2011-06-18

愛するもののことを忘れて、自分のことしか考えなくなったとき、人は自ら敗れ去る/『アラブ、祈りとしての文学』岡真理


『物語の哲学』野家啓一
『死と狂気 死者の発見』渡辺哲夫

 ・自爆せざるを得ないパレスチナの情況
 ・9.11テロ以降パレスチナ人の死者数が増大
 ・愛するもののことを忘れて、自分のことしか考えなくなったとき、人は自ら敗れ去る
 ・物語の再現性と一回性
 ・引用文献一覧

『プルーストとイカ 読書は脳をどのように変えるのか?』メアリアン・ウルフ
『アメリカン・ブッダ』柴田勝家
『ストーリーが世界を滅ぼす 物語があなたの脳を操作する』ジョナサン・ゴットシャル
『悲しみの秘義』若松英輔

必読書リスト その一

 サルトルは言った。「飢えて死ぬ子供を前にしては『嘔吐』は無力である」「作家たるものは今日飢えている20億の人間の側に立たねばならず、そのためには、文学を一時放棄することも止むを得ない」と。

文学は役にたちますか?
飢えて死ぬ子供の前で文学は有効か

 自問自答の深さが人々を粛然とさせる。文学に出来ることと出来ないことの境界を見極めようとする真摯な姿勢が胸を打つ。否、「胸を撃つ」というべきか。面白半分に扇情的な言葉をまき散らかすどこぞの都知事とは大違いだ。

 サルトルが示したテーマに岡真理は敢然と挑む。一人の文学者としてサルトルの前に正座で向き合う。正しい姿勢が凛冽さを放っている。

「アーミナ」とはアラビア語で「信じる人」を意味する(※イブラーヒーム・ナスラッラー著『アーミナの縁結び』2004年、邦訳未刊)。夫のジャマールは生前、アーミナにこう語った。

 人間とはいつ、自ら敗れ去るか、ねえアーミナ、きみは知っているかい? 人はね、自分が愛するもののことを忘れて、自分のことしか考えなくなったとき、自ら敗れ去るのだよ。たとえ彼にとってその瞬間、大切なものは自分自身をおいてほかにないと彼が思っていたとしてもね。それは本当のところ街をからっぽにしてしまうんだ。人もいなければ木々も、通りも、思い出も、家すらなく、あるのはただ家の壁の影だけ、そんな空っぽな街に……。

 自分と自分たちだけのことしか考えなくなったとき、人間は自ら敗北するのだというその言葉は、パレスチナ人に自分たちと等価の人間性を認めず、自分たちの安全保障しか眼中にないユダヤ人国家の国民たちに対する根源的な批判であるだろう。

【『アラブ、祈りとしての文学』岡真理(みすず書房、2008年/新装版、2015年)】

 イスラエルとユダヤ人を巡る問題は、その根を数千年前にまで伸ばす。旧約聖書の出エジプト記に端を発す。事実の有無を問うことに意味はない。ヨーロッパ、中東、ロシア世界で何千年にもわたって信じられてきた歴史だ。

 世代から世代へと受け継がれると神話は事実と化す。物語とは時系列に因果を当てはめる脳の癖で、時間に支配されている。「昔々、あるところに――」。昔から現在へと向かい、未来を照らす教訓が物語であろう。

 私の人生で「わかっている」ことは私の過去だけである。「明るい未来」などという言葉があるがこれは嘘だ。明るいのであれば「見えている」はずだ。一寸先は闇だ。暗いということではなくして、見えないから闇なのだ。

 もう少し突っ込んでみよう。物心がついてから今日に至るまでが「私の世界」である。私にとって私が生まれる前の世界は存在しない。ところが父の世界があり、祖父の世界がある。私の存在しない世界を彼らは教えてくれる。こうして私は歴史的な存在となる。「昔々」が「私」という形に集約されるのだ。

 それゆえ壮大な物語は桁違いの過去を目指す。創世記、久遠実成(くおんじつじょう)、ビッグバン……みんな一緒だ(笑)。未来がわからないものだから、永遠性を求めて過去に向かうのだろう。多分そんなところだ。

