2022-01-13

鼻うがい/『つらい不調が続いたら 慢性上咽頭炎を治しなさい』堀田修


『人は口から死んでいく 人生100年時代を健康に生きるコツ!』安藤正之
『長生きは「唾液」で決まる! 「口」ストレッチで全身が健康になる』植田耕一郎
『ずっと健康でいたいなら唾液力をきたえなさい!』槻木恵一
『舌(べろ)トレ 免疫力を上げ自律神経を整える』今井一彰
『舌をみれば病気がわかる 中医学に基づく『舌診』で毎日できる健康セルフチェック』幸井俊高
『あなたの老いは舌から始まる 今日からできる口の中のケアのすべて』菊谷武
『肺炎がいやなら、のどを鍛えなさい』西山耕一郎
『誤嚥性肺炎で死にたくなければのど筋トレしなさい』西山耕一郎
『病気が治る鼻うがい健康法 体の不調は慢性上咽頭炎がつくる』堀田修

 ・鼻うがい
 ・鼻うがいには生理食塩水や洗浄液を使う

鼻うがいのやり方

身体革命

 関連痛とは【障害の置きた箇所から発せられる痛みの信号を障害のない別の部位からの信号であると脳が勘違いすることによる痛み】です。
 例えば、心臓発作は、本来なら胸の左側が痛くなると考えがちですが、初期段階では左小指の痛み、左腕または首やあごが痛いと感じることがあります。また、胆石発作を右肩のこりや痛みとして感じることも知られています。

 上咽頭は刺激を伝達する神経線維が豊富な部位で、内蔵に広く分布する迷走神経(めいそうしんけい)と、主にのどに分布する舌咽神経(ぜついんしんけい)の両方がはりめぐらされているため、脳が勘違いして鼻の奥を、のどと感じるのだろうと考えられます。
 実際、のどの痛みを訴えて受診した患者さんの上咽頭を綿棒でこすると、のどには全く触れていないのに「そこです! のどの痛い場所に当たっています!」という声が返ってきます。

 では、鼻の奥の上咽頭の炎症がどうして「頭痛」「めまい」「倦怠感(けんたいかん)」「胃腸障害」「血尿」「湿疹」「関節炎」等、様々な症状と関連するのでしょうか?

【『つらい不調が続いたら 慢性上咽頭炎を治しなさい』堀田修〈ほった・おさむ〉(あさ出版、2018年)以下同】

「【心筋梗塞にかかっても4人に1人は胸の痛みがない」(『臓器の急所 生活習慣と戦う60の健康法則』吉田たかよし)。私は扁桃炎を患っているので他人事ではない。

 私は1983年に医学部を卒業して以来、腎臓内科医として当時は不治の腎臓病とされたIgA腎症(じんしょう)の根治治療の開発に取り組んできました。その過程で、今から十数年前に慢性上咽頭炎という概念を知り「IgA腎症患者が感冒(風邪)により血尿を引き起こす謎」が自分の中で解けました。
 当時は周りの耳鼻科医に慢性上咽頭炎の話をしても取り合ってもらえなかったため、1960年代、70年代に発表された山崎先生、堀口先生らの論文を取り寄せて勉強しました。そして、自らの臨床経験に照らしあわせてみて、慢性上咽頭炎が極めて重要な概念であることを革新し、内科医という門外漢でありながら慢性上咽頭炎の臨床と研究に臨みました。
 そして、臨床を日々重ねるにつれて、慢性上咽頭炎の概念の重要さを世の中に向けて再び発信しなければという思いが湧いてきました。

「慢性上咽頭炎」を知らなかったのも当然か。少々大袈裟にいえば著者の堀田修が発掘したのだ。先のテキストにもあったが、鼻の奥を喉と感じる人々が多いようだ。鼻毛というフィルターをくぐり抜けたウイルスがいかにも悪さを行いそうな場所だ。

