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2013-06-14

自民党が発信しているメッセージ

2013-03-27

生活保護を受けている人のことさえ妬まなければならないぐらい、働いている人の収入が低くて……

2012-12-12

GDPに占める生活保護費の割合


2012-08-01

死も覚悟…「助かった」 悩み全般 専門家がよりそう電話


「つらい」「さみしい」「死ぬしかない」――。支えを求める悲痛な声が、一般社団法人社会的包摂サポートセンター(東京)の電話相談「よりそいホットライン」=0120-279(つなぐ)-338(ささえる)=に殺到している。どんな悩みでも24時間無料で受け付け、全国からの電話は250万コールに及ぶ。1日3万コールかかる日もあり、30回に1回しかつながらない状態だ。(大野孝志)

 一つの電話窓口で貧困や失業、いじめなど、あらゆる悩みを受け付けるワンストップ型。昨秋に東北で始め、東日本大震災から1年を機に今年3月から全国に拡大。38の拠点を置き、相談員は生活困窮者の支援や消費者問題などに取り組む1300人以上が交代で務める。一つの電話に二人が対応し、専門分野の知識と経験を生かして解決に導く。

「話を聞いてくれる程度かな、と思っていた。生活保護の申請に同行までしてくれるとは思わなかった」。都内の40代の男性は5月、ホットラインに電話した。

 夜勤のある派遣の仕事を、体力が続かずに昨年辞め、日雇いの仕事で食いつないだ。5月に求人がなくなり、生活費も食べ物も尽きた。生活保護の不正受給の報道で「自分も健康だから申請してもだめだろう。死ぬしかない」と思い詰めた。

 所持金は2円。3日間食べていなかった。暇つぶしに訪れた図書館のパソコンでインターネットを見て、ホットラインを知った。携帯から電話し、奇跡的に2回でつながった。父と死別し、遠方の母と妹とは10年以上音信不通。誰にも話したことのない身の上を、相談員に明かした。

 相談員は「直接支援する団体から折り返し電話する」。翌日、全国クレジット・サラ金被害者連絡協議会の本多良男事務局長と会い、生活保護を申請した。「制度がよく分からず一人では申請できなかった。相談して助かった」。男性は最近、仕事が見つかった。

 配置転換された仕事が体力的にきつくなり、退職した40代の男性は貯金で食いつないだが、今年春に底をついた。両親、兄と死別し、姉とは疎遠。死ぬつもりでマンションを引き払い、故郷に戻って野宿を始めた。

 死に場所探しとハローワーク通いを繰り返した。「結局は生きようとしているんだよね」。再会した姉から「なんとかなるかも」とホットラインを教えられた。10分ほどかけ直し続けてようやくつながった。経緯を話すとその日のうちに本多事務局長から電話があり、生活保護申請に同行してくれた。

 現在は低額宿泊所に住み、仕事を探している。「困窮は自分の運命と思い込んでいた。電話しなかったら、私は今ここにいない」

東京新聞 2012-08-01 朝刊

2012-07-19

申請却下は二審も「違法」=路上生活者の生活保護訴訟-東京高裁


 わずかな所持金しかなく、住む場所もないのに生活保護の申請を却下したのは違法だとして、路上生活者だった男性(61)が東京都新宿区に対し、却下決定の取り消しなどを求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁(春日通良裁判長)は18日、却下決定を取り消し、生活保護開始を決定するよう命じた一審東京地裁判決を支持し、同区の控訴を棄却した。
 同区は、男性は働く能力があるのに機会を得る努力をしておらず、支給要件を満たさないと主張していた。春日裁判長は、男性に働く意思はあったが、住居や所持金がなかったことなどから直ちに就労できたとは言えないとした一審の判断を支持した。

時事ドットコム 2012-07-18

生活保護

2012-06-20

生活保護の「申請拒否」は違法



騰奔静想~司法書士とくたけさとこの「つれづれ日記」
生活保護

2012-05-26

片山さつきと世耕弘成


次長課長河本氏の母親生活保護について片山さつき・世耕弘成議員のTL+書評家・豊崎由美さんとコラムニスト小田嶋隆さんのご意見
バッシングに便乗 小宮山厚労相こそよっぽどのワル
生活保護

2011-12-14

松沢直樹氏による生活保護ツイートのまとめ

生活に打つ手がなくなった、たった一人の人間を養えない弱い国家が、どうやってこれから強くなっていくと言うんだ? 
Dec 13 via webFavoriteRetweetReply


松沢直樹氏による生活保護ツイートのまとめ
生活保護

2011-10-09

恐怖で支配する社会/『智恵からの創造 条件付けの教育を超えて』J・クリシュナムルティ


 クリシュナムルティ本の翻訳はどれも評判が悪い。私の周囲でも「あんな悪文がよく読めますね」という声を聞く。その上、翻訳者が声高に自己主張を叫んでいる。これが大野純一、大野龍一、藤仲孝司の共通点だ。

 不思議なことだが酷い翻訳であるにもかかわらず、私は読むのに支障をきたすことがない。クリシュナムルティの静謐な精神に包まれているような心地がするのだ。

 翻訳は重要な事業である。鳩摩羅什〈くまらじゅう〉がいなければ鎌倉仏教も生まれなかったであろうし、小ブッダともいうべき人々が存在しなければ、部派仏教大乗仏教も誕生しなかったに違いない。

 その意味で翻訳は単なる言葉の置き換えではない。人々の脳内情報を書き換え、上書き保存するほどのプレゼン能力が求められる。仏典では文・義・意という考え方があるが、これは翻訳の原理を示したものといってよい。

