2017-05-20

認知革命~虚構を語り信じる能力/『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ


物語の本質~青木勇気『「物語」とは何であるか』への応答
『ものぐさ精神分析』岸田秀
『続 ものぐさ精神分析』岸田秀
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ

 ・読書日記
 ・目次
 ・マクロ歴史学
 ・認知革命~虚構を語り信じる能力
 ・イスラエル人歴史学者の恐るべき仏教理解

・『ハキリアリ 農業を営む奇跡の生物』バート・ヘルドブラー、エドワード・O・ウィルソン
『身体感覚で『論語』を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『文化がヒトを進化させた 人類の繁栄と〈文化-遺伝子革命〉』ジョセフ・ヘンリック
『家畜化という進化 人間はいかに動物を変えたか』リチャード・C・フランシス
『人類史のなかの定住革命』西田正規
『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット
『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』クリストファー・ライアン
『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗
『Beyond Human 超人類の時代へ 今、医療テクノロジーの最先端で』イブ・ヘロルド
『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』ユヴァル・ノア・ハラリ
『21 Lessons 21世紀の人類のための21の思考』ユヴァル・ノア・ハラリ
『われわれは仮想世界を生きている AI社会のその先の未来を描く「シミュレーション仮説」』リズワン・バーク

世界史の教科書
必読書リストその五

 今からおよそ135億年前、いわゆる「ビッグバン」によって、物質、エネルギー、時間、空間が誕生した。私たちの宇宙の根本を成すこれらの要素の物語を「物理学」という。
 物質とエネルギーは、この世に現れてから30万年ほど後に融合し始め、原子と呼ばれる複雑な構造体を成し、やがてその原子が統合して分子ができた。原子と分子とそれらの相互作用の物語を「化学」という。
 およそ38億年前、地球と呼ばれる惑星の上で特定の分子が結合し、格別大きく入り組んだ構造体、すなわち有機体(生物)を形作った。有機体の物語を「生物学」という。
 そしておよそ7万年前、ホモ・サピエンスという種に属する生き物が、なおさら精巧な構造体、すなわち文化を形成し始めた。そうした人間文化のその後の発展を「歴史」という。
 歴史の道筋は、三つの重要な革命が決めた。約7万年前に歴史を始動させた認知革命、約1万2000年前に歴史の流れを加速させた農業革命、そしてわずか500年前に始まった科学革命だ。三つ目の科学革命は、歴史に終止符を打ち、何かまったく異なる展開を引き起こす可能性が十分ある。本書ではこれら三つの革命が、人類をはじめ、この地上の生きとし生けるものにどのような影響を与えてきたのかという物語を綴っていく。

【『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』(上下)ユヴァル・ノア・ハラリ:柴田裕之〈しばた・やすし〉訳(河出書房新社、2016年)以下同】

 高い視点が抽象度を上げる(『心の操縦術 真実のリーダーとマインドオペレーション』苫米地英人)。しゃがんだ位置から見える世界と高層ビルから見下ろす世界は異なる。宇宙空間から俯瞰すれば全くの別世界が開ける。

 約7万年前から約3万年前にかけて、人類は舟やランプ、弓矢、針(暖かい服を縫うのに不可欠)を発明した。芸術と呼んで差し支えない最初の品々も、この時期にさかのぼるし、宗教や交易、社会的階層化の最初の明白な証拠にしても同じだ。
 ほとんどの研究者は、こられの前例のない偉業は、サピエンスの認知的能力に起こった革命の産物だと考えている。(中略)
 このように7万年前から3万年前にかけて見られた、新しい思考と意思疎通の方法の登場のことを「認知革命」という。


 歴史の痕跡が人類における革命を物語っている。認知革命とは言葉の獲得によって虚構(フィクション)を想像し、虚構を共有することで集団の協力が可能となったことを意味する。言語-社会化という図式は誰もが何となく気づくことだが、実は言語そのものが虚構である。

 共同が協働に結びつき、その過程で表現する力が養われたのだろう。「見てくれる人」がいなければ表現という欲求は生まれない。そして新たな表現が言葉をより豊かに発展させ神話や宗教が生まれる。

