2020-02-26

歯磨きは朝晩の2回/『あなたの人生を変えるスウェーデン式歯みがき 1日3分・ワンタフトブラシでお口から全身が健康になる!』梅田龍弘


 ・歯磨きは朝晩の2回

『人は口から死んでいく 人生100年時代を健康に生きるコツ!』安藤正之

 歯垢は、食べてすぐにはできません。4~5時間経ってからできます。そして歯垢は、寝ている間に増えます(寝ている時には唾液の分泌が少ないからです。【唾液には殺菌抗菌作用があります】)だから【寝る前の歯みがきが一番大事で、時間をかける必要があります。】そして朝起きてすぐ(朝、口がねばつくのは細菌が増えているからです)はカンタンに。合計2回のみです。いつも食べかすが詰まる方は、必ずむし歯、歯周病になっています。

【『あなたの人生を変えるスウェーデン式歯みがき 1日3分・ワンタフトブラシでお口から全身が健康になる!』梅田龍弘〈うめだ・たつひろ〉(自由国民社、2013年)以下同】

 痛くなってから歯科医に行くのは雨漏りをしてから家の修理をするようなものだ。わかっている。わかってはいるのだが重い腰を上げるためには痛みに背中を押してもらう必要がある。歯周病と診断されたのは去年のことだ。私は潔く老人に仲間入りすることを決意した。痛む歯についてはややこしい説明を聞きながら、二つ三つの質問をして、「要は前の修理が手抜きってこと?」と訊くと、「手抜きではないのだが後のことを考えてないのは確かだ」という返答だった。

 歯科助手が歯磨きの仕方を教えようとした。「知ってるよ。小刻みに動かすんでしょ」。中年の歯科助手がマスク越しに微笑んだ。帰宅して直ぐ本書を取り寄せた。読書とは思考を上書きする行為だ。やり慣れた行動を変えることで私の可能性は広がることだろう。たとえそれが小刻みな幅であったとしても。

 食後の歯磨きは唾液の分泌を阻害するのでやめた方がいい。子供の頃、小さな傷を舐めた経験は誰にでもあるだろう。我々は本能で唾液に殺菌作用があることを知っているのだ。歯の内側が虫歯になりにくいのも唾液と接触しているためだ。

【なぜ「95%歯垢を取る除菌治療」で口呼吸が治る・鼻が通るのか?
 ――それは患者さんが教えてくれた】
 口と鼻は、すごく近い距離にあります。【口腔内の細菌(歯垢)が鼻粘膜に炎症をもたらしているのです。
 これが治ると必ず免疫力が上がります。】鼻が詰まっている(鼻炎がある)方の口の中を見てください。必ず歯垢だらけで、むし歯、歯周病になっています。

「口呼吸の人は猫背になる」とも書かれている。無呼吸症候群以外にも口呼吸の原因があったとは驚いた。鼻毛というフィルターを通さないのだから口呼吸が不健康なのは容易に想像できるだろう。更に口が乾くことで雑菌が繁殖しやすくなる。

 私の歯磨きはほぼ完璧となった。定期検診でも褒められている。歯と歯茎の間を磨くのがコツだ。歯茎の隙間に突っ込んでも構わない。丁寧に磨いてゆくと隙間がなくなる。尚、歯ブラシはありふれた柔らかめのデンタル歯ブラシ一択だ。先細である必要はない。



2020-02-24

和製ジェフリー・ディーヴァー/『犯罪者』太田愛


 ・和製ジェフリー・ディーヴァー

『幻夏』太田愛
・『天上の葦』太田愛
『未明の砦』太田愛

ジェフリー・ディーヴァー
ミステリ&SF

 首都高のジョイントの音がメトロノームのように単調に響く車内で、滝川は掌の中でいつものように握力ボールを回転させながら黙って服部から事の次第を聞いた。事務的な口調とは裏腹に服部の胸の内が冷たい怒りに満ちているのが滝川にははっきりと解った。今夜は相手にまんまと裏をかかれ、服部は使いに出された小僧も同然だった。そのうえ、明後日には佐々木邦夫の要求どおり滝川と二人で5億の金を運び、繁藤修司とサンプルを買い取るよう磯辺に命じられたのだ。頭にくるのももっともだと滝川は思った。それでも服部は、先ほど滝川が目にした森村に比べれば格段に落ち着いている。服部は怒りや鬱屈をそのまま集中力に変えるだけの、どこかしら陰惨な匂いのする自制心を身につけている。滝川はそう感じた。

