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2009-07-30

究極のペシミスト・鹿野武一/『石原吉郎詩文集』〜「ペシミストの勇気について」


『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行
『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子
『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル:霜山徳爾訳
『それでも人生にイエスと言う』ヴィクトール・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編

 ・究極のペシミスト・鹿野武一
 ・詩は、「書くまい」とする衝動なのだ
 ・ことばを回復して行く過程のなかに失語の体験がある
 ・「棒をのんだ話 Vot tak!(そんなことだと思った)」
 ・ナット・ターナーと鹿野武一の共通点
 ・言葉を紡ぐ力
 ・「もしもあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない」

『望郷と海』石原吉郎
『海を流れる河』石原吉郎
『シベリア抑留とは何だったのか 詩人・石原吉郎のみちのり』畑谷史代
『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治
『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』長勢了治
『失語と断念 石原吉郎論』内村剛介

必読書リスト その二

 石原吉郎〈いしはら・よしろう、1915-1977〉の詩・散文・日記が収録されている。岡真理著『アラブ、祈りとしての文学』(みすず書房、2008年)で「望郷と海」が紹介されていて、そこから辿り着いた一冊。

 シベリア抑留版『夜と霧』(V・E・フランクル)、あるいは『溺れるものと救われるもの』(プリーモ・レーヴィ)といっていいだろう。極限状況からの生還者は、生還後の思索によって再び極限状況を生きることになる。彼等にとっての現実は、極限状況の中にしか存在しない。彼等は常に、迫り来る死を自覚しながら生にしがみついた過去へと否応なく引き戻される。山男にとっての現実は山頂にしか存在しない。それと同様に彼等は極限状況を志向する。

 人間は追い詰められると“卑小な存在”と化す――

 入ソ直後の混乱と、受刑直後のバム地帯でのもっとも困難な状況という、ほぼ2回の淘汰の時期を経て、まがりなりにも生きのびた私たちは、年齢と性格によって多少の差はあれ、人間としては完全に「均らされた」状態にあった。私たちはほとんどおなじようなかたちで周囲に反応し、ほとんど同じ発想で行動した。私たちの言動は、シニカルで粗暴な点でおそろしく似かよっていたが、それは徹底した人間不信のなかへとじこめられて来た当然の結果であり、ながいあいだ自己の内部へ抑圧して来た強制労働への憎悪がかろうじて芽を吹き出して行く過程でもあった。おなじような条件で淘汰を切りぬけてきた私たちは、ある時期には肉体的な条件さえもが、おどろくほど似かよっていたといえる。私たちが単独な存在として自我を取りもどし、あらためて周囲の人間を見なおすためには、なおながい忍耐の期間が必要だったのである。

【『石原吉郎詩文集』石原吉郎〈いしはら・よしろう〉(講談社文芸文庫、2005年/初出は「思想の科学」1970年4月)以下同】

 これほど恐ろしい表現は他にあるまい――“均(な)らされた状態”。権力者の手によって、シベリアに抑留された人々は均された。それに加えて、堕落という重力も日常以上に強く働いたに違いない。平均化、均質化、一般化された人々は個を失う。もはや彼等は人間ではない。ただの労働力だ。

 良識も自制心も道徳心も破壊される状況にあって、一人の男が異彩の光を放った。鹿野武一〈かの・ぶいち〉その人である――

 このような環境のなかで、鹿野武一だけは、その受けとめかたにおいても、行動においても、他の受刑者とははっきりちがっていた。抑留のすべての期間を通じ、すさまじい平均化の過程のなかで、最初からまったく孤絶したかたちで発想し、行動して来た彼は、他の日本人にとって、しばしば理解しがたい、異様な存在であったにちがいない。
 しかし、のちになって思いおこしてみると、こうした彼の姿勢はなにもそのとき始まったことでなく、初めて東京の兵舎で顔をあわせたときから、帰国直後の彼の死に到るまで、つねに一貫していたと私は考える。彼の姿勢を一言でいえば、明確なペシミストであったということである。

 ここで石原吉郎が使う「ペシミスト」は、悲観論者ではなく厭世主義者の意味であろう。では、鹿野武一は具体的にどのように振る舞ったのか――

 バム地帯のような環境では、人は、ペシミストになる機会を最終的に奪われる。(人間が人間でありつづけるためには、周期的にペシミストになる機会が与えられていなければならない)。なぜなら誰かがペシミストになれば、その分だけ他の者が生きのびる機会が増すことになるからである。ここでは「生きる」という意志は、「他人よりもながく生きのこる」という発想しかとらない。バム地帯の強制労働のような条件のもとで、はっきりしたペシミストの立場をとるということは、おどろくほど勇気の要ることである。なまはんかなペシミズムは人間を崩壊させるだけである。ここでは誰でも、一日だけの希望に頼り、目をつぶってオプティミズムになるほかない。(収容所に特有の陰惨なユーモアは、このようなオプティミズムから生れる)。そのなかで鹿野は、終始明確なペシミストとして行動した、ほとんど例外的な存在だといっていい。
 後になって知ることのできた一つの例をあげてみる。たとえば、作業現場への行き帰り、囚人はかならず5列に隊伍を組まされ、その前後と左右を自動小銃を水平に構えた警備兵が行進する。行進中、もし一歩でも隊伍を離れる囚人があれば、逃亡とみなしてその場で射殺していい規則になっている。警備兵の目の前で逃亡をこころみるということは、ほとんど考えられないことであるが、実際には、しばしば行進中に囚人が射殺された。しかしそのほとんどは、行進中つまずくか足をすべらせて、列外へよろめいたために起っている。厳寒で氷のように固く凍てついた雪の上を行進するときは、とくに危険が大きい。なかでも、実戦の経験がすくないことにつよい劣等感をもっている17〜18歳の少年兵にうしろにまわられるくらい、囚人にとっていやなものはない。彼らはきっかけさえあれば、ほとんど犬を射つ程度の衝動で発砲する。
 犠牲者は当然のことながら、左と右の一列から出た。したがって整列のさい、囚人は争って中間の3列へ割りこみ、身近にいる者を外側の列へ押し出そうとする。私たちはそうすることによって、すこしでも弱い者を死に近い位置へ押しやるのである。ここでは加害者と被害者の位置が、みじかい時間のあいだにすさまじく入り乱れる。
 実際に見た者の話によると、鹿野は、どんなばあいにも進んで外側の列にならんだということである。明確なペシミストであることには勇気が要るというのは、このような態度を指している。それは、ほとんど不毛の行為であるが、彼のペシミズムの奥底には、おそらく加害と被害にたいする根源的な問い直しがあったのであろう。そしてそれは、状況のただなかにあっては、ほとんど人に伝ええない問いである。彼の行為が、周囲の囚人に奇異の感を与えたとしても、けっしてふしぎではない。彼は加害と被害という集団的発想からはっきりと自己を隔絶することによって、ペシミストとしての明晰さと精神的自立を獲得したのだと私は考える。

