし)は、存在しない」――ブッダは秘教主義と無縁であった。更には指導者の存在をも否定している。ブッダは「自分よりも優れた人を友とせよ」と教えた。好き嫌いで選ぶ人間関係は互いを戒め合うことがない。気分や感情に流されがちで、自分自身を真摯に見つめる姿勢も生まれにくい。もしも尊敬し信頼するような人がいなければどうすればいいのか? 「どうしても仲間がいなければ、独りでいてください」(『原訳「法句経」(ダンマパダ)一日一悟』アルボムッレ・スマナサーラ、佼成出版社、2005年)。「犀の角のようにただ独り歩め」(『ブッダのことば スッタニパータ』中村元〈なかむら・はじめ〉訳、岩波文庫、1958年/岩波ワイド文庫、1991年))ばいいのだ。

 神智学協会から「世界教師」と目され、大切に育てられたクリシュナムルティが、自分のために設けられた「東方の星の教団」を解散したのは34歳の時であった。「真理は途なき大地である」(『クリシュナムルティ・目覚めの時代』メアリー・ルティエンス、高橋重敏訳、めるくまーる、1988年)と。真理が途(みち)なき大地であればガイド(案内人)は不要だ。そして「新しい獄舎(教団)をつくるつもりはない」と宣言した。その後、終生にわたって集団はおろか弟子の存在すら認めなかった。

 集団は内に向かって特殊な力学が働く。そして集団は必ず暴力性を伴う。「数は力」なのだ。爆音を鳴らしながら道路交通法を踏みにじる暴走族、熱狂的なファン、示威行為の自覚を欠いたデモ、整然と行進する兵士、教祖の話に耳を傾ける多数の崇拝者……。更に権威を成り立たせているのも多数の人間である。

 多数に従い、平均的であることは生存率を高める。進化過程では平均が有利なのだ(『病気はなぜ、あるのか 進化医学による新しい理解』ランドルフ・M・ネシー&ジョージ・C・ウィリアムズ、新曜社、2001年)。動物として生きるのならば群れに従うのが正しい。ただし、そこに自由と英知はない。

 コンピュータがパーソナル化され情報革命は拍車をかける。とはいうものの専門化した科学、形而上に向かう哲学はどこか秘教的である。そして本当に儲かる話はインサイダーしか知らない。

 アドラーは自分の名前が宣揚されることよりも、自分の理論がコモンセンスとなることを望んでいたという。ここに本物の人間の生き方があるように思う。

 本書に深く感動した20代の古賀史健〈こが・ふみたけ〉は、岸見とアドラーの決定版を作ることを夢見る。10年以上を経て岸見と直接見(まみ)え、遂に2013年、『嫌われる勇気』を刊行する。今年の2月、既に32刷となり累計で100万部を超えるベストセラーとなった。同書は韓国でもほぼ同じ売れ行きとなっている。

 クリシュナムルティの言葉が引用されていることも付け加えておく。

アドラー心理学入門―よりよい人間関係のために (ベスト新書)
岸見 一郎
ベストセラーズ
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2016-03-14

一体化への願望/『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 1』J・クリシュナムルティ


『大師のみ足のもとに/道の光』J・クリシュナムルティ、メイベル・コリンズ
『自我の終焉 絶対自由への道』J・クリシュナムーティ

 ・ただひとりあること~単独性と孤独性
 ・三人の敬虔なる利己主義者
 ・僧侶、学者、運動家
 ・本覚思想とは時間論
 ・本覚思想とは時間的有限性の打破
 ・一体化への願望
 ・音楽を聴く行為は逃避である

『生と覚醒のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 2』J・クリシュナムルティ
『生と覚醒のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 3』J・クリシュナムルティ
『生と覚醒のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 4』J・クリシュナムルティ

『クリシュナムルティの神秘体験』J・クリシュナムルティ

 あなたはなぜ自分自身を、誰か他人や、あるいは集団、国と一体化させるのか? なぜあなたは、自分自身のことをクリスチャン、ヒンドゥー、仏教徒などと呼ぶのか? あるいはまた、なぜ無数にある党派の一つに所属するのか? 人は、伝統や習慣、衝動や偏見、模倣や怠惰を通じて、宗教的、政治的にあれこれの集団と自分自身とを一体化させる。この一体化は、一切の創造的理解を終焉させ、そうなれば人は、政党の首領や司祭、あるいは支持する指導者の意のままになる、単なる道具にすぎなくなってしまうのだ。
 先日、ある人物が、誰某はこれこれの集団に属しているが、自分は「クリシュナムルティ信奉者(アイト)」だと言った。そう言っていたとき、彼はその一体化の意味合いに全く気づいていなかった。彼は決して愚鈍な人間ではなく、読書家で教養もあるといった人物であった。いわんや彼は、そのことに決して感傷的になっていたわけでも、また情緒に流されていたのでもない。それどころか、彼は明晰ではっきりとしていた。
 彼はなぜ「クリシュナムルティ信奉者」になったのか? 彼は、他の人間たちに従ったり、あるいは数多くの退屈な集団や組織に所属したりしてきたのだが、そのあげくに、ついにこの特定の人物に自分自身を一体化させたのである。彼の語ったところからみて、彼の旅は終わったもののようであった。彼は足場を築き、そして行き着くところまできたのである。彼は選び終えたのであり、いかなるものも彼を揺り動かすことはできなかった。これからは彼は心地良く腰を据えて、これまで語られてきたこと、そしてこれから語られるであろうことのすべてに、熱心に従っていくことだろう。