【『犯罪者』太田愛〈おおた・あい〉(角川書店、2012年『犯罪者 クリミナル』/角川文庫、2017年)】

 一気読み。太田愛はテレビドラマの脚本家で「TRICK2」「相棒」などを手掛けた。とてもデビュー作とは思えぬ出来栄えで老練な印象すら受けた。

 駅前広場のテロ事件から幕を開ける。出刃包丁を振りかざした無差別テロが実は計画的な犯行で4人の被害者には共通項があった。もう一つ別の物語が並走する。幼児を襲う奇病メルトフェイス症候群だ。眼球を含む顔面の組織が次々と壊死する病だった。原因は食品大手のタイタスフーズが作った離乳食「マミーパレット」に混入していた中国産の野菜と後に判明する。架空の病気を設けることで薬害が生まれるメカニズムを見事に描いている。太田は森永ヒ素ミルク事件(1955年)をイメージしたようだ。

 二つの物語が一つに結びつき真相が判明する。しかも下巻の序盤で。「ここからまだ捻(ひね)るのか」という期待が一気に高まる。和製ジェフリー・ディーヴァーの誕生か。

 滝川は政治家に雇われた殺し屋である。繁藤修司〈しげとう・しゅうじ〉と彼を匿う刑事の相馬亮介、そして元テレビマンの鑓水七雄〈やりみず・ななお〉が滝川のターゲットだ。

 文句なしの面白さだが目立つ瑕疵(かし)が二つある。まず登場人物の名前がよくない。苗字が奇抜だと読み手は記憶することを強いられ物語に集中する力を削がれる。ロシア文学が嫌われるのも人物名を覚えられないためだ。次に若い修司が相馬や鑓水に助けられながらも二人を呼び捨てにすることはあり得ない。理解に苦しむ設定だが、ひょっとするとテレビ業界の影響があるのかもしれぬ。

 尚、太田作品は『幻夏』『天上の葦』と続くが、いずれもこの3人が主役なので本書から順番で読むのが望ましい。

名言+偉人=伝説/『ルターのりんごの木 格言の起源と戦後ドイツ人のメンタリティ』M・シュレーマン


自分は今日リンゴの木を植える

 ・名言+偉人=伝説

 今やまさに50年代以降のあの最初の確かな典拠の場合、いったい問題になるのは何であろうか。その典拠は、カール・ロッツ(ヘルスフェルト)が書いた1944年10月5日付で、クーアヘッセン州ヴァルデックの告白教会の親しい人びとに宛てた、タイプライターで打たれた内輪の回状の中にある。それは次のような言葉で終わる。

「どうぞ、われわれの国民の緊迫した状況に直面して書かれたわたしの手紙を不愉快に思われませんように。われわれはおそらくルターの言葉に従わなければなりません。すなわち、『たとえ明日世界が滅びようとも、われわれは今日りんごの木を植えようではないか』」。

【『ルターのりんごの木 格言の起源と戦後ドイツ人のメンタリティ』M・シュレーマン:棟居洋〈むねすえ・ひろし〉訳(教文館、2015年)以下同】

 私が30年前に知ったのは「たとえ明日世界の終わりが来ようとも今日私はオレンジの木を植える」という言葉だった。新聞では「中東の格言」と紹介されていた。台風で青森県のリンゴ農家が被害を受け、機転を効かせた人物が受験生向けに「落ちないリンゴ」を売り出したことが話題になっていた。数年後、インターネットで調べたところコンスタンチン・ビルジル・ゲオルギウの言葉であることが判った(『第二のチャンス』)。ところが話はここで終わらない。ゲオルギウはルターの言葉として引用したのだが、寺山修司が『ポケットに名言を』で「ゲオルギウの言葉」としてしまい誤解が広まる。更に高木彬光がリルケの言葉として紹介する(「たとえ世界の終末が」の言葉)。まるで伝言ゲームさながらである。

