2020-05-24

JA相模原市緑化センターの覚え書き


 JA相模原市緑化センターに行ってきた。私のサイクリングコースから少し外れた場所にあった。ポトス・ステータスを探しに行ったのだが残念ながらなかった。サンセベリアは数が少ない上に高価であった。

 確かに広いが広大というほどでもない。花や庭木が中心である。観葉植物は少ない。私の印象としては「でかい百姓家(ひゃくしょうや)のだらしない庭」といったところ。陳列された鉢は土埃にまみれていた。注目すべきは土の豊富さで日向土(ひゅうがつち)や富士砂があった。他には藁(わら)や米糠など。

 平日のせいか年寄りが多かった。「いよいよ俺もこの連中に仲間入りか」と胸の内で呟いた。家に戻ると少しふらついた。たぶん「緑酔い」だろう。

 場所がわかりにくいのでよく確認する必要がある。

2020-05-23

グラパラリーフとサンセベリア


サンセベリアの肥料

 ・グラパラリーフとサンセベリア

サンセベリアの根腐れ

 メルカリで買ったグラパラリーフ(300円)が昨日届いた。土の配合は赤玉土3:鹿沼土3:腐葉土4とした(意外に知らない!多肉植物の植え替えに適した土って? | ひとはなノート)。植物を買うたびにウェブ上を調べ回っているが有益な情報が多く、諸先輩方に尽きせぬ感謝を覚える。「2ヶ月に1回ほど緩効性化成肥料を追肥します。水やりは控えめに。1~2週間に1度ほど水やりをします」(グラパラリーフの栽培、育て方:プランターで家庭菜園)。これは食べるために植えたもの。




「葉を土の上に置き、根が出てき始めたら霧吹きで水を与えます。出てきた芽が大きくなり元々の葉が外れたら水やりします。葉挿しの置き場所は半日陰の場所で!直射日光に当てると葉自体が葉焼けし、枯れてしまいます」(グラパラリーフの育て方!日当たりや水やりなど管理のコツを解説!| BOTANICA)。取り敢えずベランダの室外機の下に鎮座していただこう。心配性なので葉にも土をかぶせておいた。

 折角なんで記念撮影を。昔から写真を撮る習慣がないのでついつい忘れてしまう。


 やっとメネデールが届いたので水やりをしたばかりだ。尚、メネデールは肥料ではないため、いつ与えても大丈夫なようだ。


 右が昨年購入したローレンティ(480円)で根が育ってないやつ。同じローレンティでも随分違うよね。左(980円)が一般的だ。右のはやや黄緑がちで葉の縞も大柄だ。


 これはゼラニカ(1480円)。去年メルカリで手に入れたもの。一番元気がいい。ただし買ってから直ぐに植え替えをしなかったので大きくなっていない。


 先日買ったばかりのハーニー(780円)である。検索したのだが正式名称がわからず。ブラックジェイドハニー、ハニーブラック、ブラックドラゴンなどの名前があって一律でない。手前の小さな緑色ポットに入っていたやつを4株に分けた。葉の付け根が白っぽくなってきたのが悩みの種である。株分けした際の乾燥が足りなかったせいかも。


 一番小さいが威勢がいい。適当に撮影したのでわかりにくいが実は一番葉の数が多い。

 来週になったら「超醗酵油かす おまかせ中粒」を投与する予定である。小さな植物は見ていて飽きることがない。日々成長する。「お前はどうなんだ?」と問い掛けられているような心地になってくる。

 amazonの画像リンクを紹介しておくが、ヨドバシ・ドットコムモノタロウの方が安い。ただし到着が遅い。ついでにスリット鉢も買うといいだろう(ヨドバシモノタロウ)。小さいスリット鉢はホームセンターにも置いていない。

2020-05-18

幕末の日本は「子どもの楽園」だった/『逝きし世の面影』渡辺京二


『日本人の誇り』藤原正彦
『鉄砲を捨てた日本人 日本史に学ぶ軍縮』ノエル・ペリン

 ・失われた日本の文明
 ・幕末の日本は「子どもの楽園」だった
 ・「日本ほど子供が大切にされている国はない」と外国人が驚嘆

『幕末外交と開国』加藤祐三
『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』原田伊織
『龍馬の黒幕 明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン』加治将一
『シドモア日本紀行 明治の人力車ツアー』エリザ・R・シドモア
『武家の女性』山川菊栄
『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人
『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛
『近代の呪い』渡辺京二

