2021-03-31

高峰秀子の文章/『ポーカー・フェース』沢木耕太郎


・『一瞬の夏』沢木耕太郎
『凍(とう)』沢木耕太郎

 ・高峰秀子の文章

 高峰さんはすばらしい書き手だった。女優として、という但し書きを必要としない見事な文章の書き手だった。自分の言いたいことを簡潔に書く。その最もむずかしいことを常に軽々とやってのけている。私は単行本で『わたしの渡世日記』を読んで以来、高峰さんの書いた文章をほとんど読んでいた。

【『ポーカー・フェース』沢木耕太郎〈さわき・こうたろう〉(新潮社、2011年/新潮文庫、2014年)】

 山野井泰史のことが書かれていると知って、すかさず読んだ。私の大好きな高峰秀子のことも書いてあったのはめっけ物だった。高峰のエッセイは半分ほど読んでいるが、30年ほど前なので記憶が薄れている。清々(せいせい)ときっぱりした小気味いい文章を絶賛する人は多い。満足に学校へ行くことができなかった彼女は台本読みで知識を身につけ、夫君である松山善三のシナリオ口述筆記をしながら読み書きの技術を身につけた。5歳でデビューし天才子役と持ち上げられ、スター街道をまっしぐらに歩んで50年後にスパッと引退した。

 自著のエッセイの装丁は長年の知己の安野光雅によるものだが、あるとき、安野のサイン会が開催された際、高峰がサインを待つ行列に並んでいた。それを見つけた安野から、「周りの人が見ていますよ」と声をかけられたところ、高峰は「別に構わないじゃない」と応じたという。

Wikipedia

 いかにもこの人らしいエピソードである。

2021-03-30

人間のもっとも原初的な社会は母子社会/『結社のイギリス史 クラブから帝国まで』綾部恒雄監修、川北稔編


『砂糖の世界史』川北稔

 ・結社〜協会・講・組合・サロン・党・サークル・団・アソシエーション・会・ソサエティ
 ・人間のもっとも原初的な社会は母子社会

『世界システム論講義 ヨーロッパと近代世界』川北稔

 人間は、孤独では生きていけない動物だといわれる。人間は集団のなかで生まれ、集団のなかで死んでいくのである。人間のもっとも原初的な社会は、母とその子どもからなる母子社会であり、母子関係を中心として家族・親族・氏族のような血縁関係がつくられた。数百万年は続いたと思われる人類の狩猟・採集時代は、血縁の原理がもっとも優越していた時代であったろう。(中略)
 血縁と地縁は、人間を結びつけるもっとも古い二代紐帯原理であるが、これら血縁・地縁に劣らず古くから存在する紐帯原理は、共通の利害や感心に基づく「約束」の原理であった。このような一定の「約束」のもとにつくられる集団は、利益集団ないしは結社(association)と呼ばれた。結社は人類史上新石器時代、あるいは原始農耕の出現と相前後してあらわれたものといわれており、一般の予想よりかなり古い歴史をもっている。(「刊行にあたって」綾部恒雄)

【『結社のイギリス史 クラブから帝国まで』綾部恒雄〈あやべ・つねお〉監修、川北稔〈かわきた・みのる〉編(山川出版社、2005年)】

 現代では「孤独」を心理的に捉える傾向が強いが、むしろ社会行動的に考えるべきだ。要は群れとしての有機的な結合を欠くところに孤独が立ち現れてくるのである。我々のDNAには「誰かのために役立つこと」を幸福と感じるメカニズムが埋め込まれている。利他の精神ではない。ただそういう生命の仕組みなのだ。誰からも必要とされなくなれば生きてゆくことは難しい。なぜなら「生きる理由」がないためだ。

 ヒンドゥー社会にはアーシュラマ(住期)という概念があり、人生の節目を四段階に分ける。学生期・家住期・林住期・遊行期とあるが、林住期の後に遊行期と来るところがミソである。山林で瞑想を深めた後に再び市中を遊行(ゆぎょう)するのである。悟りを社会に展開する営みが群れと決して断絶していない。仏教もまた同様で必ず都市部周辺にサンガは形成される。なぜなら人里離れた山奥で修行すれば托鉢(たくはつ)が不可能となるからだ。仏教が都市宗教と呼ばれる所以(ゆえん)である。

 台湾原住民では族の下の部落を「社」と呼んだ(alangの訳か)。例えば霧社事件に合流したのはマヘボ社、ボアルン社、. ホーゴー社、ロードフ社、タロワン社、スーク社などである。「中国で,ある神格的シンボルを中核として団結した集合体をさす。「社」という語は,大地の生産力を神格化したものを意味しているが,実際には,その土地に生えている大木や石をシンボルとして設定した」(コトバンク)。社稷の社を思え(Weblio辞書)。「やしろ」(神を祀ってある建物)と訓読みすれば腑に落ちる。

「かつてsocietyということばは、たいへん翻訳の難しいことばであった。それは、第一に、societyに相当することばが日本語になかったからなのである。相当することばがなかったということは、その背景に、societyに対応するような現実が日本になかった、ということである」(『翻訳語成立事情』柳父章)。移動の自由がなければ社会は創出されない。村=世間の時代が長く続いたということなのだろう。それを打ち破ったのもまた明治維新であった。

 ありあまる自由を享受する我々が次々と結社を行わないのはなぜか? 利益がマネーに限定しているためか。NPO的な視点や価値観が必要な気がする。

2021-03-27

過去2~3年の米国債のわずかな買い手はFRBだけである


 現在、米国の金利先高観から「ドル高になる」という見方が多いが、債券を運用する立場で考えると、金利の上昇とは、すなわち、債券価格の下落であり、債券投資には最も向かない局面といえるだろう。債券投資という米国への資金流入がなければ、ドル高にはなりにくい。