 慢性上咽頭炎の治療である上咽頭処置は単純で診療報酬が極めて低く設定されているため、ほとんどの医師にとって魅力が乏しく、そのことが慢性上咽頭炎診療の普及を妨げる要因でもあります。

 医療や介護は保険報酬で動くから関連法や行政の差配が時に致命的な結果を生む。

 慢性上咽頭炎の対策としては生理食塩水で上咽頭洗浄を行う。上咽頭洗浄液を用いると更に効果的(「ミサトールリノローション」アダバイオ社、「プレフィア」「MSMプレフィア」グローバルアイ社)とのこと。慢性的な不調がある方は早速試してみるといいだろう。

 尚、特設サイトでは「慢性上咽頭炎治療医療機関一覧」も紹介されている。

構造(身体)と機能(心)は「脳において」分離する/『唯脳論』養老孟司


『ものぐさ精神分析』岸田秀
『続 ものぐさ精神分析』岸田秀

 ・唯脳論宣言
 ・脳と心
 ・睡眠は「休み」ではない
 ・構造(身体)と機能(心)は「脳において」分離する
 ・知覚系の原理は「濾過」

『カミとヒトの解剖学』養老孟司

 心身論を考えるときに、もっと身近で、かつ重要な例がある。それは死体である。なにはともあれ、解剖学者としては、死体はもっとも身近だと言わざるを得ない。死体があるからこそ、ヒトは素朴に、身体と魂の分離を信じたのであろう。これを生物学の文脈で言えば、構造と機能の分離ということになる。死体では、肝、腎、脳といった構造は残存しているが、もはや機能はない。
 このことから、説得力が強く、かつ非常に長期にわたって存在する、大きな誤解が生じた。それは、構造と機能の分離が「対象において存在する」という信念である。すでに述べたように、私の意見では、構造と機能は、われわれの「脳において」分離する。「対象において」その分離が存在するのではない。

【『唯脳論』養老孟司〈ようろう・たけし〉(青土社、1989年/ちくま学芸文庫、1998年)】

 やはりこの人は左翼っぽい。出版されている対談の相手を見ると、ほぼ左翼である。また「たかが教育」と言いながら戦後教育を肯定する節も窺える。私が読んできた限りでは皇室への敬意を感じる文章も皆無だ。シンパよりも隠れ左翼に近い印象を受ける。「唯脳論」とのタイトルも「唯物論」へのオマージュなのかもしれない。

 即物的な文章が、どこかニヒルやハードボイルドを思わせるが、結局唯物的なのだろう。昭和12年(1937年)生まれだから少国民世代(『ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論』小林よしのり)よりは後の生まれだが、子供にとって敗戦の記憶は複雑な憎悪として働くのだろう。個人的には昭和一桁~団塊の世代(昭和21~23年生まれ)が戦後日本の命運を左右したと考えている。戦前生まれは学生運動をどのように眺めていたのかが気になるところだ。

 もう少し深読みをすれば、戦後エリートがマルクス主義に傾斜したのは、戦前エリートの特攻隊と同じ轍を踏まないための知的武装であった可能性もある。仮にそうであったとしても、自らの命と引き換えに米軍の本土上陸を阻止した先人への敬意を失えば、人の道から外れることは当然だろう。

2022-01-12

睡眠は「休み」ではない/『唯脳論』養老孟司


『ものぐさ精神分析』岸田秀
『続 ものぐさ精神分析』岸田秀
『脳は奇跡を起こす』ノーマン・ドイジ
『脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線』ノーマン・ドイジ

