2017-12-12

田原総一朗の正体は反戦主義者/『戦争論争戦』小林よしのり、田原総一朗


『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』小林よしのり
・『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論 2』小林よしのり
・『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論 3』小林よしのり
『ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論』小林よしのり

 ・田原総一朗の正体は反戦主義者

『「知的野蛮人」になるための本棚』佐藤優

 最近、私は、信頼する親しい大学教授や評論家たちから、「自分は真ん中よりやや左だったが、このところ右よりになってきた」という話をよく聞く。どう見ても左派の菅直人までが、朝鮮半島の有事の際には自衛隊の米軍後方支援を支持すると、自民党すらいわないことを口にするくらいだ。世の中は、どんどん右へ、右へと動いている。
 これは、やはり50年続いた戦後日本の世の中が、ひたすら「個」中心へと向かった結果、人びとが「国」や「公」の危うさに気づきはじめたということなのだろう。
 しかし、この前の戦争の末期を体験した私にとって、生きるということは、いってみれば、あのような戦争を二度と再び起こさないことだった。最近は、それが私の役割だとすら思えるようになってきた。そこで小林よしのりとは、さまざまな論点で激突し、徹底的に闘うはめになってしまったのだ。

【『戦争論争戦』小林よしのり、田原総一朗(ぶんか社、1999年)】

 田原総一朗の後書きを読んだ瞬間に私は悟った。「この男は単なる反戦主義者なのだ」と。疑問の雲が吹き払われた。田原の周囲に左翼およびシンパが多いのはその反戦主義が共鳴しているためだ。

 彼は必ず「ジャーナリストの田原総一朗です」と名乗る。やはり言論をプロレス化しただけのテレビ屋という自覚があるのだろう。テレビマン時代には衆人環視のもとで性行為をやってのけた人物である。映画監督にも作家にもなることができなかった劣等感を「過激さ」で撥(は)ね退けようとしたのだろう。

 田原に近い人物の一人に佐藤優がいる。佐藤は田原のラジオ番組で再三にわたって小林よしのりを批判してきた。また小林を攻撃する記事も幾度となく書いている。小林はこれに応じた。ほんの2~3年前までの出来事だ。ところが小林は女系天皇論を表明した後、先の総選挙では辻元清美や山尾志桜里を担ぎ上げるまでに大きく旋回した。その後の佐藤との論争を私はフォローしていないのだが、たぶん佐藤は小林批判を控えているのではないか。

 今から7~8年前に行われたシンポジウムで佐藤優が田原総一朗を痛罵する場面があった。会場から湧いた拍手を聞いて「ああ、田原が持てはやされる時代は終わったな」と感じた。


文字起こし:【佐藤優】田原総一朗は官僚支配を促進している

 ジャーナリストの田原総一朗氏は、「権力党員」である。「権力党」とは、民主党とか自民党という、既成政党と関係ない。「権力党員」とは、常に時の権力の内側にいて、事実上、国家の意思形成に加わっている人を指す。「権力党員」は時の政権の手先であるという単純な図式は成り立たない。むしろ時の政権とは、少し距離を置きつつも権力の内側にいて、建設的批判を行った方が「権力党員」としての影響力が拡大することがある。田原氏は、「権力党」の文法に通暁している。それだから、政府の顧問や諮問委員に就かないのだ。

佐藤優の眼光紙背:「権力党員」田原総一朗氏と国民の真実を知る権利 2010年10月25日

 このシンポジウムに田原は遅れて登場したのだが、実はその前に元読売新聞大阪社会部の大谷昭宏も佐藤からの攻撃を受けていた。テレビで活躍する二人をこき下ろすことで佐藤は自分の株価を上げてみせた。結果的にというよりは意図的に行った可能性が高いと私は見る。

 少国民世代である田原が戦争を忌み嫌うのは理解できる。ただし個人の経験というミクロな視点で安全保障や外交を捉えるのは誤っている。日本が70年以上にわたって平和を享受し得たのは憲法9条によるものではなくアメリカの核抑止力に守られてきたからだ。近代国際法の道を開いたウェストファリア条約(1648年)も勢力均衡という思想に基づく。

 もしも日本が大東亜戦争で立ち上がっていなければ、白色人種による帝国主義(植民地主義)は数世紀も長く続いたはずだ。アジア、中東、アフリカ諸国が第二次世界大戦後に独立したのは日本が白人の土手っ腹に風穴を開けたからだ。これが歴史の事実である。

戦争論争戦―小林よしのりVS.田原総一朗
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2017-12-11

少国民世代(昭和一桁生まれ)の反動/『ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論』小林よしのり


『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』小林よしのり
・『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論 2』小林よしのり
・『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論 3』小林よしのり

