「ウゴ・チャベスの七つの罪」。ベルギー人記者ミシェル・コロン。モンペリエでの講演、2009年。
2012-06-16
2012-06-15
「シャボン玉石けん」を推す
・食べても安心な石鹸「シャボン玉石けん」
amazonよりも本社サイトの会員価格の方が安いのだが、いかんせん送料が高い。だから一番賢明な方法は、本社サイトで会員登録をして無料サンプルをせしめた上で、改めてamazonで注文するのがよい。
石鹸は香料を使っていないため、初めのうちは油っぽい匂いが少々気になる。しかし慣れればどうってことはない。尚、この石鹸は洗髪もできる。文字通り一石二鳥の石鹸だ。
『週刊新潮』と『週刊文春』の共同歩調
新潮と文春が歩調を合わせて叩く相手というのは、その時々で日本のエスタブリッシュメントにとって潰しておきたい存在なんだよね。これは3、40年前から変わらず。わかりやすい。
— Higashi Shinpei さん (@shinpei23) 6月 14, 2012
2012-06-13
2012-06-10
神の支配とは何か?/『イエス』ルドルフ・カール・ブルトマン
・目指せ“明るい教祖ライフ”!/『完全教祖マニュアル』架神恭介、辰巳一世
・新約聖書の否定的研究
・神の支配とは何か?
・教条主義こそロジックの本質
・『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹
・『世界史の新常識』文藝春秋編
・『宗教の倒錯 ユダヤ教・イエス・キリスト教』上村静
・『イスラム教の論理』飯山陽
・キリスト教を知るための書籍
神は支配し、時に怒り、そして裁く。ま、これが神の仕事だ。
その前にイエスの宗教的出自を紹介しておこう。
従ってヨハネが教えた洗礼も、終末論的聖礼典と規定していいだろうと思う。洗礼を受け、それと結びつく悔改めの義務を果たす者は、きたるべき神の支配に対して潔められるのであり、きたるべき怒りの審判からまぬがれる人の群に属するのである。恐らくオリエント的、非ユダヤ教的観念がこの洗礼運動に影響していたであろう。
【『イエス』R・ブルトマン:川端純四郎、八木誠一訳(未來社、1963年)以下同】
ここでいうところの「オリエント的」というのは古代オリエントを指すのだろう。
こう推論することが許されるであろう。すなわちイエスはもともと洗礼者の一派に属していた。そしてイエス一派はヨハネ派から分かれたものである、と。
飽くまでも思想的、文献的あるいは文学的立場からの推論であることに留意せよ。考古学的、科学的推論ではない。結果的には事実がどうあれ、最終的に物語を構築するわけだから、実証や時代考証に重きを置く必要もあるまい。宗教とは物語の異名である。
イエスの宣教は【終末論的告知】である。すなわち今や約束の成就は門のところまで来ている、今や神の支配が入来する、という告知である。
サタンとの最終戦争(ハルマゲドン)を経て、最後の審判が下るってわけだよ。既に2000年が経過しているが千年王国が現れそうな気配は微塵もない。
かといって冷笑するわけにもいかない。なぜならかような思想を実現すべく世界支配を目論む連中が存在するためだ。すなわちヨーロッパ人による植民地化政策、金融支配、メディア・コントロールは一神教の教えから派生したものと考えることができよう。神と人間との隔絶が拭い去ることのできないコンプレックスとなって、その反動が有色人種に襲いかかるってな寸法だ。神を信じた瞬間から、自分は「裁かれるべき存在」と化すわけだから、被害妄想的にならざるを得ない。
もしあなたの目があなたを誘惑するなら、えぐり出して捨てよ。体の一部がなくなる方が、全身が地獄(ゲヘナ)に投げ込まれるのよりましだから。
もしあなたの手があなたを誘惑するなら、切り取って捨てよ。手足が一本なくなる方が、全身が地獄(ゲヘナ)へ行くのよりましだから。(マタイ5・29、30)
神は犠牲を求めてやまない。ま、自分で造ったわけだから人形の手をもぎ取るようなものか。私としては、地獄を持ち出して脅さなければならないような粗悪品を製造した神の責任を問いたい。腕が悪すぎる。
ところで【神の支配】とは何を意味するのだろうか。神の支配というとき何を考えたらよいのだろうか。答えは差し当り簡単である。神の支配は人にとって【救い】なのである。それもあらゆる地上的事物に終わりをもたらす【終末論的な】救いなのである。この救いはおよそ救いとして語りうる唯一の救いなのである。だからこそそれは人間から決断を要求し得るのであり、他の財貨と同列に所有したり、ほかの関心事と同列に心を労したりできるものではないのである。この救いは人の前にあれか-これかとして立っている。 だから神の支配を【最高善】と規定するのは無意味なのである――もし最高善を、人が善いと考え得るあらゆる事物の冠、頂点とするならば。
ポイントその一――「神の支配は人にとって【救い】なのである」。これは公式であって、議論の余地は猫の額ほどもなければ、雀の涙ほどもない。公式といっても証明を必要とするような代物ではなく、絶対的な基準であり、すべての前提となる。
「馬鹿馬鹿しい。ケッ、そんな無理無体が通るものか」と大半の日本人なら思うところだろう。それは極東に住むキリスト教ルールを知らない哀れな衆生が考えることであって世界では通用しない。なぜなら、ただ「信じて仰ぐ」のが信仰の原義であるからだ。だから仰がない連中は殺戮される。歴史を少しでも紐解けばたちどころに理解できる。
しかもその絶対性(≒聖性)は1位、2位、3位の1位ではない。動かし得ない座標軸としての絶対性なのだ。つまり神とは西洋的世界観の座標軸を示すものなのだ。世界の中に神がいるのではなくして、神がいるから世界があるのだ。
いずれにせよ、神の支配は【倫理の意味での最高善ではない】ことが既にここで明らかである。それは人の意志や行為の目的となる善ではなく、何等かの意味で人の行為によって実現されるもの、その存在のために何等かの意味で人を必要とするものではない。それは終末論的なものとして、絶対に非世界的なのである。
「非世界的」と来たもんだ。彼らにとって世界なんざ、神と比べればクソみたいなものだ。
「創世は神の言葉(ロゴス)からはじまった」(新約聖書「ヨハネによる福音書」第1章)――で、神様はどこにいたんだ? そもそも空間がなければ存在することは不可能だ。「言葉を発した」ということは大気があった事実を示している。それから神様はどこで言葉を覚えたんだ? それはヘブライ語なのか?
