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『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』フランス・ドゥ・ヴァール
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『共感の時代へ 動物行動学が教えてくれること』フランス・ドゥ・ヴァール
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『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー
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『ハキリアリ 農業を営む奇跡の生物』バート・ヘルドブラー、エドワード・O・ウィルソン
・“芯の堅い”利他主義と“芯の柔らかい”利他主義
・『
道徳性の起源 ボノボが教えてくれること』フランス・ドゥ・ヴァール
・『
モラルの起源 道徳、良心、利他行動はどのように進化したのか』クリストファー・ボーム
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『徳の起源 他人をおもいやる遺伝子』マット・リドレー
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『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
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ハキリアリ 農業を営む奇跡の生物』バート・ヘルドブラー、エドワード・O・ウィルソン
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『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド
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『文化がヒトを進化させた 人類の繁栄と〈文化-遺伝子革命〉』ジョセフ・ヘンリック
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『家畜化という進化 人間はいかに動物を変えたか』リチャード・C・フランシス
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『文化的進化論 人びとの価値観と行動が世界をつくりかえる』ロナルド・イングルハート
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宗教とは何か?
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必読書リスト その五
この奇妙な選択性を理解し、人間の利他行動にまつわる謎を解くためには、我々は、協力的な行動の二つの基本的な形態を区別しておかねばならない。まず第一に、利他的な行動は、非理性的な形で、一方的に行使されることがある。この場合行為者は、意識の上で等価的見返え(ママ)りを望んでいないばかりでなく、同時に、無意識的な振舞いにおいても、結果としてそういった報いを望むのと同じ効果を示すような行動は、示さないのである。このような形態の行動を私は、“芯の堅い”利他主義 hard-core altruism と呼んでいる。これは、子供期以後の社会的賞・罰によっては、あまり影響を受けない一群の反応である。仮にこのような行動が見られるならば、それはおそらく、血縁選択、すなわち、競争関係にある家族または部族そのものを単位として作用する自然選択に基づいて進化したものと考えられる。“芯の堅い”利他主義は、非常に近縁な血縁者に向けられるものであり、相手との近縁の程度が薄まるに従って、その出現頻度や強度は急激に減少するものと予想される。これに対してもう一つ、“芯の柔らかい”利他主義 soft-core altruism と呼ぶべきものがあり、こちらは本質的には利己的な行為である。この場合、“利他的行為者”は、社会が、彼自身あるいはそのごく近縁な親族に、お返しをしてくれることを期待しているからである。彼の善行は損得計算に基づいており、この計算は、しばしば完全に意識的な形で実行されている。彼は、うんざりする程複雑な、各種の社会的拘束や社会的要請をうまく活用しながら、あの手この手を行使するのである。“芯の柔らかい”利他主義の能力は、主として個体レベルの自然選択に基づいて進化したものと考えられ、同時に、文化進化のきまぐれな変動にも大幅な影響を受けているものと思われる。“芯の柔らかい”利他行動の心理学的媒介項となるのは、嘘、見せかけ、欺瞞などである。欺瞞には自己欺瞞も含まれている。自分の振舞いに嘘いつわりはないと信じ込んでいる行為者は、最も強い説得力を示すだろうからである。
【『人間の本性について』エドワード・O ウィルソン:岸由二〈きし・ゆうじ〉訳(思索社、1980年/思索社新装版、1990年/ちくま学芸文庫、1997年)】
旧ブログの抜き書きを削除してこちらに移す。再読して痛感したのだが、やはり「第7抄 利他主義」が本書の白眉である。
2009年に読んであっさりと挫けたのだが、昨年何とか読了した。私にとっては忘れ難い読書道のメルクマール(指標)となった一冊である。
エドワード・オズボーン・ウィルソン(1929-)は昆虫学者で社会生物学を提唱したことで知られる。
「情けは人の為ならず巡り巡って己(おの)が為」という。親切な行為には何らかの自己犠牲が伴うものだが時に疲労を覚えることがある。裏切られることも決して少なくない。「巡り巡って己(おの)が為」をエゴイズムと捉える向きもあるようだがそうではない。利他とは自分を取り巻く環境に正義や公正を実現する営みなのだ。困っている者や弱い者、打ちひしがれた者を助けるのは当たり前だ。躊躇(ちゅうちょ)や逡巡が入り込む隙(すき)はない。
「“芯の堅い”利他主義」とは例えば我が子が目の前で溺れた時に発揮される行動であろう。それに対して「“芯の柔らかい”利他主義」とは文化的・社会的・宗教的価値観に基づく判断と考えられる。殉教や自爆テロなど。
因(ちな)みに仁義の仁とは自分と近しい人に施す情愛で、義は距離に関係なく示される正義のこと。
このテキストだけではわかりにくいと思うが、冒頭の「奇妙な選択性」とは国際社会で無視された大量虐殺を示している。中東の例を出してインディアン虐殺を出さないところがいかにもアメリカ人らしい。
利他主義を相対的に捉えるのはウィルソンの「暫定的な理神論」という立場とも関係があるのかもしれない。
“芯の堅い”と“芯の柔らかい”は先天的・後天的に置き換えることも可能だろう。ところが私の育った家庭を振り返るとこれに該当しない。全く困ったものである。父は惜しみなく弱者を助ける性質で少々大袈裟にいってしまえば英雄的気質があった。ただし立派な父親ではなかった。私は長男だが物心ついてから会話らしい会話をした記憶がない。極端に正義感が強いと家庭を省みることが少なくなる。つまり父や私に関しては“芯の堅い”利他主義は存在しない。むしろ逆で血縁関係を軽んじるところがある。
日本において核家族化が急速に進んだのは私が生まれた1963年(昭和38年)のこと。出生率のピークは10年後の1973年(昭和48年)で209万人(出生率 2.14)となっている。核家族・少子化の影響も考慮する必要があるだろう。
「義を見てせざるは勇無きなり」(『論語』「為政」)という。「弱きを助け強きを挫く」のは当然だ。利他行動を失えばもはや動物である。その意味からも社会機能を正常に維持するためには窃盗や詐欺などの犯罪には厳罰を課すべきだ。特に振り込め詐欺を放置してきた警察・銀行・政府与党の責任は重い。