2011-06-28

教育の機能 4/『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ


 ・自由の問題 1
 ・自由の問題 2
 ・自由の問題 3
 ・欲望が悲哀・不安・恐怖を生む
 ・教育の機能 1
 ・教育の機能 2
 ・教育の機能 3
 ・教育の機能 4
 ・縁起と人間関係についての考察
 ・宗教とは何か?
 ・無垢の自信
 ・真の学びとは
 ・「私たちはなぜ友人をほしがるのでしょうか?」
 ・時のない状態
 ・生とは
 ・習慣のわだち
 ・生の不思議

クリシュナムルティ著作リスト
必読書リスト その五

 幼児教育として家庭で行われているのは剪定(せんてい)と枝打ちだ。7年ほど経つと伐採されて工場へ送られる。裁断が施され、不要な樹皮を削り取り、研磨が加えられる。めでたく統一規格品に合格すれば小学校を卒業だ。

 これがエスタブリッシュメントの子弟であれば、幼児期から針金でぐるぐる巻きにされた盆栽状態と化す。最初から枝を伸ばす余地はない。

 現在行われているのは、教育という名の巧妙な暴力である。概念を支配し、感受性を束縛することで「正しい反応の仕方」を叩き込む。子供たちは社会の奴隷であればあるほど高く評価される。信念とは強要された忠誠心でしかない。

 若いうちに恐怖のない環境に生きることは、本当にとても重要でしょう。私たちのほとんどは、年をとるなかで怯えてゆきます。生きることを恐れ、失業を恐れ、伝統を恐れ、隣の人や妻や夫が何と言うかと恐れ、死を恐れます。私たちのほとんどは何らかの形の恐怖を抱えています。そして、恐怖のあるところに智慧はありません。それで、私たちみんなが若いうちに、恐怖がなく、むしろ自由の雰囲気のある環境にいることはできないのでしょうか。それは、ただ好きなことをするだけではなく、生きることの過程全体を理解するための自由です。本当は生はとても美しく、私たちがこのようにしてしまった醜いものではないのです。そして、その豊かさ、深さ、とてつもない美しさは、あらゆるものに対して――組織的な宗教、伝統、今の腐った社会に対して反逆し、人間として何が真実なのかを自分で見出すときにだけ、堪能できるでしょう。模倣するのではなく、発見する。【それ】が教育でしょう。社会や親や先生の言うことに順応するのはとても簡単です。安全で楽な存在方法です。しかし、それでは生きていることにはなりません。なぜなら、そこには恐怖や腐敗や死があるからです。生きるとは、何が真実なのかを自分で見出すことなのです。そして、これは自由があるときに、内的に、君自身の中に絶えま(ママ)ない革命があるときにだけできるでしょう。
 しかし、君たちはこういうことをするように励ましてはもらわないでしょう。質問しなさい、神とは何かを自分で見出しなさい、とは誰も教えてくれません。なぜなら、もしも反逆することになったなら、君は偽りであるすべてにとって危険な者になるからです。親も社会も君には安全に生きてほしいし、君自身も安全に生きたいと思います。安全に生きるとは、たいがいは模倣して、したがって恐怖の中で生きることなのです。確かに教育の機能とは、一人一人が自由に恐怖なく生きられるように助けることでしょう。そして、恐怖のない雰囲気を生み出すには、先生や教師のほうでも君たちのほうでも、大いに考えることが必要です。

【『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ:藤仲孝司〈ふじなか・たかし〉訳(平河出版社、1992年)以下同】

 生の不安は恐怖に根差している。生存を脅かすのは暴力だ。戦争が報道されることで世界は常に戦場と化している。大量の殺人と自殺と事故死に我々は取り囲まれている。少年は少年兵となった。これが教育の成れの果てだ。

少年兵は自分が殺した死体の上に座って食事をした/『戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった』イシメール・ベア

 与えられる罰は暴力である。罰とは社会が許容する暴力の異名なのだ。罰を与えるのは楽だ。考える必要がない。決まったルールに従うだけで済む。教師がわかりやすい条件を示せば、児童はあっさりとパブロフの犬に変身する。


