2020-06-26

志村五郎「竹山を今日論ずる人がないことを私は惜しむ」/『竹山道雄と昭和の時代』平川祐弘


『昭和の精神史』竹山道雄

 ・言うべきことを言い書くべきことを書いた教養人
 ・志村五郎「竹山を今日論ずる人がないことを私は惜しむ」

『見て,感じて,考える』竹山道雄
『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘編
『剣と十字架 ドイツの旅より』竹山道雄
『ビルマの竪琴』竹山道雄
『人間について 私の見聞と反省』竹山道雄
『竹山道雄評論集 乱世の中から』竹山道雄
『歴史的意識について』竹山道雄
『主役としての近代 竹山道雄セレクションIV』竹山道雄:平川祐弘編
『精神のあとをたずねて』竹山道雄
『時流に反して』竹山道雄
『みじかい命』竹山道雄

 志村五郎は敗戦直後の1946年に一高に入学し、いちはやく日本の最高の数学者と呼ばれた人物だが、後半生はアメリカで生きた。自伝も日英両語で書いているが、その日本語版『記憶の切絵図』(筑摩書房、2008)にプリンストンで手術を受けた時のエピソードをこう伝えている。麻酔医が『ビルマの竪琴』の英訳を読んで感動したと話した。「その著者は私の高校のドイツ語の先生だと言うとひどく感心していた」。その志村にいわせると、1950年、朝鮮戦争勃発当時、日本の政治学者や評論家には「ソ連信仰」が根強く、「進歩的知識人」は反共よりも反米の方が論壇で受けがよいことを知っており、その世界の中の功利的保身術に基いて発言していた。それとは違って、と志村は言う。「竹山道雄は共産主義諸国を一貫して批判し続けた。彼は共産主義国信仰の欺瞞(ぎまん)を極めて論理的かつ実際的に指摘した。それができてまたそうする勇気のある当時はほとんどただひとりの人であった。彼はまた東京裁判の不当性と非論理性を言った。竹山を今日論ずる人がないことを私は惜しむ」。志村にそう指摘されたとき、私は身内の者であるけれども、やはり自分が論ぜねばなるまい、とあらためて思った。

【『竹山道雄と昭和の時代』平川祐弘〈ひらかわ・すけひろ〉(藤原書店、2013年)】

 フェルマーの最終定理を解いたのはアンドリュー・ワイルズだが、そのための武器を用意したのが日本の志村五郎谷山豊であった(『フェルマーの最終定理 ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで』サイモン・シン)。

「また評論家として戦中は軍部を批判、戦後は進歩的思想に反対し続けたリベラリストで、(※昭和)43年には『米原子力空母エンタープライズの寄港に賛成』と発言、論争を呼んでいる」(竹山道雄とは - コトバンク)。1968年(昭和43年)といえば学生運動が安保反対を経てベトナム戦争反対に舵を切り、東大闘争が始まった頃で、当然エンタープライズの寄港に対する反対運動が起こった。朝日新聞が取材した5人の識者の中で竹山道雄ただ一人が賛成を表明した。その後朝日新聞は「声」欄を使って執拗な竹山バッシングを行う(朝日新聞に抹殺された竹山道雄)。以下のページに詳細がある。

馬場公彦著「『ビルマの竪琴』をめぐる戦後史」2004年法政大学出版局刊・3の2 | 知的漫遊紀行 - 楽天ブログ

 当時の新聞の影響力は現在の比ではない。テレビはまだ歴史が浅かった。世論を動かしていたメディアは新聞のみであったと断言してよい。このような背景を知れば志村の文章に込められた思いが胸に響いてくる。数学者の合理性が竹山のありのままの姿を捉えたのだろう。

 竹山は実際家であった。ゆえに思想が事実を歪めることを十分承知していた。戦後、分断された西ドイツから東ドイツの嘘を見抜いた。西ドイツへの亡命者の多さが社会主義国の欺瞞を証明していた。世論が時流に流される中で竹山は一人両脚に力を込めて学問の大地に立っていた。

幸福を望むのは不幸な人/『精神の自由ということ 神なき時代の哲学』アンドレ・コント=スポンヴィル、『人生論ノート』三木清


『人生論ノート』三木清

 ・宗教の語源
 ・フランス人哲学者の悟り
 ・幸福を望むのは不幸な人

『君あり、故に我あり 依存の宣言』サティシュ・クマール

 もし幸福であることを希望しているなら、それは幸福が欠如しているからだ。逆に、幸福がげんにあるときに、そのうえなにを希望するというのか。幸福が長つづきすることを希望するのだろうか。それは、幸福が終わらないかと恐れることなのだから、そのばあいには幸福はすでに不安のうちで溶けてなくなってしまっているわけだ……。これが希望の陥穽であり、それは神のいるいないに関係ない。あすの幸福を希望するあまり、きょう幸福を生きることをみずからに禁じてしまうのだ。