 イブラーヒーム・ナスラッラーの言葉が心を揺さぶるのは、特定の宗教や政治性に彩られていないためだろう。万人が善と認める響きを伴っている。これが真の宗教性だ。

 一方、正義は対立概念であり悪と戦わざるを得ない。泥棒にとっての正義は盗むことである。アメリカの正義はタリバンから見れば悪となる。

 出エジプト記やバビロン捕囚の物語がユダヤ人迫害の口実となり、幾度となく虐殺されてきた。3000年に及ぶストレスがイスラエル建国に結びついた、というのが私の考えだ。

 人類に「新しい物語」が必要なのか、それとも「物語性から離れる」ことが重要なのか――ここ数年にわたって思索しているが、まだ立ち往生中である。



ユダヤ人が迫害される理由 I ユダヤ人の歴史
ユダヤ人が迫害される理由 II ドレフュス事件

2011-06-16

イカレてること


 世界のありようがこんな調子なら、イカレてることこそ、生きつづける唯一の資格になるんだ。それが、たったひとつの資格なのさ。(「奴隷」)

【『ダッチマン/奴隷』リロイ・ジョーンズ:邦高忠二〈くにたか・ちゅうじ〉訳(晶文社、1969年)】

ダッチマン/奴隷

ヴォルテール


 1冊挫折。

 挫折28『カンディード 他五篇』ヴォルテール:植田祐次訳(岩波文庫、2005年)/文章が肌に合わず。SFっぽい内容に驚いた。

教育の機能 3/『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ


 ・自由の問題 1
 ・自由の問題 2
 ・自由の問題 3
 ・欲望が悲哀・不安・恐怖を生む
 ・教育の機能 1
 ・教育の機能 2
 ・教育の機能 3
 ・教育の機能 4
 ・縁起と人間関係についての考察
 ・宗教とは何か?
 ・無垢の自信
 ・真の学びとは
 ・「私たちはなぜ友人をほしがるのでしょうか?」
 ・時のない状態
 ・生とは
 ・習慣のわだち
 ・生の不思議

クリシュナムルティ著作リスト
必読書リスト その五

 教育を受け終わると我々は大人として社会に受け入れられる。社会とは殆どの場合において「会社」を意味する。そこで我々は労働力(≒商品)として扱われる。学校教育で叩き込まれた協同の精神は遺憾なく発揮され、数年も経てばいっぱしの企業戦士ができあがる。かつて人間であったことを失念しながら。

 私たちが成長し、大人の男女になるとき、みんなどうなるのでしょう。君たちは、大きくなったら何をしようかと、自分自身に問うたことがないですか。君たちはたいてい結婚し、自分がどこにいるのかも知らないうちに母親や父親になるでしょう。それから、仕事や台所に縛られて、しだいにそこから衰えてゆくでしょう。それが【君】の人生のすべてになってゆくのでしょうか。この問題を自分自身に問うたことはないですか。問うべきではないですか。君の家が豊かなら、すでにかなりの地位が保証されているかもしれません。お父さんが安楽な仕事を与えてくれるかもしれません。恵まれた結婚をするかもしれません。しかし、そこでもやはり腐敗し、衰弱するでしょう。わかるでしょうか。

【『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ:藤仲孝司〈ふじなか・たかし〉訳(平河出版社、1992年)以下同】

 家事や仕事の本質は「繰り返し」である。社会や家庭は人間に「機能」を求める。生(せい)そのものが機械的になってゆく。押しつけられた「役割」は人間を部品として扱うため断片化せざるを得ない。

「自分がどこにいるのかも知らないうちに」――何と辛辣(しんらつ)な言葉か。人生の主導権を会社に奪われ、目的地まで勝手に決められる。

 生活の中で創造性を発揮したことがあるだろうか? 他人と比較しないところに喜びを見出したことがあるだろうか? もっと基本的なことだが今まで生きてきて自由を味わったことはあるだろうか?