 藤仲は文(もん)を重んじるタイプで、翻訳というよりは通訳に近い。それはそれで資料的価値がある。解釈というものは常に誤謬(ごびゅう)に満ちているものだから。

 本書には1933年から1967年に渡る講演が収められている。ところが古さを全く感じさせない。どんなに立派な人物であっても1970年代前半くらいまでは差別的な言辞や用語があるものだ。社会全体もそれを受容していた。

 今、中国の風潮を揶揄するネット言論が目立つが、高度経済成長が終わるまでの日本とさほど遜色があるとは思えない。

 クリシュナムルティにはそれがないのだから驚くべきことである。

 私たちは、目覚めさせてくれる人がほしいのです。啓発者がほしいのです。導き手がほしいのです。振るまい方を私たちに言ってくれる誰かが、ほしいのです。愛は何であるのか、何を愛するのかを私たちに言ってくれる誰かが、ほしいのです。私たちは自分自身では空っぽです。私たちは自分自身では混乱し、不確実で、悲惨です。ですから、私たちは、助けてもらい、啓発してもらい、導いてもらい、目覚めさせてもらえるよう、乞い求めて巡るのです。どうかこれに付いてきてください。それはあなたの問題です。私の〔問題〕ではありません。それはあなたの問題ですから、あなたはそれに向き合い、それを理解すべきです――来る年も来る年も、〔ついに〕混乱し全く迷って死ぬまで、それを反復すべきではないのです。あなたは、啓発者が不可欠である、または導師(グル)は必要である、と言います。何のためですか。導師(グル)は、あなたが真理と呼ぶもの――実在(the real)と呼ぶもの、神、自己実現――に導かれるために、必要でしょうか。理解できるでしょうか。あなたは導かれたいのです。これには幾つものことが含意されています。(マドラスでの講話4 1953年12月13日)

【『智恵からの創造 条件付けの教育を超えて』J・クリシュナムルティ:藤仲孝司〈ふじなか・たかし〉、横山信英、三木治子訳(UNIO、2007年)以下同】

 1953年だから昭和28年の講話(トーク)である。第二次世界大戦が終わってから10年経っていない。バブル景気が弾けた後なら、まだ理解のしようもある。クリシュナムルティの指摘は半世紀ほど先んじていた。

 サラリーマンは「よき上司」を求めるものである。我々現代人は何らかの形で組織や集団に所属している。皆が皆、「素晴らしいリーダー」を待望している。我々はそれを当たり前のように自然な気持ちとして考えている。だがクリシュナムルティはその実相を暴く。

 多くの人々は心理的な依存を求めており、よりよき方向へ自分を導いてくれる案内者を探している。つまり、「よきコントロール」を望んでいるのだ。

 主従(経済的関係性)、親子(家族的関係性)、師弟(教育的関係性)のいずれにおいても、我々はコントロールされている。会社の指示を聞き、親に従い、先生の言いつけを守ることが「正しい」と信じている。社会のありとあらゆる場面で、積極的な隷属を強いられている。そこで重んじられるのは智慧よりもセオリーだ。幼い頃から「ルールを守る」ことは教わっても、「誤ったルールを見抜き、変える」ことはただの一度も教わっていない。

「お母さん、明日の朝起こしてね」――これが我々の生きる姿勢なのだ。

Jiddu Krishnamurti

 次に紹介するのはラージガートの講話で聴衆は学生である。

 今朝私は〔できるなら〕、かなり難しそうな話題について話をしたいのです。ですが、可能なかぎり、それを単純で直接的にしようとするでしょう。知っているでしょうが、私たちのほとんどは何らかの恐れを持っていますね。君たちは、自分の特定の恐れを知っているでしょうか。君たちは、自分の先生を、保護者、親、大人たちを、または蛇や野牛、誰かの言うことや死などを恐れているかもしれません。一人一人が恐れを持っていますが、若者たちにとって恐れは相当に単純です。私たちが年を取るにつれて、恐れはもっと複雑で、もっと難しく、もっと微細になるのです。私は特定の方向で自己を充足したいのです。君たちは、「充足」とはどういう意味であるかを、知っていますね。私は偉大な作家になりたいのです。私は、もしもものを書けたなら、自分の生活が幸せになるだろうと感じます。それで、私はものを書きたいのです。しかし、私には何が(ママ)起きるかもしれません。私は余生の間、〔身体が〕麻痺してしまうかもしれません。それが私の恐れになるのです。それで、私たちが年を取るにつれて、様々な形の恐怖が生じます――ひとり取りのこされる〔恐れ〕、友だちがいない〔恐れ〕、資産を失う〔恐れ〕、どんな地位をも持たない恐れ、そして他の様々な種類の恐れ、です。しかし私たちは今、とても難しくて微細な種類の恐れには入らないでしょう。なぜなら、それらははるかに多くの思考を必要とするからです。
 私たちが――君たち若者と私が、この恐れという疑問を考慮することが、とても重要です。なぜなら、社会と大人たちは、君たちを行儀よくさせておくには恐れが必要である、と考えるからです。君が自分の先生や親を恐れているなら、彼らは君をもっとうまく制御できるでしょう。彼らは、「これをしなさい、あれをしてはいけない」と言えるし、君はまったく彼らに服従しなくてはならないでしょう。ですから、恐れは道徳的な圧力として使われます。教師たちは、たとえば大きな学級において、学生たちを制御する手段として恐れを使います。そうではないでしょうか。社会は、恐れは必要である、さもなければ市民たち、民衆たちは弾けて、むちゃなことをするだろう、と言うのです。こうして、恐れは人の制御に必要なものになったのです。
 知っているでしょうが、恐れはまた、人を〔文明化・〕教化するためにも使われます。世界中の〔諸々の〕宗教は、人を制御する手段として、恐れを使ってきたでしょう。彼らは、君はこの生で一定のことをしないなら、来世でそのつけを払うことになるだろう、と言うのです。すべての宗教は愛を説くけれども、同胞愛を説くし、人の和について話をするけれども、彼らはすべて、微妙にまたはひどく残忍に、粗雑にこの恐れの感覚を維持するのです。(ラージガートでの講話2 1954年1月5日、以下同)

