2019-01-16

創価学会の墓地ビジネス/『週刊東洋経済 2018年9/1号 宗教 カネと権力』


『創価学会秘史』高橋篤史
『ジャーナリズムの現場から』大鹿靖明

 ・創価学会の墓地ビジネス

 当初、学会は運動公園なども併設しようと、ゴルフ場全体を買収する方針だった。が、交渉の最終段階で半分に絞り込んだ。それでも買収価格が引き下げられることはなかった。「牧口さんの出身地だからどうしても欲しかったんでしょう」と前出の役員は振り返る。
 もっとも、ここでも地元の反対がネックだった。12年11月、久米地区が住民投票を実施したところ、反対が6割に達したのである。
 それでも利害が一致していた学会側と柏崎黒姫観光は断念しなかった。当初は集落に近い海側のアウトコースを墓地に充てる計画だったが、山側のインコースに変更。さらに地元へのアメも用意した。集会施設の駐車場拡張など4000万円の整備費と、年120万円の町内会費を10年間納め続けることを約束したのだ。関係者は70戸余りの集落を1軒1軒回り同意書を取っていった。
 前出の役員によると、話がほぼまとまると、学会御用達で知られる不動産会社「東京昇栄」が交渉に加わった。学会関係者が初めて顔を見せたのは、市内の学会施設で行われた契約調印の場だった。(高橋篤史)

【『週刊東洋経済 2018年9/1号 宗教 カネと権力』(東洋経済新報社、2018年)】

 2019年11月に完成予定の「牧口記念墓地公園」である。牧口常三郎〈まきぐち・つねさぶろう〉は創価学会の初代会長で柏崎(新潟県)出身だ。ま、カジュアルな聖地主義といってよい。ネット上に東京昇栄の企業情報は見当たらず。隠密企業というわけだ。

 5000万円もの余計なカネを支払うのは先行投資に決まっている。金額に見合うだけのリターンがあるのだ。それを負担するのはもちろん創価学会員である。教団とは信者からカネを毟(むし)り取るシステムのことだ。自ら喜んで騙される人々を信者とは申すなり。

 それに対してつべこべ言うのはお門違いだ。むしろ経済活動に貢献していることを称(たた)えるべきだろう。創価学会以外の新宗教も取り上げられているのだが、書き手に依存した誌面作りとなっていて底が浅い。電車で読むにはうってつけの内容だ。

 宗教ネタを扱う時点で東洋経済新報社に知恵のないことがわかる。他人の財布の中身を心配するのが彼らの仕事なのだろう。


政党が藩閥から奪った権力を今度は軍に奪われてしまった/『重光・東郷とその時代』岡崎久彦


『日米・開戦の悲劇 誰が第二次大戦を招いたのか』ハミルトン・フィッシュ
『繁栄と衰退と オランダ史に日本が見える』岡崎久彦
『陸奥宗光とその時代』岡崎久彦
『陸奥宗光』岡崎久彦
『小村寿太郎とその時代』岡崎久彦
『幣原喜重郎とその時代』岡崎久彦

 ・政党が藩閥から奪った権力を今度は軍に奪われてしまった
 ・溥儀の評価
 ・二・二六事件前夜の正確な情況

『吉田茂とその時代 敗戦とは』岡崎久彦
『村田良平回想録』村田良平
『歴史の教訓 「失敗の本質」と国家戦略』兼原信克

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 陸奥(むつ)は、伊藤博文の知遇と土佐の自由党の力を背景に、小村は、桂太郎に代表される志を同じくする明治第二世代の強い国権主義潮流のうえに乗って、そして幣原(しではら)は、議会民主主義の大道(たいどう)のもとに、選挙で権力を掌握した民政党の多数の力をもって、それぞれの政策を実行した。
 しかし、昭和期の政治家、外交官は誰一人こういう強い政治力の背景をもたなかった。裏からいえば、誰も軍の独走を抑える政治力をもたなかったのである。
 政党が藩閥(はんばつ)から奪った権力を今度は軍に奪われてしまったのである。その理由はすでに見てきたように、大正デモクラシーが日本が達成した初めての政党政治であったために、「デモクラシーは最悪の政体であるが、他の政体よりもまし」という哲理を、まだ一般国民が当然のこととして受け入れるゆとりがなく、党争、腐敗などの政党政治の否定的な側面に国民が失望し、それに代る他(た)の勢力、とくに軍に国民が期待をもったことにある。

