2021-04-01

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一週間で下っ腹を引っ込める筋トレ


ストレッチ&腹筋・スクワット

 ・一週間で下っ腹を引っ込める筋トレ

ナンバ歩きと古の歩術


『脚・ひれ・翼はなぜ進化したのか 生き物の「動き」と「形」の40億年』マット・ウィルキンソン
『病気の9割は歩くだけで治る! 歩行が人生を変える29の理由 簡単、無料で医者いらず』長尾和宏
『病気の9割は歩くだけで治る!PART2 体と心の病に効く最強の治療法』長尾和宏
『ウォーキングの科学 10歳若返る、本当に効果的な歩き方』能勢博
『高岡英夫の歩き革命』高岡英夫:小松美冬構成
『あらゆる不調が解決する 最高の歩き方』園原健弘
『あなたの歩き方が劇的に変わる! 驚異の大転子ウォーキング』みやすのんき

 ・ナンバ歩きと古の歩術

習志野青龍窟:不眠不休で100km歩く方法!忍者の修行を体験せよ!
『ナンバ走り 古武術の動きを実践する』矢野龍彦、金田伸夫、織田淳太郎
『ナンバ式!元気生活 疲れを知らない生活術』矢野龍彦、長谷川智
『すごい!ナンバ歩き 歩くほど健康になる』矢野龍彦
『本当のナンバ 常歩(なみあし)』木寺英史
『健康で長生きしたけりゃ、膝は伸ばさず歩きなさい。』木寺英史
『常歩(なみあし)式スポーツ上達法』常歩研究会編、小田伸午、木寺英史、小山田良治、河原敏男、森田英二
『スポーツ選手なら知っておきたい「からだ」のこと』小田伸午
『トップアスリートに伝授した 勝利を呼び込む身体感覚の磨きかた』小山田良治、小田伸午
『間違いだらけのウォーキング 歩き方を変えれば痛みがとれる』木寺英史








「神足歩行術」にある江戸時代の走り方 | 江戸時代の走り方を求めて

2021-03-31

高峰秀子の文章/『ポーカー・フェース』沢木耕太郎


・『一瞬の夏』沢木耕太郎
『凍(とう)』沢木耕太郎
『銀河を渡る』沢木耕太郎

 ・高峰秀子の文章

『ソロ 単独登攀者 山野井泰史』丸山直樹
『アート・オブ・フリーダム 稀代のクライマー、ヴォイテク・クルティカの登攀と人生』ベルナデット・マクドナルド

 高峰さんはすばらしい書き手だった。女優として、という但し書きを必要としない見事な文章の書き手だった。自分の言いたいことを簡潔に書く。その最もむずかしいことを常に軽々とやってのけている。私は単行本で『わたしの渡世日記』を読んで以来、高峰さんの書いた文章をほとんど読んでいた。

【『ポーカー・フェース』沢木耕太郎〈さわき・こうたろう〉(新潮社、2011年/新潮文庫、2014年)】

 山野井泰史のことが書かれていると知って、すかさず読んだ。私の大好きな高峰秀子のことも書いてあったのはめっけ物だった。高峰のエッセイは半分ほど読んでいるが、30年ほど前なので記憶が薄れている。清々(せいせい)ときっぱりした小気味いい文章を絶賛する人は多い。満足に学校へ行くことができなかった彼女は台本読みで知識を身につけ、夫君である松山善三のシナリオ口述筆記をしながら読み書きの技術を身につけた。5歳でデビューし天才子役と持ち上げられ、スター街道をまっしぐらに歩んで50年後にスパッと引退した。

 自著のエッセイの装丁は長年の知己の安野光雅によるものだが、あるとき、安野のサイン会が開催された際、高峰がサインを待つ行列に並んでいた。それを見つけた安野から、「周りの人が見ていますよ」と声をかけられたところ、高峰は「別に構わないじゃない」と応じたという。

Wikipedia

 いかにもこの人らしいエピソードである。

2021-03-30

人間のもっとも原初的な社会は母子社会/『結社のイギリス史 クラブから帝国まで』綾部恒雄監修、川北稔編


『砂糖の世界史』川北稔

 ・結社〜協会・講・組合・サロン・党・サークル・団・アソシエーション・会・ソサエティ
 ・人間のもっとも原初的な社会は母子社会

『世界システム論講義 ヨーロッパと近代世界』川北稔

 人間は、孤独では生きていけない動物だといわれる。人間は集団のなかで生まれ、集団のなかで死んでいくのである。人間のもっとも原初的な社会は、母とその子どもからなる母子社会であり、母子関係を中心として家族・親族・氏族のような血縁関係がつくられた。数百万年は続いたと思われる人類の狩猟・採集時代は、血縁の原理がもっとも優越していた時代であったろう。(中略)
 血縁と地縁は、人間を結びつけるもっとも古い二代紐帯原理であるが、これら血縁・地縁に劣らず古くから存在する紐帯原理は、共通の利害や感心に基づく「約束」の原理であった。このような一定の「約束」のもとにつくられる集団は、利益集団ないしは結社(association)と呼ばれた。結社は人類史上新石器時代、あるいは原始農耕の出現と相前後してあらわれたものといわれており、一般の予想よりかなり古い歴史をもっている。(「刊行にあたって」綾部恒雄)

【『結社のイギリス史 クラブから帝国まで』綾部恒雄〈あやべ・つねお〉監修、川北稔〈かわきた・みのる〉編(山川出版社、2005年)】

 現代では「孤独」を心理的に捉える傾向が強いが、むしろ社会行動的に考えるべきだ。要は群れとしての有機的な結合を欠くところに孤独が立ち現れてくるのである。我々のDNAには「誰かのために役立つこと」を幸福と感じるメカニズムが埋め込まれている。利他の精神ではない。ただそういう生命の仕組みなのだ。誰からも必要とされなくなれば生きてゆくことは難しい。なぜなら「生きる理由」がないためだ。

 ヒンドゥー社会にはアーシュラマ(住期)という概念があり、人生の節目を四段階に分ける。学生期・家住期・林住期・遊行期とあるが、林住期の後に遊行期と来るところがミソである。山林で瞑想を深めた後に再び市中を遊行(ゆぎょう)するのである。悟りを社会に展開する営みが群れと決して断絶していない。仏教もまた同様で必ず都市部周辺にサンガは形成される。なぜなら人里離れた山奥で修行すれば托鉢(たくはつ)が不可能となるからだ。仏教が都市宗教と呼ばれる所以(ゆえん)である。

 台湾原住民では族の下の部落を「社」と呼んだ(alangの訳か)。例えば霧社事件に合流したのはマヘボ社、ボアルン社、. ホーゴー社、ロードフ社、タロワン社、スーク社などである。「中国で,ある神格的シンボルを中核として団結した集合体をさす。「社」という語は,大地の生産力を神格化したものを意味しているが,実際には,その土地に生えている大木や石をシンボルとして設定した」(コトバンク)。社稷の社を思え(Weblio辞書)。「やしろ」(神を祀ってある建物)と訓読みすれば腑に落ちる。

「かつてsocietyということばは、たいへん翻訳の難しいことばであった。それは、第一に、societyに相当することばが日本語になかったからなのである。相当することばがなかったということは、その背景に、societyに対応するような現実が日本になかった、ということである」(『翻訳語成立事情』柳父章)。移動の自由がなければ社会は創出されない。村=世間の時代が長く続いたということなのだろう。それを打ち破ったのもまた明治維新であった。

 ありあまる自由を享受する我々が次々と結社を行わないのはなぜか? 利益がマネーに限定しているためか。NPO的な視点や価値観が必要な気がする。