 あっと言う間に「恐怖」の本質を浮かび上がらせている。確かに社会や集団は恐怖で人々を支配している側面がある。法的な罰(ばつ)と神罰(しんばつ)仏罰(ぶつばち)は同根であろう。人間よりもコミュニティに重きを置いた眼差しだ。

 社会で罰の価値観が共有されると、「あいつを罰するべきだ」という主張が必ず生まれる。法律で裁けないなら俺たちの手で裁こう、というのが私刑だ。イタリアマフィアのオメルタの掟、やくざ者の指詰め、クー・クラックス・クラン(KKK)による黒人の処刑、関東大震災における朝鮮人虐殺も全部同じだ。

クー・クラックス・クラン(KKK)と反ユダヤ主義

 一人ひとりの権利を守るべきルールが、今度は人々の行動を束縛し抑圧する方向へと作動する。次々と生まれる新たな犯罪によって法律は細分化し、次々と発生する新たな事故や病気によって保険の約款(やっかん)は長くなる。

 組織が必ず統治されている以上、そこでは権力が機能する。権力は必ず服従を求める。組織内では服従の競争がまかり通る。これを「積極的奴隷性」と名づけよう。

 誰もが社会での成功を望んでいる。否、我々にとっての幸福とは「社会での成功」に他ならない。皆が皆、ひとかどの者になろうと悪戦苦闘している。だが、よくよく考えてみると、それ自体が社会の奴隷になることを促している。ビジネス書が披露しているのは「賢い奴隷になる方法」であろう。

 私たちのほとんどはとても保守的です。君たちは、その〔保守的という〕言葉がどういう意味であるのかを、知っていますね。「保守する」とはどういうことかを知っていますね――保つ、守るのです。私たちのほとんどは、〔尊敬されるよう〕体裁よくしていたいのです。それで、正しいことをやりたいし、正しい行ないに従いたいのです――それは、とても深く入るなら分るでしょうが、恐れの表示です。なぜまちがえていけないのでしょうか。なぜ見出さないのでしょうか。しかし。恐れている人はいつも、「私は正しいことをしなければならない。体裁よく見えなければならない。本当のありのままの私を公に知らせてはならない」と考えています。こういう人は基本的に、根源的に恐れています。野心を持っている人は本当は怯えた人物です。そして怯えている人は、どんな愛をも持ちません。どんな同情も持ちません。彼は壁の向こうに監禁された人物に似ています。私たちが若いうちに、このことを理解すること、恐れを理解することが、とても重要です。私を服従させるのは、恐れです。しかし、私たちはそれについて話し合い、ともに推理し、ともに議論し、考えることができるなら、そのとき私は、頼まれたことを理解して、できるかもしれません。しかし、私が君に怯えているからといって、私が理解しないことをやるよう私に強制すること、強いることは、まちがった教育でしょう。

 凄い指摘だ。野心を持つ者は臆病者だと言い切っている。組織が巨大になればなるほど、そこでは野心と思惑が働く。権力闘争といえば聞こえはいいが、所詮パン食い競争みたいなものだ。

 地位・名誉・称賛を求める人生に本当の幸福はあり得ない。なぜなら奴隷には自由がないからだ。知らず知らずのうちに「不自由な豊かさ」を幸福だと思い込まされている事実が恐ろしい。我々が望んでいるのは「豪華な牢獄」に他ならない。

 権力者を恐れ、権威に従うことは、群れの本能に基づいているのだろう。権威に服従すればコミュニティ内では得をする。

服従の本質/『服従の心理』スタンレー・ミルグラム

 相手を立場や所属で見つめる眼差しに人間の姿は映らない。我々は人間と向き合うことすら奪われてしまったのだろう。

 クリシュナムルティは宗教者に鉄槌を下す。

 恐れている人物は、けっして真理や神を見出せません。私たちの崇拝すべて、像すべて、儀式すべての裏には、恐れがあります。ゆえに、君の神は神ではなくて、それらは石なのです。

 もうね、ぐうの音も出ないよ。宗教は死、あるいは死後の恐怖を利用して信者を脅す。ただ脅すだけではない。必ず金を巻き上げる。地獄や祟(たた)りが彼らの常套句だ。先祖をオールスターで勢揃いさせて、恨みつらみを勝手に代弁する。霊の腹話術みたいなもんだ。しゃべってんのは、てめえだろーが。

 クリシュナムルティが示したのは「恐怖からの自由」であった。

智恵からの創造―条件付けの教育を超えて (クリシュナムルティ著述集)
ジドゥ クリシュナムルティ
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クリシュナムルティ「智恵からの創造」
恐怖からの自由/『自由への道 空かける鳳のように』クリシュナムーテイ
欲望が悲哀・不安・恐怖を生む/『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ
恐怖なき教育/『未来の生』J・クリシュナムルティ
自由の問題 1/『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ
宗教は恐怖と不安を利用する
死の恐怖/『ちくま哲学の森 1 生きる技術』鶴見俊輔、森毅、井上ひさし、安野光雅、池内紀編

2011-10-08

女子割礼(女性器切除)禁止に直面するマサイ、遠い道のり ケニア


 ケニア南西の町ナロク(Narok)にある小さな教会では、女子割礼(女性器切除)から逃れてきたマサイ人(Maasai)の少女十数人が保護されている。女子割礼はマサイ人の古くからのしきたりだが、ここにきて、健康上の懸念や新法の制定により伝統にほころびが生じつつある。
 マサイの長老たちは女子割礼を文化だとして強く擁護している。そんな中、この教会の牧師ら一部のマサイ人たちは伝統に背を向け、2007年、ナロクに少女たちの「駆け込み寺」として教会直属の保護センター「マサイの少女たちの希望(Hope for the Maasai Girls)」を設立した。
 だが、運営はスムーズではない。怒った男たちがしばしば設立メンバーを脅迫したり、逃げ込んだ娘を親が勘当したりするためだ。