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 日本について「子どもの楽園」という表現を最初に用いたのはオールコックである。彼は初めて長崎に上陸したとき、「いたるところで、半身または全身はだかの子供の群れが、つまらぬことでわいわい騒いでいるのに出くわ」してそう感じたのだが、この表現はのちのち欧米人訪日者の愛用するところとなった。
 事実、日本の市街は子どもであふれていた。スエンソンによれば、日本の子どもは「少し大きくなると外へ出され、遊び友達にまじって朝から晩まで通りで転げまわっている」のだった。1873(明治6)年から85年までいわゆるお雇い外国人として在日したネットーは、ワーグナーとの共著『日本のユーモア』の中で、次のようにそのありさまを描写している。「子供たちの主たる運動場は街上(まちなか)である。……子供は交通のことなどすこしも構わずに、その遊びに没頭する。かれらは歩行者や、車を引いた人力車夫や、重い荷物を担いだ運搬夫が、独楽を踏んだり、羽根つき遊びで羽根の飛ぶのを邪魔したり、紙鳶(たこ)の糸をみだしたりしないために、すこしの迂り道はいとわないことを知っているのである。馬が疾駆して来ても子供たちは、騎馬者(うまののりて)や馭者を絶望させうるような落着きをもって眺めていて、その遊びに没頭する」。
(中略)こういう情景はメアリ・フレイザーによれば、明治20年代になってもふつうであったらしい。彼女が馬車で市中を行くと、先駆けする別当は「道路の中央に安心しきって坐っている太った赤ちゃんを抱きあげながらわきへ移したり、耳の遠い老婆を道のかたわらへ丁重に導いたり、じっさい10ヤード(=9.144m)ごとに人命をひとつずつ救いながらすすむ」のだった。

【『逝きし世の面影』渡辺京二〈わたなべ・きょうじ〉(平凡社ライブラリー、2005年/葦書房、1998年『逝きし世の面影 日本近代素描 I』改題)】

「子は授(さず)かりもの」と日本人は考える。誰から授かったのであろうか? 天である。ただしシナのとは異なり天地(=人智の及ばぬ大自然)の意味合いが強い。

 人力車が発明されたのは明治に入ってからのことだから往来はまだまだ人のものであった。それでも尚、外国人の目を瞠(みは)らせる何かがあったのだろう。欧米の児童教育は矯正を目的としており、子は鞭打たれる存在であった。そんな彼らからしてみると日本の子供たちはさながら野生動物のように見えたのだろう。

 私の小学生時代がちょうど100年後(1973年)である。札幌ではアスファルト舗装されていない道路も多かった。モータリゼーションが興ったのは1960年前後からで80年代までクルマは増え続けた。それでもまだ私が子供の時分は道路で遊ぶことができた。時折走るクルマはけたたましいクラクションを鳴らした。ドライバーからすれば子供と年寄りは交通を妨げる邪魔な存在でしかなかった。道路はクルマのものとなったのだ(『自動車の社会的費用』宇沢弘文)。

 渡辺京二は『苦海浄土 わが水俣病』(石牟礼道子〈いしむれ・みちこ〉著)の編集者として知られる。「当初『海と空のあいだに』と題されたこの小説の原稿を郷土文化雑誌の編集者として受け取ったのが、評論家・思想史家の渡辺京二さんだ」(88歳の思想史家・渡辺京二が語る「作家・石牟礼道子の自宅に通った40年」 | 文春オンライン)。原稿の校正はもとより、掃除から食事に至るまで面倒を見たという。戦後の一時期は左翼として活動していた過去を持つ人物だ(【インタビュー】渡辺京二(思想史家・87歳)「イデオロギーは矛盾だらけ。だから歴史を学び直し人間の真実を追究するのです」 | サライ.jp)。

『苦海浄土』は紛(まが)いなく傑作である。私が「必読書」に入れなかったのは小説であるにもかかわらずノンフィクションとして扱われることを石牟礼がよしとしたためだ。水俣の被害者を左翼が支援したのは当然だろう。しかしそれが政治臭を帯びると反権力闘争のために水俣病が利用される本末転倒が起こる。チッソは違法行為を犯したわけではなかった。文明が発達する時には必ず何らかの犠牲が生じる。そこで国家の振る舞いが問われるのだ。

 1990年代まで知識人が赤く染まっていた事実を踏まえれば石牟礼道子はまだリベラルと言えるのかもしれないが、どうも私は好きになれない。渡辺京二も本書を通して古きよく日本を懐かしんでいるわけではなく、断絶した時代として相対化しているのである。「逝きし世」は「滅んだ文明」を意味する(『荒野に立つ虹』)。

 石原吉郎と比べると石牟礼や渡辺はヒモ付きに見えてしまう。

2020-05-17

サンセベリアの肥料


サンセベリアの植え替え
サンセベリアの土を考える

 ・サンセベリアの肥料

グラパラリーフとサンセベリア

 昨年買ったローレンティの根が全く伸びていなかった。1~2cmのヒゲみたいな根であった。買って直ぐに植え替えなかったせいだろう。ちゃんとした土で売っていると思い込んだところに素人の甘さがある。葉はしっかりしているので水は吸っているのだろう。一方のゼラニカも植え替えた途端、グングン葉を広げ始めた。

 ちょっと調べてメネデールとハイポネックス原液は注文したのだが、最初は緩効性肥料の方がいいようだ。マグァンプ K中粒と東商 超醗酵油かすおまかせ 中粒が候補に上がったが後者を選んだ。既に植え替えは済んでおりマグァンプは土に混ぜて使うため。

