2020-09-17

大本営の情報遮断/『大本営参謀の情報戦記 情報なき国家の悲劇』堀栄三


 ・陸軍中将の見識
 ・大本営の情報遮断

『消えたヤルタ密約緊急電 情報士官・小野寺信の孤独な戦い』岡部伸
『日本のいちばん長い日 決定版』半藤一利
『機関銃下の首相官邸 二・二六事件から終戦まで』迫水久恒
『昭和陸軍謀略秘史』岩畔豪雄
『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫
『陸軍80年 明治建軍から解体まで(皇軍の崩壊 改題)』大谷敬二郎
『徳富蘇峰終戦後日記 『頑蘇夢物語』』徳富蘇峰

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 また『戦史叢書』レイテ決戦の311頁には、

「既述のように大本営海軍部と連合艦隊は、16日から台湾沖航空戦の戦果に疑問を生ずるや、鹿屋航空部隊と共に調査して19日結論を出した。大本営陸軍部第二部は、台湾沖航空戦の戦果を【客観的に正確に】見ているのは堀参謀のみであるとしていた」

 と記述している(この既述から、堀が新田原〈にゅうたばる〉から打った電報は、大本営陸軍部は承知していたと想像されるが、これが握り潰されたと判明するのは戦後の昭和33年夏だから、不思議この上ないことである。しかし大本営陸軍部の中のある一部に、今もって誰も覗いていない密室のような奥の院があったやに想像される)。

【『大本営参謀の情報戦記 情報なき国家の悲劇』堀栄三〈ほり・えいぞう〉(文藝春秋、1989年/文春文庫、1996年)以下同】

「奥の院」(※大本営作戦部作戦課)はブラックボックスである。誰がどう判断したかがわからないのだから責任を取らずに済む。ここで采配を振るい、情報の吟味をしたとされるのが瀬島龍三中佐である。軍の頭脳ともいうべき超エリート集団は目や耳から入ってくる情報を遮断し、実現不可能な計画をひたすら妄想していた。

 当時レイテ島への米軍の上陸可能正面は、実に40キロ以上もあって、いかに精鋭とはいえ、一個師団では一列に並べても、至るところ穴だらけであることは、机の上で計算してもわかる。大本営作戦課の捷一号作戦を計画した瀬島龍三参謀が、8月13日にレイテを視察しているが、本当にこれで大丈夫だと思ったのだろうか。

 机上の計画は8万人の死者を生んだ。その多くが餓死であった。堀栄三の報告が容れられれば彼らは死なずに済んだ。瀬島が戦後官僚のテンプレートとなったような気がする。彼は11年のシベリア抑留を経て、帰国後伊藤忠商事へ入社。4年で取締役にまで昇進した。その後会長となり中曽根政権のブレーンを務めた。

 第二は、ソ連の参戦であった。2月11日のヤルタ会談で、スターリンは「ドイツ降伏後3ヶ月で対日攻勢に出る」と明言したことは、スウェーデン駐在の小野寺武官の「ブ情報」の電報にもあったが、実際にはこの電報は、どうも大本営作戦課で握り潰されたようだ。しかし情報部ソ連課でも、スターリンの各種の演説の分析、20年4月15日の日ソ中立条約破棄の通告、クリエールにいった朝枝参謀の報告、浅井勇武官補佐官のシベリヤ鉄道視察報告などで、極東に輸送されるソ連の物資の中に防寒具の用意が少いという観察などから、ソ連は8、9月に参戦すると判断していたくらいだから、当然米国でもソ連の参戦のことを日本本土上陸時期の選定に噛み合せて考えていたであろう。

 ここを確認するために再読せざるを得なくなった。堀の筆致は淡々としていて通り一遍で読むだけでは情報の軽重が測りにくい。「ブ情報」とはポーランドのブジェスクフィンスキ少佐を指す。ポーランドは連合国であったが小野寺信〈おのでら・まこと〉というキーパーソンを軸に諜報活動では協力関係にあった。戦争は人間同様複雑なものである。

 再読してわかったが三読、四読にも耐える教科書本である。

2020-09-16

二・二六事件の矛盾/『三島由紀夫と「天皇」』小室直樹


『二・二六帝都兵乱 軍事的視点から全面的に見直す』藤井非三四
『自衛隊「影の部隊」 三島由紀夫を殺した真実の告白』山本舜勝
『昭和45年11月25日 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃』中川右介
『あなたも息子に殺される 教育荒廃の真因を初めて究明』小室直樹