・哲学の限界/『現代思想の冒険』竹田青嗣
【神の支配はゆえに何か奇蹟的なもの】、それも絶対的に「奇蹟的なもの」であり、今・ここにあるすべてに対立するもの、「絶対他者」、天的なもの(ルドルフ・オットー)なのである。
形容詞をいくら並べても神は形容し得ないってわけだ。そりゃそうだろう。誰も見たことがないのだから、どんな風にでも言えらあ。
「神の国」は人間の歴史の中に実現されるものではない。神の国の基を礎え、建て、完成するとは言われないし、言うこともできない。ただ近づき、来たり、あらわれると言われるだけである。それは【超自然的】、【非世界的なもの】である。人間はその救いを「受け」、その中に「入る」。しかし【人間】の共同体や活動が国を構成するのではなく、それはただ神の摂理なのである。
これこそ純粋な「教条主義」という手本である。啓典宗教にとっては、ただひたすらバイブルの前に額(ぬか)づくことが正しい。人間の論理など必要ない。ただ神の論理を追求するのだ。そしてここにロジックの本質がある。
もちろん信じなくても構わない。ただ国際社会においてキリスト教の概念やアブラハムの宗教を弁えずにコミュニケーションが成立することはない。日本が外交音痴といわれてきた理由もここにある。我々は世界の常識としてキリスト教を学ぶ必要がある。
神の支配は同時にユダヤ民族の支配なのである(ダニエル2・44、7・27)。
ってことは実現されつつあるのかもしれない。先進国の金融とメディは、ほぼ完全にユダヤ資本が牛耳っているのだから。
2012-06-07
「LOVE! LOVE! ハイロ!」ココロ&カナル(藤波心)
今の日本に本当に足らないのは、電力ではなく、脳みそじゃないですか?原発の是非なんてもう福島を見れば結果が出ているじゃない? こんな地震大国でこれからも原発を動かし続けるなんて、どう考えても間違っていると思うyoutube.com/watch?v=vM6cN7… #Loveハイロ
— 藤波心さん (@fujinamicocoro) 6月 6, 2012
・藤波心オフィシャルブログ『ここっぴーの★へそっぴー』
・藤波心
SFの巨匠レイ・ブラッドベリ氏が死去、91歳
SF小説の古典「華氏451度(Fahrenheit 451)」などで知られる米SF作家レイ・ブラッドベリ(Ray Bradbury)氏が5日、米ロサンゼルス(Los Angeles)で死去した。91歳だった。
同氏の作品を出版していた米出版社ハーパーコリンズ(HarperCollins)によると、ブラッドベリ氏は長く闘病生活を送っていたという。病名は明らかにされていない。
SF界の最も偉大な巨匠の1人とされるブラッドベリ氏死去の報に、知人やファンから多数の弔意が寄せられている。
バラク・オバマ(Barack Obama)大統領も「彼の物語を作る才能は、われわれの文化の形を変え、わたしたちの世界を広げた」という追悼コメントを発表した。「それだけでなくレイは、想像力というものは理解を深め、変化をもたらし、わたしたちの最も貴重な価値観を表現する手段になり得ることも知っていた」と述べ、ブラッドベリ氏の死去を悼んだ。
ブラッドベリ氏の代表作とも言える「華氏451度」(1953年)は、第二次大戦後の米国社会の不安を反映した作品で、米ソ冷戦の中、危険な未来の物語を通して全体主義国家における検閲や思想統制の邪悪さに警鐘を鳴らした。この小説を映画化したフランソワ・トリュフォー(Francois Truffaut)監督の『華氏451』(1966年)も世界で多くの観客を得た。
ブラッドベリ氏は2000年の80歳の誕生日に行われたインタビューで、「人生で一番楽しいことは、毎朝、目が覚めたらすぐにタイプライターに向かうことだ。いつも新しいアイデアがわいてくるからね」と話している。また「毎日、12歳の時と同じ気分で過ごしているよ」と語っている。
ブラッドベリ氏が生涯に記した著作は、火星の植民地化を試みた人類の野望が思わぬ結果をもたらす「火星年代記(The Martian Chronicles)」(1950年)など小説約50編、短編約600編に上る。
複数の短編から成る「火星年代記」は、書評家から近未来を舞台にした倫理観の物語として高く評価され、ブラッドベリ氏に世界的な名声をもたらした。
ブラッドベリ氏以前のSF小説といえば、大衆向け雑誌に掲載されることが多かった。SF小説を文学の主流に持ち込んだのはブラッドベリ氏の貢献が大きい。ブラッドベリ氏の作品の販売数は800万部を超え、36の言語に翻訳されている。
ブラッドベリ氏は1920年8月22日、米イリノイ(Illinois)州生まれ。2003年に死去した妻のマーガリート(Marguerite)さんとの間に4人の娘が生まれ、8人の孫がいる。
【AFP 2012-06-07】
◎本のない未来社会を描いて、現代をあぶり出す見事な風刺/『華氏451度』レイ・ブラッドベリ
丸山健二、エリック・ホッファー
1冊挫折、1冊読了。
『見よ 月が後を追う』丸山健二(文藝春秋、1993年)/『千日の瑠璃』を飛ばし読みしたついでに再読。出だしは好調だったが100ページで挫ける。原子力発電所の記述が多いのでタイムリーではあるのだが。私の文章に否定形が多いのは丸山からの影響である。古くからのファンは『千日の瑠璃』から離れて行った。その理由が何となくわかるような気がする。丸山は「詩小説」と呼ばれることに気をよくし、文体に集中するあまり物語性を失ったのだ。結果的に物語を私化した私小説と同じ軌跡を描いたのではあるまいか。一つのことを表す際に「ない」という表現は無限に可能だ。例えば人間は猿ではない。彼はカブトムシでもなければホトトギスでもなかった。そして自分の体重以上の重量を軽々と担ぎ上げることもできなければ、心のひだに沁み入るような鳴き声を上げることもできなかった。こんな文章を延々と読ませられている気分になる。一時は入手困難で、私は古本屋として40~50冊を売り上げたものだ。ただし、タイトルとなっているフレーズには絶妙な響きがある。
31冊目『魂の錬金術 エリック・ホッファー全アフォリズム集』エリック・ホッファー:中本義彦訳(作品社、2003年)/「沖仲仕の哲学者」と呼ばれた人物だ。ホッファーは社会哲学者でありながら、65歳になるまで港湾労働の仕事をやめなかったという。一読して驚嘆した。視線が地べたに据えられている。徹底した相対性がニヒリズムの領域にまで達している。肉体を駆使する者には形而上学の嘘を見抜く智慧がある。冷徹にして冷厳な眼差しが人間と社会をじっと見つめる。その警句は手垢まみれの価値観に唾を吐きかけるような辛辣さに満ちている。何らかの運動や行動に情熱を燃やしている人は必読のこと。頭から冷や水をぶっかけられること間違いなし。エリック・ホッファーの感性はブッダやクリシュナムルティに至る門となり得る。