【『重光・東郷とその時代』岡崎久彦(PHP研究所、2001年/PHP文庫、2003年)以下同】

 岡崎の史観は政党政治を基軸に据え、大正デモクラシーを肯定的に捉えている。1890年(明治23年)に第1回衆議院議員総選挙が行なわれているので大東亜戦争敗北(1945年〈昭和20年〉)までの半世紀を政党政治の揺籃(ようらん)期といってよいだろう。傑出したリーダーは存在したものの国民的な政治意識の成熟には時間を要した。長い間、戦勝国のアメリカが日本に民主政をもたらしたという誤った歴史がまかり通ってきたが日本にはもともとその土壌があった。

「デモクラシーは最悪の政体であるが、他の政体よりもまし」と語ったのはチャーチルである。第二次世界大戦にあって独裁を許されることのなかった皮肉が込められている。つまり「権力者にとっては最悪」という諧謔(かいぎゃく)なのだ。

 個人的には民主政が集合知を発揮することは難しいと考える。衆は愚の異名である。賢(けん)は個によって発揮され後に続く人が出てくる。集合知は沈黙の中から生まれる(『集合知の力、衆愚の罠 人と組織にとって最もすばらしいことは何か』アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン)。大衆が沈黙の内に沈んで投票行動に及ぶことはまず考えられない。

「責任を持たない大衆、集団の力は恐ろしいものです。集団は責任を取りませんから、自分が正しいといって、どこにでも押しかけます。そういう時の人間は恐ろしい。恐ろしいものが、集団的になった時に表に現れる」(『学生との対話』小林秀雄:国民文化研究会・新潮社編)。ネット上の掲示板で人の道が説かれるようになれば私も民主政を信じよう。

 統治形態が王政、貴族政、民主政と変化してきた(『民主主義という錯覚 日本人の誤解を正そう』薬師院仁志)のは脳の内部世界に連動したものだろう。第二次世界大戦の渦中で民主政と僭主政(独裁制)が拮抗したのも一種の揺り戻しで、人類の思考回路が紆余曲折を経てきた形跡が窺える。つまり、こうだ。社会が巨大化(国家化)してゆく中で人々は単純な判断が許されなくなり、自分と異なる価値観を受け入れる必要が生じた。思索とは反対意見を設定することだ。西洋で哲学の花が咲いた後に民主政へと向かうのは必然であった。人類はこうして熟慮する存在となった。

 私は真に熟慮し得る政治家はその人自身が民主政を体現していると考える。現代の政党政治が利権で動いている以上、形を変えた藩閥政治といってよいだろう。

 国民はたしかに軍人に期待した。国民のイメージのなかでは、党争と利権にまみれた政治家に代って凛々しい軍人が国を指導する姿があったことは否定できない。しかし、国民は、出先の軍の独走や青年将校の下剋上(げこくじょう)まで期待したわけではなかった。
 こう考えると、張作霖爆殺事件(ちょうさくりんばくさつじけん)の犯人を処罰せず下剋上の風潮をつくったことが昭和政局全体の禍根(かこん)となった、という判断には否定しえない真実があるといえる。
「満州で止まっておけばよかった」というのが当時の国際情勢分析からくる国家戦略として――倫理的判断でなく――正しい判断だったとしても、軍の出先に歯止めが利(き)かない状況のもとでは、それは国家戦略の是非の問題ではなく、賭博場(とばくじょう)から負けて帰ってきて「いちばん勝っていたときに帰ってくればよかった」と悔むのと同じことになってしまう。そろそろ潮時だから賭場から帰れといくらいってもいうことを聞かないのだから、戦略も何もない。結局負けるまで――賭場全体を乗っとろうという空想的勝利の場合以外は――いつづけることになるわけである。
 そうなると、そもそも賭場(とば)に行ったこと自体が悪い、そもそも軍人なるものがいたから悪い、というだけの単純な史観になってしまう。
 げんに戦後の日本ではそういう史観が主流であった。もちろんその背後には、冷戦における共産側のプロパガンダもあった。共産側のプロパガンダは、表向きはいろいろな理屈は使っても、ひっきょうその究極の目的は日本の防衛力を弱めておいていざというときに取りやすくしておくことにあったのだから、反戦主義、反軍主義を煽ったのは当然である。
 こうして、第二次世界大戦の歴史の教訓とプロパガンダによる反軍思想の相乗効果で、こうした単純な史観が主流となったわけである。

