・歩く瞑想/『君あり、故に我あり 依存の宣言』サティシュ・クマール
・等身大のブッダ/『小説ブッダ いにしえの道、白い雲』ティク・ナット・ハン
・プラム・ビレッジ(フランス)のシスターが語る気づきと瞑想
・ティク・ナット・ハン「食べる瞑想」
「昼食はすみましたか」
「いえ、まだです」
「それなら、これをいっしょに食べましょう」
【『小説ブッダ いにしえの道、白い雲』ティク・ナット・ハン:池田久代訳(春秋社、2008年)以下同】
シッダールタはふたりの子どもに微笑んで、「みんなでいっしょにわけあって食べよう」と言ってから、白いご飯の半分をとりわけて、それにゴマ塩をつけてスヴァスティに渡した。
「きみたちは、どうして私が黙って静かに食事をしたのかわかりますか? いまいただいたお米やゴマの一粒一粒は、とてもありがたいものです。静かにいただくと、十分にそれを味わうことができるでしょう」
「きみが持ってきてくれたひとかかえの香草は、すばらしい瞑想の敷物になりました。昨夜と今朝、私はその上に坐って、平和に満ちた瞑想のなかで、すべてのものがはっきりと見えた。きみは私に大きな助けをくれたのですよ、スヴァスティ。私の瞑想行がもっと進んだら、その成果をきっときみたちとわかちあうことにします」
たとえばビデオをレンタルして一人で見るよりは、二人でわいわい見たほうが楽しいでしょう? たとえ自分がレンタル料を払っていても友達と見ればレンタル料以上の楽しみを得ているはずです。本当の楽しみは共有することで生まれます。いわゆる「布施」の精神です。幸福はそこから生まれます。物惜しみは布施の反対で、すごく苦しいのです。(中略)
相手が求めようが求めまいが、ある程度のところで知らず知らずにわれわれはいろいろ共有します。幸福になりたければ、ものは「共有」するものなのです。
【『怒らないこと 2 役立つ初期仏教法話 11』アルボムッレ・スマナサーラ(サンガ新書、2010年)】
「時間と空間が完全に支離滅裂になった」と、彼は後に書いている。「わたしのまわりの動きが、最初はスピードを上げているように思えたのに、今度はスローモーションになった。現場はグロテスクな動きをする、混乱した悪夢さながらの幻影のようだった。目にするものはすべて歪んでいるように思えた。どの人も、どの物も、違って見えた」(ディエゴ・アセンシオ、米国大使)
【『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー:岡真知子訳(光文社、2009年/ちくま文庫2019年)以下同】
生死にかかわる状況においては、人は何らかの能力を得る代わりにほかの能力を失う。アセンシオは突然、非常にはっきりと目が見えるようになったことに気づいた(実際、テロリストたちに包囲されたあとの数ヵ月間は、視力がそれまでよりよくなったままで、一時的にメガネの度数を下げてもらうことになった)。一方、多くの調査によると、大多数は視野狭窄(きょうさく)になっている。視野が70パーセントほど狭くなるので、場合によっては、鍵穴から覗いているように思えることもあり、周囲で起こっていることを見失ってしまう。たいていの人はまた一種の聴覚狭窄に陥る。不思議なことにある音が消え、ほかの音が実際よりも大きくなるのだ。
ストレス・ホルモンは、幻覚誘発薬に似ている。
「準備をすればするほど、制御できるという気持ちが強くなり、恐怖を覚えることが少なくなる」(『破壊的な力の衝突』アートウォール、ローレン・W・クリステンセン)
彼(ブルース・シッドル、セントルイスの警察学校指導教官)は、心拍数が毎分115回から145回のあいだに、人は最高の動きをすることを発見した(休んでいるときの心拍数はふつう約75回である)。【それ以上になると機能は低下する】
もっとも意外な戦術の一つは呼吸である。(中略)どうすれば恐怖に打ち勝つことができるのかを戦闘トレーナーに尋ねると、繰り返し彼らが語ってくれたのが呼吸法だった。(中略)警察官に教える一つの型は次のようになっている。四つ数える間に息を吸い込み、四つ数える間息を止め、四つ数える間にそれを吐き出し、四つ数える間息を止める。また最初から始める。それだけだ。
黙想をしている人たちは、黙想をしているときに使われる前頭葉前部の皮質の一部で、脳組織が5パーセント分厚くなっていたのである。そこは、そのどれもがストレスの制御を助ける、感情の統制や注意や作動記憶をつかさどる部位である。
オリナー(社会学者サミュエル・オリナーと妻パール・オリナー。400人以上の英雄にインタビュー調査)が発見したことは、いわく言いがたいものだった。「なぜ人々が英雄的行為をするのかについて説明することはできません。遺伝的なものでも文化的なものでも絶対にないのです」。だがまず、何が問題に【ならなかった】かについて考えてみよう。信仰は違いをもたらしていないように見えた。
