2009-03-26

体から悲鳴が聞こえてくる/『悲鳴をあげる身体』鷲田清一


『ことばが劈(ひら)かれるとき』竹内敏晴

 ・蝶のように舞う思考の軌跡
 ・体から悲鳴が聞こえてくる
 ・所有のパラドクス
 ・身体が憶えた智恵や想像力
 ・パニック・ボディ
 ・セックスとは交感の出来事
 ・インナーボディは「大いなる存在」への入口

『ことばが劈(ひら)かれるとき』竹内敏晴
『身体が「ノー」と言うとき 抑圧された感情の代価』ガボール・マテ
『身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法』べッセル・ヴァン・デア・コーク
『日本人の身体』安田登
『サピエンス異変 新たな時代「人新世」の衝撃』ヴァイバー・クリガン=リード
『ストレス、パニックを消す!最強の呼吸法 システマ・ブリージング』北川貴英
『「疲れない身体」をいっきに手に入れる本 目・耳・口・鼻の使い方を変えるだけで身体の芯から楽になる!』藤本靖
『フェルデンクライス身体訓練法 からだからこころをひらく』モーシェ・フェルデンクライス
・『ニュー・アース』エックハルト・トール
『瞬間ヒーリングの秘密 QE:純粋な気づきがもたらす驚異の癒し』フランク・キンズロー

必読書リスト その二

 近年、脳科学本が充実しているが、身体論と併せて読まなければ片手落ち(※差別用語じゃないからね)となる。人体にあって、確かに脳は司令塔であるが、五官からの情報によって脳内のネットワークが変化することもある(池谷裕二著『進化しすぎた脳 中高生と語る〔大脳生理学〕の最前線』朝日出版社、2004年)。つまり、脳と身体はフィードバックによる相互関係で成立している。

 いつの頃からか、若者が自分の身体を傷つけるようになった。一般的に攻撃性は他者に向かう。だから、いじめは昔からあった。それどころか、実はチンパンジーの世界にもいじめが存在する(フランス・ドゥ・ヴァール著『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』早川書房、2005年)。社会を構築する動物の世界には、確固たる“権力”が存在する。そして社会はピラミッド型の序列(ヒエラルキー)を形成する。で、下の奴が上の奴にいじめられるってわけだ。

 若者の自傷行為は、引きこもりと相前後していると思われる。と言うよりも、むしろ引きこもり自体がある種の自傷行為と考えていいのかもしれない。

 鷲田清一は、身体が本来持っていた智慧が失われ、悲鳴を上げていると指摘している――

 なにか身体の深い能力、とりわけ身体に深く浸透している智恵や想像力、それが伝わらなくなっているのではないか。あるいは、そういう身体のセンスがうまく働かないような状況が現れてきているのではないか。
 そんな身体からなにやら悲鳴のようなものが聞こえてくる気がする。身体への攻撃、それを当の身体を生きているそのひとがおこなう。化粧とか食事といった、本来ならひとを気分よくさせたり、癒したりする行為が、いまではじぶんへの、あるいはじぶんの身体への暴力として現象せざるをえなくなっているような状況がある。
 たとえばピアシング。芹沢俊介は、ある新聞記事のなかで(『朝日新聞』1995年8月30日夕刊)、「一つの穴(ピアス用の)を開けるたびごとに自我がころがり落ちてどんどん軽くなる」という男子の言葉を引き、次のようにのべている。
「気になることというのは、彼らが自己の体に負荷をかけ続けることで自我の脱落という感覚を手に入れている点である。自分を相手にしたこの取引において、彼らは自己の体への小さな暴力といっていいような無償の負荷──フィジカルな負荷──を自分から差し出すことによって、精神的な報酬を得ている。教団という契機を欠いているけれど、私にはこれが宗教に近い行為のように映るのである」、と。
 あるいは摂食障害という、食による自己攻撃。
 あるいは、生理がなくなって、なのにそれがうれしい、身軽になった感じという、20代の女性の感覚。
 あるいはセックス。〈食〉と同じように〈性〉という現象にも過敏になって、とりあえず早くやりすごしたいと思う思春期の女性が増えているという。