 債券王のジェフリー・ガンドラックは、「ほとんどの人が知っていること、つまり、外国人が国債を売り続けている中で、過去2~3年の間、国債のわずかな買い手はFRB(米連邦準備制度理事会)だけである」と述べている。中国もロシアも米国債を買わなくなってしまった。

 FRBとともに数少ない米国債の買い手である日本勢も3月期末要因で逆に動いた。3月23日のゼロヘッジの記事「Morgan Stanley Identifies The Source Of Massive Treasury Selling」では、「日本の持続的な年度末売りは、世界中の悪影響ドミノ効果につながり、最終的には世界的な債券と株式市場の混乱を引き起こした」と、解説されている。

2021/3/25 石原順 | トウシル 楽天証券の投資情報メディア

 直近のドル円は3連騰で高値を更新している。


 為替は資産ではない。単なる通貨の交換比率である。ここを誤解すると思わぬ落とし穴に落ちる。為替の値動きは実需筋で決まる。


 原油は横這いである。コロナ騒動で人の動きが止まっているが、その分自宅の電気使用量が増えているだろうから相殺されると私は考える。

 続いて防衛費の推移を見てみよう。


 こちらは伸びている。尖閣有事に備える動きか。つまり武器購入も増えると予想される。

 日経平均株価は年内に38954円の史上最高値を目指すと予想している。コロナ騒動による社会不安で財布の紐は固くなり、緩和マネーが向かうところは株価しかあるまい。目標は8~9月頃だ。衆議院解散~総選挙~与党圧勝で株価最高値という算段である。そこからドル崩壊を目指すというのが私のシナリオなので、ドル円は112~114円程度までは上昇余地があると思う。まだ4ヶ月ほどあるので120円を目指してもおかしくはない。

2021-03-25

タントリズムは全てをシンボルに置き換える/『はじめてのインド哲学』立川武蔵


『世界の名著1 バラモン教典 原始仏典』長尾雅人責任編集
『ウパニシャッド』辻直四郎

 ・宗教とは「聖なるもの」と「俗なるもの」との相違を意識した合目的的な行為
 ・宇宙開闢(かいびゃく)の歌
 ・タントリズムは全てをシンボルに置き換える

『バガヴァッド・ギーター』上村勝彦訳
『仏教とはなにか その思想を検証する』大正大学仏教学科編
『最澄と空海 日本仏教思想の誕生』立川武蔵、1992年
『空の思想史 原始仏教から日本近代へ』立川武蔵、2003年

 タントリズムにあっては、すべてがシンボルに置きかえられる。世界も仏もシンボルとなる。シンボルあるいは記号の集積の中で、タントリズムの儀礼あるいは実践が行われるのである。後ほど考察するマンダラも、シンボルあるいは記号の統合された集積にほかならない。かたちのあるもろもろのもの(諸法)が、かたちあるままで「熱せられて線香花火の火の玉のように震えながら」シンボルとなるのである。

【『はじめてのインド哲学』立川武蔵〈たちかわ・むさし〉(講談社現代新書、1992年)】

 昔アップした抜き書きを下書きに戻し、少しでも何か書かねばと思いながらもいたずらに歳月が流れる。1年も経てば読んだ時とは全く異なる感想が湧いてくる。中にはどうして書き出したかすら覚えてないテキストもある。思いや考えは、きちんとつかまえておかないと飛び去ってしまう。思念には羽があるのだ。

 シンボルが「記号の集積」であればそれはデータである。データからは計算が導かれる。にもかかわらず儀礼や儀式にとどめておいた理由は何か? それはコンピュータ(計算機)がなかったからではあるまいか。数珠(じゅず)は計算機ではあったが自然数を勘定するだけだ。

 つまりタントリズム(密教)は数学概念を用いなかったがために呪術という罠にはまってしまったのだろう。

 ただしマンダラを侮ってはいけない。マンダラ制作者は望遠鏡もない中で宇宙の実像を把握したのだから。

ジェームズ・C・スコット著『ゾミア 脱国家の世界史』


 ・ジェームズ・C・スコット著『ゾミア 脱国家の世界史』

『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット

 佐藤仁監修・訳、池田一人、今村真央、久保忠行、田崎郁子、内藤大輔、中井仙丈訳(みすず書房、2013年)、本文345ページ、上下二段、定価7040円。基本的に喫煙・入浴・トイレでしか読書をしないが、本書は煙草を1本吸っている間に2~3頁しか読めず。骨が折れる。読了は8000メートル級の山頂のように聳(そび)え立つ。

 図書館から借りたのだが、2週間で読むことは多分できない。読めるところまで読んで買う他なさそうだ。ジェームズ・C・スコットの著作は以下の通り。

・『モーラル・エコノミー 東南アジアの農民叛乱と生存維持』勁草書房、1999年
・『ゾミア 脱国家の世界史』みすず書房、2013年
・『実践 日々のアナキズム 世界に抗う土着の秩序の作り方』岩波書店、2017年
『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』2019年、みすず書房

 先日手に入れた『食生活と身体の退化 先住民の伝統食と近代食その身体への驚くべき影響』(ウェストン・A・プライス)につなぎ、台湾原住民にまで考察を進める。

 長年にわたって軍隊と国家について思考を巡らせてきたが、租税という視点を加えると驚くほど国家機能が浮かび上がってくる。