 伝説や神話、神々、宗教は、認知革命に伴って初めて現れた。それまでも、「気をつけろ! ライオンだ!」と言える動物や人類種は多くいた。だがホモ・サピエンスは認知革命のおかげで、「ライオンはわが部族の守護霊だ」と言う能力を獲得した。虚構、すなわち架空の事物について語るこの能力こそが、サピエンスの言語の特徴として異彩を放っている。
 現実には存在しないものについて語り、『鏡の国のアリス』ではないけれど、ありえないことを朝食前に六つも信じられるのはホモ・サピエンスだけであるという点には、比較的容易に同意してもらえるだろう。(中略)
 だが虚構のおかげで、私たちはたんに物事を想像するだけではなく、【集団】でそうできるようになった。聖書の天地創造の物語や、オーストラリア先住民の「夢の時代(天地創造の時代)」の神話、近代国家の国民主義の神話のような、共通の神話を私たちは紡ぎ出すことができる。そのような神話は、大勢で柔軟に協力するという空前の能力をサピエンスに与える。アリやミツバチも大勢でいっしょに働けるが、彼らのやり方は融通が利かず、近親者としかうまくいかない。オオカミやチンパンジーはアリよりもはるかに柔軟な形で力を合わせるが、少数のごく親密な個体とでなければ駄目だ。ところがサピエンスは、無数の赤の他人と著しく柔軟な形で協力できる。だからこそサピエンスが世界を支配し、アリは私たちの残り物を食べ、チンパンジーは動物園や研究室に閉じ込められているのだ。

 たぶん宗教は天候不良や災害の説明から始まったのだろう。雷を「天(神)の怒り」と想像するのはそれほど難しいことではない。日本では稲妻(元は稲夫〈いなづま〉)が受精して米という実りをもたらすと考えられてきた。

 岸田秀が語った「共同幻想」をユヴァル・ノア・ハラリはより学術的に精緻な検証を試みる。信仰や政治、そして恋愛や戦争もフィクションなのだろうか? そうだとすれば我々が感じる幸不幸は妄想である可能性が高い。

 我々は何となく言葉の虚構性に気づいている。だからこそスポーツに熱狂し、歌詞のない音楽の虜(とりこ)となり、性行為に溺れるのだろう。本来であれば言葉はコミュニケーションの道具に過ぎないのだが、言葉以外のコミュニケーションを失ってしまった。

「理解というものは、私たち、つまり私とあなたが、同時に、同じレベルで出会うときに生まれてきます」(『自我の終焉 絶対自由への道』J・クリシュナムーティ)。人間と人間の出会いを言葉が妨げている。知識はあっても知性を欠き、語られる愛情は欲望に基づいている。

 虚構は国家という大きさにまで拡張した。更に大きな虚構を人類は手にすることができるのだろうか? それとも虚構を捨て去って全く新しい生き方に目覚めるのだろうか?



信じることと騙されること/『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』内山節
現代の華厳経/『アファメーション』ルー・タイス
人種差別というバイアス/『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム

2017-05-19

侠気と詭弁/『仮面を剥ぐ 文闘への招待』竹中労


『折伏 創価学会の思想と行動』鶴見俊輔、森秀人、柳田邦夫、しまねきよし

 ・侠気と詭弁
 ・夢野京太郎とは

『篦棒(ベラボー)な人々 戦後サブカルチャー偉人伝』竹熊健太郎

「自由な言論」はゆきつくところ、もの書く場を失っていく。

【『仮面を剥ぐ 文闘への招待』竹中労〈たけなか・ろう〉(幸洋出版、1983年)】

 コアなファンが多い竹中労だが元新左翼であることが見逃せない。左翼は元々暴力革命を標榜しているが、その既成左翼を批判し急進的な革命を目指すのが新左翼である。21世紀であれば立派なテロリストとして認定できる。その竹中が創価学会にエールを送る。創価学会が言論出版妨害事件(1960年代末-1970年代)や宮本顕治宅盗聴事件(1970年)を起こし、日蓮正宗宗門との紛争によって池田大作が会長辞任(1979年)に追い込まれた後のこと。創共協定(1974年)が事実上頓挫しこととも関係があるのかもしれない。

 竹中はその後『聞書・庶民烈伝 牧口常三郎とその時代』(全4冊、潮出版社、1983〜1987年)を月刊誌『潮』で連載するが、編集部の方針と相容れず中途半端な形で終わってしまった。

 読んでから10年近く経過しているためテキストを見ても文脈が思い出せない。どんどん紹介してしまおう。

 一方的な敵意をエスカレートさせるのみで、問題の本質に迫る論争が不在であるこのような力関係で、“勝敗”をきめるのは結局、物量の差でしかあるまい。
 ――「言論の自由」は、多数派工作で獲得される。それが、民主主義である。世論によって人々は判断し、善と悪とを弁別する。だが、その世論をつくるのはマス・コミュニケーション、大衆操作の力学である。圧殺されるマイノリティ、「自由な言論」は、ついに抵抗の手段を持たないのだ。

