2020-11-19

ザッカーバーグ、ドーシー(Twitter CEO) アメリカ合衆国上院司法委員会 ヒアリング 不公正な情報操作について


ドキュメンタリー映画『ドラゴンに乗って バイデン家と中国の秘密』【日本語字幕版】

 ・ザッカーバーグ、ドーシー(Twitter CEO) アメリカ合衆国上院司法委員会 ヒアリング 不公正な情報操作について

連邦司法委員会公聴会 なぜTwitterは検閲して言論の自由を封殺するのか?
ドミニオン化されたアメリカ選挙

「92.8%のフェイスブックのスタッフたちは民主党に献金しています。Twitterのスタッフはもっと大きい割合で99.3%が民主党に献金しています。彼らによって行われた間違いは、一時的ではなく、共和党に対して継続的ではないでしょうか」

身の毛


 ・身の毛
 ・鍛原多惠子
 ・文明の発達が国家というコミュニティを強化する

 この物語によれば、私たちの祖先は身の毛のよだつような浅ましい暮らしをしていた、身の毛のよだつような浅ましい生き方だった。(25ページ)

【『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』クリストファー・ライアン:鍛原多惠子〈かじはら・たえこ〉訳(河出書房新社、2020年)】

「身の毛【も】よだつような」というのが普通だろう。「も」以外の助詞を初めて見た。「身の毛がよだつ」(Weblio辞書ルーツでなるほど慣用句辞典)、「身の毛立つ」(goo国語辞書)との表現を今検索して知った。ついでながら、「よだつ」は「弥立つ」と書き、「いよだつ」の音変化(goo国語辞書)。いずれにしても、「身の毛【の】よだつような」という表現は見当たらない。不正確な言葉が読書のリズムを狂わせる。2400円の割には紙質が悪く、河出書房新社のフォントはやや太めで読みにくい。

2020-11-18

物々交換/『手紙屋 僕の就職活動を変えた十通の手紙』喜多川泰


・『賢者の書』喜多川泰
・『君と会えたから……』喜多川泰

 ・物々交換

『心晴日和』喜多川泰
『「また、必ず会おう」と誰もが言った 偶然出会った、たくさんの必然』喜多川泰
『きみが来た場所 Where are you from? Where are you going?』喜多川泰
・『スタートライン』喜多川泰
・『ライフトラベラー』喜多川泰
『書斎の鍵  父が遺した「人生の奇跡」』喜多川泰
『株式会社タイムカプセル社 十年前からやってきた使者』喜多川泰
『ソバニイルヨ』喜多川泰
『運転者 未来を変える過去からの使者』喜多川泰

 私は、やはり欲しいものを手に入れる方法の基準は、

『物々交換』

 じゃないかと思っているんです。
 貨幣が流通の中心である、現代社会に住んでいる私たちは、そのことを忘れがちですが、やはり私たちが毎日やっているのは単純な『物々交換』でしかないのです。
 こんな話をすると、「今の日本で物々交換で手に入れられるものなんてないよ」とか「最近そんなのしたことない」と感じるかもしれませんね。でも今も昔も、そして世界中のどこであっても、私たちが欲しいものを手に入れる方法というのは、『物々交換である』というのが事実なんです。
 驚きましたか? わかるように説明しましょう。
 私たちがしている行為は、以下のように説明できます。ゆっくり読んでみてください。

『相手の持っているものの中で自分が欲しいものと、自分が持っているものの中で相手が欲しがあるものとを、お互いがちょうどいいと思う量で交換している』
(中略)
『相手の持っているものの中で自分が欲しいものと、自分が持っているものの中で相手が欲しがる“お金”とを、お互いがちょうどいいと思う量で交換している』
(中略)
『会社が持っているものの中で自分が欲しい“お金”や“安定”と、自分が持っているものの中で相手が欲しがる“労働力”や“時間”を、お互いがちょうどいいと思う量で交換している』

【『手紙屋 僕の就職活動を変えた十通の手紙』喜多川泰〈きたがわ・やすし〉(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2007年)】

 就職活動中の大学生が喫茶店で奇妙な広告を見つける。「手紙屋」を名乗る広告主は10通の手紙で「あなたが人生で実現したいことを実現するお手伝いをさせていただきます」と書いていた。

 今となっては古いコミュニケーション手段と思われがちな手紙だが、CC(カーボンコピー)ができない個別性の価値が失われることはないだろう。

 私の世代だと小学生の頃から年賀状を書く作業はかなり重要な仕事だった。大学進学で東京や地方へ旅立っていった友人とも手紙でつながっていた。そもそも1990年代まで愛の告白は専らラブレター(恋文)で行われていたのだ。私が上京してからは弟妹にも手紙を認(したた)めたことがある。最後に書いたのは昨年だ(仲好しだったオバアサンへの手紙)。

 私より前の世代だと月刊誌で文通相手(ペンパル)を募集することは日常的な光景だった。見知らぬ人であっても、書く時間は相手へ真っ直ぐに向かっている。その時間と行為が手紙という結晶になる。

 喜多川泰が意図的に「物々交換」や「量」と書いたのは、決して質や情を無視したわけではなく「時間」に重きを置いたのだろう。利他とは誰かのために割いた時間の具体性を意味する。無私の人は欲望という様々な色を脱ぎ捨て、光のように透明化して他人を照らす存在となる。