【『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 1』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(春秋社、1984年/新装版、2005年)】

 既に再読を終え、三読目に入っている。書写行も開始。翻訳がこなれていない上に不要な読点が多く実に読みにくいのだが、文体は大野純一が一番よい。

 amazonレビューでも指摘されているが「“一体化”ではなく“同一化”が翻訳として適切」との意見は以前からある。私は英語に疎いので断言するにわけにはいかないが、一体化と同一化という日本語に違いはないと思う。大野龍一や藤仲孝司の他訳批判に読者も影響を受けているのだろう。

 不安定な個人が安定を求めて集団に帰属する。そうして「私」は私より一段上の存在となる。これは不思議なことだが経済的な見返りよりも、集団の有する理想が大きければ大きいほど帰属心が強まる傾向がある。例えば軍隊、古くは宣教師、現在だと東大OBや共産党・創価学会エホバの証人など。最近だとSEALDs(シールズ)あたりか。

 別の箇所で「一体化は逃避である」とも指摘されている。小さな自分を大きく見せる手段が一体化であるとすれば、地位や名誉が果たす機能と同じと考えてよさそうだ。虎の威を借る狐と言ってしまえば身も蓋(ふた)もないが、やはり欠けたアイデンティティを補う意味合いが強いのだろう。

 尚、文中の「誰某」は「だれがし」と読むのが普通だが「だれそれ」とも読むようだ。クリシュナムルティの客観的な視線は時に辛辣(しんらつ)さを伴う。「クリシュナムルティ信奉者」と名乗った人物を嘲笑うわけでもなく、悲しむわけでもなく、淡々と見つめている。

「一体化は、一切の創造的理解を終焉させ」る意味が何となく伝わってくる。当然ではあるが、クリシュナムルティの近くにいることが彼の教えを理解したことにはならないし、クリシュナムルティ一派に属したところで人生が変わるわけでもない。そもそもクリシュナムルティは弟子を持っていないし、生涯にわたって拒み続けた人物である。

 一体化への願望には隠された依存が横たわっている。ブッダは次のように遺言した。

 それ故に、この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。

【『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経』中村元〈なかむら・はじめ〉訳(岩波文庫、1980年/ワイド版岩波文庫)、2001年】

 ブッダの言葉とクリシュナムルティの教えは完全に響き合っている。悟りとは「ありのままの自分自身をありのままに理解すること」である。一体化するのではなく、依存心をありのままに見つめることが即座の理解なのだ。

 偉大な人物に傾倒し、理想を実現するための運動に参加し、組織の手足となって身を粉(こ)にする営みは不思議な情熱を生む。そこに罠があるのだ。

 情熱の大半には、自己からの逃避がひそんでいる。何かを情熱的に追求する者は、すべて逃亡者に似た特徴をもっている。
 情熱の根源には、たいてい、汚れた、不具の、完全でない、確かならざる自己が存在する。だから、情熱的な態度というものは、外からの刺激に対する反応であるよりも、むしろ内面的不満の発散なのである。

【『魂の錬金術 エリック・ホッファー全アフォリズム集』エリック・ホッファー:中本義彦訳(作品社、2003年)】

 自分に欠けたものを別の何かで埋め合わせると心理的な充足感が得られる。だがそれは錯覚である。喉の渇きは終始つきまとい、より激しい自己犠牲へと向かう。大きな集団は下位集団を生み、下位集団では下位文化が形成されるが、どこまで行っても承認欲求には限りがない。闘争と競争の連鎖が果てしなく続いてゆくことだろう。