 更にこう続ける。

 中立公正を守ろうとすれば、そうした客観主義にジャーナリズムは純化していく。【そこに陥穽がある】。言論・思想の統制は、強権によるものとは限らない。言論と言論・思想と思想とが火花を散らして闘い、黒白を争うことを“表現の自由”というのだ。事実に是(これ)を求めて(実事求是)、主張を読者大衆に問うのが、ジャーナリズムの仕事(使命などとあえて言うまい)である。論理を失った感情のせめぎあい、根拠を持たぬ醜聞の氾【乱】と等しく、死灰のような自主規制は報道の頽廃である。

 旧ブログ(はてなダイアリー)に抜き書きをアップしていたのだが、『折伏 創価学会の思想と行動』との関連を考慮してこちらに移動した次第である。

 今読むともっともらしい詭弁に思える。また当時はインターネットがなかったことを考慮する必要があるだろう。1980年代には週刊誌が執拗に創価学会バッシングを繰り返していた。竹中の侠気(おとこぎ)は称賛に値するが、政党を有する750万世帯のマンモス教団を「マイノリティ」と同列に扱うのは無理がある。

 1980年代から90年代にかけての創価学会を巡る言論については以下のページが詳しい。

創価学会のこと(「創価学会批判」論序章)1

 時折、ジャーナリストが自虐的に売文業と自称することがある。新聞といえども商業ジャーナリズムであり、テキストは広告や金銭と交換される商品となったのが現実である。ゆえにジャーナリストは「書きたいこと」と「売れる商品」の間で揺れ、自分なりの折り合いをつけるしかない。

 ま、「ジャーナリズムは既に死んだ」と言っても差し支えないだろう。小さな範囲で取材をして、でかい顔をするのが連中の生態だ。

2017-05-17

大衆運動という接点/『折伏 創価学会の思想と行動』鶴見俊輔、森秀人、柳田邦夫、しまねきよし


『巷の神々』(『石原愼太郎の思想と行為 5 新宗教の黎明』)石原慎太郎
『対話 人間の原点』小谷喜美、石原慎太郎

 ・恵まれた地位につく者すべてに定数がある
 ・大衆運動という接点

『仮面を剥ぐ 文闘への招待』竹中労
『黒い手帖 創価学会「日本占領計画」の全記録』矢野絢也
『「黒い手帖」裁判全記録』矢野絢也
『乱脈経理 創価学会 VS. 国税庁の暗闘ドキュメント』矢野絢也

 学会の用いる折伏は、単なる説得ではない。一個の人格を社会的、経済的、心理的諸要素、それも主として弱点から攻撃し、批判し、いわば逆さにふって血も出ないところまで追いつめる激しさと執拗さをもっている。背後には確固とした対話の技術を準備している。
 このことは、伝統的に対話の習慣に馴れていない、“ものいわぬ”日本の民衆を、驚愕させ、呆れさせ、果ては反発させる。人生の途上に現れた異質の体験なのだ。(柳田邦夫)

【『折伏 創価学会の思想と行動』鶴見俊輔、森秀人、柳田邦夫、しまねきよし(産報ノンフィクション、1963年4月15日)以下同】

 古い書籍で――因みに私が生まれる3ヶ月前に刊行されている――創価学会員ですら読んでいる者が少ない。少し前まで入手困難であったため地元図書館にリクエストを申請し取り寄せてもらった。

 書き手の中心にいる鶴見俊輔(1922-2015年)は谷沢永一が「『ソ連はすべて善、日本はすべて悪』の扇動者(デマゴーグ)」と批判した(『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』)進歩的文化人の一人だ。

「鶴見氏は一九三七年に、一五歳でアメリカに留学して都留氏に出会って以来、『世界史の中の日本の動きについて、この七○年、時代の区切り目ごとに、私は都留重人から示唆を得てきた』」(季刊誌『考える人』二○○六年夏号)との文章を今見つけた。都留重人(1912-2006年)の妻は木戸幸一(1889-1977年)の姪(めい)で、木戸の戦争責任を回避するために暗躍したマルクス主義者である。

