2018-09-07

ギョサン vs. ベンサン


 上がギョサンで下がベンサン(便所サンダル)である。



 履きやすさ、丈夫さ、コストパフォーマンスの高さという点でサンダル界に君臨する王者といってよい。私は長らくギョサンを愛用してきたが思い切ってベンサンも試してみた。

 ベンサンの特長はその軽さである。北海道ではサンダルのことを「つっかけ」(突っ掛け)と呼ぶのだが、まさに「つっかけ」そのもの。ギョサンからベンサンに転向する連中は軽さに魅了されたと察しがつく。またギョサンよりはクッション性もわずかながらある。ただしそこまでのことだ。

 個人的にはギョサンに軍配を上げる。運動神経がよい者であれば直ぐに気づくことだが鼻緒の操作性は微妙な動きに対応できる。クルマやギア付きバイクを運転すればたちどころに理解できる(※法令違反に該当する)。脱げかかったサンダルは足全体を前に動かす必要があるが、鼻緒の場合は親指と人差し指の2本で操作が可能なのだ。確かにギョサンは重い。重いのだがヒールが高く前傾が掛かっているためさほど気にならない。濡れた路面に対しても圧倒的なグリップ力を誇る。

 ま、要は好みだ。ギョサンのマイナス面を挙げると、長時間歩くと小さなイボイボで足の裏が痛くなる。靴下を履くと操作性が鈍くなる。この2点である。

 amazonのギョサンは高いので、私はいつも「ぎょさんネット」で購入している。松下靴店は送料が650円と高い。

2018-09-04

余生をサドルの上で過ごす~55歳の野望


55歳から始めるロードバイク
格安ロードバイクを嗤(わら)うことなかれ

 ・余生をサドルの上で過ごす~55歳の野望

中高年初心者は距離よりも時間を重視せよ

 著作権フリーの適当な画像が見当たらないので、自転車雑文については動画を貼りつけることにした。尚、ラベル(カテゴリー)を「ロードバイク」から「自転車」に変えた。紹介するのはTHURSDAYBOMBER氏の投稿で、私が自転車に乗ろうと思い立ち、最初に見つけた動画である。住んでいる場所が近いこともあって釘づけとなった。彼は恐るべき人物で自転車で相模原市から北海道や九州まで訪れ、最近に至ってはアジア諸国をも駆け抜けている。それだけではない。山中湖までジョギングしたり、キックボードで鹿児島から神奈川まで帰ってくるような鉄人である。目出度く医師となったのだが、医師らしからぬ引きこもり系キャラが独特の魅力を発揮している。


 何をするにせよ遅すぎることはない。何もしないより100倍マシだ。これが私の基本的な考え方である。昨年の春にバドミントンを始めたのだが1ヶ月間のうちに三度もふくらはぎの肉離れ(筋肉の部分断裂)を起こしてしまった。リハビリのつもりでひたすらウォーキングをしたのだが10kmを超えると膝が痛くなる。その時自転車を思いついたのだった。自転車運動は膝と腰への負担が少ないのだ。

 早速ネット上でロードバイクの関連記事を入念にチェックし、自転車を物色し続けた。カーボン素材が軽いのは知っていたが横からの衝撃に弱い。つまり転倒(落車)した場合破損するリスクがある。最も多く出回っているアルミは長距離だと振動で手が痛くなる。というわけで細身のフレームが美しいクロムモリブデン鋼(クロモリ)一択となった。一番頑丈な素材だ。

 最初は5万円前後のフラットバーロードに乗って脚力が十分付いてから買い換えるつもりだった。「ま、数年も経てば……」と考えていた時、自分が55歳であることに初めて気づいた。5年後には還暦を迎える。私の感覚は少しおかしくて30代前半で止まったままなのだ。体力が衰えたり、クルマの運転が下手になっているのは確かだが、基本的な判断力は決して衰えていない。

 ってなわけで、結局一発勝負で10年間は乗る気構えで選んだ。転倒リスクを考慮してビンディングシューズを履く予定はなかった。飽くまでも私が愛してやまないギョサン(樹脂サンダル)で乗ると決めていた。そうでなくても買い揃える必要のある物が多いのだ。余計な出費は控えたい。コンポーネントはTiagra(ティアグラ)かSORA(ソラ)に絞った。10万円前後の車体価格だと自動的にSORAの選択となる。

 5月に買って、誕生日を少し過ぎた7月から乗り始めた。サドルの高さとハンドルの不安定さとケツの痛さに目が眩(くら)んだ。乗った瞬間に買ったことを後悔したほどだ。ひと月ちょっとの間に500kmほど走り、やっと体が馴染んできた。最初はとにかく尻対策が必要でサドルカバーとレーサーパンツは用意すべきだ。