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2015-12-22

宗教学者の不勉強/『21世紀の宗教研究 脳科学・進化生物学と宗教学の接点』井上順孝編、マイケル・ヴィツェル、長谷川眞理子、芦名定道


岡野潔「仏陀の永劫回帰信仰」に学ぶ
『業妙態論(村上理論)、特に「依正不二」の視点から見た環境論その一』村上忠良

 ・宗教学者の不勉強

『身心変容技法シリーズ① 身心変容の科学~瞑想の科学 マインドフルネスの脳科学から、共鳴する身体知まで、瞑想を科学する試み』鎌田東二編

【衣服を着た神の姿】最近の研究は思わぬところから人間の身体や生活洋式の変化の過程を推測するようになっている。たとえば人類が体毛を失ったのは300万年ほど前で、服を着るようになったのが7万年ほど前という推測がある。これはシラミの研究から導かれたもので、陰部に棲むケジラミと頭部に棲むアタマジラミのDNA分子解析と、アタマジラミから分かれたコロモジラミの分子解析による。
 つまり人類の体毛がなくなったので、ケジラミとアタマジラミは分離され、別々の進化をした。また服を着るようになったので、アタマジラミからコロモジラミが分化し、もっぱら衣服に棲むようになったということである。衣服着用は、出アフリカした人類の寒冷地への進出を可能にしたと考えられる。そうすると、神とか霊的存在の表象において擬人化がいつ始まるかは不明にしても、それらが衣服をまとった姿で表象されるのは、7万年より新しくなければならないという推測が成り立つ。

【『21世紀の宗教研究 脳科学・進化生物学と宗教学の接点』井上順孝〈いのうえ・のぶたか〉編、マイケル・ヴィツェル、長谷川眞理子、芦名定道〈あしな・さだみち〉(平凡社、2014年)】


枕には4万匹のダニがいる/『人類が知っていることすべての短い歴史』ビル・ブライソン

 狙いはよいのだが勉強不足だ。井上は「あとがき」で肩をそびやかしているが、とてもそんなレベルではない。ESS理論ミラーニューロンなどが目を惹いた程度。リチャード・ドーキンス、アンドリュー・ニューバーグ、ジル・ボルト・テイラーを横断的に紹介している。

神経質なキリスト教批判/『神は妄想である 宗教との決別』リチャード・ドーキンス
脳は神秘を好む/『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース
ジル・ボルト・テイラー「脳卒中体験を語る」

 なんとジル・ボルト・テイラーの書評もまだ書いていなかったとは(涙)。

 各人による各章がバラバラで統一感を欠く。季刊誌にするような代物といってよい。科学から宗教に対するアプローチと比べるとその浅さに驚愕の念すら覚える。

 中野毅〈なかの・つよし〉の論文「宗教の起源・再考 近年の進化生物学と脳科学の成果から」の方が有益である。この分野の書籍については以下に一覧を示す。

宗教とは何か?

ユーザーイリュージョン 意識という幻想』や『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』、『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』を押さえていない宗教学者は不勉強の誹(そし)りを免れない。また、ジル・ボルト・テイラーの『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』は、必ずジュリアン・ジェインズ著『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』から考証する必要があるのだ。

 そしてこのテーマは「情報とアルゴリズム」に向かう。科学と宗教は時間を巡る地平において肩を並べ得る。教義といえども情報である。すなわち宗教とは人類が発明した最も古い形のアルゴリズムなのだ。

2015-10-31

子供を虐待するエホバの証人/『カルト脱出記 エホバの証人元信者が語る25年間の記録』佐藤典雅


『幸福の科学との訣別 私の父は大川隆法だった』宏洋
エホバの証人の輸血拒否

 ・読後の覚え書き
 ・子供を虐待するエホバの証人

『良心の危機 「エホバの証人」組織中枢での葛藤』レイモンド・フランズ
『カルトの子 心を盗まれた家族』米本和広
『カルト村で生まれました。』高田かや
『洗脳の楽園 ヤマギシ会という悲劇』米本和広
『カルトの島』目黒条
『杉田』杉田かおる
『マインド・コントロール』岡田尊司

エホバの証人批判リンク集

 エホバの証人には細かい儀式や規則がなく「自由な民である」という主張とは裏腹に、実際にはさまざまな抑圧の決まりごとがあった。誕生日、クリスマス、正月など全ての行事はご法度。学校では体育の武道の授業から運動会の騎馬戦まで禁止。国歌のみならず校歌を歌うのも禁止。タバコはもちろんダメで、さらに乾杯の行為そのものまで禁止された。(中略)
 婚前交渉はおろか、思春期のデートも禁止である。エロ本は見てはならないし、男子であればオナニー禁止という異常な規則が敷かれる。陶然、結婚相手は信者同士でなくてはならない。

【『カルト脱出記 エホバの証人元信者が語る25年間の記録』佐藤典雅〈さとう・のりまさ〉(河出文庫、2017年/河出書房新社、2013年『ドアの向こうのカルト 九歳から三五歳まで過ごしたエホバの証人の記録』改題)以下同】

 宗教とは「タブー(禁忌)を共有するコミュニティ」を意味する。仏教だと戒律、キリスト教だと十戒となる。

「してはならない」「せよ」との命令に宗教の本質がある。アブラハムの宗教は性的抑圧が顕著で、その反動と考えられる犯罪――聖職者による児童強姦など――が後を絶たない。イスラム教過激派は「天国に行けば72人の処女とセックスしまくることができる」と囁いてジハードを勧める。イスラム法で禁じられているアルコールも飲み放題だ。「♪天国よいとこ一度はおいで 酒はうまいしねえちゃんはきれいだ」(「帰ってきたヨッパライ」)というわけだ。

