2014-02-23
アインシュタイン、鴻上尚史、岩崎允胤、山竹伸二、他
6冊挫折、1冊読了。
『カミと神 アニミズム宇宙の旅』岩田慶治(講談社学術文庫、1989年)/民俗学的かつ文化人類学的なカミ学といってよいだろう。10年前なら読んだ。私の興味は既に進化宗教学という方向へ向かっているため志向が合わず。この分野が好きな人は安田喜憲と併読するのがいいだろう。
『「認められたい」の正体 承認不安の時代』山竹伸二〈やまたけ・しんじ〉(講談社現代新書、2011年)/近頃「承認欲求」という言葉が目立つので開いてみた。胸が悪くなって直ぐ閉じた。一般的な人々は本当にこんな情況なのか? 承認なんざどうでもいいから、何か自分の好きなことをやるべきだ。他人の視線に合わせて生きる必要はない。
『ヘレニズムの思想家』岩崎允胤〈いわさき・ちかつぐ〉(講談社学術文庫、2007年)/良書。力のこもったヘレニズム哲学の解説書。セネカを調べるために開いた。立派な教科書本。時間がある時に再読する予定。
『知の百家言』中村雄二郎(講談社学術文庫、2012年)/原文を書き換えている時点でダメだと思う。著者は翻案のつもりか。我田引水が過ぎる。
『孤独と不安のレッスン』鴻上尚史〈こうかみ・しょうじ〉(大和書房、2006年/だいわ文庫、2011年)/鴻上が数年前に書いた成人の日のエッセイが素晴らしかったので読んでみた。ちょっと文章の余白が大きすぎると思う。普段本を読まない若者向けに書かれたのだろう。高校生くらいに丁度よいと思う。
『あなたの魅力を演出するちょっとしたヒント』(講談社、2000年/講談社文庫、2003年)/読み物としてはこちらの方が上だ。感情と声の演出は劇作家・演出家ならではの視線だろう。特に若い女性は外面よりも中身を磨くべきだ。自信のない者ほど飾り立てる傾向が強い。7~8年ほど前に鴻上とモノレール内で擦れ違ったがオーラのかけらもなかった。そこがまたいい。
10冊目『アインシュタイン150の言葉』ジェリー・メイヤー、ジョン・P・ホームズ編(ディスカヴァー・トゥエンティワン、1997年)/薄っぺらい上に余白だらけという代物。ツイッターのbotでも読めるのだが、やはり原典に当たらずにはいられないのが本読みの悲しい性だ。翻訳モノだから致し方ないとは思うが、それにしても作りがデタラメだ。訳者もわからず。紹介されている言葉のソースも不明。文庫で300円が妥当な値段だ。ただし、アインシュタインの言葉は燦然と光を放って読者の脳を撹拌(かくはん)する。一読の価値はある。
下位文化から下位規範が成立/『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹
・『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹
・『日本教の社会学』小室直樹、山本七平
・下位文化から下位規範が成立
・税金は国家と国民の最大のコミュニケーション
・イギリス革命は税制改革に端を発している
・憲法は慣習法
・『税高くして民滅び、国亡ぶ』渡部昇一
・『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する』小室直樹
・『消費税減税ニッポン復活論』藤井聡、森井じゅん
小室は消費税の簡易課税制度(※売上の20%を付加価値と見なし、これに消費税を課す。残りの80%は仕入れと原材料費と見なされる)が脱税の温床であると指摘する。それどころか「脱税制度そのもの」であると言い切る。
そして企業間で脱税が日常茶飯の社会行動と化す時、事業計画の中で「重要な変数」として扱われる。脱税プログラミングが開発され、悪徳数学者と悪徳経済学者と悪徳弁護士らが跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)し、手を組んで、やがて日本経済を危機に陥れる。これが小室の懸念だ。
【定常的な犯罪集団が形成されると、そこに下位文化(サブ・カルチャー)が生まれる。】
犯罪者集団独自の下位文化だ。この下位文化は、確(しっか)りと成員の行動を規定する(縛り付ける)。
そして、各成員は、斯くの如く規定された行動をする事が当然だと思い込む様になる。それが正しいと思ってしまうのである。【ここが恐ろしい】。
ぞっとしても足りない程である。
社会にとっては紛(まぎ)れもなく犯罪に違いない事も、犯罪者集団は全く正しい事だと思い込む様になってしまうのである。
と言う事は、どう言う事か。