 注意点としてはサドルカバーを装着するとサドルバッグは付けられなくなる。またレーサーパンツはどうせヘタってくるのだから安物を買い換える方がいいと思う。

 ケツが気にならなくなると今度は首の痛みに悩まされる。初心者は思い切ってサドルを一番下まで下げた方がよい。慣れてから少しずつ上げると前傾姿勢が楽になってくる。ドロップハンドルだとブラケットの突端に掌(てのひら)を乗せたり、エンド部分を握って変化をつけると姿勢の妙味に気づく。

 私は煙草を吸う時しか本を読んでいないのだが、本を読むより地図を見る時間の方が長くなった。ネットを渉猟(しょうりょう)するのもGoogleマップに費やされる時間がダントツで増えた。目指すべき目的地を探し回っているのだ。「制覇」と題したテキストファイルを用意し、行きたい地名を距離順で陸続と記した。最終目標は実家の札幌まで1000kmの道を走破する予定である。尚、走行記録(地名と距離)は表計算ソフトに記録している(中華サイコン万歳)。

 地図はツーリングマップル一択である(Rは判型が大きい)。通常の地図だと山間部が割愛されているためだ。

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 私は幼い頃から瞬発力と機敏さだけは秀でていたが脚力は平均以下だった。それでも初心者で50km程度は走れるのだからロードバイクは凄い。どうやら余生をサドルの上で過ごすことになりそうだ。

 現在、私の本拠地は中津川~宮ヶ瀬湖界隈である。ま、本拠地といってもただ好きなだけだ。実に不思議なことだが地図を見るとどうしても湖を目指したくなる。当然ではあるが山を超える必要がある。まず最初の野望は10年前に果たせなかった奥多摩湖の制覇である。1年かけて取り組み、時計周りと反対周り(都道206号〈川野上川乗線〉と県道18号〈上野原丹波線〉の両コースも)を成し遂げ(約150km)、和田峠や払沢(ほっさわ)の滝などを総ナメにし、あきる野市界隈を我が庭とする。これを2年計画とする。

 次に富士山方面を攻略する。富士山5合目までは当然のこと、富士五湖、更には富士山一周(220km)を50代後半の仕事とする。で、遂に還暦で札幌に向かう。1000km(青森-函館フェリー)あるので1日200km走ったとしても5日間を要する。野垂れ死にする可能性もあるが男子の最期としてはそれも悪くない。

 ロードバイクには初老のオヤジの胸をときめかせる何かがある。生きる姿勢も前傾となる。

人間は世界を幻のように見る/『歴史的意識について』竹山道雄


『昭和の精神史』竹山道雄
『竹山道雄と昭和の時代』平川祐弘
『見て,感じて,考える』竹山道雄
『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘編
『剣と十字架 ドイツの旅より』竹山道雄
『ビルマの竪琴』竹山道雄
『人間について 私の見聞と反省』竹山道雄
『竹山道雄評論集 乱世の中から』竹山道雄

 ・人間は世界を幻のように見る

『主役としての近代 竹山道雄セレクションIV』竹山道雄:平川祐弘編
『精神のあとをたずねて』竹山道雄
『時流に反して』竹山道雄
『みじかい命』竹山道雄

必読書リスト その四

 私は長いあいだ人間の心の動きを驚(おどろ)き怪(あや)しんできた。その謎(なぞ)を解きたいと願っていたのだったが、その正体もはっきりとは摑(つか)めず、どこから手をつけていいかも分からない。ただ茫然(ぼうぜん)として手をこまねいている間に年月は奔(はし)って、もはや日暮(ひぐ)れである。
 この謎は、まだ学問の領域(りょういき)ではとりあげられていないのではないか、という気がする。私にはそれを解くことはできず諦(あきら)める他はないのだが、今までにああではないかこうではあるまいかと思いあぐんだ段階のことを記しておきたい。
 その人間の心の不可解とは、だいたい、客観世界(きゃっかんせかい)についての人間の認識とはどういうものなのだろうか、というようなことである。
 人間はナマの世界に自分で直接にふれることはあまりないのではなかろうか。むしろ、世界についてのある映像(えいぞう)の中に生きているのではないのだろうか。
 そして、その人間の世界に対する映像(えいぞう)のもち方は、自分の直接の経験(けいけん)から生れたものよりも、むしろおおむね他から注ぎこまれたものではないだろうか? 「このように見よ」という教条(きょうじょう)のようなものがあって、人間はそれに合せて世界を見る。人間の対世界態度は他から与えられ、これが基本になって世界像がえがかれ、人間はその世界像にしたがって行動する。この際に理性はほとんど参与しない。(「人間は世界を幻のように見る ――傾向敵集合表象――」)