 戦没学生や特攻隊の遺書が時代を経ても我々の心を打ち続けるのは、それが「後世に対する手紙」であるからだ。

『きけ わだつみのこえ 日本戦没学生の手記』日本戦没学生記念会編
『国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖國の言乃葉100選』小林よしのり責任編集
『新編 知覧特別攻撃隊 写真・遺書・遺詠・日記・記録・名簿』高岡修編

 喜多川のメッセージは、「欲しければ施せ」「施せば得られる」と解釈することも可能だろう。では特攻隊が差し出した命と引き換えに彼らが得られたものは何だったのか。それを想わずにはいられない。

 対価を求めれば損得の関係性にとどまる。我々の幸福は経済的価値に引きずられ過ぎている。だが、「百年の後に知己を待つ」生き様がもっとあっていいのではないか? 無理解に苦しむのは対価を求めているためだ。仕事で苦労や悩みが絶えないのは賃金に支配されている証拠である。もっと超然と軽やかに生きればいい。対価など求めるな。施せる限り施し、分け与え、すってんてんになって死ぬのが望ましい。裸で生まれてきたのだから裸で死ぬのが正しい生き方だ。

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2020-11-12

人類史の99%以上は狩猟採集生活/『売り方は類人猿が知っている』ルディー和子


『なぜ美人ばかりが得をするのか』ナンシー・エトコフ
『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』ダン・アリエリー

 ・人類史の99%以上は狩猟採集生活

『ソクラテスはネットの「無料」に抗議する』ルディー和子

必読書 その三

 うつ病、不安障害、パニック障害といった心の病に悩む人たちが多くなっているのは、私たちの脳が、現代の環境にまだ適応していないからだといわれます。
 200万年前ごろに始まったとされる旧石器時代に生きていた先行人類のころから、私たちは、進化の歴史の99%以上を狩猟採集生活をして暮らしてきました。農業文明や工業文明になってからの歴史は1%にも満たないのです。私たちの脳は、まだ、群れをつくって狩猟採集生活をしていたころに適応していた心の仕組みから、現代の環境に合った仕組みには変わってきてはいないのです。
 遺伝子解説技術の発達によって、現生人類の中には10万年ほど前から故郷アフリカを出て、世界に広がっていったグループがいたことがわかっています。中東・中央アジアに進出したグループもあり、その一部が1万年以上前に日本にたどりつきました。その日本においても長い間狩猟採集生活が続いたわけで、稲作は紀元前3500年ごろには始まっていたといわれてはいますが、農業文明の始まりとなれば紀元前500年ごろでしょう。日本人の場合は、長い進化の時間の中で農業文明や工業文明が占める割合は0.1%です。

【『売り方は類人猿が知っている』ルディー和子(日経プレミアシリーズ、2009年)】

 ナンシー・エトコフを思わせるほどの出来映えだ。マーケティング本の枠に収まらない広汎(こうはん)な知識がわかりやすい文章で綴られている。

 アメリカでパレオダイエットが持て囃(はや)されている。パレオとはパレオリシック=旧石器時代の略だ。原始人ダイエットとも称する。ダイエットは食習慣の意味だ。加工食品が体に悪いことは以前から指摘されていたが、グルテンフリー~パレオダイエットの流れはそれを不自然な穀物食にまで拡張したものだ。

 磨製石器の誕生によって新石器革命と名づけられているが重要なのは農耕(1万年前)と牧畜(5000年前)である。どちらも長い歴史を経て品種改良が施された。と同時に定住革命が起こる。

 一般的には第二次世界大戦以後(1945年)を現代と呼ぶが、それ以前の人類は貧困と飢餓を克服していなかった。日本人が食うのに困らなくなったのはたぶん昭和31年(1956年)あたりからだろう(「もはや戦後ではない」が流行語。ついでに書いておくと日本で公害問題が表面化したのも1950年代から60年代にかけてのこと)。

 で、鱈腹(たらふく)食べられるようになると今度は食べ過ぎで健康が阻害される羽目となった。中庸や少欲知足は難しいものだとつくづく思う。有吉佐和子が高齢者の認知症問題を取り上げたのが1972年である(『恍惚の人』)。

 食べ過ぎているなら食べる量を減らせばいいのだが食欲を抑えるのはかなり難しい。意志の強弱と考えられがちだがそうではあるまい。飢餓を回避する回路が埋め込まれているためだろう。もしも明日、世界から食料が消え失せれば、デブの方が長生きできることは明らかだ。

 糖質制限は元々糖尿病患者の食事療法であったが、狩猟生活が長かった人類の歴史を思えば理に適っている。農耕は穀物を食べることを強制する。穀物はいずれも高でんぷん質で消化された後ブドウ糖(糖質)となる。

 GI値(グリセミック・インデックス)は食品による血糖値上昇の度合いに注目した指数だが、「主な食品のGI値」を見ると高GI(70以上)の食品は狩猟民族が容易に食べられるものではないことに気づく。穀物の収穫は秋になるまで待つ必要があるし、根菜やイモ類も毎日見つけることは難しいだろう。さほど神経質になることもないと思うが、「食欲の秋」と言うくらいだから秋から冬(貯蔵食品に頼る季節)にかけては、むしろ高GIが望ましいのかもしれない。

 マラソンランナーは大会数日前から炭水化物を多く摂取する。軍隊の特殊部隊も同様で作戦数日前からは一切の訓練をやめて炭水化物漬けの食事を摂る。体力を使う場合は好きなだけ米を食べればいい。

 我々が伝統と考えていることは人類史のわずかな期間に過ぎない。文明に依存すればするほど家畜化が進む。狼なら大自然の中で生きてゆけるが座敷犬には無理だろう。内なる野生の声に耳を傾けよ。