早ければ9歳から、割礼が根付いた社会

 マサイ社会の伝統では、少女は結婚する前にまず割礼を済ませなければならない。そして親にとって娘を嫁に出すことは、婚資(夫方から妻の実家への贈り物)をもらえることを意味する。婚資はたいてい、牛数頭。半遊牧民のマサイにとっては大きな財産だ。
「未割礼の少女を嫁にもらうと、男の価値が下がるとみなされます。割礼を受けていないと参加できない儀式もあるのです」と、保護センターを運営するマーティン・オロロイゲロさんは説明した。
 学校が休みに入ると、マサイの少女たちは早ければ9歳で、大人への通過儀礼として割礼を受ける。これは自動的に、はるかに年配の男性のもとへ嫁がされる状態になったことを意味する。
「マサイは他の部族とは違って、割礼を済ませてもいないような娘を嫁には出さない。割礼が済めばその娘は成人だ。男に嫁ぐことができるんだから良いことだ」と、ナロクのある長老は語った。
 保護センターにいる少女たちに、割礼から逃げた経緯について聞いてみた。15歳のマリーさんは、「両親が死んだあと私を引き取った保護者が私を結婚させようとしたから、ここに逃げてきたの」と語った。「割礼されて結婚させられた女の子は、苦しい生活を送ることになる。わずかな収入を得るために卑しい仕事もせざるを得なくなるから」
 同じく15歳のサラさんも同意した。「割礼されたら、出産がとても困難になる。だから割礼を拒否したんです。それに、嫁ぐ相手はおじいさんで、もし死んでしまえば残された女の子は生き延びるために大変な苦労をしなければならなくなる」

ファーストレディーも廃止に意欲

 女子割礼の風習があるのはマサイだけではない。ケニアの他の部族も行っている。割礼では陰核を時には外陰部と一緒に切除するが、使われる刃物は消毒していないことも多く、麻酔なしに行われることも少なくない。その結果、合併症を起こしたり、出血多量で死亡する例もあり、NGOやケニア政府からは批判の対象となっている。
 ケニア議会は先に、女性器切除(FGM)禁止法案を可決し、法制化した。違反者には禁錮7年または罰金5000ドル(約40万円)が科され、相手が死亡した場合は終身刑となる。
 同国のルーシー・キバキ(Lucy Kibaki)大統領夫人は9月、この新法の厳格な適用を呼び掛けた。「これらの罰則は、効果的に実施されれば十分な抑止力になる。FGMが一般的な地域では出産時の母親と新生児の死亡率が高いが、一因はFGMだ」
 とはいえ、マサイ社会では女子割礼がいまだに広く行われており、支持する人も多い。保護センターのオロロイゲロさんは次のように話した。「すぐに廃止にはならないでしょう。時間がかかります。私たちは地域社会を混乱させたいわけではありません。私たちもその一員なのですから。徐々に変わることが望ましいのです」

AFP 2011-10-07

 女子割礼(女性器切除)は宗教と似ている。たとえ誤っていたとしても、後の時代に「伝えられたもの」が正当化される仕組みとなっているからだ。「歴史とは書かれたもの」で「伝統とは伝えられたたもの」なのだ。

歴史の本質と国民国家/『歴史とはなにか』岡田英弘

 学校教育をよくよく吟味すると、社会に隷属させる目的で行われていることに気づく。とすると真の教育とは「懐疑する精神」を陶冶(とうや)することなのだろう。合理的な批判精神を欠けば、我々は伝統や風習のコピー媒体と化してしまう。

 実に情けない話だが、以下の動画を私は怖くて視聴することができなかった。

女子割礼
女子割礼
女子割礼に警鐘を鳴らすアムネスティのポスター
動画
閲覧注意:動画
閲覧注意:動画

2011-09-04

未来を明るく照らす言葉/『重耳』宮城谷昌光


『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
・『太公望』宮城谷昌光
『管仲』宮城谷昌光

 ・占いこそ物語の原型
 ・占いは神の言葉
 ・未来を明るく照らす言葉

『介子推』宮城谷昌光
・『沙中の回廊』宮城谷昌光
『晏子』宮城谷昌光
・『子産』宮城谷昌光
『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
『孟嘗君』宮城谷昌光
『楽毅』宮城谷昌光
『青雲はるかに』宮城谷昌光
『奇貨居くべし』宮城谷昌光
『香乱記』宮城谷昌光
・『草原の風』宮城谷昌光
・『三国志』宮城谷昌光
・『劉邦』宮城谷昌光

 宮城谷昌光が描く政(まつりごと)には人の息遣いがある。それを著者の創作として一笑に付すわけにはいかない。資料を通じて人間と人間とが出会うことは可能であるからだ。

 それにしても中国は凄い。重耳(晋の文公)は紀元前696-628年の人物である。卑弥呼(170年頃-248年頃)が生まれる800年前の時代に、これほどの君主を輩出していたのだ。