 幼い子供は親を批判し得るほどの知識を持ち合わせていない。動機を欠いたまま彼らは信仰を強要される。私はエホバの証人が格闘技や武道を禁じていることを知っていた。それが戦争参加を拒んできた長い歴史に基づく考えなのだろうと勝手に称賛の思いを抱いてきた。だが上記の細かい禁止事項の数々を知ると、やはり首を傾(かし)げざるを得ない。型によって成型された異形の人間が見える。24時間にわたってレフェリーが見つめるような生活から伸び伸びと子供が育つわけがない。

 少なからずエホバに抱いてきた共感が木っ端微塵となったのは、母親たちが喜び勇んで子供を虐待する事実を知った時であった。

 でもやっぱり子供たちだから、集会時間が長くなると退屈になりぐずることになる。子供がじっと座っていないと恐怖のムチが待っていた。80年代は熱血的な証人たちの親が多く、スパルタ教育を行っていた。集会には小学生の子供がたくさんいた。集会中に悪さをすると、親が耳を引っぱってトイレに連れていった。そしてしばらくして「パシン!」と音が一発する。いつものことなので、講演者も何事もなかったかのように話を淡々と進める。トイレの扉が開いて顔を拭いながら友達が出てくるとそのまま席に戻る。
 ある時、2歳か3歳ぐらいの小さな子供がぐずりはじめた。何度か注意されたが止まらなかった。それで母親は子供をつかんで、立ち上がった。子供はもっと叩かれると分かっているので、大騒ぎをした。その子の母親は、暴れる我が子をトイレまで腕に抱えて連れていった。すぐに子供の泣きわめく声が響きわたる。それから「ピシ!」と音がする。子供はもっと大きい声で叫んだ。それでまた「ピシ!」と音がする。母親が子供に怒鳴っているのが分かる。子供の叫び声はもっと大きくなる。今度は「ピシャン!」というより大きい音がする。10分間ぐらいトイレからピシャ!ピシャ!と叩く音と、子供の泣き叫び声と親の怒鳴り声が続く。この間、同席している子供たちはみんな気まずくなり、神妙な顔をしてお互い見合わせた。大人たちは普通にメモ帳に、講演者の講話をペンでメモし続けている。
 やがてトイレのドアが開き、親子が出てくる。泣きじゃくったあとの子供が、ヒクヒク言いながら母親に抱えられて帰ってくる。集会が終わると、姉妹たち(※女性信者)がそのお母さんのところに寄っていく。
「姉妹、子供をしっかりとムチで教えることは、子供の救いのためよ」
「本当に頑張っておられて偉いわね。エホバも喜んでくださるわ」
「クリスチャンの子供はこうやってお行儀がよくなるから立派よね」
 といった励ましの言葉をお互いかけあっていた。
 こういった光景は日常的であった。日本の会衆ではムチ用にゴムホースが会衆に置かれていたところもあった。この懲らしめも子供を愛していれこそである。箴言22章15節の聖句には、『愚かさが少年の心につながれている。懲らしめのむち棒がそれを彼から遠くに引き離す』と書いてある。さらに、箴言13章24節では『むち棒を控える者はその子を憎んでいるのであり、子を愛する者は懲らしめをもって子を捜し求める』と宣言している。
 だから子供を叩かない親は、「子を愛していないわよ」と姉妹たちから諭される。子供が叩かれると、集会の終わりに姉妹たちが嬉しそうにその母親のもとにやってくる。

 思わず私は唸(うな)った。「ここに宗教の神秘を解明する鍵がある」と。昨今、認知科学や行動経済学によって他人の感情や感覚は操作可能であることが判明しているが、宗教の目的は「認知の書き換え」にあるのだろう。宗教的正義や信仰の情熱が小さな暴力を容認する。戦争に反対する彼女たちが勇んで子を殴る姿はおぞましいと言わざるを得ない。

 姉妹たちは聖書の文言に額(ぬか)づき、神の意志に沿うべく、あらゆる工夫を惜しまない。

 ムチをしない親は子供を愛していないのである! だから親同士でしょっちゅうどのムチが効くか話し合っていた。
「姉妹のところ、ちゃんとムチしてる? しないとダメよ」
「スリッパは音がするだけで、痛くないわよ」
「うちなんて定規で叩いたら折れちゃったから」
「ベルトが結構効くわよ」
「ちゃんとズボンを脱がさないと効かないわよ」
 そして一人の熱心な姉妹は、ゴムホースにマジックで『子を愛する者は懲らしめをもって子を捜し求める』という聖句を書いて配り歩いていた。
「日本の姉妹たちはこれを使っているのよ。音がしないうえにとっても効くからどうぞ」
「あら姉妹、ありがとう。助かるわ!」
 そうして彼女が集会に持ってきた10本ぐらいのホースがすぐになくなった。私の母親も喜んでそのゴムホースを持って帰ってきた。このゴムホースは30センチぐらいなのだが、叩いても音がしない。それで力加減が分からず、思いっきり叩くことになる。木の棒やベルトとちがってゴムは皮膚にめりこむので、これが一番痛い。実際に、ある医療サイトには、体の内側の血管が切れるのでゴムで人を叩かないようにと記載されていた。