伊原吉之助教授の読書室:木戸幸一の保身

 上記論文で挙げられた書籍を私は一通り読んだ。確証を欠くのは確かだが状況証拠は揃っているように思われる。

 日本の近代史が今尚モヤモヤとしているのは左翼が果たした役割がまだ明らかになっていないためだ。GHQ内部の左翼は大半がニューディーラーであった。そもそもフランクリン・ルーズベルト(1882-1945年)大統領がソ連建国にエールを送り、スターリン(1878-1953年)と親しい間柄であった。ルーズベルトの周辺はコミンテルンのスパイだらけで、日本を戦争に追い込んだハル・ノートを起草したハリー・デクスター・ホワイト(1892-1948年)もその一人である。第二次世界大戦は左翼スパイが世界各国で暗躍した事実を忘れてはならない。

ルーズベルトの周辺には500人に及ぶ共産党員とシンパがいた/『日本の敵 グローバリズムの正体』渡部昇一、馬渕睦夫

 一方、創価学会は元々保守主義・民族主義的色彩が強かった。


 牧口常三郎(初代会長/1871-1944年)と戸田城聖(二代会長/1900-1958年)は大日本皇道立教会(1911年創立)に参加している。上の画像の後列左端が牧口で、後列の右から二人目が児玉誉士夫(1911-1984年)である。創価学会は戦時中に治安維持法と不敬罪で弾圧されたが、決して反天皇制というわけではなく学会員の行き過ぎた折伏が招いた結果であった。

 ところが池田大作(三代会長/1928-)の時代になると左方向に大きく旋回した。平和主義・国際主義を前面に打ち出し、共産主義と全く同じ手法で組織拡張に成功した。池田は卓越したオルガナイザーであった。

グローバリズムと共産主義は同根/『国難の正体 世界最終戦争へのカウントダウン』馬渕睦夫

 本書刊行が1963年で、松本清張(1909-1992年)の仲介による創共協定(日本共産党と創価学会との合意についての協定)が結ばれるのは1974年のこと。松本清張は偶然の産物としているが、とてもそうは思えない。

 わたしはあるチンドン屋の娘を知っている。チンドン屋夫婦の子として生れ育ったかの女には大きな劣等感が渦巻いていた。頭もいいほうではない。学校にも行けなかった。貧困が家庭を破壊していたのだ。くわえてかの女は弱身で蓄膿症をはじめいくつかの病気をかかえていた。わたしはそんなかの女と、ときおりあう。かの女は女中のごとく家の中のこまごまとした仕事やチンドン屋仲間の飯づくりに多忙であったが、映画や小説が好きで暇さえあれば楽しんでいた。
 わたしがそういう映画の感想をきいても、批評はおろか感想もいえなかった。ただ読み観るというだけの話だった。強い意見があるわけでもないかの女にはそれが、他のふつうのひとたちと同様、とうぜんのことであった。
 しばらくわたしはかの女と会わないでいた。わたしはかの女の存在を忘却していた。ふつうの、平凡な、ありきたりの娘だったので、軽い同情があっても、忘れるのがあたりまえだ。ところがしばらく会わないでいると、かの女のほうから訪ねてきた。顔がいきいきとしている。さては、恋人でもできて劣等感から解放されたのかな、と思った。映画の帰りだという。そうしてペラペラと、その映画の批評をする。わたしはあっけにとられる思いでかの女をみつめた。かの女は、その映画の主人公の生き方を痛罵しているのである。わたしは愉快になって、ひとつふたつ反問すると、まえにはわたしの説明を素直にきいた娘なのにむきになって、反論して、自説を固く守る。それでいて、つっけんどんな調子はまったくなく、柔軟な口調である。わたしはますます驚いた。劣等感で口もきけなかったあの娘が、いま面前で、にこやかに微笑してい、自信をもって、映画批評をしている。ひらかれた瞳は、まっすぐにわたしの眼に注がれ、まばたきもしないのだ。
 かの女は、やがて平和であるとか、ふつうの日本人のまず口にしない言葉を平気で使いだした。使命というようなききなれぬ言葉も使った。そのときはそれでかの女は去っていった。わたしは間もなく、かの女が創価学会にすでに入会している信者であることを知った。入会前のかの女と、入会後のかの女の、その見事な変貌ぶりに、わたしはあらためて創価学会のちからを知った。まさにかの女は、ふつうの人から、信念の人に、かわったのである。
 自殺でもしなければよいが、とわたしは思っていた。そんなかの女が、見事に、自分を回復したのである。あの暗い、蔭のような存在であった日本の娘が、平和を説き、仏法を説くのである。わたしには仏法のことなど、どうでもいい、一人の日本の娘が、自分でちゃんと大地に立った、という事実が感動をあたえるのだ。(森秀人)

 これが「人間革命」の姿である。1960年代という時代背景を思えば左翼のオルグ活動と創価学会の折伏がぶつかることは珍しくなかったに違いない。例えば石牟礼道子のこんな証言がある。