【『悲鳴をあげる身体』鷲田清一〈わしだ・きよかず〉(PHP新書、1998年)】

 自傷行為は“生”の暴走なのか落下なのか。はたまた、“生きる側”に必死でしがみつく行為なのか。あるいは自分で自分に下す罰なのか――私にはわからない。

「彼女達は“生きるため”にリストカットをする」と宮台真司が言っていた。しかしながら、やってることは自分自身に対する暴力である。つまり、「生きるための暴力」を正当化することになりかねない。

 私は違うと思う。彼女達はリストカットをするたびに「死んでいる」のだ。そして、手首から滴り落ちる血の中から再び生まれてくるのだろう。

 若者の自傷行為は、「生きるに値しない世の中」に対する絶望的な抗議である。



自我と反応に関する覚え書き/『カミとヒトの解剖学』 養老孟司、『無責任の構造 モラル・ハザードへの知的戦略』 岡本浩一、他

2009-03-24

「妊婦撃てば2人殺害」 イスラエル兵Tシャツ


 アラブ人妊婦に銃の照準を合わせた絵に「1発で2人殺害」の文字――。イスラエル軍兵士が部隊の仲間内で、パレスチナ人の生命を軽視するような図柄のオリジナルTシャツを作って着用していることが24日までに、イスラエル紙ハーレツの報道で分かった。
 照準の中に少年の絵を描き「小さいほど難しい」と書かれたTシャツもあり、兵士の一人は「子供を撃つのは道徳的に問題で、また標的として小さい(から難しい)」という意味だと解説した。シャツを町中で着れば非難されるため、軍務時に着用しているという。
 兵士や士官はこうした絵柄について「本当に殺そうと考えているわけでなく、内輪の冗談」などと説明。同紙は一方で「2000年のパレスチナとの大規模衝突以降、イスラエル世論が右傾化し、兵士の間でパレスチナ人の人権を無視する傾向がみられる」とする社会学者の話も伝えた。
 軍報道官は同紙に対し「兵士が私的に作ったものだが、軍の価値観と相いれない」として、かかわった者の処分を検討する方針を示した。

【共同通信 2009-03-24】

2009-03-21

加害男性、山下さんへ5通目の手紙 神戸連続児童殺傷事件


『淳』土師守
『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子

 1997年に起きた神戸市須磨区の連続児童殺傷事件で当時14歳だった加害男性(26)が、殺害した山下彩花ちゃん=当時(10)=の13回忌の23日を前に、遺族に謝罪の手紙を送っていたことが分かった。男性は2005年に医療少年院を退院。手紙は昨年3月以来で、04年の仮退院中を含め5通目となる。
 彩花ちゃんの両親の賢治さん(60)と京子さん(53)は19日、神戸市内で加害男性の両親、代理人と面会。男性直筆の手紙を手渡されたという。
 京子さんによると、手紙は横書きの便せん3枚にペンで書かれ、具体的な生活状況には触れられていない。「(男性の)周りに逆境の中で精いっぱい生きる人がいて、自分も現実に向き合わなければならないと思っているようだ。これまでの手紙は無機質な印象があったが、今回は確かに生身の人間が書いていると思えた」としている。
 京子さんは、男性あてに初めて「償うとはどういうことか考えてほしい」という内容の手紙を書き、代理人に託した。男性からの手紙を読んだ上で神戸新聞社に手記を寄せ、「人の心は、人の心でしか動かすことはできない」などと思いを打ち明けた。

【神戸新聞 2009-03-21】

2009-03-19

かくして少年兵は生まれる/『戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった』イシメール・ベア


『ダイヤモンドより平和がほしい 子ども兵士・ムリアの告白』後藤健二
『武装解除 紛争屋が見た世界』伊勢崎賢治
『それでも生きる子供たちへ』監督:メディ・カレフ、エミール・クストリッツァ、スパイク・リー、カティア・ルンド、ジョーダン・スコット&リドリー・スコット、ステファノ・ヴィネルッソ、ジョン・ウー

 ・少年兵は自分が殺した死体の上に座って食事をした
 ・かくして少年兵は生まれる
 ・ナイフで切り裂いたような足の裏
 ・逃げ惑う少年の悟りの如き諦観
 ・ドラッグ漬けにされる少年兵
 ・少年兵−捕虜を殺す競争