 出自、学歴、才能、技術、性別、出身地、容貌、病歴など、あらゆる要因で社会は人間をランク付けする。社会とはヒエラルキーの異名であり、柔らかなカースト制度である。目に見えないバリアーが社会の至るところに張り巡らされている。

 生という、微妙なすべて、そのとてつもない美しさ、悲しみ、喜びのある大いなる広がりを理解する助けとならないなら、教育には確かに意味がありません。君たちは学歴を得て、名前の後に肩書きを連ね、とてもよい仕事に納まるかもしれません。しかし、それからどうなるでしょう。その過程で心が鈍り、疲れて愚かになるなら、それが何になるのでしょう。それで、若いうちに生とはどういうものなのかを探して見出さなくてはならないでしょう。そして、これらすべての問題の答えを見出そうとする智慧を君に涵養することが、教育の真の機能ではないのでしょうか。智慧とは何か、知っていますか。確かに智慧とは、何が本当で何が真実なのかを自分自身で発見しはじめるように、恐怖なく公式なく、自由に考える能力です。しかし、怯えているなら、決して智慧は持てないでしょう。精神的だろうと現世的だろうと、どんな形の野心も不安と恐怖を生み出します。そのために野心は、単純明快、率直で、それゆえに智慧のある心をもたらす助けにはなりません。

 我々は怯(おび)えている。いつ職を失うかもしれない。災害に遭遇するかもしれない。そして病気になるかもしれないのだ。この恐怖感が依存を生む。親に依存し、会社に依存し、国家に依存する生き方が形成される。

 現在行われている教育は体制に従わせる教育であり、労働者と兵士を育てるところに目的がある。学校は納税者製造工場といってよい。つべこべ言わないで大人には従え、逆らうな、そうすれば最低限の面倒はみてやろう。これが職業教師の教えていることだ。

 本来、学ぶことは驚きに満ちているものだ。知ることは喜びであったはずだ。ところが、あれだけ物語をねだっていた幼子たちが、長ずるにしたがって本を読まなくなる。新しい世界に手を伸ばそうとしないのだ。

 社会全体を柔らかなファシズムに覆われ、子供たちには薄い膜のようなプレッシャーが連続的に与えられる。子供たちはいなくなった。存在しているのはペットと家畜だけだ。

 私は新生児に向かって呟く。「残酷極まりない世界へようこそ」と。


2011-06-15

マネーゲームの作法/『騙されないための世界経済入門』中原圭介


 ・マネーゲームの作法

『2025年の世界予測 歴史から読み解く日本人の未来』中原圭介

 投資本は大仰(おおぎょう)なタイトルで人目を惹きつけ、欲望を煽り立て、甘く囁く。「一攫千金(いっかくせんきん)を願うならば、まずはこの本に投資しなさい」と。「普通預金の金利が0.02%だから、それ以上のリターンがあるなら一つやってみるか」となりやすい。

 こうしてカモのご来店となる。「いらっしゃいませ、賭場(とば)へようこそ」。ビギナーズラックは強烈な快楽となって脳内に刻印される。性的快感と同じ部位が反応することが医学的に明らかになっている。

 詐欺まがいの投資本が多い中で、中原圭介はいぶし銀のような光を放っている。経済の原則から合理性を追求する姿勢は信頼に値する。わけのわからん勝率や利益率とも無縁だ。彼は2007年のサブプライムショックを事前に予測した人物の一人でもある。

 住宅ローンの不良債権化が一服し、貸倒引当金の計上を減らしたことが好決算を支えています。
 これを明るい材料と見なし、あたかも米国の危機は去ったかのように報じられることが多いのですが、私はそうではないと考えています。
 なぜなら、【金融機関の業績回復は、単に民間の赤字が政府へ移転された結果にすぎない】からです。

【『騙されないための世界経済入門』中原圭介(フォレスト出版、2010年)以下同】

 これを「リスクの付け替え」と称する。簡単にいえば政府の赤字は国民の黒字ということであり、アメリカの借金は世界の財産を意味する。

日本は「最悪の借金を持つ国」であり、「世界で一番の大金持ちの国」/『国債を刷れ! 「国の借金は税金で返せ」のウソ』廣宮孝信

 つまりサブプライムショック、リーマンショックを経てアメリカは金融緩和政策を行ってきたが、リスクが政府に移動しただけで問題解決になっていないという指摘だ。すると、世界経済そのものがサブプライム化していると考えるべきなのだろう。これぞ、資本主義のインフレマジック。

 1980年代初頭には、米国の企業収益に占める金融機関の割合は全体の10%にすぎませんでしたが、2000年には全体の45%を金融機関が稼ぎ出すまでになりました。

 絶対におかしい。いつの間にか昔は株屋と蔑まされた証券会社がいっぱしのエリート面をしている時代になっている。銀行だって所詮金貸しだ。他人の褌(ふんどし)で相撲を取っているだけで、何ひとつ生産しているわけではない。右から左へお金を動かすだけで利益が出る商売なのだ。