 鹿野武一は「世を厭(いと)い」、そして嘲笑したのだ。しかも彼は、行動をもってそれを示した。吠え立てる犬によって羊の群が同じ方向へ進む中で、鹿野武一は事もなげに反対方向を目指した。

 ここにあるのはペシミズムではない。ニヒリズムだ。私は、ニヒリズムが肯定的なユーモアを生ましめる瞬間を“ヒューマニズム”と呼びたい。石原が「ペシミズム」と表記したのは、鹿野に対する感傷が強すぎたためであろう。

 鹿野武一の生が凄まじいのは、彼は抑留された同胞に対して範を垂(た)れたわけでもなければ、何らかのメッセージを放ったわけでもないという一点に尽きる。鹿野は徹底して“個”に生きたのだ。“個”は“孤”の内側で完結している。

 それが証拠に、鹿野は誰に言うこともなく収容所内で絶食を始めた。鹿野は絶食しながら強制労働に従事した。まったく狂気の沙汰という他ない。しかし、シベリア抑留それ自体が狂気であった。すなわち、狂気が支配する世界で発揮される狂気は、正真正銘の正気となる。鹿野はたった一人で世界に向かって「異を唱えた」のだ。

 地獄の中にあって、これほどの孤高に辿り着いた人物がいた。人間がどこまで崇高になれるかを彼は示した。真の人間は、真に偉大である。

 鹿野武一は、シベリアから帰還してから1年後に急死した。まだ37歳という若さであった。



「鹿野武一」関連資料集
鹿野武一
文体とスタイル/『書く 言葉・文字・書』石川九楊
『香月泰男のおもちゃ箱』香月泰男、谷川俊太郎
「岸壁の母」菊池章子
真の人間は地獄の中から誕生する/『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』立花隆
香月泰男が見たもの/『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』立花隆
瀬島龍三はソ連のスパイ/『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行
ストア派の思想は個の中で完結/『怒りについて 他二篇』セネカ:兼利琢也訳

2009-03-21

加害男性、山下さんへ5通目の手紙 神戸連続児童殺傷事件


『淳』土師守
『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子

 1997年に起きた神戸市須磨区の連続児童殺傷事件で当時14歳だった加害男性(26)が、殺害した山下彩花ちゃん=当時(10)=の13回忌の23日を前に、遺族に謝罪の手紙を送っていたことが分かった。男性は2005年に医療少年院を退院。手紙は昨年3月以来で、04年の仮退院中を含め5通目となる。
 彩花ちゃんの両親の賢治さん(60)と京子さん(53)は19日、神戸市内で加害男性の両親、代理人と面会。男性直筆の手紙を手渡されたという。
 京子さんによると、手紙は横書きの便せん3枚にペンで書かれ、具体的な生活状況には触れられていない。「(男性の)周りに逆境の中で精いっぱい生きる人がいて、自分も現実に向き合わなければならないと思っているようだ。これまでの手紙は無機質な印象があったが、今回は確かに生身の人間が書いていると思えた」としている。
 京子さんは、男性あてに初めて「償うとはどういうことか考えてほしい」という内容の手紙を書き、代理人に託した。男性からの手紙を読んだ上で神戸新聞社に手記を寄せ、「人の心は、人の心でしか動かすことはできない」などと思いを打ち明けた。

【神戸新聞 2009-03-21】

2008-12-30

ナチスはありとあらゆる人間性を破壊した/『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル


『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行
『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
・『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子

 ・ナチスはありとあらゆる人間性を破壊した
 ・極限状況を観察する視点
 ・生きるためなら屍肉も貪る

『それでも人生にイエスと言う』ヴィクトール・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編
『石原吉郎詩文集』石原吉郎
『私の身に起きたこと とあるウイグル人女性の証言』清水ともみ
『命がけの証言』清水ともみ

必読書リスト その二

 ナチスの強制収容所といえば本書。既に古典の風格がある。20代半ばで読んだが、自分の知らない“世界と歴史”にたじろいだことを、今でもよく覚えている。

 相手を虫けら同然と認識してしまえば、人間はどこまでも残酷になれる。

 収容者は石を抱かせられ、肥料の中で溺れさせられ、鞭で打たれ、飢えさせられ、去勢され、そして輪姦されたりした。しかしそれだけではなかった。入墨をしている者は薬剤所に報告するように命令された。(中略)その肌に入墨師の技両を発揮したすばらしい彫刻を持っている連中は留置され、それからカポーの一人であるカール・ベイグスの命令による注射で殺されてしまったのである。
 この死体は病理部に引き渡され、そこで皮膚をはがされて処分された。処理を終えた人間の皮は司令官の妻イルゼ・ゴッホに下げ渡されたが、彼女はそれでランプの傘やブックカバーや手袋を造った。(※ブッヒェンワルト収容所)

【『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル:霜山徳爾〈しもやま・とくじ〉訳(みすず書房、1956年/新版、1985年/池田香代子訳、2002年)】