 中学生になった佐藤は弟と二人で母親から鞭を振るわれる。しかもケツを出してだ。既に抑圧傾向が見て取れる。普通の中学生男子なら母親の前でズボンを下げる真似はしないし、できないものだ。もし私だったら、甘んじてケツを出しておいて、その後直ちに反撃をし、母親をゴムホースで滅多打ちにすることだろう。以前書いたが私は小学5年生くらいから、理不尽に母親から叩かれると、思いきり足に蹴りを入れてやった。翌日、母の足には大きな青あざができていた。暴力に対抗し得るのは暴力のみだ。

 エホバの証人は邪教である。子供を虐待する宗教はやがて子供たちから手痛いしっぺ返しを食らうことだろう。

 ルワンダ大虐殺においてフツ族のエホバ信者がツチ族を匿(かくま)ったというエピソードを聞いたことがある。その時は痛く感心したものだが、ひょっとするとそのフツ族も子供を虐待していた可能性があることを思うと、まったく興(きょう)が冷める。弱い者、小さき者をいじめる宗教は信ずるに値しない。


ナット・ターナーと鹿野武一の共通点/『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン
被虐少女の自殺未遂/『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳

2015-05-11

無神論者/『世界の[宗教と戦争]講座 生き方の原理が異なると、なぜ争いを生むのか』井沢元彦


 たとえ本人が「自分は無神論者」であると言っていても、無神論者であるということ自体、宗教の影響を受けているのです。無神論ということの前提には、まず神があるかないかという問いがあるからです。
 そこから発展しているのですから、宗教を無視して人間を語れないのです。

【『世界の[宗教と戦争]講座 生き方の原理が異なると、なぜ争いを生むのか』井沢元彦(徳間書店、2001年/徳間文庫、2003年/決定版、2011年)】

 世界は宗教に覆われている。この事実が日本人の頭から抜け落ちている。しかもその宗教とはアブラハムの宗教であり、一神教を意味する。

 科学の歴史を見ても宗教を避けて通ることはできない。もともと学問自体が教会のもとで発達してきた。文字を読めることができたのも教会関係者であり、書籍を蔵していたのも教会であった。女性が学べなかったのも当然である。

 科学史をひもとけば嫌でもキリスト教の影響に気づかざるを得ない。私が腰を据えてキリスト教と取り組んだのは40代になってからのこと。40~50冊ほど読んだあたりで何となくつかめてきた(キリスト教を知るための書籍)。

 いくばくかの知識が身につくと小説や映画の風景がガラリと変わる。

エスピオナージュに見せかけた「神の物語」/『木曜の男』G・K・チェスタトン
妊娠中絶に反対するアメリカのキリスト教原理主義者/『守護者(キーパー)』グレッグ・ルッカ

 ハリウッド映画によく見られる洪水シーンは「大洪水」の暗喩であり、ノアの方舟を連想させる仕掛けだ。キリスト者にとっては「世界の終焉」を象徴している。

 宗教という「物語性」と神の「論理」を弁えておかなければ外交や友好に支障を来すのも当然である。その上で天皇という物語や、アニミズムという論理を日本から発信してゆくべきだろう。

<決定版>世界の[宗教と戦争]講座 (徳間文庫)
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真の無神論者/『ブッダは歩むブッダは語る ほんとうの釈尊の姿そして宗教のあり方を問う』友岡雅弥

2015-03-19

宗教とは




 かっぱ君は私の妹分である。若くはないことを断言しておこう。彼女は意図しないで書いたのだろうが、実はここに宗教機能のメカニズムがある。価値観は元より【判断】や【感情】のバックグラウンドで機能するアプリケーションが宗教なのだ。すなわち宗教は腹話術師であり、信者は人形といえる。ご親切に頼んだ覚えのない聖教新聞が配達されるわけだよ。信仰とは飛んでいるかいないかわからぬWi-Fiを信じる行為だ。その意味では電波系と言ってよい。新聞が届くという点では共産党も一種の宗教と考えるべきだろう。特定の思想・信条・宗教は喜怒哀楽を操作する。直ちにアンインストールせよ。部分的な真実だけを採用するのが正しいと思われる。