2012-06-06
清水克悦、竹村牧男、上村勝彦
3冊挫折。
『神奈川歴史探訪ウォーキング 鉄道各駅から気軽に楽しめるルートガイド』清水克悦〈しみず・かつよし〉(メイツ出版、2009年)/写真が豊富で最初の手掛かりとしてはよいと思う。ただ当然ながら総花的で底の浅い観光案内といった程度の代物だ。オススメ飲食店情報はまったく当てにならない。自分で検索すべし。
『インド仏教の歴史 「覚り」と「空」』竹村牧男〈たけむら・まきお〉(講談社学術文庫、2004年/講談社現代新書、1992年『「覚り」と「空」』を補正)/初心者向き。一部だけ飛ばし読みした。日本の仏教ルール(伝統的思考法)が仏教書をつまらないものにしている。そろそろ新しい人が登場しないと仏教界は苫米地英人にやられてしまうことだろう。これからの仏教研究は科学的アプローチとキリスト教との比較思想が不可欠だ。
『バガヴァッド・ギーター』上村勝彦〈かみむら・かつひこ〉訳(岩波文庫、1992年)/あな恐ろし。クリシュナムルティが散々こき下ろしている『バガヴァッド・ギーター』だが、ブッダに及ぼした影響を各所に見ることができる。私はブッダが生まれた時代背景を調べるつもりで読んだのだが、危うく搦(から)め捕られるところだった。危ない、危ない(笑)。ヒンドゥー教の聖典『マハーバーラタ』の第6巻が『バガヴァッド・ギーター』である。クリシュナ神とアルジュナ王子の対話で構成されている。4分の3ほどを飛ばし読みした。大乗仏教におけるヒンドゥー教の影響は研究の価値があるように思う。
2012-06-03
新約聖書の否定的研究/『イエス』ルドルフ・カール・ブルトマン
・目指せ“明るい教祖ライフ”!/『完全教祖マニュアル』架神恭介、辰巳一世
・新約聖書の否定的研究
・神の支配とは何か?
・教条主義こそロジックの本質
・『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹
・『世界史の新常識』文藝春秋編
・『宗教の倒錯 ユダヤ教・イエス・キリスト教』上村静
・『イスラム教の論理』飯山陽
・キリスト教を知るための書籍
原著が刊行されたのは1926年のこと。大正15年である。ドイツでは前年にナチ党が再建され、アドルフ・ヒトラーが獄中から『我が闘争』の第一巻を発表している(ルドルフ・ヘスの口述筆記による)。
ルドルフ・カール・ブルトマン(Rudolf Karl Bultmann, 1884年8月20日 - 1976年7月30日)は、20世紀を代表するドイツの新約聖書学者。 新約聖書の史的・批判的研究に一時代を築くとともに、聖書の非神話化(非神話論化)と実存論的解釈の方法論を提唱し、キリスト教内外に様々な議論を引き起こした。(Wikipedia)
ってことはだ、42歳のブルトマンが著したことになる。ウーム、言葉が出ない。
中級者向け。ある程度キリスト教の知識がなければ歯が立たないことだろう。私のキリスト教理解は格段に深まった。というよりは、むしろ「キリスト教の勉強に一区切りついた」と思わせるほどの内容であった。実際、本書を読んだ後で食指が動くキリスト教関連書は見つかっていない。
ブルトマンは冒頭で史観について講ずる。
歴史の真の理解は、いつでも歴史との出会いにおいて実現されます。その出会いにおいて歴史の求めに耳を傾けるのです。その意味はこうです。つまり歴史を理解しようと願う者は、自分自身についての理解を、歴史の中で出会う自己理解の諸可能性に照らして疑ってみる覚悟がなければならないということです。それは、そうすることによって自分自身についての理解が解明され、豊かにされるためであります。こうしてその人は歴史との対話の中にはいりこみ、歴史の求めはその人に決断を要求するのであります。歴史の認識とともに自己の認識が形成され、成長していきます。(日本語版への序文)
【『イエス』R・ブルトマン:川端純四郎、八木誠一訳(未來社、1963年)以下同】
歴史は、その本質的なものをとらえんとする場合、人がその環境、自然を観察し、観察しながらそれを研究するようには、「観察」することのできないものなのである。人間と歴史の関係は、自然との関係とは違ったものなのだ。人は自己本来の姿を捉(ママ)える時、自己自身を自然とは区別する。観察しながら自然に向かう時、人はそこに彼自身ではない事物だけを確認する。それに反して歴史に向かう時はこう言わざるを得ない。すなわち彼は自身歴史の一部であり、それ故一つの連関(作用連関)に当面しているのであり、その連関の中に彼自身の存在が組み込まれているのだ、と。
叙述はただ【歴史との絶えざる対話】でしかあり得ない。
E・H・カーといい勝負ができそうだ。歴史も事実も観察者の立つ位置によって姿を変える。つまり我々は世界を部分でしか捉えることができないのだ。イエスその人も同様だ。ある人物の全体性(=100%)を知ることは不可能だ。まして2000年も前の人物であれば尚更のこと。こうした限界性を示した上でブルトマンは次のように指摘する。
およそ150年来イエスの生涯、人となり、その内的発展等について書かれたものは、――批判的研究でなかった限りでは――空想的小説的であった。
何と巧妙な手口だろう! 読者の思考を歴史という逆らい難い枠組みで雁字搦(がんじがら)めにした上で、「イエスについて書かれたものはフィクションであった」とバッサリ斬り捨ててみせる。門外漢であれば、この激しい落差に知的スリリングを覚えずにはいられないはずだ。
従って【イエスの教説】とか【イエスの思想】とか言うとき、それは誰にでも納得出来るような普遍妥当的理想的思想体系という意味ではない。そうではなく、思想というとき(ママ)、それは時の中に生きている人間の具体的状況と切り離せないものとして理解されてりう。すなわちそれは、動きと不確実性と決断の中にある、自身の実存の解釈なのである。それは、この実存の把握が可能であるという表現なのである。
先に説かれた歴史は思想に直結していた。すなわち「信仰者は教祖を利用して“自ら”を語っている」ということだ。神と自我――これこそキリスト教にまつわる一大テーマである
・社会を構成しているのは「神と向き合う個人」/『翻訳語成立事情』柳父章