 ・少国民世代(昭和一桁生まれ)の反動
 ・天皇は祭祀王

『戦争論争戦』小林よしのり、田原総一朗
・『ゴーマニズム宣言SPECIAL パール真論』小林よしのり
『世界史で読み解く「天皇ブランド」』宇山卓栄
『〔復刻版〕初等科國史』文部省

日本の近代史を学ぶ

 ところが本土においても、戦後のマスコミや左派知識人はこう言ってきた。

 戦前の天皇は「神」として君臨していた。国民は誰もが「現人神」(あらひとがみ)と教えられ、絶対神だと思っていて、「天皇陛下」の名前が出たら直立不動だった。

 天皇の名において戦争したのだから、天皇に戦争責任がある。
 だから戦後はGHQによって「人間宣言」をさせられた。

 天皇は戦後、人間になった。(中略)

 しかしどうやら上のように言う左派知識人たちは「少国民世代」の人たちなのだと、気づいた。

「少国民」(しょうこくみん)とは、昭和16年(大東亜戦争開戦の年)に「小学校」を「国民学校」に改称したのと同時に、「学童」を改称した名称である。
 ヒトラーユーゲントで用いられた「Jungvolk」の訳語らしい。

「少国民世代」を厳密にいうならば、「国民学校に行っていた世代」つまり「大東亜戦争中に小学生だった世代」ということになる。

 田原総一朗(終戦時11歳)
 筑紫哲也(当時10歳)大江健三郎(当時10歳)
 本多勝一(当時13歳前後)
 大島渚(当時13歳)井上ひさし(当時10歳)
 石原慎太郎(当時12歳)西尾幹二(当時10歳)
 この辺が「少国民世代」である。わしの母もこの世代に入る。

 少国民世代は、戦時中は大人たちから「日本は神国だ! いざとなれば神風が吹く!」…と教えられ軍人に憧れた者が多かった。

 戦後、その同じ大人たちが豹変して、「これからは民主主義の時代です。天皇は人間です。象徴に過ぎないんです!」…と教え始めた。
 その大人たちの露骨な態度の変化を見て、国家や天皇というものに懐疑的になった者が少国民世代には多いようだ。(中略)

 実を言うと、天皇を心底「神」と思い込んでいたのは「少国民世代」だけなのだ。

【『ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論』小林よしのり(小学館、2009年/平成29年 増補改訂版、2017年)】

「ゴーマニズム宣言SPECIAL」シリーズは『戦争論』で花火のように舞い上がり、『昭和天皇論』に至るまで鮮やかな色彩を空に描き、そして『新天皇論』で跡形もなく消えた。女系天皇容認を表明した『新天皇論』で小林から離れていったファンが多い。

 私が小林の漫画や著作を読んだのは最近のことで、よもやこれほどのスピードで転落するとは予想だにしなかった。元々自分自身を美化する小林の画風が好きになれなかった。甲高い声も耳障りだ。公の場で「わし」という言葉遣いも大人とは言い難い。それでも一定の敬意を抱いたのは早くから慰安婦捏造問題に取り組むなど、期せずしてオピニオンリーダーの役割を果たしてきたように思えたからだ。その姿は文字通り孤軍奮闘であった。

 一時期小林と親(ちか)しかった有本香は「先生」と小林を呼んでいた。かつてはそれほどの見識を持っていた。そして有本も小林の元から去っていった。

「昭和一桁生まれが戦争を知っていると語るのは誤りだ」という指摘は少なからず他にもある。だが「少国民世代」と名づけたのは卓抜なセンスだ。

 終戦後、「神も仏もあるものか」という言葉が人口に膾炙(かいしゃ)した。その一方で精神の空隙(くうげき)を埋めるべく雨後の筍(たけのこ)みたいに現れた新興宗教に日本人は飛びついた。これまた「反動」と言ってよい。大半の知識人が左傾化したのも同じ現象であろう。

 日本は戦争に敗れたもののまだ亡んではいなかった。だが国体を見失って経済一辺倒に走り出した時、この国は国家であることをやめたのだろう。敗戦から半世紀以上に渡って「愛国心」という言葉はタブーとされた。

 昭和一桁世代には不破哲三(昭和5年生まれ)や池田大作(昭和3年生まれ)もいる。戦後、大衆を糾合し得た共産党と創価学会のリーダーがこの世代であるのも興味深い。

2017-12-10

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2017-12-07

椅子に座って膝を揺らす/『自分で治す病気の数々 痔 膝痛 腰痛 肩こり 認知症 椎間板ヘルニア』谷幸照


 ・椅子に座って膝を揺らす

『ひざの激痛を一気に治す 自力療法No.1』

 膝の軟骨が低下するのは稼働の低下が原因のようです。そこで膝の動く稼働頻度を高める運動をします。
 左右交互に膝下の動くスピードに挑戦します。膝の動く頻度を高めて軟骨の再生を促します。膝の動く頻度を高くする事により軟骨の再生を生み痛みは消えてゆきます。
 軟骨の再生が出来ますので屈伸の滑らさ(ママ)を取り戻して健康な膝を取り戻すことが出来ます。
 まず椅子に浅く掛け、膝を少し上げて膝下を前後に振ります。膝下の振るスピードはゆっくり振ります。
 ゆっくりでも歩くスピードの何倍も早い回転となります。ゆっくり痛い方の膝から交互に振り続けます。痛い膝を振りますので痛みは倍増します。倍増する痛みに耐えて振り続けて下さい。