「♪かあ〜さんがぁ〜夜なべぇ〜をして、てぶく〜ろ編んでくれたぁ〜」――で、それは人間の皮でできていたって話だ。こんなリサイクルが許されていいはずがない。

 正義というものはわかりやすくなくてはいけない、という私の信条に基づけば、鬼畜の如き所業を為した者には同程度以上の苦痛を与えた上で、死をもって償わせる必要があると考える。

 ここで一つ重要な問題が発生する。ナチスドイツが行ったであろう残虐な行為を私が検証できないことだ。つまり、私が殺意を抱いているのは、飽くまでも「書籍から得た情報」によるものであり、この点において、「ゲルマン民族のみが優れているという情報」を鵜呑みにして、ジプシー、身体障害者、ユダヤ人を殺戮したナチスドイツと何ら変わりがない。

 つまり、だ。人間という動物は情報次第で、簡単に人を殺すことができるという事実が浮き彫りになる。何と恐ろしいことだろう。

 タイトルの『夜と霧』は、「夜陰に乗じ、霧に紛れて人々が連れ去られ消された歴史的暗部を比喩」したものとされている。ところがどっこい、私はそうは読まない。『夜と霧』は情報が遮断された状態のメタファーだと考える。

 イスラム文化圏には現在でも「名誉の殺人」という風習が根強く残っている。2007年には、17歳のクルド人少女が家族や親戚の手で殺された動画がネット上にアップされた。少女は衆人環視の中で散々殴る蹴るの暴行を加えられ、大きな石が頭に叩きつけられた。少女の頭部から大量の血が流れ、動かなくなってからも暴行がやむことはなかった。

 人間は愚かだ。愚かであるからこそ歴史は繰り返される。カンボジアではポル・ポト政権が、ルワンダではフツ族がそれを証明した。

 情報を吟味するためには、強靭な知性と豊かな想像力が不可欠だ。そのために、私は今日も本を手に取ろう。

2008-12-07

女子中学生の渾身の叫び/『いのちの作文 難病の少女からのメッセージ』綾野まさる、猿渡瞳


『がんばれば、幸せになれるよ 小児ガンと闘った9歳の息子が遺した言葉』山崎敏子

 ・女子中学生の渾身の叫び

『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子

命を見つめて

本当の幸せは「今、生きている」ということ

 みなさん、みなさんは本当の幸せって何だと思いますか。実は、幸せが私たちの一番身近にあることを病気になったおかげで知ることができました。それは、地位でも、名誉でも、お金でもなく「今、生きている」ということなんです。

 私は小学6年生の時に骨肉腫という骨のガンが発見され、約1年半に及ぶ闘病生活を送りました。この時医者に、病気に負ければ命がないと言われ、右足も太ももから切断しなければならないと厳しい宣告を受けました。初めは、とてもショックでしたが、必ず勝ってみせると決意し希望だけを胸に真っ向から病気と闘ってきました。その結果、病気に打ち勝ち右足も手術はしましたが残すことができたのです。

 しかし、この闘病生活の間に一緒に病気と闘ってきた15人の大切な仲間が次から次に亡くなっていきました。小さな赤ちゃんから、おじちゃんおばちゃんまで年齢も病気もさまざまです。厳しい治療とあらゆる検査の連続で心も体もボロボロになりながら、私たちは生き続けるために必死に闘ってきました。

 しかし、あまりにも現実は厳しく、みんな一瞬にして亡くなっていかれ、生き続けることがこれほど困難で、これほど偉大なものかということを思い知らされました。みんないつの日か、元気になっている自分を思い描きながら、どんなに苦しくても目標に向かって明るく元気にがんばっていました。

 それなのに生き続けることができなくて、どれほど悔しかったことでしょう。私がはっきり感じたのは、病気と闘っている人たちが誰よりも一番輝いていたということです。そして健康な体で学校に通ったり、家族や友達とあたり前のように毎日を過ごせるということが、どれほど幸せなことかということです。

 たとえ、どんなに困難な壁にぶつかって悩んだり、苦しんだりしたとしても命さえあれば必ず前に進んで行けるんです。生きたくても生きられなかったたくさんの仲間が命をかけて教えてくれた大切なメッセージを、世界中の人々に伝えていくことが私の使命だと思っています。

 今の世の中、人と人が殺し合う戦争や、平気で人の命を奪う事件、そしていじめを苦にした自殺など、悲しいニュースを見る度に怒りの気持ちでいっぱいになります。一体どれだけの人がそれらのニュースに対して真剣に向き合っているのでしょうか。

 私の大好きな詩人の言葉の中に「今の社会のほとんどの問題で悪に対して『自分には関係ない』と言う人が多くなっている。自分の身にふりかからない限り見て見ぬふりをする。それが実は、悪を応援することになる。私には関係ないというのは楽かもしれないが、一番人間をダメにさせていく。自分の人間らしさが削られどんどん消えていってしまう。それを自覚しないと悪を平気で許す無気力な人間になってしまう」と書いてありました。

 本当にその通りだと思います。どんなに小さな悪に対しても、決して許してはいけないのです。そこから悪がエスカレートしていくのです。今の現実がそれです。命を軽く考えている人たちに、病気と闘っている人たちの姿を見てもらいたいです。そしてどれだけ命が尊いかということを知ってもらいたいです。

 みなさん、私たち人間はいつどうなるかなんて誰にも分からないんです。だからこそ、一日一日がとても大切なんです。病気になったおかげで生きていく上で一番大切なことを知ることができました。今では心から病気に感謝しています。私は自分の使命を果たすため、亡くなったみんなの分まで精いっぱい生きていきます。みなさんも、今生きていることに感謝して悔いのない人生を送ってください。

【『いのちの作文 難病の少女からのメッセージ』綾野まさる、猿渡瞳(ハート出版、2005年)】

 猿渡瞳ちゃんは、この作文を発表してから2ヶ月後に逝去した。合掌。謹んでご冥福を祈る。骨肉腫と格闘した彼女は、中学生でありながら、まるで人類の教師のように「生きる姿勢」を我々に教えてくれる。