多分ブルトマンが言いたかったことはこうだ。「てめえら実際のイエスを知りもしないくせしやがって、好き勝手に“自分の”神を語ってんじゃねーよ」。そう。ブルトマンは神学界のパンクロッカーであった。
彼が実存に思い至ったのは、神を通して自分を見つめていたからに他ならない。西洋の知的伝統の凄まじさを垣間見る思いがする。
【史料】が私達に与えるものは、実際さしあたりは教団の宣教なのである。ただし教団は勿論それを大部分イエスに帰している。だからと言って、教団がイエスに語らせる言葉は、皆実際彼の語ったものであるということが証明されたことには勿論ならない。多くの言葉については、むしろ教団で初めて成立したこと、他の言葉については、教団の手が加わっていることが証明される。
知性とは懐疑であり否定である。その意味では何もかもありがたがって鵜呑みにする信仰の極北に位置する。理性と感情というテーマは知性と信仰に置き換えることも可能だろう。だが実は、これがブルトマンのテクニックであることが判明する。
成程イエスは本当にいたのかという疑いには根拠がないし、一言の反駁の価値もない。把握可能な最初の段階は最古のパレスチナ教団なのであるが、その教団の歴史的運動の背後に立つ創始者がイエスであったことは全く明らかである。しかしながら教団が、イエスとその宣教の姿をどの程度まで客観的に忠実に保存したかというのは、また別の問題なのである。この事情はイエスの人となりに関心をもつ人々にとっては、憂欝もしくは破壊的である。
「イエスが本当にいた」という言説にも根拠がない。存在するのは「他人が語った言葉」だけだ。
・『仏教とキリスト教 イエスは釈迦である』堀堅士
・イエス・キリストの言葉は存在しない
私は「いなかった」と思う。しかしながら2000年以上も語られている以上、ドラえもんや星飛雄馬と同じ程度の存在性は認めるべきだろう。つまり神は概念として存在するのだ。
ブルトマンはキリスト教に否定的な態度をとることで知的信頼を取り寄せようと企図したのだろう。私はそう思う。本書を読めばゴリゴリのロジックにたじろぐことは確実だ。恐ろしいことに、その合理性や整合性には不思議な魅力がある。脳のシステムは合理を求める。ブルトマンは人々のシナプスを心地よく接続する。だけど俺は騙されないよ(笑)。
・「実存論的神学と他者の問題」太田修司(PDF)
・現代世界のキリスト教
・本覚論の正当性/『反密教学』津田真一
2012-06-02
ジェフリー・ディーヴァー
1冊読了。
30冊目『ソウル・コレクター』ジェフリー・ディーヴァー:池田真紀子訳(文藝春秋、2009年)/リンカーン・ライム・シリーズの第8作。上下二段で500ページを超えるボリュームだが二日間で読了。『青い虚空』と似た系統である。電子タグなどから個人のあらゆる情報をデータマイニングする巨大企業が登場する。殺人鬼は被害者のあらゆるプライバシーに精通し、まったく関係のない第三者を犯人に仕立て上げた。しかも用意周到に犯罪の物証まで揃えていた。リンカーンの従兄弟であるアーサー・ライムが犠牲者となったことから判明するわけだが、この従兄弟とリンカーンの関係も複雑なものだった。ま、粗(あら)を探せば、二つ三つ四つくらいは直ぐ見つかるが、それでも尚このシリーズは勢いを失ってはいない。
2012-05-31
「恥と気高さ」為末大
恥を知らない人はつまり、プリンシパルがない。恥ずかしいと思う領域がない。これをしてしまえば自分で自分を尊敬できないという領域がない。そういう人は周囲に尊敬されない。そしてたぶん本質的な事を言えば、その人は自分自身を気高いものとして尊敬していない。
— 為末 大さん (@daijapan) 5月 30, 2012
◎恥と気高さ
2012-05-30
facebookがユーザーの名前や写真を外部サイトへの広告などに利用する
【重要】金曜日から、facebookがユーザーの名前や写真を外部サイトへの広告などに使うことができるようになるそうです。初期設定では使用許可になっているので要注意! Home→アカウント設定→Facebook広告→第三者が表示する広告→「非公開」に変更すればOK
— kotomoさん (@_kotomo) 5月 30, 2012
実際、フェイスブックはユーザーのデータを使って何かしているのか。もちろんだ。フェイスブックからログアウトしても、フェイスブックはユーザーの行動を追跡する機能を持っていたのである。
【鈴木傾城〈すずき・けいせい〉】
・アナタは四六時中Facebookに追跡されている!? このリスクと対策について
ホロコースト詐欺事件 アメリカで5500人が賠償金不正受給
ホロコーストの犠牲者にまだ補償金が分配されていない段階で、残余分が「おそらく数十億ドル」になることがどうして分かるのか、誰が考えても不思議だ。さらに言えば、どれだけの人数が受給資格を満たしているかさえ、まだ分かってはいないのである。それともホロコースト産業は、初めから「おそらく数十億ドル」が残るのを知っていて、「困窮するホロコースト犠牲者」の名で補償金を集めたのだろうか。ホロコースト産業は、ドイツやスイスの和解案が生還者にごくわずかな額しか割り振っていないとして、強い不満を訴えた。しかし、なぜ残余分の「おそらく数十億ドル」を使って分配金の不足分を補填しないのかは、明らかにしていない。 予想されたことだが、これにホロコースト生還者たちは激怒した。
【『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン:立木勝〈たちき・まさる〉訳(三交社、2004年)以下同】
(スイスからの和解金12億5000万ドルの内)8億ドルから正当な請求をすべて処理した後に残る金額、すなわち和解金の「残余分」は、直接ホロコースト生還者にか、またはホロコースト関連の活動に携わる各ユダヤ人組織に分配されることになっている。しかし現実には、残余金はほぼ間違いなくユダヤ人組織に流れる。決定権を持っているのがホロコースト産業だということもあるが、当分の間は分配が行なわれないというのもその理由だ。実際に分配が行なわれる頃には、本当のホロコースト生還者はほとんど生きていないだろう。
◎ノーマン・G・フィンケルスタイン
2012-05-28
マイケル・S・ガザニガ、ロバート・B・パーカー
1冊挫折、1冊読了。
『人間らしさとはなにか? 人間のユニークさを明かす科学の最前線』マイケル・S・ガザニガ:柴田裕之訳(インターシフト、2010年)/懇切丁寧な文章が冗長に感じた。もっと端的に書くべきだ。