石牟礼●国も行政も地域社会も担いませんから、全部引き受け直して自覚的になって、もうゆるす境地になられました。未曽有な体験をなさいましたが、もう恨まず、ゆるす。ゆるさないとおもうと、きつい。もうきつい。いっそう担い直す。人間の罪をみなすべて引き受ける。こう言われるようになったのです。これは大変なことなのです。今まで水俣にいて考えるかぎり、宗教も力を持ちませんでした。創価学会のほかは、患者さんに係わることができなかった。

【『石牟礼道子対談集 魂の言葉を紡ぐ』石牟礼道子〈いしむれ・みちこ〉(河出書房新社、2000年)】

 水俣病は1952年から1960年代にかけて被害者を出した公害病である。石牟礼は心情左翼あるいは同調者である。デビュー作『苦海浄土 わが水俣病』(講談社、1969年)が傑作であることは確かだが、石牟礼は後にフィクションを盛り込んでいることを白状している。「必読書」に入れてないのもそのためだ。チッソ株式会社が当時の法律を遵守していた事実を見失ってはならない。

 創価学会はその進軍の度合いにおいて既に左翼を凌駕していた。学会員も貧病争を克服するために必死であったのだろう。だが単なるご利益信仰ではなく、教学を通した人材育成が強靭な組織を築き上げた。左翼が親近感を抱いたのは大衆運動という接点によるものだ。

 邪教であろうとなんであろうと、創価学会のいうとおり信心すれば人間とその社会が幸福になるものならば、それはいいことだ。商人の口車にのって買った品物がよいものならばそれはそれでいい。そうして、現実に、創価学会に入って自信をもち、明るく、幸福そうになった多くの人間がいるのである。すくなくとも創価学会は、自殺王国の日本にあって、自殺者の数をできるかぎりすくなくした第一の団体であることに間違いはない。学会がファシズムにおもむくことを恐れるまえに、われわれは、われわれの喪失した人間の原理について、もう一度ふかく反省しなければならない。果してわれわれは、あの信者たち以上に生きているのであろうか。あの信者たちのように自信をもって、感動し、欲求し、行動しているのであろうか。人間としてどちらが、解放されているのであろうか。戸田城聖ではないが、勝負してみなければならぬだろう。そうして負けたと思ったら一度は創価学会に入るべきである。負けぬと思った者は、自分の考える〈創価学会〉を創るべきである。どちらでもない者は、黙って沈黙していればいい。それが自然の掟なのである。(森秀人)

 こういう視点が侮れない。知性とは事実をありのままに見つめることだ。激しい折伏は世間から反発を買い、創価学会は白い目で見られていた。実際の姿を見たとしても簡単に先入観を払拭できるものではない。学生運動は血なまぐさい暴力闘争に向かうが、創価学会には確かな明るさがあった。これほどの理解を示すところに左翼の懐の深さを感じる。

 なぜ日蓮宗(※北一輝、石原莞爾、宮沢賢治、妹尾義郎、立正佼成会、創価学会、日本山妙法寺など)だけが近代日本において、思想としての活力を保ち得たのか。その答えは、ほかの仏教諸流派とちがって、日蓮宗が、外国人であるシャカから日本人である日蓮に、崇拝の対象を移し、日本の問題を宗教的関心の中心にすえたことにある。日本をどうやって救うか、それが宗教としてのもっとも重要な問題とされた。正しい方向から政府がそれた時には、政府をいさめ正さなければならぬ。国家をいさめ正すことを宗教者の任務とし、そのことに命をかけたところに、日蓮の本領があった。そしてこれは、近代の市民の政治的権利の自覚ときわめて近しいものなのだ。(鶴見俊輔)

 私は「市民」という言葉を見掛けたら眉に唾をつけることにしている。鶴見の文章は典型的なプロパガンダで日蓮を左翼的視線で眺めているだけのことだ。森秀人の率直さが鶴見にはない。

 その後、創価学会が作った公明党が先導して日中国交回復(1972年)が実現する。池田大作の民間外交は緊張関係にあったソ連と中国をも融和させた。日本共産党がやりたくても出来なかったことを果たしたのだ。一方的な礼賛でもなく、浅はかな誹謗中傷でもなく、きちんとした評価と批判を行うべきだろう。

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レッドからグリーンへ/『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男

王仏冥合について/『対話 人間の原点』小谷喜美、石原慎太郎


『巷の神々』(『石原愼太郎の思想と行為 5 新宗教の黎明』)石原慎太郎

 ・王仏冥合について

『折伏 創価学会の思想と行動』鶴見俊輔、森秀人、柳田邦夫、しまねきよし
『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』内山節