2008-05-01

命の灯火(ともしび)で周囲を照らす姿/『がんばれば、幸せになれるよ 小児ガンと闘った9歳の息子が遺した言葉』山崎敏子


 ・命の灯火(ともしび)で周囲を照らす姿

『いのちの作文 難病の少女からのメッセージ』綾野まさる、猿渡瞳
『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子

 行間から祈る声が聞こえてくる――。

 昨年の「24時間テレビ」でドラマ化された作品。ドラマの方は見るに堪(た)えない代物だったが、著作は「2冊買って、1冊誰かにあげあたくなる」ほど素晴らしい内容だ。

 山崎直也君は9歳でこの世を去った。ユーイング肉腫という悪性の癌に侵(おか)されたのが5歳の時。短い人生の約半分を闘病に捧げた。

 平凡な両親の元に生まれた直也君は、“本物の天使”といってよい。どんな痛みにも弱音を吐かず、再発する度に勇んで手術に臨んだ。

 それにしても、直也君の言葉は凄い。まるで、「年老いた賢人」のようだ。

「おかあさん、もしナオが死んでも暗くなっちゃダメだよ。明るく元気に生きなきゃダメだよ。わかった?」

【『がんばれば、幸せになれるよ 小児がんと闘った9歳の息子が遺した言葉』山崎敏子(小学館、2002年/小学館文庫、2007年)以下同】

 直也自身、少しでも体調が悪化すると、
「山崎直也、がんばれ!」
 そう口に出して、自分で自分を励ましていました。16日の呼吸困難の発作のさなかにも、「落ち着くんだ」といっていたような気がします。
 あの日、息苦しさが少し治まってから、直也はこうもいいました。
「おかあさん、さっきナオがあのまま苦しんで死んだら、おかしくなっていたでしょ。だからナオ、がんばったんだよ。それでも苦しかったけど。おかあさんがナオのためにしてくれたこと、ナオはちゃんとわかっていたよ。『先生早く!』って叫んでいたよね。でも安心して。ナオはああいう死に方はしないから。ナオはおじいさんになるまで生きたいんだ。おじいさんになるまで生きるんだ。がんばれば、最後は必ず幸せになれるんだ。苦しいことがあったけど、最後は必ずだいじょうぶ」

 夜10時過ぎ、直也は突然落ち着かない様子で、体を前に泳がせるようなしぐさをしました。
「前へ行くんだ。前へ進むんだ。みんなで前に行こう!」
 びっくりするほど大きな力強い声です。そして、まるで、迫り来る死と闘っているかのように固く歯を食いしばっています。ギーギーという歯ぎしりの音が聞こえるほどです。やせ衰えて、体を動かす元気もなくなっていた直也のどこにこれだけの力があったのかと驚くほど、力強く体を前進させます。

 ある日、私が病院に行くと、主任看護婦さんが、「おかあさん、私、今日、ナオちゃんには感動したというか、本当にすごいなと思ったんだけど」と駆け寄ってきました。直也は、
「この痛みを主任さんにもわかってもらいたいな。わかったら、またナオに返してくれればいいから」
 といったそうです。「えっ、痛みをまたナオちゃんに返していいの?」とびっくりして聞くと、
「いいよ」
 と答えたそうです。
「代われるものなら代わってあげたい」。よく私もそういっていました。でも直也はそのたびに力を込めて「ダメだよ」とかぶりを振り、
「ナオでいいんだよ。ナオじゃなきゃ耐えられない。おかあさんじゃ無理だよ」
 きっぱりとそういうのです。

 何だか自分が、ダラダラと走るマラソンランナーみたいな気になってくる。直也君は、人生を全力疾走で駆け抜けた短距離ランナーだった。「生きて、生きて、生きまくるぞ!」と言った通りに生きた。

 山下彩花ちゃんといい、直也君といい、命の灯火(ともしび)で周囲を照らす姿に圧倒される。



8人の意識の力で病状を癒す/『パワー・オブ・エイト 最新科学でわかった「意識」が起こす奇跡』リン・マクタガート

2002-11-25

新しい生き方を切り開いて全てを「価値」に変えていく/『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子


『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行
『淳』土師守

 ・絶望を希望へと転じた崇高な魂の劇
 ・無限の包容力
 ・新しい生き方を切り開いて全てを「価値」に変えていく

・『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子
・『心にナイフをしのばせて』奥野修司
・『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
・『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』V・E・フランクル:霜山徳爾訳
・『それでも人生にイエスと言う』V・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編
・『石原吉郎詩文集』石原吉郎

必読書リスト その一

 これほどまでに生きる事の美しさを描いた本を私は知らない。わずか数センチの中に有り余るほどの愛情で紡ぎだされた生命(いのち)の言葉の数々に、幾度も胸を締め付けられ、感動し、涙を流した。

 どのページのどの文字にも生命(いのち)の崇高さを感じた。憎しみを慈愛に変え、絶望を生きる喜びと希望、そして感謝の心に変えていった母の偉大さに胸を打たれた。

 事件を知ったのは何気なくつけたテレビのニュースからだった。我家から程近い町で小学生の二人の女の子が立て続けに何者かに襲われたらしい……。犯人は捕まっていない。

 何か言いようのない怒りと恐怖が町中を覆いはじめたのはその頃からだった。様々な噂が飛び交い犯人像がまことしやかに囁かれはじめた。小学生達は集団登下校となり、保護者達は皆交代で通学路の道々に見張りに立った。下校後、外で遊ぶ子供達は日増しに減っていった。そんな不安が増していく中で、信じられない残忍な凶行が新たに報道された。そして、少女の一人が亡くなった事を知った。

 連日その話題でどこもかしこももちきりであった。あの時ほど人間不信に陥った事はなかった。そう、町中が人間不信の坩堝(るつぼ)の中に入り込んでいった。犯人はまだ見つからない。事件の起こった町では人影をつくる木という木は切り取られ、空にはヘリコプターが飛び交い、町を歩く自衛官や警察官の数は相当なものであった。そんな中でマスコミ人らしい人影が妙に活気を帯びて、なんともいえない違和感を感じていた。

