2014-09-15

宗教の硬直化/『完全教祖マニュアル』架神恭介、辰巳一世


『カミとヒトの解剖学』養老孟司

 ・目指せ“明るい教祖ライフ”!
 ・宗教の硬直化

『死生観を問いなおす』広井良典

 宗教は軌道に乗ると硬直化します。そして、硬直化すると「基本に返ろうぜ!」という人が現れ、別の一派を作ります。しかし、それもそのうち硬直化します。この繰り返しは様々な伝統宗教で見られてきたことです。
 なぜ、宗教は硬直化するのでしょうか? それは宗教が組織化するからです。元々、宗教というのは個人の霊的体験がベースになっています。霊的な体験をした一人一人がまず先にあり、それが集まったのが教団だったわけです。しかし、教団が軌道に乗って大きくなってくると、今度は逆に個人の霊的体験を危険視し始めるようになります。指導者の言うことを聞かなくなったりしますからね。
 つまり、教団というのは本来、「個人の霊的体験」という本質を包む外殻だったのですが、この外殻が、本質である「個人の霊的体験」を押し出そうとし始めるわけです。すると、教団にがんじがらめにされて、「個人の霊的体験」が失われていきます。宗教活動が儀式化すると言い換えても良いでしょう。

【『完全教祖マニュアル』架神恭介〈かがみ・きょうすけ〉、辰巳一世〈たつみ・いっせい〉(ちくま新書、2009年)】

 くだけた調子でありながらも洗練された説明となっている。キリスト教ではカトリックが制度宗教として極まった時、プロテスタントが産声をあげた。なぜ教団は組織化するのか? もちろん布教のためだ。布教とは上から目線で下々の連中を救うプロパガンダである。キリスト教の宣教師を見れば一目瞭然だろう。その本質は精神の征服にある。

 悟りから遠ざかる位置で組織化が始まる。悟っていない者が悟っていな者を支配する構図だ。そして教義こそは組織化の道具である。悟っていない連中は言葉にしがみつく。理屈で信者を縛りつけて自分たちの言いなりにする。

 組織的に行われるのは運動であって宗教行為ではない。教団内部の力学はビジネスと同じ様相を呈し、営業成績のよい者には心理的報酬を与える。硬直化した宗教は信者からカネと時間を巻き上げる。

「宗教は組織化された信念ではありません」(『クリシュナムルティの教育・人生論 心理的アウトサイダーとしての新しい人間の可能性』大野純一著編訳)。この一言が理解できれば呪縛は解ける。

 これは宗教に限ったことではない。仕事やサークル活動であっても「自分が利用されている」と少しでも感じたならば、そこから去る勇気をもつことだ。最悪の場合は家族の中でも起こり得ることだ。心や情の通わない世界にいると必ず部分的に殺されてゆく。

2014-09-13

脳化社会/『カミとヒトの解剖学』養老孟司


『唯脳論』養老孟司

 ・アナロジーは死の象徴化から始まった
 ・霊界は「もちろんある」
 ・夢は脳による創作
 ・自我と反応に関する覚え書き
 ・脳化社会

『完全教祖マニュアル』架神恭介、辰巳一世

 現代人はじつは脳の中に住んでいる。それは東京を歩いてみればすぐわかる。目に入るものといえば、人工物ばかりだ。人工物とはつまり脳の産物である。脳がさまざまなものを作りだし、人間はその中に住む。そこには脳以上のものはないし、脳以下のものもない。これを私は「脳化社会」と呼ぶ。大霊界がはやる根本の理由はそれであろう。大霊界もまた、脳の中にのみ存在するからである。われわれの社会では脳の産物は存在を許される。それを信仰の自由、表現の自由、教育の自由、言論の自由などと呼ぶ。他方、身体は徹底的に統制される。だから、排泄の自由、暴力の自由、性の自由、そういうものはない。許される場合は、仕方がないから許されているだけである。なぜか。脳は統御の器官だからである。脳は身体をその統御下に置く。さらに環境を統御下に置く。そうしてすべてを統御下に置こうとするのである。