 ・日本人の致命的な曖昧さ
 ・二・二六事件の矛盾
 ・二・二六事件を貫く空の論理

『世界史で読み解く「天皇ブランド」』宇山卓栄
『〔復刻版〕初等科國史』文部省

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必読書リスト その四

 決行部隊の主張(Cause)は、かくのごとくもおそろしい矛盾(ジレンマ)を内包している。
 あるいは、このジレンマには、はじから目をつぶって、天皇を傀儡(かいらい/あやつり人形)化し、ただ唯々諾々(いいだくだく)、彼らの違憲に盲従させるとでも考えていたのか。
 彼らの旗印(はたじるし)のひとつは、天下も知るごとく、天皇親政である。
 では質問す。彼らが主張する「天皇親政」とは天皇を彼らのロボットとして自由にあやつって勝手気ままなことをなすことであったのか。
 これこそまさに、彼らが攻撃してやまない奸臣の所為ではないか。いや、それ以上だ。二・二六事件、五・一五事件の青年将校たちが、軍官のトップや財閥を奸臣ときめつけ殺そうとする理由は、これらの「奸臣」が天皇と国民のあいだに立ちはだかって国政を壟断(ろうだん)しているとみたからである。
 しかるに、決行部隊のリーダーたる青年将校の思想と行動は、右にみたごとく、畢竟(ひっきょう)、天皇のロボット化にゆきつかざるをえないことになる。
 この根本問題について、誰も本気になって考えてみない。いや、意識にすらのぼらなかったと言ったほうがいいだろう。
 かれ(ママ)ら青年将校の「尊皇」は、結局、「大逆」にゆきつき、「天皇親政」は、「天皇のロボット化」にゆきつく。
 青年将校たちは、こんなこと、夢にも思ってはいなかっただろう。
 しかし、気の毒千万ながら、かれら青年将校たちが、生命をすてて、ただ誠心誠意行動すればするほど、そのゆきつく果ては、こういうことになってしまうのである。
 では、なぜ、そんなことになってしまうのか。
 これを説明しうるのは、三島哲学をおいてほかにない。

【『三島由紀夫と「天皇」』小室直樹(天山文庫、1990年/毎日コミュニケーションズ、1985年『三島由紀夫が復活する』に加筆し、改題・文庫化/毎日ワンズ、2019年)】

 二・二六事件で気を吐いた将校は石原莞爾〈いしわら・かんじ〉ただ一人であった。現場に駆けつけるや否や誰何(すいか)してきた兵士を怒鳴りつけている。そして蹶起(けっき)将校に同調していた荒木貞夫大将と真崎甚三郎大将を「こんなバカ大将がおって、勝手なまねをするもんだから、こんなことになるんです」罵倒した。

 事件後、帝国ホテルのロビーで三者会談が行われた。橋本欣五郎大佐、石原莞爾大佐、満井佐吉中佐の顔ぶれで、彼らは次の首相を誰にするかを相談した。橋本は建川美次〈たてかわ・よしつぐ〉中将、石原は東久邇宮、満井は真崎甚三郎大将を推した。利害絡みの思惑が一致することはなかった。

 青年将校を衝き動かしたのは止むに止まれぬ感情であった。論理は後付で北一輝が補強した。貧困は悲惨だ。人々から人間性を剥(は)ぎ取り獣性に追いやる。義侠心は暴力の温床となりやすい。不幸を目の当たりにすればムラムラと怒りが湧いてくるのは人間性の発露といってよい。

 小室は論理の陥穽(かんせい)を突く。義憤は視野を狭(せば)める。目的が暴力を正当化し、怒りはテロ行為へと飛躍する。天皇親政を目指した彼らの行為は共産革命そのものだった。

 そしてまた石原らの密謀は憲法に謳われた天皇の任免権を犯すものだった。小室の筆は矛盾を刺し貫く。昭和初期は天皇陛下を仰ぎながらも一方で神輿(みこし)のように上げ下げしようとした時代であった。