 中国の伝統は毛沢東の文化革命によって破壊されたと思われるが、いくばくか継承されているものはあるのだろうか? 気になるところである。

 19年間に及ぶ放浪は重耳を鋼(はがね)のように鍛え上げた。運命は容赦なく鉄槌(てっつい)を振り下ろした。

 飢渇(きかつ)も極限に近かったのであろう。重耳は馬車をその農夫に寄せ、声をかけた。農夫は黒い顔を上げた。重耳は車上で頭をさげた。農夫はしゃがみ、器らしきものに飯を盛り、ささげるようにもってきた。
「秬(くろきび)らしいが、ありがたい」
 重耳は車輪のかたわらにいる狐偃(こえん)にいった。狐偃がその器をうけとった。山と盛られているものをみた重耳は嚇(かっ)とし、鞭(むち)をふりあげて、馬車から飛び降り、農夫を打とうとした。
 ――衛(えい)は、君主も民も、わしを侮辱した。
 それにたいする怒りである。器に盛られていたものは、秬ではなかった。土であった。農夫は悪声を放って逃げようとした。重耳は鞭で足をはらい、ころんだ農夫のうしろえりをつかむと、曳きずってきた。
「公子」
 狐偃にしてはめずらしく明るい声であった。重耳は眉をひそめた。狐偃が静かに笑みをみせている。かれは高々と器をかかげ、
「これこそ、天の賜(たまもの)です」
 と、いった。なぜなら、民がこの土を献じて服従したのであるから、これ以上、求めるものがあろうか。天意にはかならず兆(きざ)しがある。公子が天下を制するのであれば、それはこの土塊を得たことからはじまる。狐偃はそういうと、農夫を重耳の手からはなし、群臣のまえに立たせ、みずからひざまずいて拝稽首(はいけいしゅ)をした。重耳ははっと気づき、狐偃にならうと群臣はみなその農夫にむかってぬかずいた。
 農夫は魂が飛んだような顔つきになり、この一団が去ったあとも、ぼんやり野面をながめていた。
 農夫から献じられた土は捨てず、重耳はだいじに車に載(の)せた。

【『重耳』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(講談社、1993年/講談社文庫、1996年)以下同】

 拝稽首(はいけいしゅ)は最も重い礼で、両手を組んで地に頭をつけるというもの。この件(くだり)を読んだ瞬間に閃光が走った。

 狐偃(こえん)は土を通して未来を占った。しかも行きずりの農夫から小馬鹿にされた一事を反転させた上で、劇的な物語を描いてみせた。すなわち、未来を明るく照らす言葉こそが「占い」であり、ここに物語の原型(モデル)があるのではなかろうか。

「馬鹿にされた」と思えばそれまでの話だ。実際、そういう物語は我々の周りにいくらでも転がっている。事実のみを語るのであれば、言葉は死んでいるといってよい。新聞には死んだ言葉が並んでいる。それを活字と称するのだから皮肉だ。

 現実を客観視して笑い飛ばす力が英知であるとすれば、英知は強靭な否定に支えられている。それは現実を無視するという意味での否定ではなく、環境から自分に働きかけるマイナス作用に対する完全否定である。前を向いて強気で進めば、環境を引きずってゆくことができる。

 不況になると何かにつけ自分が否定されているような場面に出くわすことがあるものだ。しかし相手が否定しようとも自分で自分を否定しなければよい。どこまでも自分を信じながら、自分を否定した相手を否定すればいいのだ。身勝手な振る舞いを慎みながら、時を稼いでいると思えばストレスも溜まらない。

 物語とは展望でもある。視点が低ければ低い物語で終わってしまうことだろう。今がどんなに苦しくとも志だけは高く堅持することだ。貧しくとも富者(ふしゃ)のように振る舞うことは可能だ。

 自分で自分を占い、未来を明るく照らす言葉を紡ぐことが求められている。

 重耳は徳をもって人を治めた。

「信は国の宝である。信があってこそ、民の財を守り、身を守り、生命を守ることができる。たとえ原(げん)を得ても、民から信頼されなければ、なにをもって民を守ることができるのか。そうなれば、得るものより、失うもののほうが多かろう」
 と、いって、引き揚げ、原邑(げんゆう)から一舎離れたとき、重耳の信条をきいた原邑の民は門をひらいて降伏した。

 重耳より150年あとに生まれた孔子は「信無くば立たず」(『論語』)と教えた。孔子は兵や食よりも信を重んじた。

 では我々の政治はどうだろうか? 既に政治不信というキーワードは手垢まみれになっている。政治不信にすら不信を抱きたくなるような体たらくだ。放射能にさらされている人々がいる。生活保護の申請を拒まれている人々がいる。働きたいのに就職できない人々がいる。子供が欲しくてもつくれない人々がいる。

 政府を信頼している国民が少ないとすれば、この国は既に滅んでいるのだろう。国家のふりをしている領土で政治ごっこが行われているのだろう。

 たしかに民は義と信とを知った。が、それで充分というわけにはいかない。人が家族でまとまり、一族でまとまり、国でまとまり、中華でまとまり、というふうに、小さな存在が集合して大きな組織をつくり、人それぞれが協調して組織を動かしてゆくには原則があり、その原則の基(もとい)にあるものが礼なのである。礼はべつなことばでいえば、他者を尊ぶということである。自分が生きていることは、他者があってはじめて成り立つ。他者といっても、人とはかぎらない。水があり、火があり、というように宇宙を形成しているものも、人を生かしている。したがって礼を知るということは、宇宙の原則を知る、ということである。

 文化とはもともと礼楽(れいがく)を意味した。礼を弁(わきま)え、音楽を嗜(たしな)むところに人生の豊かさがあったのだ。孔子は作詞家でもあり作曲家でもあった。

 ストーリーにひときわ光彩を与えているのが晋から送られた刺客である閻楚〈えんそ〉と介子推〈かいしすい〉の闘いである。介子推は低い身分であったため、陰で重耳を守っている事実を誰も知らない。彼自身、黙して功績を語ることがなかった。