必読書リスト その二

 飢えと寒さに苛まれながらも少年は逃走する。離れ離れになった家族との再会を目指して。だが、とうとう反乱兵につかまってしまう。反乱兵は少年達を二つのグループに分けた。そして――

 片方の腕をさっと伸ばしてぼくらを指し、反乱兵の一人が言いはなった。「目の前にいるこいつらを殺すことによって、おまえら全員を入隊させる。血を見せれば、おまえらは強くなる。そのためにはこうすることが必要なのさ。もう二度とこいつらに会うことはないだろう。まあ来世を信じていれば話は別だが」。彼はげんこつで自分の胸をたたいて笑った。
 ぼくは振りかえってジュニアを見た。目が赤い。涙をこらえようとしているのだろう。彼はこぶしを固く握りしめて、手の震えをおさえている。ぼくは声を押し殺して泣きだし、そのとき急に目まいがした。選ばれた少年のうちの一人が反吐(へど)を吐いた。反乱兵の一人が銃床でその子の顔をなぐり、ぼくらの列に押し込んだ。歩き続けていると、少年の顔から血が流れてきた。

【『戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった』イシメール・ベア:忠平美幸〈ただひら・みゆき〉訳(河出書房新社、2008年)】

「生きるためには仲間を殺せ」――反乱兵は一線を越えさせることで少年の自我を崩壊させ、その後ドラッグ漬けにして一人前の少年兵をつくり上げるのだ。ジュニアというのは、少年の兄だった。実の親を殺させることも珍しくない。

 イシメール・ベアは土壇場で難を逃れる。政府軍が近づき、銃撃戦が展開された隙(すき)を見計らって、脱兎の如く逃げ去ったのだ。

 貧しい国では暴力が闊歩している。特に軍隊や警察は、暴力の牙を剥(む)き出しにして容赦なく国民に襲い掛かる。そして子供達は、「生きるためのジレンマ」を抱え込む羽目になる。

 先進国の経済力という暴力性が、これらの国々を貧しくさせているとすれば、もはや国家という枠組を解体する他、人類が幸福になることはあり得ない。「国家悪」という思想を私は熱望する。

2009-03-16

自然淘汰は人間の幸福に関心がない/『病気はなぜ、あるのか 進化医学による新しい理解』ランドルフ・M・ネシー&ジョージ・C・ウィリアムズ


 ・進化医学(ダーウィン医学)というアプローチ
 ・自然淘汰は人間の幸福に関心がない
 ・生まれつき痛みを感じない人のほとんどは30歳までに死ぬ
 ・進化における平均の優位性
 ・平時の勇気、戦時の臆病

『迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来たのか』シャロン・モアレム、ジョナサン・プリンス
『失われてゆく、我々の内なる細菌』マーティン・J・ブレイザー

 人体は遺伝子の乗り物に過ぎないという考え方がある。

 私たちは、自然界の生物は幸せで健康なものだと考えたがるが、自然淘汰は、私たちの幸福には微塵も関心がなく、遺伝子の利益になるときだけ、健康を促進するのである。もし、不安、心臓病、近視、通風や癌が、繁殖成功度を高めることになんらかのかたちで関与しているならば、それは自然淘汰によって残され、私たちは、純粋に進化的な意味では「成功」するにもかかわらず、それらの病気で苦しむことだろう。

【『病気はなぜ、あるのか 進化医学による新しい理解』ランドルフ・M・ネシー&ジョージ・C・ウィリアムズ:長谷川眞理子、長谷川寿一、青木千里訳(新曜社、2001年)】

 つまり、子孫のために我が身を犠牲にする働きともいえる。子孫を残すためなら、いかなる病気も引き受け、苦痛にものた打ち回るってわけだ。まったく嫌な話だ。

 しかし、である。ヒトというのは生殖可能な期間が過ぎ去っても尚、生き延びる。老齢期が最も長い動物なのだ。これは、遺伝子本位の考えとどのような整合性を持つのであろうか。孫子に人生の智慧を伝授する役目でもあるのだろう。

 ダーウィン医学が胡散臭く思えるのは、例えば犯罪をも遺伝子の働きで説明しかねない雰囲気があるところだ。そして、生存競争に勝った時点から過去を読み解くわけだから、ちょっと後出しじゃんけんっぽいんだよね。