29冊目『突然の災禍』ロバート・B・パーカー:菊池光〈きくち・みつ〉訳(早川書房、1998年/ハヤカワ文庫、2005年)/シリーズ第25作。やはり久し振りに読むと面白い。昨日一日で読了。レイチェル・ウォレスとリタ・フィオーレの登場もファンにとっては嬉しい限り。もはや、「大人の童話」として読むのが正解であろう。スーザンの前夫をスペンサーが助けるという筋書きだ。スペンサーの騎士道精神を表現するためにスーザンは道化役と化している。多くの男性にとってスペンサーは辿り着くべきユートピアといってよい。香山二三郎〈かやま・ふみろう〉の解説は余計だ。
2012-05-27
海堂尊〈かいどう・たける〉が語る仕事「一点突破の足場を作る」
人は打たれ強くなれる
何を言われても死にはしない
今の日本があちこちで停滞していると言われることに、僕は憤りを感じます。年かさの人間が、「若い人材がいない」と嘆くことも同じようにやり切れない。僕が医療の世界に居ながら小説を書いたことも、アカデミズムの世界では眉をひそめられる行為です。本当にそれでいいのかと思いますね。
戦国時代や明治維新などの激動の時に、日本は素晴らしい若い人材が輩出していますが、あの時代が異常だったのかと言えばそうではない。もともと私たちは進取の気性に富んだ国民なのです。しかし安定した時代が続く日本では、力を持った年配者が自分の権限にしがみつき、未来の子孫の時間や、伸びていく可能性や、彼らに投入すべき資金を食い潰してはいないでしょうか。権限を持っている人間が自分の力を10割行使するのではなく、せめて8割くらいまでにとどめ、残る2割を若い人にすっかり預けてみる度量は発揮できないものでしょうか。仕事はそうやって、若い人間が思い切って実行することで飛躍点を見つけてきたと思うのです。
逆に、行き詰まりを感じている若い人は、正しいと思うなら周囲の顔色をうかがわずにやんちゃをしてみてください。本当に社会のためになることなら、組織の中に反対者が大多数であっても、見ている人はちゃんと見ている。現代では、どんな発言や行動をしても命まで狙われることはないでしょう。自分の信じることを見つける、それを必死で主張する。それくらい面白い仕事の仕方はないと思いますよ。
攻撃してくる人には習性がある
たたかれている時には、人から疎まれている事実だけで精神的にへとへとになります。僕も気持ちが真っ暗になることもありました。でもいろんな方面からたたかれているうちに、それが正しい理論で発言されているのではなく、個人の立場を守るための保守的な見解だったり、組織の役割を維持するための後ろ向きな態度からだったりするのだと見えてきました。結局、攻撃してくる人は、自分の足元が脅かされるのが怖いんですよね。
もしあなたが多くの部下を持つ人なら、押さえつけ守っている自分の領域に、若い人が呼吸できる場所を与えて上げて欲しい。やるべきことを見定めている若い人なら、攻撃してくる人の気持ちの底を見てください。そして慣れていくこと、タフになっていくことです。
僕が続けていた剣道で教えられたことは二つ。「集中力」と「今一時(いっとき)」ということです。相手と相対して面を打つ。決まればこちらの勝ちで、返されれば向こうの勝ち。剣道ほどの瞬時の決断を迫られることは、人生の局面ではそうはないと思うけれど、打たれても型が分かる。打たれ強くなりながら、自分の目的に近づいていけばいいのです。(談)
【朝日求人 2012-05-27】
2012-05-26
片山さつきと世耕弘成
われわれの社会で為されている競争が常に公正で、すべての人間に均等な機会が保障されていると言い切れる者だけが、生活保護受給者に石を投げることができるはずなのだが、片山さつきと世耕弘成は、投げるんだろうな。
— 小田嶋 隆さん (@tako_ashi) 5月 25, 2012
・次長課長河本氏の母親生活保護について片山さつき・世耕弘成議員のTL+書評家・豊崎由美さんとコラムニスト小田嶋隆さんのご意見
・バッシングに便乗 小宮山厚労相こそよっぽどのワル
・生活保護
佐野眞一「東電の人たちには言葉を失うという感覚がない」
報ステ、作家佐野眞一さん。「一番大切なのは”身につまされる”という感覚ではないか。原発周辺の世界を見よ。豚が共食いをし誰もいない町に桜が咲く。東電の人たちを見ていると、言葉を失うという感覚がない。鈍感すぎる。世界に恐怖をもたらしているというひりひりした感情がない」
— acaciaさん (@greenEcho64) 5月 25, 2012
ロボットが人間の代わりに売春すると家庭円満になる!?
ロボットが性風俗を支配するようになったら、性病リスクや不貞行為による家庭不和が解消できるかもしれない……。そんなユニークな構想をふたりの学者が発表しました。
ニュージーランド人の学者ふたりが『Futures』に論文を発表
同構想を公表したのは、ニュージーランドのウェリントンビクトリア大学でツーリズムを教えるミッシェル・マールス経営学教授と性科学者のイアン・ヨーマン氏。ジャーナル誌『Futures』5月号で論文「ロボット、人、そして売春ツアー」を発表しました。
「ロボットによる売春ツアーは実現可能です。社会とマシーンは密接に結びついています。私たちはますます精巧なテクノロジーを持ち続けることになるでしょう。
中でも買春旅行産業におけるロボット開発は将来有望な分野のひとつ。商用セクサロイドを使えば、性病リスクはなくなり、生身の人間による売春行為もなくなります」
2050年、アムステルダムの赤線地帯はロボットが支配する!?
ふたりはこのアイデアを広めるため、2050年のアムステルダムにある赤線地帯を想定。人間の代わりにセクサロイドが売春ツアーで活躍する様子を論文にしました。
その内容は以下の通り。空想上のクラブ『Yub-Yum』で、肌を露にしたセクサロイドが客寄せをします。マッサージ、ラップダンス、性交渉までを含めたパッケージ価格で約1万~1万3千ユーロ(日本円にして100万円以上)が相場になると予測。
論文には、人身売買の蔓延やHIVの薬物耐性株の急騰により、2040年代にアムステルダムの官僚職員らが売春ロボットを容認する動きに出ると記されています。都市観光旅行委員会は規制により観光客離れが起きることを恐れ、売春宿を閉鎖したがらないというのです。
そこで解決策として、官僚職員らが出した答えが“セクサロイド”です。
不貞の相手がロボットなら衛生面も安心で家庭不和にもならない!?