 近くの町に住む私達も、子供を外で遊ばせる事を一切やめてしまった。公園に行っても人っ子一人姿を見せなかった。そして、登下校の見張りは益々熱を帯び、その後、数ヶ月続いた。黒い車、中年男性、がっちりした体型等、犯人像の噂は具体性を増し、またも、まことしやかに流れはじめ、通りすがりの男性にも警戒心を抱くようになっていった。

 そんな中で、やっと犯人が捕まった。それは、日本中を揺るがせる程の衝撃だった。 誰がこんな結末を予想しただろうか。日本中が暗雲立ち込める中、メディアはお祭り騒ぎであった。被害者の方々やそのご家族に思いを馳せたなら、胸が悪くなるような報道の数々。日本のマスコミの悪辣さを思い知ったのだった。

 それにつけても、山下さんの母としての偉大さは、それらとあまりにもかけ離れ、 対照的であった。人間はこれほどまでに美しく気高く、崇高になれるものだろうか。残虐な手によって、幼い命は傷つけられたが、最後の命の炎を燃やしこの世の生を全うした魂。それは春に舞う桜の花吹雪のように、美しく美しく。そして、その生を終える時、まさに漆黒の闇から旭日が昇らんがごとく威厳に満ちた光を帯びて宇宙に帰っていった。

「少年の凶行は彩花の命の力が自ら選択した『きっかけ』にすぎず、彩花は粛々と自分自身の寿命の最終章にすすんでいくのです」

 まさに、突き抜けるような苦しみの中で、どうにもあらがえなかった運命を価値あるものに変えていかれたのだった。それは、想像を絶する苦しみの中で荘厳ともいえる光景であったに違いない。

 私は、何があっても顔を上げて生きるという決意を彩花に伝えようと、集中治療室に戻りました。
 するとどうでしょう、決意した私の心をすでに知っていたように、彩花は今までとは比べものにならないほど、にっこりと微笑んでいるではありませんか。目もとには明らかな笑い皺ができ、口の両脇にも笑った皺が出来ていました。
 それは、
「お母さん、よかったね。大事なものを手に入れることができたね。これで、彩花は安心できた。お父さん、お母さん、本当にありがとう」
 そう語りかけるかのような、信じがたい笑顔でした。
 そして、それから3時間ほど経った午後7時57分、彩花はこぼれるような笑顔のまま、悠然と旅立ったのです。

【『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子(河出書房新社、1997年/河出文庫、2002年)】

 事件直後すぐにでも生きを引き取ってもおかしくない状態からの奇跡ともいえる彩花ちゃんの様子を思い描き、私は感動で体中が身震いするのを感じた。

 その柱にも、畳にも、この道、あの公園、そこかしこに彩花ちゃんの息づかいを感じる。彩花ちゃんは生き生きとした輝きを放って確かに生きていた。それを証明するように、最後に笑顔で旅立った。

 どのような苦痛がこの世にあったとしても、これほどの苦しみはありえないと思った。あまりにも衝撃的な事件であり、それはあの震災に匹敵するものだった。私には到底読めないと思っていた。けれど、それはとんでもない間違いであった。もっと、もっと早くに読むべきだったと心から後悔した。

 私の父の死に思いを巡らせ、それを価値あるものとして受け入れる事を教えて下さった。あの時突然父は居間で倒れた。すぐに救急車で病院に運ばれ、ありとあらゆる手を尽くしていただいた。「生きて、生きて、死なないで」と、ほとんど意識のない父の背中をさすり父の回復を祈った。けれど、程なく父は霊山へと旅立った。確かに父は体調を悪くしていた。けれど、それほどまでに悪化していた事を全く気付いてやれなかった。そんな自分を何年も何年も責め続けていた。そんな苦痛の日々を送ってきた過去を、山下さんは暖かく価値あるものとして教えて下さった。私はこの本のお陰で、乗り越えられなかった過去に決別する事ができた。

 気高く昇華された人の心は何をもってしても決して悪に犯されることはないのだと実証して下さった。

 京子さんは今も彩花ちゃんを思うとき、涙を流しておられるに違いない。けれど、その涙は無数にきらめく星々のごとく、あまねく照らす月の光のように多くの人々の心に染み渡り、暖かく癒す涙となった。

 憎しみとあきらめを乗り越えて、私たちは前に進むしかないのです。新しい生き方を切り開いて、全てを「価値」に変えていくしかないのです。

 いかなる行きづまりをも打ち破る、自分の内なる「生きる力」に目を開き、耳を傾けなければなりません。

 これらの言葉の数々は、今後の私の人生の大いなる目的となるでしょう。

 強く雄々しく生きていくことの素晴らしさを教えて下さった、山下京子さんと、彩花ちゃんに心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

【Ryoko】

 

2001-09-03

無限の包容力/『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子


『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行
『淳』土師守

 ・絶望を希望へと転じた崇高な魂の劇
 ・無限の包容力
 ・新しい生き方を切り開いて全てを「価値」に変えていく

・『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子
・『心にナイフをしのばせて』奥野修司
・『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
・『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』V・E・フランクル:霜山徳爾訳
・『それでも人生にイエスと言う』V・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編
・『石原吉郎詩文集』石原吉郎

 彩花ちゃん、今ごろあなたは既に生まれ変って、どこかお母さんの近くにいるのでしょうね。

 あなたのお母さんが綴った本を読みました。あなたが亡くなったことは、全国を揺るがせた悲しく許し難い事件で、わたしも知っていました。そのお母さんのお心はどれほどのもであるか察するに余りあるものでしょう。手記を読むことでわたしが少しでもその悲しみを共有することができれば、と思って手にとってみたのです。わたしにも彩花ちゃんと同い年の娘がいます。あなたのお母さんがあなたを大事に思うのと同じように、わたしも娘をとても愛していて、自分の命より大事だと思っています。その娘が、ある日突然他人の手によってその生を永遠に奪われてしまう、これほど辛く悲しい出来事はありません。けれど、どんなに想像してみても、本当の悲しみは当事者でなければわからないことでしょう。そのことに申し訳なさを感じながら読み始めてみました。ところがね、驚いてしまったの。悲しみを共有するどころか、反対に私のほうが励まされ、読み終えた今では子供達へのますますの愛情や自分の中にある勇気を信じる力、そして明日からまた続いていく未来への希望、そんなもので心の中は今いっぱいになっているのです。