 歴史の奇々怪々を教えるものとして「張作霖爆殺事件ソ連特務機関犯行説」がある。歴史には多くの嘘がまみれているが、大切なのは史観の陶冶(とうや)である。事実の書き換えによって史観までもが変わるようではダメだ。

 関東軍の動きは民の願いに応えたものだろう。日清・日露戦争に勝っても日本は帝国主義の甘い汁を吸うことが許されなかった。国民は臥薪嘗胆(がしんしょうたん)を唱えて憤激を堪(こら)えた。陸奥宗光、小村寿太郎、原敬〈はら・たかし〉を理解できる国民はいなかった。そして国民の積怨(せきえん)が関東軍という形になったのだ。日本人の脳が近代化できなかった様子がありありとわかる。

 インターネットによって人々は移動することなくつながることが可能となった。もはやつながっているのである。そして実は「つながる環境」があるにもかかわらずつながってはいない。SNSという新しい形は緩やかな関係性を構築させたが、まだ世の中を変えるほどの力にはなっていない。商品ではなく人間のレコメンド機能が出てくると面白い。

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岡崎 久彦
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2019-01-14

ハムストリングのストレッチは不要/『勝者の呼吸法 横隔膜の使い方をスーパー・アスリートと赤ちゃんに学ぼう!』森本貴義、大貫崇


 ・ハムストリングのストレッチは不要

・『間違いだらけ!日本人のストレッチ 大切なのは体の柔軟性ではなくて「自由度」です』森本貴義
『BREATH 呼吸の科学』ジェームズ・ネスター
『静坐のすすめ』佐保田鶴治、佐藤幸治編著

身体革命

 身体が硬いからとストレッチばかりしていると、骨盤を後ろから引っ張っておいてくれる縁の下の力持ちのようなハムストリングを伸ばしきってしまいます。それで力が出ないようにしてしまうのではなく、適切なトレーニングをすることでちゃんと力が出るようにしてあげましょう。これがPRIやDNSなどをベースとした私の持論です。
 もし、立った状態の前屈で指が地面に着かなくても、ハムストリングのストレッチは不要です。それはハムストリングの硬さが原因なのではありません。実は骨盤や胸郭、肋骨の位置などを変えることで指はどんどん地面に近づいていくのです。

【『勝者の呼吸法 横隔膜の使い方をスーパー・アスリートと赤ちゃんに学ぼう!』森本貴義〈もりもと・たかよし〉、大貫崇〈おおぬき・たかし〉(ワニブックスPLUS新書、2016年)】

 PRI(Postural Restoration Institute/姿勢回復研究所)、DNS(Dynamic Neuromuscular Stabilization/動的神経筋安定化)は呼吸に鍵がある。身体瞑想と名づけていいように思う。新しい概念で理解するのが容易ではない。

 ま、ヨガをやっていることもあり、「ハムストリングのストレッチは不要です」と言われて、ハイそうですかというわけにはいかない。私の場合、明らかに硬いのだ。伸ばしきってしまうと力が出ない、との指摘も根拠を示さなければ説得力を欠く。それでも尚、視点の新しさが蒙(もう)を啓(ひら)いてくれる。

 身体の総合性や関連性についてアメリカの研究に先を越されているのはどうも面白くない。もともと日本には古武術や忍術などの文化があったわけだから素地は失われていないだろう。

2019-01-13

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2019-01-12

思想する体/『フェルデンクライス身体訓練法 からだからこころをひらく』モーシェ・フェルデンクライス


『悲鳴をあげる身体』鷲田清一
『ことばが劈(ひら)かれるとき』竹内敏晴
『究極の身体(からだ)』高岡英夫

 ・思想する体

『心をひらく体のレッスン フェルデンクライスの自己開発法』モーシェ・フェルデンクライス
『アイ・ボディ 脳と体にはたらく目の使い方』ピーター・グルンワルド
『運動能力は筋肉ではなく骨が9割 THE内発動』川嶋佑
『ウィリアム・フォーサイス、武道家・日野晃に出会う』日野晃、押切伸一
『武学入門 武術は身体を脳化する』日野晃
『月刊「秘伝」特別編集 天才・伊藤昇と伊藤式胴体トレーニング「胴体力」入門』月刊「秘伝」編集部編