【『カミとヒトの解剖学』養老孟司〈ようろう・たけし〉(法蔵館、1992年/ちくま学芸文庫、2002年)】

 つまり脳が社会に溢れだしているわけだ。身近な例で考えるとわかりやすい。私の部屋もパソコン内も脳の産物に他ならない。本棚はその筆頭に位置する。

 反対に東京という都市から日本人の脳を探ることは可能だろうか? 迷路のような首都高速道路、人を人とも思わぬ高層ビル、ひしめき合う住宅、広い道路は渋滞し、狭い道路は見通しが悪く危険極まりない。公害こそ少なくなったものの絶えることのない騒音。そして山がない(多摩方面を除く)。

 英雄や大物が出るような脳でないことは確かだろう。落語を聴いてもわかるが、とにかく東京人はせわしない。落語に登場するのも粗忽者(そこつもの)が多い。

 結局、何でも揃っているが歴史を変えるような新しい何かが生まれる場所ではないように思う。敗戦から高度成長にかけて必死で働いてきたわけだが、整然とした住みやすい街並みができることはなかった。

 雑然とした街と脳をすっきりさせるためにも、まず狭い道路をすべて一方通行にすることを提案したい。

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養老 孟司
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存在と時間




川はどこにあるのか?

「野生動物に手を差しのべよう」WWF


2014-09-12

悪いいたずら


 只今、botに全力投球中。


1日に1100人以上の女性がレイプされる国 コンゴ










The Greatest Silence: Rape in The Congo (Official Trailer)

強姦から生まれた子供たち/『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』写真、インタビュー=ジョナサン・トーゴヴニク

2014-09-10

「悪は凡庸」ではない? 有名実験を新たに研究


 普通の人々を悪事に駆り立てるものとは何か──この問いについて哲学者や倫理学者、歴史家や科学者たちは何世紀も論争してきた。

 現代にも大きく通じる考えの一つは「ほとんど誰もが」、命令されれば残虐行為を働くことができるというものだ。独裁的な人物の命令や同調意識によって、我々はブルドーザーで家を押し潰し、本を燃やし、親から子どもを引き離し、彼らを殺すことさえやり遂げることができる。このいわゆる「悪の凡庸さ」は第2次世界大戦(World War II)中に何故、教育を受けた一般的なドイツ人が、ユダヤ人虐殺に加担したのかを説明する理論として引用されてきた。しかし、50年以上前に行われた世論形成実験を再検討した心理学者たちが今、再考を求めている。

「参加する者たちは自分たちが何をしているのか分からずに、ただそれを遂行することが目的になっている『考えや意識の無いしかばね』だとする『悪の凡庸さ』という概念だが、我々がデータを読み収集すればするほどそれを裏付ける証拠が減っていった」と、オーストラリア・クイーンズランド大学(University of Queensland)のアレックス・ハスラム(Alex Haslam)教授はいう。「我々の感覚とは一種の同一化であり、従ってすべての非道な行動の基には概して選択がある」

■偽の拷問実験とホロコーストの指揮者

 今回の検証で焦点となったのは、1961年に米エール大学(Yale University)の心理学者スタンリー・ミルグラム(Stanley Milgram)氏が実施した伝説的な実験だ。

 この実験に協力したボランティアは「学習に関する実験をする」と聞かされ、単語を組み合わせて覚えたはずの「生徒役」が回答を間違えると電気ショックを与える「教師役」をさせられた。そして「生徒役」が間違えるたびに「教師役」のボランティアは、実験用白衣を着た博士のような人物から、電気ショックの電圧を上げるように命じられた。電圧の目盛は15ボルトから始まり、最高は致死電圧の450ボルトだった。

 しかし、実はこれは偽の実験だった。「生徒役」は役者で、実際には電流も流されていなかった。実験中、「教師役」のボランティアからは「生徒役」の姿は見えず、聞こえていたのは声だけだった。