 暴力の本質は支配することだ。仏典では他化自在天として説かれている(あるいは第六天の魔王とも天魔とも)。「他人を自由自在に化(け)する(=コントロールする)」のが権力のメカニズムである。「天」とは六道の最上位に位置し天下を示す。つまり社会だ。

 とすると六道輪廻(ろくどうりんね)は、社会通念に従い、古い常識に額づく束縛状態を表しているのだろう。成功というゴールを目指す競争に参加することが、暴力や差別を結果的に支えてしまう。

 君たちはこれがどういうことなのか、恐怖のない雰囲気を生み出すことがどんなにとてつもないことになるのか、知っていますか。それは【生み出さなくてはなりません】。なぜなら、世界が果てしない戦争に囚われているのが見えるからです。世の中は、いつも権力を求めている政治家たちに指導されています。それは弁護士と警察官と軍人の世界であり、みんなが地位をほしがって、みんなが地位を得るために、お互いに闘っている野心的な男女の世界です。そして、信者を連れたいわゆる聖人や宗教の導師(グル)がいます。彼らもまた、ここや来世で地位や権力をほしがります。これは狂った世界であり、完全に混乱し、その中で共産主義者は資本主義者と闘い、社会主義者は双方に抵抗し、誰もが誰かに反対し、安全なところ、権力のある安楽な地位に就こうとしてあがいています。世界は衝突しあう信念やカースト制度、階級差別、分離した国家、あらゆる形の愚行、残虐行為によって引き裂かれています。そして、これが君たちが合わせなさいと教育されている世界です。君たちはこの悲惨な社会の枠組みに合わせなさいと励まされているのです。親も君にそうしてほしいし、君も合わせたいと思うのです。
 そこで、この腐った社会秩序の型に服従するのを単に助けるだけが、教育の機能でしょうか。それとも、君に自由を与える――成長し、異なる社会、新しい世界を創造できるように、完全な自由を与えるのでしょうか。この自由は未来にではなくて、今ほしいのです。そうでなければ、私たちはみんな滅んでしまうかもしれません。生きて自分で何が真実かを見出し、智慧を持つように、ただ順応するだけではなく、世界に向き合い、それを理解でき、内的に深く、心理的に絶えず反逆しているように、自由の雰囲気は直ちに生み出さなくてはなりません。なぜなら、何が真実かを発見するのは、服従したり、何かの伝統に従う人ではなく、絶えず反逆している人たちだけですから。真理や神や愛が見つかるのは、絶えず探究し、絶えず観察し、絶えず学んでいるときだけです。そして、恐れているなら、探究し、観察し、学ぶことはできないし、深く気づいてはいられません。それで確かに、教育の機能とは、人間の思考と人間関係と愛を滅ぼすこの恐怖を、内的にも外的にも根絶することなのです。

 クリシュナムルティの最大の功績は「教団の暴力性」を鋭く見抜いたことにあると私は考えている。宗教はもはや存在しないといっていいだろう。あるのは教団という器だけだ。現代において信仰は所属を意味する。教団が目指すのは衆生(しゅじょう)の救済ではなく、マーケットシェア(市場占有率)の拡大である。このため教団組織は必ず二次的な社会構造を形成する。社会の中の社会で行われるのもまた競争だ。信者はさしずめ、パンを食いながら、右手で玉を投げ、左手で綱引きをしているような状態だ。父兄の方はお下がりください。

「この腐った社会秩序の型に服従するのを単に助けるだけが、教育の機能でしょうか」――辛辣(しんらつ)な問いは我々一人ひとりに向けて放たれたものだ。

 愛情や慈悲までもが交換の対象となり経済性で計られる。ギブ・アンド・テイクが我々の流儀だ。

 社会的成功という脅迫観念を捨てるところから自由の一歩が始まる。自由の中から真の人間が誕生するのだ。我々大人は「人間の形をした何か」であって人間になり損ねた存在だ。果たして生(せい)の花を咲かせ、人間性の薫りを放つことは可能だろうか?



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