【『歴史的意識について』竹山道雄(講談社学術文庫、1983年)以下同】

 竹山道雄の著作を貫いてやまないのは「イデオロギーに対する不信感」である。その筆鋒(ひっぽう)はナチス・ドイツ、軍国ファッショ、社会主義・共産主義に向けられた。時代を激しく揺り動かすのは煽動されたファナティックな大衆である。大衆は他人から与えられた結論を自分の判断と錯覚し、時代の波に飲み込まれ、次の波を形成してゆく。

 岸田秀が『ものぐさ精神分析』で唯幻論(ゆいげんろん)を披露したのが1977年のこと。注目すべき見解ではあったが学問的な裏づけが弱い。西洋の認識論はプラトンからデカルトまでの流れがあるが、より具体的な進展は人工知能分野における認知科学まで待たねばならなかった。

 1976年に『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』(ジュリアン・ジェインズ)の原書が出ている。ジェインズの衣鉢を継いだ『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』(トール・ノーレットランダーシュ)の原書が1991年である。同年には『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』(トーマス・ギロビッチ)も刊行されている。その後、コンピュータの発達によって脳科学が一気に花開く。アントニオ・R・ダマシオもこの系譜に加えてよい。

 宗教分野では『解明される宗教 進化論的アプローチ』( ダニエル・C・デネット)、『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』(ニコラス・ウェイド)、『神はなぜいるのか?』(パスカル・ボイヤー)、『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』(アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース)と豪華絢爛なラインナップが勢揃いした。

 そしてコンピュータ文明論ともいうべき『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』(レイ・カーツワイル)にまでつながるのである。

 傾向敵集合表象はナマの客観世界からは独立して、人間精神の中だけで成立した世界像であるが、ほとんど絶対の権威(けんい)をもって支配する。それが風のごとく来ってまた去ってゆくのを私は幾度(いくど)も経験した。それが一世を覆(おお)うのをいかんとも解することができず、ついには国運をも傾けてゆく中にただ怪訝(かいが)の念をもって揉(も)まれていた。

 大東亜戦争は冷静に考えれば確かに勝ち目のない戦争であった。講和をするのも遅すぎた。黒船襲来不平等条約三国干渉人種的差別撤廃提案の否決と国民的鬱積は60年以上にも及んだ。軍国主義に至った背景を思えば、当時の政治家や国民を軽々しく批判することは難しい。ドイツは第一次世界大戦後に敗れて法外な賠償金を求められ、国民の溜まりに溜まった怒りがヒトラーを誕生させたのと似ている。しかし日本に独裁者は存在しなかったし、大量虐殺の計画も実施もない。

 共同幻影は集団の中に暗示(あんじ)によって触発され、さながら女が衣装(いしょう)の流行から免(まぬか)れることができないのと同じ強制力(きょうせいりょく)をもつ。それはさながら水が大地に浸(し)みるように拡(ひろ)がってゆくのだが、それに対して、個人の理性をもってしては歯が立たない。

 大正期や戦後の赤化(せっか)が正しくそうだった。かつての大本教創価学会もそうだったのかもしれぬ。

 傾向敵集合表象はつねに論理化して説かれる。そして、理屈(りくつ)はみな後からつく。どのようにもつく。
 その幻影と狂信を正当化する理屈のつけ方には、さまざまなパターンがある。
 もっともしばしば行われるのは「部分的真理の一般化」ということである。

 いわゆる理論武装である。特にキリスト教世界から誕生した共産主義はディベートの流れを汲(く)んでいて自分たちへの批判を想定した問答をマニュアル化する。現実の否定、あるべき理想、論理の構築が三位一体となって脳内情報を書き換える。

 人間はごく身のまわりの事や昨日とか今日の事についてならともかく、すこし離れたことについては、自分が主体になってナマの経験に即して判断することは、ほとんどない。むしろ、集団がいだいている社会表象とでもいうべき、あたえられた枠組(わくぐみ)にしたがって判断する。これは個人が主体であるといわれるヨーロッパ人でもやはりそうである。

 時代の波をつくるのは人々の昂奮や熱狂だ。理性ではない。群れを形成することで生き延びてきた我々の脳(≒心)は他人に同調しやすい。なぜなら同調することが生存確率を高めたのだから。

 いちじるしいことであるが、「第二現実」のみが、人間のエモーションをはげしく動かす。ナマの現実によって激情(げきじょう)が触発(しょくはつ)されることはあまりない。ナマの現実に異変があったときには、むしろそれへの対応(たいおう)にいそがしく、戦中もいかにして食物を手に入れるとか疎開(そかい)するとかに集中して、われわれはむしろプラクチカルになり、悲観(ひかん)とか絶望(ぜつぼう)という情動(じょうどう)はなかった。敗戦のときには虚脱(きょだつ)してむしろ平静だったが、やがて宣伝(せんでん)がはじまってから激動(げきどう)した。戦時中には自殺はなく、敗戦翌年にはおどろくべき数にのぼった。