 後に重耳は閻楚〈えんそ〉から介子推の働きを聞かされる。が、論功行賞から漏れた介子推は既に去った後だった。

 言は身の文(かざり)なり。身まさに隠れんとす。
 いずくんぞこれを文に用いん。
 これ顕(けん)を求むるなり。

 介子推がこの世に残したさいごのことばである。
「ことばというものは身を飾るものです。これから身を隠そうとするのに、どうしてことばで飾る必要がありましょう。飾りは顕(あらわ)われるために求めるものです」
 そういったのである。

 介子推こそ真の忠臣であった。重耳は大いに恥じて介子推を探させたが見つかることはなかった。後世、中国の民は晋の文公以上に介子推を称(たた)えた。重耳の瑕疵(かし)とするにはあまりにも大きな過失であった。信賞必罰はかくも難しい。

重耳(上) (講談社文庫)重耳(中) (講談社文庫)重耳(下) (講談社文庫)介子推 (講談社文庫)

2011-08-08

モンサント社が開発するターミネーター技術/『自殺する種子 アグロバイオ企業が食を支配する』安田節子


『給食で死ぬ!! いじめ・非行・暴力が給食を変えたらなくなり、優秀校になった長野・真田町の奇跡!!』大塚貢、西村修、鈴木昭平
『伝統食の復権 栄養素信仰の呪縛を解く』島田彰夫
『親指はなぜ太いのか 直立二足歩行の起原に迫る』島泰三

 ・モンサント社が開発するターミネーター技術

『タネが危ない』野口勲
『野菜は小さい方を選びなさい』岡本よりたか
『土を育てる 自然をよみがえらせる土壌革命』ゲイブ・ブラウン

 世界はカラクリで動いている。金融というゼンマイを巻くことで経済という仕掛けが作動する仕組みだ。そもそも資本主義経済は壮大なねずみ講といってよい。消費者に損をしたと思わせないために広告代理店がメディアを牛耳っている。テレビCMは五感を刺激し欲望を掻(か)き立てる。経済通は口を開けばGDPの成長を促す。生産と消費は食物摂取と排泄(はいせつ)みたいなものだ。あ、そうか、我々は無理矢理エサを食べさせられるガチョウってわけだな。

フォアグラができるまでアヒルのワルツver.

 ローマクラブが『成長の限界』で人類の危機を指摘したのが1972年のこと。これが椅子取りゲームの合図であった。エネルギーと食糧を先進国で支配し、発展途上国が豊かになることを未然に防ごうとしたわけだ。

世界中でもっとも成功した社会は「原始的な社会」/『人間の境界はどこにあるのだろう?』フェリペ・フェルナンデス=アルメスト

 先物相場で取引されるものをコモディティ(商品)というが、貴金属と非鉄金属以外は食糧とエネルギーである。元々生産者を保護するための先物相場は大阪の堂島米会所から始まったものだ。ところが現在は完全に投機の対象となっている。

 日本の食糧自給率はカロリーベースで40%、生産額ベースで70%となっている(2009年)。これは多分、アメリカの戦後支配によって誘導されてきた結果であろう。敗戦の翌年(1946年)、学校給食にパンが用いられた。アメリカ国内で小麦が余っていたためだ。

戦後の食の歴史を学ぶ:「日本侵攻 アメリカ小麦戦略」
現在のアレルギー性疾患増加は戦後の「栄養改善運動」と学校給食、そしてアメリカの小麦戦略によって作られた

 食糧とエネルギー、はたまた軍事に至るまで外国頼みである以上、日本が国家として独立することは極めて困難だ。

 そしてアメリカはTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)という新ルールを日本に課すことで、カラクリを一層強化しようと目論んでいる。

中野剛志

 アグロバイオ(農業関連バイオテクノロジー〔生命工学〕)企業が、特許をかけるなどして着々と種子を囲い込み、企業の支配力を強めています。究極の種子支配技術として開発されたのが、自殺種子技術です。この技術を種に施せば、その種子から育つ作物に結実する第二世代の種は、自殺してしまうのです。次の季節にそなえて種を取り置いても、その種は自殺してしまいますから、農家は毎年種を買わざるを得なくなります。
 この技術は別名「ターミネーター・テクノロジー」と呼ばれています。『ターミネーター』という映画(1985年、米国)をご覧になった方もあるでしょう。(中略)次の世代を抹殺する自殺種子技術の非道さは、まさに映画の殺人マシーン〈ターミネーター〉と重なります。
 この技術の特許を持つ巨大アグロバイオ企業が、世界の種子会社を根こそぎ買収し、今日では、出資産業が彼ら一握りのものに寡占化されています。彼らは、農家の種採りが企業の大きな損失になっていると考え、それを違法とするべく活動を進めているのです。

【『自殺する種子 アグロバイオ企業が食を支配する』安田節子(平凡社新書、2009年)以下同】

 検索したのだが、創業者であるジョン・F・クイーニーの情報がネット上に見当たらない。完全支配の発想がユダヤ的だと思うのだがどうだろうか。種の生殺与奪を握る権限という考え方はアジアからは生まれそうにない。砂漠で生きてきた民族の思考に由来するものだろう。

 病的な発想だ。きっと宗教的な妄想に取り付かれているのだろう。こんな連中が世界を支配しているのだから、貧困がなくなるわけもない。というよりはむしろ、彼らによって貧困が維持されていると考えるべきだろう。

 途上国はおしなべて農業国といえるのですが、農業国でなぜ飢えるのか。それは世界銀行が指南してきた開発モデルに従い、債務を返済するために地場の自給農業をやめて、農地ではもっぱら先進国向けの換金作物を生産しているからです。バナナ、サトウキビ、綿花、コーヒー、パーム椰子などを生産し輸出する、穀物は米国やフランスなど先進国からの輸入に依存するという構造を押しつけられてきました。
 世界銀行やIMF(国際通貨基金)の「助言」に従って自給農業を犠牲にした結果、主食を金で買うしかない、こうした貧しい国々が穀物高騰の直接的影響を蒙ったといえます。