セクサロイドはバクテリア耐性のあるファイバーで作られ、使用するたびに清掃するので衛生的。したがって顧客間において性病が移る心配はありません。
また、顧客は買春をする相手が人間ではないため、罪悪感を持つ必要もありません。これで配偶者に嘘をつく必要もなくなると研究者たちは述べています。
こうしたセクサロイドの開発は、性風俗産業の発展、および人間では到底成し得ない欲望の追求が可能になると指摘。研究者は美容整形の人気を類似例として挙げています。
課題も残るセクサロイド・ビジネス
2012年現在、日本と韓国では既にセクサロイド・ビジネスが存在しています。「セクサロイド・ビジネスの成功は、そのような時代の到来を予言している」と両学者。
とはいえ、人間ではないからといってセクサロイドとの不貞行為なら許すのか、人々がロボットとの性交渉を本当に望んでいるのかなど、多くの疑問が残るのも事実。
売春ロボットが女性たちの雇用の場を奪うとも考えられます。ロボットは超人的な仕事を担うことができ、また休む必要がありません。二人の研究者によるYub-Yumシナリオには、アムステルダムの風俗労働者たちによるデモの様子も描かれています。
また、異なる人種、体型、年齢、言語および性癖の違いについても懐疑的です。子どものように見えるロボットや、先住民や従順なアジア女性など人種的ステレオタイプを体現するロボットが出現した時、どのように対処していくかも課題となることでしょう。
こうしたさまざまな課題を含みながらも、「そのような提案が実現した場合」と彼らの論文は締めくくります。「アムステルダムはおそらく世界で最も安全で最良の買春旅行目的地となるでしょう。また、買春旅行に関連した社会問題は夜通しで消えることとなる」
いかがでしたか? 日本では架空創作物の規制を含む児童ポルノ法の改正が取り沙汰されていますが、アンドロイドの分野においては、生身の人間の代わりにロボットを有効活用しようとする動きがあるようです。
テクノロジーの発展によって、見た目も中身も思いのままにできるセクサロイドが誕生したら、人と人との関わりはどのようになっていくのでしょうか。とても興味深いですね。
【Menjpy! 2012-04-25】
「とても興味深いですね」だと? まったく馬鹿丸出しの記事だ。尖鋭化(せんえいか)された欲望は必ず暴力性を生む。むしろ、「支配への憧れ」そのものが純粋な暴力性と考えられよう。
我々は本当に奴隷を手に入れたいのだろうか? 違うね。支配する快感を欲しているだけだ。満たされない自我はそうすることでしか満足することがないのだろう。
いっそのこと妻や子供もロボットにしてしまえばよい。最終的には自分もロボット化すれば、世界は今よりも平和になることだろうよ。
◎米国で疲れも恐怖も感じない兵士を作るプロジェクトが進行中
米国で疲れも恐怖も感じない兵士を作るプロジェクトが進行中
戦場で一切疲れも恐怖も感じない兵士。これは近未来のロボット兵士の話ではない。現在、米国防総省の資金提供のもと、生身の人間で実際に行なわれているニューロ・サイエンス(神経科学)の研究だ。「将来、人間の身体と機械が物理的に結合する可能性がある」。そう語る米大統領の生命倫理委員会上級スタッフ、ジョナサン・D・モレノ博士が、近未来兵器「操作される脳」の実態を明らかにする。
恐怖心のない兵士を作るプロジェクトで、研究者が着目しているのが、心臓病の治療薬として用いられるβ(ベータ)ブロッカー(交感神経β受容体遮断薬)だ。この薬は交感神経のアドレナリン受容体のうち、β受容体のみに遮断作用をするものだが、この薬を服用していると感情が平坦になることが分かっている。そこで暴行被害などで精神的外傷ストレス障害(PTSD)を負った人に、心理療法やカウンセリングと共にβブロッカーを与えることが行なわれるようになった。
βブロッカーには情緒的な激しい感情の記憶を遮断する作用があるようだ。否定する科学者も一部にいるが、そのうち改良が進めば戦場の兵士に有効になると多くの科学者が思っている。
民間の科学者の中には、米国防総省国防高等研究計画局(DARPA=ダーパ)から資金提供を受けるこれらの研究は問題だと指摘する者がいる。マインドコントロールの実験台になっていると批判する声もある。しかし、例えば脳と機械を融合させるブレイン・マシン・インターフェースの研究は、義肢などの補綴器具の開発に寄与するはずだし、睡眠不足防止プログラムの研究は、眠りたい時だけに眠りたいという人の需要を掘り起こすだろう。さらにアルツハイマー病などの脳疾患に対する理解が進み、画期的な治療法が見つかる可能性がある。
その一方で兵士の感情をコントロールするといった研究を突き詰めていけば、人間であるとはどういうことかという倫理的な命題に突き当たることは確かだ。こうした問題については、神経科学者、当局関係者、一般市民の代表などが、慎重かつ冷静に議論していく必要があるだろう。
【『SAPIO』2012年4月25日号】
フーム、究極のポジティブシンキングというわけか。人間のオズマ化が進行中。大多数の人々は「操作される対象」と化す。
小田嶋隆の言葉を思い出さずにはいられない。「我々ゲーマーは、戦争みたいな、洗練度の低い、質の悪いゲームにはつき合わない。せいぜい高見の見物を決め込んで、嘲笑するだけだ」(『パソコンゲーマーは眠らない』)。
国家という権力システムが国民を労働者、兵士、ロボットに仕立てるのであれば、この世界に「社会」などというものは存在しない。テクノロジーの進歩はことごとく「人間を手段化」する方向へ向かうのもおかしな話だ。むしろ権力を解体する方向へとシフトすべきだろう。
権力は富の集中となって具体的な姿を現す。使い切ることもできない資産を有する彼らが、世界中に貧困をばらまいているのだ。発展途上国から搾取し続けているのはアメリカ、イギリス、フランスであり、こうした国々に不幸な世界を築いた真犯人がいることは疑問の余地がない。
彼らの手からテクノロジーを奪い返す必要がある。さもなければ、生まれたばかりの赤ん坊にチップを埋め込まれるような時代がすぐそこまで来ている。
・マイクロチップ
・マイクロチップを脳に埋め込んで人をコントロールする。
・脳に埋め込んだマイクロチップでロボットアームを操作する猿
・ロボットが人間の代わりに売春すると家庭円満になる!?