身体革命
必読書リスト その二

 われわれは自らの自己イメージ通りに行動する。この自己イメージは――他方ではわれわれのあらゆる行動を支配するが――程度の差こそあれ、遺伝、教育、自己教育という三つの要因に制約される。
 遺伝的にうけついだものは、もっとも不変の部分である。個人の生理学的資質――神経系、骨格、筋肉、体内組織、腺、皮膚、感覚器の形態と能力――は、なんらかの独自性が確立されるはるか以前に、身体的遺伝によって決定されている。その自己イメージは、自然の成り行きのなかで体験する行動と反応から生まれ発育する。
 教育は、ひとの言語を決定し、特定の社会に共通した概念と反応のパターンをつくりあげる。このような概念と反応は、生をうける環境次第でさまざまであろう。それらは種としての人間の特質ではなくて、ある集団や諸個人の特質なのである。
 教育が自己教育の方向を大部分決定するとはいえ、自己教育は、われわれの成長発展にとってもっとも積極的な要素であり、生物学的起源をもつ諸要素よりもはるかに多く社会的に活用される。自己教育は、外からの教育を身につける方法を左右するだけでなく、習得すべき材料の選択と同化できない材料の拒絶に影響を与える。教育と自己教育は断続的に行なわれる。

【『フェルデンクライス身体訓練法 からだからこころをひらく』モーシェ・フェルデンクライス:安井武訳(大和書房、1982年/新装版、1993年)】

 フェルデンクライス・メソッドは動作法である。体操ではない。正式にはソマティック・エデュケーションというらしい。直訳すれば「身体教育」だが「心身技法」とすべきだろう。気づきや内発性に重きを置くところに特徴がある。

 ルドルフ・シュタイナーオイリュトミーリトミックよりも負荷は弱い。

 アレクサンダー・テクニーク成瀬悟策〈なるせ・ごさく〉の心療動作法と同じジャンルと考えてよい。モーシェ・フェルデンクライスはフレデリック・マサイアス・アレクサンダーからレッスンを受けていたとのこと(ソマティック・エデュケーションとは | アレクサンダーテクニークの学校)。

 肉体との対話によって思想する体が形成される。無自覚な姿勢や動きが体の自由を損ない、肩凝りや猫背、腰痛となって現れる。日常生活で筋肉や骨を意識することは殆どない。我々が体を意識するのは病気や怪我をした時に限られる。身体障碍者のリハビリは時に運動部の練習よりも過酷の度合いを増すという。であれば元気なうちから体の内側に眼を向け、耳を澄まし、鍛えておくべきだろう。

 プロスポーツ選手でもフェルデンクライス・メソッドを実践している人がいる。やはり人によるのだろう。私は全くやる気が起こらなかった。ところがである。フェルデンクライスの言葉は刮目(かつもく)に値する。竹内敏晴や高岡英夫と完全に共鳴している。むしろ思想性では一歩先を行っている。

 フェルデンクライスがいう「イメージ」とはスタイルと言い換えてよい。「表現のなかで、人間がいちばん惹(ひ)かれるのは、その文体、スタイルである。人間を好きになる場合でも、その人のスタイルを好きになるのだ。どう生きているか、といった対他的、対社会的スタイルに共鳴するかしないか、である」(『書く 言葉・文字・書』石川九楊)。

 自分が自分らしくあろうと努めて確立したスタイルの結晶が「私」である。つまり「私」とは単なるイメージに過ぎない。そこにあるのは「私」という反応だけだ。ひょっとすると「私」という情報すら錯覚かもしれない。

 しかしながら、観察者と観察されるものとのあいだに分裂があるときには、葛藤があります。
 私たちの、他の人たちとの関係というのはすべて――親密なものであろうとなかろうと――分裂や分離に基づいています。
 夫は妻についてのイメージをもち、妻は夫についてのイメージをもっています。そういったイメージが、何年にもわたり、快楽や苦痛、いらだち、その他もろもろを通じて、ひとまとめにされてきたのです――ご承知のとおりの、夫と妻とのあいだの関係です。
 ですから、夫と妻との関係というのは、実際にはふたつのイメージのあいだの関係なのです。性的なことすら――その行為のなか以外のところでは――そのイメージが重要な役どころを演じているのです。
 そういうわけで、人が自分を観察すると、関係のなかで絶えずイメージを構築し、それゆえ分裂を生じさせていることがわかります。
 そのため、実際には関係というものなどまったくないのです。
 人は家族や妻を愛していると言うかもしれませんが、それはイメージであり、それゆえそこには実際の関係などなにもないのです。
 関係とは、物理的な接触だけではなく、心理的になんの分裂もない状態をも意味します。(スタンフォード大学での四つの講話)

