2020-07-04
日本罪悪論の海外宣伝マン・鶴見俊輔への告発状 「ソ連はすべて善、日本はすべて悪」の扇動者(デマゴーグ)/『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一
・『書斎のポ・ト・フ』開高健、谷沢永一、向井敏
・『紙つぶて(全) 谷沢永一書評コラム』谷沢永一
・『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』稲垣武
・『こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状』谷沢永一
・進歩的文化人の正体は売国奴
・日本罪悪論の海外宣伝マン・鶴見俊輔への告発状 「ソ連はすべて善、日本はすべて悪」の扇動者(デマゴーグ)
・日本の伝統の徹底的な否定論者・竹内好への告発状 その正体は、北京政府の忠実な代理人(エージェント)
・『誰が国賊か 今、「エリートの罪」を裁くとき』谷沢永一、渡部昇一
・『いま沖縄で起きている大変なこと 中国による「沖縄のクリミア化」が始まる』惠隆之介
・『北海道が危ない!』砂澤陣
・『これでも公共放送かNHK! 君たちに受信料徴収の資格などない』小山和伸
・『ちょっと待て!!自治基本条例 まだまだ危険、よく考えよう』村田春樹
・『自治労の正体』森口朗
・『戦後教育で失われたもの』森口朗
・『日教組』森口朗
・『左翼老人』森口朗
・『売国保守』森口朗
・『愛国左派宣言』森口朗
この本(※鶴見俊輔著『戦時期日本の精神史 1931-1945』)を一貫する方針としていちばん目立つのは、共産主義ソ連が日本人に加えた仕打ちはことごとく正しくて、すべて日本人が悪いことをしたからそうなったのだという強烈な主張です。その姿勢を押しだした最も代表的な表現が、つぎの一句です。
戦争が終ったとき(中略)ソビエト・ロシア領内に残されているはずの60万人が長いあいだ帰ってきませんでした。(134頁)
まことにものは言いよう、ですなあ。共産主義ソ連が戦争終了にもかかわらず、捕虜を無法にも引っ捕えてシベリアに連行して監禁し、「長いあいだ」苛酷な強制労働を課した、この残忍な事実を、けっして事実として認めない、鶴見俊輔のこの熱烈な弁護の志向は感嘆に値します。共産主義ソ連が帰らせなかったのではなく、日本人が「帰ってきませんでした」と言いくるめる語法の見えすいた苦しさ。鶴見俊輔の言い方は、日本人捕虜60万人が60万人全員の意向によって帰りたくなかったのだとほのめかしているようにも受けとれます。
しかも、このねじまげた論法は、実は、次のように述べたてるための伏線だったのです。
60万人の人たちがまだ帰ってこないということは、戦後の日本人のあいだに不安と苛立たしさを生み、それが戦後の日本政府によって長い年月にわたって植えつけられてきた。また戦後新たに米国の占領軍政府によって取り除かれていない赤色恐怖と結びついて、戦後のひとつの潮流をつくり出しました。(134頁)
つまり「帰ってきませんでした」ことを怨(うら)んだり嘆いたりしてはイケナイのです。そうですか、共産主義ソ連にもいろいろご事情がありましょうから、と平静に、安穏な気持ちで受けとめるべきだったんですねえ。それなのに国民が「不安と苛立たしさ」に赴(おもむ)いたものですから、そのため「戦後のひとつの潮流」、すなわち共産主義ソ連への反感が募ったのです。
それは昔の「赤色恐怖と結びついて」いるイケナイ考え方であるぞよ、と鶴見俊輔は婉曲(えんきょく)に説教を垂れます。いかなる事情に基づくにせよ、いかなり理由があるにせよ、共産主義ソ連を憎んではならないんです。事態が発生した根源の理由は、ただもう絶対にただひとつ、日本人が、日本人だけが、ワルイことをしたのですから。
