・『将棋の子』大崎善生
・『傑作将棋アンソロジー 棋士という人生』大崎善生編
・『聖(さとし)の青春』大崎善生
・『一葉の写真』先崎学
・『フフフの歩』先崎学
・行間から滴り落ちる毒
・村山聖
・『まわり将棋は技術だ 先崎学の浮いたり沈んだり2』先崎学
・『山手線内回りのゲリラ 先崎学の浮いたり沈んだり』先崎学
今だから笑って書ける話だが、私は10代前半の頃までかなりのどもりだった。
どもりには二通りあって、「あ、あ、あ」と最初の言葉を反復してしまうものと、最初の一言が出てこないものに分かれるのだが、私は後者の方で、とくにカ行とタ行ではじまる言葉がてんで駄目だった。
一発目の一語さえ発音できれば、あとはすらすら喋れるのだが、その一語がなかなか出ない。しかも緊張するとますます出ないというのがこのタイプの特徴で、一人暮らしをはじめた頃、蕎麦屋での注文の時、たぬき、きつね、天ぷらなどがどうしてもいえなかった。お陰で今でも蕎麦は冷たいものが好きである。
奨励会の頃だからプロ棋戦の記録係を務めるのだが、カ行とタ行の棋士の記録は、できるだけしないようにしていた。「加藤先生、残り何分です」というのが言えないのである。
だからどうかは分からないが、どちらかというと内向的な少年だった。
そんな私を救ったのは田中角栄だった。
【『先崎学の浮いたり沈んだり』先崎学〈せんざき・まなぶ〉(文藝春秋、2002年/文春文庫、2004年)以下同】
・1分間に200回の腹式呼吸/『火の呼吸!』小山一夫
田中角栄の自伝を読み、あの雄弁な田中もどもりであった事実を知る。田中は浪曲を歌う時はどもらないことに気づく。話す時も節をつけるようにしたところ、それが後の角栄節を生んだという。田中の体験が光明(こうみょう)となった。
とはいえ私は浪曲は知らない。だが言葉を出す時に節をつけるというのは、大きなヒントになった。「たぬき蕎麦」というのではなく、「えーとたぬき蕎麦」といえばいいのだ。
えーと。んーと。いやあ。だからさ。そうねえ。私はこれらの言葉をなるべく使うようにした。
こういう接続詞を多様すると必然、ややこしく理屈っぽい喋り口になる。その名残りは今も残っていて、お前の話は、中身が無いわりに理屈っぽいといわれる。
とにかく、私は少しずつ努力した。
ある日、どもらない自分がいた。それに気付いた時の喜びったらなかった。
私は将棋ファンではないのだが、次の名解説で先崎の名を知った。
どもりの片鱗もない見事な解説である。知的な語り口に魅了される。ところがどうだ。エッセイはというと行間から毒が滴り落ちている。こんな面白いエッセイを読んだのは久し振りのことだ。どこか昔の小田嶋隆と同じ匂いがする。
間もなく読了するのだが、吃音つながりということで紹介した。私は子供の時分から口が達者な方なのだが、他人の言うに言われぬ悩みを知ると自分の狭い世界が広がる。小学校の同級生だった近藤ブー太郎に謝りたくなる。先崎の吃音(きつおん/「どもり」は現在差別用語認定)は青森出身のためかもしれない。東京に来ても雄弁なのは関西の連中くらいだろう。
先崎は羽生世代である。が、本文で羽生に敬称はつけない。同い年というよりは同レベルの将棋指しとの矜持によるものか。大いに笑わせられる中にも勝負の厳しさをキラリと光る文章で綴っており只者ではない。