犯罪者集団の成員は、堂々と犯罪行為を行なうと言う事だ。堂々と、良心の呵責(かしゃく)なんか何もなく。
社会全体の人々にとって、これより恐ろしい事は、またと考えられない。
だって、そうだろう。
普通、犯罪者と雖(いえど)も良心の呵責に苛(さいな)まれる。こんな事、心ならずも仕出かしてしまったが、本心ではやりたくはなかったんだ。
これこそ、犯罪に対する最大・最強の歯止め、バラバラな犯罪者の行為が、それほど恐ろしくないと言うのも、右の理由に因(よ)る。が、犯罪者集団が、定常的に、存在するとなると、事情は根本的に変わってくる。この犯罪者集団の中に下位文化が発生する事になると、尚更(なおさら)の事だ。
そうなると、下位規範(サブ・ノルム)が成立するであろう。詰(つ)まり、社会全体の規範(ノルム)とは全く違った規範が成立してしまうんのだ。これは大変である。
社会全体が正しいと思った事でも、この犯罪者集団では正しくない。社会全体が許さないと言ったところで、この犯罪者集団でなら許される。
犯罪者集団の構成員は、確信を以(も)って犯罪行為を遂行する。
決して、オドオドしたりしない。後悔を感じたりはしないものなのである。
確信を以って、所謂(いわゆる)「犯罪行為」を遂行する。オール確信犯と言って良い。
【『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹(ビジネス社、2012年)/カッパ・ビジネス、1989年『消費税の呪い 日本のデモクラシーが危ない』・天山文庫、1990年『悪魔の消費税』を改訂・改題】
脱税が常態化した企業内部のメカニズム原理を見事に抽出している。小室の文体には独特の臭みとしつこさがあるが、何も考えずに慣れた方がよい。漢字表記についても同様だ。
小室は学問の原理に忠実な人物であった。一切の妥協を許さなかった稀有な学者であった。弟子の一人である宮台真司は常々「天才」と絶賛している。あの宮台がである。
このテキストが凄いのは、あらゆる閉鎖的集団の内部構造を説明しきっているところだ。例えば政治的談合、あるいは省益・庁益のために働く官僚、そしてコンプライアンスを無視して利益のみを追求する企業。はたまたブラック企業・健康食品のマルチ商法、更には宗教団体やテロリスト集団にまで適用可能だ。
下位文化から下位規範が成立する。その規範とは「村の掟」だ。村人たちにとって「村の掟」は法律よりも重い。なぜなら彼らはそこに住み、生きてゆく他ないからだ。
人間の脳は同調圧力に対して屈する傾向が強い。それを社会心理学的に証明したのがソロモン・アッシュの同調実験であった。
・アッシュの同調実験/『服従の心理』スタンレー・ミルグラム
ヒトの社会性は本能に同調を促し、集団生活に収まることで生き延びる確率を高めたのだろう。つまり「集団に属する」ことは「その集団に同調する」ことを意味すると考えてよい。
我々は「皆がやっていることだから」という事実に基づいて自分自身をたやすく免罪する。営業マンを見れば一目瞭然だ。不自然なハイテンション、リスクに触れることのない説明、特定商取引法第16条を無視した営業トーク。あいつらは売れさえすればそれでいいのだ。自分のグラフを伸ばすためならどんなことでもやりかねない。
規範というものはある行動を規制しながらも別の行動を強く促す。集団内のモラルは時に世間のインモラルと化す。しかも官僚や企業の場合、賃金という形で返ってくる。どうせ労働力を売るなら高い方がよい。しかも多少我慢すれば一生面倒を見てもらえる。
結局のところ我々全員が損得で物事を判断しているのだろう。賃金の上昇を望む人は多いが、モラルの上昇を望む人を見たことがない。時折、正義感を発揮して内部告発をする勇者が登場すると、「馬鹿だよなー。おとなしくしていれば安全な人生を歩めたのに」などとテレビ越しに見つめる人も多い。
ザル法が日本経済を破壊することを覚えておこう。この春から消費税が増税される。デフレ脱却前に増税を決定したのは致命的な判断ミスだ。ワーキングプアも放置されたままだ。また消費税と自殺者数には相関関係があることも忘れぬように(『消費税のカラクリ』斎藤貴男)。
消費税は民意を問うべし ―自主課税なき処にデモクラシーなし―
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小室直樹
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・読書人階級を再生せよ/『人間の叡智』佐藤優
バスの運転手が昏睡状態に~少年がとった咄嗟の行動