 嬉しいことに読み始めてすぐ、わたしとお母さんには共通点があることがわかりました。それは、「息子も娘も、偶然にわが家に生まれてきたのではないと思っています。この二人は、まぎれもない私たちとの『縁』によって、遠いところから間違いなく夫と私を選び取り、私のお腹を借りてやってきてくれたのだと信じています。決して、誰でもよかったのではありません」とお母さんが考えているところです。わたしも、うちの子ども達はわが家に必要なメンバーだったから、お互いに呼び合って、私たちを家族と選んで生まれて来てくれたと思っています。生まれたてのくにゃくにゃの赤ちゃんを抱いて「やっと会えたね、ずっと待ってたのよ」と声を掛けチュッとしたあのホッペのあたたかさ柔らかさは今でも覚えています。きっと彩花ちゃんのお母さんも同じ気持ちだったでしょうね。

 そんな大事な娘を他人に奪われた悲しみ、悔しさ、怒り、苦しみ、そのような状況の中へ一人にしてしまった後悔、自分を責め、なぜこんな事件があったのか、なぜ彩花ちゃんでなければいけなかったのか、彩花ちゃんの身に起きたこと、自分に降り掛かってきた事を受け止めなければならないこと、自分の中に受け入れなければならないこと。どうやって納得して心に収めていくのか、この問題は実は私にとっても意味のあることでした。この事件から逃げることや忘れることをせず、しっかり目を開け、心を開いて立ち向かっていったお母さんは立派でしたね。恐ろしいことにも目を背けずに臨む姿勢は、人間として見習わなければいけないことだと気づかされました。

 わたしには子どもの頃、とても悲しく辛いことがたくさんありました。2歳の時に母と別れたので、母のわたしを呼ぶ優しい声やあたたかい抱っこの記憶がありません。寂しさに加え、一緒にいた父には、わたしの存在は怒りの対象にしかならなかったのです。その事がどうしても悔しくて悲しくて、あった事をみんな心の奥深くにしまってしまいました。心がザワザワするよりは忘れた振りをしている方がずっと楽なのです。そうして結婚するまでずっと、楽しいことが全く無い家庭で暮らしてきました。この気持ちは誰にも打ち明けず、外では「明るい笑顔のわたし」で過ごしてきました。けれども、いくら忘れた振りをしていてもその事実が無くなったわけではありません。ときどきフッと浮かんできてはとても悲しい気持ちになります。特に子どもが生まれてからは「こんな可愛いわが子を、どうしてお母さんは置いていったのかしら」「どうしてわたしだったのかしら」「本当なら違う暮らしをしていたはずなのに」と、たまらなく悔しくてあきらめきれない怒りに襲われて、その気持ちがどうにも処理できず、すっかり疲れ切ってしまうことも度々ありました。事実を許さず受け入れず、そのことに囚われて自分のことを哀れんでばかりいました。けれどもある日、そんな親をわたし自身が選んで生まれてきたんだと気づいたのです。そして今度はその理由を探したくなりました。そんな時、彩花ちゃんのお母さんの本を読んだのです。

 運命が動いていくときというのは、人間があらがってもあらがってもどうしようもないくらい、すべてがひとつの方向に流れていきます。人間は、定められた運命や宿命というものの前では、まったく無力なのでしょうか。私は今、人間を貫く運命というものの巨大な力を思い知らされながら、しかし、ときに人間は、流されてしまったように見えるなかにも、運命を乗り越えて勝ってみせることができるのだと信じられるのです。

【『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子(河出書房新社、1997年/河出文庫、2002年)】

 このくだりでは勇気と希望を感じることができました。わたしに起きた納得できない、取り戻すことの出来ないわたしに向けられるべき母の愛、この悔しさや悲しさに立ち向かい、乗り越えて、心からの笑顔を取り戻すことが本当にできるのかも、という希望です。母からの愛情を渇仰したわたしが、今、溢れ出る愛情で子ども達を包んでる。そうしてわたしの心が満ちていくことを確かに感じていました。それでも心の中には常に暗いものがあったままでした。でも、そこにとうとう希望のひかりが射したのです。

 わたしがもっとも心を打たれたのは、どんな状況にあってもそこに留まらず、前進しなければいけない、という考えです。彩花ちゃんのお母さんに、手を取ってもらって歩き出したような気がしました。

 運命だからあきらめよう、というあきらめの思想でも、私たちは悲しみの現場に置き去りにされてしまいます。生きる勇気を奪われてしまいます。憎しみとあきらめを乗り越えて、私たちは前に進しかないのです。新しい生き方を切り開いて、すべてを「価値」に変えていくしかないのです。

 わたしは自分にあった出来事を、変えられないならあきらめようと自分に課していました。あきらめればすっきりした気分で歩き出せると信じて疑わなかったのです。けれど、それはまったくの誤りで、間違っていたからこそ、どうにもこうにも前へ進めず苦しばかりがつきまとっていたことに気づいたのです。わたし自身に起きたことは、わたしにとって必要不可欠な出来事で、これを自分の「価値」として「栄養」に変えていくことこそが、わたしの課題だったのです。

 苦しみながら立ち止まっていては何も生まれません。悲しみや辛さだけで心は一杯になってしまいます。それと同じく愛情や優しい気持ちで、心を一杯にすることもできるはずです。それどころか、わたしが溢れるほどの愛情をもって子ども達を抱き締めても、心の中にはまだあり余る愛情が溢れてきます。母もきっと、そんな気持ちで遠く離れて暮らすわたしを思っていてくれただろうと、今ではとても自然に信じられるのです。そして、わたしが幸せにならなければ、もちろん母の幸せもあり得ないと気づいたのです。今はとてもゆったりとしたあたたかいもので、心の中が満たされています。進んでいく道が開けたので、もうそれほど苦しむこともないでしょう。