【『精神の自由ということ 神なき時代の哲学』アンドレ・コント=スポンヴィル:小須田健〈こすだ・けん〉、C・カンタン訳(紀伊國屋書店、2009年)】

「幸福」とは多分近代の概念だろう。資本主義・金融経済・消費・統計などが絡んでいるように思う。平均値という基準があり、ここかれ離れるほどに不幸の度合いが増してゆく仕組みだ。

 それ以前は諸願成就や心願成就と言った。元々は菩薩が衆生済度を誓ったものだが、人々においても他人の幸福、特に病気平癒を願う気持ちが強かった。欲望からの解放を唱えたブッダの教えが、いつしか願(がん)を正当化することで祈祷が当たり前となるわけだが、このあたりに後期仏教(大乗)の欺瞞が透けて見える。

 キリスト教の場合は「神の恩寵がありますように」と口にしても神がそれに応じる義務はない。何をしようと神の勝手である。人の幸不幸は神が世界を創造した時点で既に決まっている(予定説)。

 幸福は人格である。ひとが外套(がいとう)を脱ぎすてるようにいつでも気楽にほかの幸福は脱ぎすてることのできる者が最も幸福な人である。しかし真の幸福は、彼はこれを捨て去らないし、捨て去ることもできない。

【『人生論ノート』三木清(新潮文庫、1954年)以下同】

 機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なこと、等々、幸福はつねに外に現れる。歌わぬ詩人というものは真の詩人ではない如く、単に内面的であるというような幸福は真の幸福ではないであろう。

 幸福は表現的なものである。鳥の歌うが如くおのずから外に現れて他の人を幸福にするものが真の幸福である。

 三木は幸福の現象を鮮やかに描いている。人格高潔とは言い難い三木が「幸福は人格である」と書くのだから文章というのはつくづく便利なものだ。詳細については他日記す。

 不幸な時代には成功者がもてはやされ、悲惨な時代からは英雄が生まれる。『半沢直樹』や『隠蔽捜査』を面白がるようではダメなのだ。

2020-06-25

ジョー・バイデンの隠しきれない性癖


フランス人哲学者の悟り/『精神の自由ということ 神なき時代の哲学』アンドレ・コント=スポンヴィル


 ・宗教の語源
 ・フランス人哲学者の悟り
 ・幸福を望むのは不幸な人

『左脳さん、右脳さん。 あなたにも体感できる意識変容の5ステップ』ネドじゅん
『君あり、故に我あり 依存の宣言』サティシュ・クマール

キリスト教を知るための書籍
悟りとは

 夕食のあとのある晩、いつものように友人たちと気にいっていた森へ散歩にでかけた。暗さが深まっていったが、歩きつづけていた。笑いも少しずつ消えてゆき、口数も少なくなっていった。友情や信頼、共有された現前やこの夜のあらゆるものの心地よさといったものはありつづけた。私は、なにも考えていなかった。眼を開いて、耳をかたむけていた。あたりは一面漆黒の闇で、空は驚くほどあかるく、森はかすかにざわめきながらも沈黙につつまれていた。ときおり、枝がみしみし音をたてたり、動物の鳴き声がしたり、歩く一歩ごとにかすかな足音がした。このとき、沈黙はますますはっきりと聴きとれるようになっていた。そして突然……。なにが起こったのだろうか。なにが起こったわけでもなかった。そこには万物があった。まったく、会話のひとつも、意味も問いかけもなかった。ただ驚きとあたりまえのことと、終わることのないようにさえ思われた幸福と、いつまでもつづくかに思われた平穏だけがあった。私の頭上には、無数の、数えがたい数の、光り輝く満点の夜空があり、私のまわりにはこの空のほかにはなにものもなく、私はその一部と化していた。私のまわりには、いわば幸福な振動であり、主体も客体もない喜びにほかならない(万物のほかには、なんの対象もなく、それ自身のほかには、なんの主体もないのだから)この光のほかにはなにもなく、この漆黒の闇のなかにあって、私のうちには万物のまばゆいほどの現前のほかにはなにもなかった。平穏。はかりしれないほどの平穏。単純さ、平静さ。歓喜。最後の二つのことばは矛盾しているように思われるかもしれないが、そこにあったのはことばではなく経験であり、沈黙であり調和だったのだ。それはいわば、まったく正しい和音のうえに付された終わることのないフェルマータであり、つまるところ世界そのものだった。私は申し分なく、驚くほど申し分なかった。もはやそれについてなにひとつ語る必要など感じないくらいに、それがずっとつづけばいいのにという欲望すら感じないくらいに、申し分なかった。もはやことばも、欠如も、期待もなかった。現前の純然たる現在。自分が散歩していたと言うのさえはばかられるほどだ。そこにはもはや散歩しか、森しか、星ぼししか、私たちの一団しかなかった……。もはや【自我】も、分離も、表象もなかった。万物の沈黙に満ちた現前以外のなにもなかった。もはや価値判断もなく、現実以外のなにものもなかった。もはや時間もなく、現在以外のなにもなかった。もはや無もなく、存在以外のなにもなかった。もはや不満も、憎しみも、恐れも、怒りも、不安もなかった。喜びと平安以外のなにもなかった。もはや演技も、幻想も、嘘もなく、私をふくみこんではいるものの私がふくみこんでいるわけではない真理以外のなにもなかった。この状態が持続したのは、おそらく数秒のことだったろう。私は高揚させられると同時に宥(なだ)められ、高揚させられると同時にかつてないほどの穏やかさのうちにあった。離脱。自由。必然性。やっとそれ自身へとたちもどった宇宙。それは有限なのだろうか、それとも無限なのだろうか。そんな問いがたてられることさえなかった。もはや問いかけすらなかった。だからこそ、答えがでるはずもなかった。あたりまえのものだけが、沈黙だけがあった。あるのは真理だけで、ただしそれを語ることばはなかった。あるのは世界だけで、ただしそこには意味も目標もなかった。あるのは内在だけで、ただしその逆をなすものはなかった。あるのは現実だけで、ただし他人はいなかった。信仰もなければ、希望も、約束もない。あるのは万物だけ、その万物の美しさ、その真理、その現前だけだった。それで十分だったのだ。それだけで十分だなどという以上のものになっていた。