【『あなたは世界だ』J・クリシュナムルティ:竹渕智子〈たけぶち・ともこ〉訳(UNIO、1998年)】

 病気や障碍を受け容れることが難しいのも過去のイメージを手放すことができないためだ。我々はイメージを持つことで現実性を見失っているのだ。ジョン・レノンは「想像してごらん」と歌ったが、想像を振り捨てて目の前の現実をありのままにただ見つめることが正しい。

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2019-01-10

最後の元老・西園寺公望/『幣原喜重郎とその時代』岡崎久彦


『日米・開戦の悲劇 誰が第二次大戦を招いたのか』ハミルトン・フィッシュ
『繁栄と衰退と オランダ史に日本が見える』岡崎久彦
『陸奥宗光とその時代』岡崎久彦
『陸奥宗光』岡崎久彦
『小村寿太郎とその時代』岡崎久彦

 ・最後の元老・西園寺公望

『重光・東郷とその時代』岡崎久彦
『吉田茂とその時代 敗戦とは』岡崎久彦
『村田良平回想録』村田良平『歴史の教訓 「失敗の本質」と国家戦略』兼原信克

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 西園寺(さいおんじ)は公卿(くぎょう)である。公卿は百六十家あるというが、そのなかでもっとも格式が高いのは五摂家(ごせっけ)であり、近衛篤麿(このえあつまろ)、その子の文麿(ふみまろ)を出した近衛家はその一つである。その次は九清華(せいが)であり、維新後の太政大臣三条実美(さんじょうさねとみ)を出した三条家西園寺家が含まれる。つまり、公卿のなかでもトップの十分の一に属する名門である。

【『幣原喜重郎とその時代』岡崎久彦(PHP研究所、2000年/PHP文庫、2003年)以下同】

 西園寺公望〈さいおんじ・きんもち〉は明治維新から支那事変までを生き抜いた最後の元老(げんろう)である。陸奥宗光と共に伊藤博文を支えた。伊藤の腹心とする向きが多いが彼らの関係は朋友であった。

 政治の場においては、すべての歴史家が指摘するように無欲恬淡(てんたん)、権力にも金にもまったく執着するところがなかった。というよりも、公卿育ちのわがままで、面倒なことにかかずらうのが嫌だったのであろう。
 東洋自由新聞社の社長になったときも、「社長もいいが僕には到底真面目(まじめ)の勤めはできぬ」というと、「それもよく心得ている」といわれてなったと追想しているが、謙譲でなく本音であろう。外国でも日本でも、文人墨客(ぶんじんぼっかく)、才子佳人(さいしかじん)と付き合うほうに強い関心があった。かつて大磯の伊藤博文の邸(やしき)で、尾崎行雄に対して「政治などということは、ここのおやじのような俗物(ぞくぶつ)のすることだ」と吐き棄てるようにいったという。

 最後の一言がいい。8歳違いの伊藤を「おやじ」呼ばわりした若気(わかげ)の至りも好ましい。一億総町人のような現代社会には貴族が存在しない。金持ちはいる。が、彼らに西園寺のような矜恃(きょうじ/「矜持」と「矜恃」の本来の意味と違い)は持ち得ない。金儲けに腐心する輩は利で動く。経団連を見れば一目瞭然である。国の行く末よりも自社の利益しか眼中にない連中だ。

 かねがね記しているように私は民主政という制度を全く信用していない(『民主主義という錯覚 日本人の誤解を正そう』薬師院仁志)。むしろエリートや貴族が政治を担い、国民をリードするべきだと考える。戦前の政治家で私腹を肥やした者は殆どいないという。井戸塀政治家(いどべいせいじか)という言葉があったほどだ。自民党が金権腐敗に染まったのは田中角栄以降のことだろう。

 貴族は遊民というよりも国家にとっての遊撃と私は考える。

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若き日の感動/『青春の北京 北京留学の十年』西園寺一晃