 世界銀行を知るには以下の2冊が参考になる。

世界銀行の副総裁を務めた日本人女性/『国をつくるという仕事』西水美恵子
経済侵略の尖兵/『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』ジョン・パーキンス

 世界銀行とIMFの仕事は発展途上国を債務超過にすることである。つまり借金漬けにした上でコントロールするのだ。これを親切に涼しい顔でやってのけるのが白人の流儀だ。

 経済とは交換(trade,swap)である。その取引(deal)においてインチキがなされているのだ。アフリカがいつまで経っても貧困と暴力に喘いでいるのは、ヨーロッパが植民地化し、アメリカが奴隷化した歴史のツケが回っているためだ。彼らは有色人種や異教徒を同じ人間とは見なさない。

 いまでは全米のトウモロコシの3割がバイオエタノール用に降り向けられた結果、食用向けが逼迫して高騰しました。トウモロコシが高値で取引されることから、農家は大豆や小麦の生産をやめ、トウモロコシへ転換するようになりました。生産量の減少で小麦と大豆も価格が上がりました。
 原油の値上がりもバイオ燃料ブームを引き起こした一因です。

 食べ物が工業用エネルギーに化けた。経済的合理性は利潤を追求するので、生産者はより高い作物を育てようとする。政治や市場はこのようにして人々の生活を破壊する。過当競争が終われば必要な物が不足している。

 特定の方向に傾きやすいのは不安に根差しているのだろう。これがファシズムの温床となる。アメリカの農業は既に工業の顔つきをしている。

 モンサント社は遺伝子組み換え技術を使った牛成長ホルモンrBST(recombinant Bovine Somatotoropin' 商品名「ポジラック」)を開発し、米国では1994年より大人の乳量増加のために使用されてきました。「ポジラック」を乳牛に注射すると、毎日出す乳の量が15~25%増えるうえに、乳を出す帰還も平均30日ほど長くなるといいます。(EUはrBSTに発ガン性があるとして輸入禁止。カナダ政府保健省はrBSTによって牛の不妊症、四肢の運動麻痺が増加すると報告した。日本には規制がないためフリーパスで入ってきた。)

 生産性を上げるためなら、こんな残酷な真似までするのだ。我々人類は。

家畜の6割が病気!

 日本の場合、屠畜上で検査されて、抗菌性物質の残留や屠畜場法に定められた疾病(尿毒症、敗血症、膿毒症、白血病、黄疸、腫瘍など)や奇形が認められることが頻発しています。その場合、屠殺禁止、全部廃棄、また内蔵など一部廃棄となるのですが、その頭数は牛・豚ともに屠殺頭数の6割にも達します(2006年度)。出荷される家畜の多くが病体であるという現実はほとんど知られていません。疾患のある内装は廃棄されるとはいいえ、その家畜の肉が健康な肉といえるでしょうか。
 私たちの身体は食べたものでできており、何を食べるかで健康は大きく左右されます。この意味からも、病体の家畜を大量に生み出す生産方式を問い直す必要があるのです。

 元々食肉業界は闇に包まれている部分が大きい。

アメリカ食肉業界の恐るべき実態/『ファストフードが世界を食いつくす』エリック・シュローサー

 ターミネーター技術とは、作物に実った二世代の種には毒ができ、自殺してしまうようにする技術のことです。この技術を種に施して売れば、農家の自家採種は無意味になり、毎年種を買わざるを得なくなります。この自殺種子技術を、「おしまいにする」という意味の英語 terminate から、RAFI(現ETC、カナダ)がターミネーターと名づけました。

 更にこの技術を進化させているそうだ。

 また業界はターミネーター技術をさらに進化させた、トレーター技術も開発しています。植物が備えている発芽や実り、耐病性などにかかわる遺伝子を人工的にブロックして、自社が販売する抗生物質や農薬などの薬剤をブロック解除剤として散布しない限り、それらの遺伝子は働かないようにしてあります。農薬化学薬品メーカーでもあるこれらの企業の薬剤を買わなければ、作物のまともな生育は期待できないのです。RAFIが、この技術を指す専門用語 trait GURT にかけて traitor (裏切り者)技術と名づけました。自社薬剤と種子のセット売りは、除草剤耐性GM作物の「自社除草剤と種子のセット売り」戦略と同じです。ターミネーター技術やトレーター技術を開発するのをみれば、アグロバイオ企業の真の狙いは種子の支配なのだと思わされます。

 最終的に彼らは太陽の光や空気も支配するつもりなのだろうか?

 遺伝子組み換え作物に導入した特性は、次世代にも引き継がれます。そのためモンサント社の種子を購入する農家は、特許権を尊重するテクノロジー同意書に署名させられ、どんな場合でも収穫した種子を翌年に播くことは許されません。毎年種会社から種を買うことが求められます。

 これをパテント(特許)化することで完全支配が成立する。実際に行われている様子が以下。

 2003年7月、市民団体が招いたシュマイザーの講演によると、北米で、農民に対してモンサント社が起こした訴訟は550件にも上るといいます。モンサント社は、組み換え種子の特許権を最大限に活用する戦略を展開しています。遺伝子組み換え種子を一度買った農家には、自家採種や種子保存を禁じ、毎年確実に種子を買わせる契約を結ばせます。そうでない農家には、突然特許権侵害の脅しの手紙を送りつけるというものです。農家の悪意によらない、不可抗力の花粉汚染であるなら、裁判では勝てると常識的に思うのですが、法廷に持ち込まれることはほとんどないといいます。農民は破産を恐れ、巨大企業モンサント社との裁判を避けるために、示談金を払うしかないのだそうです。