 彩花ちゃんを亡くしたお母さんの苦しみにはほど遠いものですが、わたしの問題もまた、わたしにとっては抱え切れない苦しみでした。けれどもお母さんの気持ちに、わたしの気持ちを重ねて読み進んでいくうちに、不思議な力が湧いてくるのがわかりました。この先なにか大変なことがあっても、頑張って乗り越えていける力だと信じています。幸せに向かって歩き続け、努力する力です。こんな素晴らしいことを教えてくれた彩花ちゃんとお母さんに感謝の気持ちを伝えたくてこうして手紙を書きました。とうとうわたしを抱き締めることなく、去年亡くなったわたしの母の分のお礼もつけ加えます。本当にありがとう。

 最後に、加害者の少年に対して「共に苦しみ、共に闘おう。あなたは大切なわたしの息子なのだから」と手を差し伸べる山下さんには心から敬意を表します。母性というものは、無限の包容力に支えられていることを知りました。

 彩花ちゃんへ。それから、いつか母になる娘へ――。

【のり】

 

2001-06-02

絶望を希望へと転じた崇高な魂の劇/『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子


『がんばれば、幸せになれるよ 小児ガンと闘った9歳の息子が遺した言葉』山崎敏子
『いのちの作文 難病の少女からのメッセージ』綾野まさる、猿渡瞳
『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行
『淳』土師守

 ・絶望を希望へと転じた崇高な魂の劇
 ・無限の包容力
 ・新しい生き方を切り開いて全てを「価値」に変えていく

『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子
神戸・小学生連続殺傷事件:彩花さんの母・京子さん手記全文「どんな困難に遭っても、心の財だけは絶対に壊されない」
帰ってきた少年A
『心にナイフをしのばせて』奥野修司
『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル:霜山徳爾訳
『それでも人生にイエスと言う』ヴィクトール・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編
『石原吉郎詩文集』石原吉郎

必読書リスト その一

 泣いた。
 感動した。
 魂を揺さぶられた――。

 事件(神戸少年事件)から一年と経たないうちにワープロと向かい合うまでにどれほどの勇気を奮い起こしたことだろう。キーを叩くことは我が子の死を見つめることに他ならない。指先に込められた力は心の勁(つよ)さそのものだと私は想像する。

 娘の死、しかも惨殺、その上犯人は少年。三重の悲劇は言語に絶する苦悩をもたらし、精神がズタズタに切り刻まれるほどのストレスを与えたに違いない。余りにも過酷な運命と対峙し、もつれ合い、叩きつけられそうになりながらも立ち上がった母。それを可能にした力の源は何か? 生きる力はどこから湧き出したのか? 絶望の淵から希望の橋を架けられたのはなぜか?

 ページをめくり、感動を重ねるごとに疑問は大きくなる。

 音楽コンサートを通して文化を語り、報道被害の体験からマスコミに警鐘を鳴らす。実生活の中から紡ぎ出された。人生観・人間観がちりばめられている。机上の哲学など足許(あしもと)にも及ばぬほどの人間の叡智が輝いている。それはぜか?

 疑問はどんどん膨らみ雲のように立ち込める中で、彩花ちゃんの姿の輪郭がくっきりと見えるような気がした。あっ、と思うと雲は吹き払われ、彩花ちゃんの直ぐ後ろに山下京子さんがいた。

 母と娘(こ)の絆だったのだ。死をもってしても揺らぐことのない、死をも超えた永遠性をはらんだ絆だ。時空をも超越した生命的なつながり。次なる生によって再び母子(ははこ)と見(まみ)えるであろう確信。事件を必然性から捉える達観。山下さんは永遠なる絆を絶対的ともみえる態度で信じられるのだ。その生命と生命の絆は更に普遍なるものへと昇華し、犯人とされる少年Aをも母性によって包み込もうとする。行間に涙があふれ、紙背に血が滴る思いで記された言葉は限りなく優しい。

 山下京子さんの崇高な生きざまに接し、私の心までもが浄化された感を抱いた。

 事件に同時代性があるだけに、『夜と霧』(V・E・フランクル著、みすず書房)以上の感動を覚えた。

 これほどの魂の劇と、慈愛の詩(うた)と、聖なる物語を、私は知らない。

 

1999-02-09

生死を超えた母子の絆/『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子、東晋平


『がんばれば、幸せになれるよ 小児ガンと闘った9歳の息子が遺した言葉』山崎敏子
『いのちの作文 難病の少女からのメッセージ』綾野まさる、猿渡瞳
『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行
『淳』土師守
『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子

 ・生死を超えた母子の絆

加害男性、山下さんへ5通目の手紙 神戸連続児童殺傷事件
神戸・小学生連続殺傷事件:彩花さんの母・京子さん手記全文「どんな困難に遭っても、心の財だけは絶対に壊されない」
元少年A(酒鬼薔薇聖斗)著『絶歌』を巡って
『心にナイフをしのばせて』奥野修司
『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル:霜山徳爾訳
『それでも人生にイエスと言う』ヴィクトール・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編
『石原吉郎詩文集』石原吉郎

必読書リスト その一

 いまだ闘い続ける女性から再びのメッセージである。

 平成9年暮れに『彩花へ 「生きる力」をありがとう』を出版。年が明け、読者から続々と手紙が寄せられ、あっという間にその数1000通に及んだという。

 あなたがいてくれるから──。亡くなった娘が、見ず知らずの多くの人々の心の中で生き続けていることほど、今の私にとってうれしいことはありません。

【『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子、東晋平〈ひがし・しんぺい〉(河出書房新社、1998年/河出文庫、2002年)以下同】

 この本は読者への感謝を込めて綴られた母からの返事である。

 第1章が前作の出版の経緯とその後、次に『私たちこそ「生きる力」をありがとう』と題して読者からの手紙を紹介。そして、最後に構成を手掛けてきたジャーナリスト・東晋平による解説、の3章で構成されている。