【『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一〈たにざわ・えいいち〉(クレスト社、1996年/改題『反日的日本人の思想 国民を誤導した12人への告発状』PHP文庫、1999年/改題『自虐史観もうやめたい! 反日的日本人への告発状』ワック、2005年)】
文体が独特でとっつきにくいのだが、ひょっとすると小室直樹の影響かもしれない。1996年に刊行されているが「新しい歴史教科書をつくる会」の結成と同じ年だ。前年の大江健三郎批判本といい時代情況を思えば、その勇気を過小評価してはなるまい。
私は鹿野武一〈かの・ぶいち〉の生きざまに強く影響を受け、深く感化された。日ソ中立条約を踏みにじってソ連が終戦間際のどさくさに紛れて日本を侵攻したこと、満州の地で日本人女性を強姦しまくったこと、そしてシベリア抑留を思えば、断じてロシアと友好条約を結ぶべきではないと考える。敗戦以降、経済を優先してきた成れの果てが現在の日本である。経団連を始めとする財界は労働力をコストと見なし、その削減のために外国人労働者をどんどん日本に呼ぼうと企んでいる。国の行く末を憂えるような経済人は皆無だ。自分の懐勘定しかできないような輩は国家に巣食う寄生虫のような存在だ。
それにしても鶴見俊輔の文章は巧妙で老獪(ろうかい)の悪臭が漂う。左翼は自らの知識をもって嘘を真実(まこと)にする詐術に富んでいる。侮れないのは彼らが「物語の力」を理解している点だ。知識の悪用とコンプレックスの利用が左翼の得意技である。
嘘を嘘と見抜くことが智恵の第一歩である。虚実を盛り込んだ左翼の言論に惑わされてはならない。
・満州事変を「関東軍による陰謀」と洗脳する歴史教育/『愛国左派宣言』森口朗
法定通貨が政府の「信用」で成り立っているという誤解/『今だからこそ、知りたい「仮想通貨」の真実』渡邉哲也
・『ギャンブルトレーダー ポーカーで分かる相場と金融の心理学』アーロン・ブラウン
・『サヨナラ!操作された「お金と民主主義」 なるほど!「マネーの構造」がよーく分かった』天野統康
・『マネーの正体 金融資産を守るためにわれわれが知っておくべきこと』吉田繁治
・『デジタル・ゴールド ビットコイン、その知られざる物語』ナサニエル・ポッパー
・法定通貨が政府の「信用」で成り立っているという誤解
インターネット上で流通し、お金のように取引されている「仮想通貨」は、中郷銀行や金融機関を経由せずに取引されるデジタルデータで「紙幣」も「貨幣」もなく、国家による価値の保証もありません。しかし、専門の取引所(仮想通貨取引所)で円やドルなどの法定通貨に交換可能で、価格が大きく値上がりし、億単位の利益を得た「億(おく)り人(びと)」も登場したことで話題になり、仮想通貨の取引を始める人が増えました。
【『今だからこそ、知りたい「仮想通貨」の真実』渡邉哲也〈わたなべ・てつや〉(WAC BUNKO、2018年)】
正確には暗号通貨(crypto currency)である。仮想通貨という言葉は現代のマネーシステムが仮想である事実を見失わせるので好ましくない。渡邉の著書は粗製乱造気味で食指が伸びない。本書もさほど期待せずに読んだのだが暗号通貨の取引をやめる契機になった。専門家はおしなべてブロックチェーン技術は優れているが暗号通貨そのものは危ういと説く。渡邉の主張は中央銀行がブロックチェーンを導入すれば現在流通しているデジタル通貨は吹き飛ばされるというものだ。確かに一定の説得力はある。
今回紹介したいのは以下のテキストである。
かつては紙幣は金や銀などと交換することができた。しかし現在流通しているドルや円は政府が何とも交換することのない不換紙幣である。「何もしない」ということが不換貨幣のそもそもの意味である。保証も何もあるはずがない。政府は逆に紙幣印刷でそれを暴落させることはするだろう。
法定通貨が政府の「信用」で成り立っていると主張する人々もいるがこれも完全な間違いである。信用とは基本的に将来何かしてくれるかどうかという意味である。したがって紙幣における信用とは「紙幣を持っていけば政府が何か(例えばゴールド)と交換してくれる」信用があるという意味であり、何とも交換してはくれない不換紙幣にはそもそも信用という概念さえ存在しない。
