卒業が近づくにつれて、進路指導が始まる。
二人きりの職員室で、小林(貞治)と向かい合って、小室はいった。
「大学へ行かねいし」
「大学へ行かないでどうするんだ」
「磐梯山(ばんだいさん)の麓に庵(いおり)を結んで、三顧の礼をもって首相に迎えられるまで動かないつもりだし」
(中略)
小林は、ちょっと聞いてみたくなった。
「一応、聞くが、もしお前に頼みに来たとして、首相になって何をするのだ」
「新憲法を数年間停止して独裁政治をやるし。この憲法では日本中がテンヤワンヤになってしまうし。そして会津に大学を創って小林先生を学長に任命するつもりだし」
【『評伝 小室直樹』村上篤直〈むらかみ・あつなお〉(ミネルヴァ書房、2018年)以下同】
小室直樹は小学校低学年にして辞書・漢籍の類いまで読み漁り、学校でも神童振りを発揮していた。幼い頃に父が逝去。女手ひとつで育てられるがその母親も中学生の時に亡くなる。親友の渡部恒三〈わたなべ・こうぞう〉を始めとする支援者が現れ、小室は学業を成し遂げることができた。
高校時代にあっては数学・物理で教師を凌(しの)ぐほどの知識を有していた。実際に教えることもあったという。そんな小室が唯一人信頼するのが小林先生だった。若き天才の野望は常人とスケールが違った。そして小室の魂には会津人の恨みと敗戦の屈辱が刻み込まれていた。
進学した京都大学で弁論部が結成される。小室も勇んで馳せ参じた。
所定の時間となると、内田の司会のもと、各自、自己紹介をした。
小室の番となった。
「小室直樹です。理学部1回生。物理学科志望です。高校は会津高校です。日本は戦争には勝っていたが、原子爆弾で敗けました。だから、湯川さんの研究室に入って原子力を研究し、もっとすごい原爆をつくって“アメリカ征伐”に行く。そのために京都大学に来ました」
これには皆、驚いた。その上、小室は続けてマルクス批判もした。
小室の自己紹介を聞きながら真砂泰輔(まさごたいすけ)は「ごっついのがおるなぁ」と感心した。
他の参加者も同じ思いだった。
小室は終生、型破りの人であった。天才は枠に収まらない。世間の常識を軽々と超えるところに天才の個性が輝く。奇抜な人物ではあったが学問の基本にはどこまでも忠実で国際的に通用する方法論を示し続けた。
もしも小室があと20年遅れて生まれたならば、アメリカか中国が三顧の礼をもって迎えたに違いない。
良書であるがフォントの大きさと改行の多さを思えば4800円はチト高い。
評伝 小室直樹(上):学問と酒と猫を愛した過激な天才
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村上篤直
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評伝 小室直樹(下):現実はやがて私に追いつくであろう
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