少年の咄嗟の反応が凄い。ポポティ、訳して。/7th Grader Hero Saves Bus Driver and Passengers! Milton, Washington Jeremy Wuitschick - http://t.co/5BFsMtk23W
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 2月 18
@fuitsuono ジェレミー「何か様子が変だと思ってドライバーを見てたんだ。だって息ができないみたいで変な声を出してたからね。で、飛んで行ってハンドルをつかんで右へきり、キーを抜いたんだ。」
— タン・ポポティ (@urihamushi) 2014, 2月 18
@fuitsuono 人命救助の方法を何故知っていたのかはよく聞き取れなかったのですが本で読んだスーパーヒーローを真似したみたいです。
— タン・ポポティ (@urihamushi) 2014, 2月 18
@fuitsuono ヒーローは彼だけではなかった。彼は誰か911に電話して!と叫んだ。そして別の男子が助けに加わりCPRを施した。ジョニー「心臓マッサージをやったけど白眼をむいてたし息を吹き返すなんてもう無理じゃないかと思ってたよ」
— タン・ポポティ (@urihamushi) 2014, 2月 18
@fuitsuono ドライバーは瀕死の状態で病院へ。子供達は無傷で助かりました。とまあ動画の内容はこんな感じだと思います。記事によるとバスが止まってから見知らぬ男性が乗り込んで来てCPRを施し、病院に運んだみたいですが安否は不明となっています。
— タン・ポポティ (@urihamushi) 2014, 2月 18
@fuitsuono 使われている英語があまり難しくなかったので助かりました。関連記事によりますと、ジェレミーは自宅の車を洗ったご褒美によく車道じゃない場所でお母さんに運転させてもらっていたみたいです。
— タン・ポポティ (@urihamushi) 2014, 2月 19
※CPR=心肺蘇生法
怒りの終焉/『怒らないこと2 役立つ初期仏教法話11』アルボムッレ・スマナサーラ
・『仏陀の真意』企志尚峰
・『日常語訳 新編 スッタニパータ ブッダの〈智恵の言葉〉』今枝由郎訳
・『ブッダのことば スッタニパータ』中村元訳
・『スッタニパータ[釈尊のことば]全現代語訳』荒牧典俊、本庄良文、榎本文雄訳
・『原訳「スッタ・ニパータ」蛇の章』アルボムッレ・スマナサーラ
・『怒らないこと 役立つ初期仏教法話1』アルボムッレ・スマナサーラ
・怒りの起源
・感覚は「苦」
・怒りの終焉
・『心は病気 役立つ初期仏教法話2』アルボムッレ・スマナサーラ
・『苦しみをなくすこと 役立つ初期仏教法話3』アルボムッレ・スマナサーラ
・『ブッダの教え一日一話 今を生きる366の智慧』アルボムッレ・スマナサーラ
「幸福」「幸せ」「楽しみ」というのは妄想観念です。なぜかというと、「生きることは苦」ですから、「幸福」「楽しみ」は、本当は経験したことがないのです。
われわれはお腹が空くと苦しいから「嫌だ」と思います。そのとき、おいしいものを食べることが幸福だと思って、食べ物に飛びつきます。あるいは、子どもたちは好きなマンガやゲームを買ったりできれば幸せだと思ったりします。大人になっても同じです。お金に幸せあり。名誉に幸せあり。なにかの記録をつくることに幸せあり。人気があること、有名になることに幸せあり。権力に幸せあり。からだを美しく見せることに幸せあり……限りなく挙げることができます。
このような生き方を、ブッダは、「それは智慧のない世間が探し求める道である」と説きます。「これがあれば幸せ」というのは、ぜんぶ「嫌だ」という気持ちから出発しているのです。
【『怒らないこと2 役立つ初期仏教法話11』アルボムッレ・スマナサーラ(サンガ新書、2010年/だいわ文庫、2021年)以下同】
さ、書けるうちにどんどん書いてしまおう。ツイッターにうつつを抜かしている場合ではないぞ(笑)。
現代人は幸福病に冒されている。我々は不幸を実感しやすい環境にあるのだろう。そもそも幸福という言葉は明治期の翻訳語であると思われる。元々「幸せ」は「仕合わせ」と書き「巡り合わせ」を意味した。すると生命の次元においては苦楽が本質なのだろう。たぶん幸福を産んだのは大量生産だ。
「これがあれば幸せ」というのが前々回に書いた「気分が良くなる条件」である。人は特定の条件下で幸福感を覚える。つまり無条件に怒りを抱えているのだ。「幸せになりたい」との願望が現在の不幸を雄弁に語る。幸せを誓った男女が幸せになることも少ない。限りなく少ないな(笑)。ま、幸せをチラつかせるような相手は最初っから信用しないに限る。