・レイ・カーツワイルが描く衝撃的な未来図/『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
2012-05-23
2012-05-22
太陽でもスーパーフレアが起きる可能性がある
太陽でも「スーパーフレア」起きる?日米で論争
地球から遠く離れた太陽に似た天体で観測される「スーパーフレア」と呼ばれる超巨大な爆発現象を巡り、17日の英科学誌ネイチャー(電子版)誌上で日米の研究者の学術論争が起きている。
京都大グループが天体観測の結果から「私たちの太陽でも起きる可能性がある」と主張、これに米国の天文学者が「理論的にありえない」と反論している。
スーパーフレアは、太陽表面で起きる爆発現象「太陽フレア」の最大1万倍にも達する。太陽で起きれば強烈な電磁波が地球を襲い、電子機器があふれる社会は壊滅状態に陥るという。
京大付属天文台の柴田一成教授らは、米航空宇宙局(NASA)の人工衛星が観測した太陽系外の天体16万個のデータを分析、太陽に似た10の天体で、14回のスーパーフレアが起きていたのを確認した。
スーパーフレアは、太陽に似た天体が、近くを回る地球の10倍ほどの巨大惑星の磁場の影響を受けて起きるとされる。太陽の近くには巨大惑星はないが、スーパーフレアを起こした10の天体の近くにも巨大惑星はなかった。このことから、「太陽でもスーパーフレアが起きる可能性がある」とネイチャー誌で結論づけた。
これに対し「巨大惑星説」を唱える、米・ルイジアナ州立大の研究者は、同誌上で「理論上、天体の近くに強力な磁界がないと起きえない。過去2000年の間に地球上での観測記録はなく、太陽では起きていない」と反論。柴田教授は「観測機器が発達していない時代に肉眼で見えないスーパーフレアは観測できない」として「今後、発生を示す科学的な補強材料を見つけたい」という。
【YOMIURI ONLINE 2012年5月17日】
◎巨大な太陽フレア
◎CNN
◎“金環日食”どころじゃない!“太陽の大異変”が地球を襲う
◎NICT 宇宙天気情報センター
◎NASAが撮影した巨大な太陽フレア
大沢伸一が警察から正式な謝罪を受けたことを報告
大沢伸一が2011年12月14日に逮捕された件について、警察から本人に正式に謝罪があったことを報告した。
彼の容疑は、部下の女性に対し「取引先の男性の相手をしてほしい。そうしないと会社がつぶれる」と命じ、都内のホテルで男性とわいせつな行為をさせたというもの。準強姦の疑いで警視庁野方署に逮捕されたが、本人は「身に覚えがない」と容疑を全面的に否認し、4日後の12月18日に処分保留で釈放。今年に入って不起訴処分と裁定されていた。
大沢は自身のオフィシャルサイトで「僕の嫌疑に対する捜査に於いて、初期に在宅捜査をキチンとやって頂いていれば、間違って僕が逮捕されることも、僕の名誉が傷つけられることもなかったと思っています。その事に対して警察署長、副署長、刑事課長さんらが直に謝って頂けた事は僕にとって大変大きな意味のあることです。何よりも僕の心に出来てしまった根拠のない不信感、不安感を払拭し、良い方向に向けるきっかけになると思っています。国民を守って頂く立場の警察を信用出来ないという怖さから少しでも解放された気がします」とコメント。
また「この数ヶ月間で自分自身も成長しましたし、ファンの方々や関係者の方々、友人、そして松浦社長をはじめとする我がAVEXのみんなに大変勇気づけられここまでやって来れました。そして今回の事を良い意味で糧にし、さらに精進し音楽活動に励んで行きたいと思っています」と現在の心境をつづっている。
【ナタリー 2012-05-21】
2012-05-21
孤なる魂をもつ者/『千日の瑠璃』丸山健二
・『メッセージ 告白的青春論』丸山健二
・20世紀の神話
・風は変化の象徴
・オオルリと世一
・孤なる魂をもつ者
・紋章
・『見よ 月が後を追う』 丸山健二
・必読書リスト その一
私は野良犬だ。
昼夜の別なくまほろ町をうろつくせいで、少年世一と出くわすことがどこの誰よりも多い野良犬だ。躰は小さく、従って餌代も安くつき、無駄吠えも少ないというのに、結局私は飼い犬になれなかった。つらつら惟るに、白と黒という毛の配色が、どうしても不吉な印象を与えてしまうのだろう。もっともそのおかげで私は、人間に飼われている犬や、犬を飼っている人間の何倍もの自由を手に入れることができたのだ。
そうはいっても、私の自由の大きさを真底わかってくれているのは、世一ただひとりでしかなかった。少なくとも私のほうは、世一のそれを充分理解しているつもりだった。ほかの人間は皆人間以外の何者でもなかったが、しかし世一だけは違って見えた。彼は人間でありながら、同時に人間以外のすべてでもあった。そして私たちはいつも、互いに意識するあまり、無言ですれ違っていた。たまに眼と眼が合ったりすると、私たちは眩いばかりの自由な身の上にあらためて気づき、大いに照れてしまい、卑下さえもしたくなり、足早に立ち去るのだった。
ところがきょうの私たちは、葉越しに見える月の力を借りて、声を交した。私は、所詮見限られた者同士ではないかという意味をこめて、「わん」とひと声吠えた。すると世一はぴたっと歩みをとめ、振り向きざまにこう言った。「されど孤にあらず」
(11・5・土)
【『千日の瑠璃』丸山健二(文藝春秋、1992年/文春文庫、1996年)】
数日前から何となく手にとってはパラパラとページをめくっている。初めて読んだのは1998年のこと。丸山のエッセイは数冊読んでいたものの小説は初めてだった。物語性には欠けるが濃密な文体と千の視点に圧倒された。私は仏法で説かれる一念三千の法理が何となくわかったような気になった。智ギ(天台)によれば、己心の一念に三千の諸法が具(そな)わっているという。
まほろ町という小宇宙を千の視点から物語る。その中心に位置するのは身体の不自由な少年・世一〈よいち〉である。丸山は田舎町を嘲笑し、作家という職業をも愚弄(ぐろう)する。世一の役回りは神ではなく鏡だ。本書で名前を付与されているのは世一ただ一人である。つまり世一以外は類型(モデル)にすぎない。
知的障害をもつ世一が時折、言葉を放つ。ひょっとしたら我々の周囲にいる障害者や病人はそうした役を演じているだけなのかもしれない。私はいささか介護の経験があるのだが、本当に力がある人間はボディビルダーのような人々ではなく、身体障害者であると思っている。腕や脚、はたまた半身が鉛のような重さとなっているのだ。リハビリの苦しさは筋肉トレーニングの比ではないという話も聞いたことがある。