宗教OS論の覚え書き

2015-03-14

都市革命から枢軸文明が生まれた/『一神教の闇 アニミズムの復権』安田喜憲


『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男

 ・神を討つメッセージ
 ・都市革命から枢軸文明が生まれた

『カミの人類学 不思議の場所をめぐって』岩田慶治

 イスラエルのヘブライ大学の日本研究者であるS・N・アイゼンシュタットは、超越的秩序と現世的秩序の大な水の中で、日本文明の特質を解明しようと試みた(『日本比較文明論的考察』梅津〈うめつ〉順一、柏岡富英訳、岩波書店、2004年)。アイゼンシュタットは日本文明の歴史的経験の大きな特徴は、「現在にいたるまで持続的・自律的に波瀾に満ちた歴史をもつ」ことだという。
 カール・ヤスパース(1883-1969)は、文明と呼べるのは超越的秩序としての巨大宗教や哲学をもった「枢軸文明」だけであると指摘した(『歴史の起源と目標』ヤスパース選集9、重田英世〈しげた・えいせい〉訳、理想社、1964年)。その代表がユダヤ・キリスト教のイスラエル文明、ギリシャ哲学のギリシャ文明、仏教のインド文明、儒教の中国文明だ。それは伊東俊太郎氏(『比較文明』東京大学出版会、1985年)のいう精神革命を成しとげたところでもある。
 伊東氏は、こうした精神革命をな(ママ)しとげたところは古代の都市革命の誕生地に相当しており、これらの超越的秩序は、都市文明の成熟を背景として成立したと指摘した。したがって、伊東氏の説を逆に解釈すれば、超越的秩序を生み出す精神革命を体験しなかったところでは、都市文明は誕生しなかったことになる。

【『一神教の闇 アニミズムの復権』安田喜憲〈やすだ・よしのり〉(ちくま新書、2006年)】

 日本を独自文明とするかシナの衛星文明とする二つの見方がある。尚、今後当ブログでは社会主義化以降を中国、それ以前をシナと表記する。理由については以下のリンクを参照されたい。

シナ(支那)を「中国」と呼んではいけない三つの理由
支那呼称問題・「中華」「中国」は差別語、「支那」「シナ」が正しい・「支那」は世界の共通語・【私の正名論】評論家の呉智英・「中華主義」と「華夷秩序」という差別文明観を込めた「中国」を日本にだけ強要

 中華思想は「世界の中心地」を意味するゆえ、日本人が安易に「中国」と呼べば、精神的・文化的に属国となりかねない。

「シナ」と「中国」の区別/『封印の昭和史 [戦後五〇年]自虐の終焉』小室直樹、渡部昇一

 シナ文明が中国共産党によって途絶えたことと、日本の200年以上に及ぶ鎖国(1639-1854)の歴史を踏まえると「独自文明」の色合いが強まる。

 このテキストについては元々紹介するつもりはなかったのだが、馬渕睦夫〈まぶち・むつお〉著『国難の正体 世界最終戦争へのカウントダウン』『世界を操る支配者の正体』を補強する内容であることに気づいた。馬渕はソ連をつくったのはユダヤ人であり、建国当初からアメリカ国内に左翼勢力がうごめいていた事実を指摘。そこから国際主義者=左翼であることを示し、思想的な背景にユダヤ教の影響があると考察する。つまり世界各地に離散(ディアスポラ)したユダヤ人がユダヤ的価値観に基いて国際主義を鼓吹(こすい)した結果が現在のグローバリゼーションに至るわけだ。

 儒教が都市から生まれたことは養老孟司〈ようろう・たけし〉がよく指摘するところである(『養老孟司の人間科学講義』)。「子、怪力乱神(かいりきらんしん)を語らず」とは孔子が自然を相手にしなかったことを意味すると。

 都市革命という視点を私は欠いていた。郷村から人々が自由に移動を始め、ある地域に集まった時、ローカル(地方)を超えた概念が必要となる。つまり「脱民俗」というベクトルが結果的に世界へと向かったわけだ。ヒト社会における群れから都市への革命は脳内をも一変させたことであろう。言葉も書き換えられたことは容易に想像がつく。

 思想的に捉えると日本の都市化が始まったのは日本仏教が花開いた鎌倉時代とするのが妥当かもしれない。


シナの文化は滅んだ/『香乱記』宮城谷昌光

2015-03-13

「我々は意識を持つ自動人形である」/『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ


『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン
『死と狂気 死者の発見』渡辺哲夫

 ・手引き
 ・唯識における意識
 ・認識と存在
 ・「我々は意識を持つ自動人形である」
 ・『イーリアス』に意識はなかった

『新版 分裂病と人類』中井久夫
『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
『身体感覚で『論語』を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗

 この説によれば、意識は何ら活動しておらず、実際、何もすることはできないという。ハーバート・スペンサー(訳注 1820-1903、イギリスの哲学者)は、厳密な進化論と矛盾しないためにはこのように意識を一段低く見るしかないとした。現実的な実験主義者の多くは今なお彼と意見を同じくしている。動物は進化し、その過程で神経系やその機械的反射作用の複雑性が増す。神経がある一定の複雑性に達すると、意識が生まれ、この世界の出来事をただ傍観者として眺めるだけの、救いのない行動を始めるというのだ。
 私たちの行動は、脳の配線図と、外界の刺激に対する反射作用とに完全に制御されている。意識は配線が出す熱であり、随伴的な現象にすぎない。シャドワース・ホジソン(訳注 1832-1912、イギリスの哲学者)が言うように、意識が持つ感情は、色そのものによってではなく、色のついた無数の石によってまとまりを保っている、モザイクの表面の色にすぎない。あるいは、トマス・ヘンリー・ハクスリー(訳注 1825-95、イギリスの生物学者)がある有名な論文で主張したように、「我々は意識を持つ自動人形である」。

【『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ:柴田裕之訳(紀伊國屋書店、2005年)】

 トマス・ヘンリー・ハクスリーは王立協会の会長を務めた人物で、オルダス・ハクスリーの祖父に当たる。彼もまたダーウィンの進化論を支持した。この文章は意識に対する様々な見解を紹介している件(くだり)なのだが、実は意識が「何であるのか」すらもわかっていない。

 ともすると意識を高等なものと考えがちだが、ただ単に意識という反応があるだけなのかもしれない。

 私は毎度書いている通り、「生とは反応である」との持論をもつゆえに異論はない。ただし教育と努力の可能性を考える必要があろう。

 チンパンジーの社会では力の強い者がボスとして君臨する。ボスが老いたり、弱ったりすれば若いオスがボスをこてんぱんにする。文字通り暴力が支配する世界だ。時には2位とそれ以下のチンパンジーが徒党を組んで襲うケースもある(『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』フランス・ドゥ・ヴァール)。

 ヒトの場合ももちろん体が大きくて力の強い者が優位である。子供社会を見れば一目瞭然だ。しかしながらヒトの場合、努力で力に対抗し得る。例えば空手・柔道・システマなどを習えば、その【技術】によって生まれついた力の差を克服できるのだ。

 そして高度に発達した社会では力よりも知性の優れた者が後世に遺伝子をのこす確率が高まる。具体的には人々を動かす政治力であり、時には人を騙す能力となる。「嘘をつく」というのは知的に高度な行為であることを見逃してはなるまい。

 こう考えてみると、教育の本質が「技の獲得」にあることが見えてくる。

 西暦1700年か、あるいはさらに遅くまで、イギリスにはクラフト(技能)という言葉がなく、ミステリー(秘伝)なる言葉を使っていた。技能をもつ者はその秘密の保持を義務づけられ、技能は徒弟にならなければ手に入らなかった。手本によって示されるだけだった。

【『プロフェッショナルの条件 いかに成果をあげ、成長するか』P・F・ドラッカー:上田惇生〈うえだ・あつお〉編訳(ダイヤモンド社、2000年)】

 近代の歴史とも見事に符合する。中世以降、宗教が後(おく)れをとったのもここに理由があると思われる。科学的視点を欠いた宗教は「秘伝」を重んじて、「技能」を軽視したのだろう。キリスト教においてはプロテスタントが登場するまで聖書すら「秘伝」であった。これまた16世紀の歴史である。

術とはアート/『言語表現法講義』加藤典洋

 そして中世に「マネー」が生まれた。

マネーと民主主義の密接な関係/『サヨナラ!操作された「お金と民主主義」 なるほど!「マネーの構造」がよーく分かった』天野統康

 もちろん貨幣経済は古くから存在したが信用創造という概念はなかった。ユダヤ人の金貸しが発行した預り証が紙幣の原型であり、彼らは更に為替・証券・債権を誕生させ、銀行・保険・株式会社をつくり上げる。

 資本主義は資本がすべてであり、あらゆるものが商品化されるシステムだ。欲望まみれの社会で生き残るのはカネを掴んだ者だ。幸福は金額と化す。我々の生き方や脳はマネーに支配されている。マネーこそは中世以降、完全に世界を征服した宗教といっても過言ではない。単なる約束事であるにもかかわらず、誰もがその存在と価値を信じ込んで疑うことがないのだから。

 現代社会はマネーに対する反応で動いている。そしてグローバリゼーションという名の下で、明らかに経済が政治よりも優位性を強めている。多国籍企業が持つ力は既に国家を凌駕しつつある。

資本主義経済崩壊の警鐘/『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン

「意識を持つ自動人形」をやめることは可能だろうか? 極めて困難だ。我々が小説や映画やドラマ、漫画などを好むのは、「感情を操られたい」願望がある証拠だろう。学校や企業では「自動」の速度や合理化を競っている節すら窺える。

 ではどうするのか? 「止まる」ことだ。動くのをやめて止まればいい。そして心の動きまで止めてしまう。これを止観(しかん)という。そう。瞑想だ。本当に生きるためには死の淵まで降りる必要がある。瞑想は時間を止める行為でもある。三昧に至れば欲望は洗い落とされる。ま、至っていない私が言うのも何だが。