 感動がまざまざと蘇る。山下彩花という少女が私の中で息づく。私は既に彼女を知っている。10年という歳月を流れる星の如く駆け抜けるように生き、死して尚、幾十万の人々に希望の光を降り注ぐ、鮮烈なる魂の持ち主。犯人とされる少年が振るったハンマーも、彼女の魂にかすり傷ひとつ負わせることはできなかったに違いない。

 山下さんは言う、「私は決して強くなんかない」と。「悲しみを乗り越えたわけでもない」と。反響の大きさに驚きながらも、自分への過大な評価を斥(しりぞ)ける。「たしかに、立ち直る努力はしています。でも、そんなに簡単なものではないのです。1年半を過ぎた今でも、泣かない日は1日たりともありません。大事な大事な子供を他人の手で奪われて、立ち直れるような母親はいないでしょう」。

 彼女を特別視して得られるのは「自分には無理だ」との諦観に他ならない。それでは、いくら感動しても、たちどころに冷めてしまうだろう。そうした行為自体が底の浅い己自身となって跳ね返ってくるのだ。挙げ句の果てには、泣いたり笑ったりということがテレビの前でしかできないようになるだろう。

 だが、私は敢えて言おう「彼女は強い」と。強がるような素振りを見せないのがその証拠だ。ありのままの自分をさらけ出し、自分の弱さをも否定しようとはしない。そこに強靱なしなやかさが秘められている。「疾風に勁草を知る」(疾風が吹いて強い草がわかる)との俚諺(りげん)があるが、そうした「心の勁(つよ)さ」を感じてならない。バネのような弾力をはらんだ瑞々しい人間性。それは「汝自身を知る」者の強さなのだ。

 一周忌を終え、5月に納骨。その際、錯乱に近い悲しみに襲われた事実が書かれている。悲しみにのたうちまわる中で、山下さんは一つの哲学を見出す。

 人間として生きていくうえには、深く悲しむこともまた必要なのだ。

 そして、「悲しむということは、自分とその人との関係を深く考えること」であり「深く悲しむことができる人のみが、深い喜びと深い怒りを知ることができるのだ」と。

 実際に地獄を経験した者のみが知り得る言葉は、悟性の輝きに包まれている。

 第3章で東晋平が、

 あの戦時中、中国大陸で生体実験や虐殺に手を染めた医師や兵士の大半が、わずかな罪の意識をを抱きつつも、あれは戦争の狂気だったのだと割り切って、罪の意識に苛まれることもなく戦後を生きているのです。
 殺された者が自分と同じ人間であるということすら想像できず、その悲しみに共感する能力が欠落していたがゆえに、自分の行為への悲しみも感じない。自分が背負うべき重圧と悲しみを、軍隊という集団に預けて、自分が傷つかないように生きてきたのでしょう。

 と敷衍(ふえん)している。

 悲しみを心に深く抱き続けながら、それを価値へと変えていく生き方を知ることができました。(中略)そういう生き方を見いだしていくことができれば、私たちは人生のどんな苦悩や失敗も、未来のための財産に変えていかれるような気がします。

 涙の海の涯(はて)から金色の太陽が昇る。

 第2章の圧巻は東京都世田谷区の大野孔靖くん(小学校4年生)。

 すごい本ですね。この文は、人間に本当のことをおしえてくれるすごい文です。はじめは、この事けんで悲しかったのに本当にこんなすごい文ですごいと思いました。ぼくは「自分で自分とたたかい、自分をすこしでもよくしていくのです」というところがよかったです。ぼくは、自分で自分とたたかってよくしていきたいです。

 偉いっ! と私は膝を打った。さすが諸葛孔明と井上靖を併せたような名前を持つだけのことはある。子供の直観が見事に本質を捉えている。たどたどしい文章がかえって感動を鮮やかに表現している。

 言葉を紡ごうとするよりも静かに内省するがいい、そんな気分に浸される。軽佻浮薄で小賢しい評論、世俗の垢(あか)にまみれた貪欲な宗教、問題の全てを子供に押しつける教育、そうした暗雲を遙か下方に見下ろし、山下さんの言葉は無窮を遍(あまね)く照らす。

 我が娘を喪い、生命の尊厳さを思い知った母は、多くの青少年の自殺に心を痛め、次のように語る。

 けれども私は今、思うのです。死にたくなるほど苦しい思いをしたときが、人間が本当に幸福になっていくチャンスなのだと。自分の人生を、大きく変えていくときなのだと。
 苦しいとき、辛いとき、虚しいときには、目をつぶらないで、その悲しみと徹底的につきあうことです。ハラを決めて、水底まで沈んでみることです。深く深く悲しめば、必ず新しい力が湧いてきます。
 自分が変われば、必ず何かが動き始めます。死ぬ勇気を、自分の変革に向けていくのです。他人に苦しめられているように思えることでも、全部、自分の人生なのです。そうであれば、自分で新しい道を切り開くしかありません。
 その、人間の生命の深い方程式が見えてくると、身に起こるあらゆる不幸も、悲しみも、苦しみも、自分の人生を飾る意味のあるものに見えてくるはずです。
 この世に必要のない人間なんて1人もいませんし、価値のない人間も1人もいないはずです。自分には価値がないように思えるときがあっても、決めつけないで、自分で価値ある自分をつくっていけばいいのだと思います。(中略)
 人間には、価値を創り出していくすごい力があります。
 生きている人間に、何ができないといえるでしょうか。

 この言葉を聞けば自殺せずにすんだ子供も山ほどいただろう。なんと優しく、力強い言葉だろう。悲母観音さながらではないか。

 市井にこうした人物がいるという事実に、まだまだ日本も捨てたものではない、と心を強くした。河野義行さん(『「疑惑」は晴れようとも』文藝春秋、『妻よ! わが愛と希望と闘いの日々』潮出版社)にしてもそうだが、平凡にして偉大な人物はいるものだ。

 生死(しょうじ)を超えた母子の絆に永遠を感じた。