石原●わたくし、先生にお目にかかかって、ひじょうに興味があるといっては失礼ですが、「ここに一人の人間がいる」という感じが強くするのです。「大丈夫」という言葉があります。りっぱな人間、確固とした人間のことをいうわけですが……。
 先生にお目にかかると、先生は女でいらっしゃるけれど、「大丈夫」がいるという気がします。それはやっぱり、さっきおっしゃいました、目に見えるものと見えないものとの和、つりあいというものを、きちっと、もっていらっしゃるみごとさだと思うんです。

【『対話 人間の原点』小谷喜美〈こたに・きみ〉、石原慎太郎(サンケイ新聞社出版局、1969年)以下同】


 小谷喜美(1901-1971年)は見るからに温和で福々しい表情をしている。霊友会の創設者は久保角太郎(1892-1944年)であるが、事実上の教祖は小谷であるといってよい。

 本書を読む限りでは小谷から宗教的英知を感じられない。そこが逆に凄いと思う。久保角太郎からはいじめさながらの仕打ちを受け、貧苦の中で他者を救う壮絶な修行を通して小谷は霊感を会得した。石原の指摘通り、人間としての存在感が際立っていたのだろう。前回、新興宗教の教祖は神懸り的色彩が濃く、統合失調症タイプであると書いた。民族宗教はシャーマニズムとセットであるが、論理を無視し超越しているため浸透の度合いが深い。右脳の発する声が人々に受け入れられれば教祖となり、奇異と思われれば病人となる。

小谷●ところで、「王仏冥合」を、どういうふうに考えていますか。
石原●「王仏冥合」ですか、あれは別に創価学会だけの言葉じゃない。つまり仏の言葉です。政治と宗教というものの理想が重なるということは、これにこしたことはないと思いますけれど、ただ、やっぱり、自分のところの教義以外は、みんなだめなんだという教条的な排他的なものの考え方が、その王仏冥合の中の“仏”であるのは困りますね。このごろ創価学会は、そうじゃないということをいっておりますが、確かに、ひとりの政治家が、朝、仏壇にお燈明をあげ、線香をおあげするような、つまり、仏心をもっている人間としての理念を政治に反映するということで、王仏冥合は人間的にありうることだと思います。ただ、これはひじょうにむずかしい、一人の人間の内ではできても、それを社会的に現出させるということは。

 小谷の質問は創価学会の動向を気にするというよりは、霊友会の政治進出を考慮したものだろう。『巷の神々』の取材で小谷と知遇を得た石原はその後霊友会の支持を取り付け、1968年(昭和43年)に自民党から参議院選挙に打って出る。知名度が高かったとはいえ全国区で301万票という空前絶後の得票数で当選を勝ち取った。石原がどのタイミングで霊友会の信者になったのか私は知らないが、単なる選挙目当ての取引であったようには見えない。

石原●ですから、王仏冥合というのは、なにも日本の仏教で考えだされた言葉でもなければ、日蓮聖人の言葉だけじゃなしに、やっぱり、すべての人間の胸の中に、神・仏を念じるような、まじめな、ひたむきな姿勢というのが、政治というものに重なりあったら、どんなにすばらしいものができるだろうかという願い、期待としては、洋の東西を問わず、古今を問わず、あるわけです。とくに、現在のような時代の政治は、実は、古今東西にわたってある王仏冥合に対する人間の基本的な願いというものを、かなえていく政治を行なうということを目ざさなくちゃならないと思いますが、どうも、日本の政治家は、先生がおっしゃるように、その場しのぎの、あした、あさって、あるいは1年、2年先のことしか考えていない。

 政治と宗教は祭政一致政教一致政教分離という歴史を辿ってきた。日蓮(1222-1282年)はとても中世の人物とは思えないほど傑出した国際感覚の持ち主で強い国家意識を持っていた。まだ日本が統一されていない時代であるにもかかわらず。その一生は政治闘争と弾圧の繰り返しであったといっても過言ではない。日蓮の王仏冥合は亡国を回避するために政治理念の必要性を説いたものであろう。日蓮が明言した蒙古襲来の予言が当たったことで鎌倉幕府は彼を無視できなくなる。

 大東亜戦争の敗戦は国家神道の敗北でもあった。そして雨後の筍(たけのこ)のように新興宗教が出現した。失意の中で「神も仏もあるものか」と落胆した人々が飛びついた。だが宗教性は復興することなく政治に取り込まれてしまった感がある。しかも若者は学生運動に流れた。それ以降は経済一辺倒である。