政治も行動を予測する要素にはならない、ということがオリナーの研究でわかった。救助者も被救助者もそれほど政治に関心を持っているわけではなかった。しかしながら、救助者たちは概して民主的で多元的なイデオロギーを支持する傾向があった。
しかし両者の間には重要な違いがあった。救助者のほうが両親との関係がより健全で密接である傾向があり、そしてまたさまざまな宗教や階級の友人を持っている傾向も強かった。救助者のもっとも重要な特質は共感であるように思われた。どこから共感が生じるのかを言うのはむずかしいが、救助者は両親から平等主義や正義を学んだとオリナーは考えている。
英雄的行為をとる人々は、日常生活においても「助ける人」であることが非常に多い。
一方、傍観者は、制御できない力にもてあそばれているように感じがちである。
英雄たちは幾度となく自分がとった行動を「もしそうしなかったら、自分自身に我慢できなかったでしょう」という言い方で説明している。
「利他主義も一皮むけば、快楽主義者なのだ」とギャラップは言う。
日本に文字が出来なかったのは、絶対王朝が出来なかったからです。「神聖王」を核とする絶対王朝が出来なければ、文字は生まれて来ない。(白川静)
【『白川静の世界 漢字のものがたり』別冊太陽(平凡社、2001年)以下同】
神聖王朝というと、そういう異民族の支配をも含めて、絶対的な権威を持たなければならんから、自分が神でなければならない。神さまと交通出来る者でなければならない。神と交通する手段が文字であった訳です。
これは統治のために使うというような実務的なものではない。(白川静)
白川●「くるう」という言葉は、「くるくる回る」という場合の「くる」ね、あの「くるくる」と同じ語源で、獣が時に自分の尻尾を追い掛けるようにしてくるくる回ったりしますね、ああいう理解出来ん動作をする、それが「くるう」なんです。
白川●だから「狂」というのは本当に気が触れてしまったというのではなくて、一種の異常な力が自分の内にあると考えられる状態を、本当は「狂」という。本当に狂うてしまったのでは話にならんのでね。狂うたような意識の高揚された状態、それが「狂」なんです。平常的なものを全部否定する。平常的なものの中にある限りはね、ものは少しも改革されない。既成の枠の中にきちんと納まってしまっておって、これはもう力を失っていくだけであって、新たな力を発揮するということは出来ませんわね。そういう風な状態にある時に、「狂」という、新しい創造的な力というものがそれを打ち破る。
岡野玲子●それで、実際に笛をを吹いた時にどういう変化があるのかというのを知らなくてはと思って、神社にお参りして、自分で実際に笛を吹いてみる、歌を歌ってみる。そして歌う前と歌った後ではどう違うのかっていうのを自分で体験しました。
実際に違うんです。笛を吹く前と吹いた後では、もう、その社から流れてくる力とか、その社に向かって見た時に、そこの社に見える色であるとかが、全部変わってくるんですね。
白川●いや自分でもね、ほんとうに僕が書いたのかなあって思う時がある。瞬(またた)く間にやったからな。『字統』は一年で書いてしまったでしょ。『字訓』も一年で書いてしまった。『字通』はね、用例などを吟味しておったから、それで手間がかかった。
歩きながら、母は私に適切に呼吸をすることを教え、呼吸に細心の注意を払うようにいった。「注意を払うことが、瞑想なのよ」と母はいっていた。歩きながら瞑想するという考えを幼いうちから教えておけば、そのことで私がくじけたりしないだろうと母は考えていたに相違ない。
私がとりわけ覚えているのは、母のこの言葉だった。「息を吸うときと吐くときの間の瞬間に気を向けなさい。息を吸ってもなく吐いてもいない一瞬を見つめるのよ。その瞬間を引き延ばそうとしたり、息を止めたりする必要はないわ、ただ見つめるのよ」
母はこの技を、12年間瞑想を実践してきた尼僧から学んだ。ジャイナ教の尼僧や僧侶は毎日裸足(はだし)で歩き、それ以外の輸送手段は使わない。だからこそ彼らは歩く瞑想の達人なのである。私がたいした苦労もせずに母から瞑想を習うことができたのは、幸運なことだった。
「呼吸は、あなたと世界を結びつけるのよ。あなたは、同じ生命の呼吸を、同じ空気を、すべての人々と分かち合っているの。この目に見えない仲立ちを通じて、すべての人と結びついているのよ。動物、鳥、魚、植物、そして宇宙全体と同じ呼吸を分かち合っているのよ。呼吸を通じて私たちみんながつながっているとは、なんて素晴らしいことでしょう。空気には、どんな壁も境界も、差別や分離もないわ。呼吸に注意を払うことで、あなたの分離の感覚は消えてしまうのよ」
母はこの呼吸の技について私に教えてしまうと話すのをやめ、私たちは10分から20分くらい黙って歩いた。
「足が土に触れるのと、息をするのと、どっちに注意を払えばいいの? 両方いっぺんにはできないよ」と母に尋ねたのを覚えている。