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2020-09-15

三島由紀夫『武士道と軍国主義』/『自衛隊「影の部隊」 三島由紀夫を殺した真実の告白』山本舜勝


・『三島由紀夫・憂悶の祖国防衛賦 市ケ谷決起への道程と真相』山本舜勝
・『君には聞こえるか三島由紀夫の絶叫』山本舜勝
・『サムライの挫折』山本舜勝
・『三島思想「天皇信仰」 歴史で検証する』山本舜勝

『F機関 アジア解放を夢みた特務機関長の手記』藤原岩市

 ・三島由紀夫「檄」
 ・三島由紀夫『武士道と軍国主義』

70年安保闘争の記録『怒りをうたえ!』完全版:宮島義勇監督
『昭和45年11月25日 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃』中川右介
『三島由紀夫と「天皇」』小室直樹
『昭和陸軍謀略秘史』岩畔豪雄
『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

(※暑中見舞いの)手紙に同封されていたのはB5版24枚の書類であり、『武士道と軍国主義』『正規軍と不正規軍』と表題のついた2篇からなっていた。
 自刃の年の7月、三島は、当時の保利茂官房長官から、防衛に関する意見を求められた。送られてきた書類は、その時三島が日頃からの持論を口述し、タイプ印刷に付したものだ。佐藤栄作総理大臣と官房長官が目を通した後、閣僚会議に提出されるはずだったが、実際には公表はされなかった。
 当時の中曽根康弘防衛庁長官が、閣僚会議に出すことを阻止したのではないかと、私は思う。
 この二つの論文は、三島の考えを理解するためには不可欠の資料であり、彼が国民に訴えたいと考えていた、いわば建白書である。(中略)