【『自分で治す病気の数々 痔 膝痛 腰痛 肩こり 認知症 椎間板ヘルニア』谷幸照〈たに・ゆきてる〉(諏訪再生会、2012年)】

 本の作りが悪く1970年代に見掛けた左翼のアジビラを思い出したほどだ。活字も恐ろしく大きい。一段落がほぼ一ページ。その上繰り返しが多い文章で頭が痛くなってくる。膝を揺する運動は別の本にも書かれていた。で、今日足の高い椅子を入手した。

 致命的なのは「原因のよう」という推測に基きながら、軟骨の再生と痛みが消えることを断定していることだ。臨床経験に引きずられがちな人物であることが窺える。

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2017-12-03

なにかを信じることにはまったく意味がない/『これのこと』ジョーイ・ロット


『わかっちゃった人たち 悟りについて普通の7人が語ったこと』サリー・ボンジャース

 ・なにかを信じることにはまったく意味がない

・『つかめないもの』ジョーン・トリフソン
・『オープン・シークレット』トニー・パーソンズ
『すでに目覚めている』ネイサン・ギル
『今、永遠であること』フランシス・ルシール
『プレゼンス 第1巻 安らぎと幸福の技術』ルパート・スパイラ

悟りとは

 信じられないかもしれないけど、なにかを信じることにはまったく意味がない。信じるというのは単に信じるってこと。それだけ。
 でも僕らが生きている世界では、信じることにとてつもなく大きな価値が置かれているように見える。だから、信じていることの催眠にかかっている人がほとんどだとしても特に不思議はない。
 信じるのは別に悪いことじゃない。ただ、あるということの単純さと信じることはまったくどんな関係もないというだけだ。だから、あるということの単純さを見つけだすために、つまり自由を探すために、なにかを信じてそれにしがみつくとしたら、それは誤った戦略だし間違いなく失敗する。
 信じるのは悪いことじゃないとは言っても、自分が信じていることに執着すると、あるということの単純さがはっきりとは見えなくなる。
 なにを信じていてもそれは単なる思考が観念で、真実と取り違えられているだけだ。どんな思考も観念も真実とは違う。そこに誤りがある。

【『これのこと』ジョーイ・ロット:古閑博丈〈こが・ひろたけ〉訳(ブイツーソリューション、2015年)】

 古閑博丈が精力的に翻訳を行っている。少し考えれば当たり前のことだが悟り本にはいわゆる個性というものがない。例外はブッダとクリシュナムルティくらいだろう。自我という大地を破れば意識は虚空に解き放たれる。個性とは地に咲くものだ。ただし文に滲み出る何かがある。それが気になるのは私が悟っていないためなのだが(笑)。

 実際は「わからない」からこそ信じるのである。地球が丸いことを「信じている」人はいない。事実は「知る」だけであり、「理解」すれば信じる必要はない。

私は何も信じない」とクリシュナムルティは語った。この一言に込められたのは「神と自己の否定」であろう。「神と自己」という概念が世界を二元に分け隔てる。非二元(ノンデュアリティ)と言おうがワンネス(一元性・単一性)と呼ぼうが結局は「私」という軛(くびき)から自由になるかどうかである。

 法然・親鸞・日蓮は信を説いた。ここに鎌倉仏教の限界があるように思われる。信は眼を塞(ふさ)ぎ智慧に至ることがない。どのように理を尽くしたところで信をもって慧(え)に代えることはできず不確実性や偶然性に翻弄される。悟りとはありのままの現実を直視することであり、何かを信じて未来を待望する精神はその欲望によって明晰さを失う。諸法無我を思えば信を支える基底が自我であることを見抜ける。

 何かを信じる人々は常に争い合っている。他を貶(おとし)め自らを持ち上げることに躍起な姿は悟りから程遠い。無上道であればこそ争いから離れることが可能となる。

 初期仏教の悟り重視を軽んじたのが後期仏教(大乗)であった。彼らは個人の悟りを「小乗」と嘲(あざけ)った。ま、悟りを無視すれば多数を収める乗り物が作れるのは当然だ。乗り物の行き先は知らないが。そして自分たちの弱みを押し隠すために精緻な理論を築いた。

これのこと
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