 春
新芽が出はじめ観葉植物の育成が始まります。2か月に1回程、土の上の置く緩効性肥料を追肥しましょう。やがて成長期に入れば水やりの際に液肥・活力剤をあげて下さい。

 夏
ほとんどの観葉植物の生育が活発になります。春に続き追肥をし、暑くなれば肥料の分解が早いので、水やりの際2週に1~2度液肥・活力剤を与えると良いでしょう。

観葉植物の正しい肥料の与え方と、絶対に注意したい5つの勘違い

マグァンプK。中粒と大粒。間違ったままの6年間。 | 薔薇に囲まれて編み物を

最初の与え方としてゆっくり効くタイプの粒肥料を土に混ぜ込んでおきましょう。
そして5月から9月の時期に追加で液体肥料を与えるようにします。
ペースは20日に1回程度。特に真夏の時期にしっかり肥料を与えることで、株がより丈夫になり耐寒性も上がります。

肥料の与え方が重要!サンセベリアの育て方!|GreenSnap(グリーンスナップ)

 5月になったら、肥料をやること。肥料は春と秋にやる。即効性の「化成肥料」でもいいが、遅効性の「超発酵肥料(通称ぼかし)」などが基本。ただしあまり肥料を選ばないので、液肥(ハイポリクス等)でもよい。5月後半から、水やりを本格化する。受け皿に出るぐらい、ドバドバやる。当然だが、受け皿の水は捨てる。置く場所は窓際のよく日の当たる所に。

ぽぽん流「サンセベリアの育て方」 | ぽぽんがぽん! - 楽天ブログ

 超醗酵油かすおまかせは土に差し込むタイプである。夏になったら一度メネデールを与えて様子を見ようと思う。

 現在、ローレンティが二鉢とゼラニアが一鉢、そしてハーニーが四鉢である。先日買ってきたローレンティは葉が細長くて縞が細かく覆輪班入り)が黄緑っぽい。去年買ったやつはズングリした印象だ。同じローレンティでも随分違う。

 土は結局現状のままで少しばかり鹿沼土を増やした。ビバソイルを買いにゆこうと思ったのだが、そうすると培養土が無駄になってしまう。スリット鉢もたくさん注文したのだが植え替えに間に合わず。まだ届いていない。私がサンセベリア増産計画を立てたのは知人・友人に進呈するためだ。小振りなスリット鉢はその時使えばいいだろう。

 今のところ葉挿しをする予定はないが、覆輪が消えることを考えると原種に近づくのだろう。原種はたぶんサンセベリア・トリファスキアータだ(ローレンティの正式名称はサンセベリア・トリファスキアータ・ローレンティ)。

サンセベリア・トリファスキアータ(Sansevieria triafasciata)【かぎけんWEB】
3月21日(日) アツバチトセラン(サンセベリア、トラノオ): 草木365日

 これはこれで野趣があっていい。

 この1週間ほどはサンセベリアの勉強で殆ど本を読んでいない。それぞれの鉢が我が子のように愛しい。

2020-05-16

ルワンダ大虐殺の重要指名手配犯、フランスで逮捕


 ・ルワンダ大虐殺の重要指名手配犯、フランスで逮捕

『ホテル・ルワンダ』テリー・ジョージ監督

2020年5月16日 21:38 発信地:パリ/フランス [ フランス ヨーロッパ ルワンダ アフリカ ]

【5月16日 AFP】(更新、写真追加)フランスの警察当局は16日、ルワンダ大虐殺をめぐる残り少ない重要指名手配犯であるフェリシアン・カブガ(Felicien Kabuga)容疑者を逮捕した。当局者が明らかにした。

 検察および警察当局は共同で声明を発表し、かつてルワンダ有数の富豪であり、大虐殺において資金を工面した84歳の同容疑者が、パリ郊外で偽名を使って暮らしていたと明かした。

 この声明によると、夜明けごろに実施された作戦により、「司法当局が25年間行方を追っていた」逃亡者が逮捕されたという。

 フツ(Hutu)人の過激派によってツチ(Tutsi)人だけでなく穏健派のフツ人も虐殺された1994年のジェノサイド(大量虐殺)では、80万人前後が犠牲となった。

 先の声明は、カブガ容疑者はパリ北方のアニエールシュルセーヌ(Asnieres-sur-Seine)で、共犯者である自身の子どもたちとともに身を隠して暮らしていたとし、「フェリシアン・カブガはルワンダにおけるジェノサイドの資金担当者として知られる」と説明している。

 同容疑者は、虐殺を実行した悪名高い民兵組織インテラハムウェ(Interahamwe)を創設したとされる。

 また人々に殺人の実行を放送で呼びかけたことで、同じく悪名高いミルコリンヌ自由ラジオ・テレビジョン(Radio-Television Libre des Mille Collines)の創設を援助した。(c)AFP