「いえ、できるわ。息をすることも歩くことも考えなければいいのよ。そういうことを考えることが瞑想ではないのよ。起こるにまかせればいいの」、時を経て初めて、私は母の言葉の意味が分かるようになった。瞑想は意識的な行為ではなく、思考や観念、手法や手段から抜け出すことなのだ。あるがままにあり、何が起こっているかに気づき、注意を払う、ということなのだ。
【『君あり、故に我あり 依存の宣言』サティシュ・クマール:尾関修、尾関沢人〈おぜき・さわと〉(講談社学術文庫、2005年)】
母の身体だけではなく、私の人生の歯車も狂いだしているとぼんやりと感じられもした。実際、その日(※母から国際電話があった日)を境に私の関心は、子どもたちから日本の母へと移らないわけにはいかなくなった。
【『逝かない身体 ALS的日常を生きる』川口有美子〈かわぐち・ゆみこ〉(医学書院、2009年)以下同】
ロックトイン・シンドロームという名称は医学用語ではなく、状態を示す言葉である。なかでも、まったく意思伝達ができなくなる「完全な閉じ込め状態」はTLSという別名を与えられていた。
病いの物語に多数の伏線が生じるのは病人のせいばかりではないし、母ではなく私の物語りも始まってしまうのは仕方がないことなのだ。病人たちの傍らにいるうちに、私の物の見方が変化したために夫が離れていったのである。夫の専業主婦だった私が「変わった」のは間違いではないが、夫も妻の体験にはいっさい興味をもたなかった。
こうして思い返してみると、母は口では死にたいと言い、ALSを患った心身のつらさはわかってほしかったのだが、死んでいくことには同意してほしくはなかったのである。
「地底に沈み込むような感じ」
「体が湿った綿みたい」
「重力がつらい」
「首ががくんとする」
神経内科医のもっとも重要な仕事のひとつに、家族をいかにその気にさせられるか、ということがある。「できる」と思わせるか、それとも「できない」と思わせるかは、その医師の心掛けしだいなのだが。
それは予想をはるかに超えた重労働であった。介護疲れとは、スポーツの疲労のように解消されることなどない。この身に澱(おり)のように溜まるのである。
もっとも重要な変化は、私が病人に期待しなくなったことだ。治ればよいがこのまま治らなくても長く居てくれればよいと思えるようになり、そのころから病身の母に私こそが「見守られている」という感覚が生まれ、それは日に日に重要な意味をもちだしていた。
たとえ植物状態といわれるところまで病状が進んでいても、汗や表情で患者は心情を語ってくる。
汗だけでなく、顔色も語っている。
そう考えると「閉じ込める」という言葉も患者の実態をうまく表現できていない。むしろ草木の精霊のごとく魂は軽やかに放たれて、私たちと共に存在することだけにその本能が集中しているというふうに考えることだってできるのだ。すると、美しい一輪のカサブランカになった母のイメージが私の脳裏に像を結ぶようになり、母の命は身体に留まりながらも、すでにあらゆる煩悩から自由になっていると信じられたのである。
私たちはけっして木を見つめません。あるいは見つめるとしても、それはその木陰に坐るとか、あるいはそれを切り倒して木材にするといった利用のためです。言い換えれば、私たちは功利的な目的のために木を見つめるということです。私たちは、自分自身を投影せずに、あるいは自分に都合のいいように利用しようとする気持ちなしに木を見つめることがけっしてないのです。まさにそのように、私たちは大地とその産物を扱うのです。大地への何の愛もなく、あるのはただその利用だけです。もし人が本当に大地を愛していたら、大地の恵みを節約して使うよう心がけることでしょう。つまり、もし私たちが自分と大地との関係を理解するつもりなら、大地の恵みを自分がどう使っているか、充分気をつけて見てみるべきなのです。自然との関係を理解することは、自分と隣人、妻、子供たちとの関係を理解することと同じくらい困難なことなのです。が、私たちはそれを一考してみようとしません。坐って星や月や木々を見つめようとしません。私たちは、社会的、政治的活動であまりにも忙しいのです。明らかに、これらの活動は自分自身からの逃避であり、そして自然を崇めることもまた自分自身からの逃避なのです。私たちは常に自然を、逃避の場として、あるいは功利的目的のために利用しており、けっして立ち止まって、大地あるいはその事物を愛することがありません。自分たちの衣食住のために利用しようとするだけで、けっして色鮮やかな田野をを見て楽しむことがないのです。私たちは、自分の手で土地を耕すことを嫌がります──自分の手で働くことを恥じるのです。しかし、自分の手で大地を扱うとき、何かとてつもないことが起こります。が、この仕事は下層階級(カースト)によってのみおこなわれます。われわれ上流階級は、自分自身の手を使うには偉すぎるというわけです! それゆえ私たちは自然との関係を喪失したのです。(プーナ、1948年10月17日)
【『瞑想と自然』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(春秋社、1993年)】