 こうしてモンサント社は訴訟をもビジネス化した。

 モンサント社は特許権を守るというより、損害賠償をビジネスとして展開しています。ワシントンにある食品安全センター(FSC)の2007年の調査によると、モンサント社は特許侵害の和解で1億700万~1億8600万ドルを集め、最高額はノースカロライナ農民に対しての305万ドル(約3億500万円)だったそうです。モンサント社は訴訟分野を強化するため、75人のスタッフを擁する、年間予算1000万ドルの新部門を設置したといいます(03年)。

 なぜ、これほど悪辣な企業が大手を振って歩いているのだろうか? それは多額の政治献金を行っているからだ。そして天下りも受け入れている。抜かりはない。

 また次の改定では、研究機関の新品種へのアクセスは、10年間禁止し、その後、登録とロイヤリティの支払いを求めるとしています。そしてこれを実行ならしめるため、種子銀行システムを構築するとしています。品種育成のために使用できる合法種子は、種子銀行から正式な手順に従って許可された種子だけとなり、それにはロイヤリティの支払いを伴うことになります。

 文字通り農業を根こそぎ私物化し、自分たちの言い値で販売する戦略だ。もはや戦略というレベルではなく、世界全体の植民地化といってよい。

 彼らは何を目指しているのか?

 この種子銀行システム構想の下敷きになっているのが、国際農業研究協議グループ(CGIAR)の遺伝子銀行やノルウェー領に建造された週末趣旨貯蔵庫ではないでしょうか。
 ビル・ゲイツのビルアンドメリンダゲイツ基金、ロックフェラー財団、モンサント社、シンジェンダ財団などが数千万ドルを投資して、北極圏ノルウェー領スヴァールバル諸島の不毛の山に終末趣旨貯蔵庫を建造し、2008年2月に活動を開始しています。ノルウェー政府によれば、それは、核戦争や地球温暖化などで趣旨が絶滅しても再生できるように保存するのが目的といいます。
 この貯蔵庫は、自動センサーと二つのエアロックを備え、厚さ1メートルの鋼鉄筋コンクリートの壁で出来ています。また爆発に耐える二重ドアになっています。北極点から約1000キロメートル、摂氏マイナス6度の永久凍土層深くに建てられた終末種子貯蔵庫には、さらに低温のマイナス8度の冷凍庫3室があり、450万種の趣旨を貯蔵できます。
 核戦争や自然災害など深刻な災害に世界の農業が見舞われたとき、果たして各国はこの貯蔵庫から種子を取り出し、食料生産を再開することができるのでしょうか。

終末の日の要塞 スヴァールバル世界種子貯蔵庫

 種子のマネー化である。農業の金融化。利息が利息を生んで自動的に増殖する仕組みだ。

信用創造のカラクリ
「Money As Debt」

 グローバリゼーションがニュー・ワールド・オーダー(新世界秩序)を目指したものであるならば、彼らは用意周到に恐るべき忍耐力を発揮しながら、それを必ず実現させることだろう。

 世界の仕組みを理解するための必読書であることは確かだが、如何せん最初から最後まで市民的な正義が全開となっており疲れを覚える。



モンサント社の世界戦略が農民を殺す
巨大企業モンサント社の世界戦略 遺伝子組換 バイオテクノロジー
遺伝子組み換えトウモロコシを食べる害虫が増殖中、米国
「遺伝子組換食品の脅威」ジェフリー・M・スミス
穀物メジャーとモンサント社/『面白いほどよくわかる「タブー」の世界地図 マフィア、原理主義から黒幕まで、世界を牛耳るタブー勢力の全貌(学校で教えない教科書)』世界情勢を読む会
資本主義経済崩壊の警鐘/『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン
癌治療の光明 ゲルソン療法/『ガン食事療法全書』マックス・ゲルソン
アメリカの穀物輸出戦略/『この国の不都合な真実 日本はなぜここまで劣化したのか?』菅沼光弘

2011-05-24

目的や行為は集団に支配される


 医療はどこに存在するのか? 病院だ。労働は会社に、教育は学校に、信仰は教団においてのみ存在する。おかしいと思わないか? 目的や行為が特定の場所にしかない実態が。人間と人間との間で機能してきた本来の営みが集団や組織に支配されているのだ。

「手当て」という言葉は、額に手を当てて熱を計ったり、患部をさすったり、傷を保護することに由来しているのだろう。ところが医学技術が発達した現在では、勝手な医療行為は法律で規制されており、例えばヘルパーなどには認められていない(救命措置を除く)。

 結局のところ、人間は国家というシステムに隷属せざるを得ないのだ。危急存亡の秋(とき)とあらば、国民は喜び勇んで国家の捨て石となる。その意味で国家とは「祖国のために死ね」と命ずる装置といえよう。

 目的や行為が集団に支配されるのは資本主義の末路と考えられる。全ての関係性が消費に収斂(しゅうれん)され、経済的な対価が求められるのだ。

 かつて国家が国民のものであったことは一度もない。その意味では民主主義を論じること自体が、国家を正当化する論調となってしまう。民主主義は単なる概念であって、現実には単なる多数決を意味する言葉だ。つまり政治は国会においてのみ存在する。

 宗教だともっとわかりやすい。入会を強要する行為が信仰であるはずがない。教えを広めるはずの布教が勢力拡大に堕している。これはマーケットの論理だ。大きな教団が多額の金を払ってメディアに広告を打つのも同様である。教勢拡張を狙ったプロパガンダにすぎない。

 資本主義が一切を消費対象に変え、人間関係を商行為に貶(おとし)めている。恋愛ですら、ドラマや流行歌の歌詞に合せようと精一杯の努力を傾ける。文明は生活を豊かにしたが、生き方を貧しくした。

民主主義の正体/『世界毒舌大辞典』ジェローム・デュアメル