『武士道と軍国主義』

 第一に戦後の国際戦略の中心にあるものは核であると規定する。核のおかげで世界大戦が回避されているが、同時に、各は総力戦態勢をとることをどの国家にも許さなくなった。総力戦は、ただちに核戦争を誘発するからである。従って、第二次世界大戦後の戦争は、米ソ二大核戦力の周辺地域で、限定戦争という形態をとって行われるようになった。
 限定戦争の最大の欠点は、国論の分裂をきたすという事である。総力戦の場合、国民の愛国心の昂揚が、必然的に祖国のために戦う気分を創り出す。しかし限定戦争の場合には、それが曖昧であるため、反対勢力は互角の戦いを国家権力に対して挑むことができる。従って、限定戦争のある国では、平和運動や反戦運動が大きな勢力を持ち得、国論は分裂する。これは、必ずしも共産国家の陰謀のせいばかりとは思えない。
 共産国家は、閉鎖国家でその中での言論統制を自由に行なえる体制であるから、国論統一は、自由主義国家よりもはるかに有利に行なうことができる。アメリカの反戦運動の高まりを見ると、限定戦争下における国論統一の困難さが、これと比較してよくわかる。
 さらに、代理戦争は、二大勢力の辺境地帯で行なわれる戦争であるから、その地域の原住民同士が相闘うという形をとる。そしてこれは、民族独立とか植民地解放などの理念に裏付けられて闘われる。自由諸国としては正規軍を派遣して、これに対処しなければならない。これに対し、共産圏は『人民戦争理論』をもって、不正規軍によるゲリラ戦を闘う。この『人民戦争理論』によって、国の独立と植民地解放という大義名分が得られる点で、共産圏の非常な利点となるのは、ヒューマニズムをフル活用できることである。
 ゲリラ戦は、女や子供も参加する以上、彼らも殺されることは多々ある。世のヒューマニストたちは、正規軍の軍人が死んでも、それは死ぬ商売の者が死んだだけだ、として深い同情など示さないが、女や子供が虐殺されたとなると、大いに感情移入してヒューマニズムの見地から反戦運動に立ちあがる、ということになる。
 また、自由諸国のマスコミュニケーションは、国論分裂が得意である故、ヒューマニズムの徹底利用という点で、むしろ共産圏に有利にはたらく。なぜなら、自由ということを最高最良の主義主張とする以上、自国が加担している限定戦争に反対することは、自由の最大の根拠となるからである。
 以上の観点から、自由諸国は、二つの最大の失点を初めから自らの内に包含していることになる。日本も、その意味では同じことである。
 しかし、日本は、天皇という民族精神の統一、その団結心の象徴というものを持っていながら、それを宝の持ち腐れにしてしまっている。さらに、我々は現代の新憲法下の国家において、ヒューマニズム以上の国家理念というものを持たないことに、非常に苦しんでいる。それは、新憲法の制約が、あくまでも人命尊重以上の理念を日本人に持たせないように、縛りつけているからである。
 防衛問題の前提として、天皇の問題がある。ヒューマニズムを乗り越え、人命よりももっと尊いものがあるという理念を国家の中に持たなければ国家たり得ない。その理念が天皇である。我々がごく自然な形で団結心を生じさせる時の天皇、人命の尊重以上の価値としての天皇の伝統。この二つを持っていながら、これをタブー視したまま戦後体制を持続させて来たことが、共産圏・敵方に対する最大の理論的困難を招来させることになったのだ。この状態がずるずる続いていることに、非常な危機感を持つ。
 我々は、物理的な、あるいは物量的な戦略体制というものにとらわれすぎている。例えば中国の核の問題。この核に対抗する手段を我々は持っていない。従って、集団安全保障という理念から、日米安保条約によってアメリカの核戦略体制に入ることを、国家の安全保障の一つの国是としている。しかし、アメリカはABM(弾道弾迎撃ミサイル)を持っているが日本は持っていない。従って、核に対しては、我々はアメリカの対抗手段に頼ることはできても、アメリカの防衛手段は我々から疎外されている。
 我々は、自分で防衛手段を持たなければならない。しかし、非核三原則をとる現政府下では、核に対しる核的防御手段も制限されていると言わねばならない。
 我々は核がなければ国を守れない。しかし核は持てない、という永遠の論理の悪循環に陥っているのである。
 この悪循環から逃れるには、自主防衛を完全に放棄して、国連の防衛理念に頼るしかない。国連軍に参加して、国連軍として海外派遣も行ない、国連管理下に核をおいてそれを使用することも時には行ない得る、こういう形で国防理念を完全に国連憲章に一致させることしかあり得ない。国連憲章の上に成り立っている新憲法を、論理的に発展させればそうなるだろう。
 しかし、どうしても自主防衛の問題が出て来る。これは、理念の問題ではなく、アメリカのベトナム戦争以来の戦略体制の政治的反映のせいである。ベトナム戦争の失敗以降のアメリカの孤立主義の復活が、アジア人をしてアジア人と闘わしめ、自らはうしろだてとなって、アメリカ人の血を流すことを避けるという方向にむかっている。つまり、これは『人民戦争理論』の反映であり、アメリカは、各国に自主防衛を強制して、自らは前面から撤退するという政策に変更しつつある。
 こうなると、日本はアメリカのアジア戦略体制に利用されるのだ、という左翼の批判にさらされても仕方がない。なぜなら、自由諸国は人民戦争理論というものを絶対に使わないからだ。
 そこで問題になって来るのが、日本人の自主防衛に対する考え方である。
 日本の防衛体制を考える時、最も重要で最も簡単なことは、魂の無い所に武器はないということである。すなわち、防衛問題のキイ・ポイントは、魂と武器を結合させることである。この結合が成り立てば、在来兵器でも、充分日本は守れると信ずる。この結論は、核の問題から導き出される。なぜなら、核は使えない、からである。
 使えない核は、恫喝(どうかつ)の道具として使うしかない。もし核を保有していなくても、そこに核があるのだと相手側に信じさせることができれば、それで充分に恫喝となり得る。持っていなくても、持っているぞと脅すことができれば充分に心理的武器となり得る。
 このことが、人間の心理に非常な悪影響を及ぼしたと思う。かつて、人間のモラルを支えたのは武器による決闘であった。自分の主張とモラルを通すためには、刀に頼るしかなかった。しかし、核の登場により、モラルと兵器との関係は、無限に離れてしまった。あるかないかわからないものに、人間はモラルをかけることなどできないからだ。
 故に、在来兵器の戦略上の価値をもう一度復活させるべきだと考える。つまり日本刀の復活である。むろん、これは比喩であり、核にあらざる兵器は、日本刀と同じであるという意味である。
 その意味で、武士と武器、本姿と魂を結びつけることこそが、日本の防衛体制の根本問題だとするのである。
 ここに、武士とは何かという問題が出て来る。
 自衛隊が、武士道精神を忘れて、コンピューターに頼り、新しい武器の開発、新しい兵器体系などという玩具に飛びつくようになったら、非常な欠点を持たざるを得なくなる。軍の官僚化、軍の宣伝機関化、軍の技術集団化だ。特に、技術者化が著しくなれば、もはや民間会社の技術者と、精神において何ら変わらなくなる。また官僚化が進めば、軍の秩序維持にのみ頭脳を使い、軍の体質が、野戦の部隊長というものを生み出し得なくなる。つまり、軍の中に男性理念を復活できず、おふくろ原理に追随していくことになる。こうして精神を失って単なる戦争技術集団と化す。この空隙(くうげき)をついて、共産勢力は自由にその力を軍内部に伸ばして来ることになる。
 では、武士道とは何か。
 自己尊敬、自己犠牲、自己責任、この三つが結びついたものが武士道である。このうち自己犠牲こそが武士道の特長で、もし、他の二つのみであれば、下手をするとナチスに使われた捕虜収容所の所長の如くになるかもしれない。しかし、身を殺して仁をなす、という自己犠牲の精神を持つ者においては、そのようにはなりようがない。故に、侵略主義や軍国主義と、武士道とは初めから無縁のものである。この自己犠牲の最後の花が、特攻隊であった。
 戦後の自衛隊には、ついに自己尊敬の観念は生まれなかったし、自己犠牲の精神に至っては、教えられることすらなかった。人命尊重第一主義が幅をきかしていたためだ。
 日本の軍国主義なるものは、日本の近代化、工業化などと同様に、すべて外国から学んだものであり、日本本来のものではなかった。さらに、この軍国主義の進展と同時に、日本の戦略、戦術の面から、アジア的特質が失なわれてしまった。
 日本に軍国主義を復活させよ、などと主張しているのではない。武士道の復活によって日本の魂を正し、日本の防衛問題の最も基本的問題を述べようとしているのだ。日本と西洋社会の問題、日本の文化とシヴィライゼーションの対決の問題が、底にひそんでいるのだ。