円やドルはファンダメンタルズで考えれば金本位制を廃止した時点で価値がゼロになっていなければおかしいのである。(あるいは紙としての価値は残るだろう。)現在の法定通貨は信用ではなく、単に完全なバブルによって成り立っている。
【ジム・ロジャーズ氏: 仮想通貨の価値はゼロになる | グローバルマクロ・リサーチ・インスティテュート】
これは難しい問題だ。ペイオフ解禁で預金の最低保証は1000万円までとなった。預金保険機構による保証は政府保証と考えてよい。ニクソン・ショック(1971年)でドルはゴールドの裏づけを失ったが、これは通貨の価値を変動相場制に委ねたことを意味する。現実にはアメリカ政府がドルとゴールドを交換することはないわけだが、マーケットや販売所にゆけば交換(トレード)できる。つまり国民がドルの価値を信用することで経済活動が成り立っているのだ。一方のゴールドを支えているのはその稀少性で、現在までの採掘量はオリンピックプール4杯分に満たない(3.8杯分)。マネーの価値はインフレ率分だけ年々下がっていくが、ゴールドは更なる高値を目指すことだろう。なぜなら中国がゴールドを買いまくっているためだ。そして世界各国の通貨の信用が剥げ落ちた時、ゴールド価格は想像を超える高値をつけるに違いない。
「信用という概念さえ存在しない」との指摘はどうか? 銀行が信用創造をしていることを踏まえれば「信用は機能している」と言えよう。ではニクソン・ショックをどう考えるべきなのか? アメリカ政府は1オンス35ドルの兌換(だかん)をやめたわけだが、現在ゴールドの価格は1オンス1800ドルとなっている。約半世紀でゴールド価格は51倍になった。逆に考えればドルの価値が1/51になったとも言える。対円だと360円から107.5円(今現在)に下がっている。円の価値は米ドルに対して3.35倍の価値が上がったわけだ。
リーマン・ショック(2008年)以降、世界各国の中央銀行は量的緩和を行ってきた。わかりやすく言えば紙幣を刷りまくったわけだ(実際に印刷しているわけではない)。通貨の供給量が増えるわけだからコモディティ(商品)の相対的価値が上がる。ところがインフレ傾向にあるのは株価だけだ。デフレ後の経済は奇々怪々な状況を呈しており、ヘリコプターマネーは富豪の資産や大企業の内部留保となってとどまっている。川の流れが途絶えれば緑野は砂漠と化し、人体の血流が悪くなると冷え性が生じ、やがては動脈硬化・脳梗塞などを起こす。
政治が格差を是正できなければ低所得者は社会主義になびくことだろう。左翼にとっては好機到来である。ソ連の崩壊で自由主義・資本主義が勝利したものと思い込んでいたが、もう少し長いスパンで見なければ本当の勝敗はわからない。
2020-07-03
2020-07-02
解放の時/『休戦』プリーモ・レーヴィ
・『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』V・E・フランクル:霜山徳爾訳
・『それでも人生にイエスと言う』V・E・フランクル
・『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
・フルビネクという3歳児の碑銘
・邪悪な秘密結社
・解放の時
・『溺れるものと救われるもの』プリーモ・レーヴィ
・『プリーモ・レーヴィへの旅 アウシュヴィッツは終わるのか?』徐京植
・『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編
・『石原吉郎詩文集』石原吉郎
・必読書リスト その二
巨大な馬にまたがった彼らは、灰色の空と灰色の雪の間で、宙に浮いているかのようで(道は収容所よりも高かった)、その骨肉をそなえた存在感は圧倒的だった。彼らは雪解けの気配を感じさせる湿った風にあおられながら、じっと立(ママ)たずんでいた。