 私が「物語」と呼び、バイロン・ケイティが「ストーリー」と名づけたものを、竹山は「第二現実」といっている。創作された映画や小説が「第二現実」であるように、我々は「自分」というフィルターを通して世界を見つめる。そこに喜怒哀楽が生まれる。人の感情の多くは誤解や錯誤から生じているのだ。「見る」という行為をブッダは如実知見と説き、智ギ天台は止観とあらわし、日蓮は観心本尊抄を認(したた)め、クリシュナムルティは徹底して「見る」ことを教えた。

 私の眼は節穴なのだろうか? その通り。人間の五感の中で視覚情報が圧倒的に多いのは脳の後ろ1/3を視覚野が占めているためである。ところがだ、実際の視覚情報は我々が感じているような細密なものではなく脳が補完・調整をしているのだ。しかも知覚は準備電位より0.5秒遅れて発生し、視覚の場合は更に光速度分の遅れが加わる。例えば北極星でサッカーが行われたとしよう。我々が超大型電波望遠鏡で見るのは434年前に行われたゲームだ。

 そして見る行為には必ず見えないものが含まれている。表が見えている時、裏は見えない。中も見えない。前を見る時、後ろは見えない。遠くを見る時、近くは見えない。美人を見る時、その他大勢は見えない。見るとは見えない事実を自覚することである。ま、無知の知みたいなもんだ。

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2018-09-02

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2018-09-01

68歳で自転車デビュー/『こぐこぐ自転車』伊藤礼


 ・68歳で自転車デビュー

・『自転車ぎこぎこ』伊藤礼
・『大東京ぐるぐる自転車』伊藤礼
『自転車で遠くへ行きたい。』米津一成

 学校に着いたときには散々な気持ちになっていた。ずいぶん大変そうな顔をしていたに違いない。私の顔を見た守衛さんがびっくりして、どうかしましたかと訊いてくれたほどだ。事実、東京港を出発して南極に着いたぐらいの気分にはなっていた。
 その日は、家に帰れば帰ったで、家人が「なんだってそんな顔をしているのよ」と言うのであった。夕方暗くなった環状7号線や青梅街道を、野方はまだか、高円寺はまだか、五日市街道はまだか、荻窪はまだか、とガタガタの歩道を尻の痛さをこらえながら我が家めざしてこぎまくる。あまりの痛さにそれではと車道に下りると、生意気な乗用車がすれすれに追い越してゆく。ひとの命のことなどすこしも考えない走りかただ。轟音をあたりに響かせて迫ってくる大型トラック、ぎりぎりに幅寄せしてくるいやらしい都営バスや関東バス。横丁からもいきなり自動車が鼻先をつき出してくる。ぎりぎりにセーフということが何度も生じる。男が一歩家を出れば外はすべてこれ敵なのだ。
 私はトロイ戦争から帰ってきたオデッセウスの気持ちが分かった。あまたの修羅場をくぐり抜けやっと帰宅したのである。家に着いたときは朝出たときより10歳ぐらい年取ったような気がしていた。すこし顔が変になるぐらいは仕方なかった。気だって変になっていたかもしれない。しかし女というのは想像力が貧弱だからそういうことが理解できないようだった。
 自転車乗りの第1日目は刺激的だった。命を落とすか落とさないかという1日だった。排気ガスをたっぷり吸って気絶した私とか、オートバイに跳ね飛ばされて10メートル先に墜落し、アスファルトの道路にピンク色の脳ミソを垂れ流して死んでいる私。そんな想像もつぎつぎ脳裏をかすめた。だがこれに懲りず、そのあとも天気さえ良ければ私は自転車で学校に行ったのであった。

【『こぐこぐ自転車』伊藤礼〈いとう・れい〉(平凡社、2005年/平凡社ライブラリー、2011年)】

 68歳の教授がいつもはクルマで通う大学へ何を血迷ったか、ある日突然自転車で通勤する。12.5kmの道のりだったが早くも2kmでへばり、フラフラになりながら命からがら辿り着いた顛末(てんまつ)が中高年初心者サイクリストに勇気を与える(笑)。

 クスリと笑ってしまう文章がちりばめられていて読みやすい。行間から滲み出る偏屈さと年相応の教養とどちらが気になるかで好みが分かれる。土屋賢二を軽くしたような印象だ。地図マニアのようで道路の由来を綴り、自転車に関する古い日本文学を引用する。著者の専門は英米文学。

 もう一つ興味深かったのは老いた自転車仲間との会話である。口が悪い私からすれば実に慎ましい距離感で「ヘエー」ってな感じである。

 伊藤は次々と自転車を購入するがメインマシンはフラットバーロードとミニベロだ。仲間と一緒に輪行(りんこう)をし全国各地でペダルを踏み込む。

 私の父は69歳で死んだ。68歳からサドルに跨(またが)るとは見上げた気骨である。

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