「史料状況からすると、りんごの苗木の言葉の歴史の起源は1940年代でなければならない」とする著者はベストセラーの影響も見逃せないと指摘する。

「ひとりの著名な人が言います。『たとえ私が明日世界が滅びることを知ったとしても、わたしは今日それでもなおわたしのりんごの苗木を植えるであろう』と。神によって安らぎが与えられた心は、将来を問いません。その心は将来を左右する何の力も持たず、その日必要なことをします」。

 レナーテ・(フォン・デア)ハーゲン著『火の柱』(1947年刊行、9版5万6000部発行)の一文だ。

「たとえ明日世界が滅びることを知ったとしても、私は今日りんごの木を植える」――帯文を見ただけで翻訳の悪さがわかる。「たとえ明日世界が」と来れば「今日私は」とするのが当たり前だろう。翻訳は通訳と翻案の間に位置するものだが高度なセンスが問われる。

 名言が偉人と結びつけられて伝説が生まれる。印刷技術が発達した現代ですらそうなのだから文字のない時代はもっとでかい間違いがあったことだろう。ブッダやイエスにまつわる物語は創作と割り切るのが賢明だ。

 俗に「嘘も方便」という。個人的にはブッダが嘘を吐(つ)いたとは思えぬが大衆には嘘を許容する精神性があるのだろう。結果オーライという単純な指向(あるいは嗜好)に世俗の浅はかさが垣間見える。

 文字以前の時代を生きる人々は我々が想像する以上に記憶力が優れていたことだろう。中でも特段に優れた少数の人がブッダや孔子の言葉を編んだのだろう。しかし必ずいい間違えはあったはずだし、聞き間違えはもっとあったはずだ。まして文脈を読み誤れば言葉は正反対の意味すら持つ。