私たちが光の消えた天体のようにして、十日間、内部をさ迷い続けた、死でいっぱいの虚無が、その堅固な核を、凝結する核を見出したように思えたし、それは実際にそうだったのだ。4人の武装した男たち。だがその武器は私たちに向けられたものではなかった。4人の平和の使者。彼らは厚い毛皮の帽子の下に、まだ幼さの残る素朴な顔つきを見せていた。
彼らはあいさつもせず、笑いもしなかった。彼らは憐れみに以外に、訳の分からないためらいにも押しつぶされているようだった。それが彼らの口をつぐませ、目を陰うつな光景に釘付けにしていた。それは私たちもよく知っていたのと同じ恥辱感だった。選別の後に、そして非道な行為を見たり、体験するたびに、私たちが落ち込んだ、あの恥辱感だった。それはドイツ人が知らない恥辱感だった。正しいものが、他人の犯した罪を前にして感じる恥辱感で、その存在自体が良心を責めさいなんだ。世界の事物の秩序の中にそれが取り返しのつかない形で持ち込まれ、自分の善意はほとんど無に等しく、世界の秩序を守るのに何の役にも立たなかった、という考えが良心を苦しめたのだ。
こうして私たちにとっては、解放の時さえも、重苦しく、閉ざされたものになった。心は、喜びと同時に、過度の慎みの感覚に満たされた。私たちはこうした感覚によって、良心の呵責(かしゃく)を軽減し、わだかまっている不快な記憶を取り去れると思った。だが心の中には苦痛も入り込んできた。なぜなら私たちはそれが起こりえないことを感じていたからだ。冒涜(ぼうとく)の印は私たちの中に永遠に刻まれ、それに立ち会ったものたちの記憶に、それが置きた場所に、これから語られる物語の中にずっと残るはずだった。というのも、これは私たちの民族、私たちの世代の恐ろしい特権なのだが、私たち以上に、疫病のように伝染する、その冒涜(ぼうとく)の癒(い)やしがたい性質を理解しているものはいなかったからだ。人間の正義がそれを根絶するなどと考えるのは愚かなことである。それは無尽蔵の悪の根元なのだ。それは収容所に入れられた犠牲者の体と心をずたずたにし、打ちのめし、破滅させた。そして虐待者には汚名としてつきまとい、生き残ったものには憎悪として永遠に巣くって、みなの意志に反し、復讐(ふくしゅう)の渇望、道徳的敗北、拒絶感、厭世(えんせい)観、諦念(ていねん)といった具合には、様々な形で現れるのだった。
【『休戦』プリーモ・レーヴィ:竹山博英訳(岩波文庫、2010年/脇功訳、早川書房、1969年)】
解放の時は静かに訪れた。姿を見せたのは若いソ連兵だった。プリーモ・レーヴィがアウシュヴィッツから解放されたのは1945年のこと。カティンの森事件が1940年である。ソ連兵はスターリンによる粛清の嵐を呼吸しながら育ったのだろう。強大な暴力の痕跡は驚くほど酷似している。それがどんな暴力であったにせよ。人々を傷つけ、切り裂き、踏みつけ、穴を開け、ズタズタにし、朽ち果てさせるのだ。
長い無力感の中で潮が満ちるように増した怒りは歳月にしたがって大きく育ってゆくに違いない。「歴史を変えることはできない」というプリーモ・レーヴィの宣言とも読める。しかしながら当事者以外は改竄(かいざん)された歴史を鵜呑みにし、歴史から目を背け、歴史を忘却し、同じ歴史を繰り返すのだ。殺戮(さつりく)が人間の業であれば、これを転換した宗教はいまだにない。むしろ宗教は虐殺の燃料として憎悪の火炎を拡大させた。
あまりにも静かな精神は「変えることのできない過去」をじっと見つめていた。それが起こり得た世界を許すことは決してできないだろう。アウシュヴィッツを出ても、癒えぬ傷から血を流しながら生きてゆくことに変わりはない。まるで生きることは罪であるかのようだ。
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