【『自衛隊「影の部隊」 三島由紀夫を殺した真実の告白』山本舜勝〈やまもと・きよかつ〉(講談社、2001年)】

「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」(S・G・タレンタイア)。これが言論の自由であり、自由主義の基底をなす。共産主義と自由主義は意思決定の方法が異なる。極論すれば命令か合意かの違いに過ぎない。是非を問えばイデオロギーに堕する。要はまとまった方が強いわけで、自由主義が優れていると思い込むのは錯覚であろう。

 自由主義には嘘をつく自由もあり、腐敗する自由まである。国民には嘘を信じる自由があり、腐敗を見逃す自由もある。自由はあっという間に放縦へと傾き、得手勝手がまかり通る。

 その国の国情は政治と報道に表れる。政治の大黒柱は国民を守ることであり国防が基礎となる。遠くはシベリア抑留、近くは北朝鮮による日本人拉致を見れば日本政府が国民を守れない、あるいは守る意志がないことは火を見るよりも明らかである。たとえブルーリボンバッジを胸に着けていたとしても信用することは難しい。国民に至っては北朝鮮がミサイルを発射しても安閑としている有り様で、75年も平和が続くと精神が麻痺して生命の危機を察知できないようだ。中国が国境を無視して日本の領海を自由に航行しているのは既に戦闘行為に入ったと見てよい。それでも尚惰眠を貪り続ける我々はいつになったら目を覚ますのだろうか?

 武士道とは侍の道であるが、侍は官人である。語源は従うを意味する「さぶらう」(侍ふ・候ふ)に由来する。服従するという意味から申せば「イスラム」と同じだ。音も似ている。並べ替えればスムライだ。主君に逆らうことができないところに武士道の限界がある。暴力を様式化し道にまで高めた文化は誇るべきものだが、権力の下位構造を脱するところには達していない。

 自衛隊については無論武士道が必要であろう。だがそれを精神性で捉えてしまえば大東亜戦争末期の日本軍と同じ轍(てつ)を踏んでしまう。スポーツに置き換えて考えれば理解できよう。具体性と合理性を欠けば精神論は戯言(たわごと)だ。