 政治に宗教的理念があってもいいだろう。これだけ多くの宗教があるのだから、むしろあって当然だ。しかし教団ぐるみで政治にコミットするのは問題がある。例えば創価学会の場合、公明党支援が政教分離原則に抵触するわけではない。宗教者が誰に投票しようと自由だ。最大の問題は――誰も指摘していないが――個々の学会員が立候補する自由を奪っているところにある。また東京都議会選挙のために全国の信者が応援にゆくのも民主政のルールを踏みにじる行為だ。

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2017-05-16

戦後に広まった新興宗教の秀逸なルポ/『巷の神々』(『石原愼太郎の思想と行為 5 新宗教の黎明』)石原慎太郎


『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ 若き医師が死の直前まで綴った愛の手記』井村和清

 ・戦後に広まった新興宗教の秀逸なルポ

『対話 人間の原点』小谷喜美、石原慎太郎
『折伏 創価学会の思想と行動』鶴見俊輔、森秀人、柳田邦夫、しまねきよし
『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』内山節
『ローリング・サンダー メディスン・パワーの探究』ダグ・ボイド

悟りとは
宗教とは何か?

 私は昨年の暮、弁天宗(※辯天宗)教団の感謝祭に宗祖に面会し、長時間話を聞いたが、その時、家族に連れられて5~6歳の女の子供が来ていた。
 宗祖は談話の内に、その子供を指し、
「あの子供の話をしましょうか」
 と言って、宗祖とその彼女の期せぬ巡(めぐ)り合いについて話してくれた。
 昨年のある日、宗祖が東京支部の行事のために上京し、それをすませて大阪に帰るために東京駅から新幹線に乗ろうとした時、丁度、団体客か何かで混み合っていた八重洲側の中央改札口にさしかかった。
 見ると、母親連れの5~6歳の女の子が、人波にもまれてはずみで親と手が離れ、親の方は先に改札をすませて中へ入ってしまったが、子供のほうはまだ外にとりのこされている。
 親は内側で、「早くおいで」と招いて待ち、子供は親のいるところへいこうと改札口を入ろうとするが、混み合った大人の人波に入り切れず、二、三度入り口に近づいてははじき出される。
 それを見ていた宗祖が、子供に近づき、
「小母ちゃんと一緒にいきましょうね」
 とその手をとった。
 子供は言われるまま、こっくりして、その手を見知らぬ、優しそうな小母さんに預けた。
 そのまま少女は手を曳かれて無事に改札口を入った。
 待っていた母親が宗祖に礼を言ったが、相手が荷物を持っているので、
「ついでにこのまま上までお連れしますよ。お嬢ちゃん、小母ちゃんと一緒にいこうね」
 と、恐縮する母親の前で手をとり直して、そのまま上のプラットホームまで上った。
 手をつないで階段を上り切り、列車の前まで来て、
「それじゃここでさようなら。はい、いい子でね」
 と子供に言って頷(うなず)き、その手を離した。
 子供はこっくりと頷くと、宗祖の見ている前で踵(きびす)を返し、側で待っていた母親のところへ
「アキ子、あの小母ちゃんに、手を曳いてもろうた」
 言って駈け戻った。
 とたん、母親は仰天して腰を抜かした。
 その筈である。その少女は、生まれてから6年この方、薬石効なく、どう尽しても直(ママ)らなかった、生れながらの唖(おし)だったのだ。
 母親は、娘の手を曳いてくれた人が誰であるかを質し、その場で信者になったと言う。天王寺の下駄屋の母娘の実話である。

【『巷の神々』石原慎太郎(サンケイ新聞出版局、1967年/産経新聞出版、2013年『石原愼太郎の思想と行為 5 新宗教の黎明』)以下同】

 驚愕した。石原慎太郎といえば功罪の相半ばする政治家であるが教養人としても知られる。それにしても34歳前後で日本の新興宗教をここまで俯瞰できる能力は並大抵の代物ではない。しかも文学者でありながら科学的懐疑の精神で検証し、各教団の教祖とも実際に会って話をしている。注目すべきは創価学会に関する記述で、その近代的な組織のあり方や政治進出を積極的に評価している。石原が後に「悪しき天才、巨大な俗物」(『週刊文春』平成11年3月25日号)と池田大作を評したことを思えば隔世の感がある。ほんのわずかな誤謬は見受けられるが、全体的に記述は正確で独創性もある。まだ学生運動が激しい中で戦前戦後の新興宗教に目をつけたのは卓見といってよい。それぞれの教祖の神通力も日本的なアニミズム(先祖崇拝)を探る上で大変参考になった。「宗教とは何か?」「悟りとは」に追加。長らく絶版で古書価格も数千円から1万円という高値がついていたが産経新聞出版から再刊された。旧版は9ポイントほどの活字で上下二段450ページの分量である。(読書日記より)