 経典主義・聖典主義に宗教の限界がある。人の心は言葉に収まるものではない。真理は言葉や数式の彼方にある。

2020-02-23

武士の美学が鉄砲を斥けた/『鉄砲を捨てた日本人 日本史に学ぶ軍縮』ノエル・ペリン


『戦国日本と大航海時代 秀吉・家康・政宗の外交戦略』平川新

 ・武士の美学が鉄砲を斥けた

『武士道』新渡戸稲造:矢内原忠雄訳
『逝きし世の面影』渡辺京二
『日本の弓術』オイゲン・ヘリゲル

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 長篠の合戦信長が勝利をおさめたのち半世紀は、火器の使用が日本で最高潮に達した時代である。火器の使い方を知らねば、兵隊にはなれなかった。しかし同時に、火器に対する最初の抵抗も強まった。なぜなら、この新式の兵器が優れいたがために、武器の使い手の技量が従来ほどに問われなくなったからである。長篠の合戦以前にあっては、日本の合戦は、通常は相当数にのぼる一騎打ちと小ぜり合いとであった。鉄砲隊でなければ、互いに名乗りをあげたあと、一騎打ちとなった。こうした戦いぶりにあっては、それに加わった人数だけの武勇伝を生む。それは一種の道徳性さえともなっていた。というのは、一人一人の運命は自分の能力や鍛錬次第で大きく左右されたからである。むろん甲冑も重要であった。防御用の武具はことに重要なものと考えられた。ジョージ・ストーンは「日本人はさまざまな鎖かたびらを製作し、その数は世界中の鎖かたびらを合わせた数よりも多い」と述べている。そして立派な出来栄えの武具は讃嘆のまととなった。1562年の合戦〔鴻台(こうのだい)の合戦〕の古い物語のなかに近代広告として読んでも十分通じる出来事がある。太田資正〈おおた・すけまさ〉という武将が二度の深手をすでに負わされたあと、敵の清水某なる武士と一騎打ちとなった。
「太田資正に襲いかかった武士は名うての豪傑として知られ、いまや傷を負いすっかり疲労困憊していた資正を投げとばし、首級をあげんとしたところ、首が切れなかった。これを見てとった太田資正は、怒りに眼をかっと見開き、こう叫んだ、『うろたえたか。拙者の首には喉輪(のどわ)がかかっておる。喉輪をとれ。しかる後に首を落とせ』と。
 清水はこれに答えて、『ご教示かたじけない。あっぱれなる死に際、感じ入って候』。しかるに、まさに清水が喉輪をはずだんとする刹那(せつな)、太田資正の家来が飛びかかって清水をなげ倒し、主君を敵の手から助け出して戦場からとってかえし、事なきをえた」という。
 こうした出来事は、火縄銃を用いた大合戦では、めったに起こらない。目標を定めた一千発の一斉射撃は、周章狼狽(しゅうしょうろうばい)していようが泰然自若(たいぜんじじゃく)としていようが、敵とあれば見境いなく、相手を声も届かぬ離れた地点から撃ち殺した。鉄砲に立ちむかう場合、勇敢さはかえって不利になり、攻守ところを変えて自分が鉄砲隊となると、もはや相手の顔かたちは見分けがつかなくなったであろう。その場合、鉄砲隊何千の一員として、攻撃をしかけてくる敵を掃討するべく土塁の背後で待ちかまえておればよいわけだ。それには大した技術もいらない。技量が問われるのは、今や兵士ではなく、鉄砲鍛冶と指揮官たる者に変わったのである。織田信長の鉄砲隊が、本来の武士というよりも、農民もしくは郷士(ごうし)や地侍あがりのものであった、というのもそのためである。ともあれ、鉄砲をもつ農民が最強の武士をいともたやすく撃ち殺せることを認めるのは、誰にとっても大きな衝撃であった。
 その結果、長篠の合戦後まもなく、鉄砲に対する二つの違った態度が現われはじめた。一方で、鉄砲は、遠く離れた敵を殺す武器としてその優秀性をだれにも認められるところとなり、戦国大名はこぞってこれを大量に注文したのであった。少なくとも鉄砲の絶対数では、16世紀末の日本は、まちがいなく世界のどの国よりも大量にもっていた。他方で、正真正銘の軍人すなわち武士階級の者はだれもみずから鉄砲を使おうとする意思はなかった。かの織田信長でさえ、鉄砲をおのれの武器としては避けた。1582年信長は、死を招いた本能寺の変で、まず弓を用い、弦が切れたあとは槍で闘ったと言われる。その翌年、大砲で約200名の兵隊が死んだ合戦で、手柄ありとされた10名ばかりの武勲者は刀と槍で闘った者である。
 武士の戦闘は刀、足軽のそれは鉄砲という分離は、もちろん、うまくいくはずのものではない。

【『鉄砲を捨てた日本人 日本史に学ぶ軍縮』ノエル・ペリン:川勝平太〈かわかつ・へいた〉訳(中公文庫、1991年/紀伊國屋書店、1984年『鉄砲を捨てた日本人』改題)】


 武士の美学が鉄砲を斥(しりぞ)けたとすれば、鉄砲での殺傷を彼らは「卑怯」と憎んだのだろう。そこにあるのはフェア(公正)の精神だ。銃を持てば中学生でも宮本武蔵に勝つ可能性がある。どう考えてもおかしい。何がおかしいかを考えるのも厭(いや)になるほどおかしい。ところが武器の進歩はどんどんおかしな方向に遠慮なく進んだ。鉄砲→機関銃→ロケット弾→原子爆弾と。武器の産業革命といってよい。殺傷までもが効率化・最大化を目指す。

 日本が中世において世界最大の軍事国家であったことを知る人は意外に少ない。私が知ったのも最近のことである。江戸時代のミラクル・ピースを支えたのが「鉄砲を捨てた」決断であったことは確実だ。ただしその平和はマシュー・ペリー率いる黒船の砲艦外交で止(とど)めを刺された。

 アングロ・サクソンの侵略主義もそろそろ年貢の納め時だろう。歴史は緩やかに大河のごとくうねる。ノエル・ペリンは「鉄砲を捨てた日本人に倣(なら)えば人類は核爆弾を捨てることも可能だ」と説く。そこからもう一歩進めて「軍備増強が損をする」経済状況にまで高めるのが望ましい。日本の伝統と文化にはその最大のヒントがある。