あたかも一角の犀そっくりになって/『スッタニパータ[釈尊のことば]全現代語訳』荒牧典俊、本庄良文、榎本文雄訳

2015-03-11

認識と存在/『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ


『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン
『死と狂気 死者の発見』渡辺哲夫

 ・手引き
 ・唯識における意識
 ・認識と存在
 ・「我々は意識を持つ自動人形である」
 ・『イーリアス』に意識はなかった

『新版 分裂病と人類』中井久夫
『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
『身体感覚で『論語』を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗

 何世紀にもわたって人々は考察と実験を重ね、時代によって「精神」と「物質」、「主体」と「客体」、「魂」と「体」などと呼ばれた二つの想像上の存在を結びつけようと試み、意識の流れや状態、内容にかかわる果てしない論考を行ない、様々な用語を区別してきた。そうした用語には「直観」(訳注 論証を用いないで対象を一挙に捉えること)、「センス・データ」(訳注 感覚を通じて意識に上るもの。イギリスの哲学者ジョージ・ムーアや同じくイギリスの哲学者バートランド・ラッセルの用語)、「所与」(訳注 外界から直接与えられるもの)、「生(なま)の感覚」(訳注 経験そのものから受ける主観的な感覚)、「センサ」(訳注 感覚のこと。イギリスの哲学者C・D・ブロードの造語)、「表象」(訳注 頭の中に現れる外的対象の像)、「構成主義者」(訳注 ドイツの心理学者ヴィルヘルム・ヴントなど)の内観における「感覚」や「心像」や「情緒」、科学的実証主義者(訳注 フランスの哲学者オーギュスト・コントなど)の「実証データ」、「現象的場」(訳注 アメリカの心理学者カール・ロジャース(ママ)が唱えた経験の主観的現実)、トマス・ホッブズ(訳注 1588-1679、イギリスの政治思想学者)の「幻影」(訳注 ホッブズは著書『リヴァイアサン』の中で、人が眠っていると気づかずに見る幻や幻影の話をしている)、イマヌエル・カント(訳注 1724-1804、ドイツの哲学者)の「現象」(訳注 カントは、私たちが経験するのは物ではなくその現象であるとし、現象に客観的現実を認めようとした)、観念論者の「仮象」(訳注 ドイツ観念論の頂点に立つ哲学者W・F・ヘーゲルは、カントの主観的な仮象と客観的な現象の二分法を退け、仮象も本質の現れであるとした)、エルンスト・マッハ(訳注 1838-1916、オーストリアの物理学者、哲学者)の「感性的諸要素」(訳注 マッハは、世界は色や音などの感覚的諸要素から成り立っていると考えた)、チャールズ・サンダース・パース(訳注 1839-1914、アメリカの論理学者)の「ファネロン」(訳注 パースの造語で、現象を意味する)、ギルバート・ライル(訳注 1900-76、イギリスの哲学者)の「カテゴリー・ミステイク」(訳注 ライルは、別のカテゴリーに属するものを同等に論ずることはできないとした)などがある。しかし、これらすべてをもってしても、意識の問題はいまだに解決されていない。この問題にまつわる何かが解決されることを拒み、しつこくつきまとってくる。
 どうしても消え去らぬのは差異だ。それは他者が見ている私たちと、私たち自身の内的自己観やそれを支える深い感覚との差異、あるいは、共有された行動の世界にいる「あなたや私」と、思考の対象となる事物の定めようのない在りかの差異だ。

【『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ:柴田裕之訳(紀伊國屋書店、2005年)】

 哲学の世界では近代から現代にかけて「認識論から存在論へ」という流れがあり、第一哲学へと回帰した。ところが1990年代に花開いた脳科学からは認知科学が実を結び、心理学もこれを追随している。

「『在る』とはどういうことか?」とパルメニデス(紀元前500年か紀元前475年-?)は考えた。「万物は流転する」(ヘラクレイトス)。変化するものを「在る」とすることはできない。彼はそう考えた。まったく厄介なことを考えたものだ。そこからイデアや創造神に向かうのは必定である。「在るものがあるはずだ」ってなことだ。

 仏教において人間の存在は五蘊(ごうん/色・受・想・行・識)という要素が構成するものとして見る。考えるのではない。見るのだ。色蘊(しきうん)は肉体、受・想・行・識はそれぞれ、感受・表象・意志・認識作用を意味する。自我を構成するのは五蘊であり、更に深く潜ると無我に至る。そして世界は無常を奏でる。一生という限られた時間の運動は認識に極まる(唯識)。ということは何もないのか? いや、ある。縁起という関係性があるのだ。

 西洋哲学が存在に固執するのは神(≒自我)への愛着から離れることができないためだろう。言葉をこねくり回して難しさを競うよりも、素直に仏教を学ぶべきだ。