「悟りとは」に入れたのはわけがある。それは新興宗教の教祖は一様に神懸(がか)りともいうべき体験をしており特異なためだ。敢えて「統合失調症タイプ」(『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ)と極言してもいいだろう。卑弥呼の延長線上に位置している。


 私が親だったとしても信者になるのは確実だ(笑)。奇蹟には逆らえない。宗教の基本は「病気を治す」ところにある。これがない宗教は絶対に広まらない。教祖と呼ばれる人々は必ず何らかの奇蹟を起こしていると考えてよい。奇蹟は瞬間的に死の不安を解消する。神通力とは言い得て妙だ。

 栄える宗教には、それなりの魅力があり、その指導者には人間の現実に及ぼす力がある。それはただうらやんでも、自らにそなわるものではない。その魅力その力が何故自らにはないか、と言うことを多くの坊主どもは知るべきだ。それは彼らが信奉する教えが、現代では古くなった、と言うことでは決してない。
 卑俗なたとえだが、人間と宗教との最初の結びつきは、蟻と砂糖のようなものだ。蟻は己の味覚触感で敏感に塩と砂糖をより分け、砂糖にしかたからない。
 人間でも、味の良い店と悪い店をより分け、旨(うま)い店は繁昌する。信徒も人間であり、人間は現金なものだ。
 人間は現実にいろいろな不幸を持つ。転んだり金を喪くしたり、病気したり。しかし転んで痛い膝はさすれば直(ママ)るし、喪くした金は、稼げばとり戻せる。
 しかし人間は誰でも、自分の注意や願望に反して、何故こんな不幸不運が起るのか、と思い疑う。
 それについて、転んだのはただの過失であり、不運は不運でしかない。その内に運も向くだろう、と言うのでは答にならぬし、人々も満足はしまい。
 そうした原因については、訳がある。その訳を極め、それを正せば、それから抜け出すことが出来る、と言うことで初めて、人間の求めている救いがある。
 宗教は、その訳を、即ち、眼に見えぬものの力、即ち、神、心霊の力に依るものであるとし、ジェイムズの言うが如くに、その力の秩序に順応することで、安心立命があり、救済がある、とする。
 その秩序への順応、即ち信仰と言っても、それにはいろいろな段階があろうが、その初めは矢張り、一つの体験によって、その力の秩序の存在を感じ、知ると言うことに他ならない。
 信仰と言うのは、或る意味であくまでも一つの観念操作だが、しかし、その基点となるものは、あくまでも一個の現実認識である。
 それを欠く信仰は、砂の上にかけた梯子のように、上るにつれ、足元がぐらついて来る。
 その、信仰の出発点、第一段階の基礎固めを、人間に与えることの出来ぬ宗教は、最も根源的な力を欠いていると言われるべきだ。

 石原はウィリアム・ジェームズ著『宗教的経験の諸相』(原書は1901年/星文館、1914年/警醒社、1922年/誠信書房、1957年/岩波文庫、1969年)を軸に各新興宗教を読み解く。何の先入観もなく、直接自分の目と耳で判断する姿勢にはある種の勇ましさが窺える。

 信仰を「一つの観念操作」と言ってのける鋭さが侮れない。認知科学的な視点すら垣間見える。

 私が石原慎太郎を見直したのは「小林秀雄を諌めたエピソード」(今だから話せるこの国への思い(後編) 石原慎太郎氏(作家)×德川家広氏)を知ったことが大きい。石原が『太陽の季節』で文壇デビューしたのは1955年(昭和30年)のこと。文士劇が1962年だったとすれば(文士劇)、小林(1902-1983年)が60歳で石原(1932-)は30歳である。小林は若い時分から遠慮を知らぬ男で、酔っ払って正宗白鳥(1879-1962年)に絡んだり、対談で柳田國男(1875-1962年)を泣かせたりしている。たぶん小林は若い石原に自分と同じ匂いを嗅ぎ取ったのだろう。

石原愼太郎の思想と行為〈5〉新宗教の黎明宗教的経験の諸相 上 (岩波文庫 青 640-2)宗教的経験の諸相 下 (岩波文庫 青 640-3)