 三島は暴力とは無縁であった。その一方で激情の人であった。文で収まることを潔しとせず武に目覚めた。彼は思想のために死んだのではない。ただ美学を生きたのだろう。

2020-09-11

日本人の致命的な曖昧さ/『三島由紀夫と「天皇」』小室直樹


『二・二六帝都兵乱 軍事的視点から全面的に見直す』藤井非三四
『自衛隊「影の部隊」 三島由紀夫を殺した真実の告白』山本舜勝
『昭和45年11月25日 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃』中川右介
『あなたも息子に殺される 教育荒廃の真因を初めて究明』小室直樹

 ・日本人の致命的な曖昧さ
 ・二・二六事件の矛盾
 ・二・二六事件を貫く空の論理

『世界史で読み解く「天皇ブランド」』宇山卓栄
『〔復刻版〕初等科國史』文部省

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 そもそも(※二・二六事件の)決行部隊と正規軍との関係はいかなるものであったろうか。
 名前こそ“決行部隊”などとはいっても、勝手に軍隊を動かして、政府高官を殺し、首都の要衝を占領しているのである。いま仮に正当性の問題をしばらく措(お)いても、決行部隊は、反乱軍か、さもなくんば、革命軍(「維新軍」といってもよい)である。正規軍(政府軍)とは敵味方の関係である。生命がけで戦って、決行部隊が負ければ反乱軍として討伐され、勝てば、革命軍として新しい政府をつくる。
 これ以外の論理は、全くありえない。
 日本でも外国でも、これ以外の論理は、あったためしがない。その、ありうるはずのないことが、昭和11年2月26日の夜に起きた。(中略)
 決行部隊は、正規軍たる歩兵第三連隊長たる渋谷大佐の指揮下に入って、なんと、警備隊にくみこまれたのであった。
 想像を絶する出来ごとである。
 クロムウェルの鉄騎兵が、チャールズ二世の麾下(きか)に加わり、ロンドンを警備するようなものではないか。政府を潰滅(かいめつ)させ、東京を占領した決行部隊が、【政府】軍の指揮下に入って、自分たちが軍事占領している東京の警備にあたるというのである。

【『三島由紀夫と「天皇」』小室直樹(天山文庫、1990年/毎日コミュニケーションズ、1985年『三島由紀夫が復活する』に加筆し、改題・文庫化/毎日ワンズ、2019年)以下同】

 二・二六事件を三島理論で読み解くという意欲的な試みである。宗教に造詣の深い小室ならではの着眼で、唯識を通した現象論を展開している。

 世界恐慌(1929年/昭和4年)は既に関東大震災(1923年/大正12年)、昭和金融恐慌(1927年/昭和2年)で弱体化していた日本経済に深刻な打撃を与えた。東北地方は1931-35年(昭和6-10年)にかけて冷害で大凶作となった。1933年(昭和8年)には昭和三陸地震で岩手県を中心に30メートル近い津波に襲われた。

 そのため恐慌時に打撃を受けていた農家経済はさらに悪化し、木の実や草の根を食糧とせざるをえない家庭や、身売りする娘、欠食児童の数が急増した。芸妓(げいぎ)、娼妓(しょうぎ)、酌婦、女給になった娘たちの数は、33年末から1か年の間に、東北六県で1万6000余名に達している。

小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)

二・二六事件と共産主義の親和性/『大東亜戦争とスターリンの謀略 戦争と共産主義』三田村武夫
『親なるもの 断崖』曽根富美子

 東北出身の兵士はじっとしていることができなかった。自分の姉や妹が芸者として売られているのである。戦時中の慰安婦は職業であったが、当時の性産業は奴隷のような扱いをしていたと考えて差し支えない。避妊すらまともに行われていなかった。

 格差が革命の導火線となることは必定である。そもそも動物の群れを支えているのは平等原則なのだ(チンパンジーの利益分配/『共感の時代へ 動物行動学が教えてくれること』フランス・ドゥ・ヴァール)。第一次世界大戦に敗れたドイツをいじめ過ぎてヒトラーが登場したのは歴史の必然と言ってよい。

