・『トゥルーマン・ショー』ピーター・ウィアー監督
・『すばらしい新世界』オルダス・ハクスリー
・『一九八四年』ジョージ・オーウェル
・『ソクラテスはネットの「無料」に抗議する』ルディー和子
・SNSと心理戦争 今さら聞けない“世論操作”
・『マインド・ハッキング あなたの感情を支配し行動を操るソーシャルメディア』クリストファー・ワイリー
・ケンブリッジ・アナリティカ廃業へ フェイスブックデータ不正収集疑惑で - BBCニュース
キッシンジャー氏(97)は16日、ブルームバーグ・ニュー・エコノミー・フォーラムでインタビューに応じ、「何らかの協力的行動の基盤を見いださない限り、世界は第1次世界大戦並みの惨事へ転がり落ちかねない」と発言。過去に比べ昨今の軍事テクノロジーは、こうした危機の「制御を一段と難しくしている」と指摘した。
【キッシンジャー氏警告、米中修復に待ったなし-世界大戦並みのリスク - Bloomberg 2020年11月17日】
中国ではバイデン当選だと思って気が焦ってこんな動画をポロッと流してしまったという🤮
— 研研くん(BAD MOVIE批評) (@kenken_patent) December 7, 2020
慌てて消しまくってるが時既に遅し。
ディープステートの存在バラしちゃってるし😣 pic.twitter.com/oUCEFNhhoM
ただし、日記と申しても本書は世間一般の概念による日記と異なり、昭和の大戦を中心に、わが生涯の信条と行動に関し、百年の後の人々に訴えんとして、中島司(つかさ)秘書に口述筆記させ、さらに和紙に墨書清書せしめ、百年以上の保存に堪える配慮まで行った原稿である。終戦後3日目より約2年間、毎日襲い来る三叉神経痛の痛みに堪えながら口述したことから考えれば、広い意味において終戦日記と称しても差支(さしつか)えないと思う。(「刊行にあたって」徳富敬太郎)
【『徳富蘇峰終戦後日記 『頑蘇夢物語』』徳富蘇峰〈とくとみ・そほう〉(講談社、2006年/講談社学術文庫、2015年)】
本書は、徳富蘇峰が終戦後の昭和20年8月より22年7月まで口述筆記させた日記『頑蘇夢物語』(全14巻)の1巻から5巻まで(昭和21年1月まで)の内容を小社編集部で選択、収録したものである。(凡例)
率直に言えば、恐れながら至尊(しそん)に対し奉りて、御諫争(かんそう)申上げたい事も山々あった。よって一死を以(もっ)てこれを試みんと考えたことも数回あった。彼(か)れや是(こ)れやで、自殺の念は、昨年来往々往来し、実行の方法についても、彼れや是れやと考えて見た。老人のこと(ママ)だから、間違って死損なっては、大恥を掻(か)く事となる。さりとて首を縊(くく)るとか、毒を嚥(の)むとか、鉄道往生とか、海へ飛込むとかいう事は、物笑いの種である。せめて立派な介錯の漢(おとこ)が欲しいと思って、物色したが、遂に心当りの者も見当らず、彼れ是れ思案しているうちに、また考え直した。それは命が惜しい事でもなければ、死が恐わい事でもない。この際死んだとて、それを諫争の為めと受け取る者もなければ、抗議と受け取る者もなく、勿論(もちろん)反省を促すと受け取る者はあるまい。ある者は徳富老人が前非を悔悟して、その罪を謝せんが為めに、自殺したのであろう、あるいはその必勝論が必敗の事実に対し申訳なく、慚愧(ざんき)の余り、自殺したのであろう。あるいはアメリカに、戦争犯罪人として引っ張らるることを憂慮の余り、気が狂うて自殺したのであろう。その他【ろく】でもない、思いもよらぬ沙語(さご)流言の材料を、世の軽薄子に向かって、提供するの外はあるまいと考え、今ではこの際は恥を忍び恥を裏(つつ)み、自分の意見を書き遺(のこ)して、天下後世の公論を俟(ま)つこととしようと考え、ここに自殺の念を翻えしたのは、沖縄陥落後余り久しき後ではなかった。
古代ギリシアでは、富裕層の市民がレイトゥルギアと呼ばれる民衆のためのイベントにおいて金を出す習慣がありました。アテナイでは、緊急の場合をのぞいて市民から税金を徴収することはありません。その代わりに金持ちがお祭りのための費用、お祭りのメインイベントである演劇や合唱舞曲を上演するための費用、体育行事のための費用などを負担するのです。
これは、私有財産の一部を公共に(一般市民に)贈与することですが、途中からは、寄附とみなされたり、あるいは税金とみなされたりするようになります。
小さな都市国家ですから、誰がいくらお金を出してくれたかは、ウワサですぐに広まります。人気のある悲劇や喜劇の上演にお金を出せば、お金持ちは名誉や評判を高めることができます。レイトゥルギアのなかには、アテナイの海軍の船の維持に必要な経費を出すことも含まれます。多額の経費を負担すれば、1年間海軍のキャプテンに就任するという名誉がついてきます。
こういった人気のあるものなら贈与するが、あまり人気のないものだと誰もお金を出したがりません。仕方がないので、執政官が自発的に申し出なかった金持ちに割り当てます。こうなると、もはや寄附ではなく、税金の意味合いが強くなります。
金持ちがより多くの公共コストを負担するという累進課税は、14世紀のイギリスで始まったと言われます。が、その考え方自体は、古代ギリシアにさかのぼることができるのです。
【『ソクラテスはネットの「無料」に抗議する』ルディー和子(日経プレミアシリーズ、2013年)】
セリアにて。「すみません、麺棒はどこにありますか?」「こちらです」キッチンコーナーから離れてゆく店員。「あ、その綿棒じゃなくって……」というやり取りがあった。予想できたことだが。
— 小野不一 (@fuitsuono) December 3, 2020