仏法では人間が生きる世界を「世間」と名づける。出世とは「出世間」の略である。世間の本質は差別だ。社会は必ずヒエラルキーを形成し、大半の人々は部下・奴隷・兵士の役目を押しつけられる。そして出自・学歴・スキルによって報酬が異なる。
我々は人間の価値を「いくら稼いでいるか」で判断する。だが野良犬と世一は違う。
【付記】久々に『千日の瑠璃』を調べたところ、何とガジェット通信で全文が配信されることを知った。
・ガジェット通信:丸山健二
・丸山健二
2012-05-20
軽減措置のない日本の消費税は現行の5%でも欧米の基準でいえば20%に相当
デーブスペクター、テレ朝のスクランブルで、軽減措置のない日本の消費税は現行の5%でも欧米の基準でいえば20%に相当すると大暴露。思わず笑ってしまった。欧米では消費税のかからない品目が多数ある。その意味でも日本の消費税が理不尽である事を暴露したのだ。どんどん言ってくれ(大笑い)。
— 阿修羅さん (@ashura820) 5月 18, 2012
介護殺人や介護自殺、日本で社会問題に
長い介護生活に疲れて親や配偶者を殺害する、いわゆる「介護殺人」事件が日本で年間40-50件ほど発生している。だが、裁判所は大半の場合、介護の苦痛を理由に執行猶予を付けるなど、比較的軽い刑を科している。昨年、日本の裁判所は寝たきりだった92歳の母親を殺害した長男(66)に対し、懲役3年、執行猶予5年の判決を言い渡した。裁判官は情状酌量の理由について「献身的な介護を10年以上続けており、被害者に対し、深い愛情をもって接していたことに疑いの余地はない」と説明した。被告は法廷で「回復が見込めない母親をこれ以上苦しませたくなかった」と証言した。
介護殺人を犯した人の大半は警察に自首するか、自殺を図る傾向にある。今月10日には東京で、10年間寝たきりだった妻(64)の首を絞めて殺害した容疑で、夫(68)が逮捕された。自殺しようとしたが失敗して自首した夫は、警察で「介護に疲れた。何もかも早く終わらせたかった」と供述した。
介護に疲れて自ら命を絶つ「介護自殺」も、日本で年間300件を超える。終わりの見えない介護でうつ病などを患い、自殺するケースだ。芸能人も例外ではない。2009年には、かつて歌手や女優として活躍した清水由貴子さん(49)が父親の墓前で自殺しているのが見つかり、人々に衝撃を与えた。遺体の横では、車いすに座った母親が意識を失っていたという。清水さんは一人暮らしをする母親の面倒を見るため、06年に芸能界を引退して面倒を見てきたが、いつ終わるとも知れない介護生活に耐えられなかったようだ。
日本で先ごろ、親や配偶者の介護をしている8500人を対象に調査した結果、4人に1人はうつ状態で、65歳以上の30%は自殺したいと答えた。
親の介護で結婚をあきらめ、独身のまま暮らす人も急増している。その中には、会社勤めが難しいため、アルバイトなどで生計を立てている人もいる。また、自由になる時間がないため、異性と出会うチャンスもない。こうした人々は、貧困と介護、孤独という三重苦にさいなまされ、自殺に追い込まれる可能性が高い、と専門家たちは警鐘を鳴らしている。
日本政府は2000年4月、高齢者の介護を支援するための介護保険を導入し、在宅介護、施設での介護など高齢者福祉に取り組んでいる。だが、急速な高齢化で高齢者が急増し、施設入所待機者も大幅に増えている。日本政府は介護問題による社会的損失を防ぐため、一定額を払えば回数や時間の制限なく訪問介護を受けられる制度を4月から導入した。だが、ヘルパーの人材不足に加え財源の捻出も難しいため、制度の適正な運営態勢が十分に確保されていない。
東京=車学峰(チャ・ハクポン)特派員
【朝鮮日報 2012-05-20】
2012-05-18
2012-05-15
雲龍院(京都)
龍華殿(りゅうげでん)の玄関か。目を凝らすと右側に女性の観光客が写っている。タテとヨコの線が絶妙な緊迫感を生んでいる。mosbies' photostreamさんの写真は、エッジの効いた陰影が物語性を紡ぎ出す。
2012-05-14
UQ WiMAXの破壊力
友人から教えてもらったのだが、UQ WiMAXの破壊力が凄まじい。まず工事が不要である点が挙げられる。次にワイヤレスで煩わしい配線もない。それでいて下り最大40Mbpsの速度を誇る。我が家の光回線とほぼ同じスピードだ。
・ワイヤレスで快適!
「UQ Flat 年間パスポート」であれば月額3880円で使い放題。そして最大の破壊力は「WiMAX機器追加オプション」だ。なんと月額200円で2台のルーターを追加することができる。
・WiMAX機器追加オプション
つまりサービスエリア内であれば、職場など自宅以外の場所でも使用可能なのだ。
◎サービスエリア
更にスマートフォンとWiMAXを組み合わせることも可能で、「公衆無線LAN自動切り替え」機能が付いている機種もある。
オススメのルーターは「URoad‐8000」で、「特別価格2800円」と表示されているが、「商品詳細/ご購入ボタン」を押すと、「UQ Flat 年間パスポート」の契約で「商品価格1円」となる。スマートフォンやノートパソコンを使う人であれば、1回線の契約であらゆる場面に対応できることだろう。
・「UQWiMAXお友達紹介キャンペーン」商品券3000円分プレゼント!お申し込み有効期間:2012年8月3日~2012年9月2日
2012-05-10
映画『ZEITGEIST : MOVING FORWARD』2011年
・映画『ZEITGEIST(ツァイトガイスト) 時代精神』2007年
・映画『ZEITGEIST : ADDENDUM 』(ツァイトガイスト・アデンダム)2008年
・映画『ZEITGEIST : MOVING FORWARD』2011年
Bloggerで字下げする方法&ソースコードの記述法
やっと解決できた。苦節12ヶ月。ウェブ上における英語基準に辟易させられた。わかってしまえば意外と簡単で1行目に改行を入れるだけ。
HTMLで書く場合は1行目に
<br />を挿入すればよい。
そして今度はソースコードの入力に戸惑ってしまったのだが、クリボウさんが変換ツールを用意してくれている。
◎コードをハイライトする「Code Prettify」ウィジェット