【『精神の自由ということ 神なき時代の哲学』アンドレ・コント=スポンヴィル:小須田健〈こすだ・けん〉、C・カンタン訳(紀伊國屋書店、2009年)】

 もう少し続くのだがこれで十分だろう。悟りとは真理に触れた瞬間である。生き生きと語られるのは生の流れ(諸行無常)と万物が一つにつながる生の広大さ(諸法無我)である。これに優る不思議はない。思議し得ぬがゆえに不可思議とは申すなり。

 悟りは不意に訪れるものだ。人は忽然(こつぜん)と悟る。風や光のように自ら起こすことはできない。

 ここで一つの疑問が立ち上がる。修行や瞑想に意味はあるのだろうか? クリシュナムルティは「ない」と断言している。だが私は「ある」と思う。

 クリシュナムルティは努力をも否定した(『自由とは何か』J・クリシュナムルティ)。努力とは一種の苦行である。そのメカニズムは抵抗や負荷に耐えることで、「耐性の強化」に目的がある。ま、我慢比べみたいなものだろう。今たまたま「我慢」という言葉を使ったがここにヒントがある。元々この言葉は仏教用語で「我慢ずる」と読む。つまり「我尊(たっと)し」との思い込みが我慢の語源なのだ。

 宗教家という宗教家が皆思い上がっている。真理の独占禁止法があれば全員逮捕されていることだろう。額に「我こそは正義」というシールを貼っているような輩(やから)ばかりだ。

 努力は一定の形に自分を押し込める営みだ。そして努力は成果を求める。思うような結果が出ないと「無駄な努力」といわれる。努力によって培われるのは技術である。それが最も通用するのは職人やスポーツ選手の世界だろう。特定の動きに特化した体をつくることで必ず何らかのダメージが形成される。鍛えることができるのは筋肉に限られるため、鍛えられない関節や腱が悲鳴を上げる。

 技術が洗練の度合いを増して芸術の領域に近づく過程で真理が垣間見えることは決して珍しいことではない。彼らの言葉に散りばめられた透徹、達観、洞察が悟性を示す。

 だが真の悟りには世界を一変させる衝撃がある。共通するのは「ただ現在(いま)」「ただ在る」という瞬間性である。過去のあれこれを足したり引いたりして未来の答えを求めるのが我々の日常だ。不安も希望も現在性を見失った姿だ。過ぎ去った過去と未だに来ない未来を我々は生きているのだ。

 私が修行に意味があると考える理由は「行為を修める」ところにある。欲望を慎み鎮(しず)める作業を修行と考えることはできないだろうか? クリシュナムルティが「(瞑想の)方式に意味はない」としたのは方式が目的化することを嫌ったためだろう。だが想念を冥(くら)くするためには先を往く人の手助けが必要だ。悟りはアザーネス(他性)であるとしても自分の感度を高めておくことは必要だろう。