・人生の逆境を跳ね返し、泣きながら全力疾走する乙女
・バングラデシュでは、みんな、生きるために、生きていた
・真っ黒な顔の微笑み
・『裸でも生きる2 Keep Walking 私は歩き続ける』山口絵理子
・『輝ける場所を探して 裸でも生きる3 ダッカからジョグジャ、そしてコロンボへ』山口絵理子
・『Third Way(サードウェイ) 第3の道のつくり方』山口絵理子
・『自分思考』山口絵理子
・『地下足袋の詩(うた) 歩く生活相談室18年』入佐明美
・『七帝柔道記』増田俊也
・必読書リスト その一
山口絵理子は「マザー・ハウス」というバッグメーカーの社長である。バングラデシュのジュート(麻)を使用したバッグは、すべて現地工場で製造されている。
小学校に上がって直ぐいじめに遭う。中学では非行少女に。そして高校時代は柔道選手として埼玉県で優勝。一念発起をして偏差値40の工業高校から慶應大学に進学。在学中に米州開発銀行で働く機会を得て念願の夢がかなった。だがそこは、貧しい国の現場からあまりにも懸け離れていた。ある日のこと、山口はインターネットで検索した。「アジア 最貧国」と。出てきたのは「バングラデシュ」という国名だった。1週間後、山口はバングラデシュ行きの航空券を手配した。
山口絵理子は逆境に膝を屈することがない。だが、山口はよく泣く。そして泣きながら全力疾走するのだ。
彼女の生きざまは高校時代の柔道によく現れている。埼玉県内の強豪である埼玉栄高校を打倒するために、男子の強豪である工業高校へ山口は入学する。女子柔道部がないにもかかわらずだ。監督はバルセロナ五輪の代表を古賀稔彦(としひこ)と争ったこともある元全日本チャンピオンだ――
そんな不安を振り切るために練習量を多くしていった。
私は、高校の朝練の前に自宅の前にある公園で一人練習をはじめた。
そして朝と午後の部活が終わってからは学校の1階から5階までを逆立ちで上がるというトレーニングを5往復毎日実践した。
それから電車で30分かけて町の道場に直行し、また2時間練習をし、それからまた家に帰り一人打ち込み、筋トレをする、三食の前にはいつもプロテインという、今思えばゾッとするような日々を365日、休みなく続けた。
私の部屋は、そこら中「目指せ、日本一!」「打倒 埼玉栄!」などと書かれた汚い壁紙でいっぱいだった。
そして、毎日つけている柔道日記は、悔し涙でどのページもはっきりと見えなくなっていた。それでも、勝つことはできなかった。
夏の合宿があった。猛暑の中、私はいつものとおり稽古をした。
監督が久しぶりに柔道着になって私の名前を呼んだ。
「やるぞ!」
私はこの監督との稽古で、通算10回も絞め落とされたのだった。「絞め落とされる」とは、簡単に言えば頚動脈を絞められて、意識を失う状態が10回もあったということである。
私はその稽古中、唇は真っ青になり、青あざのある顔面は鼻水と涙でぐちゃぐちゃになり、どうしようもなくこの場にいるのが怖く耐えられなくなり、脱走を試みた。
自分でもどういった精神状態だったかは正確に覚えていないが、私は柔道着のまま全力で走った。
「もうやだ!」
走る、走る。
「家に帰るんだ! もう柔道なんてやりたくない!」
後ろから、巨漢の先輩が追いかけてくる。
担ぎあげられた。監督の前に連れて行かれ、「てめぇ! 逃げ出す奴がいるか!」
と思いっきり殴られた。
私はプッチンと切れ、思いっきり監督の腹をパンチした。監督は思いっきり私をまた殴った。私は全力で殴り返した。
そんな死闘の末、合宿は終わり、私はもう「やめたい」と本気で思った。人の何倍も練習しているのに、全然勝てない。
練習でこんな目にあって、そして周りからは白い目で見られ、心も体もボロボロだった。
私は泣きながら、部屋に飾ってある「目指せ、日本一!」の壁紙を破り捨て、柔道着を段ボール箱にしまい、柔道をやめる決心をした。
【『裸でも生きる 25歳女性起業家の号泣戦記』山口絵理子(講談社、2007年/講談社+α文庫、2015年)以下同】
私も運動部だったので、彼女の練習量がどれほど凄まじいかがよく理解できる。吐くゲロすら残っていない状況だ。育ち盛りとはいえ、これほどの練習をしてしまえば、今尚深刻なダメージが残っていることだろう。監督を「殴り返した」ことから、ぎりぎりまで追い詰められた彼女の様子が見てとれる。
高校生の山口は泣き明かし、泣き通す――
1週間くらい部屋に閉じこもったままで、ずっと泣いていた。
7冊以上たまった柔道日記を見た。そこには、
「絶対にあきらめない。絶対にあきらめない。あきらめたらそこで何かも終わってしまうから」
と書かれていた。
袖がちぎれて半そで状態になっているボロボロのミズノの柔道着を、段ボール箱から出してみた。
柔道着の裏には、秘密で私がマジックで書いた「必勝」という汚い字が見える。その柔道着を見て、今までの辛い猛練習が頭いっぱいに広がった。
雑巾みたいに、毎日投げられ続けた日々。それでも私は、いつも立ち上がって向かっていった。
投げられても、投げられても、「来い!」って言って私は巨漢に立ち向かっていったはず。
次の日、朝練に向かった。
また地獄のような練習がはじまった。
ずっと練習に参加していなかった私を白い目で見る先輩たち。
練習ではいじめられた。壁にわざとたたきつけられ、引きずり回され、また絞め落とされ、私は吐いた。耳はつぶれてしまったが、それでも頭にぐるぐるテーピングを巻きつけ練習を続けた。
ある日、膝の靭帯(じんたい)を3本も切断し歩けなくなった。
病院に行ったらお医者さんが言った。
「手術をしないと30歳になったとき、確実に歩けなくなる」
勝てなかった山口だったが、3年生の時に埼玉県で優勝。全国大会で7位に輝いた。もう少し手を伸ばせばオリンピックが見える位置まで上り詰めていた。しかし、柔道をやり切った彼女は別の道を選ぶ。
そんじょそこいらの成功物語を自慢気に語るビジネス書ではない。心清らかな乙女の見事な半生記だ。10代、20代の女性は必読のこと。30過ぎの男どもは、本書を読んで己の姿を恥じよ。
・マザーハウス 山口絵理子代表 −志をかたちに−
・株式会社マザーハウス 山口絵理子氏 代表兼デザイナー - 経営者・起業家インタビュー第74回 | Goodfind
・第81回 株式会社マザーハウス 山口絵理子 | 起業・会社設立ならドリームゲート