 堀江貴文村上世彰〈むらかみ・よしあき〉が世間の耳目を集めた頃、「マネーゲームはダメだ。やはり額に汗して稼ぐことが正しい」という声がメディアに溢れた。

 馬鹿丸出しである。しかも、スタジオのスポットライトで額に汗する連中が市民面をして言うのだから、開いた口が塞がらない。経済行為はその全てがマネーゲームだ。労働と賃金を交換しようが、先月買った株を売却しようが本質は一緒である。経済行為とは交換の異名であることを弁える必要があろう。

 ヨーロッパを見ればもっとわかりやすい。富豪とは働かない人々を指すのだ。彼らは先祖から譲り受けた資産を運用しているだけだ。

 更に具体的に申し上げよう。我々が労働で得た賃金は預金となって必ずどこかへ投資されているのだ。だからマネーゲームを批判するのであれば、まず最初に銀行を槍玉に挙げることが正しい。

 話を戻そう。では1980年代に何があったのか? アジア諸国で準固定相場制度が普及したことと、プラザ合意(1985年)が大きな要因だと思われる。プラザ合意は日本をバブル景気へと導いた。1980年代後半には東京都の山手線内側の土地価格でアメリカ全土が買えるという話まで出たが、失われた10年で資産はアメリカに全部持っていかれた。実は日本から流れたマネーがアメリカの住宅インフレを支えていたのだ。

固定相場制以前、固定相場制時代、変動相場制時代の主な出来事

 財政を引き締めるということは、その国の経済が弱まることを意味しますから、通貨安の要因となります。
 また、金融緩和で市中に供給されるマネーの量が増えれば、需要と供給の関係で通貨の価値は下がります。
 よって、2011年に入っても、ごく自然な形でドル安傾向が維持されることになるわけです。

 これはアメリカの話。ま、貧血みたいな状態と考えてよかろう。円高ドル安は止まらない。

 ほかの国々は、このままの一方的なドル安を容認しないでしょう。
【今後は新興国を中心に、ドル買い自国通貨売りの為替介入が進み、ドル安を押し戻す動きが強まる】はずです。

 実際に世界的な通貨安競争となったわけだが日本は何もしなかった。指をくわえて眺めていただけだ。

【「経済の本質」から言って、物価が上がらない最大の原因は、労働者の賃金が上がらないところにあります】。私は「この本質」が、他のあらゆる経済理論に対して優先されるべきであると確信しています。
 健全なインフレは「労働者の賃金上昇→消費の拡大→物価の上昇」というプロセスで起こります。悪性のインフレは論外ですが、年2%程度の物価上昇が続く健全なインフレは、持続的な経済成長するためには不可欠なものです。

 中野剛志〈なかの・たけし〉が散々指摘しているように日本経済の最大の問題はデフレである。供給過剰で物が売れない状態がデフレだ。で、売れないものだから値下げ競争に拍車がかかる。当然、賃金も下がる。企業は安い労働力(派遣労働者、外国人労働者など)を確保する。軽自動車、ユニクロ、100円ショップが国内を席巻する。

【経済の本質では、財政再建を進めれば、景気は悪くなります。】
 それがわかっていれば、「景気が上向く」という予測などできないはずなのです。

 カンフル剤を打つべき時に政府は国民に献血しろと促している。TPPや増税は「臓器を提供しろ」と言っているようなものだ。

600兆円の政府紙幣を発行せよ/『政府貨幣特権を発動せよ。 救国の秘策の提言』丹羽春喜

【経済が成熟した国では、通貨安がインフレを招くことはありません】。輸入物価が上昇しても、消費減少による物価下落圧力が相殺してしまうからです。

 これはTPPへの反論にもなっている。

 私が高度情報化社会の弊害だと感じているのは、【人々のマインドの振れを大きく、かつ深化させてしまう】という点です。要するに、溢れるように流れ込んでくる情報の洪水が私たちの頭の中に蓄積され、いつしかそれが概念そのものになってしまう危険性があるということです。

 これは違う。なぜなら概念は情報であるからだ。行動情報化社会の弊害は、政府や広告代理店による情報操作だ。ディスクロージャー(情報公開)を問うべきであって、スピードを戒めるべきではない。

 総じて中原はマネーゲームの作法を誠実に教えいてる。