「生きることは苦」であり、人は苦から別の苦へ乗り換えているだけ。一度も幸福になったことはありません。経験していない「幸福」をイメージすることはできません。ですから、勘違いの幸福を求めているのです。
「嫌だ」という怒りから、勝手に自分が「幸福」だと思っているものを求めます。その結果どうなるかというと、幸せになるどころか、逆に苦しみ増えるのです。
本当なら、求めるものを獲得すれば幸せになるはずですが、世間の幸福を求め続けるなら、どんどん苦しみが増えてしまいます。
「苦から別の苦へ乗り換えているだけ」との指摘が鋭い。チビがノッポになり、ハゲ頭がフサフサになり、出っ歯が矯正され、ブスが美女(あるいはブ男がハンサム)になり、病気が治り、老婆(あるいはジジイ)が若返ることが我々の幸福だ(女性差別とならぬよう配慮をした)。だったら後者は元々幸福なはずだろう。しかしそうは問屋が卸さない。皆が皆、それぞれの幸福を追い求めながら不幸をひしひしと感じているのだ。
苦しみが増えるとは幸福の条件が増えることだ。幼い頃はキャラメル一粒でも幸せになれた。大人の場合そうはいかない。自動車の運転免許が欲しい、自動車が欲しい、もっと大きな自動車が欲しいと際限なく欲望は肥大する。で、ベンツを買った翌日に誰かをひき殺してしまえば、もう何のための人生かわからない。
「このシステムはなんなのだ?」と、とことん現象のあり方を観察してみると、瞬間、瞬間、ものごとが消えていることに気づくのです。滝のように、泡のようにはじけてはじけて、次々に新しい現象が生まれている。「なんだ、そんなものか」とわかるのです。「それならしがみついたって価値がないだろう」と諦めて、無執着の心が生まれるのです。それを仏教は「覚(さと)り」と呼びます。「覚り」にいたる道こそが、聖なる道なのです。「覚り」に至ることで、一切の苦しみがなくなるのです。それが運命的な怒りの終焉でもあります。
これが諸行無常であり、空である。そして諸法無我と悟れば涅槃寂静となる。怒りから希望へ向かう時、欲望が生じる。三悪趣(地獄、餓鬼、畜生)に三毒を対応すれば、瞋(いか)り→地獄、貪り→餓鬼、癡(おろ)か→畜生である。不幸の構図としてこれにまさる生命の実相はあるまい。
日蓮は「当(まさ)に知るべし、瞋恚(しんに)は善悪に通ずる者也」(『諌暁八幡抄』)と説いた。日本の中世における個人意識の芽生えと受け止めることも可能だが、私はここに日蓮の限界があったと思う。似たようなことは三木清も言っている(『人生論ノート』)。日蓮が比叡山(延暦寺)で学んだのは天台ルールであった。折伏(しゃくぶく)という言論活動はディベートの様相を呈しており、日蓮は火を吐くように言葉を放った。彼は怒れる人であった。そこに弟子たちが分断・分裂を繰り返す要因があったのだろう。日蓮系教団がいつの時代も混乱に陥るのは日蓮の怒りに由来していると思われる。
怒りは暴力への扉でもある。大虐殺も小さな怒りから始まる。怒りを正当化する思想を恐れ、忌避せよ。正義の名の下で人類が残虐の限りを尽くしてきた歴史を忘れてはなるまい。
2014-02-22
ナオミ・クライン
1冊読了。
9冊目『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く(下)』ナオミ・クライン:幾島幸子〈いくしま・さちこ〉、村上由見子訳(岩波書店、2011年)/グローバリゼーションという現代史の闇に戦慄した。ミルトン・フリードマン率いるシカゴ学派が世界各地で惨事に便乗して経済的白紙状態を創造する。ブッシュ大統領が叫んだ自由と民主化は規制撤廃と民営化を意味した。そしてグローバル企業が行うのは「エコノミック・レイプ」に他ならない。彼らは惨事に便乗した挙げ句に更なる惨事を拡大再生産するのだ。それにしても凄まじい限りだ。米国内においても極端な民営化を進めるあまり国家が空洞化しているという。最終章で南米各国の希望的前進が描かれているが、やはり犠牲が大きすぎる。日本にもTPP加盟でショック・ドクトリンが処方されることだろう。それを防ぐためにはゆうちょ銀行・郵便局や水道事業などの民営化を阻止する必要がある。中道左派による社会民主制が望ましいが該当する政党が日本には存在しない。社共を含めた政界再編が求められる。本書を読まずして現代史に目を開くことはできない。
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