・目次
・エリ・ヴィーゼルはホロコースト産業の通訳者
・誇張された歴史を生還者が嘲笑
・1960年以前はホロコーストに関する文献すらなかった
・戦後、米ユダヤ人はドイツの再軍備を支持
・米ユダヤ人組織はなりふり構わず反共姿勢を鮮明にした
・第三次中東戦争がナチ・ホロコーストをザ・ホロコーストに変えた
・1960年代、ユダヤ人エリートはアイヒマンの拉致を批判
・六月戦争以降、米国内でイスラエル関連のコラムが激増する
・「ホロコースト=ユダヤ人大虐殺」という構図の嘘
・ホロコーストは「公式プロパガンダによる洗脳であり、スローガンの大量生産であり、誤った世界観」
・ザ・ホロコーストの神聖化
・ホロコーストを神聖化するエリ・ヴィーゼル
・ホロコースト文学のインチキ
・ビンヤミン・ヴィルコミルスキーはユダヤ人ですらなかった
・『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
・『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘
・『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
・『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘
生きてゆくためなら利口になる必要がある――それを否定する人は少ないだろう。しかし、功利主義は時に善悪を見失い、いつしか我が身を狡猾さで染めてゆく。まして歴史を改竄(かいざん)するともなれば、後世の人々を嘘で惑わす結果となる。これほどの巨悪はあるまい。
ナチのユダヤ人絶滅計画が公の場で語られなかった本当の理由は、アメリカ・ユダヤ指導者層の体制的順応政策と、戦後アメリカの政治風土だった。国内問題でも国際問題でも、アメリカ・ユダヤのエリートたちは、アメリカ当局の方針に忠実に従った。そうすることで、同化による権力への道という伝統的な目標が実際に促進された。冷戦が始まると、主流ユダヤ人組織もこの争いに飛び込んでいった。アメリカ・ユダヤのエリートたちがナチ・ホロコーストを「忘れた」のは、ドイツ(1949年からは「西ドイツ」)が戦後アメリカの重要な同盟国となり、アメリカとともにソヴィエト連邦と対峙するようになったからだ。今さら過去をほじくり出しても何の役にも立たないばかりか、問題を複雑化するだけだった。
わずかな留保条件を残したのみで(それでもすぐに破棄された)、主だったアメリカ・ユダヤ人組織はすぐに政府方針に従い、ほとんど脱ナチ化していないドイツの再軍備を支持した。アメリカ・ユダヤ人委員会(AJC)は、「新方針および戦略的アプローチに対して組織的に反抗すれば、アメリカのユダヤ人は多数派を占める非ユダヤ人から孤立してしまい、戦後国内で達成してきた実績が危うくなる」として、まっ先にドイツとの再同盟の利点を説いた。シオニズム推進派の世界ユダヤ人会議(WJC)とそのアメリカ支部は、始めはこの方針に反対していたが、1950年代初めにドイツとの補償条約が調印されると反対をやめた。
【『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン: 立木勝〈たちき・まさる〉訳(三交社、2004年)】
ユダヤ・エリートはアメリカの国策に従う道を選んだ。そのこと自体を私は批判するつもりはない。アメリカはユダヤ人国家ではないのだから、必要以上の軋轢(あつれき)を避けたと見ることもできよう。問題は、戦後のこうした事実を隠蔽(いんぺい)して、後出しじゃんけんのようにホロコーストを糾弾したことだ。
もしも全てが、最初から練られた戦略であったとするならば、ユダヤ人恐るべしとしか言いようがない。