 ・唯脳論宣言
 ・脳と心
 ・睡眠は「休み」ではない
 ・構造(身体)と機能(心)は「脳において」分離する
 ・知覚系の原理は「濾過」

『カミとヒトの解剖学』養老孟司

 睡眠が何であるかは、やはり、議論の種である。すでに述べたエネルギー消費の観点からすれば、睡眠は「休み」ではない。さらに神経生理学的には、睡眠がいくつかの神経回路の活動を必要とする「積極的」な過程であることが知られている。しかも、睡眠はどうしても必要な行動であるから、その間になにか重要なことが行なわれていることは間違いない。クリックはそれを、覚醒時に取り込まれた余分かつ偶然の情報を、訂正排除する時期だと言う。そうした活動が夢に反映される。「われわれは忘れるために夢を見る」。そうかれは言うのである。

【『唯脳論』養老孟司〈ようろう・たけし〉(青土社、1989年/ちくま学芸文庫、1998年)】

 夢の真相はまだ判明していないが、クリック説がやや有力である(NIKKEI STYLE)。とすれば、「脳は全ての情報を記憶している」との通説は誤りだ。

 一方でHSAMと称される超記憶力を持つ人々が世界に60人ほど存在する。

すべてを覚え、決して忘れることができない記憶「HSAM」を持つ人々 | クーリエ・ジャポン
完全記憶HSAMを持つ60人 ― 世界で最も不幸な能力「決して忘れない」人々の重すぎる言葉とは?
人生のすべての瞬間を記憶している〈超記憶〉の持ち主に10の質問

 ただし自伝的記憶(highly superior autobiographical memory)であることに留意する必要があるだろう。脳の容量に限りがあることを思えば、厖大な記憶情報は他の何かを失わせるのではないか。彼らの睡眠を研究すれば新たな発見がありそうだ。

 私は幼い頃から殆ど夢を見ない。ま、見ているかもしれないが覚えていない。それと関係しているかどうかはわからぬが、理想や希望とも無縁である。野心も持ったことがない。どちらかというとマネジャータイプ(改革者)で、リーダー(創造者)ではない。

「脳が言葉から離れるために睡眠はある」と私は考える。思考を停止させるところに睡眠の目的があるのだろう。きっと無意識領域が活性化しているに違いない。

脳と心/『唯脳論』養老孟司


『ものぐさ精神分析』岸田秀
『続 ものぐさ精神分析』岸田秀
『脳は奇跡を起こす』ノーマン・ドイジ
『脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線』ノーマン・ドイジ

 ・唯脳論宣言
 ・脳と心
 ・睡眠は「休み」ではない
 ・構造(身体)と機能(心)は「脳において」分離する
 ・知覚系の原理は「濾過」

『カミとヒトの解剖学』養老孟司

 脳と心の関係に対する疑問は、たとえば次のように表明されることが多い。
「脳という物質から、なぜ心が発生するのか。脳をバラバラにしていったとする。そのどこに、『心』が含まれていると言うのか。徹頭徹尾物質である脳を分解したところで、そこに心が含まれるわけがない」
 これはよくある型の疑問だが、じつは問題の立て方が誤まっていると思う。誤まった疑問からは、正しい答が出ないのは当然である。次のような例を考えてみればいい。
 循環系の基本をなすのは、心臓である。心臓が動きを止めれば、循環は止まる。では訊くが、心臓血管系を分解していくとする。いったい、そのどこから、「循環」が出てくるというのか。心臓や血管の構成要素のどこにも、循環は入っていない。心臓は解剖できる。循環は解剖できない。循環の解剖とは、要するに比喩にしかならない。なぜなら、心臓は「物」だが、循環は「機能」だからである。

【『唯脳論』養老孟司(青土社、1989年/ちくま学芸文庫、1998年)】

 つまり、心は脳機能であるということ。作用としての心。心として働く。養老の考え方は諸法無我と似ている。

 脳の構造からいえば思考(大脳皮質)と感情(辺縁系)と運動(小脳)を司るところに心が位置する。

「心」という漢字が作られたのは後代であること(『身体感覚で『論語』を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登)や、ジュリアン・レインズの二分心を踏まえると、【言葉の後に】心が発生したことがわかる。

 人間にとって言葉は智慧であり、病でもあるのだろう。

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