 渦中の1932年(昭和7年)に血盟団事件五・一五事件が起こる。昭和維新の激流は二・二六事件へと至るが、天皇という巌(いわお)の前に水しぶきとなって弾けた。

「警備」が必要になったというのも、もともと、決起部隊が、政府を消滅させ、東京を占領したからではないのか。かかる事態に対処するために警備が必要になったというのに、ことを起こしたご当人が、その警備役を買って出るというのだから、放火魔に火の用心をさせるようなものだ。
 もっと重大なことはこれだ。
 かくまで、ありうべからざる事態に直面して、軍首脳が、これは不思議だとは思わないことである。
 軍首脳のほとんどは、「反乱軍」をそのまま正規軍にくみ入れるなんて、そんなベラボーな、と思うかわりに、これは名案だとばかりにとびついた。いきりたっている決行部隊を正規軍の指揮下に入れれば、気もやすまって、もうあばれないだろう、というのである。
 いずれにせよ、なんでこんなベラボーといっても足りないことが起きたのか。その合法的根拠は、いったい、どこにあるのか。
 それは、戦時警備令による。
「戦時警備令」によって、決行部隊は、「合法的」に警備隊の一部に編入された。
 歩兵第三連隊長の渋谷大佐もこれを許可し、決行部隊の側でも、ヤレヤレこれで官軍になれたワイとよろこんだ。
 ここに、われわれは、「日本人の法意識」を、端的にみる思いがする。
 決行部隊は、日本政府を潰滅させ、東京を軍事力で占領した。
 これが合法的であるはずはない。決行部隊は、大日本帝国の法律を蹂躙(じゅうりん)した。これは、たいへんな日本帝国にたいする挑戦である。しかし、彼らのイデオロギーからすれば、国家の法律なんかよりも、「尊王」「討奸」の大義のほうがずっと重いのである。
 でも彼らの行為は非合法である。
 だれだってわかる。
 まして、陛下の軍隊を勝手に動かした。
 これは軍人的センスからいえば、非合法のなかでも、最大の非合法である。ほかのどんな非合法が許せても、この非合法だけは、断じて許すことはできない。大逆罪以上の大罪なのである。
 決行部隊は、すでにこの大罪をおかしている。
 これは、大日本帝国の法に対する真っ向からの挑戦である。
 欧米的センスからすると、彼らの行為は、大日本帝国そのものの否定ということにほかならない。
 いや、天皇の地位の否定とも解釈されかねない。いや、ほとんど確実に、このように解釈されることであろう。

 彼らは尊皇・討奸を掲げながら天皇に弓を引いた。二・二六事件を知った天皇は激怒した。自ら賊を討ちにゆこうとされた。青年将校らに同情的だった軍首脳は慌てふためいた。

 当時の政党政治の腐敗に対する反感から犯人の将校たちに対する助命嘆願運動が巻き起こり、将校たちへの判決は軽いものとなった。このことが二・二六事件の陸軍将校の反乱を後押ししたと言われ、二・二六事件の反乱将校たちは投降後も量刑について非常に楽観視していたことが二・二六将校の一人磯部浅一の獄中日記によって伺える。

Wikipedia

 国民の人気ほど当てにならないものはない。民草はいともたやすく風になびく。助命嘆願運動に責任があったとは思えない。時代の暗がりの中でヒーローと錯覚しただけの話だろう。

 日本人の致命的な曖昧さは今日に至っても変わることがない。例えば朝日新聞の慰安婦捏造記事だ。日本人の信頼を地に落とし、どれほど国益を毀損したか測り知れない。木村伊量〈きむら・ただかず〉社長の辞任などで到底収まる話ではない。しかも英語版では執拗に「従軍慰安婦」の記事を配信し続けたのだ。発行停止処分にするべきだった。

 また慰安婦に関して言えば、外務省の誰が「comfort woman」と訳したのか? この語訳が国際理解を得られるはずもない。翻訳した者を投獄するのが当然だろう。

 尖閣諸島問題も同様で日中国交回復(1972年)の際、田中角栄首相は日本の領土であることをはっきりと言わなかったことに端を発している。自民党の首相は内弁慶ばかりで外国へゆくと相手の顔色を窺うの常だ。

 官僚は江戸時代であれば侍である。国益を損なうようなことがあれば切腹するのが当然だという意識を持つべきだ。

 昭和維新の余韻は宮城事件(1945年終戦前日)にまでつながった。



二・二六事件前夜の正確な情況/『重光・東郷とその時代』岡崎久彦