・『ことばが劈(ひら)かれるとき』竹内敏晴
・蝶のように舞う思考の軌跡
・体から悲鳴が聞こえてくる
・所有のパラドクス
・身体が憶えた智恵や想像力
・パニック・ボディ
・セックスとは交感の出来事
・インナーボディは「大いなる存在」への入口
・『ことばが劈(ひら)かれるとき』竹内敏晴
・『身体が「ノー」と言うとき 抑圧された感情の代価』ガボール・マテ
・『身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法』べッセル・ヴァン・デア・コーク
・『日本人の身体』安田登
・『サピエンス異変 新たな時代「人新世」の衝撃』ヴァイバー・クリガン=リード
・『ストレス、パニックを消す!最強の呼吸法 システマ・ブリージング』北川貴英
・『「疲れない身体」をいっきに手に入れる本 目・耳・口・鼻の使い方を変えるだけで身体の芯から楽になる!』藤本靖
・『フェルデンクライス身体訓練法 からだからこころをひらく』モーシェ・フェルデンクライス
・『ニュー・アース』エックハルト・トール
・『瞬間ヒーリングの秘密 QE:純粋な気づきがもたらす驚異の癒し』フランク・キンズロー
・必読書リスト その二
近年、脳科学本が充実しているが、身体論と併せて読まなければ片手落ち(※差別用語じゃないからね)となる。人体にあって、確かに脳は司令塔であるが、五官からの情報によって脳内のネットワークが変化することもある(池谷裕二著『進化しすぎた脳 中高生と語る〔大脳生理学〕の最前線』朝日出版社、2004年)。つまり、脳と身体はフィードバックによる相互関係で成立している。
いつの頃からか、若者が自分の身体を傷つけるようになった。一般的に攻撃性は他者に向かう。だから、いじめは昔からあった。それどころか、実はチンパンジーの世界にもいじめが存在する(フランス・ドゥ・ヴァール著『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』早川書房、2005年)。社会を構築する動物の世界には、確固たる“権力”が存在する。そして社会はピラミッド型の序列(ヒエラルキー)を形成する。で、下の奴が上の奴にいじめられるってわけだ。
若者の自傷行為は、引きこもりと相前後していると思われる。と言うよりも、むしろ引きこもり自体がある種の自傷行為と考えていいのかもしれない。
鷲田清一は、身体が本来持っていた智慧が失われ、悲鳴を上げていると指摘している――
なにか身体の深い能力、とりわけ身体に深く浸透している智恵や想像力、それが伝わらなくなっているのではないか。あるいは、そういう身体のセンスがうまく働かないような状況が現れてきているのではないか。
そんな身体からなにやら悲鳴のようなものが聞こえてくる気がする。身体への攻撃、それを当の身体を生きているそのひとがおこなう。化粧とか食事といった、本来ならひとを気分よくさせたり、癒したりする行為が、いまではじぶんへの、あるいはじぶんの身体への暴力として現象せざるをえなくなっているような状況がある。
たとえばピアシング。芹沢俊介は、ある新聞記事のなかで(『朝日新聞』1995年8月30日夕刊)、「一つの穴(ピアス用の)を開けるたびごとに自我がころがり落ちてどんどん軽くなる」という男子の言葉を引き、次のようにのべている。
「気になることというのは、彼らが自己の体に負荷をかけ続けることで自我の脱落という感覚を手に入れている点である。自分を相手にしたこの取引において、彼らは自己の体への小さな暴力といっていいような無償の負荷──フィジカルな負荷──を自分から差し出すことによって、精神的な報酬を得ている。教団という契機を欠いているけれど、私にはこれが宗教に近い行為のように映るのである」、と。
あるいは摂食障害という、食による自己攻撃。
あるいは、生理がなくなって、なのにそれがうれしい、身軽になった感じという、20代の女性の感覚。
あるいはセックス。〈食〉と同じように〈性〉という現象にも過敏になって、とりあえず早くやりすごしたいと思う思春期の女性が増えているという。
【『悲鳴をあげる身体』鷲田清一〈わしだ・きよかず〉(PHP新書、1998年)】
自傷行為は“生”の暴走なのか落下なのか。はたまた、“生きる側”に必死でしがみつく行為なのか。あるいは自分で自分に下す罰なのか――私にはわからない。
「彼女達は“生きるため”にリストカットをする」と宮台真司が言っていた。しかしながら、やってることは自分自身に対する暴力である。つまり、「生きるための暴力」を正当化することになりかねない。
私は違うと思う。彼女達はリストカットをするたびに「死んでいる」のだ。そして、手首から滴り落ちる血の中から再び生まれてくるのだろう。
若者の自傷行為は、「生きるに値しない世の中」に対する絶望的な抗議である。
・自我と反応に関する覚え書き/『カミとヒトの解剖学』 養老孟司、『無責任の構造 モラル・ハザードへの知的戦略』 岡本浩一、他