 だが驚くことに「生徒役」が止めてくれるよう懇願したり、泣き叫んだりするのが聞こえても、「教師役」のボランティアの3分の2近くが「致死の電圧」に至るまで、実験を続行した。この実験は、命令を受けている下で、いかに良心が抑制され得るかを示す例として様々な教科書で取り上げられるようになった。

 さらにこの実験での発見は、ナチス・ドイツ(Nazi)のホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)に関与したナチス親衛隊のアドルフ・アイヒマン(Adolf Eichmann)の1961年の裁判を扱った政治哲学者ハンナ・アーレント(Hannah Arendt)の画期的な著書と一致するものだった。  アーレントが見たアイヒマンは、思い描いていたような怪物的な人物像とは程遠く、むしろつまらない官僚的な人物だった。このことからアーレントは、普通の人間が周囲に同調することによって残虐行為を犯す可能性を言い表すために「悪の凡庸さ」という言葉を生み出したのだった。

■実験に肯定的だったボランティアたち

 英心理学専門誌「ブリティッシュ・ジャーナル・オブ・サイコロジー(British Journal of Social Psychology)」に発表された新たな研究は、先の実験の中で「教師役」とされたボランティアたちについて、さらに詳しく調査した。研究チームがエール大学の保管庫から探し出したのは、実験終了後、実験の真の目的と、拷問が嘘だったことを告げられたボランティアたちが書き残したコメントだった。

 ボランティア800人のうち感想を書き残したのは659人。このうち実験中に不安や苦痛を感じたと答えたボランティアは一部で、多くは実験について肯定的に報告し、一部には極端に肯定する者もいた。

 例えば「このような重要な実験に参加することでのみ、人は良い気分になれる」「人間と他者に対する態度の発達について、ささいな方法ながらも貢献できたと感じる」「こうした研究が人類に寄与するものだと考えるのならば、もっとこうした実験を行うべきだと言える」といった感想だ。

 こうした幸福そうなコメントは、電気ショックが偽物で、従って誰も傷つけてはいなかったことが分かった安堵(あんど)感に由来したのだろうか。

 そうではない、と今回の研究の論文は主張する。義務を果たしたことや、価値あることに貢献したという喜びが、コメント全般にみられた。ミルグラムは実験前、ボランティアたちに具体的な内容は告げずに、しかし、これから行う実験は知識を進化させるものだと告げていた。

 参加者たちが名門エール大学に対する畏敬の念も働いた。コネチカット(Connecticut)州ブリッジポート(Bridgeport)のオフィスで同じ実験を行ったときよりも、服従の度合が高かったからだ。論文は、ボランティアたちが「白衣の監視役」に無気力に従ったのではまったくなく、自分たちは「科学」という崇高な目的のために実行しているのだという信念を持って、電気ショックをエスカレートさせていったのだと指摘している。

 クイーンズランド大学のハスラム氏は「こうした場合、倫理的問題は通常考えられているよりも、もっと複雑だ。ミルグラムは明らかに参加者の不安を和らげた。有害なイデオロギー、つまり他の場合ならば非道なことでも、科学という大義のためであれば容認できるという考えを、参加者に信じ込ませることによって」と述べた。

 英セント・アンドリューズ大学(University of St Andrews)のスティーブン・ライヒャー(Stephen Reicher)教授は今回の研究は、一般的な人物が異常なほどの実害を及ぼす行動を起こす可能性を指摘し、しかしそのときに主要因となっているのは思慮の欠如ではないことを示していると述べた。そして教授は「人々は自分たちが何をしているのか自覚していて、しかも、それを正しいことだと思ってやっているのだというのが、我々の主張だ。この根源にあるのは大義との一体化であり、権力がその大義を正当に代表していると容認するところから来ている」と語った。

AFP 2014-09-09

『服従の心理』スタンレー・ミルグラム
『服従実験とは何だったのか スタンレー・ミルグラムの生涯と遺産』トーマス・ブラス